戦後の疑獄政治史 |
更新日/2018(平成30).5.28日
Re::れんだいこのカンテラ時評828 | れんだいこ | 2010/10/20 |
【戦後の疑獄政治史考】 小沢キード事件の解析の必要上、戦前戦後の疑獄政治史を確認しておこうと思う。但し、一朝一夕にはできないので始めはスケッチ風にならざるを得ない。以下のサイトに記す。 政党論 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/) 歴代の政治家訴追又は事件史 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/seijikasotuishi/seijikasotuishi.htm) 戦後の疑獄政治史 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/seitoron/seijikasotuishi/sengoshi.htm) ここで、戦後政治上の疑惑、疑獄事件を通史で確認しておくことにする。選挙違反を含め政治家の失脚が絡む事件を主として確認することにする。まだまだ不十分であるが、追って「検察の正義」の実態を解明する予定である。検察の捜査が及ばなかった事件も含め、どの系譜の者が逮捕され、見逃されてきているかを明らかにするつもりである。特に政治主義性が濃い事件を赤太字で識別することにする。 気づくことは、ロッキード事件以前は、それなりの大義名分が明らかなことである。よしんば指揮権発動にせよ、「高度な政治判断」と云う法理で説明がつく。ところが、ロッキード事件以降は何が正義やら分からなくなっている。つまり、免責特権導入等で「上からの法破り」が敢行された結果、政治訴追そのものが政治主義的に行われるようになってしまった。しかも、微罪的なものが執拗に追及され、悪質巨罪が見逃されるようになった。「検察ストーリー」が次第に常態化、定向進化し、こたび遂に検察側による証拠物改竄までが明るみにされるところまで来ている。 最もケシカランことは、在地土着系政治家がイジメラレ、シオニスタン系政治家が大甘で見逃されていることである。つまり、法が公正に適用されていないことである。ロッキード事件では、本当は不関与の田中角栄が逮捕起訴され、本ホシ系の児玉―中曽根ラインが免責された。検察のこの姿勢はその後ますます露骨化し、田中角栄系ないしはもっと広い意味での在地土着系にして有能な政治家が次から次へと起訴、長期拘留される他方で、岸系、中曽根系、福田系、小泉系が見逃され、よしんば摘発されても寛大な処分で優遇されていることである。 事例では、田中角栄、佐藤孝行、橋本登美三郎、中村喜四郎、田中真紀子、鈴木宗男、村岡兼造、小沢一論が執拗に責めたてられている。これらは皆、親角栄系である。角栄に造反した金丸信も入れておこう。これらの政治家は在地土着系政治家の範疇で括れる。同じ基準で他の政治家を捜査すれば網にかかる者は多かろうに、在地土着系政治家が集中的に叩かれている。岸系、中曽根系、福田系、小泉系でも時々法網が被せられる者も居るが、派内外様組か何らかの理由で叩かれたとみなせば良かろう。このまま行くと終生の免責組は岸、福田、中曽根、小泉であろう。何のことはないワシントンイエス組ばかりではないか。こういうことになる。 問題は次のところにある。日本左派運動が、この不正国策捜査に怒らず、日共のように検察正義論を奏でながら後押しするとしたら、その罪万死に値しよう。そういう意味で日本左派運動は健全だろうか。れんだいこの見るところ、第一次ブントの連中の目線が一番高い。同派からもかなり多くのシオニスタンが生まれているが、核の部分はさすがに健全で地の塩となって今も世の不正を糺し続けている。あっ晴れと云うべきだろう。惜しむらくは、現代帝国主義論即ちネオシオニズム論がないことだろうか。レーニズム帝国主義論はもはや使えないのに未だに後生大事にしている。これでは組織だって反撃できない。しかし気づけば良い。半ば解決されていよう。 2009.3.16日、2010.10.20日再編集 れんだいこ拝 |
■闇物資払い下げ事件 |
1945(昭和20)年、東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣、田中萬一特捜部長。 |
