鈴木宗男議員のその後の裁判闘争考

 (最新見直し2010.09.14日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 れんだいこはまだ佐藤優・氏の「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、2005.3.26日初版)を読んでいない。そのうち読もうと思うが、とりあえずネット情報から取り出せたもので検証する。れんだいこが興味を覚えるのは、「国策捜査」の言葉である。何を隠そう、ロッキード事件こそ「国策捜査」の第一号ではなかったか。あれこれ思えば、「国策捜査」というよりも「当局奥の院指令捜査」と命名するほうがより的確だと思う。「国策捜査」とは、それをぼかした命名であろう。

 佐藤氏がせっかく暴露した「国策捜査」を、例によってくだらなさ過ぎる論評によって値打ちが掻き消されようとしている。それは許さずとして、れんだいこが以下検証する。

 2005.6.18日 れんだいこ拝


Re:れんだいこのカンテラ時評その57 れんだいこ 2005/06/19
 【「国策捜査」考 】

 今日、ロッキード事件考サイトの中に「国策捜査考」(kakuei/rokiido_kokusakutaihoco.htm)
を書き加えた。これは重要な指摘であるが、どうもそれを感知する力が足りないのだろう、早くも情報洪水の中で風化しつつある。もう一度、この貴重暴露を押し戻して俎上に乗せる。

 佐藤氏は、自らの体験をもって検察の最近の政治主義化の異常を告発しているのではなかろうか。多少ソフトに書きぶりしているが、それは処世法上そうしているのであって、本来は怒り心頭に発した権力腐敗暴露なのではなかろうか。

 それを忖度せず、ソフトにしている面を生真面目に受取り、この方面に意味有るかのごとくああでもないこうでもないと解釈していくのは如何なものだろうか。れんだいこには馬鹿げているように思える。

 とはいえ、佐藤氏は、あまりにも穏和に書き過ぎているように思える。異例の長期拘留に対して怒りをぶつけず、自ら好んで体制側の懐に再び舞い戻ろうとしているように思える。自分に仕掛けられた仕打ちに対して、何とか善意に解釈しようとしているように見える。

 れんだいこの臭いとして、日共内新日和見主義事件の被査問者の心理と似通っているような気がする。あの時も、査問された側は、査問した党中央の意図を勝手に善意に憶測し、怒りを向けるよりは理解しようと務めたことが体験報告されている。こういう処世法は日本人特有なのではなかろうか。

 普通には、佐藤氏は、自分が生体験した「国策捜査」の背景を探り、それが小泉官邸の指令であるなら断乎として告発して闘うべきだろう。あまたの評論氏は何とかしてここへ向わせないような駄文を書き連ねているように見える。佐藤氏は、その第一号としてのロッキード事件にまで思いを及ぼし、田中角栄の悲哀を知るべきだろう。そして、その振幅が次第に乱脈になっていることを乱打して知らすべきだろう。

 残念ながら、佐藤氏にはそういう姿勢が見えない。相変わらず田中真紀子批判を外務省高官と同じレベルで蒸し返していることでそれが分かる。真紀子と角栄とは違うとはいえ、このセンテンスでは同じだろう。本来なら憎き親米英ユ派の野上外務次官との意思疎通振りをも得々と披瀝している。

 つまり、真に闘う相手が見えておらず、未だ自己が対自化できていない、そう思うのはれんだいこだけだろうか。それはともかく貴重な告発であることには相違ない。

 2005.6.18日 れんだいこ拝

【佐藤外務官逮捕に纏わる背景考】
 ロッキード事件に於ける角栄逮捕が如何に「国策逮捕」であったか、思わぬところから明るみになってきた。衆議院議員・鈴木宗男の懐刀として知られてきた「外務省のラスプーチン」の異名を持つ元外務省国際情報局主任分析官・佐藤優・氏が、「鈴木宗男逮捕事件」に連座して逮捕され、一審で懲役2年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受け、その間「逮捕以来、一貫して容疑を否認」し続けた。

 佐藤氏は、一年半有余に及ぶ異例の長期拘留を経て、執行猶予付きで出獄するまでの獄中エピソードを認めた「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」(新潮社、2005.3.26日初版)を出版し、その中で「国策逮捕」の実態を明らかにした。

 本題に入る前に佐藤優・氏の概要履歴を見ておく。次の通り。
 外務省元主任分析官で、ロシア情報収集・分析の第一人者エキスパート。外務省での公的地位はノンキャリアの官僚でありながら、ロシアの権力中枢に深い人脈を築き、副首相や外相といった外交儀礼上はありえない高い地位にあるロシアの要人とサシでつきあうことのできる数少ない異能外交官として活躍した。1991年のソ連ク−デタ−時や2001年の貿易センターへのテロの際に情報をいち早く手にして国益に貢献した。対ロ外交に意欲を燃やしていた鈴木宗男元官房副長官に重用されていたが、鈴木逮捕に伴い連座した。

 1960(昭和35)年、埼玉県生まれ。1985年、同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英日本大使館、在ロ日本大使館に勤務した後、1995年から外務省国際情報局分析第一課に勤務する。外交官として勤務するかたわら、モスクワ国立大哲学部客員講師なども務めた。

 佐藤氏は、ロシアのユダヤ人コミュニティに多くの情報源をもつ日本の「諜報員」的活動を得手として来た。イスラエルのエリート養成大学である テルアビブ大学のゴロデツキー教授という人とのパイプも深い。

 1990年代、外務省欧亜局長・東郷和彦氏(元ロシア課長、オランダ大使で現在亡命中)や篠田研次氏(元ロシア課長、現欧州局審議官)の指揮下で、北方領土交渉で活躍した。和田春樹著「北方領土問題」(朝日新聞社、1999年)の指摘に影響されつつ、それまでの4島一括返還から2島先行返還残り2島は継続協議などのアイディアを生み出していったことで知られている。

 2002.5月、東京地検特捜部に背任容疑で、同7月、偽計業務妨害容疑で逮捕される。背任容疑とは、国際機関である旧ソ連支援委員会から不正に支出をさせ、2000.1月にイスラエルの学者を日本に招待し、同年4月に日本の学者をテルアビブでの国際会議「東と西のロシア」へ派遣したことが「背任」にあたるというもの(「同書」122頁)。

 もう一つは「偽計業務妨害」。2000.3月におこなわれた国後島におけるディーゼル発電機供与事業の入札で三井物産に違法な便宜をはかり支援委員会の業務を妨害したというのが検察の論理である(「同書」123頁)。

 逮捕以来、一貫して容疑を否認。**.2月、東京地裁で懲役2年6カ月執行猶予4年の判決を受け、即日控訴した。同3月、「国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて」を上梓した。

 かくして、異能外交官がいずれにしてもケッタイナ容疑で逮捕されたことになる。「国策捜査」の被害者第一号田中角栄も外為法違反というケッタイナ容疑で逮捕されている。「佐藤外交官逮捕問題」の史的意義は、このケッタイナ容疑に基づく逮捕を明確に「国策捜査」と断定したことに有る。それも、取調べ検事自身の口からその言葉が漏らされたところにある。

 そのことが「国家の罠」に克明に記されている。同書は、2002.5月の逮捕から、東京地検特捜部の検事による取調べ、512日間に及ぶ拘置生活、対ロシア外交の内幕、田中真紀子元外相と外務省の暗闘、外務省内の派閥などを明るみにしている。ノンフィクションとしては異例の7万部を超えるベストセラーとなっており、徐々に波紋が広がりつつある。

 もっとも、れんだいこは、佐藤氏と政治的立場と観点が違う。特に次のくだりになると苛立ちさえ覚える。
 「首相の意欲、戦略的視点はいい。問題は外務省のサポートができているか。真紀子外相の出現以降、外務省はおかしくなった。ウソをついたり、悪口を言ったり、怪文書をまくようになってモラルが下がった。これではいい外交はできない」。

 佐藤が師事した鈴木が真紀子外相追い落としに活躍したのは衆知のところである。それ故にか、「真紀子外相の出現以降、外務省はおかしくなった」などと述べている。ならば、真紀子外相の出現以前は外務省は健全であったのかということになろう。そんな与太話を信ずるものは居ないだろうに。

 
次のような内幕話も暴露している。田中真紀子外相が佐藤氏の異動を求めていたとのことで、その時の野上外務事務次官と佐藤氏の会話を漏洩している。
野上  「いや、俺たち外務省員のプライドが大切なのだ。田中大臣なんかに負けられない」。
佐藤  「その点について私は意見が違います。プライドは人の眼を曇らせます。基準は国益です」」(p99)

 この会話の重要性は、野上氏が外務事務次官という立場に有りながら公然と外相に楯突いていることにある。佐藤氏は何気なく漏らしているのだろうが、野上の過剰なまでの親シオニズム的立場を踏まえると、政治性を帯びてくる。

 佐藤氏は、2002.5月、東京地検特捜部に背任容疑で逮捕されるや、突如「二元外交」の非難を浴び、政府提灯を得手とするマスコミから一斉に「ロシア外交を私物化した」として批判され始めた。それまで、佐藤氏は、日ロ外交のエキスパートして高い評価を得ていた外交官であったが、小泉政権になって、田中真紀子対鈴木宗男抗争を経て、田中外相罷免後、相打ちとして鈴木逮捕へと至り、最終的に佐藤氏も逮捕されていく。

 佐藤氏は、
「ロシア外交を私物化した」批判に対して、次のように抗弁している。
 「二〇〇二年に国会で私が鈴木氏に同行してロシアや北方四島に十九回出張したことが鈴木氏と私の不適切な関係として取り上げられたが、これらはいずれも欧亜局からの依頼に基づき、正式の決済を経て行ったことである」(p174)。

 佐藤氏は、「「偽計業務妨害」批判に対しても、次のように抗弁している。

 「私が北海道開発庁長官室で鈴木氏にロシア内政動向について説明しているときに西村(欧亜)局長が訪れ『御多忙中のところ恐縮ですが、国後島、択捉島に鈴木大臣が現職閣僚としてはじめて訪問される機会に、JICAの専門家を連れて、電力調査に行っていただけないでしょうか』と頼みこんだ。鈴木氏は私に向かって『あんたも現地を見てみないか』と言うので、私は『是非見てみたいと思います。ただこれはうちの局(国際情報局)の話ではないので、私が決めることのできる話ではありません』と述べると、西村局長が私を遮り、『佐藤も同行させます』と答えた。こうして私は欧亜局長の要請に基づいて北方四島に出張することになった」(p174)。

 つまり、逮捕された後の佐藤氏に対する政府マスコミ一体となった批判はどれも根拠が無い冤罪であると抗弁していることになる。
 
 佐藤氏は、「日本外交の三極」について、次のような興味深い指摘もしている。

 概要「外務省内には、親米主義派とチャイナ・スクールとロシアン・スクールの三派の派閥が有り、暗闘している。私の逮捕は、理由ははっきりとしないが、ロシアン・スクール派への不当逮捕である」。

【「国策捜査」の遣り取り考】
 佐藤氏が明らかにした西村尚芳東京地検特捜部検事と佐藤氏の遣り取りは次の通りである。佐藤氏は、第5章、「『時代のけじめ』としての『国策捜査』」の冒頭でこう書いている。

