【ヒトラー「我が闘争」考】

 更新日/2020(平成31→5.1栄和元年/栄和2).3.25日

Re:れんだいこのカンテラ時評279 れんだいこ 2007/04/04
 【ヒトラー「我が闘争」考】

 れんだいこは恥ずかしながら今頃、ヒトラーの「我が闘争」を読むことになった。手元にはあったのだが読みそびれていた。先だって、ヒトラーのタイプ打ち秘書トラウデル・ユンゲの「私はヒトラーの秘書だった」を読んだのがきっかけになったのだと思われる。現在上巻をまもなく読み終えるところだが、読みながら思ったことは、日本左派運動は、「我が闘争」と何故に対話してこなかったのだろうという思いである。

 ヒトラーは、本書の中でしばしば当時のマルクス主義派である社会民主党批判をしている。ならば、社会民主党派は、その批判に答えねばなるまい。それがないままに今日までドイツ革命の挫折のみが語られてきている気がしてならない。これは、日本の社共的旧左翼、新左翼問わずの共通姿勢ではなかろうか。ナチスの赤狩り旋風の酷さは語り継がれており、ヒトラーをトンデモ視する観点は共認化されているが、ヒトラーが理論的に批判しているくだりでは、理論的に反批判しておくのがマナーではなかろうか。そういう対応をしているのだろうか。

 これに良く似た例を思い出す。「シオン長老の議定書」がそうである。実に偽書云々では共認化されているが、「シオン長老の議定書」の中身に立ち入った批判は聞いたことがない。文中の記述内容を採り上げ、だから偽書である云々としない限り本当に批判したことにはならないのではなかろうか。なぜ中身の精査に向かわないのだろう。

 そう云えば、ホロコースト、南京大虐殺もそうである。もっと史実検証し合えばよい。互いの持論をお山の大将式に披瀝するだけでなく、逐一検証し合い、両論併記すれば良いのに。こういうのを科学的学問的実証的と云うのではなかろうか。そう思うのだけれども、レトリックな話法ばかりが開陳されており、それで納得する者も多いようだが、れんだいこは燻(くすぶ)る。

 政治的態度を採るには、その前に判断を要し、判断する為には公正明朗な資料が開陳されていなければならない。一方側からの情報のみで、判断さえもお仕着せさせられ、満場一致などというのには眉唾せねばならないのではなかろうか。若い頃れんだいこが志した左派運動のスタイルとは違う。違う以上、あるべき姿を求めて彷徨せねばなるまい。

 それにしても、21世紀になって政治環境が少しも良くなっていないどころかますます悪化している気がする。れんだいこの息抜きである言論さえもが不自由を強いられており、腹の足しに成る言論が希少化しつつある気がしてならない。右からだけでなく左からもそれを加勢している気がする。これが事実なら対立は演出であり、俗に八百長というのだろう。今や八百長時代なのかも知れない。

 もとへ。ヒトラーを諸悪の元凶と位置づけ批判するのならそれも良かろう。問題は、根拠を示してくれんと困ることにある。そう思う故に我はそう言論するというのでは堂々巡りになってしまう。そう云えば、角栄論も然りだ。あれほどの人物と実績を持つ者が何故に最も悪し様に言われ続けられねばならないのだろう。ひょっとして、悪し様に言われている人の方にこそ正義があったりして。そんな関心を持ちながら、虚心坦懐に読み進めて見ようと思う。

 それはそうと、西欧では「我が闘争」を読むことさえ禁じられているのだろうか。政治運動が禁じられているだけなのだろうか。米国では何やら、「全世界反ユダヤ主義監視法(the Global Anti-Semitism Review Act of 2004)」なるものが施行されており、CIAやNSAなどの諜報機関が、「反ユダヤ言動」を世界規模で見張つていると云う。アメリカン民主主義の愁嘆場だな。日本に大勢居る自称インテリは当然論で追従しているのだろうか。

 2007.4.4日 れんだいこ拝

【ヒトラー「我が闘争」考その二】
 ヒトラーの「我が闘争」(Mein Kampf)を読み終えて思ったことは、やはり読むと聞くのでは大違いと云うことであった。まさに百聞は一見に如かずであり、何人も一度は読んでおくべき歴史書ではなかろうか。この思いはどこかでも感じたことがあるという気がして思い出したら、宮顕の戦前党中央委員小畑の査問致死事件であった。あの時も、党中央の弁明ばかりに耳を傾けていたら、白を黒、黒を白といい含める詐欺弁明に騙され事態を逆さに描いたまま丸め込まれるばかりであった。

