日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す |
(最新見直し2006.3.20日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
本稿は、今のところ木村氏には告げていないが、いずれ木村愛二氏主宰の「噂の深層」に投稿する予定文として書き上げることにする。サイトアドレスは、「左往来人生学院」( )の「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」( seitoundoko_kantenco.htm)である。 戦後日本左派運動は2005年現在の情況から推して総破産したことは間違いない。「2005.9.11総選挙」は誰の眼にもこのことを明らかにした。この観点を持つことが必要だろう。問題は、その情況を見据え、何を教訓として汲み出すかに有る。今年は戦後65年になる。昔から60年ないしは65年周期説があるので、時代の節目に当たっていることになる。以下、れんだいこが新潮流を生み出すべく提言をしてみたい。 れんだいこの見るところ、戦後日本は、相対的に見れば今なお世界に稀なる冠たる民主主義下にある。その根拠は、左派運動が合法化されており、治安当局者の戦前治安維持法下の如くな異常な取締りまでは行われていないことにある。小ネズミ政権下で戦後民主主義の弁えが一挙に外され、恣意的な強権取締り活動がお見舞いされつつあるが、それでもなお戦後民主主義は生きているとみなすべきだろう。 では、その民主主義下でなぜ、日本左派運動は後退し続けているのだろうか。戦後左派運動は、自由市場下の競争で顧客からの人気を失っていることになるが、それは何故だろうか。れんだいこは、原因が有ると見立てている。その原因を確認し、揚棄させねば日本左派運動の再生はないと思っている。しかるに、今のところ依然として手探りの状態であり、これに関して積極的な発言をしている者は誰も居ないように見える。そこで、れんだいこが例によって出張らざるを得ない。れんだいこが気づいた諸観点を叩き台にして意味ある成果を生み出してもらいたいと思う。これを、出版界へ寄稿したれんだいこの初論文とする。その機会を与えてくださった木村愛二氏主宰の「噂の深層」に感謝する。 2006.2.23日 れんだいこ拝 |
【観点見直しその1、まずは閉塞的著作権論から抜け出せ】 |
日本左派運動の狭隘さは「閉塞的著作権論」に見て取れる。「閉塞的著作権論」とは、現行著作権法の諸規定の弁えを上回る「全域全方面著作権化論」のことを云う。議会政党でこれを最も熱心に旗振りしているのは日共と公明党である。まことに日共と公明党は反発しあっているようで似た体質を見せている。れんだいこは、日本左派運動回春は、「閉塞的著作権論」からの決別をまず最初に為さねばならないと提言することにする。 ここでは日共の著作権論に言及する。彼らは、さすがに党声明を口コミするにも党中央の許可を要すとまでは云わないが、そうとも受け取られかねない規制をあちこちに仕掛けているので、日共関連の著作を口コミすることは容易ではない。例によって姑息ではっきりとは明言しないが、ほぼそのような見解に立っているとみなせる。しかし、そったらバカな左派運動があってたまるか。 彼らは、手前に不都合ないしは気に入らない表現に対しては、筆者、出版社、取扱店、販売店にまで押しかけ、記事削除、出版停止まで求めている。それを手柄さえしている。その癖、しょっちゅう他政党及び政府批判をしている。そったらご都合主義があってたまるか。日共、社民が何の疑いもなくそういうご都合主義な政党著作権を主張している様は狂気でしかない。その狂気を疑わず同様に追随しているその他政党、論者も同じ穴のムジナである。日本左派運動回春は、まずはこの閉塞的著作権論から抜け出すことである。 そもそも、元々に於いて、とりわけ左派運動にあっては、理論とか見解は誰が云ったのか、どの政党が最初に打ち出したのかに値打ちがあるのではない。理論とか見解それ自身に値打ちがある。