〔文芸復興(ルネサンス)の旗手たち

 (最新見直し2007.5.3日)

 〔文芸復興(ルネサンス)の旗手たち〕

【ルネサンス期の偉人】
 イタリアルネサンス
フィレンツェ ダンテ 作家 「神曲」:トスカナ地方の方言で書かれた叙事詩。イタリア=ルネサンスの先駆。
ペトラルカ  詩人 「叙情詩集」最初のルネサンス人。
ボッカチオ 「デカメロン」。近代小説の原形。風刺短編小説。
ジオット  画家 「聖フランチェスコの生涯」
ボッティチェリ 画家 「ヴィーナスの誕生」
マキャヴェリ  政治学者 「君主論」。近代政治学の先駆。権謀術数である「マキャヴェリズム」という言葉を産む。
ヴェネツィア ジョバンニ・ペッリー二 画家 「受胎告知」
ティツィアーノ 画家 「フローラ(花の女神)」
ローマ ヴェロッキオ 画家 レオナルド ダ ヴィンチの師。「キリスト洗礼」はレオナルド ダ ヴィンチが初めて師とともに描いた作品である。
サンドロ ボッチチエリ 画家 彼の「ヴィーナス誕生」はキャンヴァスに描かれた最初期の大作である
ギルランダイオ 画家 ミケランジェロの師。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 画家 「モナ=リザ」、「最後の晩餐」 。→聖マリア=デッレ=グラツィエ聖堂の壁画。ルネサンスの最盛期、16世紀の前半、享年67歳。
ミケランジェロ 画家 システィナ礼拝堂の「最後の審判」、「天地創造」の壁画。「ピエタ」、「ダヴィデ」、「モーゼ」の彫刻
ピエロ デ コジモ
ラファエロ 「カルデリーノの聖母」、「アテネの学堂」 。多くの聖母子像を残す。サン=ピエトロ大聖堂の改築1520.4.6日、熱病にかかり短期間の闘病の末、急死(享年37歳)。
 西欧ルネサンス
ネーデルラント エラスムス 作家 16C最大の人文主義者 「愚神礼讃」。聖職者や王侯を風刺。
ファン=アイク兄弟 画家 フランドル画派の代表。写実的な油絵画法。
ブリューゲル 画家 フランドルの画派。農民とその生活を題材にする。「百姓の踊り」、「子供の遊び」。
ドイツ ロイヒリン ヘブライ語の原典から「旧約聖書」を研究
メランヒトン ルターに協力してドイツ宗教改革で活躍 ・美術  
デューラー ドイツ=ルネサンスの先駆的な画家。「四使徒」  
ホルバイン 肖像画で有名 「エラスムス像」「ヘンリ8世像」
フランス ラブレー 作家 フランス=ルネサンス前期の代表的作家。本業は医師。「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語」。
モンテーニュ 作家 フランス=モラリストの偉大な始祖。ユグノー戦争の調停につとめる。「随想録」
スペイン セルバンテス 文学 レパントの海戦に参加 「ドン=キホーテ」。
イギリス トマス=モア 政治家 「ユートピア」→テューダー王朝治下のイギリス社会を痛烈に批判。社会制度批判の走り。エラスムスの友人
フランシス=ベーコン 哲学者 「新機関(ノヴム=オルガヌム)」。実験と観察を重視して経験論(帰納法)の基礎を確立。近代哲学(経験論哲学)の祖 ・文学。  
チョーサー 作家 イギリス=ルネサンスの先駆的作家。「カンタベリ物語」→「デカメロン」のイギリス版
エドモンド=スペンサー エリザベス期の代表的な抒情詩人。
シェークスピア 劇作家 エリザベス期最大の詩人・劇作家。運命悲劇より性格悲劇への完成を果たした。「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」。四大悲劇(「ハムレット」「オセロ」「マクベス」「リア王」)。

【ルネサンス期の発明】

 ○ 三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷):どれも起源は中国。「改良」が正しい。
 @・火薬/鉄砲の発明 騎士の没落を促進  
 A・羅針盤/遠洋航海の安全性 帆船の発達  
 B・活版印刷術/紙の使用の普及。1450年頃ドイツのグーテンベルクが活版印刷術を発明。


