「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」考

 更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5).5.23日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」を確認しておく。

 2006.9.22日 れんだいこ拝


【ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件 】
 2012.6.27日午後、消費税増税法案に賛成した民主党の岸本周平ら当選1回の議員11名が、造反した小沢系57名の厳正処分を求めて首相官邸を訪問し「厳正な処分をお願いしたい」と首相に申し入れた。岸本周平とは、米留学組でカーティスの弟子とされている元大蔵官僚の議員である。財務省の勝栄二郎らと連携している。ここで、岸本周平とは何者か、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」を再確認しておく。

 1998(平成10).2月、かって銀行のMOF担とよばれる行員が旧大蔵官僚の接待にノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」(東京都新宿の歌舞伎町)を使っていたことがマスメディアに暴露され、話題となった。楼蘭では、大蔵・通産等各省は言うに及ばず、日銀、羽田や首都高等の公団、国民金融公庫まで事務次官・総裁・理事長クラスが顧客になっていた。楼蘭はその後、東京地検特捜部の家宅捜索を受けている。事件発覚後、その官僚の一人・山口剛彦 (厚生次官)が不可解な自殺を遂げている。これを仮に「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」と命名する。

 「ノーパンしゃぶしゃぶ」とは、女性店員がノーパンで接待してくれるしゃぶしゃぶ料理店のことを云う。多くの店では床を鏡張りにして、覗きやすいようにしていたともいい、高いところにアルコール類を置くことで、女性店員がそれらを取ろうとして立ち上がることで覗きやすくしていたともいう。また女性店員の上半身もスケスケの衣装やトップレスにしているケースが多いという。起源はノーパン喫茶にあると見られ、他にもノーパン焼肉などがある。なぜ通常の風俗店でなく、こういう店を利用したかは、飲食費として領収書が落とせるというのが理由としてあげられる、とある。

 「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭 顧客名簿(平成10年2月26日)」、「探偵ファイルのノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭の厚生労働省系リスト」がサイトアップされている。次のように前口上されている。
 「話題の ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭の顧客名簿を入手しましたので掲載いたします。楼蘭では昭和62年から昨年末までの12年間、政界、財界、官界、等々、多方面の顧客1万人以上の名簿を FDに保存しております。その顧客名簿の中から官界の一部をプリントアウトしたものが当方に送られてきましたので、そのまま掲載いたします」。

 これを転載しておく。これは、日本の官僚の売国奴派の一覧表としての意味を持ちそうである。後日の証として確認しておく。れんだいこ流儀で編成替えした。問題は、この売国奴派官僚どもが事件後も登用され続けていることにある。これを思えば、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭出入り事件」により明るみにされた本リストの重要性が増すだろう。俗に云う「現場が押えられた」ことになろう。

 2012.6.29日再編集 れんだいこ拝
● 日銀
   福井 俊彦 (日銀副総裁。事件後、日銀副総裁を辞めた後、平成11年に富士通総研理事長に就任。2003年、小泉内閣時に日本銀行総裁に就任)
永島 旭 (理事)
本間 忠世 (理事)
米澤 潤一 (理事)
● 大蔵省
   橋口  収 (大蔵元次官)
長岡  寛 (大蔵元次官)
保田  博 (大蔵元次官)
西垣  昭 (大蔵元次官)
松尾 直良 (元関税局長)
吉田 正輝 (元銀行局長)
● 厚生省
   山口 剛彦 (厚生次官、事件発覚後死亡)
近藤 純五郎(厚生官房長)
田中 泰弘 (厚生総務審議官)
伊藤 雅治 (審議官)
谷  修一 (健康政策局長)
小島 比登志(総務課長)
小林 秀資 (保健医療局長)
木村 政之 (企画課長)
小野 昭雄 (生活衛生局長)
羽入 直方 (企画課長)
宮島 俊彦 (指導課長)
中西 明典 (医薬安全局長)
吉武 民樹 (企画課長)
鶴田 康則 (審査管理課長)
安倍 道治 (安全対策課長)
間杉  純 (監視指導課長)
羽毛田 信吾(老保福祉局長)
水田 邦雄 (企画課長)
青柳 親房 (老人福祉計画課長)。
江口 隆裕 (老人福祉振興課長)
横田 吉男 (児童家庭局長)
伍藤 忠春 (企画課長)
渡辺 芳樹 (家庭福祉課長)
畠山  博 (育成環境課長)
小林 和弘 (保育課長)
小田 清一 (母子保健課長)
外口  崇 (血液対策課長)
山本  章 (麻薬課長)
高木 俊明 (保険局長)
中村 秀一 (企画課長)
霜鳥 一彦 (保険課長)
矢野 朝水 (年金局長)
紺矢 寛朗 (企画課長)
大谷 泰夫 (年金課長)
高橋 直人 (企業国民年金基金課長)
塩田 幸雄 (資金管理課長)
皆川 尚史 (運用指導課長)。
● 農林水産省
   高橋 政行 (事務次官)
東  久雄 (審議官)
堤  秀隆 (官房長)
石原  葵 (総務審議官)
鈴木 信毅 (技術総括審議官)
加藤  孝 (審議官)
小畑 勝裕 (審議官)
小高 良彦 (審議官)
竹中 美晴 (審議官)
西藤 久三 (審議官)
田原 文夫 (企画課長)
上谷 敏博 (情報化対策室長)
城  知晴 (秘書課長)
関川 和孝 (総務課長)
須賀田 菊仁(文書課長)
熊澤 英昭 (経済局長)
林  正徳 (総務課長)。