 「私は2002年6月4日に背任で起訴され、同年7月3日に国後島ディーゼル発電機供与事業をめぐる偽計業務妨害で再逮捕されることになる。この間、まる1ヵ月間は、西村検事の取調べに応じるとともにこの機会を利用して『国策捜査』の本質を知る努力をした」 。

 佐藤氏と西村検事の国策捜査に関する主な会話を列記する。「国策捜査」という言葉は、西村検事が発した言葉(フレーズ)であると云う。次のような遣り取りの中で使われている。なお、この遣り取りはメモをとっておらず(恐らく許されなかったのだろう)、鈴木氏が必死で頭脳に記憶したものを懸命に再現したということである。

 逮捕後すぐの取り調べでの西村検事と佐藤氏の会話は次の通りである。

西村検事  「あなたは頭のいい人だ。必要なことだけを述べている。嘘はつかないというやり方だ。今の段階はそれでもいいでしょう。しかし、こっちは組織なんだよ。あなたは組織相手に勝てると思っているんじゃないだろうか」。
佐藤  「勝てるとなんか思ってないよ。どうせ結論は決まっているんだ」
西村検事  「そこまでわかっているんじゃないか。君は。だってこれは『国策捜査』なんだから」(p218)

 ズバリ、検事の口から「これは『国策捜査』である」との言葉が為されている。ます、ここを踏まえておきたい。思うに、この遣り取りが成立した背景には、同じ官僚の同格同士という事情が作用しているのではなかろうか。佐藤氏は卑屈でなく、いわばサシで話しており、故に検事の本音が引き出されたということではなかろうか。

 更に、次のような遣り取りが交わされている。
西村検事  「これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです」。
佐藤  「見事僕はそれに当たってしまったわけだ」 。
西村検事  「そういうことだ。運が悪かったとしかいえない」 。
佐藤  「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行われてきた、否、それよりも評価、奨励されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」 。
西村検事  「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下がってくるんだ」 。
佐藤  「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」。
西村検事   「しかし、法律はもともとある。その適用基準が変わってくるんだ。特に政治家に対する国策捜査は近年驚くほどハードルが下がっているんだ。一昔前ならば鈴木さんが貰った数百万円程度なんか誰も問題にしなかった。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下がっていくんだ。今や政治家に対する適用基準の方が一般国民に対してよりも厳しくなっている。時代の変化としかいいようがない」
佐藤  「そうだろうか、あなたたち(検察が)恣意的に適用基準を下げて事件を作り出しているのではないだろうか」。
西村検事  「そうじゃない。実のところ、僕たちは適用基準を決められない。時々の一般国民の基準で適用基準を決めなくては成らない。僕たちは、法律専門家であっても、感覚は一般国民の正義と同じで、その基準で事件に対処しなくてはならない。外務省の人たちと話していて感じるのは、外務省の人たちの基準が一般国民から乖離しすぎているということだ。機密費で競走馬を買うという事件もそうだし、鈴木さんとあなたの関係についても、一般国民の感覚からは大きくズレている。それを断罪するのが僕たちの仕事なんだ」 (p288)。

 この下りも重要である。ロッキード事件で第一号の「国策捜査」が為されて以来、意訳概要「次第に基準が緩み始め、今ではハードルが下がり放しで、ますます恣意的になりつつある」と本音を晒している。こうなると、時の権力を握った者が政敵追放の為に乱用する怖れ無しとしない。このことを、「今の東京地検特捜部は、時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、断罪する」という風に述べている。つまり、検事自身が、「検察が政治検察に変貌している」ことを認めていることになる。

 鈴木氏は、「私はこのフレーズが気に入った」と記している。れんだいこは、「国策捜査」という名付けも意味有ることとは思うが、より実体に即して命名するならば「当局奥の院指令捜査」の方がより的確だと思う。

 鈴木宗男衆議院の逮捕、長期投獄を廻って、次の遣り取りが為されている。
西村検事  「賄賂だって、汚いのとそうじゃないのがある。鈴木さんの場合はそうじゃない方だ。潰れかけているかわいそうな会社を助けたわけで、道義的には恥ずかしい話じやない。しかし、賄賂は賄賂だ。その点は法適用のハードルが低くなってきたんだから、諦めてもらわなくてはならない」
佐藤  「それは諦めきれないだろうな。それに可罰的違法性の観点からも問題があるじゃないか」。
 (中略)
西村検事  「可罰的違法性については、一般の公務員が10万円現金で賄賂をもらったら、確実にガチャン(手錠をかけられるの意味)なんで、問題ないよ。以前のように政治にカネがかかるという常識を国民が認めなくなったから、『やまりん』でも鈴木さんがやられるようになったんだよ」。
佐藤  「ちょっと表現が違うような気がするな。検察がメディアを煽った効果がでたので、『やまりん』でないところから事件を作ることができるようになったということじゃないかい」。

 つまり、鈴木宗男逮捕もれっきとした国策逮捕であったと公言していることになる。鈴木宗男氏は、一言で言えば、「政治権力をカネに替える腐敗政治家」として断罪された。佐藤氏は、その背景を学問的に縷々説明しているがつまらない。

 ところで、検事曰く「国策捜査ではない」とのことである。次のような遣り取りが記されている。
西村検事  「いや、そんなことはないよ。国策捜査は冤罪じゃない。これというターゲットを見つけ出して、徹底的に揺さぶって、引っかけていくんだ。引っかけていくということは、ないところから作り上げることではない。何か隙があるんだ。そこに僕たちは釣り針をうまく引っかけて、引きずりあげていくんだ」。
佐藤  「ないところから作り上げていくというのに限りなく近いじゃないか」。
西村検事  「そうじゃないよ。冤罪なんか作らない。だいたい国策捜査の対象になる人は、その道の第一人者なんだ。ちょっとした運命の歯車が違ったので塀の中に落ちただけで、歯車がきちんと噛み合っていれば、社会的成功者として賞賛されていたんだ。そういう人たちは、世間一般の基準からするとどこかで無理をしている。だから揺さぶれば必ず何かが出てくる。そこに引っかけていくのが僕たちの仕事なんだ。だから捕まえれば、必ず事件に仕上げる自信はある」。
佐藤  「特捜に逮捕されれば、起訴、有罪もパッケージということか」。
西村検事  「そういうこと。それに万一無罪になっても、こっちは組織の面子を賭けて上にあげる。十年裁判になる。最終的に無罪になっても、被告人が失うものが大きすぎる。国策捜査でつかまる人は頭がいいから、みんなそれを読みとって、呑み込んでしまうんだ」。

 この下りは重要で、ロッキード事件に於ける各被告逮捕の状況にそのまま当てはまる。意訳概要「誰でも叩けば埃が出てくる。それを引っかけて、犯罪に仕上げていく。被告が万一抵抗しても、長期裁判で吊るしあけるので、被告は観念して云うことを聞くようになる」と豪語していることになる。

 西村検事は、官僚が「国策捜査で挙げられた事例」について次のように述べている。
西村検事  「高橋治憲(EIEインターナショナル代表)の事件は覚えているだろう」。
佐藤  「ノーパンしゃぶしゃぶの話だろう」
西村検事  「そう。それまでカネをもらうと賄賂だが、接待に関して問題ないというのが官僚の常識だったじゃないか」
佐藤  「そうだね。しかし、あれで民間とメシを食うことが窮屈になったんで、情報屋の僕らからすると迷惑な話だ」
西村検事  「それは、情報という特殊な世界の人の常識で、一般国民の常識ではない。検察は一般国民の目で判断するんだ。大蔵には行きすぎがあった。接待を賄賂と認定したのは画期的だったが、あのときこっちが追いきれなかった。上まで捜査を十分に伸ばすことができず、結局、田谷(広明・元東京税関長)、中島(義雄・元主計局次長)を取り逃がしてしまったので、大蔵の体質は十分に変化しなかった。それで、その後ちょっとたってから大蔵では榊原(隆・元証券局総務課長補佐)の過剰接待、風俗接待というしょうもない事件が起こったんだ。

 今回のあんたの事件でも東郷を取り逃がしてしまったけれどね。でも、うちが大蔵をあげる事件をしなければ、金融と財政の分離もなければ、大蔵省と財務省の再編もなかったぜ。大蔵省の機能を転換するためにあの国策捜査はひとつの『時代のけじめ』をつけたんだ」 。

 佐藤氏は、「国策捜査」の仕掛けについて分かり易く解説し、西村検事の反応を引き出している。「要するに一旦、国策捜査のターゲットになり、検察に『蟻地獄』を掘られたら、そこに落ちた蟻は助からないのである。だからこのゲームは『あがり』は全て地獄の双六なのである。このような『体験的国策捜査感』を私は率直に西村検事にぶつけてみた」とある。
西村  「君の言う、『あがり』は全て地獄の双六という表現は、とってもいいし、正しいと思うよ。ただし、いつも言っていることだけど、ぼくたち(特捜部)は、冤罪はやらないよ。ハードルを下げて引っかけるんだ。もっとも捕まる方からすると理不尽だと思うだろうけどね」
 「なかなか『悪かった』と謝る気持ちにならないだろうね。強いて言うならば『悪かった。悪かった。運が悪かった』ということだろうな」。
 「アハハハ、そうそう。運が悪い。国策捜査の犠牲になった人に対する礼儀というものがあるんだ」。

 西村検事は、「国策捜査は執行猶予をつけるのが原則」として次のように述べている。


西村検事  「罪をできるだけ軽くすることだ。形だけ責任をとってもらうんだ」。
佐藤  「よくわからない。どういうこと」
西村検事  「被告が実刑になるような事件はよい国策捜査じゃないんだよ。うまく執行猶予をつけなくてはならない。国策捜査は逮捕がいちばん大きなニュースで、初公判はそこそこの大きさで扱われるが、判決は小さい扱いで、少し経てばみんな国策捜査で摘発された人のことは忘れてしまうというのがいい形なんだ。

 国策捜査で捕まる人はみんなたいへんな能力のあるので、今後それを社会で生かしてもらわなければないない。うまい形で再出発できるように配慮するのが特捜検事の腕なんだよ。だからいたずらに実刑判決を追及するのはよくない国策捜査なんだ」 。

 これも貴重な内実暴露である。れんだいこが言い換えれば次のようになる。意訳概要「『国策捜査』は、文字通り『上からの国策』で」理不尽な逮捕をしているのだからして好んでしている訳ではない。よって、被告の政治的威力を殺ぎさえすれば役目達成であり、執行猶予付きで釈放するのが倣い」だと云う。

 
しかし、時に例外がある。次のような遣り取りが交わされている。
佐藤  「それにしては、中村喜四郎(元建設相)、山本譲司(元民主党衆議院議員)、中尾栄一(M元建設相)、村上正邦(元労働相)と国策捜査は実刑ばか続くじゃないか」。
西村検事   「中村喜四郎の場合は、過激派みたいにほんとうに黙秘するものだからこっち(検察)だって『徹底的にやっちまえ』という気持ちになるよ。それ以外については、どうして実刑になったかは、実のところ僕にもよく分からないんだ。むしろ政治家に対して裁判所の姿勢が厳しくなっていることの方に理由があると思う」。

