革命的議会主義考

 (最新見直し2012.12.16日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 1970年代初頭のその昔、日共不破が「人民的議会主義」を標榜し、政界進出してきた。その論たるやいかにも不破らしい本音隠してああでもないこうでもない論を総花的に述べたものでしかなかったが、それはともかく論を獲得していたことは評価されよう。とはいえ、不破の狙いは、その論でもって日共党運動を議会専一主義に向かわせることにあったことがその後の動きで判明する。「人民的議会主義」にはそのようには書かれていないが、不破とはそういう癖のある御仁である。不破式人民的議会主義運動は、当初は票数議席とも伸ばし堅調であったが、次第にその詭弁主義が飽きられ、90年代に入るや敗走に継ぐ敗走を重ねている。示威運動、その他大衆闘争を犠牲にしてのそれだから、選挙運動にも失敗したとなると残ったものは何もないという惨状を見せている。

 そういうことを踏まえ、れんだいこは、不破式「人民的議会主義」に代わる論、二枚舌でない革命的議会主義論の創出を期待している。れんだいこがやれば良さそうだが、できるとも思うがそれにはそれなりの集中した時間が必要で、今のれんだいこには余力がない。そうい訳で、どなたかの論考を望んでいる。


 
阿修羅政治版13」のあっしら氏の2003.9.2日付け投稿「議会で革命ができると考えるのも妄想なら、議会の利用さえできない政治勢力が革命を実現できるというのも妄想」は名句である。付け加えれば、戦後憲法秩序はプレ社会主義というべきものであり、ならばその諸制度を活用しない手はないという観点が欲しい。戦後左派運動はこのことを見ずに、徒にマルクス主義的に嘴を黄色くしてブルジョア議会論を唱え、議会批判するのを得手としてきた。それは総じて非マルクス主義的態度である。このことをはっきりさせておきたい。

 2005.7.12日 れんだいこ拝


 (れんだいこのショートメッセージ) 
 れんだいこは、「2005都議選考」で、中核派の選挙結果に対するコメントについて次のように批判した。
 もう一つ、中核派の長谷川氏が挑んだ杉並区の開票結果にも言及せねばならない。こちらも党の総力戦で挑んだが、当選ラインに遠く及ばない7千977票に終わっている。2001年のけしば候補の都議選の9千450票。杉並区議選で、けしば、新城、北島三名の集票は9千483票であることを考えれば、むしろ後退させている。

 ならば、それをどう総括し、選挙民に声明すべきか。実際には、三行広告で終わっている。党派広報は、「『つくる会』教科書採択絶対阻止を掲げ 長谷川英憲氏を先頭に健闘 7977票(定数6―立候補者13人中10位)」。「都政を確信する会」のコメントは、「長谷川に7977票(10位) 健闘およばず 熱い支援ありがとうございました 挑戦をつづけよう この道を進もう 『つくる会』教科書の採択阻止」。

 れんだいこは思う。日本左派運動は揃いも揃ってどっかオツムの配線がオカシイ。なぜ素直に、良ければ感激し悪ければ悔しがることができないのか。口先三寸世渡りばかりが見えてくる。それでは小泉とかわらんではないか。

 その中核派は、2005.7.18日付「前進2206号」に、れんだいこ仮題で「2005都議選総括」、「長谷川候補のお礼と決意表明」、「選挙戦を振りかえって」の三論文を掲載した。「長谷川候補のお礼と決意表明」だけでももう少し早ければよいと思うが、それでもこれで体裁は整った。随所に興味深い論点があるので、れんだいこがこれと対話してみる。れんだいこは、これは今後に関することで余程重大な対話になると心得ている。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

【「中核派の2005都議選総括」との対話】
 れんだいこ仮題「2005都議選総括」は、「第1章 新指導路線下で新たに革命的議会主義に挑戦」で、次のように述べている。
 革共同は、帝国主義の世界戦争、世界恐慌への突入と革命的情勢の急速な接近のもとで、新たな革命的議会主義の挑戦を開始した。その歴史的出発点としての今次都議選を、長谷川英憲氏を押し立て総決起し闘い抜いた。

 革共同は、選挙闘争をプロレタリア革命を現実的に引き寄せる新指導路線の全面的実践として闘い抜いた。新指導路線とは、共産主義運動が労働者階級の自己解放闘争であることを踏まえて、党を労働者党として建設する路線である。革共同はこの路線のもとに、階級的労働運動の前進を貫きつつ、労働者階級の実体的獲得をめざした大衆運動の爆発をかちとり、その発展の中で、選挙闘争に勝利していくというまったく新たな闘いに挑戦したのである。
(私論.私見) 「中核派の革命的議会主義」考

 れんだいこは、中核派が革命的議会主義の位置づけの下で各種選挙戦に取り組むことに賛成である。他の党派ができていない段階での逸早い着手は評価されよう。れんだいこは、選挙闘争は現代の公認された「ハレの祭り」だと思っている。党派がこの機会を見逃すようなことがあってはならない。それを゜思えばあまりにも惜しい失われた五十年であった気がする。それでも今からでも遅くない。気づいた時から始めれば良いのだ。しかし、これの理論的解明をしておねばなるまい。もっとも、理論獲得よりもなお早く「情勢の要請している必要なことをまずやる」とする対応の方がより良い。なぜなら、常に感性の方が足早でほぼ正しいとしたもんだから。しかしながら、いつまでも没理論である訳にはいかない。そういう意味で、同派の早急な革命的議会主義論の発表が待ち望まれている。とはいえ、同派がそれを為すのは至難の技であろう。それは、これまで同党が獲得している理論及び活動総体の根幹を揺さぶる自己批判的検証抜きには為しえないからである。しかし、そこに同志的愛情に漲るものであれば獲得し得ると考える。路線はいつもジグザグするもので、闘った者のみが賢明な道を見出すものだから。要するに党的能力が問われていることになる。

 同派の参考に供する為に、れんだいこの革命的議会主義論を呈示しておく。れんだいこのそれは明解である。なぜ、選挙に取り組むべきか、次のような見解になる。

 それは、大東亜戦争の敗北の結果、戦前的権力の圧政秩序が逆圧政され、代わりに歴史の僥倖によって史上未曾有のプレ社会主義的法秩序が導入されたからである。れんだいこは、戦後秩序をそのように看做す。これは専らGHQ権力により主導されたが、それは、戦後日本の陣営取り込みを廻って米ソが駆け引きし、米帝が苦肉の策としてソ連邦以上の開明的民主主義法を持ち込んだという「歴史の僥倖」に負っている。他にも理由が多々あろうが、最大の要因は「米帝による日本の取り込み」戦略に基づくものであり、これをアメとムチで例えるならばアメ政策であった。結果的に、戦後日本は史上初めてのプレ社会主義的蓮華国家になった。この観点が欲しい。

 付言すれば、戦後日本の民主主義的法秩序は、建国譚に基づくアメリカン民主主義なるものとその後の米国に纏わりついたネオシオニズムなるものとの熾烈な抗争を抱える米帝内矛盾のうちの前者つまり建国譚に基づくアメリカン民主主義側のイニシアチブにより導入されたと看做すべきではなかろうか。今日、米帝内はネオシオニズム派により制圧されてしまった。そのネオシオニズム派が、戦後日本の民主主義的法秩序を根底から改変する憲法改正運動を指図しているのは、この観点に立つことにより説明し得るであろう。

 そういう制度及び法体系を獲得した以上、日本人民大衆は、そのたまさかの僥倖を血肉化させるべきであった。法秩序は導入されたとはいえ一朝一夕には定着しない。訓練と試練を通じて体得会得すべきであろう。庶民大衆は、これを語る言語こそ獲得しなかったが、肌身にしみて戦後日本の民主主義的法秩序の有り難味を知っていた。故に、その治世下に安んじて額に汗して懸命に働いた。「戦後日本の奇跡的復興」の背景にあったエイトスはこれであり、この要素を抜いては語れないのではなかろうか。

 戦後左派運動の欠点は、戦後日本をプレ社会主義的蓮華国家として位置づけ損なったところにある。時代背景を分別せぬまま、マルクス主義の教本を字句通りに適用し、国家及び権力批判を常習するのが左翼と心得、為に批判に熱中し過ぎてきたきらいがある。もし、マルクスーエンゲルスが戦後日本を分析したなら、プレ社会主義的蓮華国家としてこれを高く評価し、それを橋頭堡として更なる社会主義化を指針せしめたのではなかろうか。

 だがしかし、戦後左派運動の新旧左翼はそれぞれが対立したとはいえ共通して、「共産主義者の宣言」を悪訳し、実際に役立たないよう犬の遠吠え式運動に捻じ曲げて行った。故に、左翼であろうとすればするほどマルクス主義の真髄から離れ、その虚を埋め合わせる為の詭弁術を習熟させていくことになった。