良いものは共有共認化されていく。良いものを生み出す者は、その認識は俺が生み出したものだ、俺の了解無しには勝手に流布させないなどとは云わない。むしろ広がることそのことを悦ぶ。然る故に、言論と集会と出版の自由往来が求められている訳である。左派運動回春は、この「思惟の法理」を知るところから始め直さねばならない。 思えば、日本左派運動史上極悪の指導を常習してきた日共宮顕ー不破指導部がとりわけ政党著作権を振りかざすのは偶然ではない。我々は、彼らのエセ運動を排するとして、「閉塞的著作権論」からの解放から着手せねばならない。れんだいこは、これを最初の立脚点とすべきであると考える。このスタート台に立たない限り有益な何事も始まらない。左派運動内に「閉塞的著作権論」を蔓延(はびこ)らすことは邪道であり首絞めであることを弁えるべきであろう。これに得心できない者は左派ではなかろうに初手から間違いを起こす左派気取りが後を絶たない。不快極まることである。 「閉塞的著作権論」は、それ自体が悪徳である。なんとならば、人民大衆の知の欲求、練磨に対して立ち塞がるからである。今日ほど理論の再創造と議論の交叉が必要なときは無い。にも拘わらずこれを抑制する「閉塞的著作権論」が何故導入されようとしているのか。悪意無しには為しえない事である。 れんだいこは、次のように考えている。政治、宗教、思想に対する著作権の生硬な適用は、例えてみれば囲碁や将棋に於ける定石の使用規制に等しい。これを使うなら定石の発明者に対する断りと承諾を要するという論に均しい。しかしながら、囲碁や将棋に於いてそのような規制を設けることは囲碁や将棋の存立に関わる自滅行為ではなかろうか。云うところの政党著作権、記事著作権の類の論法は、そういう自滅論法を唱えていることになる。案外このことが知られていない。我々はこの狂信理論を何としようぞ。 以上、「観点見直しその1、まずは閉塞的著作権論から抜け出せ」を「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」の第一テーゼとする。 2006.2.23日、2006.3.20日再編集 れんだいこ拝 |
【観点見直しその2、ネオ・シオニズム批判の視点を持て】 |
次に、「現代世界を牛耳るネオ・シオニズム批判」の目線を保持せねばならない。日本左派運動は、この点でからきし無能を呈しているように思える。その理由は、日本左派運動が依拠したマルクス主義には端から「ネオ・シオニズム批判」がスッポリ抜け落ちていて、それがDNAの如く継承され、為にその後のマルクス主義者は訓詁学的作法しか持たない癖に陥らざるを得ず、現代マルキストも又現代世界を牛耳るネオ・シオニズムに対して全くの無知蒙昧状況にある。ネオ・シオニズムが今日ほど世界統一政府的狂気の世界戦略を露骨に押し出し、世界を席巻しつつあるというのに、呆然と指で顔を覆いその間から眺めているという痴態を見せている。 それだけならまだしも、ネオ・シオニズム派が唱える諸理論とマルクス主義のそれとの相似と差異を見抜けず、マルクス主義の衣装を着けつつその実ネオ・シオニズムの配下運動として下働きするという嬌態が横行している。これは日本のみならず世界の左派運動の有り姿であるように思われるが、一刻も早く決別せねばならない事態のように思われる。 マルクス主義が「ネオ・シオニズム批判」に向わなかった理由についても一言しておかねば賛同をえられないだろうから、簡単に触れておく。それは、マルクスが「ネオ・シオニズム」の今日的隆盛を予見し得ず、それが為に関心の埒外にあったと云うのが主な理由であろう。もう一つは、マルクスは、どうやら「ネオ・シオニズム」の思潮枠の中で持論を形成しており、いわば姉妹関係にあった為に敢えて批判の舌鋒を緩めたのではなかろうかと勘ぐらざるを得ない面がある。いわゆる「ユダヤ人マルクス論」は案外と事の真相を捉えている気がしてならない。 れんだいこは、現代世界を牛耳るネオ・シオニズムに対する闘争の必要を訴える。かく現代世界を牛耳るネオ・シオニズム批判の観点を獲得するや、「共産主義者の宣言」の「すべてこれまでに立ち現れてきた社会の歴史は、階級闘争の歴史である」は次のように書き直さねばならないことになる。