日共の超右翼的領土論考

 (最新見直し2010.11.07日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで日共の徴右翼的領土論を確認することにする。

 2010.11.07日 れんだいこ拝


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 1998年4月21日付「しんぶん赤旗」より 今後の領土交渉に有害な「国境画定」論」。

 日ロ首脳会談で不破委員長が批判

 不破委員長は二中総への報告のなかで、四月十八、十九の両日おこなわれた日ロ首脳会談について、「領土問題ではなんの前進もなく、一方的な経済援助の約束の積み増しに終わったことは明白」と指摘、「真剣な領土問題の交渉の用意なしに首脳同士の個人的友好で問題を解決しようというやり方の不毛さを明らかにした」とのべました。

 不破委員長は、領土問題の解決には「日本側の領土要求の論だて、国際法的論だての確立が必要だが、それが欠如している」と指摘しました。

 日ロ間の領土問題の根本は、ヤルタ協定を根拠にソ連のスターリンが横暴に日本から千島列島を奪い、日本政府がサンフランシスコ平和条約の「千島放棄条項」を受け入れたところにあります。

 不破委員長は、日本政府がとっている態度はこの問題に「一切手をつけずに、ヤルタ協定の枠内でいろいろ解釈をこじつけるというやり方」であり、「千島列島はいらない。国後、択捉は千島ではないので返してくれ」という論法は国際的には通用しないと指摘しました。

 さらに不破委員長は、橋本首相が「国境画定」論をもちだしたことについて、「重大な問題をふくんでいる」と指摘しました。

 「国境画定」論はソ連が領土問題の存在を認めていなかった段階では、領土問題の「解決ずみ論」を打ち破るうえで、重要な意義をもちました。一九七九年の日ソ両党首脳会談で、日本共産党は、平和条約による国境画定がおこなわれていないことを厳然たる事実として指摘し、そうである以上、領土問題の最終的解決が存在しえないことを明確にしめして、当時ソ連側がとっていた「解決ずみ論」を撤回させたのです。

 しかし、ソ連=ロシア側が、領土問題の存在を認めるにいたった現在では、国境画定論には、領土交渉の論だてとしての意味はありません。それどころか、橋本首相の「国境画定」論は、今後の領土交渉にきわめて有害な役割をはたします。

 不破委員長は、その有害さを、三点にわたって指摘しました。

 第一に、領土交渉の対象を四島に限定したうえで、その合意の結果で国境を画定するということは、「北千島の永久放棄を、日本から宣言したことになる」ことです。

 第二に、領土の返還と「国境画定」をわざわざ区別することは、国境画定後も、ロシア側に国境線をこえた実効支配を認める含み、つまり実際の領土返還を先送りする余地を残したものとなることです。

 第三に、日本側のこんな譲歩にもかかわらず、ロシア側は領土返還の問題について、前向きの言明をなに一つしていないことです。

 不破委員長は、今回の合意について、「政府は“成果”の宣伝につとめているが、実際の合意内容を冷静にみるならば、内閣の延命のために日本国民の国益を犠牲にしたといわれても仕方のないものだ」と批判しました。そして、スターリンのヤルタ協定による千島列島への不当な領土拡張を是正することが「日本の国民の側の大義」であり、「これからの領土交渉にのぞむ最優先の前提問題」であることを強調しました。


 「日ロ領土問題と平和条約交渉について 森・プーチン会談と「イルクーツク声明」は何を示したか2001年4月13日 日本共産党 政策委員会、同 国際局」。
 森首相とプーチン大統領との日ロ首脳会談は、「イルクーツク声明」(三月二十五日)を発表して終わりましたが、両国間の領土問題について、な んらの具体的な前進がなかったばかりか、いっそうの困難をつくりだすものとなりました。日本の各紙も、「依然隔たり大きい日ロ平和条約交渉」、「かすむ 『領土』 日本苦渋 日露交渉進展せず」などと、きびしい見方を示しています。

 いったい、このゆきづまりを打開する道はどこにあるのでしょう。そのためにも、あらためて、日ロ間の領土問題の原点はどこにあるのか、自民党外交のどこに問題があるのか、日本共産党はどう考えているのか――について明らかにしておくものです。

 一、日ロ領土問題の原点と解決の基本方向は

 (1)歯舞、色丹と千島列島全体が日本の歴史的な領土

 政府もマスコミも、ロシアとの領土問題というと「北方領土」という言葉を使います。「北方領土」という場合、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の四島のことをさしています。しかし、日本の歴史的な領土は、この四島だけではありません。歯舞と色丹は、もともと北海道の一部です。国後と択捉は、千島列島のなかの南千島部分だけです。本当は、その北にある得撫(うるっぷ)から占守(しゅむしゅ)までの北千島までを含む千島列島全体が、日本の歴史的な領土なのです。このことが確定したのは、幕末から明治にかけての十九世紀後半のことでした。

 それまでは、千島列島と樺太(サハリン)島がどの国の領土であるかは確定しておらず、千島列島の南からは日本が、北からはロシアが、それぞれ 進出し、利害が衝突したところでは紛争が起こるという具合でした。それが、千島は日本の領土、樺太はロシアの領土となったのは、二つの条約が結ばれたこと によってでした。

 一つは、徳川幕府と帝政ロシア政府との間に結ばれた、一八五五年(安政元年)の「日魯(にちろ)通好条約」です。伊豆の下田で結ばれたこの条約によって、択捉島と国後島の南千島は日本領、得撫島から占守島までの北千島はロシア領とし、択捉島と得撫島のあいだの海峡を日ロ間の国境とすることが決 まりました。しかし、樺太島については、両国間の境界を決めず、従来どおり日本人もロシア人も自由に活動できる“雑居の地”とされました。

 もう一つが、その二十年後、一八七五年(明治八年)にロシアの首都サンクトペテルブルクで結ばれた「樺太・千島交換条約」です。この条約に よって、樺太全島をロシア領とするかわりに、北千島を日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となったのです。この点では、日露戦争の結果、日本がロシアから奪いとった南樺太とは根本的に異なります。

 このように千島列島は、日本が暴力や戦争で他国から奪った領土ではなく、平和的な外交交渉によって日本への帰属が最終的に確定したものであり、日本の歴史的な領土を問題にするなら、一八七五年の樺太・千島交換条約で画定した国境が、日本とロシアとのあいだの歴史的な境界線となるべきことは、日ロ外交史が示す自明の結論です。

 (2)日本の歴史的領土を奪ったスターリンの大国主義的誤り

 その千島列島や北海道の一部である歯舞、色丹が、どうして旧ソ連、現在のロシアの領土にされてしまったのでしょう。それは、第二次世界大戦の 最終段階に、ソ連の指導者だったスターリンが、日本の歴史的領土である千島列島の併合を対日参戦の条件として強引に要求し、しかも平和条約の締結もまたずに併合を実行してしまったからです。

 もともと、第二次世界大戦の戦後処理については、ソ連が支持した「大西洋憲章(英米共同宣言)」(一九四一年)でも、ソ連ものちに加盟した 「カイロ宣言」(一九四三年)でも、連合国側は「領土不拡大」を最大の原則として確認していました。「大西洋憲章」には、「両国は領土的その他の増大を求 めず」と明記され、カイロ宣言は「右同盟国は自国のために何等の利得をも欲求するものにあらず。また領土拡張の何等の念をも有するものにあらず」と強調していました。

 ところが、第二次世界大戦末期の一九四五年二月、クリミア半島のヤルタでおこなわれた米英ソ三国首脳による秘密会談でスターリンは、対日参戦の条件に日本の正当な領土である千島のソ連への「引き渡し」を要求し、アメリカ、イギリスともこれを認めてしまったのです(「ヤルタ秘密協定」)。スター リンは、この会談で「ソ連が対日戦争に参戦するためには、ソ連が極東で欲している一定の利権が認められることが肝要である」とのべ、「利権の譲渡」を強く要求したのです(当時の米国務長官ステティニアス著『ルーズベルトとロシア人』)。スターリンの要求は、「領土不拡大」というソ連も参加していた連合国の戦後処理の原則を乱暴に踏みにじるもので、なんらの国際的道理ももたないものでした。

 しかもソ連は、千島列島だけでなく、ヤルタ協定で言及されなかった北海道の一部である歯舞、色丹まで軍事占領し、戦後まもない一九四六年に、平和条約も問題にならないあいだに、千島列島と歯舞・色丹のソ連領への「編入」を一方的に強行してしまいました。

 その後、一九五一年にサンフランシスコ平和条約が結ばれた時、日本は、この条約の領土条項で、千島列島にたいする「すべての権利、権原および請求権を放棄」すること(第二条C項)を強要されました。これは、この条約の起案者であるアメリカが、一九四五年のヤルタ協定の内容を不当にもちこんだものでした。しかし、日本はヤルタ協定の当事者ではなく、そこでの秘密の取り決めに日本国民が拘束される理由は、どこにもありません。

 日ロ間の領土交渉にあたっては、「領土不拡大」の原則を乱暴にふみにじったスターリンの横暴、大国主義的な領土拡張主義にこそ、今日の日ロ両国間の領土問題の根源があることを、しっかり見定めなければなりません。ロシア連邦の政府自身が、旧ソ連の国際的地位を継承したものとして、スターリンのこの重大な誤りを正す責任を負っていることは、当然です。

 (3)ロシアに領土返還を要求する日本国民の大義は、スターリンの大国主義的な誤りの是正にある

 日本国民がロシアに領土返還を要求する根拠は、スターリンの大国主義的な誤りを正して、日本の歴史的な領土の回復を求めるという点にあります。そこに、領土問題の解決にあたっての、日本国民の側の大義名分があるのです。

 領土交渉にあたっては、米英ソ三国のヤルタ協定はもちろん、サンフランシスコ平和条約の「千島放棄条項」にも拘束されないで、歴史的な領土の回復を要求するという、日本側の大義を明白にすることが、重要です。このことを抜きにしては、日ロ交渉のなかでも、また国際世論の前でも、日本の領土返還 要求の正当な根拠を明らかにすることはできません。

 ところが、歴代自民党政府は、平和条約の「千島放棄条項」を絶対化し、この条項を不動の前提とするという立場で、ソ連およびロシアとの領土交 渉にあたってきました。つまり、スターリンの大国主義の誤りを是正するという根本問題を、自民党政府の対ソ・対ロ外交の内容から、完全に欠落させてしまっ たのです。

 その結果起こったことは、日本が領土交渉において、国際的に通用する大義を失ってしまうという、重大な事態でした。

 (4)領土返還要求の大義を失った自民党外交

 自民党政府が、領土返還要求の唯一の国際法的な根拠としたのは、サンフランシスコ条約での「千島放棄条項」を認める、しかし、択捉、国後、歯 舞、色丹の四島は千島列島には含まれないのだから、日本に返還すべきだという主張、すなわち、“南千島は千島にあらず”という主張でした。

 これは、きわめて無理な主張でした。

 歯舞、色丹は、歴史的にいって、北海道の一部であり、千島列島には含まれません。しかし、択捉、国後は千島列島の一部であり、だからこそ、南 千島と呼ばれてきたことは、日本と世界の常識でした。だから、“千島でないから返せ”という主張は、歯舞、色丹の二島については成り立ちますが、択捉、国後については成り立ちません。

 そして、国後、択捉が南千島であり、したがって千島の一部であることは、その放棄条項を決定したサンフランシスコ会議でも、当然の解釈とされていました。アメリカ代表も、その趣旨で発言していました。日本政府代表として出席した吉田首相も、放棄した千島列島には歯舞、色丹が含まれないことを主張しましたが、択捉、国後については何の異論もとなえず、当時、「千島南部の二島、択捉、国後両島」という発言をしています。また、この条約を批准した一 九五一年の国会での政府の答弁は、「千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含む」(外務省西村条約局長)という答弁で一貫していました。

 日本政府は、その五年後の一九五六年に、にわかにその立場を変更して、“南千島は千島にあらず”と主張しはじめたのです。それが、国際的に通用しない、あとからのこじつけであったことは、当時、サンフランシスコ会議の参加国として、日本政府から見解を問われたイギリスやフランスの政府が、“南千島は千島にあらず”という見解に同意することをきっぱり拒否したことにも、明確に示されました。

 自民党政府が、こうして、スターリンの大国主義の誤りを是正するという大義ある立場を投げ捨て、領土返還要求の根拠を、サンフランシスコ平和 条約の勝手な「解釈」論だけに求めるという道を選んだことは、ソ連およびロシアとの領土交渉における日本政府の立場をきわめて脆弱(ぜいじゃく)なものに しました。