 これも貴重な情報開示である。田中派のプリンスであった中村喜四郎は、「過激派みたいにほんとうに黙秘」したと云う。それに対して、意訳概要「こっち(検察)だって『徹底的にやっちまえ』という気持ちになり、徹底的に痛めつけた」と云う。これを思えば、その尻馬に乗って「中村喜四郎の犯罪」をプロパガンダしたマスコミの責任は重いと云えよう。

 佐藤氏は、次のような遣り取りも記している。2002.5.14日に東京地検に逮捕された佐藤は、東京地検の西村尚芳検事による取り調べがかなり進んだある日、こんなことを言われたという。
佐藤  「この話を事件化すると相当上まで触らなくてはならなくなるので、うち(検察)の上が躊躇しはじめた。昨日、上の人間に呼ばれ、『西村、この話はどこかで森喜朗(前総理)に触らなくてはならないな』と言われた」
西村検事  「西村さん、それは当然だよ、鈴木さんにしたって僕だって、森総理に言われてセルゲイ・イワノフとの会談を準備したんだから」(344P)。

 そして逮捕から3カ月後の8.26日日、捜査は突然終幕を迎える。次のような遣り取りをしている。
佐藤  「唐突な終わりだね。いったい何があったの」。西村氏は、捜査が終了した経緯について率直に説明した。この内容について、私は読者に説明することはまだ差し控えなくてはならない。しかし、ひとことだけ言っておきたいのは、西村氏の説明が踏み込んだ内容で説得力に富むことだった。私は西村氏に答えて言った。 「そうすると今回の国策捜査をヤレと指令したところと撃ち方ヤメを指令したところは一緒なのだろうか」。
西村検事  「わからない。ただし、アクセルとブレーキは案外近くにあるような感じがする。今回の国策捜査は異常な熱気で始まったが、その終わり方も尋常じゃなかった。ものすごい力が働いた。初めの力と終わりの力は君が言うように一緒のところにあるかもしれない」。
佐藤  「西村さん、僕にもそんな感じがする。体制内の政治事件だからね。徹底的に追求すると日本の国家システム自体が壊れてしまう」(345〜346P)。

 これも重大な内幕暴露である。れんだいこが解説すれば、意訳概要「官邸辺りからの指示で始まった『国策捜査』が、再び官邸辺りからの指示で突如捜査打ち切りになった」ということになる。或る評者は、「森喜朗前首相に累が及ぶのを恐れ、小泉本人かその周辺がブレーキも踏んだということなのだろう」と推理しているが詰まらない。これでは、森元首相が悪役になるではないか。なぜズバリ小泉首相の采配疑惑に向わないのだろう、向わせようとしないのだろう。

【「国家の罠」総評】
 佐藤氏著「国家の罠」は、現職の東京地検特捜部の検事をして「国策捜査」につい語らしめた経緯と内容を明らかにしている。これにより、「検察の厳正、公平、不偏不党の伝統は崩壊」し、ロッキード事件以降ますます迷走しつつある政治検察の実態が確認される。

 佐藤氏は、「国策逮捕」に関与したと当然思える首相官邸の指揮について、わざわざらしく次のように記している。

 「分かりません。ただ、自分も国家機関の中で見てきたが、首相官邸が『この捜査をやれ』と指示することは絶対にない。忖度(そんたく)なんです。いまの官邸は何を考えているかを検察が忖度するんです。何かをお願いする請託の構造はない」。


 つまり、どうあっても小泉首相を庇いたいらしい。れんだいこに云わせれば、そう書かないと何らかの不都合が有ってのことかも知れない。しかしながら、歴然としたことを隠すには頭も尻も出すぎてらぁ。もっとも、小泉を操る「当局奥の院」こそ真の黒幕では有ろうが。

 2005.6.18日 れんだいこ拝


【最高裁が鈴木宗男議員の上告棄却】
 2010.9.8日、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は7日付で、北海道開発局の工事や林野庁の行政処分をめぐる汚職事件で、不正に口利きした見返りに業者から現金計1100万円を受け取ったとして、受託収賄やあっせん収賄など四つの罪に問われた「新党大地」代表の衆院議員・鈴木宗男被告(62)の上告を棄却する決定をした。「」に記す。ここから本文です2010.9.8日、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)は7日付で、北海道開発局の工事や林野庁の行政処分をめぐる汚職事件で、不正に口利きした見返りに業者から現金計1100万円を受け取ったとして、受託収賄やあっせん収賄など四つの罪に問われた「新党大地」代表の衆院議員・鈴木宗男被告(62)の上告を棄却する決定をした。7日付。懲役2年の実刑、追徴金1100万円とした一、二審判決が確定する見通し。鈴木議員は決定文を受け取った日の翌日から3日以内に最高裁に異議を申し立てることができるが、過去の例でこの種の異議が認められたことはない。棄却された時点で刑が確定する。確定すれば、公職選挙法と国会法の規定に基づいて失職し、収監される。懲役刑の執行後10年間は立候補できなくなる。鈴木議員は政治資金規正法違反罪と議院証言法違反罪を含め、一貫して全面無罪を主張していた。。当選8回。昨年9月から衆院外務委員長を務めている。

 2004年の一審東京地裁判決は、すべての事件を有罪と認定した上で、「高度の廉潔性を求められる要職にありながら国民の信頼を裏切った」と非難。「反省は皆無で、虚偽の陳述をしてはばからない被告に刑を猶予するのは相当ではない」として、実刑を言い渡した。二審東京高裁も08年、「行政に不当な影響を及ぼし、社会の信頼を害した」として、一審を支持していた。
 鈴木被告をめぐる一連の事件では、佐藤優外務省元主任分析官(50)ら12人が起訴され、鈴木被告を除く11人の有罪が確定している。判決によると、鈴木被告は北海道開発庁長官、官房副長官だった1997〜98年、林野庁への口利きの見返りなどとして、2社から1100万円のわいろを受領するなどした。

 元女性秘書は検察に逮捕されている間治療受けられず、その後病死している。「ムネオ日記 2009年3月4日」は、次のように記している。

 平成14年7月23日、私の事務所の政治資金担当者である女性秘書が逮捕された。その女性秘書はその年の4月に子宮ガンの手術をし、その後放射線治療を受けていた。それにも関わらず、検察は彼女を逮捕した。20日間勾留されている間、治療は受けられない。検察の意図が私に不利な調書を取ることにあったのは目に見えていた。それでも私は「命が大事だ」と言い、早く20日間で出ることを優先する様にと弁護士に話した。案の定、その女性秘書の調書は検察の思い通りのものであった。公判でその女性秘書は「検察に言わされました」と証言してくれたが、日本の裁判は調書主義で、裁判長は法廷での真実の発言、叫びは採用してくれなかった。残念なことに、その女性秘書はガンが転移、進行し、翌15年9月、亡くなってしまった。亡くなる直前に私は保釈されたが、その女性秘書との面会は禁止という検察側の条件が付いており、お墓での対面となってしまった。その女性秘書を検察は起訴できなかった。最初から起訴できないことを承知で女性を拘束し、私に不利な調書をつくり、自分達の都合の良いシナリオ、ストーリーを描いていくのが検察のやり方である。

 ウィキぺディア「最高裁判所裁判官」によると、最高裁判所裁判官15人の出身分野別人数は、1970年代以降おおむね、裁判官出身6人、弁護士出身4人、検察官出身2人に、行政官・外交官・大学教授出身各1人となっている。

 鈴木衆院議員は、8日夕、東京都内で記者会見した。「私自身わいろをもらったという認識はない。密室の取り調べで作られた調書で誘導された犯罪であることを、最高裁は明らかにして欲しかった」と改めて無罪を主張し、「いかなることがあっても検察権力と闘っていく。与えられた環境のなかで、何が真実で、公正、公平かを発信していきたい。国民の皆さんに対しては、お騒がせしたことをおわびしたい」と述べた。自らが代表を務める新党大地については、「リージョナルパーティー(地域政党)として、エントリーしている者はいるし、志を受け継ぐ者もいる。(歌手の)松山千春さんとも相談して、今後のことをゆっくり考えることになっている」と説明した。鈴木氏は「(娘が)犯罪者の子といわれるのが親としてつらい。娘は私を非常に励ましてくれたので、親として申し訳ない思いだ」と目を潤ませた。

 佐藤優・氏は9.8日付けブログ「なぜ最高裁はこのタイミングで鈴木宗男衆議院議員 の上告を棄却したか?」で次のように述べている。
 (http://news.livedoor.com/article/detail/4996747/)

 最高裁判所は最高政治裁判所でもある。それは、2002年に鈴木宗男追放キャンペーンの中心に立った竹内行夫外務事務次官(当時)が現在、最高裁判所裁判官をつとめている事実からも明白だ。所属する小法廷が異なるなどということは、本質的問題でない。司法試験にも合格していないので、法曹資格ももたず、かつ極めて政治的動きをする人物を行政機関である外務省から受けいれている最高裁判所という組織自体が、「司法権の独立」という名目からかけ離れた組織だということを筆者は指摘しているのだ。

 このタイミングで最高裁判所の司法官僚が鈴木氏の上告棄却を決定したことは、きわめて合理的だ。それには2つの理由がある。

 第1の理由は、9月10日に大阪地方裁判所で行われる村木厚子元厚生労働省局長の裁刑事判で、無罪判決が予想されているからだ。そうなれば特捜検察は正義の味方であるという神話が裁判所によって覆される。当然、世論の特捜検察の取り調べに対する疑念と批判がかつてなく強まる。そうなると、「国策捜査」によって事件が作られたという鈴木氏の主張を完全に無視することができなくなる。

 第2の理由は9月14日の民主党代表選挙で小沢一郎前幹事長が当選すいる可能性があるからだ。最高裁判所の司法官僚にとっては、これも頭痛の種だ。小沢氏は鈴木氏の政治的能力を高く評価している。そもそも鈴木氏を衆議院外務委員長に抜擢したのは小沢氏だ。小沢政権になれば鈴木氏が政府の要職に就くなど、政治的影響力が高まるのは必至だ。そうすれば排除が困難になる。

 この結果にいちばん喜んでいるのは外務官僚だ。鈴木氏が収監されることにより外交機密費(報償費)の不正使用や、外交秘密文書の破棄に対する責任を追及する政治家がいなくなると外務官僚はほっとしている。しかし安心するのはまだ早い。鈴木氏は小沢氏に外務官僚に関するヤバイ情報をすべて引き継いでいるはずだからだ。

 いずれにせよ、今回、最高裁判所が鈴木氏の上告を棄却したことは、普通の国民の目には見えにくいが、「誰が日本国家を支配するか」を巡って、資格試験に合格したエリート官僚と国民によって選ばれた国会議員の間で展開されている熾烈な権力闘争を反映したものだ。

 日共は、9.9日付け赤旗で、「鈴木宗男被告 実刑確定へ 司法の判断当然 市田氏指摘」の見出しで次のようにコメントしている。

 日本共産党の市田忠義書記局長は8日、国会内で記者会見し、受託収賄罪などに問われた衆院議員・鈴木宗男被告が、最高裁上告の棄却によって収監される見通しとなったことについて、「国務大臣の権限と地位を利用して賄(わい)賂(ろ)をもらうのは、国会議員として最も恥ずべき犯罪行為であり、司法の判断は当然だ」と述べました。