佐藤 正明 (調整課長)
白須 敏朗 (金融課長)
宮本 昌二 (国際部長)
山本  徹 (構造改善局長)
岡本 芳郎 (次長)
川村 秀三郎(総務課長)
小林 新一 (農政部長)
石原 一郎 (農政課長)
高木  賢 (農産園芸局長)
高橋 徳一 (総務課長)
皆川 芳嗣 (企画課長)
坂野 雅敏 (農産課長)
中須 勇雄 (畜産局長)
梅津 準士 (畜産課長)
本田 浩次 (食品流通局長)
田中  誠 (総務課長)
上原 勝美 (企画課長)。
● 食糧庁
   高木 勇樹 (長官)
川口 将志 (次長)
樋口 久俊 (総務部長)
米田  実 (総務課長)。
● 通産省
   渡辺  修 (事務次官)
中川 勝弘 (審議官)
村田 成二 (官房長)
中島 邦雄 (総括審議官)
今井 康夫 (審議官)
北村 俊昭 (秘書課長)
前野 陽一 (参事官)
北畑 隆生 (総務課長)
原山 保人 (参事官)
増田  優 (参事官)
松島  茂 (企画室長)
伊佐山 建志(通商政策局長)
佐野 忠克 (通商政策局次長)
柴田 治呂 (審議官)
大慈弥 隆人(審議官)
藤岡  誠 (審議官)
田中 伸男 (総務課長)
小川 恒弘 (通商企画官)
大木 勝雄 (通商渉外調整官)
鹿島 幾三郎(国際経済部長)
石毛 博行 (国際経済課長)
日下 一正 (経済協力部長)
鈴木 善統 (経済協力課長)
今野 秀洋 (貿易局長)
北爪 由紀夫(貿易局審議官)
安達 俊雄 (貿易局審議官)
青木 宏道 (総務課長)
松倉 孝男 (管理審査官)。

星  政志 (貿易為替検査)
新木 雅之 (農水産室長)
守谷  治 (貿易調査課長)
桑山 信也 (輸出課長)
江崎  格 (産業政策局長)
杉山 秀二 (審議官)
望月 晴文 (総務課長)
鈴木 英夫 (知的財産政策審議官)
中村 雅弘 (管理審査官)
斉藤  浩 (民間活力推進室長)
板東 一彦 (知的財産政策企画室長)
並木  徹 (環境立地局長)
岡本  巌 (審議官)
石海 行雄 (審議官)
作田 頴治 (基礎産業局長)
入野 睦則 (審議官)
林 由紀夫 (総務課長)
広瀬 勝貞 (機械情報産業局長)
河野 博文 (機械情報産業局次長)
水谷 四郎 (生活産業局長)
土屋  博 (審議官)
吉海 正憲 (総務課長)
中村  薫 (工業技術院総務部長)
稲川 泰弘 (資源エネルギー庁長官)
太田 信一郎(資源エネルギー庁次長)
林  康夫 (中小企業庁長官)
中村 利雄 (中小企業庁次長)。
● 運輸省
   黒野 匡彦 (事務次官)
戸矢 博道 (審議官)
梅崎  壽 (官房長)
和田 敬司 (総務審議官)
土井 勝二 (運輸政策局長)
辻  道明 (運輸政策局次長)
小幡 正人 (鉄道局長)
縄野 克彦 (鉄道局次長)
荒井 正吾 (自動車交通局長)
金澤  悟 (総務課長)。

岩崎 貞二 (企画課長)
梶原 景博 (旅客課長)
桝野 龍二 (貨物課長)
大野 裕夫 (保障課長)
岩村  敬 (海上交通局長)
柴田 耕介 (総務課長)
山本  孝 (海上技術安全局長)
楠木 行雄 (航空局長)
羽生 次郎 (航空局次長)。
● 郵政省
   五十嵐 三津雄(事務次官)
楠田 修司 (審議官)
天野 定功 (官房長)
濱田 弘二 (総務審議官)
長谷川 憲正(郵務局長)
池田  仁 (郵務局次長)
安岡 裕幸 (貯金局長)。

松井  浩 (貯金局次長)
金澤  薫 (簡易保険局長)
中山 治英 (簡易保険局次長)
木村  強 (通信政策局長)
谷  公士 (電気通信局長)
品川 萬里 (放送行政局長)。
● 労働省
   野寺 康幸 (総務審議官)
渡邊  信 (官房長)。
● 建設省
   伴  襄  (事務次官)
小野 邦久 (官房長)
小鷲  茂 (総務審議官)
橋本 万里 (総括監察官)
三沢  真 (審議官)
山本 繁太郎(文書課長)
五十嵐 健之(建設経済局長)
澤井 英一 (審議官)
風岡 典之 (審議官)
山中  敦 (技術調査官)
関川 紳一郎(総務課長)
木下 博夫 (都市局長)
倉林 公夫 (審議官)。

伊藤 英昌 (審議官)
尾田 栄章 (河川局長)
吉井 一弥 (河川局次長)
平口  洋 (総務課長)
阿部  健 (水政課長)
佐藤 信彦 (道路局長)
板倉 英則 (道路局次長)
松井 邦彦 (道路公団、本四連絡道監)
峰久 幸義 (道路総務課長)
小川 忠男 (住宅局長)
那珂  正 (審議官)
亀本 和彦 (監理官)
小神 正志 (総務課長)
● 水資源開発公団
   近藤  徹 (総裁)
安橋 隆雄 (副総裁)
● 地域振興整備公団
   工藤 敦夫 (総裁)
柳   晃 (副総裁)。
● 森林開発公団
   塚本 隆久 (理事長)
● 石油公団
   小松 國男 (総裁)
公文  宏 (副総裁)
● 新東京国際空港公団
   中村  徹 (総裁)
佐々木 建成(副総裁)
永井 隆男 (理事)
皆合 達夫 (理事)