終戦の前日の1945(昭和20).8.14日、鈴木貫太郎内閣は、降伏決定の手続き終了後、戦後対策委員会を内閣に設置し、「軍需用保管物資の緊急処分」を指示した後、翌8.15日、総辞職した。つまり、つかの間の敗戦処理内閣となった。この結果、軍需物資が民間に大量に出回り、政商が暗躍した。当時の価格で約1000億円相当の軍需品(米.麦.雑穀.缶詰.砂糖.ガソリン.綿布.ゴム.鉄.銅電線など)が放出された。この決定は、どうせ占領軍に接収されるなら民間に払い下げようとしたものであったが、実際にはブローカーが暗躍し、軍人・官僚・政治家などによって不正に処分され忽然と消えてしまった。一種無秩序状態のまま軍需工場の倉庫から分散させられた。 |
■辻嘉六事件 |
1947(昭和22)年、片山内閣。 |
政界の黒幕が旧軍の隠退蔵物資ヤミ処分金を自由党政治家に分配した容疑。経緯は次の通り。1947(昭和22).3.29日、衆議院決算委員会で日本自由党の世耕弘一代議士が「日銀の地下倉庫に隠退蔵物資のダイヤモンドがあり、密かに売買されている」と発言。これにより、衆院の「不当財産取引調査特別委員会」が調査することになった。隠退物資とは、旧日本軍が本土決戦に備えて在庫した燃料・アルミ・銅・貴金属・食料(米・味噌・醤油他)などの物資をいう。この物資は約2400億円相当(現在の貨幣価値に換算して数十兆円)になり国内各所に分散貯蔵していた。 敗戦直後、配給も滞り「1000万人飢餓死説」が流れる中、旧軍の隠退蔵物資を闇ルートに横流しし、その資金で政界・官界に金をばら撒き、政治を牛耳ろうとしたフィクサー達がいた。この中で、児玉誉士夫、小佐野賢治らと並んで大物フィクサーに辻嘉六がいた。不当財産取引調査特別委員会」が調査を開始したところ、実業家の中曽根幾太郎が隠退物資である「軍服」を闇ルートに払い下げて莫大な金を稼いでいることが判明した。その金の一部が大物フィクサーである辻嘉六に渡り、自由党の鳩山(その後、総理大臣)、河野一郎らに現金20万円、饗応で数十万円の接待をしていたことが判明した。辻は、その他大物政治家に金をばら撒き、政界への発言力を増して、自身に有利な事業展開を図った。が、東京地検は政界にメスを入れることができず、金を受け取った政治家を偽証罪として告発、中曽根を詐欺罪で起訴するに留まった。 |
■炭鉱国管疑獄 |
1947(昭和22)年、片山内閣。 |
炭鉱国家管理法案審議権をめぐる炭鉱業者の政治家買収容疑。田中角栄が逮捕拘留される事件となる。 1947(昭和22)年、社会党首班政権の片山内閣が社会主義政策の一環として炭鉱を国家管理にするための炭鉱国家管理法案を国会に提出した。これに炭鉱主が反発し、炭鉱国家管理法案を阻止するために保守系議員へ政界工作を行った。「法案は緊急措置であり、国家管理の制度は他の産業に及ぼさない」と声明を出し、炭鉱主側に配慮した修正を経て成立した(1950年、廃止される)。しかし、後に炭鉱主側の工作が世間に露見する。この疑獄では田中万逸、竹田儀一、田中角栄らの政治家8名と炭鉱業者4名が賄賂罪で起訴、逮捕された。しかし、判決では、使われた金の大部分は政治献金と判断され、田中角栄被告は無罪となった。 |
■原侑議員辞職事件 |
1948(昭和23)年、芦田内閣、山内繁雄特捜部長。 |
原侑(自由、衆)の詐欺事件。1948.1.30日、議員辞職。 |
■昭電疑獄 |
1948(昭和23)年、芦田内閣、山内繁雄特捜部長。 |
大手化学工業会社昭和電工の日野原節三社長が、復興資金として復興金融金庫からの融資を得るために行った政府高官や政府金融機関幹部に対する不正融贈収賄資汚職事件。1948(昭和23).6月に摘発され、芦田内閣が崩壊し、福田越夫が逮捕されている。昭和電工事件とも云われる。大蔵官僚の福田赳夫が逮捕される事件となる。これにより経緯は次の通り。 収賄側としてGHQの下で日本の民主化を進める民政局(GS)のチャールズ・ケーディス大佐ら高官の名前が取り沙汰され、ケーディスは失脚。裏にGSのライバルで反共工作を行っていたG2のチャールズ・ウィロビー少将と右翼の三浦義一の暗躍があった。 大蔵官僚の福田赳夫(後の首相)や野党・民主自由党の重鎮大野伴睦(後の自由民主党副総裁)の逮捕に始まり、やがて政府高官や閣僚の逮捕にまで及んだ。栗栖赳夫経済安定本部総務長官、西尾末広副総理が検挙され芦田内閣の総辞職をもたらした。戦前軍部に対抗し大政翼賛会にも参加せず、首相としては閣僚の上奏を停止するなどリベラルであった芦田均を失脚させるための帝人事件同様の検察ファシズムであったと考えることもできる。その後、芦田均自身も逮捕されたが、裁判では栗栖以外の政治家は無罪となった。 |