「すべてこれまでに立ち現れてきた社会の歴史は、国内的には階級闘争、対外的には侵略戦争との攻防の歴史である。近世以降の侵略戦争は主としてネオ・シオニズムの世界征服運動を背景にしており、これとの抗争こそが喫急課題となっている」。つまり、「マルクス主義的な国内的階級闘争論」ばかりに目を奪われては片手落ちということになる。 「現代世界を牛耳るネオ・シオニズム批判」の観点を受け入れるや否や、左派運動は、国内外の支配者、抑圧者との二正面作戦を展開せねばならないことになる。然るに、従来の左派運動が国内の支配者、抑圧者との闘いに一面化してきたところに限界と歪曲があり、為に真に有能な人民大衆の支持を獲得することができなかったのではなかろうか。この点に付き、戦前の軍部の暴走を批判しつつ戦後の平和憲法秩序の果実を受け入れつつネオ・シオニズムの席巻を警戒し続けてきた人民大衆の見識の方が数等倍賢明だったのではなかろうか。 以上、「観点見直しその2、ネオ・シオニズム批判の視点を持て」を「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」の第二テーゼとする。 2006.2.23日、2006.3.20日再編集 れんだいこ拝 |
【観点見直しその3、「反戦平和運動及びその起点たるホロコースト論」を見直せ】 |
従来のマルクス主義が、「現代世界を牛耳るネオ・シオニズム批判」の目線を欠落させていたこともあって、マルクス主義と「ネオ・シオニズム」の相似と差異の識別が出来なかった。その種の理論の最たるものとして「反戦平和運動及びその起点たるホロコースト論」を挙げねばならない。 戦後の「反戦平和運動及びその論」は「反ファシズム、反ナチズム、ホロコースト糾弾」を原基としているように思われる。れんだいこは、反戦平和運動自体は高く評価し、特に日本の場合唯一の被爆国として、あるいは戦前の治安維持法体制糾弾の視点から反戦平和運動に取り組むことには賛成である。しかし、その論は、「ネオ・シオニズム」に拝跪して、その口車に乗せられて鼓吹するものではないように思われる。 戦前の日本軍部批判も、あくまで日本左派運動の自力更生的観点から為さねばならない。「ネオ・シオニズム的反戦平和理論」は、かっての日独伊枢軸国との闘争勝利の記念的言辞として「反ファシズム、西のホロコースト、東の南京大虐殺事件」という象徴的構図で喧伝している。「ネオ・シオニズム的反戦平和理論」は、勝利者側のプロパガンダに過ぎないから道理的観点からしか批判し得ない。戦前の日本軍部批判は、その帝国主義批判と対ネオ・シオニズム戦争の二面からの考察をなさねばならぬのに、帝国主義批判のみに一面化するから、歴史を学んで役に立つ内在的弁証法的歴史観が生み出せない。本来の反戦平和理論であれば当然に現在の米英ユ同盟下での自衛隊傭兵化に対する批判に通じねばならないのに、「ネオ・シオニズム的反戦平和理論」に汚染されているのでこれを免責するという痴態を罷り通らせてしまうことになる。 一事万事がそういう調子だから、既成の日本左派運動理論は学べば学ぶほどバカになる。そういう仕掛けでの「反戦平和運動及びその起点たるホロコースト論」が跋扈し過ぎている。その種の論を人より熱心に説く者が左派運動家として登場しているが、自慰運動に堕するのも仕方ない。この種の馬鹿者が頻りに変調左派運動を説くので左派の尊厳が毀損され、左派運動そのものが人民大衆の信頼から遠ざけられつつある。その弊害は案外大きいと見るべきだろう。 「反戦平和運動及びその論」は自動的に戦前の大東亜戦争論に及ぶ。ところが残念ながら今に至るまで碌な大東亜戦争論にお目にかかったことがない。右派の大東亜戦争観もエエ加減ではあるが、右派にも諸理論あり、対ネオ・シオニズム戦争の面を見抜く右派理論ありせば、その方が正しく歴史を理解している面もある。しかし、この方面の考察は痩せ細っている。そういう訳で、日本左派運動が為さねばならぬことは、左右両翼の良性観点を摺り合わせ、その中から日本左派運動にとって有益な「反戦平和運動及びその論」を自力で生み出さねばならないのではなかろうか。 以上、「観点見直しその3、「反戦平和運動及びその起点たるホロコースト論」を見直せ」を「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」の第三テーゼとする。 2006.2.23日、2006.5.16日再編集 れんだいこ拝 |
