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1986(昭和61)年、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選した。当時28歳で全国最年少の国会議員であった。なお、石破本人は田中派からの出馬を希望していた]が、鳥取県全県区からは既に田中派の平林鴻三が選出されていたため、中曽根派の幹部であった渡辺美智雄を頼り、中曽根派から立候補した。以後、9期連続当選。 |
70年代に一世を風靡した3人組アイドル「キャンディーズ」推しを何度も公言。鉄道、軍事でも自ら「オタク」と自称するユニークなキャクターを見せている。 |
1990(平成2).2月、第39回衆議院議員当選。 |
1992(平成4).12月、農林水産政務次官(5年6月まで)。 |
1993(平成5).7月、第40回衆議院議員総選挙で鳥取県全県区でトップ当選する。 |
1993.6月、宮沢内閣の不信任案に賛成し離党、「政界の壊し屋」こと小沢一郎衆院議員と行動をともにした。このため、自民党内に、「党が苦しい時に出ていった裏切り者」との声が根強い。 |
1993.11月、細川連立政権が推進した小選挙区制の導入などを柱とした「政治改革4法案」をめぐり、野党に転落した自民党の方針に反して賛成し役職停止処分を受けている。当時の自民党幹事長は森喜朗元首相。追って自民党を離党。改革の会に参加し、改革の会・新党みらい・柿澤自由党が合流した自由改革連合を経て新進党結党に参加した。 |
1995年に国連中心主義を唱える小沢一郎が新進党党首に選出されると、安全保障政策に失望する。 |
自民党の取材を続けるライターがこう明かす。
「自民党が野党で、安倍さんが総裁だった頃だと思います。党幹部の石破さんは新聞雑誌の定期購読をやめるべき媒体があると譲らなかった。経費の節減、そして気に入らない論調の媒体があったことが理由でしたが、とある雑誌については断固として購読をやめるべきだ、と主張した。最終的に安倍さんが〝私の方でなんとかするから〟と収める形になりましたが、この話を聞いた当該雑誌の編集長の石破さんへの怨念は今も続いているのは有名な話です」。 |
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1996(平成8).1月、衆議院規制緩和に関する特別委員長(8年9月まで)。 |
1996(平成8).10月、第41回衆議院議員総選挙を前に単身、新進党を離党。総選挙では新設された鳥取1区から無所属で出馬し、過半数に達する得票で圧勝した。以後7度、鳥取1区では対立候補に1度も比例復活を許さず、当選を続ける。 |
1998(平成10).8月、衆議院運輸委員長(11年10月まで) 。 |
2000(平成12).6月、第42回総選挙で当選。 |
2000(平成12).7月、第2次森内閣で農林水産政務次官に任命される(12年12月まで) 。 |
2000(平成12).12月、防衛総括政務次官(13年1月まで) 。 |
2001(平成13).1月、第2次森改造内閣で防衛庁副長官に任命される(13年4月まで) 。元々、石破は農水族として地歩を築いてきた]が、自身も「国防がライフワーク」と語るように「新国防族」などと称され、外交・安全保障に精通する政策通で知られた。拉致議連の会長を務める。 |
2002(平成14).9月、第1次小泉内閣第1次改造内閣で防衛庁長官に任命され、初入閣した(16年9月まで) 。防衛庁長官在任中はアメリカ同時多発テロ事件の発生による有事法制の制定や、陸上・航空自衛隊のイラク派遣に取り組んだ。 |
2003(平成15).11月、第43回総選挙で当選。 |
2003年11月15日、防衛庁長官時代の石破が、来日したアメリカ合衆国国防長官のドナルド・ラムズフェルド(右)と記者会見に臨む。 |
「自衛隊は『自閉隊』」
防衛庁長官在任中の2004年3月16日に、自衛隊についての発言で「今まで半分やゆ的に自閉隊と言われていたところがある。自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊だ」と述べた。石破は、発言について「世間でそのように自衛隊を非難する人がいると言っただけ。自衛隊が内にこもっては駄目だという意図だ」と説明したが、自閉症に対する認識不足であるとの批判を浴び、3月19日に発言を陳謝した。
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2005(平成17).9月、第44回総選挙で当選。防衛大臣(20年8月まで)拝命する。 |
