ODA論


府開発援助 (ODA

政府及び政府機関が発展途上国に対して、経済開発、福祉向上に寄与する目的で行う援助のうち、供与条件が緩やかな援助のこと。

 緩やかな援助とは、資金援助の条件の緩やかさを示すグラント・エレメント(贈与要素)が25%以上のことをいう。

 日本の援助額は、米国と並び世界でも最大の規模にある。

政府開発援助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ODA から転送)

政府開発援助せいふかいはつ えんじょODA:Official Development Assistance)は、先進工業国の政府及び政府機関が発展途上国に対して行う援助や出資のことをいう。国際貢献の一つ。

先進国側が直接、発展途上国に有償、無償の資金などを援助する「二国間援助」と、国際機関に対して出資や拠出しそこを通じた間接的な援助の「多国間援助」がある。

「二国間援助」には「無償資金協力」「有償資金協力円借款)」「技術協力」の3種類がある。「無償資金協力」と「技術協力」を担当する機関は国際協力機構(JICA:Japan International Cooperation Agency)、借款業務と輸出入金融業務などの「有償資金協力」を担当するのは国際協力銀行(JBIC:Japan Bank International Cooperation)である。

「有償資金協力」では、グラント・エレメントが25%以上であるものと定義付けられている。(グラント・エレメントとは借款条件の緩やかさを示す指数。金利が低く、融資期間が長いほど、グラント・エレメントは高くなる。それだけ受け入れ国にとって負担は少なくなる。贈与の場合、100%となる。)また円で貸し付けられるため「円借款」などと新聞やテレビで報道されることもある。中国などの、ある程度発展している国に対して行われる。

「技術協力」では、人材育成と技術移転など将来の国の根幹となる労働力作りが目的とされている。研修員受入れ、専門家派遣、開発調査、最新機材の供与などがされている。研修員の受入れが最も多い。

「多国間援助」では国連開発計画(UNDP)、国連児童基金(UNICEF)、世界銀行アジア開発銀行(ADB)などの機関に拠出している。

目次

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ODAのはじまり

世界恐慌によって進んだブロック経済による長引く不況や、第二次世界大戦によって混乱した世界経済の安定のため、1944年にブレトン・ウッズ体制(IMF体制)が確立した。そして、1945年12月、戦後の世界の復興と開発のため、国際通貨基金(IMF)と国際復興開発銀行(IBRD、通称「世界銀行」)が設立される。1947年6月には、欧州復興計画(マーシャル・プラン)の構想が発表される。アメリカの支援によって、ヨーロッパは目覚しい復興を果たす。

オリバー・フランクスによって指摘された先進国と発展途上国の間にある大きな経済格差が問題(南北問題)を発端に、途上国支援のために1960年に国際開発協会(IDA、通称は第二世銀)、1961年に開発援助委員会(DAC)と立て続けに支援体制が整っていく。1961年、アメリカのケネディ大統領が国連総会演説で先進国の国民所得の1%の移転と、途上国の年率5%の成長を目標とした「開発の10年」が提唱する。

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日本のODAの変遷

日本は敗戦後の1946年から1951年の間に、アメリカの「占領地域救済政府資金」(GARIOA)と「占領地域経済復興資金」(EROA)から約50億ドルのODAが拠出される。カナダ、メキシコ、チリ、ブラジル、アルゼンチン、ペル−などからも生活物資や食料などが送られた。1953年には、世界銀行から多国間援助である有償資金を利用し、、東海道新幹線、東名高速道路、黒部第四水力発電所などを建設(1990年に完済)。こういった経験から、現在のダム建設などのインフラ整備の日本の政策に重点を置いているとも言われる。

日本からODAを拠出したのは、1954年ビルマと結んだ「日本・ビルマ平和条約及び賠償・経済協力協定」での賠償供与が初めてである。その後、フィリピン、インドネシアと経済協力は続ていくが、初期の日本のODAは戦後賠償としての意味合いが強かった。

