歴史の証言 リクルート疑獄(その2) |
事件を囲むタブーの砦
リクルート疑惑は時間の経過とともに新しい展開を遂げ、国民の前に隠れていた氷山の一角を次々に露呈して、高級官僚や政商的な経営者たちの間から逮捕されるものが続出し始めた。自民党の派閥連合として反主流派もない体制を作り、小手先政治でこの世の春を謳歌してきたが、国民の信頼の喪失と戦後最低の内閣支持率で竹下内閣はついに空中分解してしまった。しかも、首相が退陣表明の記者会見をした直後に、リクルート社から一億円以上の献金を受け取っていた首相の金庫番で経理担当の青木秘書が首つり自殺した。それでなくても奇妙な事件だという印象を伴って、事件がすこしもすっきりした形で解明が進まないのはそれなりの理由があってよさそうだ。ジャーナリズムや政治家たちが口を噤み時たま奥歯に物が挟まった発言をする裏には黒い霧の元凶に脅える共同体心理が働いているものだ。しかもその背後には誰もがふれるのをためらうようなその時代における最大のタブーが関係しているのが世の習いである。
特に権力者がタブーに守られてしたい放題をした場合にはタブーに接近したという行為だけで社会から葬られたり命を奪われることも多く、こういう事件では多くのジャーナリストや関係者が謎に満ちた状態で姿を消しているのであり、首相の秘書の死はその始まりを意味しているのだろうか。なにぶんにも秘書は男が担当する女房役であるし、金庫番となると汚い金の動きに関与するから、ヤクザ的な政界の裏面との接触も多いのでタブーの世界と紙一重の位置にいると言えるのである。
川崎市の助役がリクルート社のビル建設に関して便宜を計った見返りとして株を受け取り、それが巨額の賄賂だったことが収賄事件として発覚し、それを口火にしてリクルート疑獄の煙がたちのぼった。この段階で汚職容疑で内偵していた神奈川県警に対して、元警視総監で中曽根内閣の法相をやった秦野章が、圧力をかけて捜査を中止させようとしたほど、
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( 秦野が「圧力をかけて捜査を中止させようとした」史実が確認できない。逆はあり得るとさえ思う。そういう意味で、この下りに納得できない) |
リクルート社の自民党中枢への浸透は強力だった。それは本命の中曽根首相は言うに及ばず、ニューリーダーと呼ばれる竹下、宮沢、安倍などの幹部が賄賂性の強い金を一億円以上も受け取っており、その事実がここにきて続々と発覚しなかったら今頃はリクルート疑惑などは存在せず、竹下内閣は大いに安泰でこの世の春を楽しみ、経済援助の美名の下に世界中で血税をばらまき、政治的無能力を札束の威力で抑え込む竹下流の買収外交として、撒ける金がある限りは順風に乗っていたかもしれない。しかしリクルート事件は首相の秘書の自殺で新展開を見せ始め、女房役の秘書が金庫番であった事実に注目すれば、平和相互銀行の吸収合併が最大の政治資金作りの仕掛けだから「死人に口なし」でうやむやになるか時限爆弾になるかは、今後の成り行きにかかっているのである。
それに竹下首相と自民党は内閣を犠牲にしながらも、中曽根の国会への喚問という簡単なことをなぜ全力を挙げて阻止したかという疑問に対して、誰も未だはっきりと答えていないのである。すでに江副や真藤を始めとした幾人かの当事者は起訴済みで、これから本命の巨悪の砦に包囲網が絞られていくはずが、今の段階は未だほんの序の口であり、竹下退陣程度のことで気を緩めてはいけない。それは造船疑獄の教訓がはっきりと示しており、戦後最大と言われたこの疑惑がたとえ忘却の彼方にあっても。もう一度それを思い出す必要があると言えるのである。
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造船疑獄の教訓
