ナチスの迫害を受けていた精神分析学の創始者であったユダヤ人、ジクムント・フロイトはヒトラーを「狂人がなにをしでかすか予想できない」の一言で片付けてしまったように、ナチス敗北後、多くの精神医学者もヒトラーを「精神病」と見なしてきた。
SS長官ヒムラーのマッサージ師ケルステンは、「ヒトラーは脳梅毒(進行麻痺)であった」という噂を流した。しかし、ヒトラーの主治医モレルは1940年の梅毒検査でヒトラーは陰性であった、とヒトラーの脳梅毒説を否定している。
ところで、合衆国国家記録保存所には「ヒトラーのメディカル・レポート」が保管されている。これはアメリカ陸軍ヨーロッパ司令部情報部によって作成されたもので、1972年になってようやく極秘取り扱い解除されたものである。
それによると精神面に関するデータは次の通り。
【A】.時間、場所、人間に関しての認識 = <優>
【B】.過去、現在における出来事についての記憶力 = <優>
【C】.数字、統計、名前などの記憶カ = <優>
【D】.ヒトラーのバックグラウンドは大学教育の欠如というハンデがあったが、
それを彼は読書を通して得た莫大な知識で十分に補った。
【E】.時間や空間についての判断力 = <優>
【F】.まわりの環境に対する反応 = <ノーマル>
【G】.気分が変わり易いところもあるが、平均して協調性があり、集中力は抜群。
【H】.感情的には変化し易い。好き嫌いがはげしい。
【 I 】.思考構造は一定の継続がある。話し方は早くなく遅くもない。
常につじつまの合う話をする。
【J】.ヒステリー性はなし、健忘症なし。
【K】.妄想や恐怖性なし。
【L】.幻覚、幻想、偏執狂的徴候はなし。
以下、参考までに、戦後のニュルンベルク裁判の法廷で、ナチ要人が語ったヒトラー像を挙げておたい。
この3人とも誇り高きドイツ貴族出身の軍人であり、貧民街から登場したチョビひげの政治家に、最初から心服していたわけではなかった。しかしヒトラーは、そんな人物まで相手の専門分野の知識で圧倒し、やがてはその人格的影響下に置いてしまったようである。
◆ドイツ海軍最高司令官カール・デーニッツ大将は語る。
「ヒトラーは異常な知性と行動力を持ち、まさに普遍的といってよい教養と力を放射する性格をそなえ、恐るべき暗示力をもった人物だった。私は総統本部に出入りしないほうが、自分の力を温存できるような気持ちがしたので、たまにしか足を運ばなかった。それに何日も総統大本営に滞在したあとは、ヒトラーの暗示力を洗い落とさなければならないという感じがした。」
◆ヴィルヘルム・カイテル元帥は、ヒトラーの軍事知識に驚嘆している。
「軍事問題についての知識は驚くべきものがあった。ヒトラーは世界の全ての陸海軍の組織、武装、指導部、装備に精通しており、ひとつといえども誤りを指摘することはできなかった。したがって我々は、あの人は天才にちがいないと思ったのだ。軍の単純なありきたりな問題ですら、自分は教えるほうではなくて教わるほうであった。」
◆国防軍最高司令部部長アルフレート・ヨードル大将も語る。
「ヒトラーは並々ならぬ大きさを持った指導者としての人格をそなえていた。誰と何について議論しても彼の知識と知性、雄弁と意志が最後には勝利を占めた。論理と冷静な思考、しばしば来たるべきものを予知するその不思議な能力。彼は決して虚言や大言を弄するだけの男ではなく、巨大な偉人であった。最後には地獄的な巨大さにまでなってしまったが、ともかく1938年までは無条件に偉大な人物だった。」。
また、敵味方を問わず「ドイツ軍最高の軍人」、もしくは「20世紀最高の戦略能力の持ち主」と評されていたドイツ国防軍のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥は、ヒトラーとたびたび衝突して、ヒトラーに批判的だった。が、彼ですら次のように認めている。
「ヒトラーは驚くべき知識と記憶力、技術問題と軍需のあらゆる問題についての創造的な想像力を持ち合わせていた。敵や自国の新兵器の威力、生産量についても信じがたいほどの知識を持っていた。彼が軍需の分野で、その理解力と並外れたエネルギーをもって、多くのものを推進したのは間違いない」。
●以上、世間で一般に流布されているヒトラー像とは違うヒトラーの実体が見えてきた。しかし、ヒトラーが精神的にそれほどおかしな人間でなかったのならば、一体、彼をあそこまで駆り立てたものは何だったのか? 大きな疑問が残ってしまう。
ワーナー・メイザーという高名なヒトラー研究家は次のように言っている。
「ヒトラーの反ユダヤ主義が、いかに展開し継続していったかを概観して説明するのはさほど困難ではない。しかし、なぜヒトラーのような並外れて我意が強く、才能があり、数多くの書物を読み、広い知識を持っている人間が、このような恐るべき迷信(反ユダヤに到る考え)に囚われてしまったのかという問いに答えることは容易ではない。」
ちなみに、ヒトラーの側近であった者たちは、ヒトラーの大きな「欠点」のひとつとして、彼が何を考えていたのか皆目わからなかったという点を挙げている。
「心の奥底を明かさない人間を、どうして『知っている』と言えようか」と、ヒトラーの側近の1人はニュルンベルク裁判でヒトラーについて語っている。さらに、「私は今日になっても、彼が、何を考え、何を知り、何をしようとしていたのかがわからない。それが何であったのかは、私が考えたり想像したりできるだけなのだ」と述べている。