 日本政府が“南千島は千島にあらず”と言い出してから、すでに四十五年という月日が経過しました。その間に、形だけの交渉は断続的におこなわ れましたが、交渉の内容――日本側が何を根拠にして領土返還を要求しているのか、ソ連あるいはロシア側がそれを拒否しているとしたら、どんな根拠をもちだしているのか、そして日本側はそれにどのように反論しているのか等々については、日本国民も日本の国会も、政府から中身のある説明を受けたことは一度もありません。それは、日本政府の領土交渉の無力さを示すものです。

 領土交渉のこうした状態の根底には、日本政府が、スターリンの誤った領土拡張主義を正すという国際的な正義の立場を捨て、「千島放棄条項」の 枠内での領土返還要求というごまかしの道を選んだという、外交上の根本問題が横たわっていることを、いま、あらためて指摘せざるをえません。

 二、領土問題での一方的譲歩を表明した「イルクーツク声明」

 自民党政府の領土交渉のこうした弱点は、今年三月二十五日、日ロ首脳会談で発表された「イルクーツク声明」のなかに、集中的な形で示されまし た。そこには、領土問題の根本にかかわる、三つの重大な問題点が含まれており、そのすべてが、領土問題での日本側の一方的な譲歩を表しているのです。

 (1)北千島は最初から放棄

 「イルクーツク声明」(以下、「声明」)の第一の問題点は、領土交渉の対象を、択捉、国後、色丹、歯舞の四島に限定し、得撫以北の北千島については最初から放棄することを、あらためて確認したことです。

 「声明」は、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属にかんする問題を解決することにより、平和条約を締結」するとしています。この 「四島返還」論は、一九九三年の細川首相とエリツィン大統領との間の「東京宣言」でも明記され、一九九七年の橋本首相とエリツィン大統領との間の「クラス ノヤルスク合意」でも確認されてきたものです。

 「東京宣言」の際、わが党は当時不破哲三委員長の談話で、この立場は「北千島を最初から領土返還交渉の枠外におくと同時に、択捉、国後の南千島についても領土返還要求の国際法上の根拠を失わせるものである」(「赤旗」一九九三年十月十四日付)と指摘しました。それは、この立場が最初から北千島を放棄するというだけにとどまらず、“南千島は千島にあらず”という国際的に通用しない立場と一体のものだからです。

 日本が、ロシアに領土返還を要求する最大の論拠は、千島列島全体が日本の歴史的領土であるにもかかわらず、第二次大戦後の不公正な処理によってロシアに引き渡されたものだからです。それが、北千島は最初から領土返還交渉の枠外に置くというのでは、南千島の国後、択捉の返還要求も根拠がないとい うことになってしまうからです。

 (2)歯舞、色丹の早期返還の道を閉ざす

 「声明」の第二の問題点は、歯舞、色丹の早期返還の道を閉ざしてしまったことです。

 歯舞、色丹は北海道の一部であり、もともと千島放棄条項の対象とはなりえない島々です。この点については、サンフランシスコ条約批准国会で日 本政府自身が、「色丹島および歯舞島が北海道の一部である事実は連合国の絶対多数の承認を得ておるところ」(西村条約局長)、「千島列島の中には歯舞、色 丹はこれは全然含まれない」(草葉外務政務次官)と明言しています。

 ですから、歯舞、色丹は、問題の性格からいって、平和条約の締結を待つことなく、その速やかな返還を要求して当然なのです。現に、日本共産党 は、旧ソ連の時代に、政権党であったソ連共産党と領土交渉をおこなったさい、平和条約の締結にいたる以前に、日ソ間で中間的な条約を結び、歯舞、色丹の二 島をまず返還すべきだと提案し、ソ連側に迫りました(一九七九年)。

 この点で、「声明」が、一九五六年の「日ソ共同宣言」を、「平和条約締結にかんする交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」と確認 したことは、重大です。その「宣言」では、歯舞、色丹の日本への「引き渡し」について、両国間の「平和条約が締結された後」と明記されているからです。こ れを、領土交渉の出発点を設定した「基本的な法的文書」として扱うということは、日本側にとっては、平和条約以前に歯舞、色丹の返還問題を解決する道を閉 ざすという意味をもつものです。それはまた、ロシア側には、歯舞、色丹の返還を領土交渉の終着駅にしようとする思惑に有力な根拠を与えることになります。

 政府は、この部分を含む「宣言」の“有効性”を初めて両国の共同文書に明記したことを今回の首脳会談の大きな“成果”としていますが、成果どころか、平和条約締結以前の二島返還への道を閉ざしてしまったものであり、重大な後退というべきです。

 (3)国後、択捉についても施政権の放棄という日本の譲歩だけが残った

 国後、択捉についても今後の交渉への新たな具体的手がかりはなんら得られませんでした。そればかりか、一方的な譲歩だけが残りました。日本政府は一九九八年の川奈での日ロ首脳会談のさい、択捉と得撫のあいだを想定した「国境線の画定」だけの合意で平和条約を締結し、国後、択捉の「施政権」はロシア側に残してよいという一方的な譲歩の提案をおこないました(橋本首相の「川奈提案」)。

 しかし、「施政権」問題の解決は先送りするといっても、いったん平和条約を結べば、戦後国境・領土問題は最終的に解決したと見なされ、施政権 の返還の保証はどこにもありません。これは事実上の放棄論に等しいものです。この川奈提案は今なお当時の両国首脳会談の記録に残っています。それどころ か、昨年十一月のブルネイでの日ロ首脳会談のさい、森首相は「川奈提案は今でも最良の案だと考えている」とのべて、それまで非公開の交渉で内々の提案とさ れていたものをみずから公表し、再確認してしまいました。こうして、ロシア側は何らの譲歩もしないのに、日本側が施政権放棄という一方的な譲歩の言明をお こない、その言明だけが日ロ交渉の記録に既定事実として残るという、重大な事態を招いてしまったのです。

 この足元を見すかされたのが、今回のイルクーツク会談です。日本側は、「日ソ共同宣言」を“初めて公式文書で明記したことにより歯舞、色丹の返還は法的に確認された。今後は国後、択捉の帰属問題の交渉をおこなう”などといっています。しかし、ロシア側の解釈はそうではありません。対日交渉を担当しているロシュコフ外務次官は四月四日、「宣言」にもとづいて歯舞、色丹を「引 き渡す」場合、残りの国後と択捉の帰属にかんする交渉を継続することは意味がなくなるとの立場を示しました。もし歯舞、色丹を返還したら、もう国後と択捉 の帰属問題は交渉しないというのです。このように、ロシアへの日本側の譲歩につぐ譲歩というのが、森・プーチン会談の実質だったのです。

 結論  一方的譲歩や小手先の外交では前進できない

 「イルクーツク声明」にいたる領土交渉の全経過が示しているのは、一方的な譲歩や小手先の対応だけの外交では、領土問題は解決できない、ということです。

 日本政府は近年、対ロ交渉のゆきづまりから抜け出そうとして、国民に真実を隠した密室交渉を進め、北千島放棄を確認するだけでなく、四島につ いても一方的な譲歩を重ねてきました。自民党の内部には、歯舞・色丹の返還だけで平和条約を結んではどうかといった声もあると伝えられています。この点で は、前述のロシュコフ発言と一致します。

 もう一つが、経済援助を領土問題打開の梃子(てこ)にしようとしたり、首脳間の個人的な“友好”関係に頼ったりすることでした。こうした小手先の対応では、積極的な結果をもたらすどころか、問題をいっそう複雑にするだけというのが、この間の教訓です。

 「イルクーツク声明」発表後、森首相は記者会見で、「これまでの交渉の姿を明確な形で総括した」とのべましたが、たしかに国際的大義をもたな い自民党の無原則外交のもとでは、領土返還が前進するどころか、一方的譲歩と後退しかもたらさないことを証明したという点で、自民党外交の破綻(はたん) を「総括」するものといえるでしょう。

 自民党の領土返還交渉がなんらの大義もなしにおこなわれていることは、三月二十七日、衆院本会議でのわが党の山口富男議員の質問でも鮮明にな りました。森首相は、山口議員が「いったいどういう根拠と大義を示してロシアとの領土交渉にあたったのか」と質問したのにたいし、なにひとつ大義を示すこ とができず、北千島を最初から放棄した一九九三年の「東京宣言」など日ロ間の合意事項を交渉指針としていると答えるだけでした。ロシアとの領土交渉にあ たって、そのロシアとの合意事項を指針にするなどとは、外交とは何であるかも知らないものの議論としかいわざるをえないものです。

 結局、自民党外交がもたらしたものは、北千島は完全放棄、国後、択捉が返還される可能性は限りなく小さい、歯舞・色丹の「引き渡し」は前途遼遠(りょうえん)――ということでしかありません。

 三、問題解決への道を切り開くために 日本共産党の立場と見解

 では、どうすれば領土問題を解決することができるのでしょうか。

 日ロ間の領土問題は、前述のとおり、第二次世界大戦終結のさいスターリンが「領土不拡大」の原則を破り、千島と歯舞、色丹を一方的にソ連に併 合したことから起こったものです。したがって、問題解決の基本は、この大国主義的、覇権主義的な誤りを是正することにあります。そのためにも、一国の正当 な歴史的領土を他国が併合することは許されないという、二十世紀が到達した国際法の根本原理にたって、今後の交渉にあたることです。この立場から、わが党 は、領土交渉にあたる基本的な態度として、次のことをあらためて提案するものです。 

 (1)ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提としないこと

 対ロ領土交渉にかんする日本政府の立場は、サンフランシスコ条約の千島放棄条項の絶対化です。ここから、“南千島は千島にあらず”という国際的に通用しない無力な奇弁も出てくるのです。これを根本から正すべきです。

 ソ連がヤルタ会談で対日参戦の条件の一つとして千島列島のソ連への「引き渡し」を要求したこと、それに米英が応じたことは、ともに「領土不拡大」という戦後処理の原則に明白に背反する行為でした。その後、サンフランシスコ条約にアメリカの要求で「千島放棄条項」が入れられたことは、ヤルタ協定 での不公正な密約を具体化するものでした

 問題の公正な解決には、戦後処理のこの不公正を国際的な民主主義の道理にたって是正することが欠かせません。そのためには、ヤルタ協定やサンフランシスコ条約の千島関連条項を日ロ交渉の不動の前提としないことです。

 サンフランシスコ条約の個々の条項に明記された内容がその後、条文の公式な取り消しなしに、実際に変更された事例はあります。たとえばアメリ カは沖縄の施政権を確保しましたが、一九七〇年代はじめに、米軍基地の問題は残されたものの、施政権は返還されました。沖縄の祖国復帰が沖縄県民をはじめ とする国民的な強い要求と運動によってかちとられたことは、周知のとおりです。

 日本は、ロシアの世論にたいしても、世界の世論にたいしても、歯舞、色丹と千島列島が日本の歴史的領土であること、そのロシアへの併合が国際 道理に照らして不公正なものであり、それをもたらしたのがスターリンの大国主義的誤りであったことなどを正面にかかげ、訴えることこそ必要です。

 (2)基本に十九世紀後半の日ロ両国政府間の平和的な領土交渉の到達点をおくこと

 日ロ両国が、近代国家形成の過程で、戦争などの手段に訴えることなしに国境を画定しあった十九世紀後半の平和的な領土交渉の到達点を、両国間の国境画定の出発点、基準とすることが、強く求められています。

 この時期の国境画定にかんしては、すでにのべたように、一八五五年の日魯通好条約と一八七五年の樺太・千島交換条約があります。日本共産党 は、領土問題解決の歴史的な基準としては、当時の領土交渉の最終的な到達点である一八七五年の樺太・千島交換条約にもとづくべきだと主張してきました。平 和的な交渉の結果、同条約によって最終的に全千島列島が日本の領土と決められたのですから、全千島を返還の対象として平和条約締結交渉を進めることには、 十分な根拠があります。

 (3)必要なら段階的な返還のための交渉をおこない、平和条約は領土問題が最終的に解決されたときに締結すること

 歯舞、色丹は、サンフランシスコ条約で日本が放棄した千島には含まれていないのですから、日ロ平和条約締結を待たず、早期の返還を要求すべきです。そのさい、必要なら、両国間で中間的な条約を結ぶことも可能です。

 日ロ交渉は国家間の交渉であり、領土返還要求のすべてを一挙に実現できない場合もありうることです。戦後五十六年間の経過や現状を考えれば、なおさらそうです。

 その場合でも、段階的な返還ということで交渉に臨むべきであって、合意できなかった部分の放棄を安易に宣言すべきではありません。ましてや、日本政府が、すでに指摘したような一方的な譲歩を提案することは、絶対に容認できないことです。

 そして平和条約は、領土問題が最終的に解決され、日ロ両国間の境界が最終的に画定されたときに締結するべきです。

 さらに、外交交渉にあたって、日本側が、返還されるべき島々については、非軍事化すること、自然環境を保全すること、現在の住民が返還後もそ こでの定住を希望すれば彼らの生活と権利を保障するための措置をとることを、今から明らかにしておくことは、重要な意味をもつと考えます。

 このような立場を確立してこそ、真剣な領土交渉もできるし、ロシアの世論や国際世論にも訴えることができます。日本共産党は、これらの提案の実行をめざし、日ロ領土問題の公正な解決のために、今後も全力を尽くすものです。


 2010年1月27日(水)「しんぶん赤旗」 千島問題をなぜ「北方領土問題」と呼ぶ?


