元東京地検特捜部検事・田中森一の独白考

 (最新見直し2010.01.26日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「元東京地検特捜部検事・田中森一の独白」を確認しておく。田原総一朗と田中森一の対談「検察を支配する悪魔」(講談社、2007.12.6日初版)が出版されている。その一部が、「検察を支配する悪魔 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)」でサイトアップされている(「米帝・CIA・検察連合:ロッキード再現のための虚構: 検察を支配する悪魔)。これを転載しておくことにする。

 れんだいこは、田中森一氏に興味を覚える。「元東京地検特捜部検事・田中森一の独白」と仮題して引き続きウォッチすることにする。三木環・氏が検察の裏金作りを告発したのに対して、田中森一氏は検察の捜査そのものの非道さを暴露し危うさを警鐘している点で違いがある。いずれも貴重証言と心得たい。

 2010.01.23日 れんだいこ拝


 田原総一朗(たはら・そういちろう)
 1934年、滋賀県に生まれる。早稲田大学文学部を卒業後、岩波映画社、東京12チャンネル(現・テレビ東京)を経て、フリーのジャーナリストとして独立。政治、経済、検察、マスコミなど幅広い分野で時代の最先端を取材。活字と放送の両メディアにわたり精力的な評論活動を続けている。著書には『正義の罠』(小学館)、『日本のカラクリ21』(朝日新聞社)、『僕はこうやってきた』(中経出版)、『戦後最大の宰相 田中角栄<上><下>』『日本の戦後<上><下>』(以上、講談社)などがある。

 田中森一(たなか・もりかず)
 1943年、長崎県に生まれる。岡山大学法文学部在学中に司法試験に合格。1971年、検事任官。大阪地検特捜部などを経たあと、東京地検特捜部で、撚糸工連事件、平和相互銀行不正融資事件、三菱重工CB事件などを担当。その辣腕ぶりが「伝説」となり、名声を博す。1987年、弁護士に転身。2000年、石橋産業事件をめぐる詐欺容疑で東京地検に逮捕、起訴され、上告中。著書にはベストセラーになった『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬社)がある。



 p1〜 まえがき---「法の番人」ではなく「真実の番人」であろうとしたために(田原総一朗)

 田中は吐き捨てるように私に言った。
 「被疑者の心のありようを映し出すのが検事の調書だ。取り調べもしていない上の人間が、被疑者の供述を無視して、自分たちの都合のよいストーリーに勝手に書き換えるなどということが許されてよいはずがない」(中略)

 言い換えれば、田中検事は、被疑者だけが知りうる真実を懸命に追究してきた。ならば、詐欺容疑で逮捕された許永中に連座し、甘んじて有罪判決を受けたのも理解できる。田中は、自分の裁判は、「永中の事件とは分離して臨めば、無罪を勝ち取れる可能性がもっと高かった」と言う。だが、あえて永中と共に闘った。永中は石橋産業に対して詐欺を働いていないと
主張している。永中の心のなかにある真実を、田中は裏切れなかったのだ。

 佐藤優を思い出した。「外務省の幹部たちが言ったように、佐藤さんも、『やりたくはなかった。だけど鈴木宗男が怖くてやりました』と、鈴木さんのせいにすれば、佐藤さんは無罪放免になったのではないですか」と私が問うと、佐藤は、「その通りです。だけど、鈴木宗男という政治家をロシアに紹介した日本の外交官に対する信用が落ちる。一切、今後、ロシア人は日本の外交官を信じなくなる。日本の外交官の信用のために僕は沈んでよいのだ、と覚悟を決めたのです」と答えた。田中と佐藤はどこか二重写しになるところがある。佐藤は検察と鈴木宗男を「きれいなタカ」と「汚いハト」になぞらえ、「汚いハトを駆逐して、きれいなタカの時代にする。これが国策捜査の大義名分なんですよ」と皮肉を込めて話した。「闇社会の守護神」田中森一も、きれいなタカに狙われた汚いハトなのだろう。

 p3〜
 検察は最強の捜査機関である。その気になれば、国策捜査の名の下に邪魔なハトをすべて駆逐し、自らが考える時代をつくりあげられるだけの強大な権力を有している。もしその暴走を抑止できる存在があるとすれば、それはメディアだろう。ところが、多くのメディアは、検察に操られ、むしろ、灰色のハトも白いハトも悪の権化にしたてあげる役割を買って出ている。新聞社は情報欲しさに検察におもねり、司法記者は一切批判的な記事は書かない。

 検察はリクルート事件でも、江副浩正らを拷問にも等しい取り調べにかけ、ありもしない罪を供述させている。私はその経緯を克明に取材し、『正義の罠』と題して出版し、書評に取り上げてくれるよう各新聞社の懇意にしている記者に渡した。しかし、私の著書をいつも取り上げてくれる新聞社でも、この本に関しては一切無視した。検察を戦前の特高警察にしてはならぬ。それは我々、メディアに棲む者の責務でもあるのだろう。

 p22〜 検察が守ろうとしているのは自民党なのか---田原

 最近、検察批判を象徴する言葉、「国策捜査」が問題になっていますが、検察庁という組織はそもそも国の不利益になる犯罪を取り締まるべく設置された組織です。だから国策捜査にならざるを得ない。それはわかる。ただ、国益を守るといった場合、何を指すのか。曖昧模糊として非常にわかりにくい。具体的に検察が守ろうとしている対象が何なのか、見えてこない。国民の権利なのか、自民党なのか、総理なのか、あるいはもっと違う、時の権力なのか。それとも現在の社会構造そのものなのか。しかし、捜査が自民党の大物代議士に及ぶとわかって、検察の上層部は弱腰になり、転換社債の割り当てを担当していた山一證券の成田芳穂副社長の自殺もあり、捜査は頓挫する。こういう話ですよね。

 p23〜 現体制維持の安全装置---田中

 そもそも検察の方針の根底には国策がある。ありていに言えば、現体制との混乱を避け、その時の権力構造を維持するための捜査です。したがって、三菱重工CB事件のように、時の権力の中枢に及びそうな事件は中途半端に終わってしまう。徹底的にやってしまうと、自民党政権や日本のトップ企業のひとつが瓦解してしまう恐れがあるからです。これを検察は極端に嫌う。伊藤榮樹(しげき)検事総長は「巨悪は眠らせない」と豪語しましたが、検察は絶対正義の番人などではない。実態から言えば、現体制維持のための安全装置です。

 p25〜
 そんな法外な利益を生み出す三菱重工が発行したCB1000億円のうち、100億円が政治家に渡っていた。しかも、利益供与をしているのが三菱重工だから、相手は防衛関係の大物政治家。その筆頭といえば、中曽根康弘元総理だ。噂もそうだったし、総会屋の口からも、最も高額の割り当てを受けた政治家として中曽根の名が何度もあがった。他にも20人もの政治家の名前が出て、そのなかには竹下登の名もありました。

