ルネサンスの代表的人物こそレオナルド・ダ・ビンチであった。1452年、フィレンツェ支配下のビンチ市アンキアーノで生まれた。フィレンツェ時代を経て、1482年からミラノ公スフォルツァに仕える。フランス軍がミラノを占領すると、マントバを経てベネチアへ向かう。スイスの雇い兵がフランス軍を追い出すと、再びミラノへ。1513年からはローマへ。1516年からはフランス王フランソワ1世の庇護を受け、晩年までアンボワーズ城近郊で過ごす。結局、フィレンツェ、ミラノ、ローマの各宮廷につかえ、やがてフランスのフランソワ一世につかえ没した。
画家として、彫刻家として、技術家として、さらには建築家、生物学者、物理学者、哲学者として、そのいずれの分野においても彼は時代をぬきんでていた。ダ・ビンチの特質は次の点に認められる。
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彼は神学を拒否し、教会を公然と非難した。そして悪習や腐敗を暴露した。しかし宗教心そのものは否定しなかった。 |
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彼は古代ギリシャの科学者アルキメデスを高く評価した。そして彼自身も科学を研究し、実践にとりくみ、ミラノの城塞、北イタリアの運河の建設、当時のあらゆる機械の設計、改良等々をやりとげた。 |
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化石や地質学を研究し、化石を古代の生物の遺物だと解釈した。 |
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数多くの死体の解剖をおこない、解剖図を多く著作した。 |
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彼は「自然は原因によって結果が生まれる。われわれは実験からはじめて原因を追究しなければならない」と主張して、学問、研究の方法論を確立した。彼の有名な作品(絵画)に「モナ・リザ」「最後の晩餐(さん)」「聖アンナ」などがある。 |
ダ・ビンチの作品は極めて自然主義的な傾向を持つ事に特徴が認められる。当代の権威的手法から隔絶しており、人体を描くあるいは彫像するに当たっても、何十体もの人体の解剖により観察し、素描を基礎にしていた点でもこのことが明らかである。ダ・ビンチは、教会の教えとは異なる独自な自然界の発見を踏まえており、それは近代的な科学的世界観の黎明でもあった。同時代人コペルニクスの地動説と良いハーモニーを奏でていた。「最後の晩餐」(1495-98年)での光の明暗の織りなす陰影の使い方は絵画革命とでも云えるものであり、深く人間の内面を描くことに意味が持たされていた。「人間」をそれとして表現しようとするルネサンス精神がここにあった。
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