 市田氏は、「『政治とカネ』の問題が後を絶たない。国会として賄賂罪の刑をもっと重くするとか、根底に横たわっている企業・団体献金の禁止に踏み切るべきだ」と表明しました。

 さらに民主党の責任についても言及。「鈴木氏については衆院が全会一致で偽証告発を決め、逮捕許諾請求の受諾や議員辞職勧告決議も行っていたのに、民主党は、衆院外務委員長に指名し、永年在職議員の表彰を受けることを推進した。その責任も問われている」と指摘しました。

★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK94 > 484.html  
副島隆彦「現職の鈴木宗男衆議院議員(外交委員長)への不当な最高栽の有罪判決と投獄の政治弾圧に強く抗議する」
http://www.asyura2.com/10/senkyo94/msg/484.html
投稿者 クルテクと森の仲間たち 日時 2010 年 9 月 09 日 11:30:20: Z7xl4Cth248vg

「副島隆彦の学問道場」の「気軽ではなく重たい気持ちで書く掲示板」の2010年9月9日の投稿より。
文末にある副島氏の提起をまず紹介します。

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 私たちは、私たちの優れた指導者である小沢一郎と共に、ついに、彼が、立会演説の場で、はっきりと公言するようになった、「官僚主導から政治主導へ。官僚たちが、こんなにも大きな権力を握っていることをやめさせなければならない」 (9月4日)という 言葉を、真剣に受けとめよう。そして、迫り来る、これからの政治動乱の日々を、良識のある行動を取って、皆で団結して、日本国を守ってゆかなければならない。

 私自身も、すでに警察や、そのほかの国家情報機関に監視されている立場だと自覚している。だから、十分に注意している。 それでも、私たちは、どうしても直接の抗議行動に出なければならない時は、皆でまとまって行動しましょう。みんな、自分の生活で忙しいし、政治行動などする時間とカネの余裕などほとんど無い。それでも、国民の権利としての参政権の一部として、どうしても抗議行動をしなければならない時には、進んで街頭に出ましょう。その準備をいまのうちからすこしずつしなければならないと私は思います。

 国民の敵である 官僚連合の狙(ねら)いは、首相になる小沢一郎に対する ”王殺し( Regicide、 レジサイド)” である。 日本国民の多数が待望する小沢一郎の首相就任を、官僚連合は、自分たちの死命を制する権限と力(ちから)を持つ者の就任だとして、ものすごく嫌がっている。それゆえに、小沢一郎殺しを狙ってくる。 大将を倒せば、あとの一般国民、民衆など、烏合(うごう)の衆だから、蹴散らすことができる、と考えている。 だから、私たちは、小沢一郎が育てた若い政治家たちの中から次の指導者になる、しっかりとした資質と能力を持つ者たちを、今のうちから、皆で、育てて応援しなければならない。 

 小沢一郎ひとりへの過剰な期待 だけでは、敵の思う壺に嵌(はま)った時に、私たちは再起できないほどに打ちのめされる。このあともどうせ長く続けなければ達成することはできない日本民主革命は、 しぶとく息長く、闘い抜かれなければならない。鈴木宗男議員への、今回の、法務省官僚・裁判所の不当な投獄の 政治弾圧の攻撃を、打ち破って、 彼を、小沢首相の権限で、裁判のやり直し(再審)を始めさせ、鈴木宗男を早く釈放させて、大臣の地位につけて、日本国の為に頑張ってもらおう。その道筋を皆で、切り開きましょう。

副島隆彦拝  
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 以下、全文転載。

 「副島隆彦の学問道場」の「気軽ではなく重たい気持ちで書く掲示板」より
 http://www.snsi.jp/bbs/page/1/
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 [79]現職の鈴木宗男衆議院議員(外交委員長)への不当な最高栽の有罪判決と投獄の政治弾圧に強く抗議する。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2010-09-09 08:30:29

 副島隆彦です。 今日は、2010年9月9日です。

 私は、昨日、8日の午後に、鈴木宗男衆議院議員(外交委員長)への、最高裁 (第一小法廷 裁判長 金築誠志=かねつきせいし=) の上告棄却(じょうこくききゃく)の判決による、有罪確定で、すぐに 刑務所に収監(しゅうかん)される、という報道を聞いた。 

 そのあと、自分の目先の仕事に追われて、しばらくこの問題に対応できなかった。皆、自分のことで忙しいから、こういう許しがたい政治弾圧の知らせを受けても、すぐには行動できない。 夜になってから、各所に電話して情報を集めたが、皆、無力感にうちひしがれて、彼の記者会見の様子をテレビで見ながら、私もある種の脱力感に襲われた。 

 判決文といっても、郵便で、ぺらっと、紙切れが、一枚送りつけられるだけである。最高裁判所で、公判(こうはん、公けの場での裁判の審理) さえ、一回も開かれないで、こういうことをする。 こういう、ひどいことを、日本の裁判所は、現に、日本国民にしている。

 しかも、現職の日本国の重要な政治家に対してでさえ、裁判官どもというには、このような、下がら上(あ)がってきた書面審査だけの、非道(ひどう)な取り扱いをする。 

 日本の、法務省官僚 とその手下(てした)でしかない裁判官ども、そして、行政官 (内閣の統制に服す) でありながら、「準司法的な行政職」である検察菅たちが、ここまで腐敗した、汚(きたな)らしい集団であることを、再度、私たちに思い知らさせた。 

 鈴木宗男は、北海道の星であり、北海道民の王様である。彼が本気で、これまでに多くの北海道のための施策を実行してきた。北海道の人たちに、これほど敬愛され、北海道何とか豊かにする切り札である 鈴木宗男議員を、こんなひどい形で、有罪判決を確定させ、刑務所に収監しようとしている。 

 有力な現職の衆議院議員(国民の代表)であることを、重々知りながら、裁判官どもは、こういう無理無体(むりむたい)な判決を下した。 日本国民の代表たちに、どうして裁判所ごときが、このような傲慢極まりない行動に出れるのか。私たちは、国家体制の見直し、作り直しを本気で実行しなければならない。

 このように、国民に敵対して、国民の多数意志を踏みにじる、法律の専門家のふりをした、検察官や、裁判官たちをこそ、逮捕し、裁判に掛けてし処罰し、投獄しなければならない。私たちの代表である国会議員たちが、新しい法律を作って、彼ら、国家暴力団、公設やくざ者たちを正しく成敗すべきだ。そういう立法、法律づくり は可能である。それが、デモクラシー(代議制民主政体)である。、

 日本は、じわじわと官僚たちの いいように扱える国に、彼らの策略で、作り上げられている。 今の日本の、国政の大きな変わり目のきわめて重要な時期に、官僚たちがクーデターを仕掛けてきている。鈴木宗男が、やがて出来る小沢政権で、閣僚(もしかしたら外務大臣)として起用される ことを察知した 官僚たちが、政権(内閣)からの自分たちへの締め付け、統制がかけられることを激しく危惧して、先回りして、こういう暴挙に出た。 

 今日、9日には、小沢一郎が、北海道に行って、代表選挙の立会演説で、鈴木宗男議員と共に壇上に立って、北海道民に直接、訴えかける予定であるという。こういう重要な時期を狙って、わざと最高裁はこのような、司法による 政治弾圧の行動に出た。許しがたい、確信犯の敵対行動である。 

 日本の司法は腐り果てている。司法試験に受かっただけの勉強秀才たちが、「法曹(ほうそう、リーガル・ギルド)」という、奇形化した特権集団を作り、それで、訴訟(裁判)における正義判断権( justice 、ジャスティス) を、自分たちが握りしめ、法律という、本来、社会の正義の基準であるものを、自分たちがどうにでも使える刃物にしてしまって立派な人々に襲いかかる。

 法律を、国民を脅しあげ、反抗する者を切り裂く道具に変えている。 この 恐ろしい 裁判官、検察官、法務省官僚 という 公設暴力団、国家ヤクザ者たちを、なんとかして、日本国民のデモクラシー(代議制民主政体)の力で、押さえつけ、彼らの暴走を食い止めなければならない。彼らの顔ぶれを、急いで、全面的に入れ替えなければならない。 

 私は、20年近く前に、友人の弁護士と共著で、『法律学の正体』、『裁判の秘密』、『裁判のカラクリ』という本たちを書いて出版している。それなりに売れた本であり、今でも手に入ると思う。法律制度 が、どれほど、裁判官、検察官たちによって、いいように扱われ、彼らの毒牙にかかった国民をひどい目に遇(あ)わしているかを、すべて事実として暴き立てた本である。 

 だから、共著者である私の友人弁護士は、今も、最高裁から睨(にら)まれて、ことある度(たび)に、弁護士業界で、「懲戒請求」の不当ないやがらせに遇(あ)っている。

 たとえば、刑事被告人になった者が、「弁護士先生にだけ、本当の事情をお話しします」 と言った内容が、なんと、相手の検察官や、そして裁判官までも知っているという。こういう、およそ近代国家で、有ってはならな職責の自損的な冒涜(ぼうとく)、談合(だんごう)をやっている。彼らは、内部で通報し、通謀し合うのである。 一部、良心的な弁護士たちがいるとしても、彼らは、裁判所への出入りの業者のようであり、いつも裁判官たちにヘコヘコさせられる。良心的な弁護士たちも自分が裁判所に睨まれるのが怖いので、まったく闘おうとしない。 立派そうにしている弁護士たちと言っても、本当は、皆、ブルブル震えるおとなしい羊である。これが日本の裁判所の実情だ。

 そして、今は、法務省の官僚たちの方が、裁判官たちよりも偉くて、裁判官にも2種類いるのである。 「法務省から来た裁判官」 という特権的で威圧的な者たちと、あるいは、たとえば中央大学法学部出程度の、私大出の 下っ端の裁判官たちに分かれる。 この法曹の世界では、私大出は、官僚機構のノンキャリ (これを、一番、分かりやすく言えば、高卒の公務員という意味である。公務員の世界とは、学歴差別 が公然と支配している世界だ ) 扱いと同じだ。

 そしてこの「法務省から来た裁判官」 というのが、私大出を脇(わき)にどかして、、私大出の裁判官が、己れの良心に駆られて、誠実に訴えている者たちの言い分を聞こうとすると、途中からその裁判を横取りして、代わって担当するようなことまでする。 その時には、その裁判の結果は、実にひどいものになる。 

 決まり文句は、刑事事件であれば、「被告人には反省の色が見られない」である。そうやって多くの被告人(刑事事件の場合)と、民事事件の当事者たちが、裁判官たちに、裏切られて、ひどい思いをする。一度でも、裁判所に関わった国民は、二度と、裁判所には近寄りたくないと、思う。

 東大法学部出の、その中でも、生来の残忍な性格をした、人間差別を当然のことと考える、宦官(かんがん)のような者たちは、冤罪(えんざい、無実の罪という意味)を、どんどん作ってゆく。 法務省・裁判所・検察庁という、自分たちの国民支配の居城、体制を守ることが、すべてに優先する。 この文のうしろの方に載せる 今度の 鈴木宗男議員への判決文の、実にいやったらしい、非人間的な書き方が、そのことを示している。