造船疑獄の発端は川崎市の助役の賄賂に似ていて、伏魔殿の天守閣とは程遠いところで始まり、小さな鮒会社の重役が会社の金を着服したという、ありきたりの公金横領事件が火種だった。そして、次の段階で丸の内や霞が関に飛び火して、最後に国会や自民党本部のある永田町や平河町で、大火事として燃え上がるパターンが待っていた。造船疑獄では百人近い財界人が逮捕され、自由党の佐藤幹事長と池田政調会長が収賄していたので、逮捕されるばかりになった時に、悪名高い指揮権発動という暴挙ですべてが雲散霧消した。そして、自民党としてはどんな大赦でも消すことが不可能な、永劫に残り続ける犯罪記録を作ってしまった。
この例において既にはっきりしている通り、過去の歴史に似たような事件を体験しているし、なぜ巨悪を取り逃がしたかという苦い経験があるから、今度は同じヘマをしないことが肝要だと、ジャーナリズムや検察当局は新たな覚悟が必要だ。なぜならば、高辻法相は指揮権の発動を気軽に口にすることで知られ、指揮権発動がいかに国政と民主主義の破壊とに結びつき、その根幹に触れるものであるかを知るならば、それを軽率に口にする人間は信用が置けないことを、造船疑獄の教訓が示しているからである。
リクルート事件が造船疑獄に似た構造疑獄であり、腐敗した政治家と高級官僚が職務権限で関与し、当時の文部次官や労働次官が既に逮捕されている。だから、国会議員や閣僚の逮捕を予想するのは、乱れ飛んだ札束や利権の内容からして、それほど難しいことではないだろう。それにしても、現在の段階において。これが奇妙な疑獄だと言わざるを得ないのは、マスコミ界で取り沙汰されている問題と、事件の本質が肉離れした形で進行していることだ。現金で自腹を切らないで賄賂を支払いながら、株券を領収書の代わりに利用している点を考えていないし、リクルート事件はNTT事件かスパコン事件と呼ぶべきだが、国民は事件の核心が巧妙にすり替えられているのに、それに全く気がついていないのである。
なぜであろうか。それは疑獄としてのリクルート事件は、民活の一貫として国有財産の払い下げに関係し、中曽根内閣時代の犯罪と不始末の数々が、内閣交替を機会に次々とボロを出したものだからだ。しかも、初期の段階から本命は中曽根康弘だと言われながら、これまで一年も時間が経過したというのに中曽根の天守閣からは全く遠い場所で、火が燃え煙が立っているにすぎない。ここに来て風向きが本命の方向に変わり、中曽根召喚についての紛糾が命取りになり、竹下内閣が腰砕けで崩壊するに至ったし、あれだけ目立ちたがり屋で芝居っけの強い中曽根が、ここにきて存在を顕示するのを抑えているのは、一体なぜかという点に着眼するならば、リクルート事件の真相の半分が解明できたと言えるのである。
リクルート疑獄は面白いほど犯罪心理学の教科書通りに進み、リクルート社関連の未公開株の譲渡にまつわる与野党を巻き込んだ政治疑獄を暴きだしたが、株券が領収書の代わりだったのは興味深いてんだ。特に松原社長室長が札束を持って楢橋代議士を訪ね、国会での追及を賄賂で抑えようとし、その現場をビデオに撮られるというヘマを犯して、地検に告訴されたというハプニングがあったために、物証主義の検察当局は本腰を入れなければならなくなった。
それまで明電工事件や撚糸工連疑獄などで、中曽根がらみのスキャンダルを追った特捜部が、政治権力の圧力のために途中で挫折させられ、当時の伊藤検事総長の巨悪発言を空手形にしている。だから、未公開株のリストまでが現れたので、法治国家の番人の面子を賭けるラストチャンスとして、検察は追求せざるを得なくなった。なにしろ、株式上場の株分けを使った賄賂工作は、政界、財界、官界、学界、言論界などを巻き込んで、日本全体が金狂いに陥っていることを露呈した上に陰湿な地下の結社集団を浮上させたからである。
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政界におけるセイジごっこ
リクルート社はお祭り騒ぎが好きな仲間意識に支えられた女性的な企業文化をもつミーイズム集団だと言われ、性の平等化が目覚ましかったと指摘されるが、このユニセックシズムの心理現象で塗りこめて。政治行為に一般化したのが中曽根内閣だった。発足した当初の内閣は田中角栄に手綱を取られて、目白台の顔色で動く「田中曽根内閣」と呼ばれる哀れな存在だった。それは総理大臣の罪を軽くするために、その任に当たるとはだれも考えていなかったのに、中曽根は闇将軍から首相に指名されていたからだ。
