【「中核派の2005都議選総括」との対話】 |
れんだいこ仮題「2005都議選総括」は、「第1章 新指導路線下で新たに革命的議会主義に挑戦」で、次のように述べている。
革共同は、帝国主義の世界戦争、世界恐慌への突入と革命的情勢の急速な接近のもとで、新たな革命的議会主義の挑戦を開始した。その歴史的出発点としての今次都議選を、長谷川英憲氏を押し立て総決起し闘い抜いた。
革共同は、選挙闘争をプロレタリア革命を現実的に引き寄せる新指導路線の全面的実践として闘い抜いた。新指導路線とは、共産主義運動が労働者階級の自己解放闘争であることを踏まえて、党を労働者党として建設する路線である。革共同はこの路線のもとに、階級的労働運動の前進を貫きつつ、労働者階級の実体的獲得をめざした大衆運動の爆発をかちとり、その発展の中で、選挙闘争に勝利していくというまったく新たな闘いに挑戦したのである。 |
(私論.私見) 「中核派の革命的議会主義」考 |
れんだいこは、中核派が革命的議会主義の位置づけの下で各種選挙戦に取り組むことに賛成である。他の党派ができていない段階での逸早い着手は評価されよう。れんだいこは、選挙闘争は現代の公認された「ハレの祭り」だと思っている。党派がこの機会を見逃すようなことがあってはならない。それを゜思えばあまりにも惜しい失われた五十年であった気がする。それでも今からでも遅くない。気づいた時から始めれば良いのだ。しかし、これの理論的解明をしておねばなるまい。もっとも、理論獲得よりもなお早く「情勢の要請している必要なことをまずやる」とする対応の方がより良い。なぜなら、常に感性の方が足早でほぼ正しいとしたもんだから。しかしながら、いつまでも没理論である訳にはいかない。そういう意味で、同派の早急な革命的議会主義論の発表が待ち望まれている。とはいえ、同派がそれを為すのは至難の技であろう。それは、これまで同党が獲得している理論及び活動総体の根幹を揺さぶる自己批判的検証抜きには為しえないからである。しかし、そこに同志的愛情に漲るものであれば獲得し得ると考える。路線はいつもジグザグするもので、闘った者のみが賢明な道を見出すものだから。要するに党的能力が問われていることになる。
同派の参考に供する為に、れんだいこの革命的議会主義論を呈示しておく。れんだいこのそれは明解である。なぜ、選挙に取り組むべきか、次のような見解になる。
それは、大東亜戦争の敗北の結果、戦前的権力の圧政秩序が逆圧政され、代わりに歴史の僥倖によって史上未曾有のプレ社会主義的法秩序が導入されたからである。れんだいこは、戦後秩序をそのように看做す。これは専らGHQ権力により主導されたが、それは、戦後日本の陣営取り込みを廻って米ソが駆け引きし、米帝が苦肉の策としてソ連邦以上の開明的民主主義法を持ち込んだという「歴史の僥倖」に負っている。他にも理由が多々あろうが、最大の要因は「米帝による日本の取り込み」戦略に基づくものであり、これをアメとムチで例えるならばアメ政策であった。結果的に、戦後日本は史上初めてのプレ社会主義的蓮華国家になった。この観点が欲しい。
付言すれば、戦後日本の民主主義的法秩序は、建国譚に基づくアメリカン民主主義なるものとその後の米国に纏わりついたネオシオニズムなるものとの熾烈な抗争を抱える米帝内矛盾のうちの前者つまり建国譚に基づくアメリカン民主主義側のイニシアチブにより導入されたと看做すべきではなかろうか。今日、米帝内はネオシオニズム派により制圧されてしまった。そのネオシオニズム派が、戦後日本の民主主義的法秩序を根底から改変する憲法改正運動を指図しているのは、この観点に立つことにより説明し得るであろう。
そういう制度及び法体系を獲得した以上、日本人民大衆は、そのたまさかの僥倖を血肉化させるべきであった。法秩序は導入されたとはいえ一朝一夕には定着しない。訓練と試練を通じて体得会得すべきであろう。庶民大衆は、これを語る言語こそ獲得しなかったが、肌身にしみて戦後日本の民主主義的法秩序の有り難味を知っていた。故に、その治世下に安んじて額に汗して懸命に働いた。「戦後日本の奇跡的復興」の背景にあったエイトスはこれであり、この要素を抜いては語れないのではなかろうか。