大山 克巳 (理事)
高橋 四郎 (理事)
小坂 英治 (理事)
● 首都高速道路公団
   三谷  浩 (理事長)
岡本 堯生 (副理事長)
● その他
   黒木 武弘 (福祉医療事業団理事長)
森  仁美 (年金福祉事業団)
木下 博生 (中小企業事業団理事長)
白井  太 (簡易保険福祉事業団)
尾崎  護 (国民金融公庫総裁)
安部  彪 (国民金融公庫副総裁)
坂本 龍彦 (環境衛生金融公庫理事長)
柳澤 健一郎(環境衛生金融公庫理事)
鶴岡 俊彦 (農林漁業金融公庫総裁)
藤原 和人 (農林漁業金融公庫副総裁)

角谷 正彦 (中小企業金融公庫総裁)
角南  立 (中小企業金融公庫副総裁)
望月 薫雄 (住宅金融公庫総裁)
伊藤 博之 (住宅金融公庫副総裁)
児玉 幸治 (商工中金理事長)
茶谷  滋 (元厚生省)

Re::れんだいこのカンテラ時評634 れんだいこ 2009/12/16
 【羽毛田・宮内庁長官発言考】

 思わぬところから「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」を思い出すことになった。2009.12.14日、中国の習近平国家副主席が来日し、翌12.15日、皇居で天皇陛下と会見したが、これに先立つ12.12日、羽毛田信吾・宮内庁長官が、天皇陛下と中国の習近平(シー・チンピン)国家副主席の会見が決まった経緯に関して記者会見を開き、次のような異例のコメントを発表した。

「今回、外務省を通じて内々に宮内庁の窓口に打診をされてきたのは1カ月を切った段階でしたから、ルールに照らしお断りをした。その後、官房長官から、ルールは理解するが日中関係の重要性にかんがみてぜひお願いするという要請があり、私としては、政治的に重要な国だとかにかかわらずやってきたのだからぜひルールを尊重していただきたいと申し上げました。その後、再度、官房長官から、総理の指示を受けての要請という前提でお話がありました。そうなると、宮内庁も内閣の一翼をしめる政府機関である以上、総理の補佐役である官房長官の指示には従うべき立場。大変異例なことではありますが陛下にお願いした。が、こういったことは二度とあってほしくないというのが私の切なる願いです」。

 このコメント後、自民党の「天皇の政治利用批判」が相次ぎ、これに唱和する形で鳩山首相と小沢民主党幹事長辞任批判が巻き起こった。例によって読売が音頭を取っている。「宮内庁には羽毛田の発言について1千件の電話やメールが届き、多数が羽毛田の発言を支持するものであった。逆に民主党に対しては批判が殺到した」とある。

 12.14日、安倍元首相は、天皇陛下が中国の習近平国家副主席と特例で会見されることについて次のように批判した。去る日、やんちゃな坊っちゃん元首相は、ブザマナ引き際をしたことを棚に上げて、すっかり元気を回復しているように見える。意訳概要「今からでも遅くないから、陛下との会見は中国側に取り下げてもらうよう要請すべきだ。民主党の小沢一郎幹事長、鳩山由紀夫首相が国益ではなく自分たちのために天皇陛下を政治利用したと断じざるを得ない。強い憤りを感じる」。

 12.14日、これに対し、民主党の小沢幹事長が、語気鋭く次のように反論した。まま正論であろう。   意訳概要「『1ケ月前ルール』なるものは2005年以来のものであり、法律で決まっているものではない。そもそも天皇の国事行為、公的行為は内閣の助言と承認によるべきと憲法上明記されており、こたびの習・中国国家副主席と天皇の会見セツトはこれに当たる。天皇の公的行為を内閣がコントロールするのは日本国憲法の基本精神であり、これまでも同様の内閣判断により天皇のお出ましを願ってきた。こたびの宮内庁判断が内閣の判断に優越するかのようにふるまう羽毛田宮内庁長官発言は日本国憲法の基本精神を逸脱するものであり、私には信じられないほど日本国憲法、民主主義というものを理解していない発言である。内閣の一部局の一役人は内閣の方針、内閣の決定を順守する責務を負うところ、記者会見してくちばしを挟むのは越権であり、日本国憲法の精神、理念を理解していない。否民主主義そのものを理解していない。宮内庁の長官ともあろう者がかくなる発言をする以上、その重大性に鑑みれば辞表を出してから言うべきである。これが筋というものである。マスコミ諸君がこういうところを踏まえずに、役人の言う通りの発言を追従報道するのは同様に憲法に対する読解不足を示している。もし天皇陛下のお体がすぐれない、体調がすぐれないというのならば、それよりも優位性の低い行事をお休みになれば良い。羽毛田宮内庁長官発言に理があるかの如く云う諸君の理解はまったくオカシイ。内閣の助言と承認に基づく天皇陛下の国事行為を政治利用だと批判するのなら、この原則を否定するのであれば、天皇は内閣に助言も承認も求めないで単独で国事行為を行うことを良しとすることになる。それこそオカシイ」。

 続いて、前原国交相が15日の記者会見で、天皇陛下と中国の習近平国家副主席の会見が特例的に実現したことについて次のようにコメントし、自民党の天皇の政治利用批判を牽制した。意訳概要「この話は元々元首相から話があったと聞いている。元首相の要請が官邸に届いたのであって、われわれがルールを曲げたわけではないと聞いている」。

 前原国交相の伝聞が確かなものとすると、自民党のこたびの批判は何をかいわんやということになる。投げたブーメランが手前のところに戻って頭に当たっていることになる。この騒動を、れんだいこなりにもう少し愚考したい。

 羽毛田長官のいう「天皇陛下への面会を希望する際は、1カ月前に文書で申し込むという慣例」が不可侵的なものなら一応の筋は通っている。ところが、この「1カ月前慣例」について、「この慣例は戦後から続くものではない。2004年以降のものであり、それも、2005.1月にタイの上院議長が訪日した際も、申し込みが1日遅れたにもかかわらず、同国は直前のインド洋大津波で被災していたため『やむをえない』と政府が判断し、天皇陛下は慣例を破って会見を行っている事例がある」ことが判明している。

