野田聖子考

 (最新見直し2015.10.03日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「野田聖子考」をものしておく。「ウィキペディア(Wikipedia)野田聖子」その他を参照する。

 2015.10.03日 れんだいこ拝


野田聖子
 野田聖子()()は、日本の政治家。
 1987年、26歳で岐阜県議に当選。

 1990年、衆院選で79年に落選した祖父の地盤だった旧岐阜1区から無所属で立候補も落選。

 自民党公認となった93年衆院選で初当選。

 98年、小渕恵三内閣で郵政相。37歳10か月での入閣は当時史上最年少。

 2005年、郵政民営化法案に反対して離党。

 06年復党。

 09年衆院選は民主党の柴橋正直氏(現岐阜市長)に敗れ、比例復活。  

 出生、学生時代



 野田氏の祖父は建設相や経済企画庁長官を歴任した卯一氏(1997年死去)。地元・岐阜市の事務所で30年以上野田氏に仕える自民党県連女性局の松葉綮子(けいこ)さん(74)は、「総理大臣になりたいと言ったのは小学生の時。孫としておじいちゃんの膝に乗っていた時から、強く主張していたんです」と語った。女性や障害者に目を向け、多様性社会の実現を訴えている野田氏。推薦人集めに苦労し、総裁選出馬を何度も断念してきたが、小学生の頃から一貫して「総理大臣になる」という夢を周囲に話していたという。松葉さんは「おじいちゃんの膝に乗っていた時から、強く主張していた」と振り返った。祖父の卯一氏は建設相や経企庁長官などを歴任した自民党の有力政治家。「官僚やお偉いさんに囲まれて生きてきたから」(松葉さん)。政治の世界が身近にあったことが、野田氏が首相を目指す原点だとみている。

 近年は晩婚化で高齢出産をする女性が増加傾向にあるが、野田氏もその1人だ。41歳の時に不妊治療を始め、体外受精14回、流産1回を経験。10年に第3者に卵子提供を受け体外受精で妊娠し、翌年に念願の長男を授かったが、重い障害を持っている。決して順風満帆ではなかったが「どんな時も弱音は吐かなかった」という。「子供を産んでからは、昔はなかった母としての愛情が出てきて、一層女性に寄り添うようになりましたね」(松葉さん)  「強い女性」の一面の一方で、社交的でおちゃめな顔も持ち合わせる。「お酒を飲むと楽しい人。初めビール飲んで、後はずっと焼酎ですよ」と松葉さん。政党の垣根を越えてのコミュニケーションにも積極的だ。「行こうとした焼き肉店の場所が分からなくなった時に『そしたら(日本共産党委員長の)志位(和夫)さんに聞いてみる』って」。さらに、カラオケでも玄人はだしの一面を持つという。「自分専用の金マイクを手に、郷ひろみを歌うんです。取っつきにくいイメージがあるけど、実はものすごく明るい人ですよ」。総裁選が告示された17日の会見。野田氏は「組閣の際には半数を女性閣僚にする」と明言した。松葉さんは「政治はずっと男社会。どこか面白くない、改革したい思いがあるんだと思います」と胸中をおもんぱかった。(増村 花梨)  

◆野田 卯一(のだ・ういち)
 1903年9月10日、岐阜市生まれ。東京帝大法科(現東大法学部)卒業後に大蔵省入省。大蔵次官を経て50年に自由党から参院選に当選。51年、第3次吉田茂内閣で建設相。53年に衆院旧岐阜1区にくら替えし、以後9選。76年、三木武夫内閣で経済企画庁長官。79年衆院選で落選し政界引退。97年1月29日死去。享年93。

 「4度目の正直」で初めて挑戦権を得た。20日、党主催の討論会で「ようやく舞台に立つことができた」と強調。「最も弱い人がいつも笑顔でいられる社会をつくる。皆さんと自民党を変えたい」と支持を呼び掛けた。かねて総裁選出馬への意欲を公言。しかし、無派閥で党内基盤が弱く、過去3回は推薦人20人の壁にはね返されてきた。今回は各派閥が事実上の自主投票を決める中、同僚議員の協力を求めて奔走。最後の1人が得られたのは、告示前日の16日だった。派閥の「しがらみ」にとらわれない姿勢を前面に打ち出す。周辺には「推薦人から『これは言わないで』などとは言われていない。忖度(そんたく)なしだ」と宣言。森友問題を再調査する考えを示すなど、党内で依然影響力を誇る安倍晋三前首相にも遠慮がない。党を二分する政策論争でも、持論をためらわない。選択的夫婦別姓の導入を明言。女系天皇も「一つの選択肢として含まれる」と踏み込んだ。陣営側は「本人には自由に発言してもらう」と直言姿勢を後押しするが、保守派を中心に反発も生んでいる。女性や若手の抜てきを訴え、閣僚の半分を女性にする構想を掲げた。自身も37歳で小渕内閣の郵政相として初入閣。当時、閣僚として戦後最年少だったが、「若いから(仕事が)できなかったことはない」と言い切る。障害を持つ子どもの親としての実体験を基に、目指すのは社会的弱者を取り残さない政治の実現だ。「総裁選でいろいろな仕事をキャンセルしたが、ここだけは私の心棒だ。そのために政治家を頑張っている」。告示後、初めての週末となった18日、東京都内で開かれた障害者団体の会合に駆け付けると、こう力を込めた。

【政策・主張】
 外国国章損壊罪の規定同様、国民にも国旗を尊重させ違反者は処罰出来る規定が必要と主張し 、2021年1月に、「国旗損壊罪」の罰条を入れた刑法改正を求める要望書を「保守団結の会」メンバーと共に政務調査会長の下村博文に提出した。


【家族】
 

 所属団体・議員連盟

著書





(私論.私見)