2006(平成18)年頃、外交問題では硬軟織り交ぜた見解を表明しており、朝日新聞社の論壇誌/論座に寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、北朝鮮への単独制裁に対して疑問を呈している。 |
2007(平成19).7.29日、第1次安倍政権が参院選挙で惨敗。これを機に“安倍おろし”が始まった。参院選の2カ月前に松岡利勝農水相が議員宿舎で自殺。後任の赤城徳彦農水相には事務所費問題が発生した。7月3日には、久間章生防衛相の原爆投下「しょうがない」発言で辞任したことなどが響き、参院選では37議席と惨敗。小沢一郎率いる民主党に大きく議席を奪われた。続投を表明した安倍首相に対して、自民党の派閥領袖からは安倍首相を支持する声が相次いだものの、責任を追及する声も出た。その急先鋒が石破氏だった。7月30日付の読売新聞記事が、この時の石破発言をこう報道している。
「(石破茂・元防衛長官(津島派)も)『安倍首相は辞めるべきだ。そうでないと、自民党が終わってしまう』と述べ、首相退陣を求める考えを示した」。 |
7月31日付の朝日新聞が、この時の石破発言をこう報道している。
「(石破茂元防衛庁長官も)『総理は“私か、小沢代表の選択だ”と何度も訴えた。これを有権者にどう説明するのか。挙党一致は答えにならない』」。 |
8月7日の自民党代議士会でも、石破は安倍首相の責任を追及した。8月8日付の読売新聞によると、 《小坂憲治政調副会長(津島派)や石破茂・元防衛長官(同)も「(首相が)何を反省するかが大事だ。それを明らかにしてほしい」と批判した。首相は険しい表情でこうした意見を聞いていた。》。さらに11日付の産経新聞では、「【単刀直言】石破茂元防衛庁長官 国民政党の地位失った」記事の中で、厳しく安倍首相の責任を追及している。
《一度政権を失えば簡単には戻れない。(中略)このまま自民党のイメージがどんどん悪くなり、結果的にそんな政権を作ることに加担していいのか》。 《参院選は安倍首相自らが「政権選択の選挙だ」と言ったことで性格が変わってしまった。候補者の人柄や実績と関係なく結果が左右された。選挙でなぜ負けたかを徹底的に分析しなければ次はない。なぜ負け、どう改めるかを首相が早急に示す必要がある。》
。《首相が地位に恋々としているとは思わない。強い使命感があるのだろう。ただ、選挙で民意が示された以上、無視することがあってはならない。》。2日後の13日、安倍首相は慶応大学病院に入院した。
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2007(平成19)7年、安倍晋三の退陣に伴う自由民主党総裁選挙で福田康夫を支持し、福田が総裁に選出される。福田康夫内閣では防衛大臣に任命され、約3年ぶりに防衛省へ赴任する。 |
2007(平成19).11.8日、来日したアメリカ合衆国国防長官のロバート・ゲーツ(左)と握手を交わす。 |
2007(平成19).11.15日、守屋武昌元防衛事務次官に対する証人喚問において、久間章生、額賀福志郎両名の名前が出た日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。高校時代からアイドル歌手グループキャンディーズの大ファンであり、中でもミキ(藤村美樹)がお気に入り。メンバーの一人で解散後女優に転向した田中好子が2011年4月21日に死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした。 |
2007(平成19).11月21日、中国紙記者が防衛大臣執務室を訪れ、石破防衛大臣(当時)に取材した。その取材に基づき、中国共産党系の「世界新聞報」平成20年1月29日付に石破氏の発言が掲載されました。
「私は(防衛庁長官としても)靖国神社を参拝したことがない。第二次世界大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから、私は靖国神社に参拝しない。あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ」。 |
「日本には南京大虐殺を否定する人がいる。30万人も殺されていながら南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ」。 |
「日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない」。 |
「日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは、侵略戦争に対する一種の詭弁だ」。 |
「(中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる」。 |
