「平成三日天下人士・鈴木宗男騒動」考

 (最新見直し2007.5.11日)

 2002.3月の政界に漫才になりそうな出来事が起こった。主人公は自民党の次期実力者として注目株の鈴木宗男代議士(以下、宗男と云う)である。宗男は、小泉内閣樹立に最大の功の有った田中真紀子(以下、真紀子と云う)が外相に任命されて以降、ことごとく真紀子に楯突いて名を馳せた人士である。真紀子は、小泉首相が掲げた社会全域への構造改革推進すべし論を信じ、他のどの閣僚よりも早く担当省の内部改革に着手した。ところが、官僚の抵抗が強く、就任当初よりゴタゴタ続きで暗礁に乗り上げた。この背後勢力に官僚と結託した官邸官房長官福田、及びこれに同調する小泉首相自身の「スカート踏みつけ」があったことは後日判明する。

 問題は、この間の宗男の働きである。官僚−官邸連合の意を受け、最も果敢に対真紀子批判を展開し、東京で開催されたアフガン復興会議でのNGO参加問題での遣り取りで、遂に真紀子を辞任に追い込んだ。その当夜、宗男と外務官僚が祝杯を挙げたことが判明している。さて、これからが漫才である。以降「三日間」ほどというもの、宗男は真紀子の首を取った実力者としてその名を欲しいままに轟かせた。ところがだ、「平成三日天下」直後、今度は自身に超ど級の引き摺り下ろし策動がお見舞いされ、その直下型脳震盪威力は今なお余震を続かせている。

 お笑いなのは、真紀子放逐後は宗男も邪魔だとばかりに外務官僚と官邸が策動し始め、宗男は自身何が起こり始めたのか本人が分からないままに国会に喚問され、与野党から砲撃されたことである。決定打として過去の行状を暴いた外務省情報がリークされ続け、これを元にして共産党、民主党が追い詰めていった。遂に宗男は離党を余儀なくされた。宗男にとって離党は、ほぼ再選の道が閉ざされた死の宣告に等しい。だがしかし、徹底解明を求める官邸-与野党連合の追撃は厳しく目下、議員辞職騒動の渦中にある。

 この一連の経過は真面目に追跡するのがアホらしい漫才の格好教材である。しかしてそれは、我が政界の今日的水準でもあり、そういう意味で本章をここに設け考証してみることにする。


【鈴木宗男衆院議員国策逮捕事件前後の流れ】
 1997年9月 北海道・沖縄開発庁長官。98・7 内閣官房副長官。99・5 国後島「友好の家」入札参加資格をめぐり外務省に圧力。
 2002・4 友好の家建設をめぐる偽計業務妨害容疑で宮野明・公設第一秘書ら逮捕(30日)。
 2002・5 背任容疑で外務省の佐藤優・前主任分析官ら逮捕(14日)。政治資金規正法違反容疑で議員会館事務所や自宅を家宅捜索(23日)。
 2002・6 規正法違反容疑の関連先として島田建設など捜索(7日)。林野庁の行政処分をめぐる製材会社「やまりん」からの500万円あっせん収賄容疑で鈴木議員と多田淳・政策秘書を逮捕(19日)。
 2002・7 国後島ディーゼル発電施設をめぐる偽計業務妨害容疑で佐藤前主任分析官ら再逮捕、三井物産の3人を逮捕(3日)。規正法違反容疑で宮野、多田両秘書を再逮捕(23日)。
 2002・8 北海道開発局の工事発注をめぐる島田建設からの600万円受託収賄容疑で鈴木議員と多田秘書を再逮捕(1日)。
 2002・9 衆院予算委員会が議院証言法違反(偽証)容疑で鈴木議員を告発(5日)。偽証と規正法違反の罪で鈴木議員を追起訴(13日)。(了) 09/13