1960年代の高度経済成長に入ってから、徐々に現在のODAの体系に近づき、拠出額も増大していく。 1961年アメリカによって主導的に設立された開発援助委員会(DAC)に、1963年参加する。1964年にOECD(経済協力開発機構)に加盟。1974年にはJICA(国際協力事業団)が設立される。

1992年、ODA大綱が閣議決定される。 2000年の調査によると、日本は世界第一位の拠出額である。毎年1兆円あまり様々な国に供与している。

日本がODA大国となった理由に、

  1. 第二次世界大戦の“加害者”としての負い目(敗戦史観)
  2. アメリカとの関係
  3. 日本企業進出の円滑化

が挙げられる。1番の典型的な例として、中国へのODAが挙げられる。謝罪や戦後賠償の意味が込められたため、必要以上に巨額な資金を提供し、しかも使途を精査していないという批判がある。また2番では、日本が軍事的な国際貢献をしないことや、巨額の対米貿易黒字を貯め込んでいることへのアメリカ世論の批判をかわすため、軍事力に代わる国際貢献の手段としてODAに傾倒してきたと考えられる。3番では、途上国のインフラ整備を進めることは、市場開拓がしやすくなるなど、日本企業にとっても利益が大きいため、財界の賛同を背景に、赤字財政の中でもODA予算を増加させることができたと考えられる。

2004年12月に発生したスマトラ島沖地震では、モルディブ共和国の首都マレ島に、日本のODAで建設された防波堤が、津波の被害を最小限に食い止めた。

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政府開発援助大綱(ODA大綱)

ODA大綱とは、政府開発援助(ODA)に関する基本理念や重点事項などを集大成したものである。
1992年、閣議によって決定された。2003年8月に、現在の大綱に改定される。

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援助実施の原則

ODAが貧困な発展途上国であれば、どの国にでも援助できるかといえばそうではない。
援助の選定となる基準と呼ぶべき4原則がある

国際連合憲章の諸原則(特に、主権、平等及び内政不干渉)及び以下の諸点を踏まえ、開発途上国の援助需要、経済社会状況、二国間関係などを総合的に判断の上、ODAを実施するものとする。

  1. 環境と開発を両立させる。
  2. 軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する。
  3. テロや大量破壊兵器の拡散を防止するなど国際平和と安定を維持・強化するとともに、開発途上国はその国内資源を自国の経済社会開発のために適正かつ優先的に配分すべきであるとの観点から、開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払う。
  4. 開発途上国における民主化の促進、市場経済導入の努力並びに基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。

(以上、外務省のサイト『政府開発援助大綱』[1]から)

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問題点

日本のODAにはいくつか問題点が存在するとかしないとか。

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タイド援助

タイド援助とは、援助国がインフラ整備などの開発プロジェクトなどのODA事業に関して、資材の調達先や服務などの工事事業を日本企業に限定することである。ひも付き援助とも言われる。事業を請け負う企業と政治家の癒着が問題視されている。

1970年代頃、援助される国にはインフラなどが整備されるだけで、援助国の一方的な利益追求によって事業が推進される恐れがあると懸念されていたが、1980年代以降は、資材の調達先、工事事業の受注先などを特定しないアンタイド援助が増えていく。現在では、90%後半がアンタイド援助になる。日本企業の受注率も、1993年には29%に低下するなど、減り続けている。

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GNP比率の低さ

日本は世界の中でもODAの供与額は群を抜いて多いが、GNPとの比率はあまり高くない。 2005年、アナン国連事務総長の諮問委員会でも、日本やドイツが国連の常任理事国入りしたければ、GNP比率0.7%以上が条件だとして、ODAの供与額をを増やすべきだという報告が出されている。(日本が0.2%、ドイツが0.28%)

ただし、常任理事国でGNP比0.7%以上のODAを供与している国はない(米国が0.14%、イギリスが0.34%、フランスが0.41%など)。また、その条件を満たしている国はスウェーデン0.7%、ノルウェー0.92%、デンマーク0.84%と決して多くはない。