 こうした流れにあって、「共産主義者の宣言」の精髄を踏まえ、現実政治に応用して行ったのは、何と新旧左翼があれほど批判し抜いた、一時は戦後保守本流として謳歌した政権与党自民党内ハト派であり、これと連衡した官、財、学の面々であった。この時代の日本は、戦後復興から高度経済成長、更にその先へと駆け抜けようとしていた。これは世界史上の瞠目すべき史実であるように思われる。

 その栄誉は、1970年代の田中角栄政権の登場で頂点を迎え、その失脚と共にすぼんでいくことになる。代わって登場したのがタカ派系の三木ー福田政権であったが、ハト派の威勢なお強く、大平ー鈴木政権でイニシアチブを奪還した。しかし、1980年代に入り中曽根政権となって以来、基本的にハト派は影響力を失った。以降、目まぐるしいほどに政権交代が行われたものの次第にタカ派のワンサイドとなり、2000年より以降はタカ派系の森ー小泉政権が長期安定支配を誇っている。

 この間の社共運動たるや情けないの一言で尽きる。戦後の社会的特質を深く理解することなく、社会党は次第に資本の奴隷の道へと馴致され、共産党はこれが共産党かというほど真反対の抑制運動で幻滅を与え抜いている。この間、新左翼が生まれたが、批判と反乱至上主義であり、戦後日本のプレ社会主義的蓮華国家血肉化の為に有益なことをしていない。いわば劇場左翼として観客から手を振られて喜ぶぐらいの運動しか為しえてこなかった。

 今、日本左派運動に要望されているのは、この失われつつある最後の局面で、もう一度戦後日本の特質を踏まえ、これを擁護し更に内実を深め、その先へと展望を切り拓いていくことではなかろうか。社共運動が日本の人民大衆に全く見放されている折柄、本来の左翼運動を公然登場させることこそ輿望なのではなかろうか。

 れんだいこは、そういう観点から、中核派が社共運動に変わる新左派運動の主体として競りだしてくることに賛成である。しかしながら、同派がれんだいこ史観の如くに位置づけ直すことはほぼできないであろう。なぜなら、反対の理論ばかりをぶってきたからである。その過去の荷物は大きい。

 しかし、理論よりも実践の嗅覚の方が正しいことが多い。その勝れた感性を頼りに道を分け入っていくことが必要なのではなかろうか。付言すれば、同党が単独で運動し支持者を集めるには余りにもおぼこ過ぎる。統一戦線というフラクション理論ではなく字義通りの共同戦線理論で左派運動を結集し、地方から国政までの全国的選挙に乗り出すことを期待している。このところの投票率低下で示される政治無関心を覚醒する起爆剤になるのではなかろうか。

 2005.7.11日 れんだいこ拝


 次に、都議選に於いて「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止」を優先課題としたことに付き次のように述べている。
 この闘いにおいて、「つくる会」教科書の杉並区での採択絶対阻止が、今春の「日の丸・君が代」決戦の継続・発展として、05年決戦の成否をかけた絶対的課題として押し上げられた。

 「つくる会」教科書絶対阻止は、今日の日帝・小泉=奥田、ファシスト石原の戦争と民営化・労組解体攻撃と最も鋭く対決する白熱的な階級決戦的課題となった。当面の4大産別の決戦的攻防の帰趨(きすう)もそこにかかった。

 この都議選決戦を、「つくる会」教科書阻止の大衆闘争の爆発と一体的にかちとっていく画期的闘いは、全党の一丸となった総決起を実現した。

 同時に6・2教科書集会、6・12沖縄集会の高揚から、6・22教育委員会闘争での杉並区役所を包囲する偉大な大衆的決起が、都議選決戦のど真ん中で、圧倒的に実現された。党の決起と大衆的決起が結合して、「つくる会」教科書阻止の巨大なうねりが開始されたのである。
(私論.私見) 「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止運動」考
 れんだいこは、中核派が「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止運動」を優先課題にしたことを評価しない。なるほど地方選ということで、地方特有の課題に設定したのかも知れない。しかし、地方選挙と云えども国政課題に触れるべきであり、そうとならば「ストップ小泉、石原 悪政からの決別を訴える」とでも設定し、断乎とした倒閣運動にこそ取り組むべきだったのではなかろうか。更には、投票行動を分析し、当然の如く生活権を廻る訴えが主ならば、小泉、石原の弱者切捨て政治を弾劾すべきだったのではなかろうか。当然、好戦的軍需政治をも糾弾し、自衛隊のイラクからの撤退をも訴えねばならなかった。一体、この間その種のことにいくら税金が使われているのか、更に使われようとしているのかを明らかにすることが必要であると思われる。

 「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止運動」は、いくらそれを戦闘的に遣りぬいたところで、本来受身のそれでしかない。なぜなら、「手前達の教科書を作り、杉並区での採択を目指す運動」こそ積極的なものだからである。何らそれをせずにつくる会教科書採択阻止を目指すのは、社共運動の二番煎じでしかなかろう。

 れんだいこはそのように考えている。人民大衆の真に望んでいる地平とは違うところでいくら力んでみても結実しないだろう。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 更に次のように述べている。
 これらの闘いの土台と基礎には、宣伝・扇動の革命があった。「つくる会」教科書阻止を、ファシスト石原打倒・帝国主義打倒として貫き、その闘いが杉並区全体の時間と空間を圧倒的に獲得するという革命的な宣伝・扇動戦が、力の限り闘い抜かれたのだ。

 それは戦時下の選挙闘争の様相を徹底的に浮き彫りにさせた。それは直接的には、政党間党派闘争の空前の激化として現れた。街頭などでの「つくる会」派、右翼勢力との激突、石原一派や石原与党の全既成政党の妨害、日本共産党スターリン主義のむきだしの敵対、右翼社民=「市民派」による大衆決起の制動などの大反動が立ち現れた。これらのあらゆる場において、全党はもてる力をふりしぼり、不屈の闘いを貫いた。杉並全区で、区民、支持者と固く連帯して、悔いのない闘いをやりぬいたのである。
(私論.私見) 「選挙戦奮闘賛美」考
 何でも事を起こせば、手ごたえも有り、反発もある。その種のことを自賛しているだけであるからしてれんだいこは聞き流すだけである。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 ここで初めて選挙結果に触れ、次のように述べている。
 結果は、当選をかちとることができず、7977票(10位)の厳しい敗北となった。だが7977票こそ、「つくる会」教科書絶対阻止と、介護・福祉切り捨てへの怒りの決起である。このかけがえのない一票一票を投じ、決起した区民のみなさんの、絶対勝利への希求にこたえることができなかった。この痛苦な現実を真っ向から見据え、この敗北をそそぐために、なんとしても、今次都議選で掲げた「つくる会」教科書の杉並での採択を絶対阻止し、さらに介護・福祉の切り捨てを進めるファシスト石原知事を追いつめ、その力をもって、05年決戦後半戦の勝利へ向かって総決起することを、革共同は固く決意したい。
(私論.私見) 「選挙結果分析」考
 本来なら、冒頭で述べるべきところ、この下りで付け足し的に触れているのが気にくわない。しかし、「厳しい敗北」と認め、「この痛苦な現実を真っ向から見据え、この敗北をそそぐために云々」とあるところが率直で良い。日共のように詭弁を弄さず、このように受け止め、次のステップへ向うべきだろう。

 2005.7.11日 れんだいこ拝
 「第2章 つくる会教科書阻止を訴えた闘いの正しさ」で、冒頭、「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争の意義」について次のように述べている。
 第一に、厳しい敗北を見据えれば見据えるほど、にもかかわらずわれわれが今次都議選の基本方針に、「つくる会」教科書との全面的根底的対決を据えて闘った決断は、圧倒的に正しかった。

 「つくる会」教科書採択の攻撃は、日帝が世界戦争へ突入するために、帝国主義ブルジョアジーと政治委員会、日帝・小泉と日本経団連・奥田、そしてその先兵としての都知事石原らが、階級意志を反動的に密集させて襲いかかってきた恐るべき大反革命である。

 この存亡をかけた大攻撃を、国政選挙なみの都議選という政治決戦の場で、暴露し、対決することは、労働者階級人民の戦争絶対反対の階級意志と生命・生活を守るあまりにも当然な闘いであった。
(私論.私見) 「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争の意義」考

 れんだいこは既に述べたように、「つくる会教科書の杉並区での採択絶対阻止闘争」を政策第一課題にしたことに付き間違いと思っている。「圧倒的に正しかった」と云うが、やや硬直化してはいないだろうか。次に、要約「この存亡をかけた大攻撃を、国政選挙なみの都議選という政治決戦の場で、暴露し、対決することは、あまりにも当然な闘いであった」と云うが、この言葉は、「小泉政権打倒」を掲げた時のセリフであろう。何やらすり替えているように思われる。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて、次のように述べている。
  したがって、「つくる会」教科書に対する大衆的反撃も、4年前とは比較にならない根底的決起となったのである。怒りは地の底からわき起こった。中学生、高校生、青年のみずみずしい決起、保護者や女性の切々とした叫び、教育労働者を始めとした労働者階級のやむにやまれぬ怒りのこぶし、高齢者の体をふるわせた訴えなどの感動的決起が、澎湃(ほうはい)として巻き起こった。