【観点見直しその4、戦後直後の徳球ー伊藤律系日共運動を見直せ】 |
れんだいこは、日本左派運動の功績と限界を学問的に問うことができるのは、それを日共運動を主軸として考察するとならば、戦前の党運動と戦後直後の党を指導した徳球ー伊藤律系の運動までで、その後の「宮廷内政変」で立ち現われた宮顕ー不破ー志位に至るまでの現在の党運動はその変調さを告発し続けていく以外に方法がないと断じている。この観点が共有できる日の近からんことを願っている。だが如何せん、世の評者は徳球ー伊藤律系運動を最も悪し様に説く者ばかりで、これでは議論の共有さえ覚束ない。 意味が分からない者に説明しておく。戦後党運動は、「1950年分裂」から1955年の六全協に向う過程で「宮廷内政変」があったことを正しく認識せねばならない。日共は、戦後当初の徳球指導から六全協での宮顕指導への転換により運動の質が全く変わったのであり、この過程をどう評するかの見識を持たねばならないということである。 この「宮廷内政変」について、左派運動文献の殆どが、徳球対宮顕問題では徳球を痛罵する作法を踏襲している。この構図の上で百人百様の論が出来(しゅったい)し、その後の宮顕指導に対してチマチマした批判を奏でている。れんだいこの見解は逆であり、徳球対宮顕問題では徳球を支持する。この構図の上で「宮廷内政変」を不正と見立て、暴力的に党中央を占拠し以来変態指導に興じてきた宮顕ー不破ー志位運動を見据えている。しかし、この観点に立つ文献は皆無であり、よって既成の左派運動文献を読んでもそのまま受け取るなら有害無益なものにしかならない。読めば読むほどバカになること請け合いである。 これについてもう少し詳しく説明してみる。れんだいこ見識は次の通りである。戦後直後の徳球ー伊藤律系日共運動は真摯な運動であっただけに、功績と限界の両面からの評価に堪え得るものとなっている。宮顕ー不破ー志位運動は当局肝煎りで送り込まれた元々反共の士による運動であることにより、功績と限界の両面からの評価に堪え得ない。両者にはそういう違いがある。にも拘らず、宮顕ー不破ー志位運動を学問的に批判の俎上に乗せている諸賢の労を見てとることができる。それが如何にマジメに営為されていたとしても、れんだいこには出来レース批判以外の何物でもない。 徳球ー伊藤律系日共運動の功績は高く評価されねばならない。徳球ー伊藤律系日共運動は、もしGHQ権力無かりせば、戦後革命を成功させた局面を生んでいた点で高く評価されるべきである。終戦直後の混乱期のこととはいえ、指導の有能性とそれを支える共同性あってこそ到達した局面であったと思われる。それは二度にわたってその機会を生み出していたが、いずれもGHQ権力の強権的介入によって結局は流産させられた。しかしながら、政治運動に責任を持とうとしていた点に於いて、その後の宮顕-不破系日共運動とは鮮やかな対比を為している。 徳球指導に対して主として家父長制批判が為されているが、私物化性という意味では宮顕ー不破ー志位運動に顕著であり、徳球の家父長制はルネサンス気風を併せ持っていたことにより免責される類のものであろう。宮顕ー不破ー志位運動は逆に私物化性とルネサンス気風を封殺しているところに成立していることからして最悪である。こう捉える見識が欲しいところ、実際には、徳球ー伊藤律系日共運動に対しあらん限りの罵声を浴びせる左派理論家とその追従派ばかりである。つまり、これら論者の観点は初手からしてズッコケており、これらズッコケ論者しか居ない左派運動論ばかりが跋扈している。これでは、日本左派運動が首尾よく前進していくことは望むべくもなかろう。 