「日本は中国に謝罪するべきだ」。 |
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2008(平成20)年、自衛隊のイージス艦あたご事故。漁船清徳丸と野島崎沖で衝突し、漁船は沈没、漁船員2人が亡くなった。石破は当時、防衛大臣。自ら漁船の家族を訪れて謝罪した。あたごの事故はその後の刑事裁判で1審、2審ともあたご側は無罪の判決が下り、福田総理は次の内閣改造で石破氏を留任させなかった。 |
2008(平成20)年、福田首相の退陣に伴う自由民主党総裁選挙に出馬し、25票で立候補者5人中最下位に終わった(当選者は麻生太郎)。
この時、「動乱が起き、北朝鮮の(日本)国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べている。 |
2008(平成20).9月、麻生内閣で農林水産大臣に任命される。農林水産大臣は松岡利勝(自殺)、赤城徳彦(辞任)、遠藤武彦(辞任)、太田誠一(辞任)ら前任者の多くが不祥事に見舞われていたが、石破は特に目立った不祥事を起こさず、約1年間、農林水産大臣を務めた。しかし総選挙が近づくと、閣内にありながら与謝野馨財務大臣らとともに麻生おろしに加担し、退陣要求を行った。 |
「自衛隊は暴力装置」
2009(平成21).3.30日、現職の農林水産大臣であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べている。2010年11月18日の参議院予算委員会において、仙谷由人内閣官房長官が「暴力装置でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、石破は、2010年11月19日に自身のブログにて、北朝鮮がなぜあのようなテロ行為を引き起こすのかを説明する上で、政治学上の定義を引用したに過ぎず、自衛隊を名指ししたものではないと釈明した。ただし石破は、清谷信一との共著である『軍事を知らずして平和を語るな』(2006年)にて、暴力装置に自衛隊も含まれるとの旨を以下のように明確に述べたことがある。なお、「暴力装置」は社会学者のマックス・ヴェーバーの著書で見られる表現で、「暴力」は軍隊や警察の実行力を、「装置」はそうした組織を指す言葉である。
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2009(平成21).5月、民主党の代表が小沢から鳩山由紀夫に代わると、自民党は大型地方選挙で6連敗を喫し、内閣支持率を急低下させた。そのため、自民党内で麻生首相への退陣要求が高まった。いわゆる、「麻生おろし」である。
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2009(平成21).7.12日、都議選で自民党が大敗する。「反麻生」の中川秀直、加藤紘一らが、総選挙前に総裁選を行うために両院議員総会開催に賛同する議員を募った。総裁選前倒しは、麻生に代わる別の総裁を擁立すること意味する。これに対し、麻生首相は7月13日、21日に衆院を解散し、8月30日投開票の日程で総選挙を行うという「解散予告」をした。当時、農水相だった石破氏は、7月11日、北海道釧路市で麻生首相を擁護する講演を行っている。12日付のサンケイスポーツによると、石破農相は、「昨年(の総裁選で)、みんなで麻生太郎に決めた」とこれまでの経緯を強調し、麻生首相を擁護。「あれが悪い、これが悪いと言う暇があれば、われわれがどれだけのことをやり何を目指すのか、1人でも2人でも説得するのが自民党の責任だし、公明党への信義だ」と述べた。ところが、その舌の根も乾かないうちに180度方針転換する。 |
7.15日、講演の4日後、石破氏は与謝野馨財務相と一緒に、両院議員総会開催に賛成する署名をしている。7.16日付の毎日新聞によると、「与謝野氏、石破両氏は15日、首相官邸に麻生首相を訪ね約40分間会談、麻生氏に『総理、ここは一度身をお引き下さい』と退陣を迫り、地方選連敗を統括するため総会開催に応じるよう促した」。
麻生氏が「俺が一番つらい時に辞めろとは何だ!」と激怒した。麻生からすれば、大臣に起用した石破氏の造反はかなり屈辱的だった。現在、石破派に属する後藤田正純や平将明も麻生首相に退陣を要求しているから、石破派に対する麻生さんの恨みはかなり深いものがある。結局、両院議員総会は開催されなかったものの、予定通り21日に衆院は解散され、自民党は大敗。下野することになった。麻生氏らはいまも不信感を募らせている。 |
2009(平成21).8月、第45回衆議院議員総選挙で鳥取1区で民主党の新人に比例復活を許さず8回目の当選。果たした。鳩山由紀夫内閣の発足に伴い、農林水産大臣を退任。 |