 p26〜 最高検検事からかかった圧力---田中

 その後は陳情の嵐です。「田中君、もう止めろよ」と、入れ替わり立ち代わり先輩がやってきて諭された。検事総長や検事長などの錚々たる先輩の意向を受けたと思われる大先輩の元検事も陳情に来た。

 p27〜
 総会屋が実際につながりのあるのは三菱重工です。総務から、「あんたんところにはいくら割り当てるから」と言われる。しかし、現実に割り当て作業をしているのは山一證券だ。三菱重工から野村を経由して山一に指示が行く。その山一の責任者が成田芳穂副社長だった。政治家も総会屋も、みんな三菱重工の株付けをしてもらっているのだから、きれいに商法違反になる。野村、山一と三菱重工の総務部長くらいをぱくったら、政治家まで届くというのが僕の最初からの算段で、その手始めとして成田副社長に任意で出頭を願うことにした。

 p28〜
 最高検の河上さんが否定的な見解を出す。さらには山一の担当者が自殺した。それで捜査を続けることはむずかしくなった。1番の支障となったのは成田さんの自殺だったけれど、総会屋から調書は取っているわけで、本気でやろうと思えば、総会屋と三菱の総務をやれる。ところが、検察の上層部が、それは許してくれませんでした。検察捜査の舞台裏では、いつもこんな駆け引きが行われているのです。

 p31〜 行政組織の論理が働き始めるとき---田中
 
 まさに行政官庁と一緒ですよ。片方では検察庁は独立性の官庁と言われながらもね。検察独立の原則があるのは確かだが、いっぽうで「検察一体の原則」と矛盾する原則が同時並行して存在している。

 p32〜
 内偵段階では、いくらでも個人が自由に動けますよ。しかし、それがものになりそうだとなって、捜査チームを組むところまでいくと、個人の考えでなく、行政組織としての検察の論理が優先する。そのときに上層部が考えることといえば、体制の維持、擁護です。なんぼきれいごとを言っても、検察も自分の組織を守らなければならないのです。自分で自分の首を絞めるようなマネはできない。そこで1検事としては、検察の内なる敵との戦いになるわけです。
 p35〜 村上ファンドには政界のアングラマネーが---田中

 ライブドア事件や村上世彰(よしあき)事件に関しては、僕は田原さんとちょっと違う見方なのです。確かにホリエモンの粉飾決算は、たいした罪じゃない。少なくともあれほど大袈裟に逮捕するほどの罪を犯しているとは思えない。そこから、マスコミは「カネ儲けするためなら、なんでもやっていいという風潮を正すために、ホリエモンを生贄にした」なんていう論調でしたが、検察がそんな迂遠な動機で、立件するとは考えられません。ニッポン放送の乗っ取り、ひいてはフジテレビへの影響力を行使しようとした。あれが検察にやる気を出させたのです。放送局は体制の一翼を担っている。ホリエモンのようなうろんな輩に天下の放送局を渡すわけにはいかないと、検察の上層部は判断したのでしょう。結局、表には出てこなかったけれど、ホリエモンや村上が裏社会とのつながりがあったことも否定できない。ホリエモンの側近であった野口英昭が沖縄で怪死したこともあって、一時、裏社会との関係が取りざたされた。野口の死は自殺だと思いますが、だからといって、ライブドアが裏社会とは関係なかったというわけではありません。ライブドアの幹部たちが、ある組織の現役幹部と接点を持っていたことを僕は知っている。怪情報が流れるだけの根拠はちゃんとあった。ホリエモンや村上のやり方を見ていると、バブル時代の仕手筋の手口とひとつも変わらない。とくに村上は。「兜町最強の仕手集団」と言われた誠備グループの加藤ロ(あきら)や、「兜町の帝王」と呼ばれた小谷光浩の手法と、何から何まで一緒です。仕手戦をしかける場合、カリスマ相場師を中心とするグループが形成される。そのメンバーには世に知られる経済人や政治家も混じっている。各人が資金を出し合って、株価を吊り上げていくわけです。彼らが狙うのは、市場であまり知られていない、株価の安いボロ株。安定株主がいて、浮動株が少ない銘柄です。市場で出回っている株が少なければ、市場で取引されている株数が読めるし、オーナー企業なら会社を死守しようと、株を買い戻しにくる。オーナー企業のボロ株なら、どう転んでも儲かります。これがバブル期の仕手筋の典型的なやり方です。村上も同じですよ。しかし村上が動かしていたカネは、バブル時代の仕手筋よりはるかに巨大です。バブル時代の仕手グループの資金総額は、せいぜい300億〜500億円と言われている。村上ファンドが動かしたのは、その約10倍にあたる4000億円を超える巨額とされている。まとまったカネを用立てられるのは、アングラマネーしかありません。政治家や裏社会のアングラマネーが、村上ファンドに流れこんでいたのは間違いない。氷山の一角として日銀の福井俊彦総裁の小遣い稼ぎが露呈したけれど、あんなものじゃない。アングラマネーを使って、比べものにならないくらい大もうけしている連中がいるわけです。でも、検察はそこまでは斬り込んでいない。引っ張って濡れ衣を着せるのも悪いけれど、肝心なやつは見逃す。検察の国策捜査の一番の問題点はやっぱりここにあると思います。

 p37〜 角栄をやり、中曾根をやらなかった理由---田原

 でも、ロッキード事件はできたじゃないですか。田中角栄は逮捕した。角栄は時の権力者ですよ。僕はかつて雑誌『諸君!』に「田中角栄 ロッキード事件無罪論」を連載した。ロッキード事件に関しては『日本の政治 田中角栄・角栄以後』で振り返りましたが、今でも、ロッキード事件の裁判での田中角栄の無罪を信じている。そもそもロッキード事件はアメリカから降って湧いたもので、今でもアメリカ謀略説が根強く囁かれている。

 僕は当時、“資源派財界人”と呼ばれていた中山素平(そへい)日本興業銀行相談役、松原宗一大同特殊鋼相談役、今里広記日本精工会長などから、「角栄はアメリカにやられた」という言葉を何度も聞かされた。中曾根康弘元総理や、亡くなった渡辺美智雄、後藤田正晴といった政治家からも、同様の見方を聞いた。

 角栄は1974年の石油危機を見て、資源自立の政策を進めようとする。これが、世界のエネルギーを牛耳っていたアメリカ政府とオイルメジャーの逆鱗に触れた。このアメリカ謀略説の真偽は別にしても、検察は当時の日米関係を考慮に入れて筋書きを立てている。結果、角栄は前総理であり、自民党の最大派閥を率いる権力者だったにもかかわらず検察に捕まった。

 かたや対照的なのは中曾根康弘元総理。三菱重工CB事件でも最も高額の割り当てがあったと噂されているし、リクルート事件でも多額の未公開株を譲り受けたとされた。彼は殖産住宅事件のときからずっと疑惑を取りざたされてきた。政界がらみの汚職事件の大半に名が挙がった、いわば疑獄事件の常連だ。しかし、中曽根元総理には結局、検察の手が及ばなかった。