■商工省繊維汚職 |
1949(昭和24)年、吉田内閣、福島幸夫特捜部長。 |
繊維資本家と商工省・政界の贈収賄容疑事件。1948.9.21日、鈴木重郎・商工省繊維局長が商工省繊維汚職容疑で逮捕された。吉田首相の名も取りざたされている。 |
■永江一夫辞職事件 |
1949(昭和24)年、吉田内閣、福島幸夫特捜部長。 |
前農林大臣・永江 一夫(社会党、衆議院議員)が、東洋製粉会社への復金融資に関わる汚職事件で1948.11.9日、議員辞職する。 |
■小川友三除名処分 |
1950(昭和25)年、吉田内閣。 |
小川 友三(無所属懇、参議院議員)が反対討論後に賛成票を投じ、1950.4.7日、除名処分を受ける。 |
■五井産業事件 |
1950(昭和25)年、吉田内閣。 |
警視庁出入業者・五井産業と警視庁幹部、吉田内閣首脳の疑惑。 |
■日発スキャンダル |
1950(昭和25)年、吉田内閣。 |
最大の独占企業日本発送電会社分割に関わる政財界の汚職容疑。 |
■二重煙突事件 |
1950(昭和25)年、吉田内閣。 |
特別調達庁が占領軍用に発注の二重煙突につき法務総裁に疑惑。 |
■川上貫一除名処分 |
1951(昭和26)年、吉田内閣。 |
1951.3.29日、川上貫一(共産、衆)が占領政策を批判し除名処分を受ける。 |
■電通汚職 |
1952(昭和27)年、吉田内閣。 |
電通官僚の天下り立候補資金集めおよび横領容疑。 |
■砂糖汚職 |
1953(昭和28)年、吉田内閣。 |
官僚グループ火曜会が介在した裏件。農林省課長自殺で迷宮入り。 |
■霊友会事件 |
1953(昭和28)年、吉田内閣。 |
新興宗教霊友会の脱税事件で法相モミ消し奔走の疑い。 |
■保全経済会事件 |
1953(昭和28)年、吉田内閣、山本清二郎特捜部長。 |
1953年、匿名組合保全経済会に係る詐欺事件が発生した。「投資銀行法案」〃買収〃をねらった「保全経済会」の政治献金が問題となり、政界工作を廻って国会で証人喚問する事態に発展した。 |
■日殖事件 |
1954(昭和29)年、吉田内閣、山本清二郎特捜部長。 |
保全経済会同様、倒産した庶民金融と顧問の保守党政治家の癒着関係。 |
■陸運疑獄 |
1954(昭和29)年、吉田内閣、山本清二郎特捜部長。 |
交通公社・弘済会・高速度営団と運輸関係議員をめぐる黒い霧。 |
■日興連汚職 |
1954(昭和29)年、吉田内閣、山本清二郎特捜部長。 |
全国映画館経営者団休(日興連)の入場料引き上げに反対陳情に関わる汚職。 |
■造船疑獄事件 |
1954(昭和29)年、吉田内閣、山本清二郎特捜部長。 |
計画造船における利子軽減の為の「外航船建造利子補給法」制定請願をめぐる贈収賄事件で、開銀融資の計画造船と利子補給法〃買収〃をめぐる大疑獄となった。自由党幹事長であった佐藤榮作が逮捕される寸前、犬養法相の指揮権発動で難を逃れた。 1954.1月、東京地方検察庁特別捜査部による強制捜査が開始され、政財官界の被疑者多数が逮捕され、国会議員4名の逮捕等を経てさらに発展する気配を見せた。3.29日、運輸省海運調整部総務課 課長補佐の雛田英夫が、運輸省本庁舎で飛び降り自殺?変死。4.19日、石川島重工重役の宮島利雄が東京・世田谷の自宅で首吊り自殺?変死。 |
4.20日、検察庁は当時与党自由党幹事長であった佐藤榮作を収賄容疑により逮捕する方針を決定した。翌4.21日、犬養健法務大臣は、時の吉田茂首相の意向を受け、検察庁法第14条による指揮権を発動し、佐藤藤佐検事総長に逮捕中止と任意捜査を指示した。犬養法相は翌日辞任した。4.30日、参議院本会議で指揮権発動に関する内閣警告決議が可決された。衆議院は9.6日に証人喚問を行い、佐藤検事総長は「指揮権発動で捜査に支障が出た」と証言。その後、衆議院は吉田茂首相を証人喚問議決をするも、吉田は病気を理由に拒否。その後、衆議院は拒否事由が不十分として議院証言法違反で吉田首相を告発するも不起訴処分となった。 逮捕者は71名にのぼり、起訴された主要な被告のうち7名が無罪、14名が執行猶予付きの有罪判決を受けた。佐藤栄作は後に政治資金規正法違反で在宅起訴されたが、国連加盟恩赦で免訴となった。当時の吉田茂内閣が倒れる発端となった事件の一つで、吉田内閣を打倒し鳩山一郎・岸信介らのいわゆる逆コース政治家に再登場の道を開くために仕組まれた帝人事件同様の検察ファッショの例に過ぎないと考えることもできる。 |
■野原正勝失職事件 |