しかし、権力に慣れるに従い面従腹背が目立ちだし、独宰官への憧憬を権力機構に反映すると、首相の私的諮問委員会が派手に動き出して、実質的な無視による国会の骨抜き化が進行した。委員家業でタカリ癖のついた学者や評論家は大量にいたので、大平首相が総裁時代に作った「総理の政策研究会」の諮問委員の中から、めぼしい顔ぶれを集めて矢継ぎ早に作ったのが、中曽根流の首相の私的諮問グループだった。従来のものは私的集団の自民党総裁が、党レベルの総裁の私的機関として設置したのに、自民党総裁が日本国総理を兼任するのを利用して、中曽根は審議会もどきの私生児を乱造し、審議会なみの権限を勝手に与えると、国会での公式な審議を回避する目的で、この私生児に行政行為を実行させたのである。
これは憲法に決められた議会制度の否定であり、昭和のファシズムと呼ばれた戦前の軍国主義の時代でも、こんな暴挙は行われなかったのに、奢りに支配された中曽根はそれを敢行した。政府関係の諮問機関は国家行政組織法第八条に基づいて、国会の承認を必要とする正規の審議会と、法律や国会に拘束されない私的なものがある。中曽根は私的なものを正規なものにみせかけ、何億円もの税金を使って茶坊主集団に対して、鼻薬としての小遣いを与えながら政治を壟断した。政治のルールが首相の趣味のためにこれほど乱れたことは、明治以来の日本の憲政史を振り返ってみても、かって前例を見ないほどのものであった。
実際問題として、首相が自分の好みに合った追従者たちを集めて、適当な口実で個人の満足を満たす上で利用したというのに、その費用は首相のポケット・マネーではなくて、各省庁の予算という血税で賄われていたのである。例えば、高坂正尭京大教授を座長にした「平和問題研究会」は、一九八三年(昭五八)八月に発足しているが、一年あまりの間に八千万円ほどが総理府の予算から支出されていて、委員は旅費や宿泊費のほかに二万円の日当を受け取っている。瀬島竜三や佐藤誠三郎のような十以上の委員会に顔を連ねる常連は、その収入のほうが本業の給料を上回る月も多く、乞食と政府委員は三日やったらやめられないと、口の悪い連中から妬まれる種を作るほどだった。しかも、やっていることの多くは、中曽根がそうしようと考えたことを受け、意向をそのまま反映させて恰好を作るだけの、傀儡としての役割を演じたにすぎないのだ。要するに、その頭脳が役に立ったわけではなくて、お殿様の言いなりになって身も心もささげ尽くし、学術用語を使って春の歓楽をもてなす、象牙色の肌をもつ今様の白拍子として、彼らは集められていたに他ならないのである。
こうした殿様の道楽が過ぎていることに対して、参議院内閣委員会の調査室長は東京新聞の記者の取材に答えて次のような興味深い発言をしている。「歴代の首相の私的諮問機関は、一内閣一機関にほぼ抑えられ、行政の前面に出るケースは少なかった。中曽根さんの場合は質が異なり、明らかに正規の審議会と同じ役割を果たしている。意図的とは思わないが、脱法行為であることは否めません」。高島易断神聖館の高島龍峰館長は首相時代の人相をみて、目の冷たさにはずる賢さが現れていると喝破しているので、中曽根のやり口は意図的だったに決まっているが、私的諮問機関を悪用して、彼一流のやり方で議会制度を骨抜きにするクーデターを試みたのが、中曽根時代の政治を特徴づけた。乱造私的諮問委員会の実態だったのである。有能な頭脳を動員してよりよい国政を実現するのなら、プレーン政治も悪くはないだろうが、エストロゲンで体がふっくらと丸みを帯び、首相好みの餅肌の中年学者や評論家を集めて、セイジごっこに現を抜かされたのでは、納税者としてはたまったものではないのである。
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三島事件の教訓