 角栄は逮捕されて、中曽根は逮捕されない。角栄と中曾根のどこが違うのですか。冤罪の角栄をやれたのだから、中曾根だってやれるはずだ。それから亀井静香。許永中との黒い噂があれほど囁かれたのに無傷に終わった。なぜ、亀井には検察の手が伸びない?

  p39〜 ロッキードほど簡単な事件はなかった---田中

 ロッキード事件に関わったわけではないので、詳しいことはわかりませんが、検察内部で先輩たちから聞くところによると、時の権力が全面的にバックアップしてくれたので、非常にやりやすかったそうです。主任検事だった吉永祐介あたりに言わせると、「あんな簡単でやりやすい事件はなかった」---。普通、大物政治家に絡む事件では、邪魔が入るものですが、それがないどころか、予算はふんだんにくれるわ、いろいろと便宜を図ってくれるわけです。三木武夫総理を筆頭に、政府が全面的に協力して、お膳立てしてくれた。

 ロッキード事件では超法規的な措置がいくつもある。アメリカに行って、贈賄側とされるロッキード社のコーチャン、クラッターから調書を取れた。相手はアメリカ人だから、法的な障害がたくさんある。裁判所だけでなく、外務省をはじめとする霞が関の官庁の協力が不可欠です。とりわけ、裁判所の助力がなくてはならない。

 政府が裁判所や霞ヶ関を動かし、最高裁が向うの調書を証拠価値、証拠能力があるとする主張を法律的に認めてくれたばかりが、コーチャン、クラッターが何を喋っても、日本としては罪に問わないという超法規的な措置まで講じてくれた。贈賄側はすべてカット。こんな例外措置は現在の法体制では考えられません。弁護人の立場から言えば、非常に疑問の多い裁判でもあった。「贈」が言っていることを検証しないで、前提とするわけだから。贈賄側が死んでいれば反対尋問はできないけれど、本来は、原則として仮に時効にかかろうが、贈賄側を一度、法廷に呼び出して供述が本当なのか検証するチャンスがある。

 ところが、ロッキードではなし。それで真実が出るのかどうか、疑わしい限りです。しかも、贈賄側は一切処罰されないと保証されて、喋っている。その証言が果たして正しいか。大いに疑問がある。それぐらい問題のある特別措置を当時の三木政権がやってくれるわけです。つまり、逮捕されたときの田中角栄は、既に権力の中枢にいなかったということなのでしょう。

 p41〜 風見鶏だから生き残った---田中

 角栄は、総理に上り詰めるまでに、「角幅戦争」とか「三角大福」とか、熾烈な政争を繰り広げてきた。えげつない現ナマのばら撒きで、相当、強引な裏工作もやっている。そのため、角栄を恨んでいる政敵が多かったということも逮捕につながった大きな原因だと思います。三木にも、角栄に対する根深い恨みがあったのではないですか。

 かたや中曾根元総理は、ついにやられると何度も囁かれたにもかかわらず、最後までやられずに無事、政界を引退した。決定的証拠も出てこなかったのでしょうが、「風見鶏」だから大丈夫だったのですよ。若いときから時の権力者にはうまく歩調を合わせていたから、彼を恨んでいる政敵がほとんどいなかった。角栄と違って、歴代の権力者には、中曾根を沈めてやりたいと憎んでいた人間がいなかったのでしょう。

 中曾根はマスコミにもウケがいいので、マスコミから何かをほじくり出されることも少なかった。亀井静香の場合は、秘書が有能だからでしょうね。竹下登や加藤六月も秘書がしっかりしていたから、やられなかった。秘書の力は大きいですよ。同じようにカネをもらっていても、処理の仕方によって、事件として問えるか否かが変わってきますから。

 p43〜 政治家によって潰された事件は一握り

 特捜の現場で捜査にあたっている検事に直接、指示をしてくるのは特捜部長です。じゃあ、特捜部長に誰が指示しているのかと言えば、現場は接することがないさらに上だとしか言いようがない。検事総長、次長検事、検事長といったクラスでしょう。こういった首脳まで出世するエリートは、法務省勤務が長い「赤レンガ派」と呼ばれる人たちが主流です。彼らは法務省で、法案づくりを担当していて、日常的に政権与党の政治家と接触している。僕ら「現場捜査派」が、毎日、被疑者と顔を合わせているように・・・。こうして毎日のように会って話をしていると気心も知れるし、考え方も似てくる。そして、どうしても時の権力寄りの見方になってくる。だから、彼らが検事総長、次長検事になって、「国策としてこれはどう扱うべきか」となったときに判断すると、結果的に時の権力と同じ視点になりやすい。

 外から見ると、政治家の圧力によって潰れたように見える事件でも、検察首脳部が下した決断がたまたま権力の中枢の考え方と合致していたに過ぎないケースがほとんどだと思いますよ。つまり多くの場合、検察内部の判断であって、政治家によって潰された事件はあったにせよ、ほんの一握り。マスコミの思っているほど多くはありませんよ。

 p44〜 暴走をし始めた検察

 僕はそこが一番の問題じゃないかと思う。検察内部の独善で国策捜査のあり方が決まっていきかねないところが----。政治家が検察をコントロールする手段としては、指揮権がある。法務大臣を通じて検察庁のトップ、検事総長のみを指揮できる。しかし、現実には指揮権なんてあってなきがごとしで、発動できるものじゃない。下手にそんなものを振り回すと世間から袋叩きに遭う。現に、1954年に吉田内閣で、犬養健(たける)法務大臣が、造船疑獄に際して時の自由党幹事長佐藤栄作の逮捕をしないよう指揮して以降、発動されたことは一度もありませんからね。

 言い換えれば、事実上、検察を誰もコントロールできない。最近とみに検察ファッショだという非難が高まっていますね。これは、国策捜査と称して、検察が自分たちの独善を通したのでは、と思える冤罪事件が増えてきたからですよ。

 僕はいまやすっかり時の人となった佐藤優にインタビューしたことがある。外交官だった佐藤は、2002年5月、検察に背任で逮捕された。彼は、取り調べのはじめの段階で、担当の西村尚芳検事から、「君は勝てっこない。なぜならばこれは『国策捜査』なのだから」と宣告されたそうです。彼らの言う国策とは鈴木宗男の政治生命を潰すことだった。疑惑のデパート、鈴木を悪の権化に仕立て上げて。「鈴木は外務省の表と裏をあまりにも知りすぎた男なので狙われたのだ」と佐藤はきっぱり言っていましたよ。その道連れにされたのが自分だと。外務省きっての論客だった佐藤は、連日、西村検事に論戦をしかけた。そのときに西村が何度も言ったのが、「時代のけじめをつけるため」という言葉だった。

 僕は、この言葉が、今の検察の驕りを象徴しているように感じる。今の検察は、「俺たちが時代をつくるんだ」と言い放つほど思いあがっている。選挙で国民の信を受けた政治家でもない検察が、与えられた強大な権力を背景に時代をリードしようとする---この検察の暴走を誰も止められないのが恐ろしいと思います。

