旅順港陥落の授業の時,学校の私のクラスにいたチェコ人の子は泣いていた.他の子はみんな興奮して喜んでいた! この時から私は日本人に好意を抱くようになったのだ(1941.9.21日、「総統談話(抜粋)」)
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われわれは戦争に負けるはずがない! われわれには三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ。われわれは常に先制攻撃をかける!
ルーズヴェルトはウドロー・ウィルソン同様の狂人だ。 やつはまず戦争を煽動し、 次に戦争の原因を捏造し、
そして汚らわしくもキリスト教の偽善の外套を身にまとって、自分の攻撃が正当なものだという証人として神の名を呼びながら、ゆっくりと、しかし確実に人類を戦争に導いてゆく。
諸君! 諸君は皆ついに救いを見出したと思う。
一つの国家〔日本〕が、その真実と正義の歴史の中で例のない恥知らずな扱いについに抗議する措置をとったのだ。
日本が、日本国政府が、この男〔ルーズヴェルト〕と何年もの交渉の末、ついに三文の値うちもないやり方で嘲弄されることにあきた事実は、ドイツ人の全て、そして世界の全ての謙虚な人々を深く満足させるものである。
そこで私は本日、アメリカの代理大使ならびにその部下に対し旅券を渡すよう手配した。
よってドイツ国政府はアメリカとの全外交関係を断絶、ルーズヴェルト大統領により招来されたかかる状況下において、ドイツもまた本日よりアメリカと戦争状態にあると考える(1941.12.11日、「総統談話(抜粋)」) 。 |
ドイツでは30年もの間どんな聖餐式を行うかで骨肉相食む争いを繰り返した。これほど低次元の宗教も無い。この点、日本人が羨ましい。日本人の宗教は非常にシンプルで自然との関わりを大切にする。彼らはキリスト教徒をさえ上手く取り込んで、インテリ層にも受け入れられるような形に変えてしまったのだ(1941.12.13日、「総統談話(抜粋)」)。 |
ユダヤ人は新しい欧州の誕生など考えてもいなかったのだろう。
また、ユダヤ人には日本への定着も不可能だろう。彼らは閉鎖的な世界を信用しない。閉鎖的世界には直感的に非常に危険なものを感じているのだ。それ故に彼らはイギリスとアメリカが日本に近付かないように画策してきたのだ。
我が国にも2種類のドイツがあるように、日本にも2種類の日本がある。一つが資本主義的、親英的日本。もう一つは、「日出づる国」、「サムライの国」としての日本だ。日本海軍は後者の具現化だ。人間が自分自身の本質に一番近いものを見出すのは海の男の中なのだ。
例えば大島〔浩〕だが、彼は素晴らしい頭脳の持ち主だ。しかし、一方で、天皇の側近には頽廃ムードを持つ日本人も多いというのが私の印象だ
(1942.1.5日、「総統談話(抜粋)」)。 |
イギリス人やアメリカ人のように信心深いキリスト教徒が、絶えず熱心に祈りを捧げているにも関わらず、異教徒の日本人に翻弄されているのは実に可笑しなことだ!
まるで真の神はイギリス人やアメリカ人の昼夜を分かたぬ祈りを無視し、日本の英雄達を嘉し給うかのようである。そうだとしても驚くほどのことではない。日本の宗教は何よりも英雄崇拝を旨とし、英雄達は母国の栄光と安寧のためなら命を投げ出すことも厭わないのである。それに対してキリスト教徒は聖者を尊ぶ風習がある。聖者とは片足で何年も立っていたり、乙女の微笑みに答えるより刺だらけのベッドに寝る方を好む連中である。キリスト教には甚だ不健康な面があるものだな(1942.4.9日、「総統談話(抜粋)」)。 |
決定的な1930年代には、世界の状況はナポレオンやピットの時代のそれとは根本的に変わってしまった。欧州大陸は、世界大戦の物質的な大消耗戦によって力を完全に擦り減らした結果、その支配的地位を失った。
欧州は、政治的な重心の一つとして残ることは残ったがしかしそれは多数のうちの一つに過ぎず、しかも欧州の意味はますます薄れていく一方であった。これと全く反比例するように、アメリカ合衆国の意味と、アジア的ボリシェヴィズムの巨人国の意味とは、ますます大きくなるばかりであった。そして特に、太陽が昇る国の意味も(1945.2.4日、「ヒトラーの遺言」)。 |
人種的な誇りの感情などには拘束されはしないと思っている人でも、他の人種との混血を歓迎する人種などはいないということを信ずべきである。異人種間の混血は、幾つかの偶然的な好結果まで否定する者ではないが、一般的に良い結果を生んだことは無い。
或る人種が自らの純血を守ろうとする時、その人種はそれによって正に自己の生命力と生の意志とを証明している。誰もが自己の人種に誇りを持っていることは、私から見ればノーマルである以外の何者でもないが、しかしそれは、だからその人間は他の人種を軽蔑していいという意味では決して無い。