1955(昭和30)年、鳩山内閣、。 |
野原 正勝(民主、衆)が選挙違反容疑で、1955.5.23日、逮捕、失職する。 |
■東独カリ輸入問題 |
1955(昭和30)年、鳩山内閣、。 |
束独カリ輸入をめぐる政界人の暗躍。 |
■電源開発疑惑 |
1955(昭和30)年、鳩山内閣、。 |
自民党が選挙資金捻出のため電源開発の工事費を水増しした容疑。 |
■農林省つまみ食い事件(多久島事件) |
1956(昭和31)年、鳩山内閣、。 |
6.10日、農林省大臣官房経理厚生課事務員の吉川六郎が、東京・北区の荒川放水路で入水自殺?変死。 |
■鈴木周次郎当選無効 |
1957(昭和32)年、石橋・岸内閣、天野武一特捜部長。 |
鈴木 周次郎(自民、衆)が選挙違反容疑で、1957年、当選無効。 |
■売春法汚職 |
1957(昭和32)年、石橋・岸内閣、天野武一特捜部長。 |
「売春防止法案」反対にからむ汚職。 |
■重光葵(まもる)腹上死事件 |
1957(昭和32)年、石橋・岸内閣、天野武一特捜部長。 |
1957.1.26日、重光葵(まもる)は、第二次世界大戦中に外務大臣を務め、政府全権として降伏文書に調印し、日本の国際連合加盟に尽力した外交官、政治家の履歴を持つが、神奈川県湯河原の別荘で死去した。腹上死と云われている。真相は定かでない。 |
■全購連汚職 |
1957(昭和32)年、。 |
1957.4.10日、全購連燐酸カリ課 調査役。 |
■第1次FX選定事件 |
1958(昭和33)年、岸内閣、。 |
自衛隊の次期主力戦闘機選定をめぐる自民党幹部による汚職。岸首相の暗躍が不問にされた。 1957年、国防会議決定の第一次防衛力整備計画に基づく、旧式化した自衛隊の主力戦闘機F-86Fにかわる超音速戦闘機300機の機種選定について、当初、防衛庁は次期戦闘機をロッキードF-104に内定していたが、岸内閣成立後の1958.4月、日本政府はグラマンF11Fを採用決定した。この見返りとして、岸に対して、グラマン社が納入1機に対し1000万円、最大30億円のマージンを支払われたとされる疑惑が伝えられている。(資金は、その後の総選挙費用と総裁選対策費として支払われたのではないかと言われる)。しかし、実際に1962年から後継主力戦闘機として配備されたのは一旦覆ったはずのF-104Jである。事件にならず。 |
■鮎川義介、鮎川金次郎辞職事件 |
1958(昭和33)年、岸内閣、。 |
元日産コンツェルン総帥の鮎川義介(無所属、参)と鮎川 金次郎(自民、参)が鮎川派選挙違反容疑で、1959.12.29日、辞職させられる。 |
■浅沼稲次郎暗殺事件 |
1960(昭和35)年、岸内閣、。 |
日本社会党委員長の浅沼稲次郎(社会、衆)が、1960.10.12日、日比谷公会堂において演説中、17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺された。 |
■日興連汚職 |
1961(昭和36)年、池田内閣、。 |
福田 繁芳(衆)が、1961.3.1日、逮捕され失職する。 |
■辻政信失踪事件 |
1961(昭和36)年、池田内閣、。 |
旧日本陸参謀にして、戦後は自伝小説「潜行三千里」を刊行、ベストセラー作家そして参議院議員に転身したという異色の政治家で辻正信(自民、参)は、1961.5.20日、ラオスで消息不明となる。 |
■虎ノ門国有地払い下げ疑惑 |
1964(昭和39)年、池田内閣、。 |
国有地転売による土地転がし不正事件。田中角栄、小佐野賢治の名が取りざたされる。 |
■九頭竜ダム補償問題事件 |
1961(昭和36)年、池田内閣、。 |
1964.12月初旬、九頭竜ダム建設で水没することになった鉱山経営者・緒方克行は補償交渉の調停人として児玉の元を訪ねる。この時、児玉は、「内容も理解できたので、何とか調停して差し上げましょう。既にこの問題に携わるメンバーも決めてあります。中曽根さんを中心として読売政治部の渡辺恒雄君、同じ経済部の氏家斉一郎君に働いてもらいます。ま、暫くは成り行きを見ていてください」。12.27日、緒方は児玉邸で読売新聞記者の渡辺と氏家に引き合わせられる。この時、事前運動費として1千万円(当時の金額を今換算すれば1億円相当)を児玉に差し出している。しかし、働きかけは成功せず、後日1965.7.25日運動費も返還されている。妙な事件である。石川達三の「金環蝕」の題材ともなり、同名で映画化までされた一大スキャンダルである。多くの疑獄関係書に、詳しい経過が記されている。 |