 こうなると、問題は、この筋論が、「民主党の天皇の政治的利用批判」をぶちあげながら、羽毛田発言そのものが極めて政治主義的な発言であることになる。既に「羽毛田長官こそ政治利用しているのではないか」という逆批判が生まれているが、実にその気配が強い。問題は、羽毛田発言が、どういう筋の差し金により為されたかにある。羽毛田発言は、宮内庁を代表しての義憤的な「民主党の天皇の政治的利用批判」である訳がない。これを思うべきだろう。

 ここで、羽毛田宮内庁長官と「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」の絡みが出てくる。この事件を持ち出すのは、単に羽毛田の品性劣悪を再確認する為ではない。事件の持つ深い政治的意味を再確認せんが為である。同事件は、1998(平成10).2月頃、発覚し、官僚腐敗の極致事件として注目されたが、それは表層的な受け止めようでしかなく、この事件の持つ真相は、当時に於けるシオニスタン官僚の炙り出しにこそ意味があるのではなかろうか。今日、ここに参画した官僚名簿は「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭 顧客名簿(平成10年2月26日)」で公開されているが、楼蘭に参集した官僚群こそ「手前の立身出世の為にシオニスタン官僚として売国奴的に身売りした連中」なのではなかろうか。かく位置付けることによって、名簿の重要性が浮き上がってくることになる。

 シオニスタン官僚はそれ故に、武家時代なら切腹申しつけられるべきところ、意外や意外逆に「約束通りの立身出世街道」へ向かっている。これが、今日的官僚腐敗の真の原因であり温床となっているのではなかろうか。その典型が、事件当時の日銀副総裁・福井俊彦であり、事件後、日銀副総裁を辞めた後、翌1999(平成11)年に富士通総研理事長に就任。2003(平成15)年、小泉内閣時に日本銀行総裁に就任している。この期間中に大枚の日銀資金をブッシュの戦争政策に注ぎ込んだのは衆知の通りである。羽毛田宮内庁長官の例も然りで、事件当時は老保福祉局長であったが、事件後と思われるが厚生省保険局長に転じ、1999(平成11)年、何と厚生事務次官に上り詰め、2001(平成13)年、宮内庁次長、2005(平成17)年、宮内庁長官に就任している。この二例しか判明しないが、小泉政権が、同事件関係者を意図的故意に重用したことが透けて見えてくる。 

 ここでは、羽毛田宮内庁長官を論じているので、彼の宮内庁での立ち働きを確認しておくが、「ウィキペディア羽毛田信吾(2009.12.15日現在)」を参照すれば次のように記されている。概要「宮内庁長官就任時の任命権者である小泉首相と同じく、女性天皇・女系天皇を容認する皇室典範に関する有識者会議の結論を支持している。寛仁親王が男系維持を希望する発言をした際には、発言を自粛するよう要請している。悠仁親王が誕生した直後に、皇位継承の安定は図れないとして、女性天皇・女系天皇の容認に含みを残した。2009年9月10日、記者会見で民主党などの連立政権による内閣が近く発足することに関し『皇位継承の問題があることを(新内閣に)伝え、対処していただく必要があると申し上げたい』と述べ、皇位継承の対象を男系の男子皇族に限定している皇室典範の改正問題に取り組むよう要請する考えを示した。厚生省出身であり、有識者会議の古川貞二郎とは先輩・後輩の関係である」。

 天皇制是非問題はさて措くとして、小泉派の「女性天皇・女系天皇の容認運動」が伝統的天皇制の慣例を破る異色の対応策であることは論をまたない。してみれば、こたびの宮内庁長官発言は、天皇の政治利用批判を口実にして天皇制擁護のポーズを見せているものの、実は羽毛田宮内庁長官その御仁が天皇制の破壊者であり、天皇制の政治利用の請負屋であるというパラドックスを孕(はら)んでいることになる。

 こうなると逆に、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」に関与したような不届き者を宮内庁長官に認容した政治主義的登用こそどす黒い意図に貫かれていることになる。よりによって例のごとくシオニスタン狂人首相小泉その人の采配である。全く、小泉のしたことでろくなものがありゃしない。その狂人を名宰相として囃したてた田原以下の評論士よ、口を拭うことは許されない。小泉名宰相論を堂々と弁じて見せよ。

 さて、ここまで確認すれば、こたびの羽毛田宮内庁長官発言の後処理をどうすべきか明快ではなかろうか。同時に、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭、官僚愛好御用事件」そのものの再検証が必要で、単に官僚腐敗の例証としてのみ位置付けるのは片手落ち過ぎるのではなかろうかということになる。誰か、この認識を共にせんか。

 2009.12.16日 れんだいこ拝

【岸本周平考】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK132」の五月晴郎 氏の2012.6.28日付け投稿「大蔵省スキャンダルと増税議員・岸本周平の米留学からわかること (ジャパンハンドラーズと国際金融)」を転載しておく。
 http://amesei.exblog.jp/16162343/

 (略)

 民主党の反小沢派議員が消費増税法案で反対票を投じた57人の民主党議員への厳正処分を求めて一年生議員らと一緒に首相官邸を訪問したという。その一年生議員らを率いていたのが岸本周平衆議院議員。少し前のブログでカーティスの弟子として紹介した元大蔵官僚の議員である。岸本は元大蔵官僚でもあり、米留学組でカーティスの弟子でもある。アメリカにとっては財務省の勝栄二郎らと連携し、消費増税をやらせるには実に最適な人選だったわけだ。では、その岸本周平とは何者か。

1980年東京大学法学部卒業
1980年大蔵省入省
1985年名古屋国税局 関税務署長
1986年内閣総理大臣秘書官付
1990年大蔵省 主計局主査
1995年プリンストン大学 国際問題研究所 客員研究員
1996年プリンストン大学 東洋学部 客員講師
1998年大蔵省 国際局 アジア通貨室長
2000年通商産業省 情報処理システム開発課長
2001年経済産業省 文化情報関連産業課長
2002年財務省 理財局 国庫課長
2004年4月、財務省退官、トヨタ自動車(株)入社 10月、内閣府政策参与兼務
2005年8月、トヨタ自動車(株)、内閣府退職