戦後左派運動の欠点は、戦後日本をプレ社会主義的蓮華国家として位置づけ損なったところにある。時代背景を分別せぬまま、マルクス主義の教本を字句通りに適用し、国家及び権力批判を常習するのが左翼と心得、為に批判に熱中し過ぎてきたきらいがある。もし、マルクスーエンゲルスが戦後日本を分析したなら、プレ社会主義的蓮華国家としてこれを高く評価し、それを橋頭堡として更なる社会主義化を指針せしめたのではなかろうか。
だがしかし、戦後左派運動の新旧左翼はそれぞれが対立したとはいえ共通して、「共産主義者の宣言」を悪訳し、実際に役立たないよう犬の遠吠え式運動に捻じ曲げて行った。故に、左翼であろうとすればするほどマルクス主義の真髄から離れ、その虚を埋め合わせる為の詭弁術を習熟させていくことになった。
こうした流れにあって、「共産主義者の宣言」の精髄を踏まえ、現実政治に応用して行ったのは、何と新旧左翼があれほど批判し抜いた、一時は戦後保守本流として謳歌した政権与党自民党内ハト派であり、これと連衡した官、財、学の面々であった。この時代の日本は、戦後復興から高度経済成長、更にその先へと駆け抜けようとしていた。これは世界史上の瞠目すべき史実であるように思われる。
その栄誉は、1970年代の田中角栄政権の登場で頂点を迎え、その失脚と共にすぼんでいくことになる。代わって登場したのがタカ派系の三木ー福田政権であったが、ハト派の威勢なお強く、大平ー鈴木政権でイニシアチブを奪還した。しかし、1980年代に入り中曽根政権となって以来、基本的にハト派は影響力を失った。以降、目まぐるしいほどに政権交代が行われたものの次第にタカ派のワンサイドとなり、2000年より以降はタカ派系の森ー小泉政権が長期安定支配を誇っている。
この間の社共運動たるや情けないの一言で尽きる。戦後の社会的特質を深く理解することなく、社会党は次第に資本の奴隷の道へと馴致され、共産党はこれが共産党かというほど真反対の抑制運動で幻滅を与え抜いている。この間、新左翼が生まれたが、批判と反乱至上主義であり、戦後日本のプレ社会主義的蓮華国家血肉化の為に有益なことをしていない。いわば劇場左翼として観客から手を振られて喜ぶぐらいの運動しか為しえてこなかった。
今、日本左派運動に要望されているのは、この失われつつある最後の局面で、もう一度戦後日本の特質を踏まえ、これを擁護し更に内実を深め、その先へと展望を切り拓いていくことではなかろうか。社共運動が日本の人民大衆に全く見放されている折柄、本来の左翼運動を公然登場させることこそ輿望なのではなかろうか。
れんだいこは、そういう観点から、中核派が社共運動に変わる新左派運動の主体として競りだしてくることに賛成である。しかしながら、同派がれんだいこ史観の如くに位置づけ直すことはほぼできないであろう。なぜなら、反対の理論ばかりをぶってきたからである。その過去の荷物は大きい。
しかし、理論よりも実践の嗅覚の方が正しいことが多い。その勝れた感性を頼りに道を分け入っていくことが必要なのではなかろうか。付言すれば、同党が単独で運動し支持者を集めるには余りにもおぼこ過ぎる。統一戦線というフラクション理論ではなく字義通りの共同戦線理論で左派運動を結集し、地方から国政までの全国的選挙に乗り出すことを期待している。このところの投票率低下で示される政治無関心を覚醒する起爆剤になるのではなかろうか。
2005.7.11日 れんだいこ拝
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次に、都議選に於いて「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止」を優先課題としたことに付き次のように述べている。
この闘いにおいて、「つくる会」教科書の杉並区での採択絶対阻止が、今春の「日の丸・君が代」決戦の継続・発展として、05年決戦の成否をかけた絶対的課題として押し上げられた。
「つくる会」教科書絶対阻止は、今日の日帝・小泉=奥田、ファシスト石原の戦争と民営化・労組解体攻撃と最も鋭く対決する白熱的な階級決戦的課題となった。当面の4大産別の決戦的攻防の帰趨(きすう)もそこにかかった。
この都議選決戦を、「つくる会」教科書阻止の大衆闘争の爆発と一体的にかちとっていく画期的闘いは、全党の一丸となった総決起を実現した。
同時に6・2教科書集会、6・12沖縄集会の高揚から、6・22教育委員会闘争での杉並区役所を包囲する偉大な大衆的決起が、都議選決戦のど真ん中で、圧倒的に実現された。党の決起と大衆的決起が結合して、「つくる会」教科書阻止の巨大なうねりが開始されたのである。 |