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中国などの共産圏に対する供与

中国やベトナムといった共産党による一党独裁政治が行われている国に対する多額のODA供与は、援助実施の原則の条件を満たしているかということである。

中国は年々、軍事費が大幅に増加している。これはODA大綱の「開発途上国の軍事支出、大量破壊兵器・ミサイルの開発・製造、武器の輸出入などの動向に十分注意を払う。」という条件に違反しているのではないかということであり、最近ではアメリカの軍事力に追いつくためにロシアの近代兵器をODAの資金で買い集め中国が世界の軍事的脅威である国家へ変化してきている。また、政府に対する批判や民主化を進める活動家や宗教家の弾圧など人権侵害が行われている中国やベトナムは、大綱の「開発途上国における民主化の促進、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払う。」に違反しているなど。

特に中国の場合はODAの金額(日本は今まで中国に対し30兆円もの資金を提供している)を一切国民に公表せずに恩を仇で返すような反日感情を煽る行動しか行わず、正しく凶悪とも言える。

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その他

etc

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2004年実績

 国名   実績額(億ドル) 前年比伸び率  国民所得比率(%)        

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関連項目

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外部リンク

この項目「政府開発援助」は、調べものの役には立つと思われますが、読者を満足させるには、もっと内容を充実させる必要があります。さらに加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E9%96%8B%E7%99%BA%E6%8F%B4%E5%8A%A9" より作成






(私論.私見)


ODAジャーナリストのつぶやき

vol.53 10 July 2002
JICA客員国際協力専門員 杉下恒夫

アフリカから目をそらしていたのはどこの国だ?

「冗談じゃないよ」――。6月27日に閉会したカナダ・カナナスキス・サミットの模様を報じる新聞記事を読んでいて思わず独り言を言ってしまった。

その記事(読売)には新規ODA増額分の半分以上をアフリカ支援に回すことを盛り込んだ「アフリカ行動計画」の採択されたこのサミットで、ODA予算の削減が続いている日本の小泉首相の肩身の狭さが書かれていたのだが、記事の最後のあたりに「(小泉首相が)議長国、カナダのクレティエン首相に『もう少し目をアフリカに向けて欲しい』とくぎを刺された」というくだりがあったのだ。

もちろん、私がその場に居たわけではないから、どういう文脈の中で話された言葉か詳しくはわからない。だが、記事だけを判断材料にすれば、過去の日本の経済協力の実状を認識していない、ずいぶん非常識な発言だ。

「過去10年以上、アフリカから目をそらしてきたのは、いったいどこの国だったのか?」「アメリカやヨーロッパの主要援助国がアフリカへの関心を失っていた90年代、アフリカ支援のために唯一、がんばってきた国はどこだったのか?」と、クレティエン首相に直接、言い返したい衝動に駆られた。

冷戦後、アメリカはサブ・サハラ地域などアフリカへの地域・戦略的関心を失い、欧州は自国経済の停滞や援助の非効率性などから援助疲れを起こし、さらに援助離れへと落ち込んでいった。アフリカは“忘れられた大陸”になり、恒常的な人権の侵害や環境破壊が続く国が続出しても、欧米諸国は放置していたことは承知の事実だ。

日本はそのアフリカに支援の手をさしのべるため、93年に多数のアフリカの首脳を東京に招致して第一回の「アフリカ開発会議(TICAD)」を開催、アフリカの民主化と経済の自由化に向けた今後のアフリカ開発の課題を示す「東京宣言」を採択、98年にも「第二回アフリカ開発会議(TICAD・)」を開いて21世紀に向けたアフリカ開発のための「行動計画」を決定している。

こうした会議をもとに日本は無償資金協力を中心にアフリカへのODAを拡大、87年実績で27.7%だった全ODA実績に占める対アフリカの無償資金協力の比率を00年には31.5%にまで引き上げている。総額でも同年の約2億7200万ドルから00年には約6億6400万ドルと2倍以上も増やしてきたのだ。