 検察庁の一部である東京地検・特捜部にしても、東大法学部出のエリート検察官と、それよりも数だけは多い下っ端の、中央大学法学部出の検察官たちから成っている。下っ端の私大出の検察官たちの中からでも、上(うえ)の言うことをよくきく、犬(いぬ)の根性の者は、ごく少数だが、検察官上がりなのにたったひとりだけ、最高裁の判事にまでしてもらえる。 他の省庁で、ノンキャリ(高卒)でも、ごく一部を、わざと能力評価で昇進させるのと同じだ。

 今は、「判検交流(はんけんこうりゅう)」と言って、判事(裁判官)と、検事(検察官)を、互いに、どんどん人事交流させている。検察官上がりが、出世して裁判官になっていいことにしている。そのことを奇妙なことだと、彼ら、法曹三者や、法務省が思わなくなっている。 正常な感覚が麻痺している。

 だから、小沢一郎への検察庁、地検特捜による攻撃にしても、裁判官たちまでも意見交流が初めから出来ているのだ。 ちっとも公明正大な世界ではないのだ。これらのことは、すべて法務省の人事異動の一環として行われている。 日本国憲法が定める三権分立 (さんけんぶんりゅう。 法律学の世界では、わざと「ぶんりつ」を、「ぶんりゅう」と読み替える) が、大きく毀損され、打ち壊されている。だから今でも日本には、三権分立は、掛け声だけで、実際には存在しない。

 最高裁の事務総長(じむそうちょう)という役職と、法務省の官僚たちが、裁判所、検察官 という職種を支配している。同じく、検事総長が、法務省事務次官よりも格が上で、2歳年上の65歳までやれる。そして、彼らは、自分たちの方が、「薄汚(うすよご)れた政治家たちよりも優れていて、上位の権力 (法律学では、権限=けんげん=という。権力は、政治学の用語) を実際には持っているのであって、自分たちが最高権力者である」と内心は信じ込んでいる。 

 「この国の法と秩序を守る番人として、自分たちが、よごれた政治家たちを処罰して、どんどん、牢屋に叩き込んでやる」 と、今も、深く思い込んでいる。  彼らは、日本国民の代表たち(すなわち、国会議員たち)が、「国権の最高機関」(憲法41条)であり、国民から国政のすべての権限を委譲された権力者なのだ、という、世界中で通用する、当たり前の考えを、実際上、拒否している。 


 彼らは、自分たち、官僚が、一番偉いのだ、と腹の底から信じ込んでいる。彼ら法務官僚たちを、現在の、小沢革命=国民民主革命によって、叩きのめさなければならない。 

 今度の、鈴木宗男氏や佐藤優(さとうまさる)氏らが、、まじめにやっていた、北方領土の返還交渉の、ロシア政府との対等の誠実な話し合いの路線を、叩き壊し、妨害し、犯罪者として弾圧していったのは、外務官僚たちとアメリカだ。 それに、法務省・検察・裁判所が、官僚同盟、官僚仲間のよしみで加担、加勢する。  今、最高裁の判事になっている竹内征夫(たけうちいくお)は、外務省の次官だったのであり、法律の実務など何も知らないのに最高裁判事になってしまっている。こういうおかしなこともまかり通り国である。  

 この男が、憎しみを込めて、鈴木宗男が、10年前に実質の外務大臣として外務省内の外務官僚たちの不祥事を調べていたことを封じ込め、外務省の多くの不祥事を隠し遠し、鈴木宗男らを、日本官僚連合に敵対する政治家として、葬り去る役目に着いている。同じことは、昨年からの小沢一郎と彼の秘書や若い政治家たちへの、検察からの異常な政治弾圧である逮捕、捜査の攻撃でも見られた行動だ。 

 私たちは、もうすぐ出来る小沢一郎政権に、希望と、期待を繋(つな)いで、なんとか、多数の政権政治家(国会議員)たちの意志で、国民の多数意志の力で、今のような、日本官僚連合の意識的な、国民への敵対行動をやめさせなければならない。

 彼ら官僚たちの、これまでの違法行為の数々を、国会の場に持ち出し、議員たちの国勢調査権を発動して、彼ら、高級公務員たちの違法行為の責任と犯罪を白日の下に明らかにしなければならない。 小沢政権の大臣たちが、それぞれの職務権限に基づき、幹部公務員(官僚)たちを、正しく免職、降格にしなければならなない。 

 しかし、前途は多難である。 私は、自分の法律の知識と、国家体制を動かす法律の施行の諸理論を、今、頭で考えあぐねており、一体、どのようにして、この、ゆがんだ精神をした官僚たちの暴走を食い止めることが出来るかを、ずっと、真剣に考えている最中(さいちゅう)である。 私たちの国民の多数意志をもってしても、ただちに、官僚たちの悪逆非道のやり方を是正する道は、なかなか困難だ。

 私は、9月3日に、「私たちは、小沢一郎政権ができても、敵たちの集中砲火が待っているから、用心し警戒すべきだ」論 を書いたすぐあとに、このように、鈴木宗男の投獄と議員資格はく奪の、最高裁の判決の暴挙が起きたことで、「やっぱり、これから、もっともっと大変なことになる」と改めて強く感じた。事態は、もっともっと緊張して、急迫してゆく。

 私たちは、私たちの優れた指導者である小沢一郎と共に、ついに、彼が、立会演説の場で、はっきりと公言するようになった、「官僚主導から政治主導へ。官僚たちが、こんなにも大きな権力を握っていることをやめさせなければならない」 (9月4日)という 言葉を、真剣に受けとめよう。そして、迫り来る、これからの政治動乱の日々を、良識のある行動を取って、皆で団結して、日本国を守ってゆかなければならない。

 私自身も、すでに警察や、そのほかの国家情報機関に監視されている立場だと自覚している。だから、十分に注意している。 それでも、私たちは、どうしても直接の抗議行動に出なければならない時は、皆でまとまって行動しましょう。みんな、自分の生活で忙しいし、政治行動などする時間とカネの余裕などほとんど無い。

 それでも、国民の権利としての参政権の一部として、どうしても抗議行動をしなければならない時には、進んで街頭に出ましょう。その準備をいまのうちからすこしずつしなければならないと私は思います。

 国民の敵である 官僚連合の狙(ねら)いは、首相になる小沢一郎に対する ”王殺し( Regicide、 レジサイド)” である。 日本国民の多数が待望する小沢一郎の首相就任を、官僚連合は、自分たちの死命を制する権限と力(ちから)を持つ者の就任だとして、ものすごく嫌がっている。

 それゆえに、小沢一郎殺しを狙ってくる。 大将を倒せば、あとの一般国民、民衆など、烏合(うごう)の衆だから、蹴散らすことができる、と考えている。 だから、私たちは、小沢一郎が育てた若い政治家たちの中から次の指導者になる、しっかりとした資質と能力を持つ者たちを、今のうちから、皆で、育てて応援しなければならない。 

 小沢一郎ひとりへの過剰な期待 だけでは、敵の思う壺に嵌(はま)った時に、私たちは再起できないほどに打ちのめされる。このあともどうせ長く続けなければ達成することはできない日本民主革命は、 しぶとく息長く、闘い抜かれなければならない。

 鈴木宗男議員への、今回の、法務省官僚・裁判所の不当な投獄の 政治弾圧の攻撃を、打ち破って、 彼を、小沢首相の権限で、裁判のやり直し(再審)を始めさせ、鈴木宗男を早く釈放させて、大臣の地位につけて、日本国の為に頑張ってもらおう。その道筋を皆で、切り開きましょう。

 副島隆彦拝  


(以下は、新聞記事の転載貼り付け 始め)

● 「 鈴木宗男議員:失職、近く収監へ 最高裁が上告棄却 」

毎日新聞 2010年9月8日

 鈴木宗男衆院議員=2010年3月撮影 北海道開発局発注工事を巡る受託収賄など4罪に問われた衆院議員、鈴木宗男被告(62)=比例北海道ブロック、新党大地= に対し、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は、7日付で上告を棄却する決定を出した。 懲役2年、追徴金1100万円とした1、2審の実刑判決が確定する。鈴木議員は公職選挙法と国会法の規定に基づき失職し、近く収監される見通し。現職国会議員が自身の実刑確定で失職するのは戦後4人目。

 上告審で弁護側は、わいろの受領を否定するなど4罪すべてについて全面無罪を主張したが、小法廷は5人の裁判官全員一致の意見で「上告理由に当たらない」と退けた。 そのうえで、北海道・沖縄開発庁長官だった鈴木議員が業者に便宜を図るよう下部組織の北海道開発局港湾部長に働き掛けたとされた事件について検討。「職務権限を利用し、職員に対する指導の形で契約相手の業者を事実上決定するよう働き掛け、予算事務の公正や社会の信頼を損なった」と指摘し、受託収賄罪の成立を認めた。

 鈴木議員は最高裁に異議申し立てをする方針だが、最高裁が結論を見直す可能性は極めて低く、申し立てが棄却されると実刑判決が正式に確定する。拘置日数のうち220日が差し引かれるため、実際の刑期は1年5カ月程度とみられる。東京地裁は04年、贈賄側供述の信用性を認め「国民の信頼を裏切り、反省の情も皆無」と実刑に。東京高裁も08年、控訴を棄却した。

 鈴木議員が失職した場合、新党大地の浅野貴博氏(32)が繰り上げ当選。鈴木議員は公職選挙法の規定に基づき、刑期終了後の5年間、被選挙権を失う。鈴木議員は北海道足寄(あしょろ)町出身。故中川一郎元農相の秘書を経て、83年衆院選に出馬して初当選、開発庁長官や内閣官房副長官などを歴任した。

 起訴後の03年衆院選は病気のため出馬を断念したが、05年衆院選に新党大地代表として立候補し国会議員に復帰。昨年の衆院選で8回目の当選を果たして外務委員長に就任し、今年8月に衆院議員在職25年表彰を受けた。【伊藤一郎】

 ◇闘っていく
 鈴木議員の話 いかなる環境にあっても検察権力と闘っていく。今後の政治活動については異議申し立てに対する結果が出てから考える。

 ◇1、2審の認定事実
 (1)北海道・沖縄開発庁長官だった97年10月〜98年8月、島田建設側から開発局発注工事に絡む依頼を受け600万円を受領(受託収賄)(2)98年8月、違法伐採で林野庁から入札参加資格停止処分を受けた製材会社「やまりん」側から、売り上げ減を穴埋めするだけの事業を随意契約で受注できるよう林野庁への働き掛けを依頼され500万円を受領(あっせん収賄)(3)資金管理団体「21世紀政策研究会」の98年分の政治資金収支報告書に、約1億円の収入と自宅購入に充てた3600万円の支出を記載せず(政治資金規正法違反)(4)02年3月の衆院予算委の証人喚問で虚偽証言(議院証言法違反)。


●「最高裁の決定要旨」 

共同通信 2010年9月8日

衆院議員鈴木宗男被告の上告を7日付で棄却した最高裁の決定の要旨は次の通り。

 【結論】

 弁護人の上告趣意のうち、判例違反の点は事案を異にする判例を引用するもので適切でなく、その余は、憲法違反の点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張で、刑事訴訟法405条の上告理由に当たらない。