2009(平成21).9月、麻生太郎が首相に就任。自由民主党の政務調査会長就任(23年9月まで)。 |
2009(平成21).9月、自民党の野党転落後に行われた自民党総裁選挙で、前回の総裁選の対立候補であった与謝野馨から立候補を促され、マスメディアも石破の立候補を有力視していたが、前回総裁選の推薦人であった議員20人のうち13人が落選し、推薦人集めの難航が予想されたため立候補を断念。谷垣禎一元財務大臣への支持を表明し、総裁に選出された谷垣の下で自由民主党政務調査会長に起用された。自民党鳥取県連の関係者によれば、党三役入りした鳥取県選出議員は石破が初めてであった。政調会長就任に伴い所属していた額賀派を離脱した。 |
選択的夫婦別姓法案関連
2010年3月3日の記者会見で、民主党が目指す選択的夫婦別姓の導入を含む民法改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内の選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(民主党が推進する選択的夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた。
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2010年4月22日の記者会見において、自民党を離党した与謝野馨、園田博之らが参加する新党たちあがれ日本について「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した与謝野馨と園田博之とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「民主党の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。同年9月、自民党政調会長に留任。 |
2010年5月23日、テレビ番組で「将来的に日本のような島国に海兵隊が無いのはおかしなことだと思っている」と述べ、日本も海兵隊を持つべきだと主張した。また、日本が海兵隊を持った場合、日本の海兵隊がアメリカ海兵隊と共同で活動する可能性にも言及した。
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人権侵害救済機関
2011年3月3日、部落解放同盟の全国大会に来賓で出席した際、石破は部落解放同盟が求める人権救済機関創設のための法整備に意欲を示し、「法律を制定することに与党も野党もない」と述べた。一方、2012年自由民主党総裁選挙に際しては、民主党政権が法案提出を準備していた人権侵害救済法案には反対する意向を表明しながら、何らかの人権保護措置の必要性を主張した。
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2011年9月、党役員人事により自民党政調会長を退任(後任は茂木敏充)。政調会長退任後は所属していた額賀派には復帰せず、同年12月に派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げた。衆議院予算委員会野党筆頭理事、自民党安全保障調査会長に就任。 |
2012(平成24).9.10日、自由民主党総裁選挙への出馬を表明。9.26日投開票で、1回目の投票で立候補者5人中トップの199票(地方票165票、国会議員票34票)を獲得し、特に地方票では2位以下の候補を大きく引き離したが過半数の確保には至らなかった。国会議員のみによる2回目の投票では大きく上積みし89票を獲得するも108票を獲得した安倍晋三元首相に敗れる。 |
2012(平成24).9月、自由民主党総裁に選出された安倍の下、無派閥ながら自由民主党幹事長に起用される(26年9月まで)。 |
2012(平成24).12月、第46回総選挙で当選。石破が幹事長として選挙の陣頭指揮を執った。 |
2013(平成25).1.27日、同月に発生したアルジェリア人質事件を受けて、「日本人の生命、財産を守るのは国家の当然の責務。必要最小限の武器使用は(憲法が禁じる)武力行使ではない」と述べ、在外日本人を緊急時に自衛隊が救出するために武器使用基準を緩和すべきと主張している。
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2013(平成25)年、第23回参議院議員選挙で、石破が幹事長として選挙の陣頭指揮を執った。 |
「絶叫戦術はテロ行為」
2013(平成25).11.29日、当時自民党幹事長だった石破氏は自身のブログにおいて、特定秘密保護法案への反対を訴える国会議事堂周辺のデモについて次のような見解を表明している。