(私論.私見) 「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止運動」考 |
れんだいこは、中核派が「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止運動」を優先課題にしたことを評価しない。なるほど地方選ということで、地方特有の課題に設定したのかも知れない。しかし、地方選挙と云えども国政課題に触れるべきであり、そうとならば「ストップ小泉、石原 悪政からの決別を訴える」とでも設定し、断乎とした倒閣運動にこそ取り組むべきだったのではなかろうか。更には、投票行動を分析し、当然の如く生活権を廻る訴えが主ならば、小泉、石原の弱者切捨て政治を弾劾すべきだったのではなかろうか。当然、好戦的軍需政治をも糾弾し、自衛隊のイラクからの撤退をも訴えねばならなかった。一体、この間その種のことにいくら税金が使われているのか、更に使われようとしているのかを明らかにすることが必要であると思われる。
「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止運動」は、いくらそれを戦闘的に遣りぬいたところで、本来受身のそれでしかない。なぜなら、「手前達の教科書を作り、杉並区での採択を目指す運動」こそ積極的なものだからである。何らそれをせずにつくる会教科書採択阻止を目指すのは、社共運動の二番煎じでしかなかろう。
れんだいこはそのように考えている。人民大衆の真に望んでいる地平とは違うところでいくら力んでみても結実しないだろう。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
更に次のように述べている。
これらの闘いの土台と基礎には、宣伝・扇動の革命があった。「つくる会」教科書阻止を、ファシスト石原打倒・帝国主義打倒として貫き、その闘いが杉並区全体の時間と空間を圧倒的に獲得するという革命的な宣伝・扇動戦が、力の限り闘い抜かれたのだ。
それは戦時下の選挙闘争の様相を徹底的に浮き彫りにさせた。それは直接的には、政党間党派闘争の空前の激化として現れた。街頭などでの「つくる会」派、右翼勢力との激突、石原一派や石原与党の全既成政党の妨害、日本共産党スターリン主義のむきだしの敵対、右翼社民=「市民派」による大衆決起の制動などの大反動が立ち現れた。これらのあらゆる場において、全党はもてる力をふりしぼり、不屈の闘いを貫いた。杉並全区で、区民、支持者と固く連帯して、悔いのない闘いをやりぬいたのである。
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(私論.私見) 「選挙戦奮闘賛美」考 |
何でも事を起こせば、手ごたえも有り、反発もある。その種のことを自賛しているだけであるからしてれんだいこは聞き流すだけである。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
ここで初めて選挙結果に触れ、次のように述べている。
結果は、当選をかちとることができず、7977票(10位)の厳しい敗北となった。だが7977票こそ、「つくる会」教科書絶対阻止と、介護・福祉切り捨てへの怒りの決起である。このかけがえのない一票一票を投じ、決起した区民のみなさんの、絶対勝利への希求にこたえることができなかった。この痛苦な現実を真っ向から見据え、この敗北をそそぐために、なんとしても、今次都議選で掲げた「つくる会」教科書の杉並での採択を絶対阻止し、さらに介護・福祉の切り捨てを進めるファシスト石原知事を追いつめ、その力をもって、05年決戦後半戦の勝利へ向かって総決起することを、革共同は固く決意したい。 |
(私論.私見) 「選挙結果分析」考 |
本来なら、冒頭で述べるべきところ、この下りで付け足し的に触れているのが気にくわない。しかし、「厳しい敗北」と認め、「この痛苦な現実を真っ向から見据え、この敗北をそそぐために云々」とあるところが率直で良い。日共のように詭弁を弄さず、このように受け止め、次のステップへ向うべきだろう。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