 【職権判断】

 受託収賄罪の成否について職権で判断する。
 北海道開発庁長官だった被告が、港湾工事の受注に関し特定業者の便宜を図るように北海道開発局港湾部長に働き掛ける行為は、職員への服務統督権限を背景に、予算の実施計画作成事務を統括する職務権限を利用して、職員に対する指導の形を借りて行われた。

 被告には港湾工事の実施に関する指揮監督権限はないとしても、働き掛けた内容は、実施計画で概要が決定される港湾工事について、競争入札を待たずに工事業者を事実上決定するものだった。

 このような働き掛けが金銭を対価に行われることは、北海道開発庁長官の本来的職務として行われる予算の実施計画作成の公正、その公正に対する社会の信頼を損なうものである。従って働き掛けは、北海道開発庁長官の職務に密接な関係のある行為というべきだ。

 弁護人は、談合にかかわる行為は、正当な職務としておよそ行い得ない違法な類型であるから、職務に密接な関係のある行為とはなり得ないと主張するが、密接関係行為に当たるかは本来の職務との関係から判断されるべきだ。違法行為であることで、その判断は直ちには左右されないと解するのが相当である。

 また受注業者の指名が港湾部長の職務権限に属することを認定せずに、指名について港湾部長を指導することが北海道開発庁長官の職務権限に属するとした二審の判断が判例(1995年2月22日大法廷判決)に違反すると主張する。

 しかし収賄罪の構成要件である「職務に関し」は、収賄公務員の職務との関連性。他の公務員に働き掛けることの請託を受けて収賄した場合であっても、働き掛けを受ける公務員の職務との関連性は構成要件そのものではない。一般的には、その職務関連性をそれ自体として認定する必要はないというべきである。そうすると、働き掛けを行うよう請託を受け、その報酬として金銭の供与を受けた行為が受託収賄罪に当たるとした二審の判断は正当である。

 【金築誠志裁判官の補足意見】

 受託収賄罪における北海道開発庁長官の職務権限につき、意見を補足的に述べる。 弁護人引用の判例は、内閣総理大臣の職務権限に関するもの。内閣総理大臣については、直接に行政事務を行うことを認めるのは相当ではないとする見解が有力で、指揮監督権限は行政全般にわたる反面、極めて一般性・抽象性が高い。働き掛けを受ける公務員の職務関連性を認定することで、職務権限を認定せざるを得ない面があり、一般化は相当でない。

 働き掛けた事項が相手先の公務員の職務と無関係であれば、働き掛けに職務関連性を認めることが困難となろうが、働き掛けを受ける公務員に収賄公務員の職務関連性以上のものが要求されると解すべきではない。少なくとも働き掛けを受ける事項と職務との間に密接な関係があれば足りると解すべきである。港湾部長は、港湾工事の計画作成・実施に関して職務権限を有し、慣行的、常態的に本命業者の指名を行っていた。組織的に事実上職務行為化した行為とも評価でき、港湾部長の職務と密接な関係を有する行為であることは明らかだ。

 官製談合での本命業者の指名は、収賄罪の職務にはなり得ないと主張するが、収賄罪での職務が適法なものに限られないことは加重収賄罪の存在からも明らか。慣行化した官製談合の違法性、それによる信頼棄損と、慣行を利用してわいろを収賄することの違法性、それによる職務の公正に対する信頼棄損とは、別個の評価が可能。今回のような行為に関するわいろ収受が、職務の公正に対する信頼を害する程度が低いとは到底いえない。職務密接関係性を否定することは相当ではない。


● 「 宗男被告収監へ 佐藤優(さとうまさる)氏 「非常に政治的だ」 」 

産経新聞 2010年9月8日 
 
 鈴木(宗男)被告とともに逮捕され、有罪が確定した元外務省主任分析官、佐藤優氏の話 
 「このタイミングでの上告棄却は非常に政治的と思う。一つは、郵便不正事件の公判で10日、厚生労働省元局長に無罪判決が出る公算が大きく、検察捜査への批判が高まる。さらに民主党代表選で小沢一郎氏が当選し、鈴木氏を要職に起用すれば、鈴木氏に手をつけられなくなる。それを恐れて先手を打ったのではないか。機密費問題などで追及する人物がいなくなり、一番喜んでいるのは外務官僚だろう」


● 「 なぜ最高裁はこのタイミングで鈴木宗男衆議院議員 の上告を棄却したか? 」

佐藤優の眼光紙背 2010年9月8日

 9月8日午後、7日付で最高裁判所第一小法廷が鈴木宗男衆議院外務委員長(新党大地代表)の上告を棄却した。鈴木氏の弁護人は異議を申し立る意向を表明しているが、過去の例でこの種の異議が認められたことはない。近く懲役2年の実刑が確定し、鈴木氏は刑務所に収監される。

 最高裁判所は最高政治裁判所でもある。それは、2002年に鈴木宗男追放キャンペーンの中心に立った竹内行夫外務事務次官(当時)が現在、最高裁判所裁判官をつとめている事実からも明白だ。所属する小法廷が異なるなどということは、本質的問題でない。司法試験にも合格していないので、法曹資格ももたず、かつ極めて政治的動きをする人物を行政機関である外務省から受けいれている最高裁判所という組織自体が、「司法権の独立」という名目からかけ離れた組織だということを筆者は指摘しているのだ。

このタイミングで最高裁判所の司法官僚が鈴木氏の上告棄却を決定したことは、きわめて合理的だ。それには2つの理由がある。第1の理由は、9月10日に大阪地方裁判所で行われる村木厚子元厚生労働省局長の裁刑事判で、無罪判決が予想されているからだ。そうなれば特捜検察は正義の味方であるという神話が裁判所によって覆される。当然、世論の特捜検察の取り調べに対する疑念と批判がかつてなく強まる。そうなると、「国策捜査」によって事件が作られたという鈴木氏の主張を完全に無視することができなくなる。

 第2の理由は9月14日の民主党代表選挙で小沢一郎前幹事長が当選する可能性があるからだ。最高裁判所の司法官僚にとっては、これも頭痛の種だ。小沢氏は鈴木氏の政治的能力を高く評価している。そもそも鈴木氏を衆議院外務委員長に抜擢したのは小沢氏だ。小沢政権になれば鈴木氏が政府の要職に就くなど、政治的影響力が高まるのは必至だ。そうすれば排除が困難になる。この結果にいちばん喜んでいるのは外務官僚だ。鈴木氏が収監されることにより外交機密費(報償費)の不正使用や、外交秘密文書の破棄に対する責任を追及する政治家がいなくなると外務官僚はほっとしている。しかし安心するのはまだ早い。鈴木氏は小沢氏に外務官僚に関するヤバイ情報をすべて引き継いでいるはずだからだ。

いずれにせよ、今回、最高裁判所が鈴木氏の上告を棄却したことは、普通の国民の目には見えにくいが、「誰が日本国家を支配するか」を巡って、資格試験に合格したエリート官僚と国民によって選ばれた国会議員の間で展開されている熾烈な権力闘争を反映したものだ。

● 「 鈴木氏収監へ 道内政治勢力の変動も 「宗男票」行方注視 」

毎日新聞  2010年9月8日(水)

 受託収賄罪などで近く収監される見通しとなった鈴木宗男衆院議員(比例北海道ブロック)は、東京地裁で有罪判決を受けた後の05年に地域政党「新党大地」を設立し、北海道内で影響力を保ってきた。ただ、事実上、鈴木議員の「一人政党」。今後、影響力が低下するのは必至で、道内では10月の衆院道5区補選や来春の統一地方選を控え、「宗男票」の行方に関心が集まっている。

 「鈴木さんのカリスマ性で形作られてきた新党大地だから、影響は避けられない」。新党大地との選挙協力を強めてきた民主党北海道連の佐野法充(のりみち)幹事長は8日、道連事務所で記者会見し、神妙な面持ちで語った。一方、自民党道連の竹内英順(ひでのぶ)幹事長は「これから道内の政治的な勢力地図は大きく変わる」と話し、「宗男票」の取り込みをうかがう構えをみせた。

 鈴木議員は02年にあっせん収賄容疑で逮捕され、03年衆院選は不出馬。しかし04年参院選道選挙区に出馬し、落選したものの約48万票を獲得。05年に新党大地を結成して衆院選に挑み、比例道ブロックで衆院議員に返り咲いた。国政選挙に挑戦を続けることで、道内各地の後援会を維持し、集票力を証明してきた。

民主道連とは、07年参院選での選挙協力をきっかけに、08年には地盤の北見、釧路両市長選で「民主・大地」陣営として連勝。09年の衆院選でも、小選挙区で民主候補を支援し、民主の11勝1敗という圧勝に一役買った。

 収監は最長約500日となる見通しで、その後も5年間は選挙に立候補できない。62歳の鈴木氏はそのころには70歳近くになる。後援会幹部からは「これからも支持する」との声が上がるが、鈴木議員の後継者は今のところ見当たらない。

新党大地は、10月の衆院道5区補選で、民主が擁立した元国土交通省キャリアの中前茂之氏の推薦を決めていた。民主道連幹部は「大地の票は保守票で、宗男票。代わりの人が声をかけても言うことを聞いてくれるかどうか。宗男さんがいなくても、働きかけできるようなつながりもない」と漏らす。

09年衆院選比例道ブロックの5区管内で新党大地が獲得したのは約3万票。「これを機に、(鈴木議員の)後援会をやめるという人もいる。どう取り込むか戦略を練りたい」。5区補選に出馬する自民の町村信孝元官房長官の後援会幹部は力を込めた。【岸川弘明、和田浩幸、堀井恵里子】

(転載貼り付け終わり)

 副島隆彦拝

★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK94 > 544.html  
鈴木宗男「収賄罪」の作り方−「やまりん」社長の陳述 (小吹 伸一) 〔独立党公式ブログ〕
http://www.asyura2.com/10/senkyo94/msg/544.html
投稿者 いさむ 日時 2010 年 9 月 10 日 00:05:22: 4a1.KLUBdoI16

http://rickoshi001.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/09/post_58a3.html
2010/09/09 13:45

鈴木宗男「収賄罪」の作り方−「やまりん」社長の陳述(小吹 伸一)


昨日9月8日、鈴木宗男議員の上告が棄却され、懲役2年、追徴金1100万円の実刑を通告された。

今回は毎日新聞が、比較的公正な記事を掲載している。

───────────────────
鈴木宗男議員:「真実、死ぬまで発信」司法を激しく批判

https://mail.google.com/mail/?ui=2&ik=9473935c0d&view=att&th=12af492ce16b6bd6&attid=0.1&disp=inline&realattid=f_gdv2jt170&zw

(抜粋)「わいろをいただいた事実はございません」。午後5時過ぎ、紺のスーツにグリーンのネクタイを付け、弁護士と共に会見場に入った鈴木議員は「当事者の皆さんもわいろを否定している。これが真実だ」と強調した。