 あの事件の急所は、宮顕派がスパイを摘発したのではなく、宮顕の方がスパイ派であり、そのスパイ派の宮顕派が真性の労働者党員のトップであった小畑中央委員を査問でテロったというところにある。驚くまいことか、これが、れんだいこ検証による真相である。この観点から考察しない査問致死事件論は空疎無内容に堕する。そういう意味で、「宮顕の戦前党中央委員小畑の査問致死事件」は再精査されねばならない。れんだいこの研究は一線級のものであり、是認するにせよ否認するにせよ、これを叩き台とせねばならない。無視するのも良いが、それは左派運動圏の能力の貧困を証するものでしかない。

 ヒトラーの「我が闘争」も似たような構図になっている気がしてならない。とにかく百聞は一見に如かずであるからして、下手な解説書を読まずに、是非一人ひとりが実録に当たるのが賢明である。もっとも、ヒトラーの「我が闘争」は口述筆記されたものであり、ヒトラー自身が著述したものではない。

 出版経緯は次の通りである。1923.11.8日のミュンヒェン一揆暴動で失敗し、国家社会主義ドイツ労働者党の最高指導者ヒトラーは逮捕され、翌日、党は非合法化された。ヒトラーは1924.2.26日から裁判に付され、4.1日、国事犯として5ヵ年の禁固刑に処せられた。ヒトラーは、レヒ河畔のランツベルク要塞拘置所に収容された。この時、ヒトラーが、エミール・モーリスに、後にルドルフ・ヘスを相手に口述したものが原稿となった。

 その原稿は、新聞記者のベルンハルト・シュテンプレ神父と機関紙記者のヨーゼフ・ツェルニーに整理が任された。この二人によって原稿原文が訂正され、1925.7.18日、第1巻「Eine Abrechnung」が、1927年に第2巻「Die nationalsozialistische Bewegung」が出版された。ヒトラーが選んだオリジナルタイトルは「Viereinhalb Jahre gegen Lüge, Dummheit und Feigheit」(嘘と臆病、愚かさに対する四年半)だったが、ナチス党の出版者は簡略に「Mein Kampf」と名付けて出版した。ヒトラー政権下で、「我が闘争」は絶大な人気を獲得し、一家に一冊運動が組織され事実上ナチスのバイブルとなった。戦争の終了まで約1000万部がドイツ国内で出版された。 

 その日本版の戦前の動きは判らない。戦後、1973(昭和48).10.20日、「我が闘争」と題して、平野一郎、将積(しょうじゃく)茂の共訳で、角川書店より初版が出されている。他にも出版されていると思われるが、れんだいこの手元にはない。平野、将積氏の共訳に特別の不満はないが、ヒトラーの語調に合わせた訳になっていない点が惜しむらくはという気がする。そういう些細な面はともかくも、かほどに史的に価値ある歴史書を日本訳で出版したことの意義は滅法高い。

 さて、「我が闘争」の内容的な解説に入る。本書は、ナチス運動の生成過程の貴重な指導者証言録となっており、ナチス台頭の背景のな歴史的事情と時代の心因が語られている。これは、第一次世界大戦後のユダヤ人支配との絡みを見なければ理解できない。これについては、シオン長老の議定書に対するヒトラーの言説、ヒトラーのユダヤ人論考」で検証することにする。

 「我が闘争」は一般に、狂人ヒトラー観から紐解かれるケースが多いが、実際に読んでみれば非常に理論的であることに驚かされよう。ヒトラーは自分の生い立ちを振り返りつつ、特にウィーン時代が詳細に記述されている。 戦争や教育などさまざまな分野を論じ自らの政策を提言している。全巻を通じてユダヤ人支配を告発し、ユダヤ人の選民意識に対抗するかのようにアーリア人が称揚されている。エスペラント語はユダヤ人の陰謀であるといった主張、また生活圏(Lebensraum)獲得のための東方進出などが表明されている。党派運動に於ける大衆路線の重要性を指摘し、群集心理誘導、宣伝(プロパガンダ)、世論操作の意義が語られている。