 だが、この大衆運動の広範で急速な拡大を、さらに急速に集票に転ずる未曽有(みぞう)の挑戦において、同じことだが、大衆運動の拡大を急速に党派選択―候補者への投票行動に発展させるという課題において、党と階級の関係における本質的な飛躍が問われた。
(私論.私見) 「反省の弁」考
 「大衆運動の拡大を急速に党派選択―候補者への投票行動に発展させるという課題において、党と階級の関係における本質的な飛躍が問われた」と反省しているが、余程廻りくねった言い方が好きならしい。要するに、「票に結びつかなかった」ことを云いたいのだろうが、人民大衆は分かり易く歯切れの良いのを好む。

 それはともかく、「なせ゛票に結びつかないのか、結び付けるには何をどうすれば良いのか」は選挙戦の要諦である。ここ暫くは同派もこれに苦しむことになろう。それで良いのだと思う。社共式とはまた違う票の取り方を編み出してほしいと思う。
 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて、次のように述べている。
 さらに日帝支配階級は、「つくる会」教科書への大反撃が、都議選での長谷川勝利へと発展していくことに死ぬほど恐怖した。それゆえ長谷川氏に対して、全党派が襲いかかるという1対12の空前の激突構造となった。

 「つくる会」派は、長谷川つぶしのために「雇われ右翼」を差し向けた。終盤戦においては、既成支配党派が、その基盤的な組織力と支配階級の地域的制圧力を一点、長谷川落としに総動員した。この政党間党派闘争におけるすさまじい切り合いを懸命に闘い抜き、必死の反撃を行ったが、これを打ち返す大衆運動の組織化が追いつくまでには至らなかった。

 日帝権力・警視庁は、この戦時下の選挙闘争の前進に恐怖し、デッチあげ逮捕や不当捜索などかつてない戦前型の大弾圧を加えてきた。われわれは、この攻撃を完全に粉砕した。
(私論.私見) 「反動勢力攻撃」考
 真に革命党派なら、権力派の弾圧はついて廻ることだろう。戦前の日共に対する凶暴な弾圧を踏まえれば自明であろう。戦後は有り難いことに国家権力は戦前ほどの弾圧は為しえない。そのことを平衡的に踏まえ、だかじしか右翼、権力、日共何するものぞの気概が欲しい。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて、次のように述べている。
 第二に、このように戦時型選挙において、もてる力を出しきり、支配階級や既成政党に伍(ご)して、全反動がすべて襲いかかってもなおそれをはね返し、選挙という戦場で勝利することは、われわれにはとうてい不可能なのか。断じて否である。

 ひとつは、選挙闘争こそ巨大な大衆運動であり、それは党派選択という一段とレベルアップした大衆運動である、ということである。したがって、もし大衆運動の発展が選挙の勝利に結びつかないとすれば、それは大衆運動の爆発がまだ不十分である、ということなのである。

 いまひとつは、われわれの新たに開始した選挙闘争は、あくまでも未完だということだ。それは始めたばかりの闘いの壁であり、そこでの不十分さ、未熟さ、甘さである。だからこそわれわれは、この点について、厳格に痛苦にえぐりだす必要がある。しかし同時に、階級闘争の鉄火で、いくらでも鍛え上げることのできる課題だ、ということである。

 特に福士派との闘いについて、われわれは今回の闘いで、この「市民派」という存在の反動的役割を、正確に階級的につかむことができた。そしてその「壁」こそ、階級的労働運動の発展にとっての阻害物であり、この突破の中に、新指導路線の歴史的発展の道があるのだ。
(私論.私見) 「選挙の壁」考
 「選挙の壁」について語っているが、「われわれの新たに開始した選挙闘争は、あくまでも未完だということだ。それは始めたばかりの闘いの壁であり、そこでの不十分さ、未熟さ、甘さである。だからこそわれわれは、この点について、厳格に痛苦にえぐりだす必要がある」と認識しているならそれで良かろう。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて、次のように述べている。
 日共スターリン主義は、大々的な過激派キャンペーンを、「つくる会」派や警察権力と見間違うばかりに行った。これもまたいったんは大きな逆風になった。しかしこの「過激派キャンペーン」は、「この時代において、過激派で何が悪い」という一言で、圧倒的にはね返すことができるのである。いやむしろ「つくる会」教科書の攻撃や危機にある帝国主義に対しては「現代の過激派」しか闘えないのである。
(私論.私見) 「日共スターリン主義」考
 日共を「日共スターリン主義」として批判するのは革共同の観点である。れんだいこは、それは半面規定でしかないと思っている。もう一つの面は、日共は1955年の六全協以来党中央が当局スパイ派に則られており、左派運動に有害な指導ばかりに熱中しているとということである。よって、「屋号と実際が違う日共の左派掣肘運動」に対する特別の視点と批判の観点を持たねばならない。この観点なき「日共スターリン主義」批判は今となってはむしろ有害である。この観点が欲しい。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて、次のように述べている。
 第三に、結論的には、このように新指導路線のもとで、まったく新たな選挙闘争に挑戦したことは、それ以外に選択のない闘いであった。

 都議選を労働者階級の実体的獲得による大衆運動の爆発をあくまでも徹底的に貫いて闘うことは、唯一無二の闘い方であった、ということだ。それは都議選という巨大な選挙を、現状の党の力量を踏まえて勝ち抜こうとするならば、労働者が大衆運動の担い手となって、自己解放的運動を爆発的に発展させる以外にない。一言で言えば、労働者階級の広範な自己解放的決起に徹底的に立脚した選挙闘争をやろう、ということだ。それは、従来の名簿選挙からの大転換であり、並大抵の闘いではなかった。それは、これまでの名簿対象を守り抜き大事にしつつも、新たに労働者層を大きく獲得しようとする闘いである。そしてこの闘いは、実にめざましい成果を獲得した。

 戦時下階級闘争への突入のもとで、日帝の階級闘争絶滅攻撃を打ち破る闘いと力は、労働者階級の獲得をとおした大衆闘争の爆発であり、都議選を徹底した大衆運動で勝ち抜く以外にないということであった。

 しかも、「つくる会」教科書こそ、最も激しい階級闘争絶滅攻撃である。05年決戦の核心的課題は、帝国主義のこの攻撃に対して、党と階級が生き残ることである。われわれは、都議選の地平から、11月労働者総決起へ勇躍突き進まなければならない。
(私論.私見) 「革命的議会主義」考
 いずれにせよ、同党の「革命的議会主義」論を構築し、全党的意思一致せねばなるまい。これまで述べてきたれんだいこ見解と摺り合わせして欲しいところでもある。

 2005.7.11日 れんだいこ拝
 「第3章 戦争と階級闘争絶滅の大反革命を押し返した」で、冒頭、「都議選の意義」について次のように述べている。
 「つくる会」教科書と対決する大衆運動と都議選決戦の一体的闘いは、今日、画期的地平を切り開いている。

 「つくる会」教科書攻撃は、この反革命が貫徹されるならば、戦後階級闘争はたちどころに灰燼(かいじん)に帰し、労働組合や階級的な存在が絶滅され、それによって、改憲以降の情勢、すなわちただちに戦争突入が可能となっていく情勢を迎える。改憲が巨大な反革命であるならば、改憲を前にして、ある意味では改憲を一気に可能とする改憲以上の反革命攻撃なのだ。これに対して、都議選の場を大衆運動の爆発のテコにした杉並における「つくる会」教科書絶対阻止の闘いは、この巨大な反革命を、決定的に押し返す闘いとなったのだ。

 ひとつは大衆運動の爆発にとって不可欠な自主的・自己解放的決起とその運動体が、大きく生まれている。全国的な教科書闘争の司令塔の登場だ。

 いまひとつは、「つくる会」教科書攻撃の激しさを、都議選という絶好の戦場で迎え撃って闘ったことである。この攻撃を、都議選決戦というスケールの蜂起性と集中性をもった闘いで迎え撃ったことは、実に決定的な意義がある。

 この大衆の自主的決起の圧倒的高まりと、都議選という政治的加熱化と闘いの旋風が、「つくる会」教科書への一大反撃を高揚させたと言えるのだ。
(私論.私見) 「都議選の意義」考
 いずれにせよ、同党の「選挙闘争」論を構築し、全党的意思一致せねばなるまい。これまで述べてきたれんだいこ見解と摺り合わせして欲しいところでもある。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて次のように述べている。
 このような地平を踏まえて、勝負は、まさにこれからである。

 「つくる会」教科書の大反革命での敵の狙いは、杉並で正面突破し、恐るべき勢いで首都・東京を席巻することであった。だが、この杉並で強力な阻止闘争を闘っていることが、このファシスト運動の全面的制圧をぎりぎりで阻んでいる。