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「第2章 つくる会教科書阻止を訴えた闘いの正しさ」で、冒頭、「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争の意義」について次のように述べている。
第一に、厳しい敗北を見据えれば見据えるほど、にもかかわらずわれわれが今次都議選の基本方針に、「つくる会」教科書との全面的根底的対決を据えて闘った決断は、圧倒的に正しかった。
「つくる会」教科書採択の攻撃は、日帝が世界戦争へ突入するために、帝国主義ブルジョアジーと政治委員会、日帝・小泉と日本経団連・奥田、そしてその先兵としての都知事石原らが、階級意志を反動的に密集させて襲いかかってきた恐るべき大反革命である。
この存亡をかけた大攻撃を、国政選挙なみの都議選という政治決戦の場で、暴露し、対決することは、労働者階級人民の戦争絶対反対の階級意志と生命・生活を守るあまりにも当然な闘いであった。 |
(私論.私見) 「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争の意義」考 |
れんだいこは既に述べたように、「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争」を政策第一課題にしたことに付き間違いと思っている。「圧倒的に正しかった」と云うが、やや硬直化してはいないだろうか。次に、要約「この存亡をかけた大攻撃を、国政選挙なみの都議選という政治決戦の場で、暴露し、対決することは、あまりにも当然な闘いであった」と云うが、この言葉は、「小泉政権打倒」を掲げた時のセリフであろう。何やらすり替えているように思われる。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて、次のように述べている。
したがって、「つくる会」教科書に対する大衆的反撃も、4年前とは比較にならない根底的決起となったのである。怒りは地の底からわき起こった。中学生、高校生、青年のみずみずしい決起、保護者や女性の切々とした叫び、教育労働者を始めとした労働者階級のやむにやまれぬ怒りのこぶし、高齢者の体をふるわせた訴えなどの感動的決起が、澎湃(ほうはい)として巻き起こった。
だが、この大衆運動の広範で急速な拡大を、さらに急速に集票に転ずる未曽有(みぞう)の挑戦において、同じことだが、大衆運動の拡大を急速に党派選択―候補者への投票行動に発展させるという課題において、党と階級の関係における本質的な飛躍が問われた。 |
(私論.私見) 「反省の弁」考 |
「大衆運動の拡大を急速に党派選択―候補者への投票行動に発展させるという課題において、党と階級の関係における本質的な飛躍が問われた」と反省しているが、余程廻りくねった言い方が好きならしい。要するに、「票に結びつかなかった」ことを云いたいのだろうが、人民大衆は分かり易く歯切れの良いのを好む。
それはともかく、「なせ゛票に結びつかないのか、結び付けるには何をどうすれば良いのか」は選挙戦の要諦である。ここ暫くは同派もこれに苦しむことになろう。それで良いのだと思う。社共式とはまた違う票の取り方を編み出してほしいと思う。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて、次のように述べている。
さらに日帝支配階級は、「つくる会」教科書への大反撃が、都議選での長谷川勝利へと発展していくことに死ぬほど恐怖した。それゆえ長谷川氏に対して、全党派が襲いかかるという1対12の空前の激突構造となった。
「つくる会」派は、長谷川つぶしのために「雇われ右翼」を差し向けた。終盤戦においては、既成支配党派が、その基盤的な組織力と支配階級の地域的制圧力を一点、長谷川落としに総動員した。この政党間党派闘争におけるすさまじい切り合いを懸命に闘い抜き、必死の反撃を行ったが、これを打ち返す大衆運動の組織化が追いつくまでには至らなかった。
日帝権力・警視庁は、この戦時下の選挙闘争の前進に恐怖し、デッチあげ逮捕や不当捜索などかつてない戦前型の大弾圧を加えてきた。われわれは、この攻撃を完全に粉砕した。 |
(私論.私見) 「反動勢力攻撃」考 |
真に革命党派なら、権力派の弾圧はついて廻ることだろう。戦前の日共に対する凶暴な弾圧を踏まえれば自明であろう。戦後は有り難いことに国家権力は戦前ほどの弾圧は為しえない。そのことを平衡的に踏まえ、だかじしか右翼、権力、日共何するものぞの気概が欲しい。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて、次のように述べている。
