1986年4月8日、岡田有希子が所属事務所7階から死のダイブ!!の飛び降り変死事件。「7階で福田専務等と話をしたあと そこの窓を開けて飛び降りた」。「毒蛇山荘日記」は「石原軍団が、岡田有希子を殺した????」なんて話が載っている。
かつて岡田有希子というアイドル歌手がいたことをご存知だろう。その岡田有希子が、四谷あたりの会社の事務所の屋上から飛び降り自殺した話も、知らない人はいないだろう。僕は、別に好みのタイプでもなかったので、このアイドル歌手にそれほど関心はなかったが、それでもこの飛び降り自殺事件のことはよく覚えている。アイドル歌手が突然、ビルの屋上から飛び降り自殺し、しかも脳が飛び出した写真まで公開され、さらにその上、妊娠していたという事実まで公表されたのだから、当然、その自殺の理由と原因が話題になるだろう。岡田有希子の場合も、飛び降り自殺の原因と理由が面白おかしく取り沙汰されたと記憶している。そこで岡田有希子を妊娠させた上に飛び降り自殺にまで追い込んだ「犯人」として登場してきたのが、「峰岸徹(隆之介)」という、あまりパッとしない凡庸な中年タレントだった。芸能界情報に無知な僕なぞは、「ああ、そんだったのか」と思っただけで、それ以後のことは忘れたのだが、実は、この「峰岸徹(隆之介)犯人説」というのが、実は、僕はつい最近知ったのだが、某ブロや芸能ジャーナリズムなどの「暗黙の合意」によって言論統制された「ヤラセ情報」だったらしいのた。つまり、「峰岸徹」は、岡田有希子の愛人でも相談相手でもなんでもなくて、ただ単に「本当の犯人」を隠し、擁護するために仕組まれた「当て馬」だったらしいのである。では、本当の犯人は、つまり岡田有希子と交際し、妊娠までさせた男は、誰だったのか、というと、それがなんと、石原プロの人気俳優・神田某だったらしいのである。ちなみに、岡田有希子が飛び降り自殺した日は、岡田有希子とは同じ事務所の先輩歌手であった松田聖子が「妊娠記者会見の日」だったらしい。むろん、松田聖子は、その頃、神田某と結婚したばかりであった。松田聖子の「妊娠」の相手が神田某であることは自明である。これで、岡田有希子の飛び降り自殺にまつわる多くの謎が解けてくるはずだ。ここで、僕が問題にしたいのは、「誰が岡田有希子を殺したか?」というようなレベルの「犯人探し」の問題ではない。問題は、こういう「裏情報」が、多くの関係者たちが知っていた(?)にもかかわらず、何らかの「圧力」によって未公表のまま握りつぶされ、情報統制・情報管理がされてしまったという事実の方である。「石原プロ」が、当時、どれだけの力を持っていたかは、僕にはわからない。ただ、政財界にもつながる、かなり強力な人脈と政治力を持っていたことは疑いない。ちなみに、神田某が岡田有希子と別れて松田聖子と結婚したのにも、裏情報があるらしい。それによると、松田聖子は最初は石原裕次郎の愛人だったが、何らかの理由で別れることになり、その結果、神田某が松田聖子の結婚相手に選ばれたというわけである。そしてその当然の結果として、神田某も、妊娠までさせていたにもかかわらず、交際していた岡田有希子と別れざるを得なかったというわけだろう。そして岡田有希子は…。何処までが真実で、何処からがガセネタなのか、僕には判定できないが、いかにもありそうな話だ。単なる都市伝説の一つではなかろう。それにしても、「岡田有希子飛び降り自殺事件」の背後に、こんな暗い秘密が隠されていたなんて、やはり「事実は小説より奇なり」である。 |
何年かあとに彼女のマネージャーだった溝口伸郎氏(酒井法子のマネージャーでもあった)が社内のトイレで首吊り自殺した。次のように語られている。
re_viunさん 2009/8/913:51:06 本当です。83年8月25日、上京して来た有希子さんを東京駅で出向いたのが溝口伸郎マネージャーと彼女の初めての出会いでした。有希子さんが亡くなった後で彼女への思いを語っています。キラキラ目を輝かせて挨拶する有希子を見て、この子はやれそうだな。私は直感しました。長い間マネージャーをやっていると目で分かるんです。その子がスターになれるかなれないか。彼女の目は私も担当した事がある松田聖子の目の輝きと同じものでした。実際、彼女は他の子の5倍は努力して頑張りました。勿論、彼女は優れた資質を持っていましたが、聖子のように無理をせずとも、その資質が光り輝くタイプとは違うんです。彼女は努力に努力を重ねて光り輝くタイプで聖子が天才型とすれば、有希子は努力型と言っても良いのかもしれません。有希子は負けず嫌いで完璧主義な子でした。物事への集中力は驚くほど凄いものでした。ドラマの台本を読み始めると、その事に没頭して何度も声を掛けても全然気づかない事が良くありました。また自分自身に大変厳しい子でしたから、マネジャーとしては全く手の掛からない楽な子でした。でも時折、そんな有希子を見ていて危ないな。とフッと不安を感じる事もありました。人間は皆、どこかで妥協している。息を抜くというかズルけるというか。それに現実の世の中は、そういった所がないとやって行けない所もある。汚い部分も何とか飲み込んで消化して行かなくてはいけない。彼女にはそれが出来なかったのです。そうするには完璧主義者で、あまりに純粋で潔癖過ぎたんです。そんな危うさを私は彼女に感じていたような気がします。そして、こんな形で、それが現実のものになってしまった・・・。事件の核心に触れるような事は彼女は一切、私にも話してくれなかった。誰に対しても彼女は自分をさらけ出すという事が出来なかった。そんな子がいきなり芸能界に飛び込んで、その上、大人の恋の中に身をおき結局、自分をどう位置付けて良いのか判らなくなってしまったのでしょう。彼女の純粋さ、それ故に物事を突き詰めていった末に起こった。そんな気がします。私がもう一歩、彼女の心の中に踏み込んで彼女の心を開いてやっていたら事故を防げたのではないのかと悔やまれてなりません。有希子が亡くなって、どうしようもなく落ち込んでいた時に励ましてくれたのが桜田淳子と有希子が可愛いがっていた後輩の法子だった。その後、法子を担当するようになり何か運命的なものを感じた。有希子さんの分まで酒井法子さんに全力を注いだ溝口マネージャーも、86年4月8日有希子さんが自殺未遂を図り病院での治療後、事務所に連れて来られて、彼女が最後に立ち寄った5階トイレ内で長年、患っていた持病の糖尿病を苦に首吊り自殺を図りました。平成14年7月8日(享年54) |