私は、例えば支那人あるいは日本人が人種として劣等だなと思ったことは一度も無い。両方とも古い文化を持った国民であり、そして私としては、彼らの伝統の方が我々のそれよりも優っていることを認めるのにやぶさかではない。彼らには、それを誇りに思うべき、立派な根拠がある。丁度我々が、我々が属している文化圏に誇りを堅持していてくれればくれるほど、彼らと理解し合う事が私にとってますます容易になると信じている(1945.2.13日、)。 |
1925年、「我が闘争」(それに他の未発表の論文)に書いたのだが、ユダヤ人は日本人こそが彼らの手の届かない敵だと見ている。日本人には鋭い直感が備わっており、さすがのユダヤ人も内から日本を攻撃出来ないということは分かっているのだ。となると外から叩くしかない。本来、イギリスとアメリカにとって日本との和解は多大な利益を意味する。その和解を必死に阻止しているのがユダヤ人なのだ。私は警告を発したが、誰も聞く耳を持たなかった(1942.2.17日)。 |
政治に大きな影響力を持つ名家というものは、家族内で連帯責任を負わなければならないものなのだ。もしも家族の一人が家名を汚すようなことをすれば、家族全員がその責任を負うという考えは極めて妥当なものだ。勿論,家名の恥となる異端児を勘当するのはその家族の自由だが。
日本では、この家族の連帯責任という原則はしっかり社会に根づいている。軍隊に於いてであれ政界に於いてであれ強大な影響力を発揮している家族は、家族の中から国家の利益に反する様なことをする異端児を出さない様努めるのを義務と心得ている。もしも不出来な息子が家名を汚したと感じた場合は、汚名を濯ぐためにその家族の男子全員が「ハラキリ」に及ぶのだ。(中略)
日本人がどれほど狡猾な外交上手であるかを物語るエピソードを披露しよう。白状すると、私自身も危うく罠に嵌められるところだったのだ。日本人は平衡感覚の混乱に対して過敏であり第一級のパイロットにはなれないとかいう説を、いつだかどこかの誰かが打ち出したらしい。このもっともらしい説を各国のうぶな軍首脳部がすっかり信じ込んでしまった。これを知った日本の政治家は、この説を更に広める努力をした。一方で日本軍は、これをカムフラージュにせっせと空軍を充実させた。やがてその充実振りが世界をアッと言わせることになった訳だ(1942.7.1日)。 |
私は、日本人と、支那人と、そしてイスラム諸国民とは、我々にとって、例えばフランスよりも常に身近な存在であると確信している。しかもこのことは、ドイツ人とフランス人との間に存在している血の繋がりにも関わらず、である(1945.4.2日)。 |
「1939年にベルリンで日本古美術展が開かれたが、このとき、ヒトラーも訪れている。彼は多くの日本の古美術を熱心に見てまわった。特に平清盛像に異常な関心を寄せ、いつまでものぞきこんでいたという。その写真は今も京都の六波羅密寺に保存されているらしい。平清盛といえば一代にして栄華をきわめた男。ヒトラーは平清盛に自分の姿を重ねあわせていたのであろうか」(「ヒトラーの日本観」)。
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ヒトラーがつねづね、「なぜ我々は日本人のように、祖国に殉ずることを最高の使命とする宗教を持たなかったのか? 間違った宗教を持ってしまったのが、そもそも我々の不幸なのだ」と語っていた、と伝えられている(「ヒトラーの日本観」)。
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「戦局がドイツに次第に不利なものに傾いていった1944年夏、ヒトラーは高校(ギムナジウム)に日本語を必須科目として取り入れることを命令している。最初はとりあえず一校だけをモデル校に選んで試験的に授業を始めることになったが、最終的には全ギムナジウムで英語のかわりに日本語を必須科目にする計画だったという」(「ヒトラーの日本観」)。
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「菜食主義者(同時に禁酒・禁煙)だったヒトラーが、日本の豆腐に注目。“ローマ軍は菜食であれほど強かった”のだから、ドイツ軍にも豆腐を食べさせようという計画を立てていたとも言われている」(「ヒトラーの日本観」)。 |
2021.8.28日、FB船木哲朗
満州重工業の総裁 鮎川義介氏が、ドイツを訪れて アドルフ・ヒトラーに面会した時のことです。ヒトラーは鮎川氏に対し、次のようなことを 語ったという。
「貴国が如何に 努めてみても 我がドイツのような工作機械は 作れないだろう。 しかし、ドイツが どうしても日本に真似出来ないものがある。それは
貴方の国の万世一系の皇統である。これはドイツが100年試みても、500年間頑張っても出来ない。大切にせねば駄目ですよ……」。 |
着物姿の ヒトラーの 写真 |
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