ヒトラーの国家社会主義論

 (最新見直し2007.4.25日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ヒトラーの「ヒトラーの国家社会主義論」について確認する。

 2004.10.11日 れんだいこ拝


【ヒトラーの国家社会主義論】
 2020.1.18日、「ヒトラーを「左翼」「社会主義者」と見なしてはいけない理由」。
 広がる「ヒトラーは社会主義者だ」の認識

 近年、右派勢力の間で「ヒトラーは社会主義者だ」という主張が広がりはじめている。事実、そうした主張はアメリカのオルトライト(新右翼)や共和党の一部の常套句となっていて、敵対陣営である民主党左派を攻撃するのに多用されている。日本のいわゆる「ネット右翼」の間でも、ナチズムを社会主義と同一視して、これを左翼批判に用いる発言が目立つようになっている。社会主義的・左翼的な主張を唱える者はみなナチスであって、人々を戦争やホロコーストに導こうとする者だというわけだが、こうした粗雑な主張はもちろん、歴史の実態にはそぐわない。

 ナチ党は正式名称を「国民社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei)」という。党名に「社会主義」と「労働者」が含まれているので、ナチズム=社会主義=左翼と短絡してしまいがちだが、そうした安直な見方は、「国民」と「ドイツ」があらわす意味の重要性を無視している。これらの語は、民族や人種に究極的な価値を置く右翼的な政治姿勢を示すものにほかならず、それと不可分に結びつけられることで、「社会主義」や「労働者」の意味合いも根本的に変わっている。ナチ党が掲げたのは単なる社会主義ではなく「国民社会主義(Nationalsozialismus)」であって、それはドイツ民族・国民のためだけの社会主義、民族至上主義・人種差別主義(反ユダヤ主義)と結びついた社会主義を意味する(なお、日本では従来「国家社会主義」と訳されることが多かったが、「国家(Staat)」と「国民(Nation)」の混同を避ける目的から、近年では「国民社会主義」という訳語が一般的になっている。ヒトラーが言うように、ナチズムは国民・民族を優先する運動であって、国家はそのための手段にすぎないのである)。

 ナチスはマルクス主義の階級闘争や国際主義といった概念に反対し、歴史の動因を民族・人種間の闘争に見て、国民・国家統合(ナショナリズム)を通じたドイツの再生と膨張・侵略をはかったが、そうした基本的な政治姿勢は、資本主義体制の打倒・変革をめざす本来の意味での社会主義や共産主義と異なるどころか、それと明白な敵対関係に立つものだった。実際にも、ナチスはヴァイマール時代を通じて左翼政党と激しい抗争をくり広げ、政権掌握後には社会主義者と共産主義者を一斉逮捕して強制収容所に送るなど、徹底的にこれを弾圧した。ヒトラー自身、『わが闘争』のなかでくり返し「ドイツの共産主義化」の危機を訴え、その黒幕としてユダヤ人の国際的陰謀を攻撃しているが、そうした主張をなぞるかのように、第二次世界大戦中の独ソ戦では、「東方生存圏」の獲得という侵略目標に加えて、「ユダヤ=ボルシェヴィズム」(ユダヤ人と共産主義を同一視するイデオロギー)の殲滅という人種・政治的目標が掲げられた。

(私論.私見)
 ならば、これを素直に受け止めれば、結局は国際ユダヤに拝跪することになるネオシオニズムに社会主義ではなく、反国際ユダヤの立場からの民族及び国家の自立自存的社会主義を掲げたということではないのか。本稿の論者はネオシオニズム式社会主義を正統としているようだが、それは論者の学問的スタンスを語るだけのことで、ヒトラー式社会主義こそ本来のものとする見解を生む余地が十分にあろう。
 労働者を懐柔したけれど…

 たしかに、ナチズムは一部で社会主義の影響を受けていた。ヒトラーは左翼政党のプロパガンダの手法を模倣し、たびたび反資本主義的なレトリックを用いて労働者階級のルサンチマンに訴える演説を行なったし、政権初期まで一定の力を有したナチ党左派の間には、本気で社会主義革命をめざす動きも存在した(彼らの多くは1934年6月末の粛清事件の後、失脚するか閑職に追いやられた)。