第二に、このように戦時型選挙において、もてる力を出しきり、支配階級や既成政党に伍(ご)して、全反動がすべて襲いかかってもなおそれをはね返し、選挙という戦場で勝利することは、われわれにはとうてい不可能なのか。断じて否である。
ひとつは、選挙闘争こそ巨大な大衆運動であり、それは党派選択という一段とレベルアップした大衆運動である、ということである。したがって、もし大衆運動の発展が選挙の勝利に結びつかないとすれば、それは大衆運動の爆発がまだ不十分である、ということなのである。
いまひとつは、われわれの新たに開始した選挙闘争は、あくまでも未完だということだ。それは始めたばかりの闘いの壁であり、そこでの不十分さ、未熟さ、甘さである。だからこそわれわれは、この点について、厳格に痛苦にえぐりだす必要がある。しかし同時に、階級闘争の鉄火で、いくらでも鍛え上げることのできる課題だ、ということである。
特に福士派との闘いについて、われわれは今回の闘いで、この「市民派」という存在の反動的役割を、正確に階級的につかむことができた。そしてその「壁」こそ、階級的労働運動の発展にとっての阻害物であり、この突破の中に、新指導路線の歴史的発展の道があるのだ。 |
(私論.私見) 「選挙の壁」考 |
「選挙の壁」について語っているが、「われわれの新たに開始した選挙闘争は、あくまでも未完だということだ。それは始めたばかりの闘いの壁であり、そこでの不十分さ、未熟さ、甘さである。だからこそわれわれは、この点について、厳格に痛苦にえぐりだす必要がある」と認識しているならそれで良かろう。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて、次のように述べている。
日共スターリン主義は、大々的な過激派キャンペーンを、「つくる会」派や警察権力と見間違うばかりに行った。これもまたいったんは大きな逆風になった。しかしこの「過激派キャンペーン」は、「この時代において、過激派で何が悪い」という一言で、圧倒的にはね返すことができるのである。いやむしろ「つくる会」教科書の攻撃や危機にある帝国主義に対しては「現代の過激派」しか闘えないのである。 |
(私論.私見) 「日共スターリン主義」考 |
日共を「日共スターリン主義」として批判するのは革共同の観点である。れんだいこは、それは半面規定でしかないと思っている。もう一つの面は、日共は1955年の六全協以来党中央が当局スパイ派に則られており、左派運動に有害な指導ばかりに熱中しているとということである。よって、「屋号と実際が違う日共の左派掣肘運動」に対する特別の視点と批判の観点を持たねばならない。この観点なき「日共スターリン主義」批判は今となってはむしろ有害である。この観点が欲しい。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて、次のように述べている。
第三に、結論的には、このように新指導路線のもとで、まったく新たな選挙闘争に挑戦したことは、それ以外に選択のない闘いであった。
都議選を労働者階級の実体的獲得による大衆運動の爆発をあくまでも徹底的に貫いて闘うことは、唯一無二の闘い方であった、ということだ。それは都議選という巨大な選挙を、現状の党の力量を踏まえて勝ち抜こうとするならば、労働者が大衆運動の担い手となって、自己解放的運動を爆発的に発展させる以外にない。一言で言えば、労働者階級の広範な自己解放的決起に徹底的に立脚した選挙闘争をやろう、ということだ。それは、従来の名簿選挙からの大転換であり、並大抵の闘いではなかった。それは、これまでの名簿対象を守り抜き大事にしつつも、新たに労働者層を大きく獲得しようとする闘いである。そしてこの闘いは、実にめざましい成果を獲得した。
戦時下階級闘争への突入のもとで、日帝の階級闘争絶滅攻撃を打ち破る闘いと力は、労働者階級の獲得をとおした大衆闘争の爆発であり、都議選を徹底した大衆運動で勝ち抜く以外にないということであった。
しかも、「つくる会」教科書こそ、最も激しい階級闘争絶滅攻撃である。05年決戦の核心的課題は、帝国主義のこの攻撃に対して、党と階級が生き残ることである。われわれは、都議選の地平から、11月労働者総決起へ勇躍突き進まなければならない。 |