「ヒトラーに友人がいたというのなら、私は間違いなくその1人だろう」。ヒトラーの側近の1人としてきわめて多くの時間を彼と過ごしただけではなく、彼のもっとも興味を引いた分野、建築学における気に入りの仲間であったアルベルト・シュペーアはこう語っている。 建築家出身で、建築好きのヒトラーに気に入られ、1942年2月に軍需大臣に任命された。合理的管理組織改革によって生産性を大幅に向上させ、敗戦の前年の1944年には空襲下にも関わらず最大の兵器生産を達成した。そして、「彼ほど感情をめったに表さない人間はいない。それに、いったん表したとしても、すぐさまそれを覆い隠してしまうのだ」と告白するのである。
●アルベルト・シュペーアはまた、ヒトラーと打ちとけられたと感じられる瞬間についても、副官ルドルフ・ヘスの、「我々はやっぱり幻滅せざるをえなかった。私たちのどちらかが少しでも親しげな調子で話そうものなら、ヒトラーは直ちに厚い壁を造りあげてしまうのだ」、という言葉通りだったと証言している。
●青年時代のヒトラーの唯一の親友だったアウグスト・クビツェクも、次のように語っている。
「アドルフ(ヒトラー)は内向的な性格で、誰にも立ち入らせない精神領域を常に持っていました。彼には理解不能な秘密があり、私にとっても多くの点は謎のままでした。しかし、その秘密のいくつかを解く鍵がありました。それは美への熱狂です。ザンクト・フロリアン修道院のような壮麗な芸術作品の前に立つと、私たちの間のあらゆる障壁が崩れ去るのです。熱狂しているときのアドルフはとても打ち解けやすくなり、私は友情がさらに深まったように感じました」。
●ところで、あのエバ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚)も、日記に次のように記している。
「ヒトラーは時々、異常なほど内気になる。きっと過去の嫌な体験からきているのだろうと思うけど、あの人の内気さは普通じゃない。とくに人前に出ると、内気な自分を悟られまいと必死になっている。私にはそれが手に取るように分かる。トイレに逃げ込みたくなるほどおびえているのかもしれない。どうしてあれほど自制するのだろう? うぶな娘のように振舞うのだろう?」。
●また、彼女は「ヒトラーはとにかく謎めいている。何かを隠そうとしている。そこがとても薄気味悪い」と記している。エバ・ブラウンによれば、1937年冬のある日、ヒトラーは目をギラギラと輝かせながら、「天才と狂人」について、次のような謎めいた話をしたという。
「天才は普通人とは異なる精神領域で生きている。天才はときどき普通人の精神世界に舞い戻る。だが、もし戻れないと、普通人の目には狂人に見えるのだ。ヘルダーリンやネロのように。天才はたいがい限界というものを感じない。危険というものを感じない。私は自分を知っている。シェークスピアが自分を知っていたように。彼の十四行詩を読めば、それが分かる。シェークスピアは2つの領域を行ったり来たりした。穏やかな人物でありながら、それをやってのけた。情熱的な私なら、難なく2つの領域を行き来できる。」
(※
エバ・ブラウンは日記の中で、この時のヒトラーの目はとても薄気味悪く輝いていて、まるで燃えているようだった。本当にこの時のヒトラーの表情には背筋がぞっとしたと記している)。
●ところで、エバ・ブラウンは同じ日記の中で、ヒトラーの意外な一面を書いている。彼女によると、ヒトラーは「美容」に関して、専門家を驚かせるほどの知識を持っていたそうだ。
「水曜の夜。私は本当に感心してしまった。なにしろ、スパルタ気質のあの人が美容師に、どうやったら女は若さと美しさを保てるか、と延々と説いていたのだから。とにかく、美容についての知識の深さにはびっくりした。
この前、私はあの人から化粧クリームをもらった。それが効くのかどうか、私には分からない。でも、あの人からもらった以上、絶対に使い切らなければならない。それにしても、クリームといっしょに渡されたあのメモには本当に目を疑ってしまった。なにしろ、週に二度は仔牛の新鮮な生肉で夜の洗顔パックをすること、週に一度はオリーブオイルの風呂に入ること、もっとも大切な部分はバストとヒップ、と書いてあったのだから。たしかに、あの人は美容の専門家だと思う。達人とさえ呼べる。 〈中略〉
私はこの頃しみじみと思う。あの人の言うことは何でもかんでも正しくなる、と。たまに変に思えたりするけど、結局、それが変じゃなくなる。人々があの人を信じるから、そうなるのだろうとは思うけど、もしあの人が、太陽は地球の周りを回っている、と宣言したら、どうなるだろう。やっぱりドイツ人たちはみなすぐに信じるのだろうか……」 (エバ・ブラウンの日記/1938年1月)
さてこれは余談になるが、かの有名な三島由紀夫は、『わが友ヒットラー』(新潮社)ヒトラーについてこう語っている。
「ずいぶんいろんな人に、『お前はそんなにヒトラーが好きなのか』ときかれたが、ヒトラーの芝居を書いたからとて、ヒトラーが好きになる義理はあるまい。正直のところ、私はヒトラーという人物には怖ろしい興味を感ずるが、好きか嫌いかときかれれば、嫌いと答える他はない。ヒトラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。英雄というものに必須な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒトラーは、20世紀そのもののように暗い。」
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