「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう」、「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において余り変わらないように思われます」。 |
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これに対し、石破の見解を批判する声が上がり、12月2日のブログのエントリで「整然と行われるデモや集会は、いかなる主張であっても民主主義にとって望ましいものです」、「一方で、一般の人々に畏怖の念を与え、市民の平穏を妨げるような大音量で自己の主張を述べるような手法は、本来あるべき民主主義とは相容れないものであるように思います」とした上で、「『一般市民に畏怖の念を与えるような手法』に民主主義とは相容れないテロとの共通性を感じて、『テロと本質的に変わらない』と記しましたが、この部分を撤回し、『本来あるべき民主主義の手法とは異なるように思います』と改めます」とした。そして「自民党の責任者として、行き届かなかった点がありましたことをお詫び申し上げます」と釈明した。同日、菅義偉官房長官が「誤解を招かないように一部を撤回するなど、真意をきちんと説明した」、同法案を担当する森雅子少子化担当相も「市民のデモ活動はテロに該当しない」と述べた。
一方、野党各党は「言語道断の暴言」と抗議し、東京新聞は社説で「デモ活動がテロ行為であろうはずがない。デモは有権者による意思表示の重要な手段で、憲法も表現の自由を保障する。デモの持つ重みを理解していないのなら、あまりにも鈍感で、政治家失格だ」と批判した。しかし週刊新潮など一部の週刊誌では、発言の対象が特定秘密保護法案への反対を訴える市民ではなく、山本太郎による園遊会における手紙手渡し問題を発端とした右翼団体のデモのことではないかと指摘し、このところ国会議事堂周辺で「天誅」を叫ぶデモが続いていることに困惑して書き込んだではないかと、石破の発言を擁護している。
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2014(平成26).9.3日、第2次安倍改造内閣発足で、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)及び「元気で豊かな地方の創生のための施策を総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当を行う国務大臣(地方創生担当大臣)・国家戦略特別区域担当」に任命された(28年8月まで)。
安倍は石破に対し、新設する安全保障法制担当大臣への就任を打診していたが、石破は8月25日にラジオ番組に出演し、安全保障法制担当相への就任を辞退する意向を明言し、内閣改造後も引き続き幹事長職に留まりたい意向を表明した。しかし、日刊スポーツによると、「幹事長が公の場で人事の希望を言うなど前代未聞」等、石破に対する批判が高まり、自民党参議院幹事長の脇雅史は「個人の見識があるのは当然だが、内閣、組織の意向に従うのが常識だ」と苦言を呈した。安倍はさらに、挙党体制の確立のため石破に安全保障法制担当相以外での入閣を打診し、8月29日に正式に会談した際、石破もこれを受け入れた。 |
同年9月30日、党内の無派閥の議員を中心に構成される、無派閥連絡会に入会、その2日後に顧問に就任した。同会は2012年の総裁選で石破を支持した議員が中心メンバーであるため、一部のマスメディアや自民党議員から、「事実上の石破派」と結成当初から目されていたが、石破本人は無派閥の議員の共助が同会の趣旨と述べ、これを否定した。 |
2014(平成26).12月、第47回総選挙で当選。 |
2014(平成26).12.24日、第3次安倍内閣で、国務大臣(地方創生・国家戦略特区担当)に再任。 |
「国民の理解進んだか自信ない」]
2015年7月14日、閣議後の記者会見で、「(安全保障関連法案の審議をめぐり)国民の理解が進んでいるかどうかは、報道各社の世論調査の通りで、まだ進んでいるとは言えないと思う。あの数字を見て、『国民の理解が進んできた』と言い切る自信が、私にはあまりない」と述べた。
この発言を受けて、民主党の枝野幸男幹事長は記者団に「石破氏は自民党の重鎮の一人。こういう状況での強行採決は広い意味での閣内不一致だ」と批判。「石破氏は(採決を)止めるべきだ」とも語り、15日の採決を容認しない姿勢を強調した。
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「自民党、感じ悪いよね」