第一回のTICADが開催された時期といえば日本はバブル経済が破綻して財政が厳しくなり始めた頃だ。その後も日本は下降する財政事情の中で孤軍奮闘しながらODA実績世界一の座を守り、地理的に近いアジアばかりか、遠いアフリカ支援にも力を注いできた。その成果は多くのアフリカの国からの日本への感謝の声となってわれわれの耳にも届いている。G8会議の席で小泉首相はそんな話をしたのだろうか。

ニューヨークの同時多発テロ事件を機に欧米がテロ対策の一環として経済協力を増やし、日本は財政事情からODA予算を減額するという逆ベクトルの中にいる。だが、これまでの日本のODA実績は、世界に胸を張って報告してよい。アフリカ支援行動計画をまとめるカナナスキスで、小泉首相は“蚊帳の外”だったと多くの新聞が報じていたが、過去の実績を勘案すれば、日本の総理は蚊帳の中心にいる資格は十分にあったはずだ。

クレティエン首相発言への怒りの後にこみ上げてきたのは、いつもの日本の国際社会での情報、宣伝術の下手さに対する不満だった。

仁なき詭弁家小泉純一郎首相

2005年6月1日

宇佐美 保

 いつまで私達は、人間性が欠落している人物(小泉純一郎氏)に、首相として君臨され続けるのでしょうか!?

 

 誰しもが、今回の小泉発言には「うんざり」した筈です。

毎日新聞:2005年5月16日の記事を抜粋させて頂きます。

 

 小泉純一郎首相は16日午前の衆院予算委員会で、中韓両国が首相の靖国神社参拝に反対していることについて「他国が干渉すべきではない。戦没者に心からの追悼の誠をささげることがなぜいけないのか、理解できない」と不快感を示し「いつ行くかは適切に判断する」と述べ、従来よりも踏み込んだ表現で参拝継続への意欲を示した。

 首相は同神社への第二次大戦のA級戦犯合祀(ごうし)と参拝の関係についても「『罪を憎んで人を憎まず』というのは(中国の)孔子の言葉だ。一個人のため参拝しているのではない」と説明した。

……

 

 小泉氏の発言を聞かされるたびに、“何故日本では、このように頭が悪く、人情味のない人物が続けざまに首相になるのか!?”と、呆れ果てて、落胆してしまうのです。

 

 小泉氏が“戦没者に心からの追悼の誠をささげる”というその場所は、一般人(沖縄で、原爆や大空襲などで命を落とされた方々)の眠られるお墓ではないのです。

靖国神社は、戦没者全てが眠られておられるお墓とは違うのです。

 

自主・平和・民主のための広範な国民連合」のホームページでは、次の記述を目にします。

 

靖国神社には、明治維新から日清戦争や日露戦争、そして太平洋戦争までの戦没者約二百四十六万人が祀られている。しかし、原爆の犠牲者や空襲で死んだ一般国民、天皇に刃向かった戊辰戦争での会津白虎隊や西南戦争の西郷隆盛は、合祀の対象から除外。また被差別部落の人びとも排除されるなど靖国神社は、死してなお差別している
国民は死んで靖国神社に祭られることを美徳と教えられ、参拝を強制された。第二次大戦の敗戦まで、天皇を現人神としてその政治的権威を宗教に基礎づけた国家神道の軍国主義的、侵略主義的側面を代表する施設であった。国家神道の政策に従わなかった大本教、ひとのみち教団、創価教育学会、日本基督教団などは、解散を命じられ、幹部は治安維持法違反等で投獄された

 

 「被差別部落の人びとも排除されるなど靖国神社は、死してなお差別している」の件に関しては、私は、電話にて靖国神社に確認しましたが、応対してくださった方は“私の記憶ではそのようなことはない”と答えられました。

 

 しかし、山中恒氏著『「靖国神社」問題:小学館発行』には次の記述があります。

 

