ヒトラーの「日本論、日本帝国主義論」

 更新日/2021(平成31.5.1栄和元年/栄和3).8.28日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ヒトラー狂人説が執拗に流布され、日本左派運動はこの見立てをそのまま受け入れているが如何なものであろうか。れんだいこは、ヒトラーの強権手法に凶的なものを認めるのにやぶさかではないが、理論は案外としっかりしてたと看做している。この辺りは今後更に検証していきたい。ここでは、ヒトラーの「我が闘争」その他における「日本論、日本帝国主義論」を見ておくことにする。

 通説は、ヒトラーは、日本ないし日本人を、概要「「太陽のごときアーリア民族に比すれば、模倣のみに優れ、反映によってのみ輝く月のような存在としての二流民族として」として位置づけしていた、との言を流布させている。この記述は、戦前戦中の日本版では削除されているとのことである。しかし、以下の言にはさような言辞は片鱗も見られない。いずれ、れんだいこ自身が読んで確認せねばならないか。

 2004.10.19日、2006.11.10日再編集 れんだいこ拝


【ヒトラーの「ユダヤ人の対日政策論」】
 ヒトラーの「我が闘争」では次のように記されている。
 当時、世界に蔓延していた「黄禍論(反日感情)」はユダヤ人が扇動したものである。
 ドイツの壊滅は、イギリスではなくて、まず第1にユダヤ人の利益に沿うものであった。ちょうど今日においても日本の殲滅ということが、イギリスの国家的利益のためというよりも、ユダヤ人の世界国家を願望している指導者たちの、はるか遠くまで触手を延ばした欲望に適っているように。イギリスがこの世界におけるその地位を維持するために骨身を削っているときに、ユダヤ人は世界征服のための攻撃の態勢を整えている。
 ユダヤ人は、今日のヨーロッパ諸国をすでに彼らの手中に握られた、意志を持たぬ道具と見なしている、それが、いわゆる西欧型民主主義という迂回を通るにせよ、あるいはロシア型ボルシェヴィズムによる直接支配の形をとるにせよ。しかしながら、単に旧世界だけがユダヤ人の手の中に巧みに丸め込まれているだけでなく、新世界にも同じ運命が迫りつつある。
 ユダヤ人は、アメリカ連邦の株式勢力を支配している。毎年、アメリカは1億2千万国民の労働力を監督するために人員を増やし続けている。ごく僅かな人間だけが、今日もなお、ユダヤ人たちの怒りを買いながらも、完全に不屈不撓の立場を貫いている。
 狡猾な手練主管を用いて細工して、その細工した世論からユダヤ人たちは、自分たちの将来のための闘いに必要な手段を創り出している。既にユダヤ人世界の最大の大物たちは、彼らの経典にある諸民族大相克のスローガンが実現するときが近付いていることを信じている。
 国としての主体性を失った植民地地域に住む諸民族のこの家畜的集団の内部では、唯一個の独立国家の力によって最後の瞬間に全ての事業が瓦解する結果になるかも知れない。何故ならば、ボルシェヴィキ化した世界は、全てのものを包括した場合にのみ、存立することが可能だからである。したがって、たとえ唯一国でも、その国家としての力と偉大さを失うことが無ければ、ユダヤ人執政官によって支配された世界は、この世界における全ての暴虐な支配者と同じ様に、必然的に国家主義思想の前に屈服せざるを得ないだろう。
 ところでユダヤ人は、自分達の千年間にわたるその同化の努力の中で、ヨーロッパの諸民族を骨抜きにし、性別も不明な混血児に教育することには成功するかも知れない。しかしながら、日本のようなアジアの民族主義国家に対して、この同じ運命を押し付けることはまず不可能であろう。このことを、ユダヤ人はよく知り尽くしている。
 今日ユダヤ人は、ドイツ人、イギリス人、アメリカ人やフランス人らしく振舞うことはできるであろう。しかし、この黄色のアジア人に関しては、ユダヤ人を結び付ける掛け橋はどこにもない。そこでユダヤ人は、民族主義国家日本を、今日存在している似たような国の力を使って殲滅してしまおうとしている。すなわち、ユダヤ人の手の中でこの最後の敵が無抵抗の国々に対する暴力的支配者に変貌する前に、この危険な敵を片付けてしまうために。
 ユダヤ人は、千年の歴史を持つユダヤ人国家において、日本のような民族主義国家を恐れている。したがってユダヤ人による世界支配体制が完成する前に日本を滅亡させたいと願っている。
 そこで、今日ユダヤ人は、かつてドイツに対してやったように、諸国民を日本に対して扇動している。したがって、イギリスの国策がまだ日本との同盟関係を頼りにしようしているときに、早くもイギリスのユダヤ系新聞は同盟国日本に対する宣戦を要求し、民主主義の宣言の下に、そして「日本の軍国主義と天皇制を打倒せよ!」という雄叫びの下に、日本を殲滅するための戦争を準備していることは別に不思議ではない(「我が闘争」下巻第13章)。
 「ユダヤ人たちは、アメリカ合衆国の金融力の支配者である。一年一年彼らはますます1億2千万民衆の労働力の監督者の地位に上っていくのである。 ユダヤ人は自分たちの至福千年王国のなかに日本のような国家主義国家が残っているのをはばかり、それ故自分自身の独裁が始められる前にきっちり日本が絶滅されるよう願っているのである」。