2015年夏頃に文化芸術懇話会において相次いでメディアへの威圧的発言が問題とされた事を受けて、7月1日に自身を支持する議員の会合で、「自民党がガタガタとするのは政策よりも『なんか自民党、感じが悪いよね』と国民の意識がだんだん高まっていったときに危機を迎えるのが私の経験だ」と述べた。
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2015年9月8日の自民党総裁選には立候補せず、安倍の無投票再選となった。石破は後に、「閣僚か党役員として仕えているときは総裁選に出ないのが私の信条」、「安倍政権の支持率が比較的高い中で出馬することに意味があるのか」と語っている。翌日の9日に、自身の派閥を結成する意向を表明。同月28日に「水月会」の名称で石破派が発足し、石破を含め20名が参加した。石破は派閥発足時の会見で、自身が大臣を務める安倍内閣を支えると同時に、安倍の任期2期6年(ただし、2017年に総裁再選規定が改正され、最長3期9年となる)の折り返しの段階から時間をかけて、政策体型・政権構想を練り上げたいとの意向を示し、「私のようなものでも、仮に政権を担うのが望ましいということであれば、それを目指したい」と述べた。 |
同年10月7日に行われた第1次内閣改造において、国務大臣(地方創生・国家戦略特区担当)に留任。 |
2015年、安倍内閣の幹事長時代、「派閥政治を解消する」と言いながら、自らの派閥を立ち上げて党内であきれられた。 |
2015年11月に発生したパリ同時多発テロ事件を受けて、共謀罪を含む日本国内のテロ対策に向けた法整備に関して「不十分なままだと日本がテロ活動の抜け道、抜け穴になりかねない」と指摘。また、国際組織犯罪防止条約を日本が批准していないことについて「批准していないのは北朝鮮とイラク、あと何カ国だけだ。日本さえ良ければいいということにはならない」と述べ、共謀罪の創設と条約の早期批准を必要とする考えを示した。
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防災
2016年に発生した熊本地震や鳥取県中部地震などを踏まえ、「日本全体のあらゆる防災体制を一元的に管理する組織が必要だ」として、災害対応を専門に行う『防災省』の設置を検討するよう主張している。また、自身が率いる石破派の会合で、旧国土庁防災局が省庁再編により内閣府の一部になったことや、河野太郎防災担当相(当時)が国家公安委員長や消費者相の兼務で負担が大きいと指摘し、そのうえで、「防災省のようなものをつくり、専任の大臣をおいてはどうか。危機管理は最悪の事態を想定し、どんな法律を用意し、組織を動かし、情報発信していくかシミュレーションするのが常識だ」とも述べている。
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2016年8月3日の第2次内閣改造で大臣を退任。石破は後のインタビューで、「いつまでも続く政権はない。次は誰かがやらないといけない。安倍首相を支えるのも、次に備えるのも、自民党が果たすべき責任。」と退任について語っている。
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2016年6月19日、STVラジオの対談番組「中村美彦日曜コラム」の中で「北朝鮮はやがて崩壊すると30年前も言われていたし20年前も10年前も言われていた。でも崩壊しない。わたしは北朝鮮はたぶん崩壊しないと思っている。なぜなら、なぜソ連は崩壊しルーマニアは崩壊しイラクは崩壊したか、そのことをすべて学んで北朝鮮という国家は運営されているからだ」との認識を示した。
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2016(平成28).8月、安倍総理は内閣を改造、その時、地方創生相だった石破氏に内閣残留、農水相就任を要請したが、石破氏は固辞、閣外に去った。当時、日の出の勢いだった希望の党小池百合子氏との連携を考えていたらしい。ところが、例の「排除します」のひと言で小池人気はあっという間に雲散霧消、石破氏は行き場がなくなってしまった。石破茂という政治家、どうも肝心な時に「状況判断」を誤る。 |
2017(平成29).5.24日、産経新聞が、前日5.23日付け韓国東亜日報のインタビュー記事を次のように報じた。
「韓国紙の東亜日報(電子版)は23日、自民党の石破茂前地方創生担当相が慰安婦問題をめぐる平成27年の日韓合意に関し『(韓国で)納得を得るまで(日本は)謝罪するしかない』と述べたとするインタビュー記事を掲載した。石破氏が日韓合意に反する発言をしたと受け取られかねないが、石破氏は24日、産経新聞の取材に『‘’謝罪‘’という言葉は一切使っていない。‘’お互いが納得するまで努力を続けるべきだ‘’と話した』と述べ、記事の内容を否定した。ただ、抗議はしない意向という」。 |