 以上が岸本のウェブサイトにある経歴である。米留学が95年である。

 だが、岸本は自分のブログで「ある事件」について語っている。それは98年に大蔵省接待汚職事件で話題になったノーパンしゃぶしゃぶ事件についてである。岸本もまたエリート官僚としてその接待を受けたという告白である。(岸本の名前がない顧客リストは、http://www.rondan.co.jp/html/news/roran/

 以下は岸本のブログから。(引用開始)

 ノーパンしゃぶしゃぶの店に行きマスコミに騒がれた件は事実です。あれは、マスコミに書かれるよりもかなり前の今から20年くらい前のことです。まだ30代でした。先輩に連れられて、2回行きました。問題は、これが接待であったことです。自分でお金を払っていれば、趣味が悪いということですむでしょうが……。当時は、バブルの時代でもあり、高級な料亭でも接待をされることがありました。誰もがそのような風潮に慣れていましたが、それは言い訳にもなりません。そのことで、私は人生が変わるほどの制裁を受けました。友人だと思っていた人、仲間だと持っていた同僚も離れていきました。その他にも、それは本当に言葉では言えないくらいの辛い思いを経験しました。しかし正直、そういうことがあったおかげで、私は深く自分の過ちを反省することができました。自分の在り方について、行動についていつも深く考え、自問するようになりました。それは後の私の人生の方向を変えるきっかけとなった気がします。

 その後、私は、米国プリンストン大学の客員講師などを経て、財務省、経済産業省の課長を務めました。そしてトヨタ自動車に移籍しました。そこでは、奥田経団連会長の政策スタッフを務めながら、内閣府の政策参与も兼務させていただきました。(略) ただ、人生は一度きりです。私は、官庁や財界で働き、米国の大学で教えるなど多くの経験を通じて、自分には日本の政治を、そして和歌山の未来を良く変えることができる知識と能力経験があるという自信がつきました。なぜなのか、自分にも説明ができないのですが、世の中を良くして行く為に、動かなくてはいけないという、突き上げる何かが私の奥底にあるのです。

 http://blog.goo.ne.jp/shu0712/e/03c51d15b50fb9d1d53fee9a67ebc732
 (引用終わり)

 不思議なのは岸本が米留学したのが95年であり、問題のノーパンしゃぶしゃぶ事件が発覚したのは98年のことであるという点だ。96年にはプリンストンの客員講師になっているが、それでも98年には日本に戻っている。つまり、岸本が米滞在から帰国して出世を歩みはじめたころに、問題の事件が報道されている。そして、岸本がその種の店に行ったのは「バブルの頃」と書いている。これも時期として合わない。ただ、彼の記述からわかるのは、省内や彼の周辺でその種の接待が事件発覚より前に問題になっていたということだ。おそらく省内で内々に人事の移動などもあったのかもしれない。この接待のあと、彼は『中年英語組』を書くきっかけともなる米留学(プリンストン大学客員研究員)を果たしている。

 ここから先は私の仮説だが、バブル当時のノーパン接待発覚後、少なからず将来を嘱望されていた官僚たちがアメリカに留学させられたのではないか。だから、98年のリストに載っていた官僚たちは後のほうに発覚した顧客であるということになる。バブル期に接待を受けていた官僚たちはさっさと次々に米留学をしたのではないか、ということだ。これによって、日本国内での嵐から逃れることが出来る。その事によって米国は日本の統治機構である官僚組織の情報収集を可能にし、来る90年代末から始まる構造改革の準備を行うことが可能になった。

 アメリカは、冷戦末期は日本の官僚機構をソ連よりも恐れていた。何としてもこれをアメリカに追従する組織に作り替えたい。これがクリントン政権における日米経済冷戦のテーマだった。このことが、CIAによる「大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶスキャンダル追及」の原動力になっていた。官僚機構をまず徹底的に叩く、そのあとでアメリカのグローバリズム路線に叶う官僚と、そうではない愛国派の官僚をふるいにかけて分類し、前者の勢力が強くなるようにメディアを使って世論形成を行う。だから消費増税をアメリカが歓迎するのも当然である。財務省は主税、主計、国際局と一見対立構造があるようにみえるが、上からそれをすべて管理しているのがアメリカ財務省だろう。この構造を見ぬかなければならないのである。

 その意味で岸本周平という官僚あがりの政治家のキャリアパスを知ることは、「いかにしてアメリカが日本の官僚をコントロールしているか」ということを理解する、絶好のサンプルとなるわけだ。岸本は民主党、財務省、アメリカをつなぐパイプ役であるわけだ。それから消費増税に民主党が追い込まれていったことについては、昨日の夕刊フジに驚くべき事実暴露があった。

 鳩山政権時、「徹底したムダ削減」を唱えていたことが批判された。結果的には事業仕分けでも十数兆円の予算は捻出できなかったわけで、この点で鳩山政権は失敗した。ところが、「予算・財源などいくらでも捻出できる」と民主党議員に宣伝を行なってきたのが、なんと消費増税派の頭目である元大蔵官僚の藤井裕久財務大臣(当時)であることが判明した(http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20120627/
plt1206271811009-n1.htm
)。

 小沢グループの議員の一人は夕刊フジの取材に対し、「2009年、私は藤井さんから『無駄はいくらでもある、財源はひねり出せる』とレクチャーを受けた。思い出して悔しくなりました」と語っている。これはどういうことか。増税派の頭目である藤井が、「財源はひねり出せる」と民主党議員を騙したことになる。