1965年(昭和40年)2月12日、池田勇人前首相秘書官、当時・大蔵省証券局 課長補佐の中林恭夫が、東京・目黒の官舎で転落死変死。 同4.10日、政界新聞『マスコミ』社長(衆議院決算委で証人喚問)の倉地武雄が、東京・麹町の事務所で絞殺。三男を逮捕。 背後関係なしとの結論に。 |
■武州鉄道汚職事件 |
1965(昭和40)年、佐藤内閣、河井信太郎特捜部長。 |
■吹原・森脇事件 |
1965(昭和40)年、佐藤内閣、河井信太郎特捜部長。 |
吹原産業社長による30憶円詐欺事件の裏に、政治献金の疑惑。 |
■田中彰治辞職事件 |
1966(昭和41)年、佐藤内閣、大江兵馬特捜部長。 |
衆議院決算委員長・田中 彰治(自民、衆)が1966.9.13日、逮捕され辞職する。 |
■共和精糖事件 |
1966(昭和41)年、佐藤内閣、大江兵馬特捜部長。 |
■信濃川河川敷事件 |
1966(昭和41)年、佐藤内閣、大江兵馬特捜部長。 |
田中角栄ファミリー企業による河川敷買い占め疑惑が取りざたされる。 |
■束京大証事件 |
1966(昭和41)年、佐藤内閣、大江兵馬特捜部長。 |
政界人を利用し、インチキ手形で三億円詐欺容疑事件。 |
■束京大証事件 |
1968(昭和43)年、佐藤内閣、木村喬行特捜部長。 |
政府の食糧輸送の利権をめぐる日本通運による政治献金疑惑。 |
■日通事件 |
1968(昭和43)年、佐藤内閣、木村喬行特捜部長。 |
政府の食糧輸送の利権をめぐる日本通運による政治献金疑惑。 1968年(昭和43年)4月18日、日本通運 資金課長(前社長の次男)福島 秀行が、検察合同庁舎の屋上で飛び降り自殺?変死。 |
■第2次FX選定疑惑 |
1968(昭和43)年、佐藤内閣、木村喬行特捜部長。 |
次期主力戦闘機の選定をめぐる疑惑。“次期戦闘機”商戦は数兆円規模のものであり加熱する。中曽根の暗躍が見過ごされた。 1968年、次のFX計画が発足。選考にはCL1010-2,F-4E,ビゲン,ミラージュF1が候補にあがり、1969年、マクダネルダグラスF-4Eを元にしたF-4EJの採用が決定された。1978.12.25日、アメリカの証券取引委員会にて、この時のF-4EJファントムIIの売り込みに際しマクダネルダグラス社が日本政府の高官(岸信介、福田赳夫、松野頼三、中曽根康弘)に対し1万5千ドルを手渡していたことが告発された。翌1979.1.4日、E-2Cホークアイの売り込みに際しグラマン社が4名の政治家に対し不正資金を送ったことがさらに発覚したがどちらも事件にならなかった。 |
■佐藤孝行辞職事件 |
1969(昭和44)年、佐藤内閣、木村喬行特捜部長。 |
1969.1.30日、佐藤孝行(自民、衆)が、選挙違反で逮捕され辞職する。 |
■新薬汚職事件 |
1969(昭和44)年、佐藤内閣、。 |
3月、厚生省保健所 課長が、飛び降り自殺?変死。 |
■総裁選7憶円疑惑 |
1972(昭和47)年、田中内閣、大堀誠一特捜部長。 |
田中角栄首相選出をめぐって中曽根派が7億円で買収されたのではないかという疑惑。 |
■協同飼料株価不正操作事件 |
1972(昭和47)年、田中内閣、大堀誠一特捜部長。 |
■石油ヤミカルテル事件 |
1972(昭和47)年、田中内閣、大堀誠一特捜部長。 |
■田中金脈事件 |
1972(昭和47)年、田中内閣、大堀誠一特捜部長。 |
田中首相の資産形成の過程で政治資金の悪用、脱税等による疑惑。立花隆が文芸春秋誌上に発表し口火を切った。田中内閣総辞職の引き金になる。 |
■ロッキ‐ド疑惑勃発、田中角栄逮捕事件(「ロッキード事件考」) |
1976(昭和51)年、三木内閣、川島興特捜部長。 |
1976.2.4日、ロッキード社のトライスタ−(旅客機)、P3C(対潜哨戒機)の売り込み工作に対する贈収賄事件が勃発した。7.27日、田中角栄・元首相が、東京地検特捜部により外為法違反容疑で逮捕、起訴され、翌日より22日間勾留された。 |
1976年(昭和51年)6月10日、ジャパンPR社社長(ロッキード通訳)・福田 太郎が東京女子医大病院で動脈瘤?変死。 8.1日、田中角栄元首相 私設秘書・笠原 政則が埼玉・都畿川村の林道で排ガス自殺?変死。 ポルノ男優・前野光保が、セスナ機で児玉誉士夫邸に突入し、死亡。 |
■佐藤孝行逮捕事件 |
1976(昭和51)年、三木内閣、川島興特捜部長。 |