法的には全く根拠を持ち合わせない集団を、首相の私的諮問機関と名付けて飼い慣らした弊害は、議会軽視と政治不信を助長したが、それを破廉恥にも外交の場まで持ち出してしまい、中曽根の個人的な願望に合わせて宦官集団が作文したものを、まるで我が国の基本政策であるかの如く扱ったために、自民党内で大紛糾したのが前川レポートだった。これは数ある私的諮問機関の一つとして、一九八五年(昭六〇)の十月に発足した「経済構造調整研究会」のレポートで座長が前川春雄前日銀総裁だったために、政府は前川レポートと称したものの大宣伝をした。内容は首相好みの奇麗事の羅列にすぎず、国会での審議にかけた民意とは無関係のものだが、それを独断で対米外交の公約に使ったので、自民党内にも批判の声が高まったいわくつきの私的レポートであった。
思いつきに従ってその場逃れに終始して、自分だけは常にいい子でいようとする中曽根政治の実態は、同じ自民党でも古手の政治家たちには、胡散臭さを強く感じさせていたのである。彼らはダテに国会議員をしてきた訳ではなく、永年に亘って築いてきた党の存立基盤を損なうものに対して、お目付役として時には立派に機能するのが、自民党のオールドリベラリスト議員の良いところでもあった。彼らが教訓的な例として明確に覚えていたのが、一九七〇年(昭四五)十一月の三島事件である。イタリーの民族的英雄で詩人だったガブリエレ・ダンヌンルィオに憧れ、学習院の文学少年時代から死の瞬間まで、徹底的なコンプレックス心理を持って模倣に徹して詩人に献身した余りに、遂には本格的な性倒錯者の仲間入りをした三島は、イタリーの永遠の恋人に焦がれ死にをした。同時に、彼を裏切った日和見主義者への面当てとして、しかるべき地点を死に場所として決定すると、彼は愛刀の「関の孫六」を使って自刃したが、そこが市ヶ谷の自衛隊東部方面総監部だったのは、中曽根康弘が防衛庁長官だったからである。 |
( ここの下りの三島事件観も陳腐過ぎる。三島事件は、市ヶ谷の自衛隊基地に乗り込んだ三島はバルコニー演説後、直ちに拘束され、儀式殺人を執行された真相に立脚して述べねばならない。そういう意味で、この下りに納得できない) |
中曽根は文官的な宦官学者を私兵に仕立てて、日本の議会制度をいびり殺そうと試みて、日本の民主主義が死の苦しみで足掻くのを、首相官邸の中で快感として味わったらしいが、武力蜂起によるクーデターを指向した三島の倒錯の美学は、それに十年も先だって楯の会という私兵集団を組織して、玉砕戦術に死の快感を感じていたのだ。戦争の推進力を一種の性的妄想と理解した三島は政治とエロスとの関係を戦いの場で一体化して、絶対者への服従にマゾヒズムとサディズムを感じ、その種の突きつめた狂気をナルシズムに体現していた。 |
( ここの下りの「三島の倒錯の美学論」は私的には陳腐としか言いようがない。だから、「絶対者への服従にマゾヒズムとサディズムを感じ、その種の突きつめた狂気をナルシズムに体現していた」なる表現に納得できない) |
共通の倒錯精神を持つ中曽根は三島の戦法に口では共鳴し、物心両面から支援をしたといわれている。しかし、それはアメリカからの外圧に虐げられ、日本国が呻吟し産業界が悲鳴を上げたのを放置し、却って被虐的な快感を楽しんだだけでなく、平和国家として蘇った戦後日本に対しては、総決算と称して苛め加虐的な快感に陶酔していたが、これは中曽根流のナルシスト的なSM趣味に基づく友情の一種かもしれない。それは政治家として日本国に対しての裏切りだが、ナルシストとして自分だけが可愛い中曽根にとっては、自分のために他のあらゆるものが犠牲になるのは、矛盾ではないし痛くも痒くもないのだ。だから配下の陸将補が三島の決起に呼応して、自衛隊員を引き連れて参加するのを内諾していたのに、責任をとるのが怖くなった風見鶏の中曽根は、土壇場で翻意すると三島を裏切ったと言う人が多い。だから、三島の死は片割れに裏切られた情死であり、残ったほうは位人臣を極めて宰相の印綬を手に入れ、官房機密費を使って茶坊主遊びを楽しむこともできた。