 
注目すべきは、全巻のモチーフが、「シオン長老の議定書」を多分に意識した反論書となっていることである。あたかも、ユダヤ人の世界支配戦略戦術に対抗すべくナチス党の歴史的使命戦略戦術を語っている。これがキモとなっており、この緊張感抜きには理解が皮相になる。

 東洋人の我々から見て、ネオシオニズム派の「シオン長老の議定書」、ナチス党の「我が闘争」が際限のない泥沼闘争を呼び込むことに辟易せざるを得ない。しかしながら、ネオシオニズム派の「シオン長老の議定書」的運動が実在する以上、ナチス党の「我が闘争」的運動が出現するのは歴史的必然と云うべきだろう。願うらくは我々は、西欧世界のそういう歴史的流れを熟知し、徒に引きずられることなく我々の世界観社会観文明観で交渉していくべきであろう。

 さて、問題は次のことにある。第一次世界大戦後大きく台頭したネオシオにズム派に闘いを挑んだ日独伊枢軸は第二次世界大戦で完膚なきまでに粉砕された。ということは、第二次世界大戦後の世界はどうなったかであろう。今日ある通りの情況であるが、我々はどう読み取るべきだろうか。そういうことになる。この観点を持たない歴史論は空疎ではなかろうか。

 ウィキペディァの我が闘争」によれば、現在英語版およびオランダ語版以外の全ての「我が闘争」の著作権はバイエルン州が所有している。著作権は2015.12.31日に終了する。ドイツ法に基づき、バイエルン州政府はドイツ連邦政府とドイツ国内で本書の複写あるいは印刷を不許可とすることで合意している。ナチスを弁護する議論が法規制されているドイツでは出版が禁止されており、一般人は読むことができない。なお日本では、訳書が刊行されており入手することができる。ヒトラーの自殺後、「ヒットラー第二の書」が発見され、「続・我が闘争」と銘打たれて翻訳、刊行されている。

 1999年、ネオ・シオニストの言論監視組織サイモン・ヴィーゼンタールセンターは、amazon.comやbarnesandnoble.comの様な大手インターネット書店が「我が闘争」を販売していることに対し抗議した。両社は同書の販売停止に合意した。その後、2006年現在、amazon.com、barnesandnoble.comともにでは英訳版「我が闘争」を購入することができるようになったがamazon.comではナチス・ドイツおよびヒトラーの研究のために販売しているのでamazon.comとしては購入を推奨していない旨の注釈が大きく表示されるている。(英語版amazon.comではそのような注釈はないが) 、とある。

 2007.4.25日 れんだいこ拝

【佐藤優の「いま日本人がヒトラー『わが闘争』を読むべき理由」考】
 佐藤優「佐藤優が説く!いま日本人がヒトラー『わが闘争』を読むべき理由 この国は意外とナチスに近い? 」(週刊現代2016年10月15・22日号より)を転載しておく。
 新たに発覚した日本人への侮蔑

 「名著」とはやや異なるが、名前だけは有名でもほとんど読まれたことがないのが、「ナチスの聖書」と呼ばれた『わが闘争』だ。アドルフ・ヒトラーの著作権は、ドイツのバイエルン州が持っている。これまで同州は『わが闘争』の復刊を認めてこなかった。2015年にヒトラーの死後70年が経過し、著作権が消滅したので、誰でも『わが闘争』を刊行できるようになった。この本の影響を防ぐために今年1月、ドイツの現代史研究所が註釈つきの『わが闘争』を刊行した。筆者もドイツから取り寄せたが、全体で1966頁、2分冊になっており、卓上版大英和辞典並みの大きさなので、持ち歩きができない。

 先の戦争で、ドイツとイタリアは日本の軍事同盟国だった。しかし、戦前の『わが闘争』の翻訳からは、ヒトラーが日本人を侮蔑している箇所が削除されていた。日独提携の障害になるとの観点から自主検閲を行ったのであろう。その内容は以下の通りだ。