 大日本帝国では、すべての戦没者を平等に扱うのではなく、まず、戦没者名簿から靖国神社の神様に祀る者を選びだして、霊璽という特別の名簿を作ります。次に天皇が霊璽に記載されている者を靖国神社の神様に祀ってもよいと許可します(註=あるいは、「祀ってやれ」と命令すると書いてもよいかもしれません)。そこでようやく靖国神社に合祀されるのです。……

 戦没者を靖国神社に合祀する場合、戦没者個人や遺族の宗教、合祀を希望するかしないかについては、まったく配慮をしません。なぜかといえば、戦前の日本では、「おそれおおくも天皇陛下の思し召しで靖国神社に祀ってもらえることは、最高の名誉だ」とされていたからです。……

 

 従いまして、靖国神社側が「被差別部落の人びとも排除」していなくても、靖国神社に回ってくる「霊璽という特別の名簿」の中から「大日本帝国(靖国神社を所管した陸海軍省)」が、「差別部落の人びと」を排除していたのかもしれません。

 

 先に小泉氏は“日本では、どんな罪人でも、死ねばみな仏となり、生前の罪は許される”と発言されましたが、この「死ねばみな仏」となられているお方は、「仏として」お墓でお眠りになっておられるのです。

 

 しかし、靖国神社は、戦没者を「仏」ではなく「神」として祀っているのです。

ですから、先のホームページの記述は、次のように続いています

 

国民は死んで靖国神社に祭られることを美徳と教えられ、参拝を強制された。第二次大戦の敗戦まで、天皇を現人神としてその政治的権威を宗教に基礎づけた国家神道の軍国主義的、侵略主義的側面を代表する施設であった。国家神道の政策に従わなかった大本教、ひとのみち教団、創価教育学会、日本基督教団などは、解散を命じられ、幹部は治安維持法違反等で投獄された

 

 信教の自由は全くなかったのです。

但し、大日本帝国憲法第二十八条は、次のように書かれています。

 

 日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて、信教の自由を有す。

 

 しかし「安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りにおいて」の但し書きは、即ち、「国家神道の政策に従わなかった」との意味となり、信教の自由は消滅してしまいます。

 

 そこで、小泉氏が“日本では、どんな罪人でも、死ねばみな仏となり生前の罪は許される”と信じておられるのなら、(公明党は言わずもがな)もっと仏教徒の方々のご見解に耳を傾けるべきではありませんか?!

 

 朝日新聞の「天声人語:1985年08月10日」に、次のような記述が載っていました

 

 筆者の手もとに「真宗教団連合」の「真宗にとって『靖国』問題とは」という小冊子がある。一読して、浄土真宗本願寺派、真宗大谷派など10派の考え方がきわめて明快にわかった。

 

▼戦没者に対する国の追悼は靖国神社でといわれていますが、なぜ神式でなければならないのか、という問いにこう答える

▼「国が神式で行うことがそもそも間違いで、神式でなければならないなんて、とんでもないことです。戦没者追悼の国家的施設としては、いかなる宗教にも立脚しないことが条件で、そのような施設で初めてすべての国民がそれぞれの信仰・信条にもとづいて自由に参拝できるのです

▼小冊子はさらにいう。

(1)戦死がたたえられ、「偉業」であるとされてはならない。国家の犯した戦争というあやまちが、戦没者をたたえることで正当化されてはならない。

(2)靖国神社にはA級戦犯も合祀(ごうし)されている。こうなると、戦争賛美が続いているとしか思えない

(3)靖国の国家護持や公式参拝は国家神道の復活に道を開く。戦前、神祇(じんぎ)不拝の立場に立つ真宗教徒も、時には、非国民とののしられた。脅迫まがいのいやがらせは今もある

▼真宗だけではない。新日本宗教団体連合会も、公式参拝への動きに「苦痛と悲しみを覚える」と批判している……

 

 ここに紹介されている「真宗にとって『靖国』問題とは」という小冊子の内容は誠に「正論」そのものではありませんか!?

