フィレンツェの統治機構の考察、政体論議について

(参考文献)
 フランチェスコ・グイッチァルディ−ニ(1483−1540.5.22)の「フィレンツェの政体を廻っての対話」。マキャベリ(1469−1527)は、先輩であり且つ友人。フランスのモンテーニュが歴史家としてのフランチェスコ・グイッチァルディ−ニを高く評価した。「彼は入念な歴史家である。私の考えでは、彼からは他の誰よりも、正確に、当時の事件の真相を学ぶことができると思う」。
著書「イタリア史」、「リコルディ」。

 グイッチァルディ−ニとマキャベリの共通項は、当時のフィレンツェの歴史の貴重な記述者であったことと、世界の事柄、人間の事柄について謦咳な知識を見せていることにある。グイッチァルディ−ニとマキャベリの相違は、マキャベリが下級役人であったことにより一歩下がったところから考察し得たが、グイッチァルディ−ニは今日風に言えば高級官僚であり、「単なる知識だけではなく実際の豊富な経験を通して、論評を為しえた」功罪にある。「その地位からしても、財産からしても、法学博士の称号からしても、また教皇の代官、教皇総代理を勤めたという点からしても、並々ならぬ名声を博したのであるが、実務者として政治にかかわりすぎたことにより、同時代人に好かれないことにもなった」。このことが、「グイッチァルディ−ニは近くを見ており、マキャベリは遠くを見ている」といわれるゆえんと評価されていくことになった。

「理想的な政体についての議論」をかなり自覚的に為した。


 史上ローマ時代の政体経験が常に意識されており、目的意識的な都市づくりに向かっていたという背景があるように思われる。これがイタリアの今日も続く特質であるように思われる。「ローマが軍隊のみでなく、他のあらゆる物事においても卓越性の無数の例を誇示していた」とする前提があった。

 一人による政体、少数者による政体、多数者による政体について、哲学者は、最良の政体を一人による政体、次に良いのは少数者による政体、最悪のものは多数者による政体であるとしてきた。「しかし、一人による政体はそれが良く行っている場合には全ての政体のうちで最良のものであるが、しかし悪く行っている場合には最悪のものになる。その理由は、一人の権力者による勝手気ままな恣意に委ねられ、それをチェックする者がいないからである。もう一つ相続によるからであるなぜならば、良い賢い父親の同じような息子が続くのは稀なことであるからである」。

 これに対し、フィレンツェは、「実際に政治的自由を享受し、賢明にして最良の人々たる有力市民が、より高い地位と位階を与えられ、重要な事柄が無知な者によって議論され恣意的に決定されることのないような政権」を目指していた。これがフィレンツェの憧れた最良の政体であった。この政体は必然的に一人の人間によって保持されるか、全面的に大衆の手に移るか、その綱引きの中で維持された。このバリエーションの中でフィレンツェは政争に明け暮れ、政変も起こした。かくして「フィレンツェは変わり易い落ち着きのない都市にして愛すべき街」であった。「自由に対する生来の嗜好を持ち、平等を愛する都市、フィレンツェ」

 大多数の労働者「下層平民大衆」、新参者その他同様の者は排除された民主制。
 「大衆という者は、一定の状況や偽りの噂によって時に誤まった考えを抱き、到底それに値しないような人物を誤まって高く評価することがある」という大衆観認識。

 ベネチア政体との比較、ライバル意識の中で培われた。


 有力市民による共和制下の民主制と独裁制の問題として常に是非が問われていた。

 共和国においては自由が正義を与える。正義の本来の目的は、他ならぬ一人の人間が他の人間によって圧迫されるのを阻止することにある。


 未来がどのようになるのか判断することは難しいが、良い方法が無い訳ではない。というのは、現に存在しているものは以前にも異なった名称で、異なった時代に、異なった場所に存在しており、本来、世界というものはそのように組み立てられているから、かくして過去に存在していたものは一部は現に存在しており、一部は日ごとに生まれ変わり他のときに存在することになる。但し、異なった扮装と異なった色彩の下に生まれ変わるために、極めて良い眼を持っていないとそれを新しいものと見なし、それと見分けることができない。しかし鋭い眼を持っておれば、一つの出来事と他のそれとをいかにして比較し対照させ、本質的な違いがどこにあるか、またどちらが重要でないかを知り、識別することが出来る。過去の出来事を計測し、測定することによって極めて多くの未来の出来事を予測し、測定する術を知る。全てをこのようなやり方で扱うことによって、我々は議論において間違うことがあまりなく、この新しい政治体系の中で何が生じるか、その多くを予言することができるようになる。