れんだいこは、更に観点を追い込み、宮顕ー不破ー志位運動に対して次のように認識している。賛同いただけるだろうか。宮顕と野坂とは共に戦前党運動よりの名うてのスパイであり、この両者が徳球ー伊藤律系の後釜として党中央に座ったということは、日共が二大スパイ同盟により党中央が占拠されたことを意味する。そういう意味で、以来日共は最悪の党となった。当時の他の系列の者は、それまでの徳球ー伊藤律系日共運動を余りにも強く批判し過ぎたことにより、あるいは余りにも凡庸過ぎていたことにより事態の真相に気づかず、宮顕ー野坂系の党中央潜入に手を貸してしまった。 宮顕ー野坂系の党中央はその後次第に本性を表わし始め、徳球を凌ぐ家父長制、私物化、独裁に傾き始めた。その余りにも理不尽な統制運動に嫌気が差して党内反対派の諸潮流が生まれ、反宮顕ー野坂系運動に乗り出したが、それらは見事に各個撃破されてしまった。それは偏に、宮顕ー野坂系運動の正体を見誤っていたことに起因している。そういう意味で各個撃破されてしまった各派は無能であった。こんなことなら徳球ー伊藤律系日共運動の方がまだしもであった、と気づいた時は遅かった。 新左翼運動にも言及せねばならない。新左翼諸派を一括することは難しいものの妙に一点で共通している。それは、彼らも、宮顕ー野坂系の真の胡散臭さに気づこうとせず、マルクス主義運動の変種的スターリニズム運動とみなした上で批判してきた。つまり、いくら批判しようとも、左派運動の一種として遇してきたことになる。観点のそのひ弱さが、宮顕ー野坂系のエセ日共運動の更なる暴力的浸透を許してしまったのではないのか。こう問う視点が欲しい。 そういう無能さが起因して、宮顕ー野坂系日共運動がその後の左派運動を牛耳り、戦後革命そのものを窒息解体せしめていくことになる。権力基盤を磐石させていくに従い口先が段々と右回りし始め、今や体制修繕運動に堕しており、更に仔細に見れば「ネオ・シオニズム」の下僕として立ち働いている。国内運動的には、政府与党のタカ派と気脈通じ、ハト派掃討に執心するという正体を暴露している。日共運動を批判して生まれた新左翼運動は70年安保闘争をピークに下り坂一辺倒である。それは何が起因しているのだろうか。れんだいこは、理論がまだ甘い、日共運動に代わる真の左派運動理論を獲得し得ていない故ではないかと見立てる。 徳球ー伊藤律系日共運動を宮顕ー野坂-不破系運動よりもなお悪し様に捉える逆さま観点からの決別を為さない限り、徳球ー伊藤律系日共運動の功罪から学び、宮顕ー野坂-不破系運動を異邦人性のものとしてみなす見識を持たない限り、日本左派運動の見直しは出来ない。この点で、旧左翼新左翼共に隘路に陥っている。ここから抜け出さねばならない。ここのところを痛苦に反省せずには日本左派運動の再生は無い。 以上、「観点見直しその4、戦後直後の徳球ー伊藤律系日共運動を見直せ」を「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」の第四テーゼとする。 2006.2.23日 2006.5.16日再編集 れんだいこ拝 |
【観点見直しその5、マルクス主義をも見直せ】 |
日本左派運動の貧困事象に対して情熱の不十分さで説明すべきだろうか。それはきっと間違いで、意欲は充分有ったけれども、その意欲を汲み出すあるいは鍛える観点面で何らかの欠陥があったと看做すべきではなかろうか。れんだいこには漸くそれが見えてきた。以下、それを率先的に語り試論として提供する。 戦後日本左派運動は、マルクス主義により興りマルクス主義により潰れた。我々はこう合点すべきではなかろうか。戦後日本に導入された民主主義は憲法然りで相対的に世界一の内実を持っていた筈である。戦後左派運動は世界一恵まれた環境下で敗北したということに対し責任を噛み締めるべきではなかろうか。そうする為には日本にマルクス主義が導入された明治のその時期にまで戻って一連の運動史を検証せねばならない。 れんだいこが今思うのに、我々の先々代は、マルクス主義に安易に被れる必要は無かった。歴史的伝統的に培われてきていた百姓一揆、町衆打ち壊しの理論と実践を勝れたものとして認め、これを学び咀嚼した上でマルクス主義の成果を取り込むべきであった。