8.20日、元運輸政務次官・佐藤孝行(自民、衆)が、東京地検特捜部によりロッキード事件絡みの200万円の受託収賄罪容疑で逮捕され東京拘置所へ勾留された。佐藤氏は中曽根派内で最も田中派に近く、総裁公選の時も親田中で活躍した経歴を持つ。 |
■橋本登美三郎逮捕事件 |
1976(昭和51)年、三木内閣、川島興特捜部長。 |
8.21日、田中派重鎮の元運輸大臣・橋本登美三郎(自民、衆)が、東京地検特捜部によりロッキード事件絡みの受託収賄罪容疑で逮捕され東京拘置所へ勾留された。この時橋本は76歳。9.10日、東京地検が、橋本元運輸相、佐藤下運輸政務次官を受託収賄罪で起訴する。 |
■ダグラス・グラマン事件 |
1979(昭和54)年、大平内閣、吉永祐介特捜部長。 |
ダグラス・グラマン両社による航空機売り込み疑惑。詳細は「ダグラス・グラマン事件考」に記す。中曽根の暗躍が見過ごされた。 1978.12.25日、アメリカの証券取引委員会にて、1967年のF-4EJファントムIIの売り込みに際しマクダネルダグラス社が日本政府の高官(岸信介、福田赳夫、松野頼三、中曽根康弘)に対し1万5000ドルを手渡していたことが告発された。翌年1月4日にはE-2Cホークアイの売り込みに際しグラマン社が4人の政治家に対し不正資金を送ったことがさらに発覚した。 東京地検はアメリカの証券取引委員会に協力を求めた上、マクダネルダグラス社とグラマン社、両社の日本代理店である日商岩井を中心した捜査を開始した。かしその突如、日商岩井の航空機部門の常務であった責任者が自殺するなど捜査は行き詰ってしまった。2月、当時の日商岩井の副社長とF-4EJ疑惑に関わったとされる松野頼三元防衛庁長官が証人喚問に召喚され、日商岩井副社長は記憶に無い発言を繰り替えす。が、元防衛庁長官はマクダネルダグラス社から5億円を受け取ったことを認る。 また、F-104を押しのけF-11F-1が急浮上したFX選定に際する当時の首相、岸信介に対しグラマン社が納入1機に対し1千万円、最大30億円のマージンを支払うという関わりを示す証拠品が発見された。しかしながらこの時点で既に時効が成立しており捜査は打ち切られ、金銭享受を認めた元防衛庁長官も刑事裁判には至らず、結局この事件で逮捕され刑事裁判を受けたのは日商岩井の幹部二人のみで、政治家は誰一人として責任を追及されることはなかった。 また3年前の1976年年にはグラマンF-14とマクダネルダグラスF-15によるFXにおいてマクダネルダグラスF-15が採用決定されていたため、当然疑惑が向けられることとなったが、捜査の終結に伴いF-14及びF-15は一切捜査されることはなかった。 |
1979年(昭和54年)2月1日、日商岩井 常務・島田三敬が東京・赤坂の子会社ビルで飛び降り自殺?変死。 |
■松野頼三辞職事件 |
1979(昭和54)年、大平内閣、吉永祐介特捜部長。 |
元防衛庁長官・松野頼三(自民、衆)が、日商岩井から政治献金を受けていた問題で証人喚問され、「政治家松野を育てる献金であった」と献金を認める答弁をした(政治資金規正法違反や収賄罪に関しては刑事時効が成立)。1979.7.25日、逮捕され辞職する。 |
■税政連献全事件 |
1979(昭和54)年、大平内閣、吉永祐介特捜部長。 |
税理士法一部改正案のため与野党議員に日税連が献金。 |
■宇野亨起訴事件 |
1979(昭和54)年、大平内閣、吉永祐介特捜部長。 |
宇野亨(衆)が公選法違反で在宅起訴。 |
■浜田幸一辞職事件 |
1980(昭和55)年、鈴木内閣、吉永祐介特捜部長。 |
1980.4.11日、浜田幸一(自民、衆)が、ラスベガスとばく発覚で辞職する。浜田は隠れ田中派で、角栄派追討の臭いがする。 |
■KDD事件 |
1980(昭和55)年、鈴木内閣、吉永祐介特捜部長。 |
国際電信電話公社(KDD)の乱脈経理事件。 |
1980年(昭和55年)1月24日、KDD経営調査室経営分析担当課長・山口 清邦が首吊り自殺?変死。 1980年(昭和55年)2月6日、KDD前社長付参与・保田重貞が川崎・小田急向ヶ丘遊園駅で飛び込み自殺?変死。 |
■大平正芳首相急死事件 |
1980(昭和55)年、鈴木内閣、吉永祐介特捜部長。 |