 

 この件に関しては、一海知義氏(中国文学者)が、朝日新聞の視点(2005年5月31日)に

 

 第2次世界大戦において、私の長兄はガダルカナルで、次兄はビルマ(ミャンマー)で戦死している。

三兄も内地で戦病死した。

しかし無神論者である私は3人の兄たちが靖国神社にいるとは考えていない。

 

何故、小泉氏は、仏教徒の方々、無神論者の方々の声に耳を傾けないのでしょうか?

小泉首相の靖国参拝は、中国韓国から反対される以前に、国内からの反対の声が湧き上がるべきではありませんか!?

(外圧でなく、先ずは内圧で、小泉氏は靖国参拝を断念すべきです。)

 

 更に、一海氏は次のように記述されておられます。

 

  テレビを見ていたら、衆院予算委員会での小泉首相の答弁が映し出されていた。靖国参拝問題である。

 首相は「どのような追悼の仕方がいいかは他の国が干渉すべきでない」と言          い、A級戦犯の合杷問題について「『罪を憎んで人を憎まず』は中国の孔子の言葉だ」と述べた。

 これを聞いて驚いた。私は五十数年来、専門の対象として中国古典を読んできたが、孔子がこんなことを言っているとは知らなかったからである。少なくとも、信頼できる文献には見当たらない

……

 また、そもそも「罪を憎んで人を憎まず」は、加害者だった側が使うべき言葉なのか。首相発言は中国民衆の立場を無視している。

目の前で日本兵に親を殺された体験を持つ人々に、「罪を憎んで……」と説教しているのである。

……

戦後首相の中でも、小泉首相は特に中国古典がお好きらしい。施政方針演説など、さわりの所で「孟子」を引き、「量子」を引くといった具合である。

 しかし、おおむね「断章取義」的な引用法が多い

断章取義とは、原典の趣旨とは無関係に、ときには趣旨に反して、自分に都合のよい部分だけを抜き出して引用することである。これは中国では古来、軽蔑されてきた手法である。

 

 この一海氏の小泉氏に対するご指摘は、小泉氏の中国古典の引用のみならず、日本国憲法の引用に対しても、断章取義」的な引用法が多いのです。

いや!断章取義」的な引用法ばかりなのです。

 

 そして、「罪を憎んで人を憎まず」の言葉を実行されたのは、中国側ではありませんか!?この件に関しては、何度も引用させて頂いておりますが、ここでも引用させて頂きます。

 

中国がA級戦犯が合祀されている靖国神社への公式参拝に対して反対している根拠は、拙文《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)》にも引用させて頂きましたが、文芸春秋:20019月特別号に古山高麗雄氏の書かれた「万年一等兵の靖国神社」と私は思います。

(以下に再度引用させて頂きます。)

 ……元中国大使の中江要介君は……、六月末の「東京新聞」にその理由を書いていた。

 その要旨を簡単に言うと、一九七二年、当時の首相田中角栄が、日中国交正常化のために訪中したとき、当時の中国の首相周恩来は、「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。すべからく日中両国人民は、共に軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、それを今後の教訓とすべきである」と言って、賠償請求を放棄した。だから中国政府としては、東京裁判のA級戦犯を合祀する靖国神社に日本の首相が参拝することによって、A級戦犯の戦争青任が曖昧になったり、その名誉が回復されたりすると、自国民を納得させられない、というのである。

 だから、中曽根首相は、A級戦犯合祀の再検討が困難になると、以後参拝をやめた。ところが橋本首相は、国のために一命を捧げた霊を弔って何がいけないのか、と参拝を復活させた。小泉首相も同様である。私も、橋本首相や小泉首相とはいささか違うが、靖国に首相が参拝して何が悪いと思っていたのである。日中の事情を知らなかったのである。新聞が中江君のような説明をしてくれたら、ああそういうことだったのか、それなら首相は行かない方がいいな、大事なことは見せることではない。弔う心を持つことだ。ならば官邸内で祈ればいいではないか、と思う。

 首相ともなれば、知らなかったでは怠慢になるが、知っていてなお強行するとなれば、これは中国に対する非礼である。礼節はまもりましょうや。
……

 

あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。」

この中国の首相周恩来(当時)の言葉と態度こそが
罪を憎んで人を憎まず
そのもの
ではありませんか!?