 〈日本は多くの人々がそう思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術をつけ加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、たとえ、日本文化が―内面的な区別なのだから外観ではよけいにヨーロッパ人の目にはいってくるから―生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。これらの業績に基づいてのみ、東洋も一般的な人類の進歩についてゆくことができるのだ。これらは日々のパンのための闘争の基礎を作り出し、そのための武器と道具を生み出したのであって、ただ表面的な包装だけが、徐々に日本人の存在様式に調和させられたに過ぎない。今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ぼされなくなったとしよう。その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は続くことができるに違いない。しかしわずかな年月で、はやくも泉は水がかれてしまい、日本的特性は強まってゆくだろうが、現在の文化は硬直し、七十年前にアーリア文化の大波によって破られた眠りに再び落ちてゆくだろう〉

 このような人種的偏見を持ったナチス・ドイツと同盟を結ぶことになぜ当時の右翼・保守知識人は異議を申し立てなかったのだろうか。筆者が知る範囲では、左右両派から蛇蝎の如く嫌われていた極右思想家の蓑田胸喜が『わが闘争』をドイツ語で読んで、日本に対する侮辱的表現について東京のドイツ大使館に抗議に行ったくらいである。ドイツ大使館は、適当にあしらい、論壇も蓑田の見解には耳を傾けなかったので、大多数の日本人はヒトラーの日本人蔑視に気づかなかったのである。

 危険な思想は現社会につながっている

 ナチズムの負の遺産が21世紀にも甦る危険があると筆者は危惧している。それは反ユダヤ主義だけではない。遺伝子研究の衣をまとった優生思想だ。ヒトラーは「人種の純粋保持」を国家の優先事項とする。

 〈民族主義国家は子どもが民族の最も貴重な財宝であることを明らかにせねばならない。ただ健全であるものだけが、子どもを生むべきで、自分が病身であり欠陥があるにもかかわらず子どもをつくることはただ恥辱であり、むしろ子どもを生むことを断念することが、最高の名誉である、ということに留意しなければならない。しかし反対に、国民の健全な子どもを生まないことは、非難されねばならない。その場合国家は、幾千年もの未来の保護者として考えられねばならず、この未来に対しては、個人の希望や我欲などはなんでもないものと考え、犠牲にしなければならない。国家はかかる認識を実行するために、最新の医学的手段を用いるべきである。国家は何か明らかに病気をもつものや、悪質の遺伝のあるものや、さらに負担となるものは、生殖不能と宣告し、そしてこれを実際に実施すべきである。これに対して逆に国家は、国家の財政的にだらしない経済管理のために、子だくさんが両親にとってのろいとなり、健全なる女子の受胎が制限されることのないように、こころがけねばならない。国家は、今日、子だくさんの家族の社会的前提を無関心に取扱っているが、このずるい、犯罪者的な無関心を一掃して、国家自体が民族の最も貴重な祝福に対する最高保護者としての立場に立たねばならない。国家は成人よりももっと子どものことを心配しなければならない〉

 国家を主体にして、すなわち日本が強国として生き残るために少子化問題に取り組まなければならないという発想は、気をつけないとナチス型の国民管理につながっていく。民主主義国家においては、「産む自由」と共に「産まない自由」も保証することがとても重要だ。その上で、子どもを産み、育てることに魅力を感じるような社会政策を構築することが重要と思う。ヒトラーは障害を持つ人間を「不健康で無価値」と決めつけ、〈肉体的にも精神的にも不健康で無価値なものは、その苦悩を自分の子どもの身体に伝えてはならない〉と言う。現在、「すべては遺伝で決まる」というようなことで森羅万象を説明する本がベストセラーになっている。冗談で書かれた本なのか、本気で著者がそういうことを考えているのか、よくわからないが、遺伝ですべてが決められるという発想から、ナチスの優生思想までの距離はとても近い。

 あらたな装いで現れるナチス思想に対する耐性をつけるためにも、『わが闘争』を批判的に読んでおくことが重要と思う。

(私論.私見)

 「佐藤優」なる人物の国際ユダ邪奴隷制がよく分かる一文である。「ヒトラーが日本人を侮蔑している箇所」の一文が披露されているので為になったが、この記述が現に存在し、訳が正確であるとして、そうするとヒトラーには親日的日本論と侮日的日本論が並存していたことになる。後段の「ヒトラーの優生思想」も然り。この記述が現に存在し、訳が正確であるのか確認せねばなるまい。佐藤なるものに好感できるとすれば、批判の必要の為という理由にせよ「『わが闘争』を批判的に読んでおくことが重要と思う」のところだな。

 2016.10.24日 れんだいこ拝





(私論.私見)