(私論.私見) ヒトラーの「ユダヤ人の対日政策論」について


【ヒトラーの「日本論」】
  旅順港陥落の授業の時,学校の私のクラスにいたチェコ人の子は泣いていた.他の子はみんな興奮して喜んでいた! この時から私は日本人に好意を抱くようになったのだ(1941.9.21日、「総統談話(抜粋)」)
 われわれは戦争に負けるはずがない! われわれには三千年間一度も負けたことのない味方が出来たのだ。われわれは常に先制攻撃をかける!

 ルーズヴェルトはウドロー・ウィルソン同様の狂人だ。 やつはまず戦争を煽動し、 次に戦争の原因を捏造し、 そして汚らわしくもキリスト教の偽善の外套を身にまとって、自分の攻撃が正当なものだという証人として神の名を呼びながら、ゆっくりと、しかし確実に人類を戦争に導いてゆく。


 諸君!  諸君は皆ついに救いを見出したと思う。 一つの国家〔日本〕が、その真実と正義の歴史の中で例のない恥知らずな扱いについに抗議する措置をとったのだ。


  日本が、日本国政府が、この男〔ルーズヴェルト〕と何年もの交渉の末、ついに三文の値うちもないやり方で嘲弄されることにあきた事実は、ドイツ人の全て、そして世界の全ての謙虚な人々を深く満足させるものである。

  そこで私は本日、アメリカの代理大使ならびにその部下に対し旅券を渡すよう手配した。 よってドイツ国政府はアメリカとの全外交関係を断絶、ルーズヴェルト大統領により招来されたかかる状況下において、ドイツもまた本日よりアメリカと戦争状態にあると考える(1941.12.11日、「総統談話(抜粋)」)
 ドイツでは30年もの間どんな聖餐式を行うかで骨肉相食む争いを繰り返した。これほど低次元の宗教も無い。この点、日本人が羨ましい。日本人の宗教は非常にシンプルで自然との関わりを大切にする。彼らはキリスト教徒をさえ上手く取り込んで、インテリ層にも受け入れられるような形に変えてしまったのだ(1941.12.13日、「総統談話(抜粋)」)。
 ユダヤ人は新しい欧州の誕生など考えてもいなかったのだろう。

  また、ユダヤ人には日本への定着も不可能だろう。彼らは閉鎖的な世界を信用しない。閉鎖的世界には直感的に非常に危険なものを感じているのだ。それ故に彼らはイギリスとアメリカが日本に近付かないように画策してきたのだ。

  我が国にも2種類のドイツがあるように、日本にも2種類の日本がある。一つが資本主義的、親英的日本。もう一つは、「日出づる国」、「サムライの国」としての日本だ。日本海軍は後者の具現化だ。人間が自分自身の本質に一番近いものを見出すのは海の男の中なのだ。