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 拡大する検察権力

岩井 安田さん、今の件についてはどうですか。
安田 お聞きして、なるほどなとすごく納得していたんですけど、戦後の歴史を見ると、ロッキード事件、そしてこれに続く金丸事件で、政府あるいは国会が検察に全く刃向かうことができなくなってしまった。その結果、日本の国家権力で一番強いのが検察になってしまったと思います。そして、その内実は、徹底した保守主義なんですね。僕なんかは、検察官に将来なっていく人たちと司法研修所で一緒だったわけですけど、そういう人たちの多くは政治的なんですね。検察官という職業に対して、政治的な意味づけをしている。腐敗した政治や行きすぎた経済を正さなければならない。それができるのは自分たちだけだという感覚を持っている人がわりあい多くて、もっと言ってしまえば、実に小児的であったんです。

 たとえば、ある特捜部長は、就任の際、検察は額に汗をかく人たちのために働かなければならないという趣旨の発言をするんですね。青年将校なのか、風紀委員なのか、実に幼いんです。こういう青年将校的な発想しか持ち合わせない寄せ集めが、今の検察の実態ではないかと思うんです。

 しかもそれがすごく大きな権力を持っているものですから、これは警察と一体となって行っているのですが、対処療法的に次々と治安立法を作り上げていく、たとえばオウム以降、破防法がだめだったら即、団体規制法を作る。あるいはサリン防止法を作る。あるいはその後に少年法を変えていく、内閣に犯罪防止閣僚会議というようなものを作って、刑罰を1、5倍に重刑化して、刑法全体の底上げをやるわけですね。彼らは、社会の実態をほとんど知らない、犯罪の原因も知らない、あるいは相対的な価値観や複眼的な視点もない、というのが正しいんでしょうけど、どんどん風紀委員的に対応するんですね。

 第三章 絶対有罪が作られる場所

 p80〜 ロッキード事件の金銭授受は不自然---田原

 ここからは、ロッキード事件の話をしたい。ロッキード事件で田中角栄は、トライスター機を日本が購入するにあたって、ロッキード社から4回にわたって、丸紅を通じて計5億円の賄賂を受けと取ったとして、1983年10月に受託収賄罪で懲役四年、追徴金5億円の判決を受けましたね。

 この4回あったとされる現金の受け渡し場所からしても、常識から考えておかしい。1回目は1973年8月10日午後2時20分頃で、丸紅の伊藤宏専務が松岡克浩の運転する車に乗り、英国大使館裏の道路で、田中の秘書、榎本敏夫に1億円入りの段ボール箱を渡した。2回目は同年10月12日午後2時30分頃、自宅に近い公衆電話ボックス前で、榎本に1億5000万円入りの段ボール箱を。

 3回目は翌年の1月21日午後4時30分頃、1億2500万円入りの段ボール箱がホテルオークラの駐車場で、伊藤から榎本に渡された。そして、同年3月1日午前8時頃、伊藤の自宅を訪れた榎本が、1億2500万円が入った段ボール箱を受け取ったとされている。最後の伊藤の自宅での受け渡しはともかく、他の3回は、誰が見ても大金の受け渡し場所としては不自然です。とくに3回目のホテルオークラは、検察のでっちあげ虚構としか思えない。

 伊藤の運転手だった松岡にインタビューしたところ、検察によって3回も受け渡し場所を変更させられたと言う。もともと松岡は、受け渡しに対して記憶はまったくなかったのですが、検事から伊藤の調書を見せられ、そんなこともあったかもしれないと、曖昧なまま検察の指示に従った。検事が、最初、3回目の授受の場所として指定してきたのは、ホテルオークラの正面玄関です。松岡は検事の命令に添って、正面玄関前に止まっている2台の車の図を描いた。

 でも考えてみれば、こんなところで1億2500万円入りの段ボール箱の積み下ろしなどするわけがない。正面玄関には、制服を着たボーイもいれば、客の出入りも激しい。おまけに、車寄せに2台車を止めて段ボール箱を運び込んだら、嫌でも人の目につく。検察も実際にホテルオークラに行ってみて、それに気が付いたんでしょう。体調を崩して大蔵病院に入院していた松岡の元に検察事務官が訪ねてきて、「ホテルオークラの玄関前には、右側と左側に駐車場がある。あなたが言っていた場所は左側だ」と訂正を求めた。それでも、まだ不自然だと考えたのでしょう。しばらくしたら、また検察事務官がやってきて、今度は5階の正面玄関ではなく、1階の入り口の駐車場に変えさせられたと言います。

 それだけならまだしも、おかしなことに、伊藤が描いた受け渡し場所も変更されていた。最初の検事調書では、伊藤も松岡とほぼ同じ絵を描いている。松岡の調書が5階の正面玄関から1階の宴会場前の駐車場に変更後、伊藤の検事調書も同様に変わっていた。

 打ち合わせもまったくなく、両者が授受の場所を間違え、後で揃って同じ場所に訂正するなんてことが、あり得るわけがない。検事が強引に変えさせたと判断するしかありません。百歩譲って、そのような偶然が起りえたとしても、この日の受け渡し場所の状況を考えると、検事のでっち上げとしか考えられない。

 この日、ホテルオークラの宴会場では、法務大臣や衆議院議長などを歴任した前尾繁三郎を激励する会が開かれていて、調書の授受の時刻には、数多くの政財界人、マスコミの人間がいたと思われる。顔見知りに会いかねない場所に、伊藤や田中の秘書、榎本が出かけていってカネをやり取りするのは、あまりにも不自然です。しかも、この日の東京は記録的な大雪。調書が事実だとすれば、伊藤と田中の秘書が雪の降りしきる屋外駐車場で、30分以上立ち話をしていたことになる。しかし、誰の口からも、雪という言葉が一切出ていません。万事がこんな調子で、榎本にインタビューしても、4回目の授受は検察がつくりあげたストーリーだと明言していました。

 もっとも、丸紅から5億円受け取ったことに関して彼は否定しなかった。伊藤の自宅で、5億円を受け取ったと。それは、あくまでも丸紅からの政治献金、田中角栄が総理に就任した祝い金だと。だから、伊藤は、せいぜい罪に問われても、政治資金規正法だと踏んだ。そして、検察から責め立てられ、受けとったのは事実だから、場所はどこでも五十歩百歩と考えるようになり、検察のでたらめにも応じたのだと答えた。つまり、検察は政治資金規正法ではなく、何があっても罪の重い受託収賄罪で田中角栄を起訴したかった。そのためにも、無理やりにでも授受の場所を仕立てる必要があったというわけでしょう。

 p83〜 法務省に事前に送られる筋書き---田中

 ロッキード事件のカネの受け渡し場所は、普通に考えておかしい。またそれを認めた裁判所も裁判所ですよ。ロッキード事件以来、ある意味、検察の正義はいびつになってしまった。政界をバックにした大きな事件に発展しそうな場合、最初に、検察によってストーリーがつくられる。被疑者を調べずに周りだけ調べて、後は推測で筋を立てる。この時点では、ほとんど真実は把握できていないので、単なる推測に過ぎない。