1980.6.12日、大平正芳首相が、総選挙が公示された5.30日、第一声を挙げた新宿での街頭演説の直後から気分が悪くなり虎の門病院に入院。一時は記者団の代表3人と数分間の会見を行えるほどに回復したものの、6.12日、容態が急変し死去した(70歳)。死因は心筋梗塞による心不全。死去前夜、7時半頃、桜内義雄幹事長が選挙情勢について報告に訪れ、その後伊東官房長官とも30分程話し、そして午後9時ごろ娘婿で秘書官の森田一がヴェネツィアサミットの準備に当らせるため佐藤秘書官をヴェネツィアに派遣することを報告した際に返した「そうか、わかった」が最期の言葉となった。 |
■誠備グループ脱税事件 |
1981(昭和56)年、**内閣、岡村泰孝特捜部長。 |
■芸大事件 |
1982(昭和57)年、**内閣、藤永幸治特捜部長。 |
■三越事件 |
1982(昭和57)年、**内閣、藤永幸治特捜部長。 |
(私論.私見)
●小泉就任直後の司法ジャーナル記事
記事のタイトルは「小泉首相は自民党の不健全な体質を変えられるか。党三役、閣僚人事では…」だ。
以下本文。
周知のように自由民主党総裁に小泉純一郎が選ばれ、日本の新しい内閣総理大臣にも選ばれた。
小泉は「自民党を変える。日本を変える」ことを公約して当選した。自民党を変える、ということは 「既得権益擁護を目的に利権集団化している派閥」を解消し、KSD事件にみられたような「自民党そのものが疑惑の当事者」 と定評のある「不健全な体質」を変え、「いわくがある人物」は「重要な役職に登用しない」ということでもある。
小泉は注目された党三役人事でも最大派閥の橋本派(田中、竹下、小渕派)からの起用を見送った。閣僚への起用も17人中2人。 いわくがある亀井静香、額賀福士郎も党3役、閣僚から外した。スタートの人事に関する限り評価できる。
●検察は厳正公平、不偏不党だが…
小泉の「自民党を変える。日本を変える」の根底にあるものは「竹下元首相の不健全な遺産」から決別したいということである。 小泉の師匠・福田赳夫が晩年最も嫌っていたのが竹下であったからだ。小泉の胸の中には福田の「リクルート事件の後、竹下に騙された」 と口惜しがっていた思い出が残っていないはずはない。
検察は厳正公平、不偏不党が伝統だが、橋本龍太郎、亀井静香に比較すると小泉への期待度が高い。
●自民党の不健全な体質とは?
検察部内でも小泉がどう自民党の不健全な体質を変え、日本を変えるか、に関心を抱いている向きは多いが、代表的存在に東京地検特捜部がある。
自民党の不健全な体質とは何か。記者は3つあると思う。
●竹下が引継いだ権力の2重構造
1つはかつて福田赳夫が「(ロッキード事件の)刑事被告人が、つまり第一審で懲役4年の実刑判決を受けた人が、 日本国と日本の運命を左右している。総理大臣までつくり、指図する。先々日本の政治はどうなるのか。誰も文句を言わないとすれば、 日本列島全体が刑事被告人の国になってしまうだろう」と慨嘆した。田中が大平急死の後、鈴木、 中曽根政権の成立ではキャビネットメーカーとして復活、党を「数は力なり」「力は金なり」の体質とし、首相官邸と田中派という 「権力の2重構造」を作ったことを批判しての発言であった。
田中の作った体質は竹下によって受け継がれ、竹下は宇野、海部、橋本、小渕内閣を事実上支配した。「権力の2重構造」 は意に従わない者を屈服させる手段に「闇の勢力」と手を結ぶことになりがち。「権力の2重構造」の裏には必ず「闇の勢力」が寄生する。 竹下が85年1月27日、創世会を旗揚げして以来、竹下に「闇勢力の影」が付き纏ったのもそのためである。
●政官業の癒着による体質
「『数は力なり』『力は金なり』の体質」は「派閥の連合体である党と官、業癒着体質(政治家の口利き行為と業者の見返り、 官僚は人事で優遇の日常化)」と同じ。この体質が改まらない限り、党幹部、閣僚、 政務次官経験者の汚職事件が相次いで起きて当然といえる。派閥の長が「金と人事と選挙」によって所属議員を支配する仕組みであり、 誰もが金と力を必要としているからだ。
最近、東京地検特捜部が摘発した、あるいは摘発しそこなった例で説明しよう。
@リクルート事件(89年) リクルート社、藤波孝生元内閣官房長官(懲役3年、執行猶予4年、追徴金4270万円=確定=)文部、 労働省、NTT。事情聴取を受けていた竹下首相の金庫番・青木伊平自殺。竹下退陣。
A橋本龍太郎蔵相秘書の富士銀行融資疑惑(91年) 橋本の金庫番・小林豊識。橋本辞任。
B共和汚職事件(91年) 鉄骨加工会社「共和」、阿倍文男・北海道沖縄開発庁長官(懲役3年、追徴金9000万円)
C東京佐川急便事件(92年) 東京佐川急便、金丸信・前自民党副総裁(略式起訴後、罰金20万円)金丸辞任、政界引退。
D金丸信脱税事件(93年) 大手ゼネコン、金丸信・前衆院議員、96年3月26日死亡のため公訴棄却。