 集まった報道陣は約100人。「密室で作文された調書を、金科玉条のごとく採用する判決の在り方を見直してほしいと期待していたが、残念ながら棄却されてしまった」。時折、笑顔を見せながら、裁判所や検察への批判が続く。無罪の可能性が高まっている郵便不正事件の厚生労働省元局長も引き合いに出し「青年将校化した一部の検察官が冤罪(えんざい)を生んできたと思っている」と声を張り上げた。
───────────────────

鈴木氏は、あくまで無罪を主張し、検察や司法とたたかってゆく意思をしめしている。

この、「当事者の皆さんもわいろを否定している」という鈴木議員の主張に対応する、贈賄したことにされている「やまりん」側の、山田哲社長が東京高等裁判所に出した陳述書が、弁護士法但し書き改正の功罪 というスレッド上に見つかった。

15ページ中12ページ半ばあたりまでと思われる。

完全ではないものの大部が残っていたので、転載する。

この証言に信憑性がないと思われるだろうか。各位ご判断ください。

弁護士法但し書き改正の功罪

>>574より。

http://mimizun.com/log/2ch/lic/school4.2ch.net/lic/kako/1086/10860/1086079816.dat

キャッシュ)

https://mail.google.com/mail/?ui=2&ik=9473935c0d&view=att&th=12af492ce16b6bd6&attid=0.1&disp=inline&realattid=f_gdv2jt170&zw


(以下、タイプ入力の文を繋ぎ合わせ、適当に改行しました。)


ここに、平成拾四年六月拾七日・公証人古川元晴役場、という公証人職印が押捺

され、登簿第壱参八六号 と縦書きで記された「陳述書」があります。

総ページ数十五頁。


陳述者は、住所 北海道帯広市西16条南6丁目30番14号 氏名は、山田哲。

書き出しは、こう始まります。


1 私は、やまりん株式会社の代表取締役社長をしているものです。


2 やまりんとその関連企業各社が、平成10年8月4日に、鈴木宗男代議士側に内閣官房副長官の就任祝いとして政治資金規制法にのっとって献金した400万円に関し、これを賄賂であった疑いがあるとして東京地検特捜部の取調べを受けておりますので、その状況などについてお話いたします。


3 私が初めてこの件に関し、東京地検特捜部の取り調べを受けたのは、今年の5月18日のことでした。

取調べの場所は釧路地方検察庁帯広支部の取調室で、取調担当検事は稲川検事でした。

このときの取調の際、稲川検事は、まず、 贈賄は時効だから、協力してくれ。

数多くの事件の中のひとつにすぎない。 木側の政治資金収支報告書に基づいて全国一斉に調べているんだ。

などと私を安心させるような言い方をし、さらに、狙いは、鈴木一人だ。  などといいました。

狙いは鈴木一人だという言葉の意味は、8月4日及び翌5日の日に、自民党の松岡代議士や松下代議士にも献金をしているのですが、この二人については捜査立件の対象にしない当意味だと理解いたしました。


 一方でこのように言いつつ、稲川検事はさらに、我々特捜の前に、障害になるものは排除する。

(以上1頁)


我々の行く道に邪魔になる足は蹴飛ばす。 などといいました。

そればかりではなく、稲川検事は、4年前の盗伐の事件では、釧路地検のやり方は甘いと思っている。我々だったら、会長も社長も同罪にした。


今からでも遅くはない。役員会議で、歩留まり140%とか、150%という資料がある。

だから、会長社長は盗伐のことを知らないということにならない。組織ぐるみの犯罪ということになる。

他にも、文書違反のことがある。 時効は10年だ。上士幌の件で田村が営林署の連中と都合のいいように文書を改竄している

これをやったらえいりんしょ(営林署)はめちゃくちゃになり、必ず、自殺者もでるだろう。

などと、私を明らかに脅すようなことを言ってきました。


私は、正直な話、相手が東京地検特捜部だと言うだけでも恐怖心を持っておりました。

その特捜部の検事さんから4年前の盗伐事件を、再び捜査するなどと言われると本当にそうされてしまうのではないかという恐怖感を感じました。


自分としては、やまりんの4年前の盗伐事件については、全く関与した事実もありませんし、既にこの件については、1億円以上もの賠償金も支払われてもおりますし、なんと言っても4年以上も前の話であり、犯人も既に処罰されて、事件としては終わっているという認識でいたのですが、日本最強の捜査機関と言われる東京地検特捜部の検事さんから自信たっぷりに、具体的な証拠があるとしつつ、 「我々だったら会長も社長も同罪にした。今からでも遅くはない」などといわれると、 本当にこの件で、やまりんの社長である私が逮捕されたり、起訴されたりするの

(以上2ページ)   


ではないかという恐怖心でいっぱいになってしまったのでした。

稲川検事は、そのようなことを言って私を脅した後、今から調書をつくる。違っているところがあったら、言いなさい。

などと言って、事務官に向かって、いきなり調書の内容を言い始め、事務官がその内容をパソコンで打っていきました。


その中には、平成10年8月4日の鈴木代議士側への献金について、内閣官房副長官の就任祝いの名目である、あるいは、就任祝いを兼ねるというような表現も入っておりました。

私は、稲川検事のこの日の取調の中でそのようにお話ししたことはありませんでした。


私としては、あくまでも、就任祝いだけのつもりでいたのに、そのような調書をいきなり作られたのですが、稲川検事から脅されてことによる恐怖心があって、それは事実とは違うとはとても言い出せない雰囲気でした。

その他にも、私が全く話してない内容や私の意に添わないような部分が多々ありましたが、稲川検事にその調書に署名を求められると、その調書に署名するしかないという気持ちになり、結局、嘘の調書に署名をしてしまいました。


4 その二日くらい後の取調のときのことだったと記憶しておりますが、稲川検事が、さらに、その調書に肉付けをしたような内容の調書をいきなり私に示してきました。

内容的にはやはり、私の言っていないことや事実と違うことがたくさん盛り込まれておりました。


この調書も結局、前回同様、署名するしかない気持ちになり、事実と違うなと思いながらも、署名してしまいました。


なお、一回目の調書だったか二回目の調書だったかはっきりしませんが、稲川検事のほうから、直すところがあったら直してもいいというようなことを言われ、調書の案を見せられました。

しかし、贈収賄の成否に関わるような重要な部分は直してもらえないという雰囲気がありありであり、その点については、あきらめに近い気持ちになっておりました。

(以上3頁)


とはいえ、稲川検事からそのように言われてことから、一部について訂正を申し立てたのですが、訂正してもらえた部分ともらえなかった部分がありました。

贈収賄に関わるような本質的な部分については、異議を申し立てても、直してもらえない雰囲気であり、実際、直してもらえませんでした。


5 このころの私の気持ちは真っ暗でした。

しかし、私がこれまでにとられた調書は、簡単な内容であり、これから本格的な調書を作ろうとしてくるのだろうとも思っておりました。

私は、そのときが勝負だ。 そのとき事実と違う内容だと言って書名を拒むしかない。それしか特捜部には対抗できない。 と考えておりました。


しかし、そうは言っても実際に特捜部に最後まで抵抗するのは難しいだろう。とも考えており、まさにこの時の私の心境は荒れ狂う退会の中で小船を一人でこいでいる。というような心境でした。

私が、ちょうどそのように考えていたころ、弁護士さんにアドバイスをいただくことができました。

そのときの弁護士の話は、特捜部の調べはなにが真実であるかを聞き出すというよりは、あらかじめ特捜部が想定したストーリーにあてはめてくるような調べ方です。

特捜部の検事は皆良心を削りながら仕事をしている。

特捜部の検事は皆一流だから、口裏合わせをしても必ず特捜部に突破されるから意味はない。

むしろ事実ベース、真実ベース、記憶ベースが一番強い記憶や事実に反する調書にどうしても署名しろと言う検事の立場のほうがむしろつらい。という内容のものでした。

(以上4頁)


私は、その話を聞いて、目から鱗が落ちるような気持ちでした。

それなら、ひょっとして、私でも記憶や事実に反する調書に署名しないでいられるかも知れないという気持ちになったのでした。


6 それでは、次に、私が平成14年6月9日の午後2時30分から同日午後3時ころまでの30分くらいの間、東京地検特捜部の稲川検事から取調べを受けた状況についてお話します。


7 私は、当初、稲川検事の取調べを受けた後、坂本検事、ついで吉田検事の取調べを受けるようになりました。

当初は、釧路地検の帯広支部で取調べを受けていたのですが、やまりんの件がマスコミにでたため、沈静化させるとの理由で、帯広にいた特捜部の検事が急遽東京に引き上げていきました。

その後、稲川検事からやまりん事件が中途半端な形になっている。社長が一回東京にきてくれれば、事件を終わらせることができるので、東京に一度出てきてほしいなどと言われ、今年の6月8日と翌9日に、東京地検での事情聴取に応じることになり、その日、私は、上京したのでした。


そして、その両日、東京地検において、特捜部の吉田検事の取調べを受け、その取調べの中で吉田検事からいきなり調書の案を見せられたりしたのでした。

吉田検事は、何とかこの調書で納得してくれと言ってきたりしたのですが、その調書の内容は、私が全く取調べの中で一言ってない内容であり、事実に反する内容であったため、結局、8日も9日も、調書に署名しませんでした。

なお、このときに吉田検事から見せられた調書の案は、私の印象では、私の供述調書というものではなく、私の父で、やまりん会長である山田勇雄の調書という感じでした。

そこで私は、吉田検事に、これは私の調書というよりは親父の調書ですね。親父に聞いてもらうしかないんじゃないですか。 と言いました。

すると、吉田検事は、いろいろ弁解がましいことを言いながら、

(以上5頁)


この事件は、脚本監督主役は山田勇雄だ。 それは確かだ。あとの人は脇役にすぎない。国のことを考えて、この調書で納得してもらうしかない。 などと言ったのを記憶しております。

そのように言われても、私はとても納得できず、結局8日の日には夜中の12時過ぎまで押し問答しましたが、結局調書に署名しなかったという経緯もあったのです。


このような取調状況であったため、9日の日も調書に署名しなかったところ、その日の午後2時30分ころ、吉田検事が、一旦取調室から出て、その後、しばらくして戻ってきたのです。

そして、私に稲川検事のところにいってくれ。というようなことを言ってきたため、私は、吉田検事とともに稲川検事の室に行きました。

そして、私と吉田検事が稲川検事の取調室に入り、私が稲川検事の前の椅子に座ると、吉田検事はその取調室から出て行かれました。

そのときには、検察事務官もその取調室にはおらず、私と稲川検事の二人だけとなりました。


稲川検事は、私と二人っきりになると、まず、 調書を取るわけではない。と、その日は調書を取るつもりはないという意味のことを言いました。

そして、その後、私に今までは、特捜側の協力者だと考えていたが、違うようだ。前からいっているように、我々特捜に協力するか、鈴木に協力するか、二つに一つだ。

協力するとしないとではずいぶん違う。いずれにせよ、強制捜査は避けられないが、マスコミに対する我々特捜部の対応の仕方も違う。

我々のマスコミへの言い方次第によっては、社長を極悪

(以上6ページ)