(私論.私見) 「革命的議会主義」考 |
いずれにせよ、同党の「革命的議会主義」論を構築し、全党的意思一致せねばなるまい。これまで述べてきたれんだいこ見解と摺り合わせして欲しいところでもある。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
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「第3章 戦争と階級闘争絶滅の大反革命を押し返した」で、冒頭、「都議選の意義」について次のように述べている。
「つくる会」教科書と対決する大衆運動と都議選決戦の一体的闘いは、今日、画期的地平を切り開いている。
「つくる会」教科書攻撃は、この反革命が貫徹されるならば、戦後階級闘争はたちどころに灰燼(かいじん)に帰し、労働組合や階級的な存在が絶滅され、それによって、改憲以降の情勢、すなわちただちに戦争突入が可能となっていく情勢を迎える。改憲が巨大な反革命であるならば、改憲を前にして、ある意味では改憲を一気に可能とする改憲以上の反革命攻撃なのだ。これに対して、都議選の場を大衆運動の爆発のテコにした杉並における「つくる会」教科書絶対阻止の闘いは、この巨大な反革命を、決定的に押し返す闘いとなったのだ。
ひとつは大衆運動の爆発にとって不可欠な自主的・自己解放的決起とその運動体が、大きく生まれている。全国的な教科書闘争の司令塔の登場だ。
いまひとつは、「つくる会」教科書攻撃の激しさを、都議選という絶好の戦場で迎え撃って闘ったことである。この攻撃を、都議選決戦というスケールの蜂起性と集中性をもった闘いで迎え撃ったことは、実に決定的な意義がある。
この大衆の自主的決起の圧倒的高まりと、都議選という政治的加熱化と闘いの旋風が、「つくる会」教科書への一大反撃を高揚させたと言えるのだ。 |
(私論.私見) 「都議選の意義」考 |
いずれにせよ、同党の「選挙闘争」論を構築し、全党的意思一致せねばなるまい。これまで述べてきたれんだいこ見解と摺り合わせして欲しいところでもある。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて次のように述べている。
このような地平を踏まえて、勝負は、まさにこれからである。
「つくる会」教科書の大反革命での敵の狙いは、杉並で正面突破し、恐るべき勢いで首都・東京を席巻することであった。だが、この杉並で強力な阻止闘争を闘っていることが、このファシスト運動の全面的制圧をぎりぎりで阻んでいる。
日帝権力中枢が「つくる会」教科書採択強行のシフトを敷き、敵の側から一個の「階級決戦」を挑んできている。これに対して、杉並を頂点に全国、全産別、全戦線に「つくる会」教科書阻止の大運動を巻き起こさなければならない。
その際、「つくる会」会長の八木秀次の『国民の思想』や、ファシスト石原の言動、行動を徹底的に批判・弾劾することである。特に八木は、「靖国参拝」と民営化は一体であると言って、サッチャーを学べと言っている。サッチャーは、民営化をもって国家主義、国家至上の精神革命を行い、民営化とさらに「教育改革」の中で左翼勢力を撲滅した、とほめそやしている。そのサッチャーが行ったことは何か。「ビクトリア時代(1837〜1901年)に帰れ」をスローガンにして、鉄道などあらゆる産業の民営化を行い、首相の独裁権力を強め、炭鉱ストライキを徹底的に弾圧し、福祉を切り捨て、核武装を行い、「領土を守る自衛戦争」と称してアルゼンチンに侵略戦争(フォークランド戦争)をしかけた。さらに労働者は「ガン細胞」だと悪罵(あくば)を投げつけて、教育の民営化を進め労働組合を鎮圧したのだ。 |
(私論.私見) 「つくる会教科書採択闘争の意義」考 |
ここは拝聴しておく。民営化批判論も理論化されねばならないだろう。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
続いて次のように述べている。
そして重大なのは、今日、サッチャーをもち上げる八木ら「つくる会」派、さらにファシスト石原に限りなく一体化しているのが、日帝中枢の小泉・奥田らであるということである。
今日、小泉は、執拗(しつよう)に靖国参拝攻撃を仕掛けている。靖国神社とは歴史的にも日帝の侵略戦争で天皇のために死ぬことを「喜び」とさせる戦争動員の神社である。「つくる会」教科書もこれと一体だ。