そのお仲間が昔取った杵柄の海軍の中級士官出身の財界人や官僚とか、権力に擦り寄る心の卑しい小姓志願の学者だとしたら、政治がまともに機能するはずがないのも当然だろう。しかも、首相という公的な立場と政治権力を利用して、公的な国家の私物化が進み、自小国家主義者が国家を食い物にする時、そこに亡国の音が響き渡ることになるのである。 |
東京のベルリン化と国家機密の流失
立花隆が「文芸春秋」誌に執筆した田中金脈の記事が、飛ぶ鳥を落とす勢いの田中政権を崩壊させた、と一般に広く信じられている。だが、それは事実の一端を示しているにすぎず、致命傷を与えたのは外国人記者クラブの質問であり、外国の特派員の金脈事件についての質問に対して、田中首相が追及をかわしきれずに自滅したのである。
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( ここの下りの「立花隆が「文芸春秋」誌に執筆した田中金脈の記事が、飛ぶ鳥を落とす勢いの田中政権を崩壊させた、と一般に広く信じられている。だが、それは事実の一端を示しているにすぎず」指摘は良いとして、「外国の特派員の金脈事件についての質問に対して、田中首相が追及をかわしきれずに自滅した」も臭い記述である。「外国人記者クラブの質問」が田中元首相追求を謀略的に再燃させたのが史実であり、「田中首相が追及をかわしきれずに自滅した」のではない。そういう意味で、この下りに納得できない) |
そのことを肝に銘じて感じた中曽根首相は、日本の新聞記者は幾らでも誤魔化せても、外国系のジャーナリストの鋭い問題意識の前では、正面からの追及でボロが出ることを恐れて、幾ら招待されてもいつも口実を作って逃げ、外国人プレスクラブでの記者会見を承知しなかった。後ろめたいことが何もないのであれば、特派員と会見して政策を説明するチャンスだのに、中曽根首相はお気に入りの特定記者と会うだけで、公的な会見を全力を上げて回避し続けた。これは有楽町のプレスクラブの理事をする特派員たちが、何人も私に繰り返して言っていた話である。
こういったメンタリティの背後には異常心理が潜み、茶坊主的な取り巻きをプレーンに使ったのと同じで、倒錯的な仲間意識に支えられた共同感覚と、密室政治の陰湿なパターンが読み取れる。現に、中曽根首相を取り巻いている新聞記者の多くは、同じ特派員仲間でも眉をひそめる趣味の持ち主で、有楽町の電気ビルのエレベーターの中でも、男同士で手を握り合っているタイプに属しているそうである。外国の諜報機関はこのタイプの人間を送り込み、重要な国家機密を盗み出すことが多く。それはMIBやCIAのケースでよく知られているが、最近ではモサドが活用する手口として有名だ。そして、日本人はこの手口に余りにもナイーブであり、中曽根内閣の周りに群がっている人間には、この種のいかがわしい者が特に多いという話を、東京に行くたびに読者の特派員たちから聞かされたものである。
一九三〇年代のベルリンは放埓な悪習が蔓延した都市で、手軽に享楽を味わえる放蕩の町として、倒錯趣味の人間を相手にした施設や出版物が氾濫し、不倫と贅沢趣味が時代精神になっていた。同時に、国家の最高指揮者のヒトラーが倒錯趣味で、ナチスの組織が異常精神に支配されていたから、支配と服従を体現するサディズムとマゾヒズムが政治を情念とヒステリーで彩っていた。 |
( ここの下りの「国家の最高指揮者のヒトラーが倒錯趣味で、ナチスの組織が異常精神に支配されていた」も臭い記述である。こういうヒトラー観、ナチス観は国際ユダ邪の洗脳史観に基づいている。そういう意味で、この下りに納得できない) |
それに似た異常興奮の熱気に包まれたのが、中曽根時代の東京の雰囲気であり、このお祭り騒ぎの享楽と投機熱を求めて、奇妙なコスモポリタンが日本に集まったし、同類の日本人がメディアの上で浮かれたのである。