 財務省は以下のようなシナリオで民主党を増税に追い込んだのだろう。

(1)まず、藤井裕久財務大臣や財務官僚が「予算の組み替えさえすれば『財源などいくらでもひねり出せます』」という囁き攻撃を鳩山政権や民主党議員に行う
(2)財務省主導、仙谷由人の協力の下「事業仕分け」(=仙谷いわく「政治の文化大革命」)を行わせるが、思ったほど財源の捻出ができないことを明らかにする
(3)ギリシャ危機に漬け込んで、菅直人首相や野田佳彦財務大臣の耳元で「日本をギリシャにしないために消費増税を」と囁く。藤井裕久はこの時点ではボケた振りをする。
(4)大震災につけ込み、こんどは復興増税を実施。増税に対するアレルギーを徐々に取っ払うとともに、野田首相の耳元で「次の世代の子供のために増税が必要だ」と勝栄二郎や真砂靖次期次官が囁く。岸本周平ら元財務官僚の民主党議員たちが仙谷と組んで増税路線を推進する。

 http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201206/28/98/
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 というわけである。藤井裕久こそがやはりスパイだった。財務省に頼った時点でアウトだったのだ、民主党政権は。

 (参考記事)http://mainichi.jp/select/news/20120628k0000m010076000c.html

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK132」の日本一新の夜明け氏の2012.6.29日付け投稿「岸本周平 ノーパンしゃぶしゃぶ 2008年09月30日 に自ら語る!馬鹿な行動しなければ分からなかった!」を転載しておく。これによると、岸本周平は「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭 顧客名簿」から漏れているけども、本人が認める「「ノーパンしゃぶしゃぶ組」と云うことになる。つまり、「ノーパンしゃぶしゃぶ楼蘭 顧客名簿」は、大蔵省絡みの官僚に対しては敢えて削除していることが分かる。厚生省の官僚が詳細に漏洩されているのに比して対照的である。

 二十数年前の出来事だから正に時効でしょうが、この人バカ正直?小沢氏、鳩山氏等々57名の処分陳情を官邸に乗り込んだまではカッコよかった、、、が、ノーパンしゃぶしゃぶ事件がぶり返されて、自らのブログが大盛況だ!!!早く削除すればいいのに…(笑

 野田は参議院総会を中座し、岸本等11名の愚痴を聞きいれた。11名の中には騙されてついて行ったバカもいるようですが、、、政治家は自らの判断で行動しなければならないし、その言動に責任が生じるものである。他の人に責任転換などできないぞ、、、消費増税法案に賛成票を投じた議員は地元に帰って、大変苦労しているようですね、、、生卵を投げられた早川久美子、岸本も地元の冷たい歓迎に危機感があるのだろう。他方、反対票を投じた国民目線の議員たちは地元に帰って大歓迎されているようだ!

 20年前の過ち― ノーパンしゃぶしゃぶ事件について
 http://blog.goo.ne.jp/shu0712/e/03c51d15b50fb9d1d53fee9a67ebc732
 2008年09月30日 23時44分00秒

 ノゾミさん、このたびはブログのコメント欄でお問い合わせをいただき、ありがとうございました。この場を借りて、お返事をいたします。

 ノーパンしゃぶしゃぶの店に行きマスコミに騒がれた件は事実です。あれは、マスコミに書かれるよりもかなり前の今から20年くらい前のことです。まだ30代でした。先輩に連れられて、2回行きました。問題は、これが接待であったことです。自分でお金を払っていれば、趣味が悪いということですむでしょうが……。当時は、バブルの時代でもあり、高級な料亭でも接待をされることがありました。誰もがそのような風潮に慣れていましたが、それは言い訳にもなりません。そのことで、私は人生が変わるほどの制裁を受けました。友人だと思っていた人、仲間だと持っていた同僚も離れていきました。その他にも、それは本当に言葉では言えないくらいの辛い思いを経験しました。

 しかし正直、そういうことがあったおかげで、私は深く自分の過ちを反省することができました。自分の在り方について、行動についていつも深く考え、自問するようになりました。それは後の私の人生の方向を変えるきっかけとなった気がします。その後、私は、米国プリンストン大学の客員講師などを経て、財務省、経済産業省の課長を務めました。そしてトヨタ自動車に移籍しました。そこでは、奥田経団連会長の政策スタッフを務めながら、内閣府の政策参与も兼務させていただきました。多くの仕事を経験し、年齢も重ねましたが、しかしあの時の反省は今でも心の底で秘めています。このような問題で、「君には政治家になる資格がない。」と判断される方もおられるでしょう。「覆水盆に返らず。」とはこのことです。ただ、人生は一度きりです。

 私は、官庁や財界で働き、米国の大学で教えるなど多くの経験を通じて、自分には日本の政治を、そして和歌山の未来を良く変えることができる知識と能力経験があるという自信がつきました。なぜなのか、自分にも説明ができないのですが、世の中を良くして行く為に、動かなくてはいけないという、突き上げる何かが私の奥底にあるのです。こういう問題で叩かれた自分が、政治家を志せば、また面白おかしく嘲笑されたり、批判されたりすることは目に見えていました。普通に仕事を続けていれば、路上で雨の日も雪の日も叫び続ける必要もありません。誰にも悪口を言われない普通の心地良い生活を続けていくことできたでしょう。私は、確かに20年前、失敗をした人間です。この件で嫌悪感を持たれる方も多くいらっしゃると思います。その嫌悪感を私が変えてほしいと願っても無理でしょう。ただ、ここで言えることは、今の自分は、20年前の自分とは違う、ということです。私が衆議院議員になることにこだわるのは、自分のためではありません。私には、日本、そして和歌山を良くする為に、他の政治家がやっていないことで、今、やらなくてはならない問題が山積されているのが見えるのです。私がやらなければこのままずるずると悪化してしまう問題が多くあるのです。それを、変えさせて下さい。私が失敗を乗り越え、再び挑戦させて頂くこと、どうか受け入れて下さらないでしょうか?