 でも、初めに組み立てた推測による筋書きが、検察の正義になってしまうのです。なぜ、そんなおかしなことになるかと言えば、政界や官界に波及する可能性がある事件の捜査については、法務省の刑事課長から刑事局長に、場合によっては、内閣の法務大臣にまであげて了解をもらわなければ着手できない決まりになっているからです。とくに特捜で扱う事件は、そのほとんどが国会の質問事項になるため、事前に法務省にその筋書きを送る。

 いったん上にあげて、了承してもらったストーリー展開が狂ったら、どうなりますか?検察の組織自体が否定されますよ。事件を内偵していた特捜の検事がクビになるだけでなく、検察に対する国民の信頼もなくなる。

 本当は長い目で見たら、途中で間違っていましたと認めるほうが国民の信頼につながる。それは理屈として特捜もわかっているけれど、検察という組織の保身のためには、ごり押しせざるを得ないのが現実です。

 特捜の部長や上層部がなんぼ偉いといっても、一番事件の真相を知っているのは被疑者ですよ。その言い分をぜんぜん聞かず、ストーリーをどんどん組み立てる。確かに外部に秘密がまれたり、いろいろあるから、その方法が一番いいのかもしれないが、だったら途中で修正しなければいけない。

 ところが、大きい事件はまず軌道修正しない。いや大きい事件になるほど修正できない。だから、特捜に捕まった人はみんな、後で検察のストーリー通りになり、冤罪をきせられたと不服を洩らす。僕を筆頭として、リクルート事件の江副浩正、KSD事件の村上正邦、鈴木宗男議員と連座した外務省の佐藤優、村上ファンドの村上世彰(よしあき)、ライブドア事件の堀江貴文・・・全員、不満たらたらで検察のやり方を非難している。

 これを特捜が謙虚に反省すればいいのですが、特捜はそんなことはまったく頭にない。「あのバカども、何を言っていやがるんだ」という驕りがあり、最初にストーリーありきの捜査法は一向に改善されません。

 p85〜 尋問せずに事実関係に勝手に手を入れる---田中
 
 とくに東京の特捜では、まずストーリーありきの捜査しかしない。被害者を加害者に仕立て上げてしまった平和相銀事件がいい例ですよ。東京に来て驚いたのは、調書ひとつをとっても、上が介入する。調書作成段階で、副部長や主任の手が入ることも多く、筋書きと大幅に異なったり、筋書きを否定するような供述があると、ボツにされる。だから、検事たちも、尋問をするときから、検察の上層部が描いた筋書きに添う供述を、テクニックを弄して取っていく。

 僕も手練手管を弄して自分の描いた筋書きに被疑者を誘導することはありましたよ。しかし、それは、あくまでも現場で捜査に携わっている人間だから許されることだと思う。捜査をしている現場の検事は、こりゃあ違うなと感じれば、軌道修正する。被疑者のナマの声を聞いて判断するので、自分の想定したストーリーが明らかに事実と違えば、それ以上はごり押しできない。人間、誰しも良心がありますから。

 しかし東京では、尋問もしていない上役が事実関係に手を入れる。彼らは被疑者と接していないので容赦ない。被疑者が、これは検事の作文だよとよく非難しますが、故のないことではないと思った。恐ろしいと思いましたよ。冤罪をでっち上げることにもなりかねないので。だから、僕は東京のやり方には従わなかった。大阪流で押し通した。上がなんぼ「俺の言う通りに直せ」といっても、「実際に尋問もしていない人の言うことなんか聞けるか」で、はねのけた。

 p86〜 大物検事も認めた稚拙なつくりごと---田原

 4回目の授受の場所を特定したのは誰か---ロッキード事件に関わった東京地検特捜部のある検事にこの質問をしたところ、彼は匿名を条件に「誰にも話したことはないが」と前置きして、次のように当時の心境を語っていた。

「ストーリーは検事が作ったのではなく、精神的にも肉体的にも追いつめられた被告の誰かが・・・カネを受け取ったことは自供するけれども・・・あとでお前はなぜ喋ったんだといわれたときのエクスキューズとして、日時と場所は嘘を言ったのじゃないか。そして、それに検事が乗ってしまったのじゃないか、と思ったことはある。田中、榎本弁護団が、それで攻めてきたら危ないと、ものすごく怖かった」。

 この元検事の証言を、事件が発覚したときに渡米し、資料の入手やロッキード社のコーチャン、クラッターの嘱託尋問実現に奔走した堀田力元検事にぶつけると、「受け渡しはもともと不自然で子どもっぽいというか、素人っぽいというか。恐らく大金の授受などしたことがない人たちが考えたとしか思えない」 と語っていました。堀田さんは取り調べには直接タッチしていない。だからこそ言える、正直な感想なんでしょうけれど、どう考えても、あの受け渡し場所は稚拙なつくりごとだと認めていましたよ。

 p88〜 検事は良心を捨てぬと出世せず---田中

 検事なら誰だって田原さんが指摘したことは、わかっている。その通りですよ。田原さんがお書きになったロッキード事件やリクルート事件の不自然さは、担当検事だって捜査の段階から認識している。ところが引くに引けない。引いたら検察庁を辞めなければいけなくなるから。だから、たとえ明白なでっち上げだと思われる“事実”についてマスコミが検察に質しても、それは違うと言う。検事ひとりひとりは事実とは異なるかもしれないと思っていても、検察という組織の一員としては、そう言わざるを得ないんですよね。上になればなるほど、本当のことは言えない。そういう意味では法務省大臣官房長まで務めた堀田さんの発言は非常に重い。

 特捜に来るまでは、検察の正義と検察官の正義の間にある矛盾に遭遇することは、ほとんどありません。地検の場合、扱うのは警察がつくっている事件だからです。警察の事件は、国の威信をかけてやる事件なんてまずない。いわゆる国策捜査は、みんな東京の特捜か大阪の特捜の担当です。

 特捜に入って初めて検察の正義と検察官の正義は違うとひしひしと感じる。僕も東京地検特捜部に配属されて、特捜の怖さをつくづく知りました。検察の正義はつくられた正義で、本当の正義ではない。リクルート事件然り、他の事件然り。検察は大義名分を立て、組織として押し通すだけです。それは、ややもすれば、検察官の正義と相入れません。現場の検事は、最初は良心があるので事実を曲げてまで検察の筋書きに忠実であろうとする自分に良心の呵責を覚える。