【ルネサンス期の天文学と宇宙観の革命】

 「天動説とプトレマイオスの理論」対「地動説とコペルニクスの理論」、「ケプラーの惑星運動の法則」、「ガリレオの天文観測」。 

コペルニクス ポーランド 聖職者。地動説を主張 「天球回転論」 。
ケプラー ドイツ 17世紀の天文学者。「惑星運行の法則」を発見、数理的に地動説を確認。
ジョルダーノ=ブルーノ イタリア 学者。汎神論と地動説を主張。天動説の教会と対立し宗教裁判により火刑となる。
ガリレオ=ガリレイ イタリア ピサ生まれのフィレンツェの大科学者。振り子の等時性、物体落下の法則を発見。望遠鏡で木星の衛星を発見、地動説を確信。「天文対話」の出版で宗教裁判にかけられる。→「それでも地球は動く」という言葉をのこす。


 ダンテ(1265−1321)について
 「神曲」

 ジョバンニ・ボッカッチョ(1313−75)について

 フィレンツェの商人の子として生まれ、「デカメロン」を著した。その中の「三つの指輪の話」が咎められた。それは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3宗教を指輪に例えて、そのうちどれを選択しても良いと「信教の自由」をうたっていたのが問題とされ、「破門」騒動となり、後半生を蟄居させた。


 フランチェスコ・ペトラルカ(1304−74)について

 「カンツォ二エーレ」という恋愛詩。


 ボッティチェリ(1445−1510)について

 画家で「春」や「ヴィーナスの誕生」。「虚栄を捨てよ」とサヴォナローラに喚問され、以降蟄居した。


【レオナルド・ダ・ビンチについて】(1452〜1519)
 ルネサンスの代表的人物こそレオナルド・ダ・ビンチであった。1452年、フィレンツェ支配下のビンチ市アンキアーノで生まれた。フィレンツェ時代を経て、1482年からミラノ公スフォルツァに仕える。フランス軍がミラノを占領すると、マントバを経てベネチアへ向かう。スイスの雇い兵がフランス軍を追い出すと、再びミラノへ。1513年からはローマへ。1516年からはフランス王フランソワ1世の庇護を受け、晩年までアンボワーズ城近郊で過ごす。結局、フィレンツェ、ミラノ、ローマの各宮廷につかえ、やがてフランスのフランソワ一世につかえ没した。

 画家として、彫刻家として、技術家として、さらには建築家、生物学者、物理学者、哲学者として、そのいずれの分野においても彼は時代をぬきんでていた。ダ・ビンチの特質は次の点に認められる。
 彼は神学を拒否し、教会を公然と非難した。そして悪習や腐敗を暴露した。しかし宗教心そのものは否定しなかった。
 彼は古代ギリシャの科学者アルキメデスを高く評価した。そして彼自身も科学を研究し、実践にとりくみ、ミラノの城塞、北イタリアの運河の建設、当時のあらゆる機械の設計、改良等々をやりとげた。
 化石や地質学を研究し、化石を古代の生物の遺物だと解釈した。
 数多くの死体の解剖をおこない、解剖図を多く著作した。
 彼は「自然は原因によって結果が生まれる。われわれは実験からはじめて原因を追究しなければならない」と主張して、学問、研究の方法論を確立した。彼の有名な作品(絵画)に「モナ・リザ」「最後の晩餐(さん)」「聖アンナ」などがある。

 ダ・ビンチの作品は極めて自然主義的な傾向を持つ事に特徴が認められる。当代の権威的手法から隔絶しており、人体を描くあるいは彫像するに当たっても、何十体もの人体の解剖により観察し、素描を基礎にしていた点でもこのことが明らかである。ダ・ビンチは、教会の教えとは異なる独自な自然界の発見を踏まえており、それは近代的な科学的世界観の黎明でもあった。同時代人コペルニクスの地動説と良いハーモニーを奏でていた。「最後の晩餐」(1495-98年)での光の明暗の織りなす陰影の使い方は絵画革命とでも云えるものであり、深く人間の内面を描くことに意味が持たされていた。「人間」をそれとして表現しようとするルネサンス精神がここにあった。


【ミケランジェロについて】
 1475−1564。「人は彼の頭脳をもって描き出すのであって、手をもって描くのではない」(「書簡」)、「熟練だけでは十分ではない。インテリジェントな思想のみ、芸術を理解し、創造する」(フランチェスコ・ド・オランダ編「対話」)。「他人の後ろから行くものは、決して前進しているのではない」(ロマン・ロラン「ミケランジェロ」)

【ラファエロについて】




(私論.私見)