  例えば大島〔浩〕だが、彼は素晴らしい頭脳の持ち主だ。しかし、一方で、天皇の側近には頽廃ムードを持つ日本人も多いというのが私の印象だ (1942.1.5日、「総統談話(抜粋)」)。
 イギリス人やアメリカ人のように信心深いキリスト教徒が、絶えず熱心に祈りを捧げているにも関わらず、異教徒の日本人に翻弄されているのは実に可笑しなことだ! まるで真の神はイギリス人やアメリカ人の昼夜を分かたぬ祈りを無視し、日本の英雄達を嘉し給うかのようである。そうだとしても驚くほどのことではない。日本の宗教は何よりも英雄崇拝を旨とし、英雄達は母国の栄光と安寧のためなら命を投げ出すことも厭わないのである。それに対してキリスト教徒は聖者を尊ぶ風習がある。聖者とは片足で何年も立っていたり、乙女の微笑みに答えるより刺だらけのベッドに寝る方を好む連中である。キリスト教には甚だ不健康な面があるものだな(1942.4.9日、「総統談話(抜粋)」)。
 決定的な1930年代には、世界の状況はナポレオンやピットの時代のそれとは根本的に変わってしまった。欧州大陸は、世界大戦の物質的な大消耗戦によって力を完全に擦り減らした結果、その支配的地位を失った。

 欧州は、政治的な重心の一つとして残ることは残ったがしかしそれは多数のうちの一つに過ぎず、しかも欧州の意味はますます薄れていく一方であった。これと全く反比例するように、アメリカ合衆国の意味と、アジア的ボリシェヴィズムの巨人国の意味とは、ますます大きくなるばかりであった。そして特に、太陽が昇る国の意味も(1945.2.4日、「ヒトラーの遺言」
 人種的な誇りの感情などには拘束されはしないと思っている人でも、他の人種との混血を歓迎する人種などはいないということを信ずべきである。異人種間の混血は、幾つかの偶然的な好結果まで否定する者ではないが、一般的に良い結果を生んだことは無い。

 或る人種が自らの純血を守ろうとする時、その人種はそれによって正に自己の生命力と生の意志とを証明している。誰もが自己の人種に誇りを持っていることは、私から見ればノーマルである以外の何者でもないが、しかしそれは、だからその人間は他の人種を軽蔑していいという意味では決して無い。

 私は、例えば支那人あるいは日本人が人種として劣等だなと思ったことは一度も無い。両方とも古い文化を持った国民であり、そして私としては、彼らの伝統の方が我々のそれよりも優っていることを認めるのにやぶさかではない。彼らには、それを誇りに思うべき、立派な根拠がある。丁度我々が、我々が属している文化圏に誇りを堅持していてくれればくれるほど、彼らと理解し合う事が私にとってますます容易になると信じている(1945.2.13日、)。
  1925年、「我が闘争」(それに他の未発表の論文)に書いたのだが、ユダヤ人は日本人こそが彼らの手の届かない敵だと見ている。日本人には鋭い直感が備わっており、さすがのユダヤ人も内から日本を攻撃出来ないということは分かっているのだ。となると外から叩くしかない。本来、イギリスとアメリカにとって日本との和解は多大な利益を意味する。その和解を必死に阻止しているのがユダヤ人なのだ。私は警告を発したが、誰も聞く耳を持たなかった(1942.2.17日)。
 政治に大きな影響力を持つ名家というものは、家族内で連帯責任を負わなければならないものなのだ。もしも家族の一人が家名を汚すようなことをすれば、家族全員がその責任を負うという考えは極めて妥当なものだ。勿論,家名の恥となる異端児を勘当するのはその家族の自由だが。

  日本では、この家族の連帯責任という原則はしっかり社会に根づいている。軍隊に於いてであれ政界に於いてであれ強大な影響力を発揮している家族は、家族の中から国家の利益に反する様なことをする異端児を出さない様努めるのを義務と心得ている。もしも不出来な息子が家名を汚したと感じた場合は、汚名を濯ぐためにその家族の男子全員が「ハラキリ」に及ぶのだ。(中略)