 しかし、波風を立てて検察の批判をする検事はほとんどいない。というのも、特捜に配属される検事はエリート。将来を嘱望されている。しかも、特捜にいるのは、2年、3年という短期間。その間辛抱すれば、次のポストに移って偉くなれる。そこの切り替えですよ。良心を捨てて、我慢して出世するか。人としての正義に従い、人生を棒に振るか。たいていの検事は前者を選ぶ。2年、3年のことだから我慢できないことはないので。ただそれができないと僕のように嫌気がさして、辞めていくはめになるのです。

 p93〜 検察に拷問された江副浩正---田原

 容疑が固まり、身柄を拘束すると、検察の取り調べが始まる。これがひどい。江副の場合を見ても普通の社会で生きてきた人には、とても耐えきれるものではない。拷問だといってもいい非人道的な取り調べですよね。江副弁護側の訴えでは、江副に対して、検事は逮捕前から威圧的で陰湿だったと言っている。江副に関する週刊誌の報道を持ち出し、「女性連れで旅行したことがあるだろう。証拠写真もある」とか、「ずいぶん女性がいるらしいじゃないか」「あちこちのマンションに女性を住まわせている」「酒池肉林の世界にいたらしいじゃないか」などと、事件に関わりない江副のプライバシー、それも根拠のない女性問題を執拗に問い質し、江副の人格を否定しようとする。この事実は、担当検事が認めています。精神的な屈辱と同時に、肉体的にも苦痛を与える。江副が意のままにならないと、担当検事は机を蹴り上げたり、叩いたり、大声でどなりつけたり、耳元で罵声を浴びせたり、土下座を強要したりした。江副自身が、肉体的に最も厳しかったと述懐しているのは、壁に向かって立たされるという懲罰だったそうです。至近距離で壁に向かって立たされ、近づけ、近づけと命令される。鼻と口が壁にくっつく寸前まで近づけさせられて、「目を開けろ」。目を開けたまま、その状態で、1日中立たされる。しかも耳元へ口をつけられ、鼓膜が破れるかと思うほどの大声でバカ野郎と怒鳴られる。それが肉体的に本当に苦痛だったと。 このような、実質的に拷問と呼べる違法な取り調べが、宗像主任検事の指示で行われたとされています。もっとも、僕が宗像に極めて近い検事に確かめたところ、「そんな暴力的取り調べなどあるわけない。噂がひとり歩きしているだけ。とくに宗像さんは紳士なので、そんなみっともないことなどするわけはない」と一笑に付していましたけれど。 裁判所でも、弁護側が訴える暴力的取り調べが行われたとは認めていない。被告が肉体的、精神的苦痛を検察から受けることはない、というのが前提なのですね。いっぽう弁護人は、「調書なんかいかようにもつくれる。身柄を拘束して長時間責め立てられ、脅される。肉体的、精神的に追い込まれれば、検事の巧みな誘導についつい乗ってしまう」と反論している。歴戦のプロである検事と、罵詈雑言、人権蹂躙とはほど遠いエリートの世界で生きてきた経営者では勝負にならないと。

 p95〜 調書にサインすれば終わり---田中

 暴行うんぬんより、もっと重要なのは、弁護側が言うように、検事は調書を思惑通りにつくれるという点です。日本の司法は調書裁判で、調書の内容ほど裁判の行方を左右するものはない。裁判所での被疑者の陳述と、検事調書の内容が違ったとします。その場合、とくに調書のほうが信用できることを検事が証明したら、検事調書の内容が真実として採用されることになっている。

 どのような内容を裁判官が信用するのか、過去の判例を調べると、次の2点に集約される。具体性が合って、論理が明快。そんなの検事は先刻承知だから、具体的な理路整然とした調書に仕立て上げる。検事の調書は筋がしっかりしていて論理的なので、裁判官も抵抗なく頭に入る。だから調書の内容が全部生きる。

 かたや、被告の主張は、いくら真実であっても、記憶が曖昧だったり、どこか支離滅裂な部分があるので、圧倒的に検事調書の心証がよい。普通の人は、連日、検事から責められて辛い思いをすると、事実とは違っていても認めてしまう。しかし、裁判で事実を明らかにすれば覆ると思っているので、裁判に望みを託す。

 日本の場合は人質司法で、罪を認めなければ保釈されないので、なおさらこの罠にはまりやすい。何日も自由を拘束されて、厳しい取調べで肉体的にも精神的にも苦痛を受け続けると、一刻も早く家に帰りたいと思うようになる。事実であろうが、なかろうが、罪を認めれば、帰れる可能性が出てくる。そして、その場から逃れたい一心で、検事の言うがままになる。だが、これは、非常に甘い考えです。と言うのも、一度、調書がつくられて、それにサインしてしまえば、それが事実ではなくても、裁判でも通ってしまうからです。客観的なアリバイなど、よほど明白な証拠でもない限り、弁護士でも検事調書の内容をひっくり返すのはむずかしい。

 p101〜 調書の訂正箇所に隠された罠---田中

 調書の体裁で言うと、わざと訂正箇所をつくっておく。事件の本筋とは関係ない些細なことで。たとえば田中森一と調書に書く場合、わざと「森」の字を「守」に間違えておく。そして被疑者にでき上がった調書を読ませる。すると間違いに気づいて「田中森一の『もり』は『守』でなく『森』ですよ」と必ず言うので、「ああ、そうか悪い。直すわ」とかなんとか言いながら訂正する。事件に関する肝心な訂正箇所は他にあるんですが・・・。ここまでやられると、被疑者が裁判所で、「検事に脅されて調書に無理矢理署名させられたんですよ。私の言ったこととは違う」と、なんぼ主張したところで通らない。「あんた、そういうけど、田中森一の『もり』まで訂正しているじゃないか。違うというんだったら、他のところも直しているはずでしょう」と検事に反論されて終わり。裁判所はどうしたって検事を信用しますよ。

 p104〜 検事の捜査日誌は二重帳簿---田中

 調書は提出しなくていいわけではないけれど、弁護側がすべてを検察に出させるのは、事実上、不可能です。弁護士が要求すると、裁判所はいつの調書か特定してくれと来る。被疑者本人でさえ、調書の日付なんか覚えていないのに、日付を特定しろと言われてもできない。したがって、検察はいくらでも自分たちに都合の悪い調書は隠せる。

 p105〜
 そのかわり自分たちに有利に働くものは法廷で積極的に出してくる。大規模な事件になると、任意で検事の証人尋問が行われる。検事は必ず応じます。そのときに小道具として持参するのが、捜査メモ。検事は日々、捜査日誌をつける。取り調べの様子を書いた覚え書きです。しかし、実はこの捜査に関するメモは、表と裏がある。事実をしたためた表の捜査日誌と、裏帳簿のように嘘を書いた捜査メモとの二重帳簿なのです。

 言うまでもなく、裏の虚偽のメモは、裁判での証人尋問を想定して書かれている。実際には、土下座をさせたのは検事であっても、メモでは「本人が土下座して、涙を流しながら喋った」となっているわけです。裁判官には、それが事実を綴ったメモなのか、虚構なのか判別はできない。毎日、検事が調べが終わった後につけているメモだから、その内容は信用できる、となるんです。特捜の検事なら、こういった高等戦術は誰でも駆使できる。敏腕弁護士がついても、被疑者は太刀打ちできない。

 p107〜 ビデオ監視をしても無駄---田中

 極端なことを言うと、調書を読み聞かせるときに、飛ばし読みだってできるわけです。被疑者が抵抗するであろうと思われる部分は抜かして。しかし、被疑者はろくろく確かめもしないで調書に署名してしまう。署名さえさせてしまえば、こちらの勝ちです。