実際には、我々の先々代は、百姓一揆、町衆打ち壊しの実績と経験の伝統をかなぐり捨て、これを無化した上で当時の文明開化の流れで洋物捜しに向かい、その延長上にあった最新最先端流行思想としてマルクス主義を見初め導入した。その挙句、マルクス主義一辺倒になってしまったのではないのか。 れんだいこが今思うのにそれは愚かなことだった。マルクス主義の受容態度にも問題があった。なぜなら、あたかも聖書以来の真理の御言葉かのようにして信仰的に受け入れたからであった。もう一つ、その延長上になるが、その真理の御言葉を発する指導者に拝跪し、そういう組織構造が党中央に絶対権限を与える事になり、党員は奴隷の運動を繰り広げるようになったからである。 為に、マルクス主義を学ぶことにより却って理論も実践ものっぺらぼうなものとなってしまった。小難しく語るが、それは内容の空疎さを隠すイチジクの葉でしかない。本質的にのっぺらぼう故に、指導者の資質が格別重要となった。しかし、歴史の一般法則の示すところ権力側であれ反権力側であれ、組織が英邁な指導者に導かれるのは稀で、通常は単に権力闘争に勝ち上がっただけの凡俗指導者に導かれることの方が多い。 日本左派運動史はこの法理に漏れず凡俗指導者に導かれ続けてきた。たまに英明な指導者が現われたが袋叩きにされてしまった。故に、時の政権批判運動でお茶を濁すだけのその先の政治責任を持たぬ故の何ら現実的な勢いを持たないままの左派運動に堕してしまい、それを長年続けることにより今日このテイタラクな現実を迎えるに至った。 それは、幕末の百姓一揆、町衆打ち壊しのかくしゃくたる歴史に照らしあわすと恐ろしいほど貧弱な大衆運動にしてしまったことを意味する。百姓一揆、町衆打ち壊しにはもっと智恵と胆力とひたむきさがあった。その頃、騒動が終息した時点で最終的には指導者が人身御供に捧げられるのが通例であった。そのことを踏まえた命がけの連帯責任というものが内部形成され、指導者は義民として祀られ、その家族は村落共同体の中で守られた。そういう運動の仕掛け故に、その多くの闘争が勝利し、勝利しない場合も次の決起への経験の蓄積となり、それが次第に大きなうねりに向かっていくことになった。幕末期の百姓一揆史はそのことを物語っている。 それに比べれば、日本マルクス主義運動史の方が恐ろしいほどのっぺらぼうなことに気づかされる。その因業が積み重なって、今我々は、それらしい運動を何も組織し得ない。にも拘わらず分裂と抗争だけは一人前にしている。そのお陰で政府当局者つまり権力はしたい放題している。れんだいこは、体制派がこれほど自在に政治出来る時代を知らない。 不思議なもので、反体制派が何の運動も組織できないものだから、止むを得ずかどうか体制派内が二分三分し抗争し合う時代を迎えている。今、我々は、それを指をくわえて眺める手立てしかもちえていない。それはあまりにも馬鹿げている。 2006.2.23日 2006.5.16日再編集 れんだいこ拝 |
【観点見直しその7、在地型左派運動を目指せ】 |
日本左派運動逼塞の一番の要因に挙げられるものは何か、れんだいこはそれを抽出してみたい。察するところ、戦前も含めてだが戦後日本左派運動には情熱はあったが責任が無い。つまり、運動に責任を持たない取らないという無責任作法というものが見て取れる。無責任がはびこるところには、生活が賭かる者は近寄れない。そういう訳で、せいぜい批判と正義の弁明に長けた者だけの少数者のインテリ運動に終始せざるを得ない。 しかも、この少数者のインテリ運動には明らかな欠陥瑕疵が認められる。彼らは、マルクス主義の国際主義を理想的理念として受け止めるのではなく、運動の当為にしてしまっていた。故に、愛民族心、愛国心を排斥する運動こそマルクス主義としてこの課題考察、責任から逃避してしまった。 しかし、愛民族心、愛国心を失う運動は、世界史の歩みを踏まえるとあまりにも無謀な稚児的なものにならざるを得ない。近代国家の形成と歩みを通覧する時、愛民族心、愛国心を持つことは国際主義へ至る一里塚三里塚であってもその逆ではない。