 日帝権力中枢が「つくる会」教科書採択強行のシフトを敷き、敵の側から一個の「階級決戦」を挑んできている。これに対して、杉並を頂点に全国、全産別、全戦線に「つくる会」教科書阻止の大運動を巻き起こさなければならない。

 その際、「つくる会」会長の八木秀次の『国民の思想』や、ファシスト石原の言動、行動を徹底的に批判・弾劾することである。特に八木は、「靖国参拝」と民営化は一体であると言って、サッチャーを学べと言っている。サッチャーは、民営化をもって国家主義、国家至上の精神革命を行い、民営化とさらに「教育改革」の中で左翼勢力を撲滅した、とほめそやしている。そのサッチャーが行ったことは何か。「ビクトリア時代(1837〜1901年)に帰れ」をスローガンにして、鉄道などあらゆる産業の民営化を行い、首相の独裁権力を強め、炭鉱ストライキを徹底的に弾圧し、福祉を切り捨て、核武装を行い、「領土を守る自衛戦争」と称してアルゼンチンに侵略戦争(フォークランド戦争)をしかけた。さらに労働者は「ガン細胞」だと悪罵(あくば)を投げつけて、教育の民営化を進め労働組合を鎮圧したのだ。
(私論.私見) 「つくる会教科書採択闘争の意義」考
 ここは拝聴しておく。民営化批判論も理論化されねばならないだろう。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

 続いて次のように述べている。
 そして重大なのは、今日、サッチャーをもち上げる八木ら「つくる会」派、さらにファシスト石原に限りなく一体化しているのが、日帝中枢の小泉・奥田らであるということである。

 今日、小泉は、執拗(しつよう)に靖国参拝攻撃を仕掛けている。靖国神社とは歴史的にも日帝の侵略戦争で天皇のために死ぬことを「喜び」とさせる戦争動員の神社である。「つくる会」教科書もこれと一体だ。

 そしてついに小泉は、支配階級内部の分裂も辞さず郵政民営化の衆院採決を強行した。これは支配階級や自民党内にもある戦後的な一切のものを解体・一掃しようというものであり、戦争と民営化攻撃の本格的激化である。

 日本経団連は、4・19提言などで、郵政民営化を始めとする民営化=労組破壊、社会保障制度解体、首相への権力の集中などを叫んでいる。実際に「骨太方針X」(6・21閣議決定)は、「ここ1〜2年の構造改革が成否を決める」と公言している。

 まさにこの1〜2年で、民営化(労組破壊)と「つくる会」教科書を一体化した階級闘争絶滅攻撃をもって、戦争突入への国家・社会をつくろうというのだ。
(私論.私見) 「小泉政治論」考
 ここも拝聴しておく。

 2005.7.11日 れんだいこ拝
 「第4章 階級闘争の分岐・流動と開かれた11月への道」で、次のように述べている。
 都議選の結果は、一方では「つくる会」教科書攻撃を先端とする密集した反動を激化させ、他方では階級闘争の危機と分岐・流動を推し進めている。

 投票率の低下は、ブルジョア議会制度とその腐敗への絶望・失望と怒りが深まっていることを示している。それは階級的危機感が労働者階級の中に充満しつつ、今なおその怒りが解き放たれずに渦巻いていることを示している。プロレタリア革命か、ファシスト反革命かの分岐と激突が、これから本格的に始まり、激化していくのだ。

 「つくる会」教科書をめぐる決戦はこれからである。それは完全に、11月労働者総決起へ向かった闘いに引き継がれ、大きく発展しようとしている。都議選決戦が、「つくる会」教科書阻止決戦という大きさ、激しさをもって闘われたことによって、大きく11月への血路が切り開かれたのだ。

 それはまず第一に、「つくる会」教科書阻止・石原打倒の闘いこそ、戦争と民営化(労組破壊)と対決する階級的労働運動の再生の闘いそのものである、ということである。

 「つくる会」教科書阻止決戦は、「日の丸・君が代」決戦を完全に継続・発展させ、教労を中軸とする4大産別決戦の発展をさらに押し開いている。「つくる会」教科書にいかに対決するかに、4大産別と全産別で勝ち抜く道があるということである。

 第二に、今次都議選によって十分に突破できなかった大きな「壁」は、同時に11月への万余の結集を阻む「壁」でもある、ということである。逆に言えば、「つくる会」教科書阻止を徹底的に闘うことで、その壁の突破も可能である。特に日共の反動を打ち破り、福士派の労働運動への絶望と逃亡をのりこえる道がそこにある。これは特に東京都の労働運動にとって死活的である。

 第三に、杉並の「つくる会」教科書阻止闘争は、国際連帯の闘いを大きく発展させている。昨年11月以来の国際連帯は、「つくる会」教科書と対決していく闘いの中で、特に日韓労働者の連帯で、さらに大きく育まれつつある。

 第四に、新指導路線のもとに全国の党が団結し、一丸となって「つくる会」教科書絶対阻止の大衆運動を創造したことによって、新指導路線の無限の発展の闘いが緒についたことを確認したい。

 第五に、7月決戦の重大性である。「つくる会」教科書阻止の7・24杉並大集会から、7・27→8・3の人間の鎖大行動へ総決起しよう。開始された差し止め訴訟は歴史的大裁判闘争である。

 4大産別決戦が、7・18日教組大会を先頭にいよいよ大決戦に突入している。さらに7月国鉄決戦が重大である。特に7・15の日比谷野音全国集会は、1047名闘争の不抜の陣形を確立する重大な闘いである。また動労千葉は運転安全行動と組織拡大の闘いをめぐって大決戦に突入している。

 さらに8・6ヒロシマ−8・9ナガサキ大行動と戦後60年の8・15集会は、11月への決定的橋頭保をなす闘いである。
 共謀罪攻防は、いよいよ正念場である。三里塚闘争も決戦に突入している。
 夏期一時金カンパ決戦に勝ち抜こう。さらに機関紙拡大闘争を推進しよう。
 7・31東西革共同集会に総結集し大成功させよう。
(私論.私見) 「諸闘争」考
 ここも拝聴しておく。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

【中核派の2005都議選候補者・長谷川氏の「選挙のお礼と新たな決意表明」」との対話】
 2005.7.18日付前進2206号には続いて、れんだいこ仮題「長谷川候補のお礼と決意表明」(「戦争教科書 採択絶対阻止へ 大衆闘争の高揚を切り開いた都議選決戦 新しい次元の闘いを貫き『教科書』訴え悔いはない お礼と決意表明 長谷川英憲」)が記事掲載されている。これを検証する。
 長谷川英憲氏は、密集した反動と真っ向から激突し、「つくる会」教科書採択阻止へ向けて都議選を全力を尽くして闘いぬいた。長谷川氏に都議選を闘っての感想と今後の決意を語ってもらった。(編集局)

 今度の選挙戦は本当に全力を尽くして闘いぬいた選挙戦でした。私は「石原知事に挑戦状」を掲げ、「つくる会」教科書採択阻止を最大の公約として、持てる力を振り絞って闘いぬきました。

 支持者、全国の仲間のみなさんには、本当に力強いご支援をいただきありがとうございました。結果は健闘及ばず、当選にはいたりませんでした。みなさんの期待にこたえられなかったことは残念でならず、申し訳ありません。しかし、「つくる会」教科書採択策動との闘いを始め、重大な課題が差し迫っており、この結果をはねのけてあらためて決意を固めて闘いぬいていきます。

 今回の選挙を闘って私自身が何より痛感しているのは支持者、全国の仲間のみなさんが一丸となって闘いぬいて、まったく新しい次元で選挙戦が闘いぬけたということです。特に区民の人たちの中から、新しい自主的・主体的決起がまき起こってきたことは今後に向かって大きな展望を指し示しています。こうした支持者、区民の決起が私自身の力を存分に引き出してくれ、思う存分闘うことができました。

 結果はまったく残念でしたが、今回の選挙戦で「つくる会」教科書絶対阻止を訴えて最後まで闘いぬいたことはまったく正しかったと確信しています。「つくる会」教科書は、戦争の歴史的事実をねじ曲げてかつての戦争を正しかったと教え込み、子どもたちを戦場へ送るものです。日本の戦争によって2000万人を超えるアジアの人びとが殺されました。日本人民も310万人以上が命を落としたのです。この戦争の悲惨な歴史を塗り隠し、国を守るために必要な戦争だったのだ、正しい戦争だったのだと教え込み、子どもたちにそうした考え方を植え付けようとするものです。

 この教科書が教室で使われるようになったら、教育労働者は毎日、処分の恫喝のもとで戦争教育を強制され、教育労働者の労働運動は完全に解体されてしまいます。日帝・小泉政権や石原都知事はそうした労働運動の解体をとおして戦争へと突き進もうとしているのです。この攻撃を絶対に許すことはできません。子どもたちに「つくる会」教科書を使わせるわけにはいきません。この闘いは教育労働者を始めすべての労働者人民の未来がかかった闘いなのです。「つくる会」教科書採択阻止の闘いは、11月労働者集会への道も開きます。