 特捜の検事にとってとって自分の意図だけを反映した調書をつくるのは、いとも簡単な技術です。被疑者を丸め込むなんて、初歩の初歩。誰でもできる。検察に、こうした捻じ曲がった調書を作らせないために、ビデオで取り調べの様子を撮って監視するという案もありますが、そんなことをしても無駄でしょう。都合の悪いときは、ビデオカメラのスイッチを切ってしまえばいいのだから。むしろ、検察に好都合なところだけを撮影されて、悪用される恐れのほうが強い。このように、調書裁判というシステムが変わらない限り、検察は何でもできるのですよ。

p144〜 忙しくて調書は精査できない---田中

 裁判所が目に触れる検事の調書で事実かどうか判断するように、検事も警察のつくってきた調書上で筋が通っていれば、あったとしか判断しようがない。警察から上がってきた調書は、我々にも嘘か誠か、にわかには判別できないので、信用するしかない。最初から検察が関わった事件なら、ああはならなかったでしょうけど。もっとも、選挙がらみの事件は、検事が必ず調書を取る決まりになっているので、本当は、検察がその際、じっくり吟味すればいいのだけれど、鹿児島あたりの地検で、それをやるのは現実的に、無理なんですよ。地方の県の地検に配属されている検事の数は少ない。せいぜい3、4人です。その人数で次々と警察から上がってくる事件を処理しなければならない。

 p145〜
 日々、取り調べに追いまくられている。地検の検事はたいへんな仕事量をこなしている。だから、志布志のような冤罪事件をなくそうと思えば、検事の数を増やすしかないのかもしれません。

 p153〜 マスコミは検察の言いなり---田中

 大マスコミは検察の言いなりやからね。現場で見ていても、新聞やテレビといった大マスコミは、検察に上手にコントロールされているという感じがする。大マスコミによる検察批判なんて考えられませんね。特捜の扱う事件は、下手に情報が漏れると、事件が潰れかねない。だからマスコミへのガードは非常に堅く、記者が接触できるのは、たとえば東京地検の場合、特捜部長と副部長に限定されていて、第一線の現場の検事への接触は禁じられている。もし、これを破ったら、検察への出入りは禁止です。接触した検事も異動させられる。

 p155〜
 一方、取材する側の司法記者から見れば、特捜が手掛けるのは社会的な影響の大きい事件なので、スクープできれば手柄になる。裏を返せば、他社に抜かれるとクビが危ない。そこで夜討ち朝駆けで、特捜部長や副部長から情報を聞き出そうとするわけだけれど、覚えがめでたくないと、喋ってもらえない。検察に不利益なことを少しでも書く記者には、部長も副部長も一切、情報を教えません。だから、どうしても検察側の代弁に終始してしまう。

 仮に、これに疑問を感じて、独自の取材を展開し、すっぱ抜いて報道したら、「てめえ。事件を潰す気か」と、検察側の怒りに触れる。記事を書いた記者だけでなく、その社の人間は、出入り禁止。情報がまったく入ってこなくなる。マスコミにとっては致命的な状況に置かれるわけです。検察とマスコミでは上下関係ができていて、マスコミは検察に対しては無抵抗状態というのが現実です。

 2005年の年初、東京地検特捜部長の井内顕策が、「マスコミはやくざ者より始末におえない悪辣な存在です」と書いた文書を、司法記者クラブに配布するという事件があった。しかし、そこまで誹謗されても記者たちは何の抵抗もなしです。どこの新聞社も記事にもできなかった。

 p156〜 大衆迎合メディアが検察の暴走を許す---田原

 マスコミを踊らすなんて、検察にとっては朝飯前なんですよね。情報操作によって世論を喚起した事件として思い出すのは、沖縄返還協定を巡って1972年に毎日新聞政治部記者、西山太吉と外務省の女性事務官が逮捕された外務省機密漏洩事件です。西山記者が逮捕されたとき、「言論の弾圧だ」「知る権利の侵害だ」という非難が国民の間で上がった。

 そこで、検察は起訴状に「西山は蓮見(女性事務官)とひそかに情を通じこれを利用し」という文言を盛り込み、批判をかわそうとした。この文言を入れたのは、のちに民主党の参議院議員になる佐藤道夫。検察のこの目論見はまんまと成功、西山記者と女性事務官の不倫関係が表に出て、ふたりの関係に好奇の目が注がれ、西山記者は女を利用して国家機密を盗んだ悪い奴にされてしまった。

 本来、あの事件は知る権利、報道の自由といった問題を徹底的に争う、いい機会だったのに、検察が起訴状に通常は触れることを避ける情状面をあえて入れて、男女問題にすり替えたために、世間の目が逸らされたわけです。西山擁護を掲げ、あくまでも言論の自由のために戦うと決意していた毎日新聞には、西山記者の取材のやり方に抗議の電話が殺到、毎日新聞の不買運動も起きた。そのため、毎日は腰砕けになって、反論もできなかった。

 さらに特筆すべきは、検察の情報操作によって、実はもっと大きな不正が覆い隠されたという事実です。『月刊現代』(2006年10月号)に掲載された、元外務省北米局長の吉野文六と鈴木宗男事件で連座した佐藤優の対談に次のような話が出てくる。吉野は西山事件が起きたときの、すなわち沖縄返還があったときの北米局長です。その吉野によると、西山記者によって、沖縄返還にともない、日本が400万ドルの土地の復元費用を肩代わりするという密約が漏れて、それがクローズアップされたけれど、これは政府がアメリカと結んだ密約のごく一部にしか過ぎず、実際には沖縄協定では、その80倍の3億2000万ドルを日本がアメリカ側に支払うという密約があったというのです。このカネは国際法上、日本に支払い義務がない。つまり、沖縄返還の真実とは、日本がアメリカに巨額のカネを払って沖縄を買い取ったに過ぎないということになる。こうした重大な事実が、西山事件によって隠蔽されてしまった。考えようによっては、西山事件は、検察が、佐藤栄作政権の手先となってアメリカとの密約を隠蔽した事件だったとも受けとれるんです。西山事件のようにワイドショー的なスキャンダルをクローズアップして事件の本質を覆い隠す手法を、最近とみに検察は使う。鈴木宗男がいい例でしょう。鈴木がどのような容疑で逮捕されたのか、街を歩く人に聞いてもほとんどがわかっていない。あの北方領土の「ムネオハウス」でやられたのだとみんな、思いこんでいるんですよ。しかし、実は北海道の「やまりん」という企業に関係する斡旋収賄罪。しかも、このカネは、ちゃんと政治資金報告書に記載されているものだった。興味本位のスキャンダルは流しても、事の本質については取り上げようとしないメディアも悪い。いや、大衆迎合のメディアこそ、検察に暴走を許している張本人だといえるかもしれませんね。

 p158〜
 西山事件のようにワイドショー的なスキャンダルをクローズアップして事件の本質を覆い隠す手法を、最近とみに検察は使う。

 p159〜
 興味本位のスキャンダルは流しても、事の本質については取り上げようとしないメディアも悪い。いや、大衆迎合のメディアこそ、検察に暴走を許している張本人だといえるかもしれませんね。