このような倒錯人脈のルートを通じて、国策を決定する上で重要な多くの国家機密が、外国筋に流れたのではないだろうか。それは戦時中のゾルゲ事件の教訓からしても、十分に予想することが可能であるのは、審査基準のない諮問委員会の中に外国の下請けもいて、首相官邸は言うに及ばず赤坂や紀尾井町でも、待合での密談や霞友会館での会合の内容は、たちまちその筋のネットワークを通じて流れ、よその国のデータベースに組み込まれてしまい、日本の安全は損なわれてしまうことになる。奇妙な趣味が権力と癒着して時代精神が狂えば、首相官邸での決定や国家機密に相当するものが、責任ある地位にいる者たちの見識の欠如で、価値ある情報として他国に大盤振る舞いになったり、代償と引き換えに便宜と置き替っても、少しも不思議なことではない。
それと全く同じパターンが国内で実行され、自民党の執行部とリクルート社の間で露見し、政府委員の地位や政策決定の取引として、株のばら撒きの形でスキャンダル化したことを思えば、未だ露見していない悪質な不正の数々が、よその国の各種組織との間に存在してもおかしくない。現に中曽根内閣の閣僚や自民党の執行部のほとんどが、何の罪悪感もなくリクルート社や江副から金や株を貰い、国の知的所有権や便宜を切り売りしているのだ。これは自衛隊の機密漏洩とは重大性で桁違いであり、末永陸将補事件の何万倍もの打撃を国家に与えている。こういう乱行による国家機密の切り売りを、昔の人は売国行為と呼んだはずだし、たとえ現金ではなくて株券で受け取ったにしても、背信が民族の運命を根底から損なう以上は、これは売国行為そのものだと言わざるを得ない。スパイ防止法が必要だと騒ぎたてる議員が多いが、体制の中枢にいる首相や閣僚が国益を切り売りし、それを私益に還元しているのだとしたら、一体どうやってそれを防ぐというのだろうか。
国家の中枢部から機密が流れ出し、権力者のほとんどが倫理観を喪失していることは、亡国現象の最たるものであり、いくら資金を投入して軍事力を強化しても、内部から腐っていく以上は救いがない。この内部を腐食する国家の敵が、極左勢力のテロリストだと考えて、日本の警察機構を公安警察主導型に改造したのだが、気がついてみたら敵は本能寺にあって、国家を食い荒らしていたのは権力者たちで、首相以下の代議士や高級官僚が供応や買収で頂かれていたのだ。そして、六〇年安保以来の過去四半世紀にわたって、ひたすら公安と警備の増強に励んできた結果、逆に警察の刑事部門は弱体化してしまい、三億円事件、グリコ・森永事件を初めにして、犯罪面での無力さは目立つばかりである。それは警察官僚が権力志向になり、出世と支配力の魔力に捉えられてしまい、本当の公安と安寧の意味を忘れてしまったからである。 (中略)
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警備警察が果たした特殊な任務
五五年体制は安保事件の教訓で警備警察を充実したが、その典型は総務庁長官として官僚ににらみを利かせ、同時に、官房長官として内閣の手綱を取る後藤田正晴であり、彼は中曽根内閣の舵取り役を演じていた。後藤田は警察庁の長官から田中の用心棒になり、中曽根を助けるのではなく監視する目的で、ナビゲーター兼お目付役として送り込まれ、乱行にのめり込みがちな権力の体現者を、側面から巧妙に誘導しているのである。国家の番犬役としてかつて警察力を統括し、しかも、田中角栄の懐刀として監視役を果たした後藤田は、カミソリの鋭さで国政を切りまわしながら、田中が法廷闘争で忙しくしている間のお目付役の任務を託され、留守番家老として中曽根の長期政権を支えてきた。自己顕示欲が強くて大言壮語の弊害があるが、強者には無条件で追従する性格の中曽根は、弱みを威嚇できる扱いやすいタイプの権力者に属している。