  日本人がどれほど狡猾な外交上手であるかを物語るエピソードを披露しよう。白状すると、私自身も危うく罠に嵌められるところだったのだ。日本人は平衡感覚の混乱に対して過敏であり第一級のパイロットにはなれないとかいう説を、いつだかどこかの誰かが打ち出したらしい。このもっともらしい説を各国のうぶな軍首脳部がすっかり信じ込んでしまった。これを知った日本の政治家は、この説を更に広める努力をした。一方で日本軍は、これをカムフラージュにせっせと空軍を充実させた。やがてその充実振りが世界をアッと言わせることになった訳だ(1942.7.1日)。
 私は、日本人と、支那人と、そしてイスラム諸国民とは、我々にとって、例えばフランスよりも常に身近な存在であると確信している。しかもこのことは、ドイツ人とフランス人との間に存在している血の繋がりにも関わらず、である(1945.4.2日)。

 「1939年にベルリンで日本古美術展が開かれたが、このとき、ヒトラーも訪れている。彼は多くの日本の古美術を熱心に見てまわった。特に平清盛像に異常な関心を寄せ、いつまでものぞきこんでいたという。その写真は今も京都の六波羅密寺に保存されているらしい。平清盛といえば一代にして栄華をきわめた男。ヒトラーは平清盛に自分の姿を重ねあわせていたのであろうか」(「ヒトラーの日本観」)

 ヒトラーがつねづね、「なぜ我々は日本人のように、祖国に殉ずることを最高の使命とする宗教を持たなかったのか? 間違った宗教を持ってしまったのが、そもそも我々の不幸なのだ」と語っていた、と伝えられている(「ヒトラーの日本観」)

 「戦局がドイツに次第に不利なものに傾いていった1944年夏、ヒトラーは高校(ギムナジウム)に日本語を必須科目として取り入れることを命令している。最初はとりあえず一校だけをモデル校に選んで試験的に授業を始めることになったが、最終的には全ギムナジウムで英語のかわりに日本語を必須科目にする計画だったという」(「ヒトラーの日本観」)

 「菜食主義者(同時に禁酒・禁煙)だったヒトラーが、日本の豆腐に注目。“ローマ軍は菜食であれほど強かった”のだから、ドイツ軍にも豆腐を食べさせようという計画を立てていたとも言われている」(「ヒトラーの日本観」)
 2021.8.28日、FB船木哲朗 

 満州重工業の総裁 鮎川義介氏が、ドイツを訪れて アドルフ・ヒトラーに面会した時のことです。ヒトラーは鮎川氏に対し、次のようなことを 語ったという。
「貴国が如何に 努めてみても 我がドイツのような工作機械は 作れないだろう。 しかし、ドイツが どうしても日本に真似出来ないものがある。それは 貴方の国の万世一系の皇統である。これはドイツが100年試みても、500年間頑張っても出来ない。大切にせねば駄目ですよ……」。
 着物姿の ヒトラーの 写真

【ヒトラーの「日本帝国主義論」】
 1945.2.18日付け「ヒトラーの遺言」は次の通りである。
 「『ユダヤ菌』の発見は世界の一大革命だ。今日我々が戦っている戦争は、実は前世紀のパスツールやコッホの闘いと同種のものなのだ。いったいどれほどの病気が『ユダヤ菌』によって引き起こされていることやら。日本はユダヤ人を受け入れなかったので、菌に汚染されずにすんだのだ。ユダヤ人を排除すれば、我々は健康を取り戻せる。すべての病気には原因がある。偶然などない」。
 「1925年、『我が闘争』(それに他の未発表の論文)に書いたのだが、ユダヤ人は日本人こそが彼らの手の届かない敵だと見ている。日本人には鋭い直感が備わっており、さすがのユダヤ人も内から日本を攻撃できないということは分かっているのだ。となると外から叩くしかない。本来、イギリスとアメリカにとっては日本との和解は多大な利益を意味する。その和解を必死に阻止しているのがユダヤ人なのだ。私は警告を発したが、誰も聞く耳を持たなかった」。
 日本の参戦は、ルーズヴェルトのために絶好の口実を与え、アメリカ軍を我々に対して動員するきっかけを作ったとは言え、我々にとっては何らの不利な結果も伴わなかった。しかしルーズヴェルトは、ユダヤ人にはっぱをかけられて、日本の参戦がなくても、国家社会主義を殲滅するための戦争を決意していた。したがって、誰からもその根拠を支持して貰う必要はなかった。彼は、アメリカ国民の中にあった健全な孤立主義を克服するために必要な口実を作り出すだけの才覚は充分に持っていた。この場合、その分量が多かろうと或いは少なかろうと、事実を改竄することなど問題ではなかった。