 「つくる会」教科書の採択に反対する杉並・親の会が進める反対署名はすでに1万6000筆を超えてさらに続々と集まっています。また親の会は、「つくる会」教科書の採択差し止め訴訟を東京地方裁判所に起こしました。「つくる会」教科書採択阻止の闘いはこれからが最大の勝負の時です。どんなことがあっても戦争のための教科書は止めなければなりません。選挙戦をとおして「つくる会」教科書採択阻止を全力で訴えてきた以上、それこそが7977票の貴重な1票1票に本当にこたえることだと思います。

 選挙翌日に荻窪駅北口に立って出勤する区民にあいさつを行った時に激励してくれる人が何人もいました。遠くから会釈をしてくれたり、「がんばれよ」と声をかけてくれる人もいました。これは私が「つくる会」教科書を始めとする戦争への攻撃に対して怒りに燃え、絶対阻止することを期待しているということです。その闘いで今回の敗北をのりこえていく私たちの力を見たいと期待しているのだと思います。その期待になんとしてもこたえたい。

 投票日の7月3日にも親の会の人たちは阿佐ケ谷で街宣を行い「つくる会」教科書採択反対の街頭署名を集めたと聞きました。親の会の人たちは闘って勝つ中にしか自分たちの進む道はないし、自分たちの未来はないと闘っているのです。韓国の民主労総も「つくる会」教科書反対の闘いにメッセージを寄せ、ともに闘うことを表明してくれています。

 私は、8月3日の教育委員会に向けてこの人たちとともに全力あげて闘い、絶対に「つくる会」教科書の採択を阻止する決意です。この闘いに勝利することで今度の敗北をのりこえる道も切り開くことができます。この闘いを日本の4大産別の労働者や地域住民も見ているし、私が先頭に立って7977票を基礎に勝利の方向に向かって進んでいるということに確信を持ってもらえた時に、労働者階級の獲得、住民の獲得に大きく手を付けることができます。

 そういう意味で「つくる会」教科書採択阻止のためのこの1カ月間の闘いに、私たちが革命党としての矜持(きょうじ)を持ち、路線に確信を持って都議選の敗北をのりこえていくかどうかの一切がかかっていると決意しています。

 戦争の時代に真っ先に切り捨てられる介護・福祉の問題についても、私は介護と福祉を要求する杉並住民の会のみなさんとともに、今後も全力をあげて取り組んでいきます。6月22日に介護保険法改悪案が強行成立しましたが、日帝・小泉政権と奥田・経団連は、福祉を全面的に切り捨て、とりわけ高齢者の介護を切り捨てて国家財政を戦争のために振り向けようとしています。こんな攻撃を絶対に許すわけにはいきません。今後の住民の会の運動、介護保険に異議あり全国ネットワークの運動を全力で担い抜き、介護と福祉を奪い返していきます。

 こうした闘いを全力を振り絞って闘うことによって必ず労働者階級のもっと大きな前進につながるということを私自身確信して、みなさんの先頭に立って闘うことを決意表明してごあいさつといたします。
(私論.私見) 長谷川氏の「選挙のお礼と新たな決意表明」について
 長谷川氏の「選挙のお礼と新たな決意表明」は真摯で好感が持てる。しかし、何故不十分な結果に至ったかの反省としては十分で内容に思える。選挙戦を通じて、石原都政批判、「つくる会」教科書採択阻止、介護・福祉の問題を最大の公約として闘いぬいたことが適切であったかどうか。都議選も地方選の一種であるからして地方の課題を取り上げて取り組むという理屈から上記のテーマを最大の公約としたのであろうが、ここに問題がありはしないか。

 地方選であろうが、国政の最重要課題を取り上げ、現在的には小泉政権打倒を毅然と呼びかける中で諸課題をも取り込むべきではなかったか。何やら姑息な臭いがしてならず、それは日共式の二番煎じ運動のような気がする。くれぐれも日共式を真似してはならないところを影響を受けている気がしてならない。

 2005.7.11日 れんだいこ拝

【中核派の「選挙戦を振りかえって」について】
 2005.7.18日付前進2206号には続いて、れんだいこ仮題「選挙戦を振りかえって」(“戦争の教科書を絶対阻もう” 長谷川氏、連日渾身の奮闘 選挙戦最終日 熱気あふれる駅頭街宣」が記事掲載されている。これを検証する。
 “戦争の教科書を絶対阻もう” 長谷川氏、連日渾身の奮闘 選挙戦最終日 熱気あふれる駅頭街宣 

 都政を革新する会の長谷川英憲氏は、子どもたちを戦場に送る「つくる会」教科書採択阻止を訴えて全力を振り絞って都議選を闘いぬき、7977票の貴重な支持を獲得した。当選には及ばない厳しい結果だったとはいえ、日帝・小泉、ファシスト石原都知事、山田杉並区長、「つくる会」派らの反動と全面的に対決し闘いぬいた。この都議選によって「つくる会」教科書採択阻止に向かって重大な地平を切り開いたのである。

 選挙戦最終日の7月2日、長谷川候補は方南町から阿佐ケ谷、高円寺、荻窪と夕方から夜の駅頭街宣を展開した。多くの区民・支持者が集まり、熱気あふれる街頭宣伝となった。

 長谷川氏は、「石原都知事がきょう阿佐ケ谷駅前に来ることになっているが、私は面と向かって浜渦問題の責任をとるべきは石原さんあなただと言ってやりたい。この6年間、日本を戦争のできる国に変えようという実に許しがたい都政をやってきた石原都知事は即時退陣せよ。労働者のみなさん、石原都政を打倒しよう」と呼びかけた。

 「つくる会」教科書については、「杉並の子どもたち、日本の子どもたちを戦争を担える子どもたちに作りかえようとする戦争教育だ。子どもたちに銃を担え、他の国の人たちを殺せ、国のために命を投げ出せという教育をやろうとしている」と弾劾した。そして「日本は今イラクに自衛隊を派兵しており、このイラクへの侵略戦争の上に中国への侵略戦争の準備に踏み込んでいます」と現実に進んでいる戦争への突入と一体の「つくる会」教科書攻撃であることを暴いた。

 また「つくる会」教科書採択に反対する杉並区民が山田区長を相手取って採択差し止めを求めた提訴に踏み切ったことを伝え、親の世代から中学生まで「つくる会」教科書採択阻止の運動が広がっていることを訴えた。

 長谷川氏はさらに介護が必要な高齢者からヘルパー派遣を奪おうとする介護保険法改悪案が成立したことを弾劾し、介護と福祉を要求する杉並住民の会の事務局長として、高齢者の生活と権利を守るために全力で闘うことを表明した。

 長谷川氏の街頭宣伝には多くの応援のメッセージが寄せられた。特に全国から160人を超える弁護士が長谷川氏を推薦する中で、鈴木達夫弁護士が応援の訴えを行った。鈴木弁護士は、石原知事の中国に戦争を仕掛けろとか分断して支配しろという戦争挑発発言や女性差別、「障害者」差別の発言を厳しく弾劾した。さらに「つくる会」教科書の採択差し止めが提訴されたことを報告し、「つくる会」教科書が賛美する明治憲法の時代には、女性に参政権すらなかったことなどを暴露し、その反動的策動を弾劾して、長谷川氏への支持を訴えた。

 動労千葉の田中康宏委員長も長谷川氏を応援する労働組合としてマイクをとり、「なぜ戦争になったのか、いつなら戦争を止められたのか、考え続けてきた。教育の果たした役割は大きい。『つくる会』教科書がどれほど危ないものか。これは戦争するための教科書です」と述べ、「私たち労働者にとって、議会の中で労働者のために命をかけて闘う議員が必要です。それは長谷川さんしかいません」と長谷川氏への支持を訴えた。

 介護と福祉を要求する杉並住民の会代表の八木ケ谷妙子さんは、「戦争に持っていくなどというのはとんでもありません」と小泉政権、石原都政を弾劾し、「一人ひとり大事な命を受けて生きているんです。その命の尊厳にかけて許しません。長谷川さん頑張ってください」と激励した。

 「つくる会」教科書採択に反対する女性は、「この教科書を見た時にこんなのは教科書ではないと思いました。子どもを戦場に送る教科書であることが読めば読むほどよくわかります。こんな教科書を子どもに渡したいと思う親がどこにいますか。戦争にはすべての人が巻き込まれます。それは私たちが止めなければなりません」と訴え、それを議会で実現する人が長谷川氏であるとアピールした。

 若い女性が立って「私の友だちや後輩たちの世代が戦争につながれていくのは許せません。また介護と福祉が必要になった時にそれが受けられないということはあってはならないと思います」と語り、長谷川氏への期待を表明した。

 結柴誠一区議は、「区民のみなさん、長谷川英憲を勝たせて下さい。今度の選挙は長谷川の勝利によって戦争が正しいと教える教科書をストップする闘いです」と訴えた。沖縄戦の生存者である上江田千代さんは、「ひめゆり学徒は戦争のために一所懸命働いた。それは皇民化教育を受けたからです。終戦後それが間違いであったことがわかった。教育の力の恐ろしさを身にしみて体験しているから、『つくる会』教科書は絶対反対です」と訴えた。