だから、弱みを握っている限りは操縦がしやすく、その手始めにしたのかどうかはわからないが、元内調の調査員だった外交官による情報だと、中曽根内閣が誕生する前の総裁選の段階で、内閣調査室にあった中曽根康弘のファイルが紛失していて、その資料は後藤田が握るところになったらしい。当然、中曽根についての全情報は目白台に届いており、弱みをすべて握っているつもりの田中角栄は、ロッキード事件を政治力で無罪にしうると安心していた。それに、後藤田機関と呼ばれる警察の情報網を使えば、中曽根についての珍聞奇聞が幾らでも集まったから、真夜中の事務所で鬘を前に悦に入る光景や、キャンパスだけでなく体に絵具をぬって、得意にシャンソンを口ずさむ報告を受けるたびに、目白台の大将はさぞ胸糞悪い思いした下に違いない。中曽根の最大の欠点は軽率な点であり、それを作家の平林たい子は「中曽根という人はカンナ屑のようにペラペラ燃えすぎる」と形容しているが、思いついたら突っ走って我慢が出来ないから、それを慌て者は中曽根の実行力と錯覚してしまうのである。
後藤田にとって最も気がかりだったのは、中曽根の複雑で奇妙な交友関係であり、友達との付き合いになると前後の弁えがなくなるから、首相好みの餅肌秘書官を牽制するために、警官から選び抜いた屈強な人間を張り付けたが、問題は中曽根が住んでいる野球の長島から借りた家だった。世田谷区上北沢の長島邸は鉄筋二階建てだが、長島が巨人軍の監督を降ろされた秘密は、試合に勝利するために有能な選手を結集して、彼らを戦力として上手く指揮しなければならないのに、長島にはそれが困難だったのが原因だそうである。政治のように汚れているビジネスとは違い、野球は病的な悪癖に対して実に厳しいものがあり、人気稼業にはスキャンダルが致命傷だから、それがゴシップ化しないように苦労した話を、かつて読売のトップから聞いたことがある。それでも、王監督による巨人軍はファンの満足を勝ち取って、読売は売り上げを落とさないですんだのだった。
その後としては、長島は自分の性格に似つかわしいモデル稼業に転身し、駅に並ぶ商品ポスターに不思議なスマイル写真を連ねて、モナリザ張りの謎の微笑を投げかけているが、心理学者の平安女学院の上野千恵子助教授の説だと、あれはナルシストの寂しい微笑だということになるらしい。中曽根も長島もともにナルシストの傾向が強く、素人向きで力量を懸念されている二人だから、つまらない噂は摘むのが最良だというわけで、別の側面からのスキャンダル予防工作も進み、商法改正を機会に後藤田の統制が厳しくなった。そして、この方面の情報は完全にカットされて、政権担当時代は大きなボロを出さずに済んだのに、リクルート事件で江副や真藤だけでなく、株を受け取っていた顔触れのリストから、小姓人脈や側近グループの名前が続々と登場してしまった。
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鬘趣味を江副の女装七変化
文芸春秋社から出版した「アメリカから日本の本を読む」の中に、私は「日本ではナルシスト集団の饗宴の日々が、司祭政治としての中曽根時代を特徴づけた。(中略)中曽根首相の私的諮問グループに結集した学者の八割が、倒錯精神によって特徴づけられる人材だったという事実」といった指摘をしておいた。すると、これを東京に行って話題にした時、日本の最上流の家庭の奥方が教えてくれた話に、中曽根が長い髪を垂らして女装している写真があり、それがカルメンの姿だったという情報だったから。このエピソードを「加州毎日」新聞の記事に書いたところ、情報誌の「インサイダー」が日本国内に紹介した。そのために、日本から国際電話が沢山かかり、週刊誌や新聞記者と情報を交換し合ったが、多くのジャーナリストやルポライターが注目し、中曽根、江副、鬘という奇妙な組み合わせに関心を持って、わざわざ高い国際電話を使ったり、中にはロスまで取材に来た人まで出現した理由は、ここに突破口があると感じたプロとしてのカンがあったからだろう。私が「加州毎日」に書いた記事は中曽根の鬘姿だったが、東京からの情報は江副と鬘についての物が多かった。最初の頃に江副が雲隠れして入院した時に、鬘をつけた変装で外部と連絡したことは有名だが、それ以前から彼には鬘をつける趣味があり、その後にも、岩手から女装して東北線で上野駅に到着したところを、週刊誌に証拠の写真を撮られている。