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獣医学部新設
2017年6月26日、政府の国家戦略特区制度を活用した獣医学部新設計画を巡り、安倍晋三首相が「全国展開を目指したい」と表明したことに対し、「(家畜を診る)産業用獣医師などの処遇を改善する方が、公費の使い道としてはいいのではないか」と共同通信の取材に答えた。
また、福井市で講演した際には、「これまで獣医学部をつくってこなかったのは、税金のむだづかいを無くし、需要と供給のバランスを取るためだ。安倍内閣で閣議決定した、新設のための4つの条件を満たしていなければ、どんな人であっても認めてはいけない」と指摘した。
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獣医学部新設の4条件に関する発言
2017年7月18日付けの産経新聞で、2015年9月に日本獣医師政治連盟委員長の北村直人と日本獣医師会会長の蔵内勇夫が、国家戦略特区を担当していた石破と面会した際、同特区における獣医学部新設4条件作成に関して石破が、「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました」と発言したとの報道があったが、石破はそうした事実はなかったと否定した。なお、この石破が発言したとされる内容とほぼ同じ文章が、2年前の2015年11月の日本獣医師会雑誌に存在し、そこでは獣医師会の会議報告での北村の発言として、石破からそういった趣旨の話を聞いたという形で掲載されている。北村はこのことに対して週刊誌の取材で、「会議で多少、成果を誇示する表現で報告することはある。あれは石破さんの実際の発言ではなく、私の説明を獣医師会の事務局がまとめたもの。産経はこの会議報告をみて、想像を膨らませて書いたのではないか」と述べ、石破の実際の発言ではないと否定している。また、同産経記事では2014年7月に新潟市が国家戦略特区に獣医学部新設を申請し、ほどなく却下されたことについて、北村が石破に働きかけ、石破が「特区にはなじまないよな」と同調したとされるが、石破は「全く存じ上げない」と否定している。
なお、日本獣医師会は石破をはじめ、複数の大臣に対して獣医学部新設反対のためのロビー活動を行っており、2015年6月22日の平成27年度第2回理事会の北村と蔵内の報告では、石破や麻生太郎財務大臣、下村博文文部科学大臣と折衝した結果、獣医学部新設4条件について、「一つ大きな壁を作っていただいている状況である」、「いくつかの規制がかけられた」との見解を示している。
石破派の抗議
石破派は、石破が日本獣医師会幹部らと面会した際、学部新設条件について「誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にした」と述べたとする産経新聞の報道について、「発言は事実ではない」と主張している。また、党幹事長室が加計学園の獣医学部新設問題に関する産経新聞の記事を党所属の全議員にメールで配布した事について、不適切であるとして抗議をおこなった。同派の平将明衆院議員は記者会見で「石破氏が獣医学部新設を阻止したような印象を与える。党内対立をあおるような形でメールを出すのは不適切だ」と批判し、同派の古川禎久事務総長も「この記事が党の見解だと誤解を招く恐れがある」と撤回を要求した。
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2017(平成29).10月、第48回総選挙で当選。 |
「2018年の総裁選では、森友・加計学園問題で国民の信頼を失う安倍政権の失態を念頭に置くかのように、「正直、公正」をスローガンに掲げた。 「森友学園」をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局の職員の手記が公表された際、石破氏は東京都内の講演で「政府は、再調査はやらないというなら手記に新しい事実はないと明確にすることが必要だ」と発言。再調査に消極的な政府の姿勢を批判していた。 |
2018(平成30).6月、徳島市内の街頭演説で、森友・加計学園問題に対する安倍首相の対応を念頭に「あったことをなかったかのように言っては駄目だ。逃げてばかりいては駄目だ」「間違っているなら間違っていると、きちんと認める自民党でなければ、国民の支持を得ることはできない」などと訴えた。
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2018年、総裁選の5カ月前、地元・鳥取県であった「フィギュアミュージアム」の開館式典に出席した時の衝撃的なコスプレ姿だ。「ドラゴンボール」に登場する「魔人ブウ」に扮した姿が「はまりすぎ」などとネットで話題を呼んだ。石破氏は大きな反響があったことについて、ブログで「やや当惑気味