【鈴木宗男衆院議員(自民党を離党)の議員辞職問題】
 2002.5.7日、鈴木宗男衆院議員(自民党を離党)の議員辞職問題をめぐり、鈴木氏が所属していた自民党橋本派の野中広務元幹事長ら幹部が鈴木氏と会談し、対応を協議した。鈴木氏は「辞職する理由はない。身の潔白を晴らしたい」との強い意思を表明し、国会で議員辞職勧告決議案が可決されても辞職しない意向を伝えた。複数の与党関係者によると、野中氏らは鈴木氏の辞職問題が長引けば、国会審議に影響を与えかねないことを憂慮し、鈴木氏の意向を確認する形で、事態収拾に向けた説得を試みたという。これに対し、鈴木氏は「自分も、逮捕された公設秘書の宮野明容疑者も違法行為はない」と強調した模様だ。野中氏らは「議員が他の議員に辞職を勧めることはすべきではない」との立場を取っており、鈴木氏の意思が確認できた以上、それを尊重するしかないとの結論に達したと伝えられている。

 5.8日、会談内容は党執行部にも伝えられ、複数の与党幹部が、「決議案が可決されても辞めないだろう」との見方を示した。与党は、辞職を拒否されると分かっていても決議案採決に踏み切るかどうか判断を迫られることになった。

 野中氏は8日、記者団に「(鈴木氏の進退について)私たちは言う立場にはない」と述べ、努力は尽くしたとの考えを示した。また、別の同派有力幹部は同日、記者団に「鈴木氏の進退問題は、一番近い(からといって)野中氏がやることじゃない。党執行部がやるべきだ」と指摘。「週内に決着がつくかつかないかだ」と語った。


【東京地検特捜部が鈴木議員をあっせん収賄罪で起訴】
 7.10日、東京地検特捜部が、木材会社の行政処分を巡り現金500万円のわいろを受け取ったとして衆院議員、鈴木宗男容疑者(54)をあっせん収賄罪で起訴した。起訴状などによると、鈴木被告は内閣官房副長官に就任した直後の1998年8月、林野庁から無断伐採による7カ月間の入札参加資格停止処分を受けた有力後援企業の木材会社「やまりん」(北海道帯広市)の会長(86)らと面会。処分後に随意契約で事業を発注するなど行政処分の実効性を失わせるよう同庁への働きかけを依頼され、現金500万円のわいろをを受け取った。

 「永田町異聞」の2010.2.1日付けブログ「検察は小泉自民党政権の操り人形だった?」を転載する。

 http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10447825343.html

 検察は小泉自民党政権の操り人形だった? 永田町異聞 2010年02月01日(月)

 大阪高検公安部長検事だった三井環が、大阪地検に逮捕されたのは2002年4月22日の朝だった。300円の住民票を騙し取った詐欺容疑。競売で手に入れたマンションを居住地と偽り、登録免許税の軽減をはかったというのが検察の筋書きであった。こじつけのような逮捕容疑に、検察の裏金問題を暴こうとしていた三井の口封じだと、司法関係者、ジャーナリストの誰もが思ったに違いない。

 しかし、その後の検察リークでメディアが「悪徳検事」のイメージを世間に流布し、問題は闇のなかに紛れ込んだ。三井の内部告発を取り上げようとしていた新聞もテレビも沈黙した。

 一方、当時の首相、小泉純一郎は その前年秋、福岡高検検事長に加納駿亮氏を充てる人事の承認を、原田検事総長から強く要請されていた。加納氏は高知地検と神戸地検の検事正だったころの裏金づくりについて、三井と懇意の高松のミニコミ紙社長から刑事告発されていたのだ。三井は高松地検次席検事時代に加納検事正とソリが合わなかった。「最初は私憤で告発資料を提供した」と率直に述懐している。