これを仮に「国家、民族百年の計」と云うならば、日本左派運動に胚胎した「国家、民族百年の計無き無責任」さこそ、人民大衆を遠ざけている最大の要因ではなかろうか。素より初期の運動圏では、当面の生活権益を賭けて結集する。しかし、当面の生活権益はいずれ将来の生活権益問題に繋がる。その時、「国家、民族百年の計無き運動」について行けるであろうか。ついて行かない方の感性、知力の方が正しいのではなかろうか。 「国家、民族百年の計」を喪失した地平で運動を起こすということが如何に馬鹿げているか。これを問う者が少ない。代わりに目にするのは右翼の「国家、民族百年の計」ばかりである。それは、左翼がこの問題から逃げ、その代わりに国際主義を奏でる相乗効果で一定の支持を持つことになる。にも拘わらず、左翼側はこの問題を見つめようとしない。相変わらずの国際主義論をぶつだけの感性、知力しかない。とはいえ、左翼が国際主義論を具体的に真面目に論じたものはない。かってコミンテルン、コミンフォルム運動が有った時代にそのバスへの乗り方を論じたぐらいのものである。新左翼第二次ブント系の発想の中に国際的革命根拠地論が唱えられたことがあるが、その際に多少議論が為されたぐらいのものである。 してみれば、日本左派運動は、根無し草のままで何の精査もされていない国際主義を念仏の如く唱えるきりで、「国家、民族百年の計」を失念したままの運動を戦前から今日まで百年以上も運動していることになる。我々は、それは虚妄な蜃気楼運動でしかないことを確認すべきではなかろうか。望まれていることは、左派運動が運動圏内外に責任を持つ作法の確立であり、当然、右翼的なあるいは体制的な「国家、民族百年の計」に対する左派的なそれを対置し、議論と運動の競り合いを目指していくべきだったのではなかろうか。 宮顕ー野坂ー不破系党中央の日共運動が一定の支持を受けたのは実に、左派運動内で公然と愛民族心、愛国心を掲げたことにあったと思われる。もう一つソ中の大国主義と対等に渡り合う自主運動で対峙したことにあるように思われる。多くの論者は、宮顕ー野坂ー不破系党中央の愛民族心、愛国心、自主運動をも批判してきたが、れんだいこはこれに同調しない。むしろ、この面での宮顕ー野坂ー不破系党中央の日共運動を功績と評する。 但し、胡散臭い連中による愛民族心、愛国心、自主運動はやはり胡散臭いものとなる。宮顕ー野坂ー不破系党中央の日共運動の愛民族心、愛国心、自主運動自体は悪くは無いが、その内実は体制内化運動であり、体制への恭順を説くものになりきっている。あるいは北方領土理論に見られる如く右翼も真っ青な体制自衛隊的論理にまで行き着いている。このことを批判すべきではなかろうか。 宮顕ー野坂ー不破系党中央の日共運動を批判するのに、一から十まで彼らの土俵に乗らず外在的に批判するには及ばない。時には、彼らの土俵に乗って、その内実批判でも闘うべきである。「愛民族心、愛国心、自主運動」論は、その格好教材であるように思われる。れんだいこは、まずこの点を指摘しておきたい。 これを別の角度から論じてみる。イデオロギー問題を抜きにすれば次のように云えるのではなかろうか。人はまず己を愛し、家族を愛し、職場を愛し、仕事を愛し、地域を愛し、祖国を愛する。これらは皆数珠繋ぎになっており、このどこかを否定する者は全体の否定に繋がる。問題は、この連鎖が切れるときがある。例えば、職場を愛せない、仕事を愛せない場合がある。しかしこの場合も、愛せるように職場を改造し、仕事を改善していくべきであるということを示唆しており、職場を愛すること、仕事を愛すること自体を否定している訳ではない。むしろ、そういう諸々を愛する精神が有る故に改造権、改善権、抵抗権、革命権を保持しているというべきではなかろうか。 単純なことだが、どうもこの辺りからして左派の見識にはどこかが欠格しているように見受けられる。地に足が着いていない変った見方を好むところが有るように思われる。我々は偏狭な理屈から入るのではなく、生活から入らねばならないのではなかろうか。