 また、ナチスは政権掌握後、公共事業による雇用の創出、労働者向け福利厚生の拡充、家族支援や有給休暇の提供、消費・レジャー機会の拡大などといった政策を次々に打ち出し、それを「実行の社会主義」の成果として誇示した。なかでもよく知られているものとして、労働者にも手の届く格安の乗用車として開発されたフォルクスワーゲンや、労働者の余暇を充実させる目的で歓喜力行団が提供した安価なパッケージ旅行が挙げられる。

 そうした(社会的平等をめざすという意味で)「社会主義的」な政策が導入された背景には、労働者を懐柔して階級闘争から引き離し、格差のない「民族共同体」に統合しようとするねらいがあった。社会・経済的に恵まれない労働者層に手を差し伸べ、彼らを称揚して誇りや自尊心に訴えるとともに、ある程度の実質的な利益を提供し、将来の豊かな生活を期待させることで、体制への順応を促進しようとしたのである。

(私論.私見)
 論者はここで、ヒトラー式社会主義の成果を否定し得ない事実として確認している。その上で、邪悪な狙いがあったとして貶(けな)している。この見方は論者の癖でしかなく、素直に確認すればよいだけのことであろう。
 効果が薄かった「社会主義的」政策

 だが労働者を褒め称えるプロパガンダや「社会主義的」と言えるような政策も、実際の生活を向上させるまでにはいたらず、「民族共同体」のスローガンとは裏腹に、社会対立や不平等の是正も進まなかった。ドイツ社会の構造は1930年代を通じてほとんど変化せず、労働者層の割合は依然として60%程度で、景気上昇によって恩恵を受けた他の社会層と比べて、相変わらず不利益を被っていた。賃金は上がらず、消費は冷え込み、物不足が深刻化して、配給制まで敷かれていた。象徴的なことに、フォルクスワーゲンは市場供給がはじまる前に生産が中止され、大型客船でのクルーズ旅行も労働者には高嶺の花のままだった。

 こうしたことはすべて、ナチ政権が来るべき侵略戦争のために軍備拡張を優先した結果だったと言える。政権掌握後の景気回復もほとんどが軍需によるもので、1938年には軍備支出が国家支出の74%にまで達した(失業対策事業として有名なアウトバーンの建設も、それが雇用創出に果たした役割は限定的だった)。負債によって賄われたこの軍需経済は、戦争が起こることではじめて採算がとれるものだった。このような理解をふまえると、労働者向けの様々な優遇措置も究極的には侵略戦争という目的に奉仕するもので、彼らを軍需生産につなぎとめておくための社会政策的譲歩でしかなかったと見るべきである。

(私論.私見)
 論者はここで、ヒトラー式社会主義の成果なかった論を展開している。この見方は論者の癖でしかない。実証的に検証すれば、ヒトラー式社会主義の成果あった論の数々が確認されよう。
 民族・国家への献身と服従を強いる

 こうしたナチスの政治姿勢は、「社会主義」という概念がもっぱら全体のための奉仕・義務という意味で用いられたことにも示されている。マルクス主義に由来する社会主義の概念は、ナチ政権下では従来の階級闘争的な意味を奪われ、労働者の活力と社会的平等を誇らかに表明すると同時に、彼らにひたすら民族・国家への献身と服従を強いるという権威主義的な性格をもつものとなった。

 「ドイツの兵士は世界にかつて存在した最初で最良の社会主義者である」(ドイツ労働戦線指導者ローベルト・ライ)などと言われたように、兵士を模範として再定義されたナチス流の社会主義は、労働者を国家による統制に従属させ、軍需生産に邁進させようとする体制の政治・経済的利害と適合的だったと言える。いずれにせよ、それが本来の意味での社会主義とまったく異なるものだったことは明らかである。

(私論.私見)
 論者はここで、為にするナチス批判をしている。即ち、片方で持ち上げ他方で貶す論法で煙まきしようとしている。
 反共イデオロギーとしての「全体主義論」