 〈問い〉政府やマスメディアは、千島問題を「北方領土問題」と呼んでいます。日本共産党の全千島返還要求との違いを教えてください。(東京・一読者)

 〈答え〉千島列島は、北海道に近い国後(くなしり)、択捉(えとろふ)からロシアのカムチャツカ半島の南西に隣接する占守(しゅむしゅ)までの諸島を指します。この千島列島全体が、1855年に江戸幕府と帝政ロシアが結んだ日魯通好条約と、75年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約とにより、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定しました。

 これらの島と、もともと北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とを、第2次世界大戦直後に不当に併合したのがソ連でした。ですから日本共産党は、ソ連および今のロシアに対し、全千島と歯舞、色丹を返還するよう主張してきました。

 ところが日本政府は、千島の南半分の国後、択捉と、千島に含まれない歯舞、色丹のみ返還を求めています。これは日本政府が、1951年に各国と結んだサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄するという重大な表明をおこないながら、56年になって「国後、択捉は千島に含まれない」との見解を出し、歯舞、色丹と合わせ「北方領土」として返還を求め始めたからです。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりと迷走の一因ともなっています。

 そもそも日ロの領土問題は、第2次世界大戦末期の45年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦条件として千島列島のソ連への「引き渡し」を求め、アメリカとイギリスが認めたことに始まります。これは米英ソ自身が公約した「領土不拡大」という第2次大戦の戦後処理の大原則に反する行為であり、日本政府はそれを正すという大義を明確にする必要があります。具体的には、サンフランシスコ条約にある千島放棄条項を絶対視せず、歴史的な根拠、国際的な道理を示して堂々と全千島返還をロシアに求めるべきです。歯舞、色丹については、千島列島の返還や日ロ間の国境画定・平和条約を待つことなく、速やかな返還を求めるのが筋です。(田)

 〔2010・1・27(水)〕


 日共機関紙の2010.11.7日付け赤旗「外交への政治責任明確に ニコニコ動画で小池氏指摘」を転載しておく。

 日本共産党の小池晃政策委員長は5日、「尖閣ビデオ流出 日本政府の危機管理を問う」と題するインターネット番組・ニコニコ動画に緊急出演し、民主、自民両党議員らと討論しました。

 民主党政権の一連の対応について小池氏は、尖閣ビデオ流出の真相解明を求めるとともに、「政治の責任が見えない」と指摘。「『政治主導』などといいながら、中国人船長の釈放問題などは検察に責任を押し付けてきた。ビデオの公開も外交にかかわる問題なのだから、政府が責任ある方針を示すべきなのに、それを国会に丸投げしてきた。民主党政権のとなえる『政治主導』の危うさ、もろさが今回の事件の背景にあるのではないか」と述べました。

 小池氏の発言にネット視聴者から、「その通り」「共産党最近頑張ってる」との書き込みが相次ぎました。

 漁船衝突事件について小池氏は「根本には領土問題がある」と指摘。「尖閣諸島が日本の領土であることは歴史的にも国際法的にも疑いないが、この点は自民党もあいまいにしてきた。それが今日のこういう事態をつくってきた」とし、歴代自民党政府の対応を批判。ロシア大統領の国後(くなしり)島訪問についても、「本来、全千島が日本の領土。サンフランシスコ平和条約で(日本が)千島を放棄してしまったため、『南千島は千島ではない』という通用しない理屈で自民党はやってきた」と述べ、戦後処理の不公正をただす立場の重要性を指摘しました。

 自民党の山本一太参院議員が「自民党時代は(ロシア大統領が)少なくとも北方領土へ行くことはなかった」と弁明したのに対し、「最初から(4島のみの返還と)譲ってしまっている。それが今日の事態につながっている」と批判しました。

 ビデオ流出事件を契機にインターネットへの法規制が強まるとの番組に寄せられた意見に対し小池氏は、「公的機関の情報漏えいを逆手に取り、国民の側からの情報を規制する動きは出てくる」と述べ、一つ一つの言論をチェックする人権擁護法案が狙われていることを指摘。踏み込んだネット規制の危険を警告しました。

(私論.私見)


 日共機関紙の2010.11.2日付け赤旗の「日ロ領土問題 歴史的経過を見ると―」を転載しておく。

 日本共産党は、1日の志位和夫委員長の談話でのべているように、1969年に千島政策を発表して以来、日本の領土として全千島列島と歯舞(はぼまい)諸島、色丹(しこたん)島の返還を求めてきました。党綱領でも「日本の歴史的領土である千島列島と歯舞諸島・色丹島の返還をめざす」と明記しています。これは、歴史的経過からみても当然の主張です。

 全千島が日本領土

 千島列島は、北端の占守(しゅむしゅ)から南端の国後(くなしり)までの諸島をさします。幕末から明治にかけての日ロ間の平和的な外交交渉では、全千島が日本の領土と確定されました。

 それは、両国の国境を決めた二つの条約をみれば分かります。(地図参照)

 日ロ間の最初の条約は、「日魯通好条約」(1855年)で、日ロ間の国境は択捉(えとろふ)島と得撫(うるっぷ)島との間におき、択捉以南は日本領、得撫以北はロシア領とし、樺太(からふと)を両国民の“雑居地”にするという内容でした。

 その後、「樺太・千島交換条約」(1875年)で、日本は樺太への権利を放棄し、その代わりに、得撫以北の北千島を日本に譲渡し、千島全体が日本に属することで合意しました。

 その後、日露戦争で日本は樺太南部を奪いましたが、全千島が日本の領土であることは、第2次世界大戦の時期まで国際的に問題になったことはありません。

 ヤルタ密約の誤り

 ところが、ソ連のスターリンは、米英首脳とのヤルタ会談(1945年2月)で、対日参戦の条件としてソ連への千島列島の「引き渡し」を要求し、米英もそれを認め、密約を結んだのです。これは、「領土不拡大」(1943年のカイロ宣言など)という戦後処理の大原則を踏みにじるものでした。

 ヤルタ密約の誤りは、サンフランシスコ講和条約(1951年)第2条C項にひきつがれ、「千島放棄条項」になりました。

 「サンフランシスコ条約第二条C項 日本国は、千島列島…に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」

 その後、日本政府はこの千島放棄条項を前提にして、“南千島(国後、択捉)は千島ではないから返せ”という国際的に通用しない解釈で返還要求を続けてきました。この主張があとからのこじつけであることは、サンフランシスコ会議における日米両政府代表の言明やその後の国会答弁で明らかです。

 吉田茂・日本政府代表の発言(51年9月7日)…「日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアもなんらの異議を挿(は)さまなかった」「日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時…」

 つまり、日本代表の吉田氏自身が、日本が放棄する千島列島には、択捉、国後が含まれるという演説をしているのです。

 ダレス米国代表の発言(51年9月5日)…「第二条(C)に記載された千島列島という地理的名称が歯舞諸島を含むかどうかについて若干の質問がありました。歯舞を含まないというのが合衆国の見解であります」

 これは、講和会議のさい、日本政府が「歯舞、色丹は千島ではない」と主張したためですが、それ以外は千島列島だという見解を示したものです。「南千島は千島にあらず」という日本政府の立場では、択捉・国後でさえ、道理をもって要求できる論立てにはならないのです。

 さらに、サンフランシスコ条約の批准国会ではどうか。

 外務省・西村熊雄条約局長の答弁…「条約にある千島列島の範囲については、北千島と南千島の両者を含むと考えております」「この千島列島の中には、歯舞、色丹はこれは全然含まれない。併し(しかし)国後、択捉という一連のそれから以北の島は、得撫(ウルップ)・アイランド、クリル・アイランドとして全体を見ていくべきものではないか」(51年10〜11月)

 西村局長の答弁は、南千島、北千島と分ける道理はない、択捉、国後以北の島は全体として千島列島を構成するというもの。「南千島は千島にあらず」という論立てが成り立たないことを、政府自身認めていたのです。

 ソ連の不当な領土併合という根本問題を避けて、サンフランシスコ条約の前提に縛られている限り、領土問題の解決ができないのはこうした経過からみても明らかです。

地図

 2010.11.2日付け赤旗の「領土問題の公正な解決に反する ロ大統領の千島訪問に抗議 志位委員長が談話」、「談話 ロシア大統領の千島訪問について 志位 和夫」を転載しておく。

 領土問題の公正な解決に反する ロ大統領の千島訪問に抗議 志位委員長が談話

 
日本共産党の志位和夫委員長は1日、国会内で記者会見し、ロシアのメドベージェフ大統領が「北方領土」の国後(くなしり)島を訪問したことについて、談話(別項)を発表し、「第2次世界大戦の終結時に(日本から)不当なやり方で千島(ちしま)列島、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)を奪った行為について、最高指導者が国後島を訪問することでまさに今後も不当に占領し続けるという意思を示したものとして厳しく抗議したい」と表明しました。

 志位氏は、1855年の日魯通好条約と1875年の樺太(からふと)・千島交換条約で平和的に国境が確定され、国後・択捉(えとろふ)から北千島の占守(しゅむしゅ)にいたるまでの南北千島全体が日本の領土となったと述べました。

 ところが、旧ソ連が第2次大戦終結時に「領土不拡大」の大原則を踏みにじり、南北千島列島と北海道の一部である歯舞・色丹を占領したために問題が引き起こされていると指摘。戦後処理の不公正を正す立場に立って、「全千島の返還を求める交渉を堂々と行ってこそ、この問題の解決の道は開ける」と強調しました。

 記者団から、民主党政権の対応について問われ、「自民党政権と同じように『4島は千島ではないから返すべきだ』という論理で対応して現状の固定化を続けるのか、領土不拡大という原点まで戻って本腰を入れた対応をするのか、これから鋭く問われてくる」と述べました。

 談話 ロシア大統領の千島訪問について 志位 和夫

 
一、ロシア連邦のメドベージェフ大統領は1日、ソ連時代を含め同国最高指導者としては初めて、日本の歴史的領土である千島列島の国後島を訪問した。

 今回の訪問は、日本国民にとっては、大統領のたんなる「国内視察」ではない。それは、ロシアの最高権力者が、同国に不当に併合された日本の領土である千島を、「ロシアにとってきわめて重要な地域」としてこれからも占領しつづけ、領有を固定化しようとする新たな意思表示であり、領土問題の公正な解決に反するものであって、わが党はきびしく抗議する。

 一、ロシアとの領土問題は、第2次世界大戦の終結時に、ソ連が、「領土不拡大」という戦後処理の大原則を踏みにじって、日本の歴史的領土である千島列島の獲得を企て、対日参戦の条件としてアメリカ、イギリスなどにそれを認めさせるとともに、講和条約の締結も待たずに、千島列島を自国の領土に一方的に編入したことによって起こったものである。そのさいソ連は、北海道の一部である歯舞群島、色丹島までも編入したのであった。

 この戦後処理の不公正を正すところに、ロシアとの領土問題解決の根本がある。

 わが党は、この立場に立って、1969年に千島政策を発表して以来、全千島列島と歯舞群島、色丹島の返還を求めてきた。

 一、日本政府の対ロシア領土交渉が、1956年の日ソ共同宣言以来、半世紀を超える努力にもかかわらず、不毛な結果に終わっているのは、この根本問題を避けてきたところに最大の根源がある。政府は、問題をサンフランシスコ講和条約の枠内で解決しようとして、「四島は千島に属さないから返せ」という主張に頼っている。しかし、この主張が国際的に通用する道理を持たないことは、サンフランシスコ会議における日本政府代表(吉田全権)とアメリカ政府代表(ダレス全権)の発言およびこの条約の批准国会における政府答弁を見ても、明らかである。

