地検特捜部改革考

 (最新見直し2010.01.11日)

 (れんだいこのショートメッセージ)


 2011.7.8日、最高検は、証拠改竄(かいざん)事件など一連の検察不祥事から10カ月、検察改革の一環として、東京、大阪、名古屋の3地検にある特捜部の体制を見直すと発表した。今後は独自事件を捜査する人数を減らし、国税当局、証券取引等監視委員会、警察など関係機関からの告発・送検事件への体制を拡充する。これまでの捜査のあり方を問い直す大きな転換点となった。笠間治雄検事総長は、「傲慢(ごうまん)な考えをなくしたい。政治家を捕まえるためだけの部ではない」と再生にあたる決意を語った。

 検察の組織運営改革では、最高検に8日付で、違法行為や運営上の問題を監察・調査する「監察指導部」▽「金融証券」「国際」「法科学」などの6分野の専門知識を集約、活用する「分野別専門委員会」▽組織運営について外部有識者に報告、助言を得る「参与会」−を新設した。「検察の在り方検討会議」の提言を受け江田五月法相が4月、3カ月以内の検察改革の方針取りまとめを指示していた。

 7.9日、東京地検特捜部に約15年間在籍し、数々の政界事件を手掛けた笠間治雄検事総長の指揮のもとで進められてきた検察改革の概要が明らかになった。笠間検事総長は記者会見で特捜部改革の真意をこう語った。「『独自捜査をしてこその特捜部』との考えには弊害があり、改めたい」、「軸足を財政事件に移すことでそういう傲慢な考えをなくしたい」、「政治家を捕まえるためだけの部ではない」、「国税など関係機関との協力で検事の専門性も向上させ、日本国トータルでよい捜査をやっていきたい」、「証拠があり、処罰価値がある事件を積み重ねれば、社会の励ましに支えられ強くなっていくだろう」。取り調べの録音・録画(可視化)やチェック機能強化に加えて、独自捜査優先主義からの“脱却”が示された。

 東京地検では10月をめどに、独自事件を担当する「特殊直告班」を現在の2班体制から1班に縮小し、他機関からの告発事件を担当する「財政経済班」を、現在の1班から、東京国税局担当とその他機関担当の2班とする。現在は主に刑事部が送検を受けている警視庁捜査2課事件も特捜部が担当。大阪、名古屋両地検も財政経済担当検事を増やす方針。特捜部の正式名称「特別捜査部」の変更も検討されたが、「組織の中身にふさわしい名が見当たらない」として見送った。「最強の捜査機関」と称揚され、大型事件摘発の輝かしい歴史を誇る特捜部は、郵便不正事件をめぐる厚労省元局長の無罪確定や大阪地検特捜部の証拠改竄(かいざん)・隠蔽(いんぺい)事件を経て、大ナタを振り下ろすことになった。

 小沢一郎民主党元代表の政治資金規正法違反事件が、法務・検察首脳人事を直撃している。9月26日に小沢氏の元秘書3人の判決が出るが、その前の人事異動の意味が憶測を呼んでいる。

 8.1日、岩村氏とともに小沢捜査を推し進めた大鶴基成最高検公判部長が定年まで7年近く残して退官した。東京地検特捜部長などの要職を歴任した幹部がこれだけ早く退官するのは異例のこと。退官後は弁護士を開業するという。

 8.11日、法務省は、笠間治雄検事総長に次ぐナンバー2の東京高検検事長に小津博司最高検次長検事を据えた。これにより小津氏の次期検事総長就任が確実になり、検事総長候補として将来を嘱望されていた岩村修二仙台高検検事長が名古屋高検検事長に就任、検事総長レースから完全に脱落した。岩村氏は東京地検検事正として小沢氏の政治資金規正法違反事件捜査を指揮した人物。捜査の過程で“小沢氏起訴は可能”との誤った見通しを当時の検察首脳陣に伝えたとされ責任が問われている。或る検察OBの言は次の通り。「岩村氏は東京地検検事正から仙台高検検事長に異動になったが、大林宏前検事総長から毛嫌いされていた。仙台高検検事長になった時点で検事総長の目はなくなっていた」。但し、次期検事総長が確実になった小津氏は以前、札幌高検検事長だったが、小津氏の札幌高検検事長への異動も“小沢氏がらみ”とささやかれていた。「陸山会事件の前の西松建設事件で小沢氏の元秘書が逮捕された。この当時、小津氏は法務省事務次官。小沢氏ら民主党幹部は激しい法務・検察批判を繰り返し、法務省人事への介入が取り沙汰された。政界は検察人事には介入できない。そこで法務・検察は、政界が人事でちょっかいを出せないよう、念のために小津氏を法務省から札幌高検検事長に異動させたと噂されている」(司法関係者)。

 東京地検特捜部長として小沢捜査の陣頭指揮を執った佐久間達哉大津地検検事正も法務総合研究所国連研修協力部長に異動。検察の現場から外れた。





(私論.私見)