大河原宗平警部補の群馬県警の裏金作り告発考 |
(最新見直し2015.08.11日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「大河原宗平警部補の群馬県警の裏金作り告発考」をものしておく。「群馬県警の裏金問題を究明する大河原宗平さんを支える会」を参照する。 2015.08.11日 れんだいこ拝 |
【大河原の生涯履歴】「群馬県警・裏金作りの真相と私の闘い」 | |
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1 私の経歴 私は昭和28年に旧・群馬郡倉渕村に生れました。村の剣道場で修行をし、新聞配達もしながら高校を卒業、両親や剣道の先生の勧めで試験を受けて群馬県警察官になりました。 前橋市元総社町の警察学校で1年間の教育・訓練をうけ、前橋警察署の新前橋交番勤務を命ぜられると同時に、剣道の腕前が認められて県警の剣道特別訓練要員に指名され、剣道選手としても稽古に励みました。 新任警官が実務2年で勤務成績優秀警察官として「特別昇給」を受けたのも良い思い出です。先輩警官から「新任で特別昇給するなんて聞いたことがない」と、うらやましがられたものでした。 新前橋交番の近くにある日本共産党県委員会の事務所の様子を、県警本部の公安警官が交番の2階から望遠鏡で覗き見していて、「公安警察が行う視察監視活動」の実態を知りました。 何度も転勤がありましたが、勤務に励むとともに昇任試験にも挑戦し、採用後4年目の試験に合格。翌年には巡査部長に、さらにその5年後には警部補に昇進しました。 警部補になって事務的な仕事もする中で、「意味のない警察のノルマ主義」や「不正経理の実態」などが目につき、疑問を抱くようになりました。「警部昇任試験」では、「上司から気にいられている特定の者だけに試験問題と解答が流される」ことを知り、「こんな不公平な昇進制度には挑戦したくない。実務で国民に奉仕しよう」と思うようになりました。 ですから、群馬県警をクビになるまでの32年間のうち、巡査5年、巡査部長5年、警部補が22年という経歴になりました。 |
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2 群馬県警の裏金作り 2の① 「架空交通費」 昭和58~62年の4年間、県警本部で要人警護担当係長として勤務しました。 新幹線や特急列車を使う現・元総理大臣級の要人の警護の際、警察官は切符を買わず警察手帳で列車に乗ります。しかし、県警本部は人数を5割増しにして、払いもしないこれらの料金を警察庁に請求するのです。このでたらめな架空請求は、制度として警察庁の了解事項になっていたのです。 捻出した現金は私たち現場の警察官にも階級に応じて分配されたので、はじめは「県警本部は金がたくさんもらえるところだ」と喜びましたが、この金を貰うことに、罪悪感を持つようになりました。 2の② 「架空捜査協力費」 平成6~9年に勤務した県警本部の交通指導課では、暴走族の集団暴走行為の捜査に際して、電話帳に記載されている県民の住所と氏名を勝手に使って「捜査に情報を提供してもらったお礼に現金(5000~20000円)で謝礼した」と、全くでたらめの会計書類を書かされました。 「相手の方はお金だけは受け取ったけど名前を出すのが怖いので領収書の作成を拒否した」という理由付けまでした架空の会計書類も作らされるのです。 このひどいやり方には、どうしても黙っていられず、2度目に書かされたときには、「こんな現金を見たことも使ったこともない。ここに名前を書いた人など全く知らない人だ」などと抗議してしまいました。 この抗議は、すぐにかたきをとられ、県警本部勤務から藤岡警察署の吉井町交番に左遷され、単身赴任という意地悪までされました。 交通指導課ではこうして作った裏金を貰った記憶はありません。私が見聞した事実は、人事異動の際、課長と次席で山分けして持って行くということです。前任者から引き継いだ額だけ残して後任に引継ぎ、ため込んだ裏金はためた幹部が全部私物化して行くのです。 |