 こうした応援演説だけでなく、長谷川氏の街頭宣伝には多くの区民・支持者が詰めかけ熱烈に声援と拍手を送った。その熱気は長谷川氏の主張の圧倒的な正義性を一点の曇りもなく示していた。阿佐ケ谷駅での街宣は、直後に行われた石原都知事を迎えた自民党・大泉の街頭宣伝を圧倒する熱気で打ち抜かれた。

 高円寺駅南口での街宣は「つくる会」派そのものである渡嘉敷との激突となったが、渡嘉敷陣営を圧倒してその反動性、うそとペテンを暴ききった。とりわけ新城節子区議が、「つくる会」が沖縄戦での日本軍による集団死の強制や住民虐殺の事実を抹殺しようとしていることを激しく弾劾して、「沖縄」を掲げて沖縄を裏切る渡嘉敷候補を厳しく糾弾し、ペテン的に環境問題を掲げていた渡嘉敷陣営を圧倒した。

 最後の街頭宣伝の場となった荻窪駅北口では、さらに多くの支持者が集まり、駅前全体が熱気に包まれた。帰宅途中の労働者やバスを待つ人たちが長谷川氏の演説に聴き入った。演説を終えた長谷川氏は、支持者に駆け寄り握手し、「頑張ってください」と熱烈な激励を受けた。

 長谷川氏はこうした声援にこたえて8時を過ぎてからも荻窪駅前に立ち続け、帰宅する区民に支持を訴えた。

 都議選(杉並区)の確定得票
  長谷川英憲 革元 7、977
当 松葉多美子 公新 29、799
当 田中 良  民現 22、928
当 早坂 義弘 自新 22、283
当 吉田 信夫 共現 18、924
当 門脇 文良 民新 17、425
当 福士 敬子 無現 17、337
  大泉 時男 自新 15、600
  堀之内敏恵 ネ新 10、732
  木梨 盛祥 無新 8、285
  渡嘉敷奈緒美 無新 6、249
  千葉 昇  無新 4、738
  中川 修  無新 588
(革=都政を革新する会 ネ=生活者ネットワーク)
(私論.私見) 中核派の「選挙戦を振りかえって」について
 長谷川氏の「選挙のお礼と新たな決意表明」についての項で言い尽くした。

 2005.7.18日 れんだいこ拝

【「共産主義者の宣言」から汲み取るべき選挙政策考】
 「共産主義者の宣言」の指針するプロレタリア運動の選挙政策について確認する。現下の社共運動が如何に逸脱しているか、現下の新左翼運動が如何に逸脱しているかを晒してみたい。手前味噌ながら「『共産主義者の宣言』考」(marxismco/marxism_genriron_gensyo_sengen.htm)をテキストとする。

 1948年、国際的組織として結成された共産主義同盟同盟の綱領として発表された「共産主義者の宣言」は、各国各地の共産主義者に次のような態度を採るよう指針させた。


 「第1章、ブルジョアとプロレタリアート」の項で次のように述べている。
 プロレタリアの階級的組織化、結果として政党への組織化は、労働者間の競争により何度も生み出されては潰える。しかし、何度も試行錯誤するうちにそのたびにより強く、より強固に、より有力なものになっていく。この組織化は、ブルジョワジー間の分裂をうまく利用することによって、労働者の特定の利害を法的に承認するよう迫る。こうしてイギリスでは十時間労働法に取り組んだ。

 これによれば、プロレタリア運動は、大衆運動から政党運動へ乗り出し、何度も試練を経ながら「労働者の特定の利害を法的に承認するよう迫る」。イギリスに於ける十時間労働法はその成果である、として肯定的に述べていることが判明する。

 次のようにも述べている。
 内容においてではなく形式上は、プロレタリアートとブルジョワジーとの闘争は、まずは国内闘争である。個々の国のプロレタリアートは、もちろんなによりもまず、自国のブルジョワジー相手に諸問題の片をつけなくてはならない。

 これによれば、プロレタリアートとブルジョワジーとの闘争が、まずは国内闘争として展開されることを指摘している。国内間のこの階級闘争に勝利することが要請されている。

 次のようにも述べている。
 プロレタリアートの発展のもっとも一般的な諸段階を描写するとすれば、我々は、現下の社会内で盛んになっているのに多かれ少なかれ隠されている市民戦争(内乱)を跡づけて、内乱が公然たる革命を勃発させ、ブルジョワジーの暴力的打倒がプロレタリアート支配の基礎を築く地点に到達する。

 これによれば、階級闘争の激化がいずれ市民戦争(内乱)に至り、内乱が公然たる革命を勃発させ、ブルジョワジーの暴力的打倒を通じてプロレタリアート支配の基礎が築かれることを見通していることになる。

 「第2章、本文2、プロレタリアと共産主義者」の項で次のように述べている。
 共産主義者は、どういう関係において全体としてプロレタリアの人々を支持するのか? 共産主義者は、他の労働者階級の諸党派に対立するような別個の党派を組織するものではない。共産主義者は、全体としてプロレタリアートの人々と分離したりその一部でしかないような諸利益を持たない。共産主義者は、どのようなものであれ特殊(セクト的)な諸原則を提起しない。セクト的な諸原則は、プロレタリア運動をその型にはめこもうとするものである。
 共産主義者が他の労働者階級の諸政党から区別されるのは、ただつぎの点だけである。すなわち
(1) 異なる国々でのプロレタリアの国内闘争において、共産主義者は、全プロレタリアートの共通の、一切の民族主義に左右されない利益を全面に押し出しつらぬく。
(2) 労働者階級のブルジョアジーに対する闘争の様々な成長段階において、共産主義者は常に且つどこにおいても運動全体の利益を代表し体現する。

 これが、マルクス主義者の運動論の骨格でありエッセンスである。共産党と云う独自の党派を結成して、唯我独尊セクト的に政治活動するものではないと示唆している。逆に云えば、「他の労働者階級の諸党派」を左から支える運動を推進することこそが肝要と述べていることになる。これに照らせば、民的議会主義という名の下に展開されてきた日共不破式議会主義運動は、犯罪的な党派運動を推進していることになろう。

 次のようにも述べている。
 だから、共産主義者は、実践面では、あらゆる国の労働者階級の党のもっとも進んだ自覚的な部門であり、全ての他の者達の前衛として推進していく部門であり、理論面では、大多数のプロレタリアートよりも、プロレタリア運動の進むべき道筋や条件、究極の一般的成果をはっきりと理解している点で優れている者達である。

 これによれば、「他の労働者階級の諸党派」を左から支える運動を推進する」ことの出来る共産主義者は、故に実践面でも理論面でも秀でている者達で無ければならない、ということになる。

 
次のようにも述べている。

 共産主義者はさらに、国家(祖国、country)と民族性(nationality)を廃止しようと望んでいるとして非難されている。労働者は国家(祖国)を持たない。持ってもいないものを、取り上げることなどできない。

 プロレタリアートは、なによりもまず、政治的支配権を獲得せねばならない。国家の支配階級にまで成り上がらねばならない。自らが国家として、更に云えば、言葉上ブルジョワ的な意味とは又違うそれ自身が国家的なものとして形成されねばならない。


 これによれば、共産主義者は、国内闘争に責任を持つ立場であるが、排外主義的な国家主義、民族主義には陥らない。そういう見地からプロレタリアートの政治的支配権獲得闘争を支援し、革命政権を樹立し、国際主義的国家を形成することを責務とせねばならない、ということになる。

 次のようにも述べている。
 労働者階級による革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである。

 プロレタリアートは、政治的支配権を使って、ブルジョアジーから全ての資本を次第にねじ伏せるようにして奪い取り、支配階級として組織されたプロレタリアートの権力を使って全ての生産用具を国家の手の上に集中せしめるよう、意欲的に使うべきだ。そして、全生産能力を可能な限り急速に増大させるようにし向けねばならない。

  これによれば、労働者階級の革命運動は、「プロレタリアートを支配階級の地位へ持ち上げること、民主主義を廻る闘争で勝利を収めることである」。次に向うのは、政治的支配権を使って、生産用具の社会化(国家化)に向わねばならない、ということになる。留意すべきは、それが「全生産能力を可能な限り急速に増大させる」方法であり道筋である、と云う。

 
次のようにも述べている。
 これらの方策は、勿論、国が異なればいろいろなものになるだろう。とは言っても、もっともすすんだ国々では、つぎの諸方策がかなり一般的に適用されるであろう。
土地所有を廃止し、全ての地代の分配を公共目的に充当する。
重い累進税又は等級制所得税。
あらゆる相続権の廃止。
全ての国外移民者(亡命者)及び反逆者の財産没収。
国家内の諸銀行の信用(クレジット)を中央集権化する。国家資本と排他的独占権を持つ国立銀行を通じて為される。
通信、交通及び運輸機関の国家の手への中央集権化。
国家に帰属する工場及び生産用具の拡大。未開拓地の開墾及び総合的な共同と計画による土地改良。
労働に対する万人の平等な義務。産業軍の編成、とくに農業の為のそれ。
農業と近代産業の結合。国中の民衆に対するより平等な分配を通じての都市と農村の差異の漸次的解消。
10 公教育の場での全児童に対する無料教育。現在の形態での児童の工場労働の廃止。教育と産業的生産との結合、等々。