 私たちのために。私たちの子供たちのために。私たちの大切な人のために・・・。信じられない政治に終止符を打つ。そして、信じられる政治を創るために。


【小野一起, 高橋洋一対談「『ノーパンしゃぶしゃぶ事件』いまだからウラ話を明かそう!
 2020.4.24日、小野一起、 高橋洋一「大蔵省の『ノーパンしゃぶしゃぶ事件』いまだからウラ話を明かそう!」。
 銀行はあれから「安泰」ではなくなった
 かつて銀行員(バンカー)は花形の職業だった。中でも、大蔵省(現・財務省)との折衝を行うMOF担(モフタン)は、エリートバンカーの象徴としてもてはやされた。しかし、そんな銀行員と大蔵省当局との「癒着」が明るみに出たのが1990年代のノーパンしゃぶしゃぶ事件だ。逮捕者まで出す一大騒動に発展した同事件こそが、いまに続く銀行大波乱時代の幕開けとなったのだ。

 いまや銀行不要論まで飛び出すまでになった現代、そもそも銀行はどうしてここまで「凋落」してしまったのか。その源流はこの事件にさかのぼることができるともいえる。そこで今回は、当時大蔵省に在籍した元大蔵官僚で、安倍晋三首相のブレーンとしても知られる嘉悦大学の高橋洋一教授と、新作小説「よこどり 小説メガバンク人事抗争で、メガバンクの実像に独自の切り口で迫った小野一起氏が対談。知られざる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」のウラ側とメガバンクの未来像を語り明かした――。対談撮影/岡村啓嗣 編集協力/日比野紗季
 向島で遊んでいた人たち
小野  日本の銀行史を振り返ると、1990年代後半にいよいよ不良債権問題が限界を迎えました。97年には北海道拓殖銀行が破綻、山一證券も自主廃業に追い込まれました。そして98年には日本長期信用銀行の経営破綻、一時国有化されることになりました。
高橋  私の感覚では、私が金融検査をした93年、94年の状況を考えると、よく拓銀や長銀が4年ももったなと感じます。もっと早く潰しとけば楽でした。公的資金の注入額も少なくて済んだはずです。
小野  やはり問題を先送りしたいという構造が、銀行、大蔵省、政治の中にあった。三者一体の先送り構造が、問題を深刻化させましたね。
高橋  不良債権については先送りの意識もあったでしょうが、大蔵省の幹部はただ単に理解不足だったと思います。そもそも私は繰り返し不良債権問題処理のために、銀行に引当金を積み増す必要があることをしっかり説明しましたけど、その当時の銀行局の幹部はちんぷんかんぷんな顔をしていました。向島で銀行員と一緒に遊んでいるだけで、ちっとも勉強していなかった。せめて、遊んでいる合間に、少しぐらい勉強するのが普通だと思いますけどね。本当に遊んでいるだけだった(笑)。
小野  簡単に儲かるシステムが永続するという風に、銀行員も大蔵官僚も思い込んでいた。というか、思い込みたかったってことでしょうね。
高橋  銀行局の幹部のその後の役人人生はみんな不遇だよね。そりゃそうでしょ。遊んでいるだけだって、バレちゃったから。
 ノーパンしゃぶしゃぶ事件の舞台裏
小野  ノーパンしゃぶしゃぶ事件と呼ばれた大蔵省を舞台とする接待事件が明るみに出たのは1998年です。東京地検特捜部に大蔵官僚らが逮捕され、当日の三塚博大蔵大臣や松下康雄日銀総裁が引責辞任する展開になりました。ここで、銀行と大蔵省の癒着構造が暴かれることになったわけです。 これがきっかけで、大蔵省から銀行と証券の関連業務が分離され、金融監督庁(現金融庁)ができ、大蔵省は財務省になりました。大きな転換点でしたね。
高橋   ノーパンしゃぶしゃぶ事件は、ある意味で傑作でした。大蔵省の内部調査で、銀行や証券会社と遊びまくっていた官僚の実態が明るみにでた。私は、接待にはあまり行かなかった方なんですよ。でも、その内部調査が本格的に始まると、いろんな先輩から電話がかかってきた。『高橋くん、何月何日だけど、俺たち、接待されたりしていないよね』って。 そういう確認の電話があった。でも、私からすれば行っただろ〜って(笑)。要は、内部調査に対して、接待されたって言わないでくれってことでしょう。おかしくなっちゃいましたよ。そもそも年中、接待されていた人が、まったく接待されていないっていうウソは無理があります。私が黙っていても、接待漬けにされていた人は内部調査でバレてしまいましたね。
小野  そう言えば証券局総務課の課長補佐の人も逮捕されました。彼は先生の……。
高橋  そうです。彼は私の後任です。さすがに後任が逮捕されたのはびっくりしました。結局、私と何が違っていたかは興味がありましたね。なぜ、彼が逮捕されて、私はセーフだったのか。どこまで、やったら東京地検に逮捕されるのか。ちなみに彼は独身だった。だから、土日はずっとゴルフの接待を受けていた。その見返りに証券会社に様々な便宜を図ったってことになり収賂罪が成立しちゃった。 私はすでに結婚していました。そんなこともあって、接待の数が全然違うということだったらしい。でも独身だったら同じように接待漬けになっていた可能性もあった。そう考えると人生は、恐ろしいです。
 接待の数と金額
小野  それは危なかったですね。省内調査を参考にしながら検察が、接待の数や金額なども考慮して、逮捕まで踏み切るかを判断していたということでしょうか。
高橋  その辺の特捜部の基準は、よく分からないですね。ただ、あの時は、特捜部の狙いは証券局長だと思われていた。だから彼は気楽な気持ちで特捜部に行って事情聴取を受けたのに、帰ってこなかった。『ちょっと行ってきます』って感じで、机の上もそのままだった。かなり衝撃的でしたよ。
小野  当時の証券局長って長野庬士さんですよね。