人に仕立て上げることもできる。

協力さえすれば、この件だけで終了する。協力しなければ、それだけでは終わらない。

人間誰でもたたけばほこりが出る。社長もほこりがでる。

赤堀、高信、三宅、徳田だけではない。社長の母親、兄貴、全部だ。4年前の盗伐の件でやることも可能だ。などと、どすの利いた低い声で言って、私を脅し始めました。


私は、稲川検事からまた脅されるということはある程度予測しておりましたが、 実際の稲川検事はとても迫力があり、このようなことを言われて、大変な恐怖心を感じました。

このままでは、本当に私ばかりでなく、赤堀社長、高信室長、三宅社長、徳田社長、さらには、私の兄の山田麟太郎や母親まで特捜部に徹底的に個人的な事件を捜査され、逮捕などされることになるかもしれないとも思いましたし、マスコミに、あることないことをリークされて、大変なことになるとも思ったのです。

私は、ただ黙って稲川検事の脅しを聞いているしかありませんでした。


その後も稲川検事は、私に、やまりん関連会社に、本日別件で家宅捜索が、今頃入っているはずだ。明日もあるだろう。などといってきたのです。

私はその言葉を聴いた瞬間、三宅社長のところの山洋建設か、徳田社長のさんわ(平成10年当時の名称は山和道路)に、特捜部がいわゆるガサ入れをしているのかなと思いました。

実際、後で聞いたところによると、その時、三宅社長の山洋建設に宮野明秘書に対する政治資金規制法違反の容疑で、家宅捜索が行われていたことをしりました。

この家宅捜索は、あくまでも特捜部の言いなりにならないことに対する嫌がらせであると感じました。

(以上7ページ)


また、稲川検事はこの時、この調べの翌日もやまりん関連会社に家宅捜索を行うというようなことを言って私を脅しておりましたが、私の知る限り、翌日やまりん関連会社に家宅捜索が入った事実はなかったようですが、私としては稲川検事からこのように聞かされた瞬間は、やまりん本社や関連各社に特捜部の報復的なガサ入れが行われるのではないかとの恐怖心でいっぱいになりました。


その後、稲川検事はさらに、 我々特捜の前に、障害になるものは排除する。前にも言った通り、我々の行く道に邪魔になる出た足は蹴飛ばす。障害になる木は切り倒すということだ。と脅すようにいってきました。

盗伐のこととからめたのか、障害になる木は切り倒すというような話をしたときの稲川検事は、得意げな感じすらしたのを記憶しております。

そのうえで、稲川検事は、すでに調書がある。それで十分だ。社長のさらなる調書はいらない。鈴木を捕まえられる。などと私に言ってきました。


私はここまでじっと恐怖心におびえながら黙って稲川検事の言うことを聞いていました。

そして、確かに稲川検事の言うとおり、すでに簡単な調書を取られておりました。

しかし、その内容は、私の記憶や事実に反するものであったため、私は、そのとき、勇気を出して稲川検事に、前回の調書で記憶に違うところがあるので訂正をして欲しい。と言いました。

すると、稲川検事は、社長の言うとおりかいたのではないか。

(以上8ページ)


そして署名したのではないか。と言って、取り合ってもらえる感じではありませんでした。

そこで私はさらに、 調書を作る時も、稲川さんは、文書違反の時効が10年であるとか、4年前の森林法事件で釧路地検の捜査は甘い、 会長も社長も再度やれるなどと言ったでしょ。

そのようなことを言われ、動揺していたために記憶のない調書に署名したのです。などと言って、稲川検事に反論しました。


すると、稲川検事は、私がそのような反論をするとは全く予期していなかったようで、一瞬たじろいだのがわかりましたが、その後すぐ、違うなら裁判で言えばよい。などと言い放ち、やはり調書の訂正には応じてくれる様子は全くありませんでした。

その後、稲川検事は私に、どうせ沈む泥舟に乗っていても仕方ないだろう。泥舟というのは弁護士のことだ。他の取調をした業者も、言うことを聞いて失敗したと皆言っている。

ある事件で34社の取調べをし、そのうち7社が協力をしなかった。

特に、内の2社は徹底的に我々に反抗し、1社は倒産寸前の憂き目にあっている。

協力すれば、保釈などもすぐに認められるが、協力しなければ出られないと言うのが現実だ。

俺が良い弁護士を紹介してやる。 良い弁護士とは、こういう時にどうしたらいいかと我々側に連絡を取ってくる弁護士だ。などといってきました。

そしてその後、稲川検事は、

(以上9頁)


白旗を揚げるか、竹やりを向けるか、明日までに返事をよこせ。こっちの直通番号はわかっているな。白旗を揚げれば元に戻してやる。 などといってきたのです。

その日の取調は、午後3時までという約束だったのですが、ちょうど稲川検事がそのようなことを言った頃、約束の3時になっており、その日の稲川検事の取調べは終わりました。

以上が、私が、今日まで東京地検特捜部の取調べを受けてきた上京です。


8 次に、今般、やまりん株式会社やその関連企業が、平成10年8月4日、当時内閣官房副長官であった鈴木宗男代議士に、総計400万円の政治献金について斡旋収賄罪に当たるとして東京地検特捜部が本格捜査に乗り出すとの報道等がありますが、これらの報道に関して、内容的に明らかに事実と異なっている部分がありますのでこの点につき、お話いたします。


9 まず第一点ですが、やまりん側から鈴木代議士への献金額ですが、当初の報道では、300万円以上とか、400万円とか、500万円などと、多様な報道がありましたが、現在では500万円であったとの報道でほぼ一致している状況になっております。

私が、吉田検事から見せられた調書の案も500万円となっておりました。

しかしながら、やまりん株式会社及びその関連企業の鈴木代議士への献金額は 私の記憶では間違いなく400万円であり、これは確実な資料証拠もある話であります。

と言うのは、平成10年8月1日付けで作成し、4日に当社からの領収書の発行依頼を鈴木代議士側に出しており、この金額は、当社の前田総務部長が作成したもので、間違いのないものと断言できるからです。

その領収書発行以来の写しを、この陳述書の末尾に添付したいと思います。 


10 次に申し上げたいのは、この400万円の鈴木大師への献金は、献金した各社が純粋に内閣官房副長官に就任したことのお祝いの気持ちから行ったものであり、政治資金規制法の枠の中での適法な献金であったと言うことです。

当時、やまりん株式会社がいわゆる盗伐の件で、7か月間の一般競争参加資

(以上10ページ)


格(林産物)の停止の行政処分を受けていたことは間違いありません。


しかしながら、当時やまりん株式会社では、少なくとも2年くらいの立木在庫を保有しておりました。

国有林の立木を購入した場合、3年以内に伐採すればよいことになっており、当社では常時2年から3年くらいの在庫を保有した状態で経営をしておりました。


従いまして、7か月の指名停止を受けたとしても、やまりん株式会社の素材部門の事業運営に支障をきたすということはあり得ない状況でした。

当社の在庫量については、特捜部で押収しているはずである、役員会議の資料や決算書類等を見ていただければ、数量及び金額は明示されております。


私がこの点を特捜部での取り調べの中で担当検事にお話しても、全く無視され、取り合ってもらえませんでした。

従いまして、当社が受けた行政処分は、通常の公共工事の指名停止処分の場合とは会社経営に対する打撃や影響度は全く異なるものなのです。

実際、やまりん株式会社では、一般競争参加資格停止の処分期間中も十分に仕事がある状態であり、おおむね当時の在庫量を切り終わったのは平成12年ないし13年のことでした。

このことも客観的な資料等により、十分証明できることであります。


昨今やまりんが、行政処分明け後の公売等の有利な取扱について、鈴木代議士に林野庁に働きかけるように依頼したとの報道がありますが、平成10年8月の段階で、十分な在庫を有していたやまりんとしては、鈴木代議士に、そのような林野庁への働きかけを依頼するような切迫した事情は、ありませんでした。


さらに言えば、この盗伐問題が発覚する前から、私は立木を購入して伐採したりする、素材生産業からの徹底(撤退?)を考えて降りました。


その理由としましては、第一に、橋本行革の頃から林野庁も将来的には特別会計から一般会計に移行していく中で、生産林重視の政策から、国土保全重視の政策に方向転換していくことが見込まれること、第2に、良質の立木を多く伐採した結果、立木の品質の低下が著しいこと、第3に、古紙・再生紙の依存率が高まり、パルプ会社への販路が大幅に縮小してきたこと、だい4に、現場作業員の高

(以上11頁)


齢化が顕著となってきたことや、それに伴い、死亡事故等の重大労働災害が多発する傾向にあったこと、第5に、現場が年々山の奥深く担っていき、作業経費が増大する一方、バブル崩壊後の不況で、製品の価格低下があったため、いわゆる製品安のコスト高という現象があったこと、第6に、私が社長になった平成2年頃から、自分の専門としている消費者と直結する住宅部門等に経営の比重を移そうとの経営方針を持っていたこと、第7に、素材を自社生産しなくても、外材等による比較的良質のコストの安い素材が手に入る状況になってきたこと、などがありました。


そして実際、当社は盗伐問題を機に、素材生産部門から撤退していきました。このようなことからも、7か月の行政処分を受けたからといって、直ちにやまりんが鈴木代議士にその関係で林野庁への働きかけを依頼をするというような状況にはなかったといえるのです。

この時の私は、淡々と行政処分を受ければよい、おとなしく林野庁の言うとおりにしているのが一番よいと考えていたのが実際なのです。


11 さらに、今般の報道の中に、当社が鈴木代議士に行政処分の緩和について林野庁への働きかけを依頼したとの記事もありますが、そのような事実は全くなく、荒唐無稽という他ありません。


と申しますのは、私としては当時既に7か月の一般競争入札参加資格停止の行政処分を受けており、いまさら行政処分を変更できるなどとも思っていませんし、当時林野庁サイドから、さらなる行政処分の可能性があるとの通告などもなかったことから、当社への行政処分の問題は、決着済みであると考えていたからです。

従って、行政処分云々の依頼をするということも、実際上、全く考えられないことなのです。


【末尾資料】


手書きの文字で、10.8.1

鈴木宗男 21世紀政策研究会

領収書発行依頼 8/4

山田哲(200万)

徳田康二(100万)

松久邦彦(100万)

領収書の送り先T080-0026 帯広市西16条6丁目30番23号

やまりん株式会社  代表取締役 山田 哲

と書かれた文書が、公証人と山田の印で契印、割り印?が中央付近

に押されて、添付されている。


・・・・・(転載以上)

投稿日 2010/09/09


コメント

以前は全文、ここで読めたらしいのですが、消えている。
http://www.gyouseinews.com/reference/MOFA/05.pdf

 衆院:外務委の委員長代理に小宮山氏 鈴木氏、上告棄却で

 受託収賄罪などに問われ実刑が確定する見通しとなった新党大地代表の鈴木宗男衆院外務委員長は9日、同委員会理事懇談会に出席し「最高裁の上告棄却の決定を受けた者が委員会の議事進行をするのは適当ではない」と述べた。与党筆頭理事の小宮山泰子氏が暫定的に代理を務める。

 鈴木氏はこの後記者団に、10日にも異議を申し立てる意向を明らかにした。委員長職については鈴木氏が失職、収監された場合に、あらためて与野党で協議する。







(私論.私見)