 ところで、ナチズムの「社会主義的」な性格を強調し、これを共産主義と同一視して批判する視点は、同時代から一部の自由主義者・保守主義者の間で共有され、第二次世界大戦後の冷戦期には、いわゆる「全体主義論」として結実することになった。それによると、ナチズムはスターリニズムと同様、国家統制・計画経済を推進する全体主義であり、イデオロギー上は対立するが、本質的には同一だということになる。国家・社会の全面的な再編をはかるナチスの急進的な政治姿勢は、一般的な保守や右翼と異なる特徴をもっており、自由や民主主義を否定する点では、むしろ左翼の共産主義体制に近いことが強調されたのである。

 だが全体主義論は、冷戦期の西側陣営において反共産主義のイデオロギーとして注目されたものの、その後の実証研究の進展とともに、分析枠組みとしての限界が指摘されるようになった。ヒトラーの絶対的意志のもと、テロルとプロパガンダを通じて国民全体を統制する体制という全体主義論のナチズム理解は多くの面から批判され、体制内諸機関の競合・対立や一般民衆の順応・抵抗といった複雑な支配の実態に注目するアプローチが優勢となった。そうした研究状況を考えると、ナチスの唱える「社会主義」についても、その政治的影響力を額面通りに受け取ることはできない。それがドイツを実際に社会主義化するほどの力をもたなかったことは、上述の通りである。

(私論.私見)
 論者はここで、支離滅裂なチス批判をしている。即ち、全体主義的な方策においてスターリニズムと同様なものである論を展開しながら、それを否定し、自由や民主主義の価値を説いている。要するに国際ユダヤ側のちょうちん理論を推奨しているだけのことである。
 ナチスを「左派ポピュリズム」と呼んでいいのか

 昨今の欧米におけるポピュリズムの台頭を受けて、最近ではナチズムをそうした運動の一つととらえる見方も出てきている。「AfD(ドイツのための選択肢)」といった極右排外主義運動との類似性を指摘する論者がほとんどだが、なかにはナチスが親労働者的な政策をとった点に着目して、これを「左派ポピュリズム」と規定する者もいる。たとえば日本のある国際政治学者は、ナチスが「ドイツ労働者党」であり、「財形貯蓄」などの労働政策を実施したことなどを根拠に挙げて、ヒトラーは「左翼ポピュリスト」であると主張している。

 だがこのようにナチズムの「左翼ポピュリズム」的性格を重視することは、意図的かどうかはともかくとして、ナチズムの本質を見誤らせると同時に、右翼ポピュリズムを免罪することにもつながる。左翼と右翼の区別が曖昧化したポスト冷戦期の政治状況のもとでは、こうした粗雑な左翼批判を行なったところで、いたずらに混乱を招くデマゴギーにしかならない。その点では、ナチズムと共産主義の類似性を強調する全体主義論が意味をもちえたのも、左右の対立がはっきりしていた時代だったからこそだと言える。近年の歴史研究では、ナチズムが伝統的な左翼・右翼の政治的スペクトルには位置づけにくい、複雑で矛盾した運動だということが共通理解となっている。左右のポピュリズムと比較する場合にも、そうした点をふまえつつ、慎重な検討を行なうべきである。ナチズムの「社会主義的」な性格を過大視し、これに「左翼」のレッテルを貼って批判するのは、歴史認識として間違っているばかりか、歴史修正主義に与する危険性さえはらんでいる。

 その意味では、ヒトラーを社会主義者と呼ぶ論者にはむしろ、過去を政治的に利用しようとするねらいを見出すべきかもしれない。攻勢を強める右派勢力にとって、そうした主張は自らとナチズムの親近性から人びとの目をそらし、敵対陣営に批判を向けさせる目くらましの方便として役立つのである。ナチズムを左翼ないし社会主義と同一視する者がいたら、右派勢力の免罪や正当化をはかる政治目的がないか疑ってかかるべきだろう。

(私論.私見)
 本稿は、この論者が思想的に阿呆な者の特有の見地をひけらかせているに過ぎなかった。









(私論.私見)


 投稿者 あっしら 日時 2004 年 6 月 15 日 23:36:54:Mo7ApAlflbQ6s

「ヒトラー第二の書」(「我が闘争」よりも面白い「ヒトラー第二の書」:そこで開示された理性的な反ユダヤ認識)