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2の③「犯罪者集団としての警察」 現職警察官でありながら自分が勤務する愛媛県警の裏金つくりの実態について記者会見で発表した松山の仙波敏郎さんは、「裏金作りの犯罪行為を日常的に行っているのが警察である」と明言しましたが、私も群馬県警で体験したのです。 警察庁は、何か不祥事があると各都道府県警の責任であるような印象を与える報道をさせていますが、日本の警察は警察庁を頂点にした「ひとつの警察」です。全国の警察で行われているはずです。 現在は、「警察を取り締まれる警察」がありませんので、警察の不正行為をチェックする機能が働きません。日本警察が「犯罪者集団」であることは事実です。 2の④ 検挙率の低下と冤罪の創出 群馬県警で私が体験した「裏金作り」に関連して、愛媛県警の仙波さんは、「警察職員全員がこの裏金作りという犯罪をさせられているので、上ばかり見ている『平目(ひらめ)組織』になっており、その結果、犯罪の検挙率も低下している」といっていますが、私も同感です。 実際に県民の要望を聴くのは現場の警察官ですが、上意下達は徹底していても「下意上達」が出来ない組織です。 埼玉の桶川ストーカー殺人事件や、栃木の集団リンチ殺人事件でも、被害者の親族が警察に「犯罪の被害にあっているから救出してくれ」と頼んでいるのに、警察が組織として動かず、被害者が殺害されているのです。また、冤罪を生む背景にもなっています。 |
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3 私の闘いの経過 私は、群馬県警の不正経理の浄化と若い警察官等の処遇改善などを求めて警察幹部に申し入れを行いました。また、警察と業者の癒着についても問題意識を持ち続けていました。平成15年夏ごろには、高知県警や北海道警での裏金問題の証拠書類がマスコミに持ち込まれ、警察庁は窮地に追い込まれて「危険人物」のリストアップ、口封じ・排除に躍起になっていました。そして、群馬県警での危険人物は、私でした。群馬県警は私に対する尾行・行動監視を行うようになり、DV被害から逃れ隠れ住んでいた知人女性の安全確認のために私が行っていた見守り行為を「不倫」とでっち上げました。 3の① 「不倫」や「命令違反」をでっち上げ しかし「不倫」では重い懲戒処分を科せられないので、「自宅に帰らず自宅以外の場所に住んでいる」、「県警本部の呼び出しに応じず勤務命令に違反した」という全くのでたらめをでっち上げて、私に恥をかかせて組織に居られなくして自主退職するように試みたのです。そんな中で平成15年11月23日、テレビ朝日が「北海道警のでたらめ裏金事件」を大々的に放映しました。私は、「日本警察の裏金を正すのは今だ」と考えて、テレビ朝日に取材するよう申し入れました。 3の② 懲戒、配転処分 私を尾行・監視している群馬県警は当然この私の動きを察知して、2日後の11月25日に急きょ「減給100分の10、3か月」という懲戒処分を行い、その3日後の11月28日付で太田警察署(兼ねて大泉警察署)に転勤命令を出したのです。たった一人の見せしめ人事異動です。県警の説明は「太田にイオンショッピングモールが開店し治安が悪くなるので警部補を増強配置した」というものでした。警察学校の教官まで勤めた経験のある警部補の私を、実務経験未熟な巡査と差し替えで配置したのです。(そんなに重視して私を配置した「特別警邏(とくべつ・けいら)班」というパトカーによるパトロール隊は、私を免職にした2週間後には解体して無くなったのです。掃き捨てられたのと同じ扱いの人事異動でした)。 3の③ 服審査請求で闘い開始 私は、この減給処分は事実無根で不服であるとして、群馬県人事委員会に審査請求を申し立てました。 群馬県警は「不服申し立てをするなどとんでもない奴だ」と考えたのでしょう。私に対する尾行監視を続けました。そこで私は、自動車での通行を監視する「N-システム(自動車のナンバー自動読み取り装置)」による監視を阻止しようと考え、借りて使っていた自動車の前部ナンバーにナンバーのコピーを挟んで乗りました。 3の④ ついに懲戒免職 県警は、このことを「偽造ナンバーの使用」にあたるとして、自動車の差押という通常ありえない手法で、捜査員10名配置という異常な強制捜査を行いました。そして「警官に体当たりをしてけがをさせた」という事件をでっち上げ、私を懲戒免職にしました。私は、「偽造ナンバー事件と公務執行妨害」で約30日間拘置されました。釈放後、懲戒免職の取り消しを求めて、ふたつ目の審査請求を県人事委員会に申し立てました。その後、弁護団が付いてくれて約4年半、県人事委は平成20年6月「減給は戒告に変更するが、免職は維持する」と、懲戒免職処分を取消さない裁決を出しましたが、「不倫及び体当たりの公務執行妨害はなかった」と認定しました。