 p164〜 裏金づくりを告発寸前に逮捕された公安部長---田原

 田中さんと同じように検察から付け狙われて不当逮捕された三井環(たまき)の事件に触れたい。大阪高検の公安部長だった三井は捜査情報を得ようとした元ヤクザから飲食や女性の接待を受けたなどとして、2002年に収賄や公務員職権濫用などの罪に問われて、逮捕、起訴された。この事件の背景にあったのが、調査活動費(調活費)と呼ばれる検察の裏金。ある検事正が夫人をともなってゴルフを楽しむなど、検察上層部が調活費を不正に使用していることに義憤を感じた三井が告訴をしようとした矢先の逮捕でしたね。このタイミングから見ても、口封じを狙って逮捕したとしか思えない。調活費は、そもそもは、検察庁が治安維持の目的で過激派などを調査するために設けられた予算だった。その性格上、使途は明らかにできないとし、外部のチェックを受ける必要もないということで検察庁の裏金づくりに使われていた。三井によると、ピーク時の1998年には、6億円近いカネがプールされていたそうですね。ただし、この調活費を使えるのは、検事総長をはじめ、最高検次長検事、各高検の検事長、各地検の検事正ら検察の上層部に限られていた。これを利用して私的に流用していた上層部もたくさんいた。ゴルフに行ったり、クラブで遊んだりですね。この調活費、検事総長や法務大臣はその存在を公式には認めていないけれど、あったに決まっている。
 法相も検事総長も偽証罪---田中

 三井の事件、検察の内部にいた僕らからするとちゃんちゃらおかしい。2000年まではわけのわからん調活費なる裏金は確かにありました。だって、僕自身、上司に頼まれて、調活費を引き出すための領収書をせっせと集めてたんですから。プールされた調活費で、検事正に、僕らもゴルフや料亭に連れていってもらっていた。素直に、「ありがとうございます」ですよ。なのに、法相も検事総長も国会で現在も過去もないような答弁をしているんやからね。偽証罪に問われてもおかしくない。かたや、三井は組織ぐるみでやっていた検察の不正を覆い隠すために、罪人にされてしまったのだから、気の毒ですね。 調活費は、今はなくなったけれど、それに近いものはある。それは、選挙違反を検挙したらもらえる特別報奨金です。殺人や窃盗といった事件は、この管内では1年間にどれだけあると、統計からおおまかに読めるので、年間の予算がつけられるけれど、選挙違反は見通しが立たない。そこで、公職選挙法の捜査に関しては、法務省の予備費のなかから支出されることになっている。だから、選挙違反を検挙すれば、特別報奨金も出るんです。僕らのときは、公判請求で、ひとりにつき5万円だったかな。略式で、罰金なら3万円。起訴猶予で1万円。起訴猶予は、ざっくばらんにいえば、「犯罪になるけど許しますよ」だから、本人が知らない間に被疑者に仕立て上げて、起訴猶予でボンボン落として、予算を分捕ることもできるわけですよ。やり過ぎると、本庁から目をつけられるから、無茶苦茶はやっていなかったけれど、そういう手口も使っていました。これも一種の裏金づくりですよ。もっとも、誤解のないように言っておきたいのは、選挙違反の摘発は儲けたいからやるわけじゃない。日本の選挙は昔から馴れ合いで、カネをやってうんぬんだから、ある程度の選挙違反は摘発して、警鐘を鳴らさなければならないという使命感のほうがもちろん強い。かといって、なんでもかんでも摘発し、やりすぎると、政治に混乱をきたし、かえって国民の不利益につながってしまう。だから、どっかで拾い出さなければならん。選挙違反の摘発は、検察や警察にとっては、ワーッと騒いで警告を発するお祭りみたいなものです。

 「反戦な家づくり」の「東京地検特捜部の『事件の創り方』」を転載する。

 どんな頑丈な家も戦争では瓦礫の山。木の家をつくる建築家が反戦を考えます。平和ボケした頭脳に喝!

 2010-01-30(Sat)

 東京地検特捜部の「事件の創り方」

 皆さんご存じの、田中森一さん「反転」より、東京地検特捜部が、どうやって事件を「創る」のか、簡潔に説明している部分を引用させてもらう。
 平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。それが銀行側の特別背任にすりかわった。本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかったのではないだろうか。

 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。捜査に主観はつきものだが、それが最も顕著に表れるのが、東京地検特捜部である。特捜部では、まず捜査に着手する前に、主要な被疑者や関係者を任意で何回か調べ、部長、副部長、主任が事件の筋書きをつくる。そして、その筋書きを本省である法務省に送る。東京の特捜事件は、そのほとんどが国会の質問事項になるため、本省は事前にその中身を把握しておく必要があるからだ。

 特捜部と法務省のあいだでこのやりとりを経て、初めてその筋書きに基づいて捜査をはじめる。むろんいくら事前に調べても、事件の真相は実際に捜査してみなければわからない。実際に捜査をはじめでみると、思いもしない事実が出てくるものだ。だが、特捜部では、それを許さない。筋書きと実際の捜査の結果が違ってくると、部長、副部長、主任の評価が地に堕ちるからだ。だから、筋書きどおりの捜査をやって事件を組み立てていくのである。最初からタガをはめて、現実の捜査段階でタガと違う事実が出てきても、それを伏せ、タガどおりの事件にしてしまう。平和相銀事件がまさにそれだった。岸組の恐喝という予期せぬ事実が発覚しても、それを無視し、筋書きどおりの平和相銀幹部の特別背任で押しとおした。

 こうして筋書きどおりに事件を組み立てていくためには、かなりの無理も生じる。調書ひとつとるにも、個々の検事が自由に事情聴取できない。筋書きと大幅に異なったり、筋書きを否定するような供述は調書に取れない。調書には、作成段階で副部長や主任の手が入り、実際の供述とは違ったものになることも多い。だから、上司の意図に沿わない調書をつくっても、必ずボツにされる。なにより、まずは筋書きありき。検事たちは尋問する際も、筋書きどおりの供述になるよう、テクニックを弄して誘導していく。

 こんなことは、大阪の特捜部では経験したことがなかった。私も手練手管を弄して、自分の描いた筋書きに被疑者を強引に追い込んでいたが、それはあくまで現場の捜査検事の見立てである。それが違うとなれば、いくらでも軌道修正してきた。東京のように、尋問もしてない上役の検事が、事実関係について手を入れるなどありえない。こうなると、もはや捜査ではない。よく検事調書は作文だといわれるが、こんなことをやっていたら、そう批判されても仕方ないだろう。冤罪をでっち上げることにもなりかねない。だから、私は東京地検特捜部にいても、このシステムには従わなかった。やはり異端児なのかもしれない。
 (引用終わり)

 以上。 解説不要。この本は、タイムリーですね。私も遅まきながら今頃読んでいるわけですが、まだの方はぜひご一読を「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」。









(私論.私見)