 一、わが党は、歴代の日本政府にたいして、日ロ(日ソ)領土問題の解決のためには、千島放棄条項を不動の前提とせず、第2次世界大戦の戦後処理の不公正を正すという立場に立って、対ロ(対ソ)領土交渉をおこなうことを提起してきた。

 ロシアが現状固定化をめざして新たな強硬措置に出ようとしてきた今日、日本政府が、半世紀の領土交渉の総括を踏まえ、歴史的事実と国際的道理に立った本格的な領土交渉に踏み出すことを、強く要請するものである。


 2010.1.27日付け赤旗の「千島問題をなぜ「北方領土問題」と呼ぶ?」を転載しておく。

 〈問い〉政府やマスメディアは、千島問題を「北方領土問題」と呼んでいます。日本共産党の全千島返還要求との違いを教えてください。(東京・一読者)

 〈答え〉千島列島は、北海道に近い国後(くなしり)、択捉(えとろふ)からロシアのカムチャツカ半島の南西に隣接する占守(しゅむしゅ)までの諸島を指します。この千島列島全体が、1855年に江戸幕府と帝政ロシアが結んだ日魯通好条約と、75年に明治政府と帝政ロシアが結んだ樺太・千島交換条約とにより、戦争ではなく平和的な交渉で日本領土として確定しました。

 これらの島と、もともと北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とを、第2次世界大戦直後に不当に併合したのがソ連でした。ですから日本共産党は、ソ連および今のロシアに対し、全千島と歯舞、色丹を返還するよう主張してきました。

 ところが日本政府は、千島の南半分の国後、択捉と、千島に含まれない歯舞、色丹のみ返還を求めています。これは日本政府が、1951年に各国と結んだサンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄するという重大な表明をおこないながら、56年になって「国後、択捉は千島に含まれない」との見解を出し、歯舞、色丹と合わせ「北方領土」として返還を求め始めたからです。この立場は国際的には通用せず、日ロ間の交渉の行き詰まりと迷走の一因ともなっています。

 そもそも日ロの領土問題は、第2次世界大戦末期の45年2月のヤルタ会談で、ソ連が対日参戦条件として千島列島のソ連への「引き渡し」を求め、アメリカとイギリスが認めたことに始まります。これは米英ソ自身が公約した「領土不拡大」という第2次大戦の戦後処理の大原則に反する行為であり、日本政府はそれを正すという大義を明確にする必要があります。具体的には、サンフランシスコ条約にある千島放棄条項を絶対視せず、歴史的な根拠、国際的な道理を示して堂々と全千島返還をロシアに求めるべきです。歯舞、色丹については、千島列島の返還や日ロ間の国境画定・平和条約を待つことなく、速やかな返還を求めるのが筋です。(田)

 〔2010・1・27(水)〕


 2005.2.8日付け赤旗の「北方領土返還要求全国大会での志位委員長のあいさつ(大要)」を転載しておく。

 七日の「北方領土返還要求全国大会」で日本共産党の志位和夫委員長がおこなったあいさつは次の通りです。

 日本の歴史的領土の返還を求めるみなさんの運動に、心からの敬意と、ともにたたかう決意をこめて、ごあいさつを申し上げます。

 私は、日ロ領土問題を解決するにあたって、何よりも大切なことは、日本国民がロシアに領土返還を求める大義―国際的に通用し、ロシア国民も納得させうる大義を、堂々とかかげて交渉にのぞむことにあると思います。その大義とは、スターリンによる領土拡張主義を正すということであります。

 スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。

 このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。

 ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります。

 北海道の一部である歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)とともに、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)から得撫(うるっぷ)、占守(しゅむしゅ)までの千島列島全体が、一八七五年の樺太・千島交換条約で平和的に決まった日本の歴史的領土であり、その返還を堂々と求める交渉が切にのぞまれます。

 この問題が道理ある解決をみるようにするため、力をつくすことをお約束し、ごあいさつとします。


 領土問題 キーワード

図

 ◆連合国の「領土不拡大」原則 第2次世界大戦で連合国がとった戦後処理の原則。日本・ドイツ・イタリアが戦争などによって奪った土地は返させるが、そのほかの土地の割譲は求めないというもの。日本にたいしては、1943年に米英中3国首脳が発表した「カイロ宣言」で明確にされました。45年7月の「ポツダム宣言」では、「カイロ宣言」の履行が明記され、ソ連を含む連合国全体のものとなりました。

 ◆ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」 アメリカ、イギリス、ソ連3国の首脳は、第2次世界大戦末期の1945年2月、ソ連のヤルタで会談を開きました。この会談でスターリンは、ソ連の対日参戦の条件に、日本の正当な領土である千島列島の引き渡しを要求。米、英ともこれを認め、3国の秘密協定に盛り込まれました。

 ◆サンフランシスコ条約の「千島放棄条項」 第2次世界大戦後、日本がアメリカなどと1951年に調印した「サンフランシスコ平和条約」の第二条C項のこと。千島列島については、日本が「すべての権利、権原及び請求権を放棄する」ことが明記されています。この条項は、ヤルタ協定の当事国であるアメリカが、ヤルタ協定にしたがってもちこんだものです。

 ◆幕末・明治初期の日ロ間の国境画定条約 条約は2つあります。最初の条約は1855年(安政元年)の日魯通好条約で、千島列島の択捉(えとろふ)島以南を日本領、得撫(うるっぷ)島以北をロシア領とし、樺太(サハリン)は両国民混住の地としました。政府は条約を結んだ2月7日にちなんで、この日を「北方領土の日」としています。その後1875年(明治8年)に結んだのが樺太・千島交換条約。樺太全体をロシア領とする一方、ロシア領だった得撫島以北の千島は日本領としました。この結果、千島列島全体が最終的に日本の領土となりました。


領土問題

【関連】 尖閣諸島


2010年11月

2010年10月

2010年9月

2010年2月

2010年1月

〜2009年



 不破哲三『私の戦後六〇年』

 「愛国」と「売国」という対立軸がある。

 ネット上にあふれかえる「プチ愛国」な言説は、「売国―愛国」の軸上に、「愛国」度の強い順として、社民党<共産党<公明党<民主党<<<自民党といった感じで、政党を配置する。

 この「愛国―売国」という軸自身が有効なのか、という
根本的な疑問があることはまずおさえておかねばならない。しかし、その疑問をさしおけば、上記のネット上にころがっている「プチ愛国」な推察はまったくまちがっている。

 日本で最高度に愛国主義的・民族主義的な政党は日本共産党であり、最大限に売国的な政党は自由民主党であるといえる。まあ、こういう言い方は両党の支持者はいずれも嫌がるかもしれないが。


 自民党の最大の売国性はその対米従属にある。
 自民党とその支持者は、その点を現実政治の要請の角度から説明するであろう。それはそれでひとつの理屈だ。しかし、いま聞いていることは
そこではなく、「愛国―売国」という角度なのだ。その角度を純粋にとりだし、「主権」という問題のみでアプローチをするなら、まちがいなく日本の戦後自民党政治の対米従属は売国の歴史であった。

 そればかりではない。

 対米従属は、アメリカにしたがっていさえすれば外交たれりとする風潮を生み出した。自民党政治は、アメリカにたいしてだけでなく、外交という機能を放棄してしまった。その結果、対北朝鮮外交においても、対ソ連外交においても、80年代において北朝鮮のいいなりになる「窓口外交」に堕し、ソ連の領土不法占領にも何もいえないという状態をつづけてきたのだ。

 不破がこの本で描いた戦後政治史は、対米のみならず、対朝や対ソにたいしてのこともふくめて、この問題を見事にえぐり出している。

 くり返すが、その描出が現実政治の要請に合っているかどうかはひとまずおくのである。「売国か愛国か」――この対立軸で問題を切ったとき、戦後の自民党政治は、対米従属を中心とした売国の歴史であった。現在ネット上にあふれかえる言説の多くは、この戦後政治の病巣の根幹である「対米従属」にはふれられないものがほとんどだ。もともとネット上のこうした「プチ愛国」の言説が、自民党流の「愛国」の流れ(たとえば石原慎太郎もその一人に位置付けてよいだろう)を発信源にしている。そのために、ネット上の「プチ愛国」言説は、外交にたいする「戦略」姿勢が自民党政治と実に
奇妙な一致をみせるのである。

 すなわち、「毅然」と「親密」という軸でしか外交を語れなくなるという点だ。

 「韓国にもっとガツンといえ」
 「中国にヘコヘコしやがって」
 「○○国と仲よくすべきである(すべきでない)」

 
彼・彼女らにとって、毅然とは強硬な態度でのぞむことであり、それ以外の態度というのは、卑屈になること(あるいはせいぜい親密=仲よくするということ)でしかない。外交にはこの二つしかないかのようだ。


 不破の本書のうち、第一二章「『北方領土』交渉はなぜうまくゆかないのか」は、この問題を考える上で重要な視座を提供している。

「外交のやり方としては、橋本首相のように、“指導者が仲よくなれば道がひらける”といって、エリツィン大統領と“親友”関係を築くことに熱中した人もいます。あるいは、“択捉、国後に公共施設をばらまけば返還に接近できる”といって、『ムネオ・ハウス』など、利権仕事に熱中した人もいます。/いまの小泉内閣は、どうも“プーチン大統領の来日さえ実現すれば、なんらかの前進がはかれるのではないか”と、大統領招致に全力投球のようです。しかし、領土問題はこんなやり方で打開できるものではないのです」(p.295)

「領土交渉を成功させるには、
日本が、世界に通用する大義名分をはっきりさせることが、なによりも大事です。そこをしっかり握ってこそ、交渉の現場でも、論争に負けないで、わが方の立場を堂々と主張することができるし、必要な場合には、相手国の国民にも、日本の主張の正当性を訴え、国際政治の場で、多くの国ぐにの共感をえることもできます」(p.276〜277)

「なぜ、ソ連・ロシアとのいわゆる『北方領土』交渉は前進しないのか。/結論的にいうと、私はその最大の原因は、日本が、領土返還要求の大義を、相手のソ連・ロシアの政府と国民にたいしても、また国際社会と世界の世論にたいしても、明確に示しえないまま、この問題にあたってきた、ここに領土問題のゆきづまりの
最大の原因があると、考えています」(p.276)

 日本はサンフランシスコ条約で千島放棄をうたってしまった。そこで日本政府は「択捉・国後は千島にあらず」という論立てをした。しかし、そもそも日本政府自身がサ条約の最初の解釈において、択捉・国後を「南千島」と呼んでしまっているし、国際的にみてもあれが千島ではないなどとは通用しないのだ。

 通用しない論立てでは、どこにも訴求しない。

 ソ連・ロシア側はいっこうに苦しくならないから、交渉はいきおい、親密さを演出しながらの妥協点のさぐりあいになってしまうのである。不破は最初の日ソの領土交渉の様子を交渉の当事者・松本俊一の著書(『モスクワにかける虹』)から描出しているが、読んでみると、不破同様「なんという無戦略な交渉だったのか」という驚きを禁じ得ない。


 不破はこの問題を江戸期の文献にあたることまでさかのぼって徹底して研究し、次のような論立てに到達した。

  1. 日本の戦後処理において連合国が合意した方針は、暴力や侵略で奪った土地を日本からとりあげる、というものだった(1943年のカイロ宣言)。
  2. 他方、やはりカイロ宣言では、戦勝国は日本に対して領土拡大はしない、という「領土不拡大」原則がうたわれた。
  3. 千島列島全体は、日本がロシアとの千島樺太交換条約(1875年)によって平和裏に取得した領土であり、侵略戦争や領土野心などで奪った土地ではない。
  4. ところが、1945年のヤルタ会談でスターリンはルーズベルトと交渉し、対日参戦の条件に「千島列島引き渡し」を要求し、実際に不法占領をおこなった。
  5. したがって、領土交渉では、スターリンの大国主義的な領土拡張主義を批判し、「領土不拡大」原則をふみはずした不公正な戦後処理をただす、という大義を明確にすべきである。
  6. 領土交渉の要求対象は、北海道の一部である歯舞・色丹はもちろん、択捉・国後にとどまらない、北千島までをふくめた千島列島全体とすることによって、逆に交渉は大義を獲得する。


 サ条約との関連や、政府答弁の変遷、各種の領土考察の詳論は不破の著作を読んでほしいのだが、いずれにせよ、スターリンの侵略を最大の是正点として相手に迫るという「戦略」、千島全体を要求することで大義を逆に得ることができるというのが、不破考察のポイントである。

 自民党政権が「北方領土」と奇妙な名前でこの問題を呼ぶのは、このポイントを無視した、まったくの無戦略だからだ。「千島」という言葉が使えないためである。さきほどもあげたが、松本の日ソ領土交渉は、なんと歯舞・色丹までを妥協点にして交渉を妥結しようというものであり、
無戦略が売国を導くということをまざまざとしめしている。