 民主制による多数決制度の萌芽期であった。当時大衆は「無知であることによって他の政体よりもより多く過ちを起こす」、つまり「民主政権は無知によってしばしば過ちを犯す」ことが前提とされていた。「民主政権下では、重要な事柄が拙劣なやり方で計画され、拙劣に遂行される」。


 ポリスの正義とは、自由と良き政体により生命、財産が抑圧されることの無いよう配慮する。法とは、そうした良き習慣と市民的態度を育成するために制定されるもの。

 己れ自身の身体及び財産に対する安全、さらにそれらを好むがままに処理しえる力、望んでいる人との結婚が阻止されないような政権、税が恣意的に課せられない政権、民事裁判でえこひいきによって誤審されたり、正義が失われないような政権、不当に弾劾され、追放され、鞭打たれることのない政権、一人の市民が他の市民によって害せられない、あるいは他人を害し得ないような状態を享受することができる社会。

 市民が圧迫されることなく正しく統治されて、何人も己自身のものを安全に享受し得るかどうか。
 都市に威厳と光輝さを与えるような政体。
 都市の尊厳は、その自由さに存する。都市はその市民達が暖かく愛している政体にあって維持され、嫌っている政体の下で生きるのを強制される時に滅びる。

 安住と幸福の享受。


自由な共和政権とメディチ政権の功罪。
フィレンツェでは、自由が政庁舎入口の壁と旗に書き込まれていた。人々の心の中に刻まれていた。

「メディチ家の繁栄と成長は、フィレンツェの繁栄と成長に存していた」
メディチ家は独裁政に達した。しかし、絶対君主政には至らなかった。なぜなら、一応市民的手続きを踏まえたから。依然として共和国の名のもとに、行政官を通して統治したから。


戦争のたびに蒙った損害は全ての市民によって等しく耐え忍ばれたが、その栄誉と功績はメディチ家によって独り占めされた。


税、土地と財産からの収入に対する課税。商業と動産に基づく。


ルネサンスを経たイタリアは甘美な国になっていた。フランス、スペイン、ドイツが入り込んできた。イタリアを食い尽くす、切り裂く、隷属化に置くことが画策され始めた。


「哲学者の書物によってではなく、経験と実際の行動によって学ぶ」

「人間というものはしばしば名前に欺かされる。物事自体を認識できない。かくして、市民同士の紛争に際して自由という名が繰り返し引き合いに出されると、大抵の人はそれに惑わされてしまい、本来の目的が異なっていることを悟らない」

「あらゆる規則には例外がある。例外というものは、この世の物事においては、それらをよく識別し得る己れ自身の思慮分別によって学び取るものである」

「可能とされる多くの物事は正しい方法を用いさえすれば実現される。しかし様々な理由からして、また様々な障害の為に、正しい方法が用いられることは無い」

「全ての国家は暴力的です。共和国を除いて合法的ないかなる権力も存在しません。共和国でもそれ自身の市内では合法的であっても、市壁を越えたところでは同じく非合法的になります。大きな権限を有していて、他のものに対して正義を取り仕切っている皇帝の権力ですら、そうなのです。また、私は僧侶をこの規則から除外するつもりはありません。なぜなら、彼等の権力は二重に非合法的なのです。我々を支配するために、彼らは精神的な武器と世俗的な武器の双方を用いているからです」。

「神の意志に従って生きようとする者はいかなる者であれ、この世の生活から遠ざかっていいなければならない。神を怒らせずして、この世で生きるのは困難である」。


「単にその結果が顔ぶれを変えるだけの政変劇に時を浪費してはいけない」。

「ある敵からお前の手にし得る保証は全て結構である。誠実さ、友情、約束、その他の保証、これら全ては結構なものである。しかし、人間の邪悪な性格と、物事は時に応じて変わるもの、という事実を考えると、お前の安全を保証する最善且つ確実なのは、お前の敵がお前を傷つけたくないという点にではなく、傷つけたくとも傷つけることができないようにしておくことである」。

「我々が時代の状況に適合するように自分の性格を変えることができるのであれば、我々はかなり運命から支配されることが少なくなるだろう。しかし、これはもっとも難しいことであり、多分不可能であろう」。


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