 これによれば、「全生産能力を可能な限り急速に増大させる方法としての革命政権の青写真政策」として、土地占有制、累進課税、相続権廃止、海外移住者の国内資産の没収、官営中央銀行の下での官民共存、通信・交通・運輸の官営化、官営企業の拡大、国家的総合開発計画の策定、平等な労働義務、都市と農村の格差是正、無料義務教育、児童労働の禁止、産学協同が掲げられている。

 「第4章、種々の抵抗党に対する共産主義者の立場」の項で次のように述べている。

 共産主義者と、イギリスのチャーチストやアメリカの農地改革派のような現存する労働階級党との関係を明らかにした。共産主義者は、労働階級が直面している利害を擁護せんとして目下緊急の目的を達成するために闘う。しかし当面の運動の中にあっても、運動の未来を気にかけている。


 これによれば、共産主義者は、党派的利益を追い求めるのではなく、「常に運動の未来を気にかけ」、全体の情勢を左からこじ開けていくことを任務とすべし、と指針している。

 次のようにも述べている。
 フランスでは共産主義者は、保守的ブルジョワジーや急進的ブルジョワジーに対抗して、社会民主主義者と同盟している。しかしながら、大革命から伝統的に受け継いだ空文句や幻想については、批判的立場をとる権利を保持している。

 スイスでは、共産主義者は急進派を支持している。しかし、この党が、フランス的な意味での民主社会主義者党の一部、急進的ブルジョワ党の一部のような対立する諸要素から構成されていることを見落としてはいけない。

 ポーランドでは、共産主義者は、国民解放の第一条件として農業革命を主張する党を支持している。この党は1846年のクラカウ反乱を引き起こした党である。

 ドイツでは、共産主義者は、ブルジョワジーが絶対君主制、封建的地主階級、プチ・ブルジョワジーに対抗して、革命的にふるまっている限りで、ブルジョワジーと共闘している。


 これによれば、共産主義者は、常に批判的立場をとる権利を保持しつつ、フランスでは社会民主主義者と同盟し、スイスではブルジョア急進派を支持し、ポーランドでは農業革命派を支持し、ドイツでは革命的ブルジョワジーと共闘すべし、と指針している。つまり、共産主義者が各国各地に共産党を創設するまでは良いとしても、独善主義に陥ることなく「歴史的判断」で共同戦線運動を展開するよう示唆していることになる。
 
 しかし、共産主義者は、労働階級に、ブルジョワジーとプロレタリアート間の敵対について、できる限り明確に認識することを教え込むことを、一瞬たりとも止めない。それは、ドイツの労働者がただちに、ブルジョアジーがその支配とともに不可避的にもたらさざるをえない社会的および政治的諸条件を、そのまま武器としてブルジョアジーにむけることができ、こうしてドイツの反動的諸階級をたおしたのち、ただちに、ブルジョアジー自身にたいする闘争を開始するようにするためである。

 これによれば、共産主義者は、奉仕的立場から運動に取り組むも、批判的立場をとる権利を保持しつつ情勢の左傾化に向けて尽力すべし、と指針している。

 共産主義者はその注意を主にドイツに向けている。なぜなら、ドイツが、ヨーロッパ文明のもっと進んだ状態の下で、また17世紀のイギリスや18世紀のフランスよりももっと発展したプロレタリアートをもって行われるブルジョワ革命の前夜にあるからである。それにまた、ドイツでのブルジョワ革命は、その後直ちに引続くプロレタリア革命の序曲でしかないからである。

 これによれば、共産主義者は、ブルジョワ革命の前夜を直ちに引続くプロレタリア革命の序曲として取り組むべし、と指針している。

 手短に言うと、共産主義者はどこでも、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持する。こういう運動のすべてで、共産主義者は所有問題を、その時それがどんな発展度合にあろうとも、それぞれの運動の主要問題として、前面に立てる。最後に、共産主義者はどこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との同盟と合意に向けて骨折り労を為す。


 これによれば、共産主義者は、どこでも、あらゆる国の民主主義諸政党との共同戦線を引き受け、現存する社会的、政治的秩序に対するあらゆる革命的運動を支持して骨折り労を為すべし、と指針している。

 共産主義者は、自分の見解や目的をかくすことを恥とする。共産主義者は、自分たちの目的が、現存する社会的諸条件を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義者革命のまえに戦慄せしめよ! プロレタリアは鉄鎖のほかに失うものも何も無い。プロレタリアには、勝ち取るべき世界がある。

 これによれば、共産主義者は、自分の見解や目的をかくすことを恥とし、暴力革命の必然性をも論証しつつ理論活動に邁進すべし、と指針している。

 以上、れんだいこは何を語ろうとしているのか。賢明な者には既に解説不要だろう。一言だけするならば、今や共産主義者は自前の党派結成を当たり前としている。このこと自体は良かろう。問題は、不断に共同戦線を求め、縁の下の力持ちとなって汗を流す運動を通じて活動家の能力と党的能力を高めていくような運動を目指すべきではなかろうか。

 この路線から外れたところの権威主義、排他主義、統制主義、お山の大将主義は邪道と心得るべきではなかろうか。今現在の問題で云えば、日共の野党内分裂主義による自公体制補完戦術こそ最も唾棄される手法ではなかろうか。口先では「ホンモノの野党」を饒舌し、実践的に権力安定に奉仕するかような遣り方に憤然と抗議すべきではなかろうか。

 とはいえ、その他左派政党のお粗末さも言語道断であろう。れんだいこもネット進出足掛け5年になる。この間有意義な提言を何度もしている。これを無視して、相変わらず下手糞な手前味噌ばかりし続けている左派系諸派よ、左翼狭量主義こそ最も忌むべき精神の貧困と知れ。

 2005.9.3日 れんだいこ拝

【小室直樹の議会論】
 「小室直樹『痛快!憲法学』(集英社インターナショナル、2001年)」が次のような興味深い内容が記されているので転載しておく。
【第3章 すべては議会から始まった】

 憲法や議会は歴史上、民主主義とはまったく関係ない。中世において、租税導入をしたい国王と既得権を守りたい貴族が妥協する場として設けられたのが議会であって、そこで合意された最初のものがマグナ・カルタであった。しかし、民主主義とはまったく関係なく作られたマグナ・カルタが原点となってイギリスの民主主義は生まれることになる。

 【第4章 民主主義は神様が作った!?】

 国王対貴族の争いは、貨幣経済の発達(貴族は自給自足に頼り、国王は商工業者から税金をとっていた)によって国王が勝ち、絶対王政が成立した。このリヴァイアサンに挑んだのが予定説を信じたプロテスタントである。予定説によれば、救われるかどうかは神が既に決定していて人間には分からない。しかし、少なくとも予定説を信じているということは救いのための必要条件であるので信じる。また、いつまで経っても救いの確信が得られないので「信仰の無限サイクル」が生まれる。こうして片時も信仰が頭から離れることのないプロテスタントが王権を覆した。

 【第5章 民主主義と資本主義は双子だった」】

 民主主義と資本主義は予定説から生まれた。予定説によれば絶対的権力を持つ神に対して人間はちっぽけなものである。そこに神の下の平等という人間平等の観念が生まれ、民主主義の土台となる。また、予定説によれば、職は神が与えてくれたものである(天職)。したがって働くことが神の意思に合致することになり、結果、いくら金持ちになっても働く。富は否定されているのでお金は貯まる。反面、隣人愛に基づいて商品やサービスを適正な値段で奉仕する。この隣人愛を合理的に行うという利潤最大化が、伝統主義を転換する資本主義の精神となった。富の否定が利潤追求を生むという逆説的な結果が起きたのである。

 【第6章 はじめに契約ありき】

 中世までの伝統主義を終わらせたのが予定説だが、そこから新しいビジョンを作り出したのはロックの社会契約論である。ロックによれば、人間は自然状態ではせっせと働き、富を増やして平和に暮らすことができる。しかし、中には働かない人もいて、貧富の差が生じ、泥棒や殺人などの争いが起こる可能性がある。そうなると紛争を裁定してくれる権威が必要となるので、人間は契約を結び、国家を作った。人民の契約が国家の基礎となっているため、国家が契約違反を犯せば、人民は抵抗権、革命権を行使できる。日本国憲法も社会契約説である。しかし、日本では公約違反が平気で行われ、契約が守られていない。しかも日本国民は公約違反に対して厳しい態度を取らない。社会契約は死んでしまっている。