罪=あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者=A級戦犯

人=一般の善良なる日本人民

従って:憎んでいない人(一般の善良なる日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない

 

 そして、亡きA級戦犯の方々も、自分達は死を賭して日本国民の為に戦ったとの誇りがあるならば、この中国側の(戦争の責任をA級戦犯のみに押し付ける)処置を甘んじて受けられるのではないでしょうか?

 

 それなのに、この中国側(故周恩来首相)の大英断(温情)に対して、A級戦犯の祀られている靖国神社に小泉首相は参拝した上、“人(A級戦犯)を憎まず”“亡くなった人(A級戦犯)には罪はない”と公言されては、中国政府は如何にして故周恩来首相の大英断を自国民に納得させる事が出来るのでしょうか!?

 

 それとも、小泉氏は「」を「A級戦犯」ではなくて、「一般の善良なる日本人民」に負わせて「日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなこと」を行おうとしているのでしょうか?

賠償金」となると、先の拙文《衣食足りて礼節を忘れた日本人》にも引用させて頂きましたが、野田氏は、417日のテレビ朝日『サンデープロジェクト』に於いて、次のように発言されていました。

 

 “日清戦争以来、日本が中国に与えた損害は、数百兆円にもなるだろう。……”

 

 数百兆円もの賠償金を日本はどうやって払うのですか?!

 

 ところが、平沢勝栄自民党議員(松原ナンとかと言う民主党議員も)等は、次のような発言をして憚りません。

 

 日本は中国には今まで、3兆円ものODA援助(有償無償合わせて)をしてきた、その上、何度も謝ってきたではないか!!

これから先、何度謝ったらよいのと言うのだ!

 

 ODA援助(有償無償合わせて)では、数百兆円の損害を補填できません。

それに、3兆円のODAは、議員や業者の懐を潤す為にも行われたのではありませんか?

中国国民に対して、どれだけ有効に使われたのでしょうか?

 

 何故、小泉氏は自己中心的な考えを振り回して、他人(中国側)の思いに気を使われないのでしょうか?!

こんな心の貧しい人物が日本のトップに居座り続けていて良いのでしょうか?!

 

 そして、小泉氏は、孔子の言葉を誤用しましたが、私は、孔子の言葉「仁」について、拙文《平和憲法は奇跡の憲法》から、以下に抜粋いたします。

 

イエスの心も、仏陀(トルストイの言う「インドの賢者」)の心も、その本質では同じなのです。……

仏教において、“慈悲(トルストイの説く“”)の重要性を説いています。

……

「仁」の項目で広辞苑を紐解きますと、中国の賢者「孔子」の心の根幹も「慈悲」であることに改めて気が付きます。

仁:孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。……儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発想とみなし、一切の諸道徳を統べる主徳とした。……慈悲

 

 小泉首相は、「『罪を憎んで人を憎まず』というのは(中国の)孔子の言葉だ。一個人のため参拝しているのではない」とホザク前に、

この孔子の「仁」の教え(礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり)を
小泉氏自らの心に叩き込んでおくべきです。

 

 そして、古山高麗雄氏の記述のように、

首相ともなれば、知らなかったでは怠慢になるが、知っていてなお強行するとなれば、これは中国に対する非礼である。礼節はまもりましょうや

なのだと思います。

 礼節も、いわんや、孔子の「仁」の教え(礼にもとづく自己抑制と他者への思いやりも無い人物が、何故日本国の首相の座に鎮座しているのですか?!

 

 更には、「小泉氏が“戦没者に心からの追悼の誠をささげる」と宣うのなら、仏教徒の方々、キリスト教徒の方々、無宗教の方々への思いやりの下、せめて、いかなる宗教にも立脚しない戦没者追悼の国家的施設にて追悼の誠を捧げるべきではありませんか!?