昭和20年代に人事委員会制度が始まって以来、審査請求で懲戒処分の変更が認められたのは私に対する処分の変更が初めてだったのだそうです。委員の任命権者が県知事なのですから。私は、裁決を不服として平成20年10月、前橋地裁に懲戒免職の取消しを求めて提訴し、いまヤマ場を迎えています。 〔注〕 「裁判・その1 ~損害賠償請求裁判~」 実は、それより前に、不当逮捕や事実と違うマスコミ発表等で「精神的苦痛を受けた」として損害賠償請求裁判も起こしてあります。この裁判は途中から「公務執行妨害の捜査書類を提出せよ」という請求に発展し、前橋地裁はほとんどの書類の提出要求を認めたのですが、捜査書類を保管している検察庁(被告・国)が高裁に異議申し立てし、高裁は異議を認め、最高裁も「提出しなくてもいい」と私の訴えを認めませんでした。 現在、「懲戒免職取消請求裁判」と並行して進められています。 「裁判・その2 ~債務不存在確認裁判~」 でっち上げ公務執行妨害で、私から体当たりされ怪我をしたとした警視が「医者で治療を受けて診断書を作ってもらった」と、地方公務員災害補償基金群馬県支部に「公務災害の認定請求」を行い、同支部は私が加害者だからこの「治療費など7240円を支払いなさい」と私に請求してきました。私は「怪我などさせていないから支払わない」と主張して前橋地方裁判所に「債務不存在確認裁判」を起こしていました。これに対して同支部は、私に債務があるとして「反訴裁判」を起こし、これも上記「損害賠償請求裁判」等と並行して進行していました。ところが09年7月23日、同支部は理由も告げずに「裁判の取り下げ」を申請したのです。なんとも不可解ですが、県人事委が公務執行妨害の事実を認定しなかったので公務災害補償基金も「県警の請求がウソだった。これ以上県警のウソに巻き込まれたくない」と考えたのだと思います。 3の⑤ 裁判の進行の様子 前橋地裁は「人事委に提出された証拠を整理して出してください。その後は必要な証人調べをしましょう」ということで、「懲戒免職取消請求裁判」は証人尋問に入りました。昨年(09年)10月には原告の私と私から公務執行妨害を受けて怪我をして私を逮捕したと主張している県警の伊藤孝順警視(現・運転免許課長)を尋問しました。11月には被告・国(検察庁)から私に対して尋問し、その後は私を逮捕した警部と取調べを担当した警視を尋問しました。今年(10年)2月5日には、私を公務執行妨害で現行犯逮捕し懲戒免職にした阿部清警視正(当時)を証人尋問しました。 2010年4月26日(月)午後1時30分からの法廷では、公務執行妨害を起訴猶予(不起訴)にした当時の検察官が証言台に立ちます。傍聴券は0時50分から先着順に配布されます。裁判終了後は群馬弁護士会館で弁護団から裁判経過等の報告もあります。 |
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4 懲戒免職後の活動 職を奪われたので生活に大変困っています。昨年(2009年)4月から理解ある方のおかげで、福祉施設でアルバイトをしています。また、街中の放置自転車の返還運動に取り組んでいます。警察に届け、持ち主が見付からないで返還されると、修理して「ぐんま派遣村」に提供するなどして喜ばれています。群馬県自治体一般労働組合の組合員になり、県労会議の支援を受けて、このぐんま住民と自治研究所の例会にもお呼びいただくことになりました。「大河原宗平さんを支える会」ができ、ホームページも立ち上げてくださり、匿名での意見も書き込めるようになりました。警察が興味を持って見ているようです。11月には「大河原宗平を支える9条(窮状)の会」が、群馬で105番目の「9条の会」として仲間入りしました。今後とも私の裁判の応援とともに、警察の裏金作りを根絶させるための監視活動と、冤罪をなくすための活動で、民主警察を育てていただきたく、よろしくお願いいたします。以 上 |
【訴訟日程についてのお知らせ】「群馬県警・裏金作りの真相と私の闘い」 | ||
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【「大河原宗平さんを支える会」会則】 | ||
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【まだまだ、これからも闘います】(平成25年12月5日更新) | ||||
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(私論.私見)