また、中曽根が財界から寄付を集めて作った「世界平和研究所」には、リクルート事件で世界的に名を上げる以前の段階で、事業家の江副浩正が女装で時々出入りしていたと言われている。ある新聞の社会部記者の話によると、世界平和研究所は女装趣味を持つ集団の拠点らしく、この研究所を地検が家宅捜査すれば、ダンボールに幾箱もの女装用のかつらが押収できそうだ、という実にうがった珍説まであるそうだ。それに、中曽根が行った弁明記者会見によると、中曽根が江副と公式に会う時には、いつも奇妙に演出家の浅利慶太の同席があるが、演劇は鬘のコレクションの宝庫だとすれば、リクルート事件の別の側面は鬘コネクションではないのだろうか。
そのような状況分析が始まった段階で、NTTの真藤会長が株式受領で浮上して、急速度で逮捕から起訴に移行したし、中曽根に影のように付き添う瀬島竜三が、NTTの取締役で相談役であることが注目されており、これも事件の見落とせない隠れた鎖の環である。最初は否認していた真藤が観念して、事前共謀と村田秘書の工作を供述した理由は、検察当局が江副と真藤の特殊な関係について、何か確証を握ったことが重要な決め手らしい。
かつて写真雑誌「フォーカス」を舞台にして、女の写真をめぐって中曽根と江副の嫉妬に基づく暴露合戦が起こり、そこを突破口にして追及した地検は、江副、真藤、中曽根の三角関係について何かを探り当てたようだ。それを掘り起こされると政経官界の恥部が露呈し、支配体制は崩壊しかねないので、たとえ竹下内閣を潰しても中曽根の召喚を防ぐというのが、体制防御総司令官の後藤田が下した最終的な決断であり、それを自民党執行部が承認したということである。
それにしても問題はまだ色々と残っているのであり、児玉誉士夫、三島由紀夫、小佐野賢治、
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( ここの下りになぜ「三島由紀夫、小佐野賢治」を入れるのだろう。三島、小佐野は国際ユダ邪に取り込まれなかった土着系有能人物である。そういう者を身も心も取り込まれた連中と同列で記述するのは不正であろ) |
長嶋茂雄、瀬島龍三、江副浩正、高坂正尭などの中曽根康弘を囲んでいる顔ぶれには、将来の或る時点で精神病理学の専門家の手によって、詳しい分析が行われた時に初めて明らかになる、実に興味深い共通の病症例が観察できるそうである。
江副は物心身の全領域で中曽根と真藤の稚児役であり、それは日本のエスタブリッシュメントの、歪んだ部分の小姓とピエロ役を演じていたが、リクルート事件で一番分かり難かったのは、株のやり取りと利益金の保管を秘書が関与して、当事者達は一切知らないというパターンの横行である。しかし、議員や経営者の年間給与を上回る金額を、卑しい目つきで金脈漁りに明け暮れ、パーティー券を売り歩く人々が知らないわけがない。
それは元議員秘書たちを取材すれば明らかになるが、秘書の役目は雑用担当の男の女中である。万一の時はご主人の身代わりとして、罪を背負って切り捨てられるが、時には。名代役を果たす責任も与えられている。秘書は一種の女房役だから、繊細な配慮にたけている必要と、主人の代理役として見せる決断力も要り、秘書役に向いた人材は二重人格と倒錯精神が重要である。
こうして、主人と秘書の間に奇妙な友情が芽生え、けじめの訓練ができていない人間だと、そこから奇妙な倒錯感情に支配されて、遂には生死をともにしかねないほどになり、泥沼の愛人関係に発展してしまう。これは封建時代の殿様と小姓の関係と共通で、支配と服従の複雑な二重関係から、サディズムとマゾヒズムが共存になるのであり、軍隊やヤクザの感覚と共通だと言われている。そして、こういう異常な心理状態が支配的になると、狂態が常態として罷り通って、何が異常だかわからなくなってしまうのである。
親しい友人で国会議員の経験が長い人の話だと、自民党議員の三割は秘書官と議事愛人関係にあり、それが拡大すると派閥の愛憎関係に転化するから、派閥は政治とエロスが一体になったものだそうだが、果たしてこの話は本当なのだろうか。(中略) |