 ミニコミ紙社長は森内閣の高村法相秘書官に告発資料を持ち込んでいた。小泉政権の森山法相はそれを考慮し、この人事について再考を促した。しかし、原田検事総長は聞き入れず、小泉首相への直談判に及んだというわけだ。この人事がうまくいかないと、検察の裏金がオモテに出る。それを恐れたのではなかというのが三井の見立てである。

 小泉首相は結局、裏金問題を知りながら原田検事総長の懇請を聞き入れたが、その代わり、検察の首根っこを押さえることになった。検察は自民党政権の操り人形だった、と三井は言う。ならばその年、無理筋と思える国策捜査が横行したのは偶然ではないだろう。

 5月14日に外務省のロシア専門家、佐藤優。6月19日に衆院議員、鈴木宗男。7月18日に衆院議員、辻元清美が、それぞれ国策捜査のワナにかかった。鈴木宗男はその著書「汚名」のなかで、「宗男潰し」を依頼したハンターこそ、小泉政権の官房長官、福田康夫だったとし、以下のように、ことの推移を綴っている。

 2001年4月に発足した小泉政権の人気は、生みの母、田中真紀子に支えられていた。外務省幹部は、邪魔者である真紀子の更迭を官邸に働きかけた。だが真紀子更迭には支持率低下のリスクがある。それでも小泉首相が踏み切ったのには、理由があった。鈴木を「生贄」にしてリスク軽減をはかったのだと、鈴木は言う。

 2002年1月24日の衆院予算委員会で、田中外相は、アフガン復興支援国際会議へのNGO参加に関して鈴木が圧力をかけたという趣旨の発言をした。火を噴いた真紀子vs鈴木の対立。これを官邸は利用した。鈴木は「二人を戦わせ共倒れさせるリングをつくりたかったのだ」と表現する。結局、田中真紀子は小泉首相に更迭され、鈴木も小泉の秘書官、飯島勲に促され衆院議院運営委員長の職を辞することになる。

 その後、国後島のプレハブ宿舎、いわゆる「ムネオハウス」の入札にからみ談合を指示したという疑いで、東京地検特捜部が鈴木の公設秘書、宮野明らを逮捕した。ムネオハウスに関する鈴木の認識はこうだ。工事を請け負った日本工営と日揮が地元業者を紹介してほしいと申し出てきたので、宮野秘書が根室の業者を紹介した。一方、特捜部は、宮野秘書が「地元業者を紹介するから工事にかませろ」と鈴木の名前で圧力をかけた、というストーリーを描いた。鈴木は外務省と官邸が国策捜査で自分を潰そうとしていると感じたという。その根拠として、福田康夫官房長官が担当記者とのオフレコ懇談会で「鈴木宗男の捜査はどんどんやったほうがいい」「逮捕されても政権に影響はない」と語っていたことをあげる。

 以上は筆者が要約した内容であるが、ここからは鈴木の思いのこもった原文のまま、掲載する。

 「オフレコでの談話ゆえ、新聞記事として報じられることはない。が、官邸のナンバー2がそう発言したとなれば、それはすぐさまメッセージとして多方面に伝わる。まず、マスコミが同調し、それが世論となり、最終的に検察を動かす力となる」。

 三井環、鈴木宗男。両氏とも、私憤があることは否定できない。検察にもメディアにも言い分はあろう。ただ、逮捕、拘留され、取調べをうけた体験者の声でしか、われわれは知りえないことがある。国民は、このところの検察のありように「権力の濫用」の懸念を抱き始めている。そのことをしっかりと司法当局に受けとめてもらいたい。

 圧倒的にゼネコンとの結びつきが強い自民党議員の献金問題は棚にあげておいて、昨年来、小沢一郎とゼネコンとの関係ばかりをマスコミへのリークによって世間に流布し続ける姿勢は、やはりどこかバランスに欠けているといわざるを得ない。検察の正義とは何か。功名心、出世欲に自らの判断と行動を支配されていることはないのか。ここは、一人ひとりの検察官にじっくり考えていただきたい。

 〔転載おわり〕






(私論.私見)