 外交、とくに領土交渉においては、この大義の獲得が重要なのだ、というのが不破の結論である。
「ナメられられないための」強硬な態度や、卑屈な妥協は、有害なだけだ。


 不破は、スターリンのさまざまな領土拡張主義がすでに世界各地では是正されてきたことを振り返りつつ、この章の結びでこう書いている。

「いま、スターリンの領土拡張主義の結果が、もっとも大きな形で残っているのが、千島列島のロシア領有なのです。それが、スターリンの大国主義、覇権主義にたいする、日本の側からの一言の批判もなしに、未解決の宿題として二一世紀に残されたのです」(p.296)

 ネット上でとくとくと「北方領土は……」などと愛国を気どって書いているむきがあるが、その手合いは、実はスターリンの無法を不問に付した最高度の売国行為を行っていることになる。

 千島全島返還ではなく、「北方領土返還」などという要求をかかげる者は、
スターリンの手先である、とでもいえようか。


 問題の最初にたちかえってみて、不破のこの本を読むと、とにもかくにも、アメリカにたいして主権の立場からもっとも手厳しい批判をあびせ、北朝鮮やソ連とも死闘をくりひろげた政党は、日本では日本共産党しかないことがわかるだろう。ぼくもそれはその通りだろうと思う。その意味で――くり返すが、この評価基準がいいものかどうか別にして――日本でもっとも愛国的、民族的な政党は日本共産党だといえるのである。

〔補足〕
 これを書いたあと、「論座」2005年11月号の「今月の5冊」のコーナーに新右翼(一水会)の鈴木邦男が本書への感想を寄せているのを読んだ。
 「この本を読んで日本共産党に対する見方が変わった。日本で最も愛国的な政党かもしれない」「又、アメリカ、ロシア、中国、北朝鮮に対しても一番毅然としている」「北方領土返還運動でも一番の正論は共産党だ。『北方領土返還!』と街宣車に大書きしている右翼でも、歯舞、色丹、国後、択捉の4島返還だ。共産党は、さらに北千島を。千島全島返還だ!と言う」。
 なかなかワロス。(05.10.13追加)

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 外交交渉による尖閣諸島問題の解決を 日本共産党幹部会委員長 志位 和夫 2012年9月20日 

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐって、日本と中国の両国間の対立と緊張が深刻になっている。この問題の解決をどうはかるかについて、現時点での日本共産党の見解と提案を明らかにする。

(1)

 まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない。どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである。わが党は、中国政府に対して、中国国民に自制をうながす対応をとること、在中国邦人、日本企業、日本大使館の安全確保のために万全の措置をとることを求める。

 また、物理的対応の強化や、軍事的対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道である。日中双方ともに、きびしく自制することが必要である。

(2)

 日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも国際法上も正当であるという見解を表明している。とくに、2010年10月4日に発表した「見解」では、つぎの諸点を突っ込んで解明した。

 ――日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった。

 ――中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということにある。

 ――尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼(とうしょ)として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだというところにある。しかし、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たない。日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖(ほうこ)列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。

 そして、「見解」では、尖閣諸島問題を解決するためには、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府に対して、理をつくして主張することが必要であることを、強調した。

(3)

 この点で、歴代の日本政府の態度には、重大な問題点がある。

 それは、「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を、避け続けてきたということである。

 歴史的にみると、日本政府の立場には二つの問題点がある。

 第一は、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結のさいに、尖閣諸島の領有問題を、いわゆる「棚上げ」にするという立場をとったことである。

 1972年の日中国交正常化交渉では、田中角栄首相(当時)と周恩来首相(当時)との会談で、田中首相が、「尖閣諸島についてどう思うか」と持ち出し、周首相が「いまこれを話すのは良くない」と答え、双方でこの問題を「棚上げ」するという事実上の合意がかわされることになった。

 1978年の日中平和友好条約締結のさいには、園田直外務大臣(当時)とケ小平副首相(当時)との会談で、ケ副首相が「放っておこう」とのべたのにたいし、園田外相が「もうそれ以上いわないでください」と応じ、ここでも双方でこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解がかわされている。

 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきであった。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だったといわなければならない。

 同時に、尖閣諸島の問題を「棚上げ」にしたということは、領土に関する紛争問題が存在することを、中国との外交交渉のなかで、認めたものにほかならなかった。

(4)

 第二に、にもかかわらず、その後、日本政府は、「領土問題は存在しない」――「尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との態度をとり続けてきた。そのことが、つぎのような問題を引き起こしている。

 ――日本政府は、中国政府に対して、ただの一度も、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして主張したことはない。そうした主張をおこなうと、領土問題の存在を認めたことになるというのが、その理由だった。「領土問題は存在しない」という立場から、日本の主張を述べることができないという自縄自縛(じじょうじばく)に陥っているのである。

 ――中国政府は、「釣魚島(尖閣諸島)は、日清戦争末期に、日本が不法に盗みとった」、「日本の立場は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」などと、日本による尖閣諸島の領有を「日本軍国主義による侵略」だとする見解を繰り返しているが、日本政府は、これに対する反論を一度もおこなっていない。反論をおこなうと、「領土問題の存在を認める」ということになるとして、ここでも自縄自縛に陥っているのである。

 ――尖閣諸島をめぐるさまざまな問題にさいしても、領土に関する紛争問題が存在するという前提に立って、外交交渉によって問題を解決する努力をしないまま、あれこれの措置をとったことが、日中両国の緊張激化の一つの原因となっている。

 日中両国間に、尖閣諸島に関する紛争問題が存在することは、否定できない事実である。そのことは、72年の日中国交正常化、78年の日中平和友好条約のさいにも、日本側が事実上認めたことでもあった。にもかかわらず、「領土問題は存在しない」として、あらゆる外交交渉を回避する態度をとりつづけてきたことが、この問題の解決の道をみずから閉ざす結果となっているのである。

 「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張もできず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものとしていることを、ここで指摘しなければならない。

(5)

 尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである。

 領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい。


 2012年9月22日(土) 尖閣諸島 日本の領有の正当性を主張 志位委員長、中国大使と会談

 日本共産党の志位和夫委員長は21日、程永華駐日中国大使と都内の中国大使館で会談し、尖閣諸島(中国名・釣魚島)に対する日本の領有権の正当性を主張するとともに、両国間に領土に関する紛争問題が存在するという立場に立って、冷静で理性的な外交交渉を通じて問題の解決をはかることが必要だと述べました。

 志位委員長は、昨日、日本政府に届けた「提言」――「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」を程大使に手渡し、「提言」にそって日本共産党の立場を表明しました。

 志位氏は、まず、「日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されるものではありません」と述べ、「中国政府が、中国国民に自制をうながす対応をとるとともに、在中国邦人、企業、大使館の安全確保への万全の措置をとること」を求めました。また、「日本と中国の双方が、物理的対応の強化や軍事的対応論を厳しく自制することが必要です」と強調しました。

 そのうえで、志位氏は、「日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも、国際法上も正当であるという見解を表明しています」として、3点にわたってその要点を説明しました。

 第1は、1895年の日本による領有の宣言は「無主(むしゅ)の地」の「先占(せんせん)」という国際法上まったく正当な行為であったことです。

 第2は、中国側の主張の最大の問題点は、1970年までの75年にわたって日本の領有に対して一度も異議も抗議も行っていないことです。

 第3に、中国側は「日清戦争に乗じて奪ったものだ」と主張していますが、下関条約(日清戦争の講和条約)とそれに関する交渉記録を見ても、この主張は成り立たないことです。志位氏は、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖(ほうこ)諸島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは異なる正当な行為だった」と表明しました。

 さらに、志位氏は、「尖閣問題を解決するためには、(日本政府が)『領土問題は存在しない』という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場が大切であることを、『提言』では提起しました」と述べました。

 程大使は、「注意深く聞きました。『提言』は、政府と党に報告します」と表明。「領有権に関しては立場が異なりますが、外交交渉による解決をはかるという点では、お互いの考え方は近いと思います」と述べました。さらに、「暴力行為は賛成しません。中国政府は冷静で理性的な行動を呼びかけ、警察は違法行為を取り締まると発表しています」と述べました。

 物理的対応、軍事的対応論の自制を

 志位氏は、「物理的対応の強化や、軍事的対応論は、理性的な解決の道を閉ざすことになります」として、日中双方に対して、その自制を求める立場を強調。日本共産党が、8月に国会に上程された香港民間活動家尖閣諸島上陸決議案に対して、「もっぱら物理的な対応を強化することに主眼をおいたものであり、冷静な話し合いでの解決に逆行する」として反対したことを紹介しました。

 そのうえで志位氏は、「同時に、中国にも率直に言いたいことがあります」として、この間、中国の監視船が日本の領海内を航行するということが繰り返し起こっていること、梁光烈中国国防相がパネッタ米国防長官との会談で、平和的交渉による解決を希望するとしながら、「一段の行動をとる権利を留保する」と述べていることについて、「こうした物理的な対応の強化、軍事的対応論は、日中の緊張の激化を呼び起こし、冷静な外交的解決に逆行するものです。中国にも、自制を求めたい」と述べました。

 程大使は、「これ以上、事態をエスカレートさせるのではなく、冷静で理性的な対話と交渉の道を進めるというのが、中国の基本的な立場です。互いに努力が必要です」と応じました。

 会談には、日本共産党から緒方靖夫副委員長、森原公敏国際委員会事務局長が、中国大使館から郭燕公使参事官、文徳盛参事官らが同席しました。


 2012年9月26日(水) 尖閣問題への志位提言 メディアの注目広がる

 「領土問題存在しない」は不利に 「政府より明確」

 日本共産党の志位和夫委員長が20日に日本政府に手渡した提言「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」へのメディアの注目が広がっています。「領土問題は存在しない」という政府の立場にたいして疑問を呈す報道も出始めました。

 政府対応に問題

 西日本新聞は24日付2面で「尖閣主張に見直し論も」の見出しで、日本共産党の「提言」を紹介しています。記事では、「『実効支配している以上、目立たず騒がずが最も有効な戦略』(元外務省高官)との方針を維持してきたため、国際社会でも中国に一方的に領有問題があると主張されている」と指摘。「こうした事態を懸念し、日本共産党の志位和夫委員長は20日、藤村長官に『問題の存在を認めた上で交渉で解決をはかるべきだ』とする党見解を伝えた」と報じ、「竹島は話し合え、尖閣は話し合わないでは通らない」との官邸筋の発言を伝えています。

 また同日付の社説では、「日本は『尖閣に領土問題は存在しない』との立場だが、沈黙のままでは立場が不利にならないか」と主張しました。

 日刊スポーツは24日付コラム「政界地獄耳」で、「『領土問題』にしなかった日本政府の対応にそもそも問題があったと意外にも共産党委員長・志位和夫が指摘している」として、提言の中身を紹介。「政府よりも外務省よりもどの党よりも明確に指摘している」と評価しました。その上で、「政府は領土問題を中国に説明し我が国の領土と明確に確定すべきだろう」と主張しています。

 論調にも変化が

 「毎日」は志位氏による政府申し入れ後の22日付社説で「領土問題は存在しない、という姿勢を続けるだけで事態を改善することができるのかどうか、改めて考える必要がある」と提起しています。

 外務省の横井裕報道官の記者会見(21日)では、志位氏の申し入れ時に藤村長官が「領土問題は存在しないが、領土に関わる日中間の問題はある」と応じたことについて記者が質問。横井氏は、「(両国間に)尖閣諸島に関わるあつれきというか、事態が存在するのは事実だ」と認めました。


 2012年9月30日(日) 尖閣 政府の「領土問題存在せず」論 各界が転換求める 「現実的でない」「日本に損」

 尖閣諸島の領有をめぐり日中関係が緊張の度合いを増す中、政界、経済界、マスコミ、外交官経験者などから、「領土問題は存在しない」という日本政府の姿勢を転換すべきとの声が出始めています。日本共産党の志位和夫委員長は、「領土問題は存在しない」という立場に固執することで「日本の主張を述べることができないという自縄自縛(じじょうじばく)に陥っている」と指摘。「領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し解決を」との提言を発表(20日)しています。こうした主張が、世論に影響を広げつつあります。

 もう通用しない

 志位氏の「提言」直後、「領土問題は存在しない、という姿勢を続けるだけで事態を改善できるのかどうか、改めて考える必要がある」(22日付社説)とした毎日新聞。28日付社説でも「中国政府は、日本の国有化に対抗して領海基線を設定して国連に届け出ている。これ以上、日中間に領土紛争が存在しないという立場をとることは現実的でない」と指摘しました。