Eゼネコン汚職事件(93年) 大手ゼネコン、中村喜四郎・元建設相、(1、2審懲役1年6月、追徴金1000万円、上告中)地方公共団体首長の汚職。
F石油卸商・泉井純一の献金事件(96年) 三菱石油、ブローカー、山崎拓・当時自民党政調会長に2億7800万円が渡り、 うち2億円は渡辺美智雄に、残りは山崎が収受したようだが、職務権限と結びついた献金と証明できる証拠が出ず、 政界汚職事件に発展しなかった。通産省高官に対する接待も不発、関西国際空港株式会社の汚職のみが摘発された。
G日興證券の政治家に対する利益供与事件(98年) 日興證券、新井将敬・衆院議員(証券取引法違反容疑で逮捕される直前に自殺)。
H防衛政務次官の受託収賄事件(98年) 富士重工、中島洋次郎・防衛政務次官(余罪と併せ1、2審で懲役2年、追徴金500万円、 上告中自殺)。
IKSD事件(2001年) KSD、村上正邦・前参院自民党議員会長、子分小山孝雄・参院議員が起訴。
KSD事件は捜査対象になったのは村上、小山の2人だったが、1500万円を受け取り、 その後返却したとされる橋本派幹部の額賀福士郎・前経済担当相の疑惑や、 KSDの十数億円に上る自民党費肩代わり疑惑も所属政治家や党に根差した「汚職体質」といっても過言ではない。 東京地検特捜部が兵力的に対処しうる限界であったことから不問とされたにすぎない。 額賀と起訴されて東京拘置所暮らしを続けた村上正邦、小山孝雄とは天国と地獄に住むほど差がついているが、 内側からみると大差はないということだ。
前述の@からIはいずれも自民党の体質を象徴する事件、金がなければいくら能力があっても、体面維持もできず、 要職にもつけないという「党の体質」が生んだともいえる。
金丸と中村喜四郎の2例は自分のためというより、佐川急便事件の金丸は派閥の勢力維持、中村は竹下、 金丸から引継いだ竹下派の既得権益・ゼネコン利権を守ろうと派閥の犠牲になった事件ともみられないことはない。
記者がいいたいのは「89年から小泉内閣誕生までは『こういう自民党の体質を象徴する事件』が数多くあった」ということだ。小泉が自民党をふっ壊すと公約した所以もここにあった。小泉は時代を変えようとしたのである。
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●闇の勢力との癒着体質
前に「『権力の2重構造』の裏には必ず『闇の勢力』が寄生することに触れた。闇勢力を使って何かをなせば必ず利用される。 政治家と闇勢力が持ちつ持たれつの関係を結ぶことになるのが自然の成り行きである。最近までそれが自民党の体質になっていた。
前と同じように最近、東京、大阪地検特捜部が摘発した、あるいは摘発しそこなった例で説明しよう。85年のプラザ合意以降、 闇の勢力が表舞台に登場する。
@平和相互銀行の金屏風疑惑(86年) 田代一正、伊坂重昭(特別背任罪で懲役3年6月確定)竹下登、青木伊平、福本邦雄、磯田一郎、 河村良彦、真部俊成、佐藤茂、石井進。
A三菱重工CB疑惑(86年) 野村証券、日興証券と闇勢力の癒着が目立ち、野村は政治と闇世界の事実上の支配者に。石井進。政治家、官僚。
B皇民党事件(87年) 大島竜a、竹下登、金丸信、青木伊平、中尾宏、渡辺広康、石井進。小渕恵三、梶山静六、魚住汎英、浦田勝、 浜田幸一、森喜朗が話題となった。
C石井進による東急電鉄株買占め疑惑(89年) 石井進、青木伊平(竹下)
D仕手筋・小谷光浩事件(90年) 小谷光浩(恐喝罪で懲役7年)、中曽根康弘、三塚博、稲村利幸、田淵節也、竹井博友、石井進。
Eイトマン事件(91年) 河村良彦(特別背任罪で懲役7年、控訴中)、伊藤寿永光(同罪で懲役10年控訴中)、 許永中(1審懲役7年6月、罰金5億円、控訴中)、竹下登、亀井静香、福本邦雄。
F野村証券などの損失補てん事件(91年) 田淵節也、田淵義久、岩崎琢弥。総会屋。政治家。
G東京佐川急便事件(92年) 渡辺広康、石井進、金丸信、竹下、金子清。
H証券4社と一勧による総会屋への利益供与事件(97年) 小池隆一(懲役9月、追徴金約6億9360万円)、 酒巻英雄(懲役1年、執行猶予3年)、奥田正司(懲役9月、執行猶予5年)、宮崎邦次(捜査中自殺)新井将敬・衆院議員(逮捕直前、自殺)
I許永中が仕組んだ石橋産業からの巨額手形詐欺事件と中尾元建設相収賄事件(2000年) 許永中、田中森一、福田晴瞭、石橋浩、 林雅三、中尾栄一、福本邦雄。竹下登、亀井静香。