そしてついに小泉は、支配階級内部の分裂も辞さず郵政民営化の衆院採決を強行した。これは支配階級や自民党内にもある戦後的な一切のものを解体・一掃しようというものであり、戦争と民営化攻撃の本格的激化である。
日本経団連は、4・19提言などで、郵政民営化を始めとする民営化=労組破壊、社会保障制度解体、首相への権力の集中などを叫んでいる。実際に「骨太方針X」(6・21閣議決定)は、「ここ1〜2年の構造改革が成否を決める」と公言している。
まさにこの1〜2年で、民営化(労組破壊)と「つくる会」教科書を一体化した階級闘争絶滅攻撃をもって、戦争突入への国家・社会をつくろうというのだ。 |
(私論.私見) 「小泉政治論」考 |
ここも拝聴しておく。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
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「第4章 階級闘争の分岐・流動と開かれた11月への道」で、次のように述べている。
都議選の結果は、一方では「つくる会」教科書攻撃を先端とする密集した反動を激化させ、他方では階級闘争の危機と分岐・流動を推し進めている。
投票率の低下は、ブルジョア議会制度とその腐敗への絶望・失望と怒りが深まっていることを示している。それは階級的危機感が労働者階級の中に充満しつつ、今なおその怒りが解き放たれずに渦巻いていることを示している。プロレタリア革命か、ファシスト反革命かの分岐と激突が、これから本格的に始まり、激化していくのだ。
「つくる会」教科書をめぐる決戦はこれからである。それは完全に、11月労働者総決起へ向かった闘いに引き継がれ、大きく発展しようとしている。都議選決戦が、「つくる会」教科書阻止決戦という大きさ、激しさをもって闘われたことによって、大きく11月への血路が切り開かれたのだ。
それはまず第一に、「つくる会」教科書阻止・石原打倒の闘いこそ、戦争と民営化(労組破壊)と対決する階級的労働運動の再生の闘いそのものである、ということである。
「つくる会」教科書阻止決戦は、「日の丸・君が代」決戦を完全に継続・発展させ、教労を中軸とする4大産別決戦の発展をさらに押し開いている。「つくる会」教科書にいかに対決するかに、4大産別と全産別で勝ち抜く道があるということである。
第二に、今次都議選によって十分に突破できなかった大きな「壁」は、同時に11月への万余の結集を阻む「壁」でもある、ということである。逆に言えば、「つくる会」教科書阻止を徹底的に闘うことで、その壁の突破も可能である。特に日共の反動を打ち破り、福士派の労働運動への絶望と逃亡をのりこえる道がそこにある。これは特に東京都の労働運動にとって死活的である。
第三に、杉並の「つくる会」教科書阻止闘争は、国際連帯の闘いを大きく発展させている。昨年11月以来の国際連帯は、「つくる会」教科書と対決していく闘いの中で、特に日韓労働者の連帯で、さらに大きく育まれつつある。
第四に、新指導路線のもとに全国の党が団結し、一丸となって「つくる会」教科書絶対阻止の大衆運動を創造したことによって、新指導路線の無限の発展の闘いが緒についたことを確認したい。
第五に、7月決戦の重大性である。「つくる会」教科書阻止の7・24杉並大集会から、7・27→8・3の人間の鎖大行動へ総決起しよう。開始された差し止め訴訟は歴史的大裁判闘争である。
4大産別決戦が、7・18日教組大会を先頭にいよいよ大決戦に突入している。さらに7月国鉄決戦が重大である。特に7・15の日比谷野音全国集会は、1047名闘争の不抜の陣形を確立する重大な闘いである。また動労千葉は運転安全行動と組織拡大の闘いをめぐって大決戦に突入している。
さらに8・6ヒロシマ−8・9ナガサキ大行動と戦後60年の8・15集会は、11月への決定的橋頭保をなす闘いである。
共謀罪攻防は、いよいよ正念場である。三里塚闘争も決戦に突入している。
夏期一時金カンパ決戦に勝ち抜こう。さらに機関紙拡大闘争を推進しよう。
7・31東西革共同集会に総結集し大成功させよう。 |
(私論.私見) 「諸闘争」考 |
ここも拝聴しておく。
2005.7.11日 れんだいこ拝 |
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