 28日に放送されたTBS番組「みのもんたの朝ズバッ!」では、出演した「毎日」の与良正男論説委員が、「そろそろ、領土問題は存在しないという言い方ですまないような状況になってきたと思う。どうやら日中は相当深刻な領土問題が発生しているのだと、だんだん分かっているわけですから」と発言。吉越浩一郎氏(トリンプ元社長)も、「国際社会にむけ、日本はこうなんですということを、白黒明確にして言い続けるのが非常に重要だ」と主張しました。

 番組ではその後、首相補佐官(外交・安全保障担当)の長島昭久衆院議員(民主党)が登場。与良氏が、外交官OBのなかでも「領土問題は存在しない」という言い方はもう通用しないという意見が出ているとして、「その言い方は変えたほうがいいんじゃないですか」と詰問すると、長島氏は「私も個人的には思っていた」と述べ、尖閣問題ではしっかり国際広報をする方針転換を行うことを玄葉光一郎外相が言明したと答えました。

 明らかに問題だ

 22日放送のNHK番組「双方向解説 そこが知りたい!どうする日本の領土」では、進行役の柳澤秀夫解説委員長が「日本政府は尖閣については領土問題はないという言い方をしているけど、実際にみると、明らかに問題の形となっている」と指摘しました。

 これについて安達宜正解説委員は、「国際社会からみれば領土問題はあると言われているのに日本政府がないないという立場を取り続ければ、逆に中国側の主張が正しいように見られ、日本にとって損になってしまうんじゃないか」と述べ、領土問題があることを認める方針転換で外交交渉をうまく進めることが可能となると主張しました。

 少し柔軟態度を

 北京を訪れていた米倉弘昌経団連会長は28日、「中国側が『問題がある』といっているのに対して、日本は解決する意思は全然ないという態度を示していることになる。もう少し柔軟な態度でやっていかないといけない」と発言しました。

 同じく28日まで北京を訪れていたた自民党の加藤紘一元幹事長(公益社団法人日中友好協会会長)は、28日夜のNHKBS放送「ワールドWave」に出演し、米倉氏の発言を紹介し、「領土問題は存在しない」という方針を再検討すべきだとの見解を示しました。


 2012年10月4日(木) 尖閣問題座談会 流れ変える志位「提言」

 日本政府が尖閣諸島について「領土問題は存在しない」と棒をのんだような対応で問題を深刻化させるなか、日本共産党の志位和夫委員長による「提言」(「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」)が反響を呼んでいます。「提言」をめぐって、外交問題の専門家と担当記者で話し合いました。


 元外務省幹部「違和感ない」「そのとおり」 中国ウオッチャー、日本の「沈黙」に驚き

  志位「提言」を報じるメディアが相次いでいる。「毎日」1日付の編集委員コラム「風知草」は「尖閣諸島に領土問題は存在しない」という政府見解について「マンネリは毒だ」と皮肉ったうえで、「政府見解の変更を求めている論客2人」として、志位氏と東郷和彦・元外務省条約局長を紹介した。NHKや民放番組でも、「提言」発表後、領土問題の存在を認めよとの発言が相次いでいた。9月30日のNHK日曜討論では志位氏のいない場だったが「提言」自体が話題になり、賛同の声があがった。

  「提言」を読んだ外務省元幹部は「全く違和感はない。日本政府が『問題は存在しない』との立場にとらわれているため、相手に主張することもできず、『自縄自縛(じじょうじばく)に陥っている』というのもそのとおりだ」と話していた。日中関係に深くかかわった別の元外交官も「論旨は理解できるし、そのとおりだ」といい、「一番の問題点は日本政府や政治家が話し合いをしないことだ」と指摘した。

 他国からも反響

  中国問題の研究者やジャーナリストなど中国ウオッチャーと志位「提言」を議論する機会があったが、彼らが一番驚いたのは、外務省が尖閣領有の正当性について一貫して議論を避けてきたこと、あまりにもひどいやられっ放しという現状だった。米国をよく知る識者も「中国の外交官が米国に猛烈な働きかけをしているのに、日本外交が沈黙している」と語り、「領土問題は存在しない」との立場がその原因となっており、事態の打開のためにはその立場を変えて対話するしかないとのべていた。

  東郷氏も近著で「私の承知する限り、政府間で尖閣の帰属をめぐって、これまできちんとした交渉や話し合いが行われたことはない」と断言している。(『日本の領土問題』)

  「提言」は140カ国の大使館と外国報道機関にも届けた。米国のある外交官は「論理が面白い」と評価。日中間で問題を「棚上げ」することで合意していたことについて、「“棚上げ”は異なる主張の存在を認めたことになるのに、問題が存在しないというのは矛盾だ」とのべていた。

  中国でも「領土論争を認めた最初の政党」「対話の窓口を開けと主張」などと大きく報じられた。

 打開の方向提起

  志位「提言」が反響を呼んでいるのは、やはり日本外交不在の実態が明らかになるもとで、打開の方向をずばり指し示したためだと思う。同時に、いまの緊張をつくりだした日本外交の問題点が、「領土問題は存在しない」という見解が生み出した自縄自縛にあるのだと提起したことにある。

  いずれにしても、志位「提言」以後、世論の流れが変わってきたと思う。政財官界、メディアからそれぞれ、日本政府の見解をあらため交渉せよという声が出ている。戦後最大の危機といわれる日中関係を打開する重要な契機をつくりだしたと思う。

 日本外交不在は「国有化」でも

 読み違えた日本政府

  今回の「国有化」の経過をみても外交不在を感じる。4月に石原慎太郎都知事が尖閣購入計画を打ち上げ、政府も「国有化」を検討してきたというが、その間におこなわれた数回の首脳レベルの会談で説明した形跡はない。

  野田首相がはじめて「国有化」を表明したのは、日本が中国全面侵略を開始した「盧溝橋事件」(1937年)の7月7日。「国有化」を決定したのが、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、中国の胡錦濤国家主席が“国有化はやめてほしい”と要請した2日後だった。

  「国有化」は必要だとしても、相手に徹底的に説明するなど交渉をつくさなければならなかった。

  日本外交の稚拙さは、以前からだが、ある大学教授は今回の尖閣「国有化」には二つの読み違えがあったと指摘する。一つは、「国有化」という概念について両国で大きな認識のギャップがあり、中国が「国有化」を抜本的な主権強化とみなしていることを読み違えたし、説得外交を放棄した。もう一つは、胡氏の重い言辞を一顧だにせず、2日後に閣議決定し、メンツをつぶしたことだ。これは日本人の想像を超える重さだという。

  思い出すのは、2年前の中国漁船が海上保安庁船舶に衝突した事件だ。当時、前原誠司国交相が「国内法で粛々と対処します」と繰り返した。これは外交上の問題なのに、国内法で済むと思っていることに中国側の怒りがそそがれた。

  今週号の『AERA』(10月8日)も、小泉外交で日中関係の基盤が危うくなり、この前原氏の対応で「日中間の『共通認識』が完全に崩壊した」と指摘している。

  結局、民主党政権になっても、自民党外交を引き継いできたことが問題だ。尖閣問題で「領土問題はない」とくり返し、思考停止に陥っている。前原氏も日本領土だから国内法でと単純に言ってしまったのだが、これは自民党政権でも言わなかったことだった。そういう意味では、胡氏の要請の受け止めにしても、ことがらの重要性を認識する外交センスがない。

 成り立たない中国側の主張

 歴史認識の欠如も深刻

  日本の外交不在というのは二つの問題がある。一つはアメリカの顔をみていれば済む範囲でしか外交をやってこなかったこと。もう一つは、過去の日本の侵略行為への真剣な反省にもとづく歴史認識がないことだ。今回の国連総会でも、中国外相が尖閣を日本が「盗み取った」という激しい言葉で非難し、日本政府が答弁権を使って反論したが、この反論がお粗末だった。

  中国側の主張の最大のポイントは、日清戦争(1894〜95年)に乗じて、日本が奪い取ったという点にある。ところが、日本政府の反論は尖閣を日本領に編入したのは、日清戦争の講和条約(下関条約)の3カ月前だというだけのものだった。

  ここでも、日本共産党は2年前の見解と今回の「提言」でずばり反論している。尖閣諸島は、日本が日清戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たないということだ。

  日清戦争の講和条約である下関条約と関連する文書のなかに尖閣諸島は出てこない。ところが、日本政府は日清戦争が侵略戦争だという認識がないから、不当に奪った台湾と澎湖(ほうこ)列島と、そうでない尖閣諸島の違いをきっぱりと主張できない。

 「無主の地」の「先占」明らか

  中国は、明代や清代にまでさかのぼって昔から中国の領土だったとも主張しているが…。

  たしかに、いろいろな文書があり、中国は地図に載っているとか、地名をつけていたなどと主張している。しかし、それは領有権の権原の最初の一歩であっても十分ではない。領有を認めるためには、実効支配を証明することが必要だ。

  党見解が「中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住していたことを示す記録はなく、明代や清代に中国が国家として領有を主張していたことを明らかにできるような記録も出ていない」と指摘していることだね。同時に、日本側にも領有を示す歴史的な文献はない。

  だから、1895年の日本による尖閣編入は、どの国の支配も及んでいない「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたるわけだ。日清戦争に乗じて奪い取られたというが、もともと領有していたということを立証しなければ成り立たない議論だ。立証できない以上は、「無主の地」を「先占」したという日本の主張を否定できない。

  それに、中国側の最大の弱点は、1895年に日本が尖閣諸島を編入してから、1970年までの75年間、一度も異議も抗議もしていないという事実だ。

  2年前に党見解が出たとき、防衛省防衛研究所の中国専門家に見せたら「こういう提言を出されたことに敬意を表する」といわれた。とくに高く評価していたのが、1919年に福建省の漁民が遭難したとき、当時の中華民国長崎駐在領事から届けられた感謝状に「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記されていたことの紹介だった。

  一部に、「先占」といっても、帝国主義の論理ではないかという疑問も出ている。たしかに、「先占」の法理は、帝国主義の論理として使われてきた。しかし、第2次世界大戦後は他の国際法上の法理と同じく、「先占」も国連憲章の諸原則を踏まえることが当然の前提となっている。それに反するものは見直しの対象となり、植民地体制の崩壊にもつながる。無主の地の占有というその合理的な核心は現在でも有効だ。

  いま中国は日本の尖閣領有の主張を「反ファシズム戦争の勝利を台無しにする」とまで、議論を広げているが、これも「日清戦争に乗じた奪取」論を精密に詰めていくと成り立たないからだと思う。問題は、にもかかわらず、日本側がなにも反論しないままで、中国が国連総会という場で日本側の行為を国連憲章の目的と原則を否定するものだとまでいわせてしまったことだ。まったくひどい日本「外交」の実態だ。

 外交交渉の解決を提起

  先日、民放番組で、ある学者が「尖閣問題は武力衝突になるか、交渉による解決かしかない」といっていたが、戦後初めて日中間で「武力衝突」を想起させるほどの危機だという認識が必要だと思う。それだけに、「提言」が外交交渉による解決を提起したことの意味は大きい。

  印象的だったのは、「提言」が出されたとき、民主党と自民党の党首選がおこなわれていたが、9人の候補者は「毅然(きぜん)と対応する」「海上保安庁を強化する」「自衛隊の派遣も考える」と強硬策一辺倒だった。それに対して、こんな危機のときだからこそ、外交交渉で解決をという提起が新鮮だった。

  その点で教訓的なのは東南アジア諸国連合(ASEAN)の対応だ。南シナ海で、中国との領有権紛争が緊張しているが、問題解決の枠組みとなる「南シナ海行動規範」をめぐる中国との外交交渉を途切らせていない。領土問題はすぐに解決するというわけにはいかないが、武力衝突を避けるうえでも外交交渉が保障になる。

  外務省の元幹部も、「いま交渉に乗り出すことが少なくとも現状をこれ以上悪化させない条件になる」と言っている。中国側が「争いを認めよ」と語っていることからしても、話し合いのテーブルを強く求めている。だからむしろ日本が交渉に舵(かじ)を切るチャンスだといっていた。

 日中双方に自制求めた「提言」

 相手も納得する対応を

  志位「提言」の大事なところは、日本と中国の双方に自制を求めていることだ。「物理的対応の強化や、軍事対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道」だとして、双方に自制をきびしく求めている。日本で軍事対応をあおる論調はさきほど指摘されたとおりだが、中国にもいろんな声があって、そのなかには軍事対応をあおる危ない声もあるからだ。