本来のマルクス主義はヘーゲル的な理念知を退けた地平で成り立つ社会観、世界観であり、それを思えば「頭で起つマルクス主義」は有得ないのにそういうマルクス主義がはびこっており、故に受容されない。この方面で僅かに成功したものがあるとすればエスペラントぐらいのものであろう。そういうエスペラント運動が何故に根付かなかったのか。 最後に、薄っぺらな国際主義の危険性について確認しておきたい。れんだいこは、国際主義を否定しようとしているのではない。それは、それぞれが「愛民族主義、愛国主義」をしっかりと確立した上でのその先に待ち受けている理念であり、「愛民族主義、愛国主義」を踏まえない、むしろそれを排斥した上に成り立つ国際主義は危険と指摘している。 このことは語学学習も然りである。自然に滅びるものは淘汰に任せればよい。しかし、長年の歴史的文化的伝統となっている言語については、これをしっかり学んだ上での外国語学習が望ましく、案外この方が外国語学習の上達を生み出すのではなかろうか。日常会話はそれとして即効的に学ばせれば良いが、それより先は母国語の鍛錬と比例しているのではなかろうか。 れんだいこが、なぜ、薄っぺらな国際主義の危険性について指摘するのか。それは、近現代史を彩るネオ・シオニズムを見つめるからである。彼らは、考えようによれば数千年来の国際主義を鼓吹しており、しかもユダヤ人を神から選ばれた特別の民として、その他民族を畜生ゴイムとして、その支配秩序に従う国際主義に基づくワン・ワールドを夢想している。近代史に於けるシオニズムの再勃興、戦後のイスラエル建国、その後の米英ユ同盟による世界政府及び世界権力の創出運動は、そのゴイム観故に絶対に認めるわけにはいかない危険なものとなっている。 マルクス主義が、彼らの国際主義との識別なしに、彼らの国際主義の枠内で国際主義を掲げている歴史が認められる。戦後の反戦平和運動の論理と実践は殆どその枠から抜け出ていない。故に、いくら国際主義を良しとして実践しても、究極ネオ・シオニズム的国際主義に資するばかりのそれでしかない。その限界を突破する国際主義ならよかろうが、根無し草国際主義ではどうにもならない。つまり、話は始めに戻らざるを得ないのである。 以上、「観点見直しその5、マルクス主義をも見直せ」を「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」の第五テーゼとする。 2005.7.2日 れんだいこ拝 |
【観点見直しその7、国有化理論を排し、社会主義的市場主義論を創造せよ】 |
俗流マルクス主義運動の最大の間違いは、国有化理論を拝戴したことにあるように思われる。国有化理論が教条化された経緯が不明であるが、「共産主義者の宣言」にはそのような記述は無い。私有財産制に対する揚棄運動を目指すのがマルクス主義的共産主義運動であるとは書いているが、当面の革命的諸施策では、基幹産業の国営化による官民棲み分け的青写真を展望している。殊更性急に国営化、自由市場の廃止による配給制にすべしとは指針させていない。 このことが確認されていたなら、ロシア10月革命政権の試行錯誤がもう少しは賢明に進展したのではなかろうか。スターリニズムなぞ出る幕はなかったと推定できる。ソ連邦の解体による顛末によりこのことが見えてきたように思われる。現代マルクス主義は、史的経験を踏まえて社会主義的市場主義論の創造に向わねばならない。日共不破は、これを為さぬまま現下中共政権の資本主義逆戻りの民営化路線を評する痴態を見せているが、それを批判する者がいない。 以上、「観点見直しその6、国有化理論を排し、社会主義的市場主義論を創造せよ」を「日本左派運動考その二、観点見直しに向けてもの申す」の第六テーゼとする。 2005.3.20日 れんだいこ拝 |
【観点見直しその8、戦後日本のプレ社会主義秩序考】 |
【観点見直しその9、戦後日本のハト派対タカ派の抗争考】 |
【観点見直しその10、政治と宗教考】 |
【観点見直しその11、マルクス主義とルネサンス考、プロレタリア独裁理論を排せよ】 |
【観点見直しその12、統一戦線論ではなく共同戦線論へシフトせよ】 |
(私論.私見)