 にも関わらず、真珠湾で行われた破壊は、その範囲から言っても、影響から言っても、彼にとってはまさにうってつけの出来事であった。これこそが、アメリカ国民を戦争へと駆り立てるとともに、国内における最後の反対勢力を排除するために彼が必要としていたものであった。本当の所、日本の国民を挑発するために彼はあらゆる手を尽くしてきたのである。

 全ては――もっとも、全世界的な規模に合わせてスケールが改められたとはいえ――既に世界大戦に於いてウィルソンが見事な成功を収めた、あの謀略の再版に他ならない。即ち、恥も外聞も忘れた挑発を使ってルシタニア号を雷撃させ、それをドイツとオーストリア・ハンガリー及びその同盟国に対する宣戦布告のために、アメリカ国民向けの心理戦争に利用した、あの手法の再版に他ならない。

 すでに1917年のあの時に、アメリカの介入を防げなかったとすれば、それから25年後の今、今回の介入も必然的に同じ根拠に基づいていることが明白である以上、事態は全く同じである。アメリカとの戦争は不可避であった。

 それはともかくとして、世界のユダヤ人全体は1915年になって初めて、連合国の側に付くことを決意した。これに反して我々の場合には、すでに第3帝国誕生の時すなわち1933年に、同じく世界のユダヤ人全体が我々に対して宣戦布告をしている。

 ところで、過去の四半世紀の間に、合衆国に於けるユダヤ人の影響は、絶え間無く大きくなってきている。したがってアメリカの参戦は、有無を言わせぬものであったから、それと時を同じくして日本の様に価値ある同盟国を我々が得たということは、我々にとって計り知れないほどの幸運であった。

 しかし、それはユダヤ人にとっても利益であった! それによって,ユダヤ人が長い間待ち望んでいた機会、すなわち合衆国を彼らの戦争に引き入れるという機会が到来した。アメリカ国民を挙国一致の名の下に、ユダヤ人が望む方向に連れてゆくことに成功したのである。

 それは確かに、ユダヤ人のお手の物のトリックである。というのは、アメリカ国民は1919年に失望を体験してから、再び欧州の戦争に介入する興味を殆ど失ってしまっていた。他面、彼らは今までにかつてなかった程、黄禍論の思想に取り付かれる様になった。

 ユダヤ人には、全ての責任を負わせるべきである。そして最も恥知らずな悪徳をユダヤ人の責任だと考えても、それが誤算だったということは決してない。私は確信している――ユダヤ人は黄禍の問題で遠大な計画を立てるとともに、白人種の国の一つが、ユダヤ人の病菌に免疫で、しかも今や列強に伸し上がってきた黄色人種の島国を滅ぼしてくれる可能性まで読んでいたのだ、と。

 我々にとって日本は、如何なる時も友人であり、盟邦でいてくれるであろう。この戦争の中で我々は、日本を高く評価すると共に、いよいよますます尊敬することを学んだ。この共同の戦いを通して、日本と我々との関係は更に密接にそして堅固なものとなるであろう。


 日本がただちに我々と共に対ソヴィエト戦に介入してくれなかったのは、確かに残念なことである。それが実現していたならば、スターリンの軍隊は、今この瞬間にブレスラウを包囲してはいなかったであろうし、ソヴィエト軍はブダペストには来ていなかったであろう。我々両国は共同して、1941年の冬が来る前にボルシェヴィズムを殲滅していたであろうから、ルーズヴェルトとしては、これらの敵国〔ドイツと日本〕と事を構えない様に気を付けることは容易ではなかったであろう。

 他面に於いて人々は、既に1940年に、すなわちフランスが敗北した直後に、日本がシンガポールを占領しなかったことを残念に思うだろう。合衆国は、大統領選挙の真っ最中だったために、事を起こすことは不可能であった。その当時にも,この戦争の転機は存在していたのである。

 さもあればあれ、我々と日本との運命共同体は存続するであろう。我々は、一緒に勝つか、それとも共々に亡ぶかである。運命が先ず我々を殲滅してしまうとすれば、ロシアがアジア人の連帯≠ニいう神話を日本に対して今後も長く堅持するであろうとは、私にはまず考えられない。




(私論.私見)