  志位氏は、中国大使への申し入れでも、率直に提起した。とくに中国の監視船が日本の領海内を航行することをくり返していること、中国の国防部長が平和的交渉による解決を希望するとしながら、「一段の行動をとる権利を留保する」とのべていることを指摘し、「冷静な外交的解決に逆行する」と自制を求めた。

  「提言」が最後にいっている「領土問題の解決は…相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要」という指摘も大事だ。とくに、「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対して、過去の侵略戦争に対する真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際法上の道理を冷静に説き、理解を得る努力が求められている。

  日中ともに国際社会での信頼感を損なっているという問題もある。いま、日本の国連常任理事国入りキャンペーンなど誰にも相手にされない状況だ。中国も大国になっていくにあたって近隣諸国からの信頼が非常に大事なことだ。双方ともそういうことに目を向けて、身近な国の信頼を得る包容力を求めたい。


 尖閣諸島 沖縄県石垣島の北西に位置する島嶼(とうしょ)群で、最も大きい魚釣島(中国名・釣魚島)の面積は、3.82平方キロ。日本政府は現地調査を通じて無主の地であることを確認した上で、1895年、日本の領土に編入。1945年の終戦後、米国の施政権下に置かれ、71年に日本に返還されました。60年代後半、尖閣諸島周辺海域の天然地下資源の存在が明らかとなって以降、中国は1971年12月の外交部声明で初めて領有権を主張し、日中間の懸案問題となりました。

 「提言」のポイント

 日本共産党の志位和夫委員長が9月20日に藤村修官房長官に手渡した尖閣諸島問題に関わる日本共産党の見解と提案のポイントは以下の通り。

 ○…日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない。物理的対応の強化や軍事的対応論は、日中双方とも厳しく自制すべきだ。

 ○…尖閣諸島の日本の領有は歴史的にも国際法上も正当である。

 (1) 日本の領有は「無主の地」の先占であり、国際法上正当な行為である。

 (2) 中国側の主張の最大の問題点は、75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということにある。

 (3) 尖閣諸島は日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っていない。

 ○…「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し解決をはかるという立場に立つべきだ。

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 2012年10月7日(日) 尖閣問題――冷静な外交交渉こそ唯一の解決の道 外国特派員協会 志位委員長の講演

 日本共産党の志位和夫委員長が4日、日本外国特派員協会で行った講演と質疑を紹介します。


 今日は、ご招待いただきましてありがとうございます。日本共産党の志位和夫です。

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐって、日中間の対立と緊張が深刻になっています。

 私は、9月20日、「外交交渉による尖閣諸島問題の解決を」と題する「提言」を発表し、藤村修官房長官と会談して日本政府に提起するとともに、翌日の9月21日には、程永華中国大使と会談して中国側にもわが党の「提言」の立場を伝えました。

 この問題をどう解決すべきかについて、日本共産党の立場をお話ししたいと思います。

日本の領有の正当性――その三つの中心点について

 日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも国際法的にも正当であるとの見解を表明しています。その中心点は、つぎの諸点にあります。

 第一に、日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言しましたが、これは、「無主(むしゅ)の地」の「先占(せんせん)」という、国際法上まったく正当な行為でありました。中国側は、「釣魚島は明代や清代からの中国の固有の領土である」としています。しかし、中国側は、中国が国家として領有を主張していたことを証明する記録も、中国が実効支配を及ぼしていたことを証明する記録も示しえていません。「中国の固有の領土」論は成り立ちません。

 第二に、中国側の主張の最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないことにあります。相手国による占有の事実を知りながら、これに抗議など反対の意思表示をしなかった場合には、相手国の領有を黙認したとみなされることは、国際的に確立している法理です。中国側は、この最大の問題点に対して、有効な反論をなしえていません。

 第三に、尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、1894年から95年の日清戦争に乗じて、日本が不当に奪ったものだというところにあります。先の国連総会では、中国は、「盗み取った」という表現を使って非難をくわえました。

 しかし、日清戦争の講和条約――下関条約とそれに関するすべての交渉記録を見ても、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域――「台湾とその付属島嶼(とうしょ)」および「澎湖(ほうこ)列島」に入っていません。国連総会での中国側の主張は成り立たないことをはっきりと指摘しておきたい。日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格のまったく異なる、正当な行為でありました。

国交正常化、平和条約締結のさいに事実上の「棚上げ」合意が

 それでは、歴代の日本政府の対応はどうだったか。「提言」では、重大な問題点があることを率直に指摘しました。

 それは、「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を避け続け、一回もおこなっていないというところにあります。

 歴史的に見ると二つの問題点があります。

 第一は、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結のさいに、尖閣諸島の領有問題を、いわゆる「棚上げ」にする立場をとったことです。

 1972年の日中国交正常化交渉では、田中角栄首相と周恩来首相との会談で、田中首相が、「尖閣諸島についてどう思うか」と持ち出し、周首相が「いまこれを話すのは良くない」と答え、双方でこの問題を「棚上げ」するという事実上の合意がかわされました。

 1978年の日中平和友好条約締結のさいには、園田直外務大臣とケ小平副首相との会談で、ケ副首相が「20年でも30年でも放っておこう」と述べたのに対し、園田外相が「もうそれ以上いわないでください」と応じ、ここでも双方でこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解がかわされています。

 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきでした。とくに「日清戦争に乗じて奪った」という中国側の主張は、歴史認識の根幹にかかわる問題であり、「棚上げ」の態度をとらず、事実と道理に立って反論するべきでした。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だといわなければなりません。

 同時に、尖閣諸島の問題を「棚上げ」にしたということは、日中間に領土に関する紛争問題が存在することを、中国との外交交渉のなかで、認めたものにほかなりませんでした。

「領土問題は存在しない」という立場に拘束され自縄自縛に

 第二に、にもかかわらず、その後、日本政府は、「領土問題は存在しない」との態度をとりつづけてきました。そのことがどういう問題を引き起こしているでしょうか。端的に言って、「領土問題は存在しない」という立場に拘束されて、日本政府は、日本の領有の正当性を理を尽くして主張することができず、中国側の主張にも反論ができない、自縄自縛に陥っています。

 今年8月の衆院予算委員会で、わが党の笠井亮議員が、日本政府は、尖閣問題の領有の正当性を理を尽くして主張すべきだとただしたのに対して、玄葉光一郎外務大臣は次のように答弁しました。「もともと尖閣について領有権の問題は存在しないという立場なものですから、われわれから外相会談で具体的に歴史、国際法上の根拠を説明することは、私はむしろしない方がよいところがあると思います」。これは、自縄自縛に陥っていることを、政府自らが認めた答弁にほかなりません。

 最近になって若干の手直しをしているようですが、根本にあるこの問題点がただされているとはいえません。

 「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張ができず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものにしていることを、指摘しなければなりません。

 自縄自縛という問題は、「提言」を藤村官房長官に手渡した時にも、提起した問題でした。官房長官は、「自縄自縛という疑問は検討すべき疑問だ。検討します」と否定することができませんでした。

 以上の点をふまえて、私は、「提言」のなかでつぎのように提案しました。

 「尖閣諸島の問題を解決するためには、『領土問題は存在しない』という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである」

 私は、これが問題解決の唯一の道であると確信しております。

過去の侵略戦争への根本的反省の欠如が根底にある

 この「提言」に関わって、さらに二つの問題について指摘しておきたいと思います。

 第一は、日本政府のだらしない外交態度の根本に何があるのかという問題です。そこには、過去の侵略戦争への根本的反省を欠いているという問題が横たわっています。

 日清戦争とは、どういう性格の戦争だったのか。この戦争は、台湾・澎湖列島の割譲という結果が示すように、「50年戦争」ともいうべき日本の一連の侵略戦争の出発点となった戦争でした。ところが日本政府には、侵略への反省がありません。そのために、日本政府は、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格のまったく異なる、正当な行為であった」ときっぱり仕分けて主張することができないでいます。

 9月27日の国連総会で、尖閣諸島の領有権をめぐって、日中両国間で論争が展開されました。中国側は、「中国から釣魚島を盗み取った」「世界反ファッショ戦争の勝利の成果を全面的に否定し、戦後国際秩序および国連憲章に深刻な挑戦をもたらす」という非難を加えました。ところが、日本側は、2回の反論権を行使しながら、この歴史認識の根幹に関わる非難に対して反論せずに終わっているのです。ここには侵略戦争への反省がないため、反論ができないという弱点が、深刻な形であらわれています。

日中双方が、物理的対応、軍事的対応論を厳しく自制する

 第二は、日中双方が、物理的対応や、軍事的対応論を厳しく自制することが必要であるということです。私は、官房長官との会談、中国大使との会談で、そのことの重要性を双方に提起しました。

 中国大使との会談で、私は、日本共産党が、8月に国会に上程された香港民間活動家尖閣諸島上陸非難決議案に対して、「もっぱら物理的な対応の強化をはかることに主眼をおいたものであり、冷静な話し合いでの解決に逆行する」として反対したことを紹介しました。私たちは、日本側にも自制を強く求めています。

 同時に、私は、中国大使との会談で、「中国にも率直に言いたいことがあります」として問題を提起しました。この間、中国の監視船が日本の領海内を航行するということが繰り返しおこっています。梁光烈中国国防相がパネッタ米国防長官との会談で、平和的交渉による解決を希望するとしながら、「一段の行動をとる権利を留保する」とのべています。軍事の責任者がこうした発言をすることは穏やかなものではありません。私は、これらの事実をあげ、「こうした物理的対応の強化、軍事的対応論は、日中の緊張激化を呼び起こし、冷静な外交的解決に逆行するものです。中国にも、自制を求めたい」と先方に伝えました。

尖閣問題をめぐって、二つの道の選択が問われている

 尖閣問題をめぐっては、二つの道の選択がいま問われています。

 一つは、物理的対応の強化や軍事的対応論によって緊張をさらに高めていく道です。この道をすすめば、最悪の場合には、武力衝突ということにもなりかねないという危惧を、私たちは強く持っています。

 もう一つは、冷静な外交交渉による解決の道です。私はこの道こそ日本が選択し、主導的に切り開くべき道だと考えています。

 私の「提言」に対して、これまで外交の中枢にいた方々や有識者の方々から賛同するという声が広がりつつあります。私は、この「提言」の方向で、日中両国政府が冷静な外交交渉を開始し、問題の解決をはかることを強く願ってやみません。ご清聴ありがとうございました。

志位委員長に対する質疑応答

中国側の領有権をめぐる見解についてどう考えるか

 問い ニューヨーク・タイムズで、1885年に古賀辰四郎氏が日本政府に日本の領土として主張することを求めたが、日本政府は躊躇(ちゅうちょ)したと書かれていました。日本政府のなかに尖閣諸島は中国のものとみなされるかもしれないという考えがあったということではないでしょうか。人民日報でも明時代の古い地図に尖閣諸島は中国の領土であると記されていると報じています。日本、中国のどちらが所有していたのかは、はっきりしていないのではないでしょうか。

 志位 1885年に古賀辰四郎氏が尖閣諸島の貸与願を申請し、沖縄県は、政府に国標建立について指揮を仰ぎたいとの上申書を出しました。このとき日本政府が取った対応は、内務省(山県有朋内務卿=きょう)は領有を宣言して差し支えないというものでしたが、外務省(井上馨外務卿)の意見は見送ろうというものでした。

 当時の日本政府がこうした対応をとったのは、日本側が、尖閣諸島を中国の領土だと認識していたからではありません。当時の日本外交文書の記録をみても、そういう認識が書いてあるわけではありません。当時の清国は、日本から見れば巨大な帝国でした。そういうもとで、尖閣諸島の領有を宣言すれば、清国を刺激しかねず、得策ではないという外交上の配慮から、この時点では見送られたというのが事実だと考えます。

 中国側が、明代の地図に、尖閣諸島が記載されていたということをもって、固有の領土だと述べていることについても、これは成り立たないということを申し上げておきたいと思います。中国側が、明代あるいは清代に、尖閣諸島の存在を知っていて、名前をつけていたということは事実です。しかし、これらは領有権の権原の最初の一歩であっても、十分とは決していえません。国家による領有権が確立したというためには、その地域を実効支配していたということが証明されなければなりません。中国側には、たくさんの記録がありますが、実効支配を証明する記録は一つも示されていません。

 以上のような歴史的事実にてらしても、私は、日本が、1895年に「無主の地」の「先占」という法理によって、尖閣諸島を領有したことが正当だったことについては、疑いのないことだと考えております。