 【第7章 「民主主義のルール」とは何か】

 民主主義のルールとは、約束・契約を守るということである。これは西洋では、旧約聖書以来流れているエートスである。しかし、日本では政治家は約束を守らないし、国民も公約違反に目くじらを立てない。これが日本の民主主義の問題だ。

 【第8章 「憲法の敵」は、ここにいる】

 憲法の敵・民主主義の敵は民主主義である。なぜなら民主主義が独裁者を生むからである。これは歴史的にも証明されている。ローマ共和制を帝政に変えたカエサルにしろ、フランス革命後に皇帝となったナポレオンにしろ、ワイマール憲法下で独裁者となったヒトラーにしろ、国民の絶大な人気を背景に独裁者となった。

 【第9章 平和主義者が戦争を作る】

 憲法9条は1928年不戦条約を手本にしている。しかし、不戦条約はかえって第二次大戦を引き起こした。チャーチルは「平和主義者が戦争を起こした」と言っている。ヒトラーは平和主義を利用して勢力を拡大していったのだ。ヒトラーがヴェルサイユ講和条約を破棄し再軍備したとき、ラインラントに進駐したとき、そして、ズテーテンラントを要求したとき(ミュンヘン会議)、いずれのときも周辺諸国は平和主義に縛られ、ドイツ軍を一掃できたのにもかかわらず、軍隊を使わなかった。その結果、ヒトラーは戦力充実に成功し、第二次大戦を引き起こしたのだ。平和主義は戦争を招く。戦争をする決意のみが戦争を防ぐ。これが第二次大戦の教訓である。現実問題、平和主義と軍備は矛盾しないのだ。日本も真の平和主義を目指すのであれば、戦争研究をしなくてはならない。

 【第10章 ヒトラーとケインズが20世紀を変えた】

 20世紀前半まで民主主義は古典派経済学を前提としていた。ところが、そこで世界恐慌が起こった。ヒトラーとケインズは公共投資こそが不況脱出策であることを見抜き、前者は見事に経済を立て直した。平成不況の原因は、民主主義精神の欠如に由来する。資本主義経済は民主主義があってこそ成立する。しかし、民主主義が欠如していた日本には真の資本主義は根付かなかった。ヒトラーとケインズが有効需要で不況に打ち克てたのは、資本主義経済を前提にしていたからであり、同じことをやっても前提が異なる日本には通用しない。

 【第11章 天皇教の原理−大日本帝国憲法を研究する】

 日本がまがりなりにもデモクラシーの国になれたのは天皇教のおかげである。伊藤博文は大日本帝国憲法制定にあたって、ヨーロッパの憲法はキリスト教の伝統から生まれたことに気づいていた。そこでキリスト教に変わるものとして天皇を憲法の機軸に持ってきた。その結果、(1)天皇の下の平等によって士農工商の身分性がなくなり、(2)日本は神国であることを信じたため予定説同様、余計なことを考えずに働くエートスが生まれた。しかし、天皇は現人神であるため、人民との契約が存在しない。このため日本人に「憲法とは国家を縛るものである」という意識は定着しなかった。 それでも大正デモクラシーの頃は、議会の弁論で内閣が倒れるなど、立派にデモクラシーが機能していた。50年前まで身分制があったことを考えれば日本のここまでの成長は誇りうる。

 【第12章 角栄死して、憲法も死んだ】

 大正デモクラシーまではうまくいっていた日本のデモクラシーは、国民、議会、マスコミが軍を支持することにより死んだ。デモクラシーを殺したのは結局デモクラシーだったのである。戦後、憲法が死んだのは田中角栄が死んだからである。第一に、田中角栄は議員立法を数多く手がけたデモクラシーの権化だった。第二に、ロッキード裁判では、刑事免責が行われ、反対尋問が無視されるという憲法・刑事訴訟法違反が相次いだ。

 【第13章 憲法はよみがえるか】

 戦後の独裁者は官僚である。バブルを一気に破裂させてしまったのが土地をを担保とした融資を控えるよう通達した大蔵官僚であったように、官僚は放っておけば悪くなる。この官僚の弊害に気づいていた中国は、歴史的に貴族、宦官、御史台を官僚と常に対立させてきた。日本では政治家がその役割を果たすべきであるが、官僚を制御できる政治家はいない。よい政治家を作るのはよい国民しかいない。戦後日本が悪くなったのは、GHQが天皇教の効用を理解せず、象徴天皇制を導入したからである。その結果、機会の平等は結果の悪平等、自由は放埓というように誤解されることになった。また、天皇という憲法の機軸が失われた結果、急性アノミーが起こった。人間は権威なくして生きていけないのに、権威を消してしまったため、秩序もなくなったのである。日本を復活させるためには、現実を直視すること、そして、民主主義を目指して日々努力すること、これしかない。

 ▼全体の感想

 実はあまり期待しないで読んだのだが結構おもしろかった。編集者シマジくんへの講義という形式も読みやすい。

 内容面でのポイントは、憲法典ではなく、憲法思想を解説したところであろう。それを小室直樹お得意の聖書論、キリスト教論から説いている。カルヴァンの予定論に関する説明も詳しく、マックス・ウェーバー『プロテタンティズムの倫理と資本主義の精神』の内容をざっと理解するのにも役立つ。

 小室直樹のこの分かりやすさは、さすがに一般向けの紹介本を多く手がけているだけある。ただ小室直樹は、分かりやすく説明するのは上手でも、彼の自説には首を傾げたくなる点が多い。天皇教論や、田中角栄擁護論には疑問点が多い(後述)。

 ▼社会契約論の重要性

 本書を読んで改めて認識したのが社会契約論の重要性である(第6章 はじめに契約ありき)。本書は、憲法を理解するために社会契約論までさかのぼるのだが、この説明は分かりやすい。憲法が国家権力を縛る存在である理由や、国家権力は民主主義に不可欠の装置であるということが理解できる。今後、この点をもう少し深く考えるために、社会契約論の本にも手を伸ばしたい。

 ▼平和主義者が戦争を作る?!

 【第9章 平和主義者が戦争を作る】は、一見過激な主張に見えるかもしれないが、歴史的にはほぼ事実といってよい。小室直樹は、戦間期の平和主義的雰囲気がヒトラーを増長させたと述べている。ヒトラーが再軍備をはじめて領土を広げたのに対し、平和主義者たちは武力でそれを抑えることをためらったのである。結果、ヒトラーは強大な軍事力を手に入れてしまった。平和主義が第二次大戦を招いたという事実は、E.H.カーが『危機の二十年』を通じて分析していることでもある。

 この平和主義の誤謬は、日本国憲法を考える上でも重要な問題だ。9条をどうするかは別として、過去の失敗には真摯に目を向けるべきである。『危機の二十年』をもう一度読んでみる必要性を感じた。

 ▼天皇教論、田中角栄擁護論

 本書ではおもしろい天皇論が展開されている。大日本帝国憲法で、天皇を国家の機軸に決めたことは、「天皇の下の平等」つまり、士農工商という身分制度を廃止するのに役立ったというのである。大日本帝国憲法の草案者・伊藤博文がそこまで考えていたのかどうか定かでないが、結果として「天皇の下の平等」が、西洋での「神の下の平等」と同じ機能を果たしたというのはおもしろい解釈だと思う。

 ただし、戦後、日本が悪くなったのは、天皇の権威が新憲法で否定されたからという説には賛成できない。確かに最近、いろいろな社会問題が起こっているが、それでも今の日本はかつてないほど豊かなはずだ。少なくとも戦前よりも戦後の方が、生活もずっと向上し、安定しているであろう。天皇の権威がなくなったから社会的アノミーが増えたという意見は短絡的に聞こえる。

 同じことは、小室直樹の田中角栄論についても言える。小室直樹は、田中角栄こそデモクラシーの権化であり、彼が死んだ時点で日本の憲法は死んだと述べる。しかし、戦後、デモクラシーが生きていたのは田中角栄が生きていたからだというのは誇張が過ぎよう。ましてや田中角栄は、現在の金権政治を作り出すもととなったような人である。

 どうも小室直樹は、難しいことを分かりやすく説明するのはうまいのだが、自説は眉唾が多いような気がする。

 ▼終わりに

 憲法とは、本来、国民が分からなくてはならないものである。したがって、本書のような分かりやすい憲法学の本は大歓迎だ。本当は専門の憲法学者がこういうことをやるべきだと思うのだが、専門化が出す一般向けの本は条文解釈、判例解説に終始したり、難解な内容になったりする。憲法改正も現実味を帯びている今日、国民投票の際に国民の正確な判断を可能にするためにも、一般向けの分かりやすい憲法本がますます望まれよう。

 2002.05.18.

 ●関連読書録

 【小室哲也関係】
・読書録158 小室哲也『数学嫌いな人のための数学』
 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/20011121.htm

 【社会科学>法律>憲法】
 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/NDC300.htm#323

 【民主主義関係】
・読書録151 橋爪大三郎『政治の教室』
 http://www6.plala.or.jp/Djehuti/20011102.htm




(私論.私見)