」と述べ、魔人ブウを選んだ経緯を次のように明かした。
「鉄腕アトムやサンダーバード世代である私はドラゴンボールも魔人ブウも全くと言っていいほど知らなかったのですが、皆さんよくご存じなのですね。当日、開会時間少し前に会場に行ったところ、既に平井鳥取県知事、石田倉吉市長、舞立参議院議員はそれぞれのキャラクターに扮し終わっており、残ったものの中でサイズが合うのが魔人ブウであったという、ただそれだけのお話なのです」。 |
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石破氏にとって、総裁選への出は2008年、2012年、2018年に続いて4回目。2012年には、総裁に選出された安倍首相の下で党幹事長に起用された。安倍政権では地方創生・国家戦略特別区域担当大臣などを務めたが、2016年8月に大臣を退任している。地方からの支持が厚い石破氏。安倍首相と一騎討ちとなった2018年の総裁選では、地方票では約45%に当たる181票を得て善戦した。 |
2018.11.18日、ソウルで開かれた国際フォーラムに参加、基調講演を行った。その席上、韓国大法院の“徴用工”判決について次のように語っている。「先の戦争中での朝鮮の人々の雇用をめぐる判決は、日本人にとり大きな驚きをもたらした」。先月、済州島で行われた国際観艦式で、韓国側が旭日旗を掲げないように求め、自衛隊が参加を見送った件について、「海上自衛隊の船が海自の旗を掲げて入港することを拒否され、韓国への訪問を実現できなかったことは残念だった」。花田紀凱 | 月刊『Hanada』編集長、元『will』『週刊文春』編集長 が、12.8日のブログ「状況が読めない政治家石破茂。韓国大法院の徴用工判決に「驚いた」」で次のように批判している。
概要「ここは、「驚き」「残念」を表明する場合じゃないだろう。ポスト安倍として、総理の座を伺う(ムリだと思うが)日本の政治家なら、ここでは当然、「怒り」を表明しなければならない。少なくとも「強く抗議する」くらいのことを言えば、存在感を内外に示すことが出来たのにムザムザそのチャンスをツブしてしまった。石破茂という政治家が状況を読めなかったケースは枚挙にいとまがない」。 |
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2019.8月23日付のブログでは、韓国政府が日本との軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めた背景について、「日本が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが問題の根底にある」と発信して話題となった。党内で疑問視されただけでなく、ネット上では「鳩山由紀夫元首相とソックリだ」などと批判された。 |
2019年8月、韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めた際には、ブログで「我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます」との持論を展開した。 |
2020.7月2日の共同通信加盟社論説研究会での講演では、安倍政権の「米軍普天間飛行場の危険性除去には、名護市辺野古への移設が唯一の解決策」とする方針に、「これしかない、とにかく進めるということだけが解決策だとは思わない」と疑義を示した。
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2020.9.6日、石破陣営が、任天堂の人気ゲームソフト「あつまれ どうぶつの森」を選挙運動に活用すると発表。石破氏は「いしばちゃん」というアバター(分身)として登場し「じみん島」と名付けた島で有権者らと交流する方針だった。その後、同社のネットワーク利用規約が「政治的な主張」を禁じているとして中止を決定。ただ「やってみるとめっちゃくちゃ面白いよね」と感心しきりで「われわれと違う世代にアクセスする機会を、政治は探求していかなければいけない」と話した。
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2021.7.2日、共同通信加盟社論説研究会での講演で、安倍政権の「米軍普天間飛行場の危険性除去には、名護市辺野古への移設が唯一の解決策」とする方針に、「これしかない、とにかく進めるということだけが解決策だとは思わない」と疑義を示した。左派野党やメディアと重なる発言内容が、沖縄や野党支持者の評価を得た可能性はある。 |