尖閣諸島の領有は日清戦争と分けて考えることはできないのではないか

 問い 1895年に日本が尖閣諸島を自国のものとしたことは日清戦争、侵略戦争の動きとは全く違うといわれるが、分けて考えることはできないのではないでしょうか。領有権を主張することは、ますます権力を拡大しようというファーストステップというふうに見なされるのではないでしょうか。日本の領有権の主張は百パーセント正しいといいながら、外交的な交渉を通してこの問題を解決すべきだというのは矛盾があるのではないでしょうか。

 志位 日本側、中国側のそれぞれが、自国の領有の主張が正当だと考えていることと、外交交渉を通して問題を解決すべきだということは矛盾しないと思います。

 日本政府が、「領土問題は存在しない」として、交渉そのものを拒否してきたことが、お互いの主張をぶつけあい、そのなかで領有の正当性を証明していくうえで障害になっているのではないかというのが、私たちの考えです。

 今日、私は、日本の領有の正当性についての根拠を述べましたが、日本政府が中国政府に対して、こうした領有の根拠をまとまって主張し、その正当性を訴えるということを、ただの一回もやっていない。ここが問題なのです。私の提案は、その自縄自縛を自ら解いて、外交交渉をおこなうべきだというものであって、そのなかで領有の正当性を堂々と説けというものです。

 日本が尖閣諸島の領有を宣言した1895年1月という時期が、日清戦争の時期と重なっていることから、分けて考えることはできないのではないかというご質問がありました。日清戦争と尖閣諸島の領有の関係は、歴史的な実証研究が必要です。

 私たちは、2年前に、尖閣諸島問題での突っ込んだ見解を発表するさいに、1895年4月に締結された下関条約とそれに関する交渉経過をつぶさに調べました。下関条約で日本が清国から割譲を求めたのは、「台湾とその付属島嶼」と「澎湖列島」でした。交渉記録を見ますと、中国側の代表は、「台湾とその付属島嶼」と「澎湖列島」の割譲要求に対しては強く抗議しています。しかし、中国側の代表は、尖閣諸島については、なんら触れていません。かりに中国側が尖閣諸島は自国領土だと認識していたとしたら、尖閣諸島の「割譲」も同じように強く抗議したはずです。しかし、そうした事実はありません。それは、公開されている交渉議事録からも疑問の余地がありません。そのことは、中国側が、尖閣諸島について、自国の領土だと認識していなかったことを示すものです。

 さらにもう一つ、下関条約が締結されたのちの、1895年6月に、「台湾受け渡しに関する公文」が両国の間で交わされています。この「公文」を交わしたさい、「台湾の付属島嶼」とはどの範囲かということが両国で議論されています。

 その議事録を見ますと、中国側の代表は、「台湾の付属島嶼」について、具体的に島の名前をあげるべきではないかと提起しています。もしも後に、日本が、中国福建省の付近の島まで「台湾の付属島嶼」としたら紛争が起こる懸念がある。だから島の名前を具体的にあげておく必要があるのではないか。これが中国側の言い分でした。

 それに対して日本側の代表は、個々の島の名前を明示することは、かりに漏れなどがあったりすると、領有が不明になってしまい、不都合がおこる。海図や地図には、台湾付近の島嶼をさして「台湾の付属島嶼」と公認しており、後で日本政府が福建省付近の島まで「台湾の付属島嶼」と主張することは決してないと述べています。

 この日本側代表の主張に対して中国側代表は、応諾を与えています。

 当時、日本で発行された台湾に関する地図、海図は、例外なく台湾の範囲を彭佳嶼(ほうかしょ)までとしており、尖閣諸島はその範囲外とされていました。すなわち、下関条約で割譲された「台湾の付属島嶼」のなかには、尖閣諸島が含まれないということは、日中双方が一致して認めるところだったのです。

 こういう歴史的事実にてらせば、尖閣諸島が「台湾の付属島嶼」として日本によって強奪されたという中国の主張が成り立たないことは、明瞭だと考えます。日清戦争で強奪したのは「台湾とその付属島嶼」「澎湖列島」であり、尖閣諸島は、それとはまったく別に、日本によって正当な手続きをへて領有されたものです。両者は時期的に重なっているとはいえ、区別できるし、区別されるべきものと考えております。

日本による尖閣諸島の領有は、「先占」の条件を満たしているか

 問い 下関条約に尖閣諸島が全然触れられなかったもう一つの理由として、政府が尖閣諸島を編入したという事実を隠していたからといわれていますが。

 志位 国際法の上で「先占」が成立するためには、国家が領有の意思を表示することと、無主の土地を実効支配することが必要です。日本政府が、閣議決定によって尖閣諸島の領有を宣言したことは、国家が領有の意思を表示したものにほかなりません。そのさい、国際法の通説では、こうした領有の宣言は、関係国に通告されていなくても、領有意思が表明されていれば十分であるとされています。

 日本政府は、この編入手続きのあと、古賀辰四郎氏の求めに応じて、この島を貸与するという措置をとりました。古賀辰四郎氏は、アホウドリの羽毛の採取やかつお節などの生産活動を尖閣諸島でおこないました。「古賀村」とよばれた村が生まれ、最盛期には200人近い人々が居住していました。

 「先占」については、通例、三つの条件が国際法上必要とされています。一つは、占有の対象が「無主の地」であること。二つ目は、国家による領有の意思表示がされること。三つ目は、国家による実効支配がおこなわれることです。日本による尖閣諸島の領有は、この三つの条件を満たしています。

領土問題が噴き出しているのは民主党政権が弱い政権だからか

 問い 中国、韓国、ロシアと、最近、領土問題が大きく取り上げられています。これは民主党が弱い政権だからではないでしょうか。外交において弱い政策を有しているからではないかといわれていますが、どう思いますか。自民党政権に一刻も早く戻ったほうがいいと思いますか。

 志位 民主党政権に責任がありますが、この問題の根本の責任は、自民党の歴代政権にあると私たちは考えております。

 さきほど、日中国交正常化のさいに、尖閣問題について事実上の「棚上げ」の合意があったという話をしましたが、これは自民党政権でおこなわれたことでした。

 「領土問題は存在しない」ということで、日本の主張をいっさい海外に発信しない、中国にもいわない、という政策をとってきたのも自民党政権からのことです。

 民主党が政権についたときに、領土問題についても、従来の方針をすべて見直すべきでした。しかし、従来の方針をすべて無批判に引き継いでしまったのです。

 竹島問題についても、千島問題についても、日本政府が、事実と道理にたった外交方針をもって解決するという点での大きな弱点を、自民党政権時代からもっているということを指摘しておきたいと思います。

実効支配とは何か、日本側は現状を変えるべきか

 問い 「実効支配」という言葉が何度も出ていますが、定義を聞きたいと思います。「国有化」の問題、あるいは船留まりをつくるという問題が出ていますが、見解をうかがいたい。中国の出方によって日本は実効支配の状況を変えるべきでしょうか。それとも変えずに外交交渉に臨むべきでしょうか。

 志位 「実効支配」の定義については、国家権力の規則的な行使、あるいは持続的な行使ということが、通常その要件としてあげられています。必ずしも、住民が住んでいたり、特定の経済活動がおこなわれていたりということを、必要とはしません。たとえば、巡視船による規則的な監視・管理がおこなわれているなどのことがされていれば、実効支配の要件を十分に満たしているといえます。

 そのうえでですが、日本側も中国側も、物理的対応の強化で、領土に関わる紛争問題を解決しようということは自制すべきだというのが、私たちの立場です。

 日本側も、現状を変更して、さらにさまざまな物理的手段によって、これを強化するということはやるべきではないと思います。中国側も、監視船を領海に入れるなどして、日本の実効支配を実質的におびやかすような物理的活動は自制すべきだと考えますし、それは中国側にも伝えました。

 なぜ私がこのことを強調するかといいますと、そうした物理的対応の強化を双方がおこなえば、それは双方の対立をさらに激化させることにしかならないからです。

 一番危険なのは、物理的対応の強化が、軍事的対応に発展していくことです。これは絶対に避けなければなりません。物理的対応の強化は、外交交渉による解決に逆行し、それに障害をつくることになると、私は考えます。

 尖閣諸島をめぐって、領土に関する紛争問題が存在していることは、誰の目にも明らかです。そのことをいま正面から認めて、冷静な外交交渉によって、問題を解決する。これが必要です。

尖閣問題と日米安保条約の関係についてどう考えるか

 問い アメリカは竹島についても北方領土についてもどっちの領土だとは絶対に言いません。ただ、尖閣諸島が日本の実効支配下にないということになれば、安保条約第5条(共同防衛)から外れなければならない。実効支配をどうやっていくのか。人を住ませるわけにはいかないし、中国の艦船が領土に毎日定期的に入ってくる。日本の海上保安庁も入ってくるとなると、どっちが実効支配していることになるのか。

 志位 実効支配をどうやって確保すべきかというご質問でした。私は、いまの実効支配を確保していくうえでも、正面からの外交交渉をおこなう必要があると考えます。中国政府に対して、日本の領有の正当性を堂々と正面から説き、国際社会にも説いていくことが必要です。日本の領有の正当性を、広く世界の共通認識にしていくという努力こそ、一番大事だと思っています。

 それから、日米軍事同盟との関係でいいますと、「尖閣諸島問題があるので、中国につけ入られないようにするために、日米同盟を強化する必要がある」という議論が一部にはありますが、私は、これは危険であり、また見当違いの議論だと思います。

 この問題では、当の米国がどういう態度をとっているかをみる必要があります。いま、米国は、日本と中国の双方に、外交交渉による平和的な解決を求めています。「尖閣諸島防衛のために、日米同盟を強化する」という話は、米国側からは一切でてきません。

 「尖閣問題のためにも、日米同盟の強化を」という、軍事同盟的対応を求めるというのは、問題解決を困難にするだけでなく、アメリカの態度ともあわない、見当違いの議論になると思います。日本の実効支配を確保するうえでも、冷静な外交交渉によって、領有の正当性をしっかり中国に伝え、国際社会に伝えることが何よりも重要だということを重ねて申し上げたいと思います。

いまなぜ尖閣諸島問題が大きな問題になったのか

 問い いまなぜ、この問題がもちあがったのでしょうか。日中のどちらに原因があるのでしょうか。

 志位 日中双方に原因があると思います。

 今回の問題の直接のきっかけは、尖閣諸島のいわゆる「国有化」に始まりました。私たちは、「国有化」そのものは、島の平穏な管理のために、必要だと考えていました。しかし、その進め方には大きな問題があったと考えています。ウラジオストクでのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の場で、胡錦濤主席が野田首相に、「『国有化』はやめてほしい、もしやったら大変なことになる」ということを要請しました。ところがそのわずか2日後に、日本政府は閣議決定で「国有化」を決めました。「国有化」が必要だという考えに立ったとしても、国家主席からの要請というのは重いものです。外交交渉を尽くす必要があったと思います。外交不在ということが、今日の事態を引き起こしたと、私は考えております。

 もう一つは、中国側の対応の問題です。かりに「国有化」という問題が、中国側が許容できないものであったにせよ、それに対する対抗措置として、暴力をともなう「反日デモ」というのは許されません。監視船に、領海侵犯を繰り返させるというのは、理性的なやり方ではありません。軍事の責任者が武力行使を示唆するような発言をすることも、不適切だと言わなければなりません。中国は、大国化するなかで、その立ち居振る舞いが、世界からも注視されている。そのことを自覚した行動を求めたいと思います。そのことは中国大使にも率直に伝えました。

 日本共産党と中国共産党とは、1998年に関係を正常化していらい、全体としては良好な関係が発展しています。同時に、言うべきことは、言うべき時にきちんと言う、という立場で、私たちは対応してきました。

 この問題は、なかなか難しい問題ですし、解決には一定の時間がかかるかもしれませんが、現状を打開する道は、私たちの「提言」の方向以外にはないと、私は考えています。この「提言」が実るように、今後も力を尽くしていきたいと決意しております。

この問題にかかわってどういうリスクが存在するか

 問い 政治的にどのような影響があると思いますか。日本国内でどのようなリスク(危険性)がこの問題にあると思いますか。

 志位 リスクという点で言いますと、この尖閣問題を、自衛隊の軍備の強化、あるいは日米軍事同盟の強化などに結びつける議論があります。自民党のなかからは、明文・解釈改憲の主張も起こっています。この問題を利用した軍事力強化、憲法9条改定などの流れは絶対に許してはならないと考えています。これは問題の最悪の政治利用です。建設的で生産的な解決に何の寄与もしないものです。私たちはこういう立場はきびしくしりぞけていきたいと考えております。
































(私論.私見)