ひと昔前なら「死んでお詫び」の不敬失態例を確認する。
1899年5月24日の読売新聞社説。原稿には「全知全能と称される露国皇帝」とあったのが、「無知無能と称される露国皇帝」と誤植された。主筆が毛筆で右肩上がりの崩し字を書いたため「全」が「無」に見え、活字を拾う工員が間違えたのだ。国際問題にもなりかねず、同紙は訂正号外を出し、ロシア公使館に釈明、陳謝して事なきを得たという。
1631年にロンドンで発行された「姦淫聖書」事件。十戒の一つ「汝姦淫すべからず」の「not」が脱落し、「姦淫すべし」となっていた。教会は組織をあげて回収、焼却したが、残った数冊は今も珍書として高価で取引される。出版元の主は300ポンド(現在の価値で1500万円に相当か)の罰金を科されたが支払えず、投獄され獄死したという。
戦前の日本では皇室に対する不敬罪があり、「天皇陛下」を「階下」と誤植して出版禁止の行政罰をうけた出版社もあった。新聞社は「天皇陛下」の4字を一つにした活字を作るなどして過失の防止に努めた。幸い、今の日本には不敬罪はないが、国民を代表しながら「未曽有」の失言をしたのはなぜなのか。安倍氏はそのいきさつを国民に釈明するべきだろう。(ジャーナリスト・田岡俊次)」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190514-00000027-sasahi-soci
戦前、駅構内での入れ替え作業中に脱線せしめ、その復旧まで約1時間にわたって天皇を待たせた責任をとって引責自殺という事件があった。昭和天皇が陸軍特別大演習後に群馬県桐生市を視察する際、誘導係の本多重平警部が緊張のあまり交差点を左折する予定だったのに直進しちゃったという事件です。さらには本多警部は責任を一人で負うために、昭和天皇を乗せた列車が桐生を出発したことを確認した後に、なんと喉を日本刀で突いて自殺を図った。