高橋  そうそう。特捜部は、長野さんを捕まえたいがために、部下の彼から事情を聴こうとした。当時は大蔵省内でそう受け止めた人が多かったですね。彼は総務課企画官なので、長野さんの予定を把握できる立場にあったから捜査線上に浮かんで、そのまま逮捕された可能性もあると思います。
小野  でも一方で、長野さんはスーパー優秀な大蔵官僚だったというイメージもあります。
高橋  それはその通り。長野さんは圧倒的にできる人でした。接待を受ける人って、実はできる人なんです。銀行や証券会社もできない人を接待しても意味がない。長野さんは、仕事をバンバンやる人だった。
小野  それは危なかったですね。省内調査を参考にしながら検察が、接待の数や金額なども考慮して、逮捕まで踏み切るかを判断していたということでしょうか。
高橋  その辺の特捜部の基準は、よく分からないですね。ただ、あの時は、特捜部の狙いは証券局長だと思われていた。だから彼は気楽な気持ちで特捜部に行って事情聴取を受けたのに、帰ってこなかった。『ちょっと行ってきます』って感じで、机の上もそのままだった。かなり衝撃的でしたよ。
小野  だから、97年に山一證券の自主廃業の際には、長野さんが中心になって問題を処理していましたね。
高橋  そうです。ただ、ちょっと別の角度から話をすると、証券会社の破綻処理は、預金がないから気楽といえば気楽なんですよ。証券会社を潰したところで、持っている株券を返せばいい。それだけなんです。株券などの顧客の資産は分別管理されていますから、株券が投資家に戻ってこないことはないです。
小野  それに対して銀行が破綻すると大変です。金融システムが揺らいでしまいますから。
 銀行がつぶれるとどうなる…?
高橋  銀行が潰れると、決済が止まってしまう。企業や個人で資金のやり取りができなくなる可能性が出てくるわけです。これは、経済活動に影響が出ちゃう。それに、多くの企業が銀行から融資を受けている。日々の資金繰りを銀行からの融資に依存しているから、銀行の機能が停止してしまうとパニックが起こるわけです。
小野  企業の場合は健全な経営をしていていも、銀行が破綻した余波を受けて資金繰り破綻してしまうかもしれない。これは大変な問題です。
高橋  そうなんですよ。連鎖的に企業が潰れちゃう可能性があって、銀行が破綻する場合、政府はより慎重な対応が必要になります。
小野  政府は、金融システミックリスクを考えながら問題を処理しないといけない点に難しさがあります。
高橋  それはそうなんですが、あまりシステミックリスクって言い過ぎるのも問題ですよ。1つの銀行からしか融資を受けていないという企業はあまりありません。だから、多くの銀行が一気に潰れなければ案外大したことはない。
小野  そう言えば、北海道拓殖銀行は、公的資金注入もなく、国有化もなく、そのまま経営破綻してしまいました。
高橋  あれはひどかったですね。
小野  複数の銀行からお金を借りている企業が多いと言っても、北海道においては拓銀の存在感は非常に大きかった。拓銀が潰れたことが引き金となって北海道経済はしばらく低迷が続きました。
高橋  そんなこともあって、ゆっくり処理を進めたのかも知れません。私の感じだと、93年か94年に潰れてもまったく不思議ではなかった。北海道の銀行なのに関西の会社にまで融資をしていた。これはひどい状況でした。経営はガタガタですよ。
 金融ビッグバンの「本当の意味」
小野  この時期に不良債権問題が火を噴き、銀行や証券会社の経営が揺らぎ、接待汚職で大蔵省からは逮捕者まで出ました。その一方で1996年に橋本龍太郎首相は、「フリー、フェアー、グローバル」を標ぼうする金融ビッグバンを推進、思い切った金融の自由化に舵を切りました。
高橋  金融ビッグバンは、いずれはやらなければならなかった。金融の自由化を進めて、グローバルな基準に合わせないと日本経済は立ち行きません。ただ本音を言えば、こんなドタバタしている時に金融自由化を進めることもないだろうとも思っていました。
小野  当時、橋本龍太郎首相の秘書官をやっていた江田憲司(現衆議院議員)さんが主導していたという話を聞きました。接待問題で大蔵省が弱体化しているタイミングで、経産省主導で金融ビッグバンが導入された印象もありますね。
高橋  そういう側面もあったかも知れません。大蔵省は金融機関の経営問題で手いっぱいで、金融ビッグバンを考えている余裕はありませんでした。それを江田さんたちがうまく橋本首相を使って実現したという側面もあったでしょう。
小野   産業界からは、グローバルにビジネスをしていく中にあって金融機関の使い勝手を良くするために金融の自由化が求められえていた面もあります。一方で、こうした金融の自由化が銀行の合併などの再編を後押しする格好になりました。
高橋  金融機関のほうももう合併しないと生きていけなくなっていましたよ。あんまり余計なこと言わなくても自然に再編が進むしかなかったと思いますけどね。
 銀行の「生命維持装置」
小野  98年に、経営破綻した日本長期信用銀行の場合は、一時国有化され公的資金で債務超過の穴埋めをしました。その一方で翌年の99年には、まだ経営破綻していない多くの大手銀行に予防的に公的資金を注入、税金の力で銀行バランスシートの健全性を高める施策を打ちました。
高橋  それは拓銀の経験で、経営破綻は日本経済に与えるダメージが大きいことが学習されていたからでしょう。予防的に公的資金を注入して、銀行が経営破綻するリスクが軽減できるならそのほうが良いという判断ですね。
小野  2008年のアメリカのリーマン・ショックの時にも感じたのですが、結局リーマン・ブラザーズという巨大な証券会社を潰さないとアメリカでも金融機関に公的資金を入れるのは難しかった。なぜ巨大な銀行や証券会社だけが政府に救済してもらえるのかという国民の不満を抑えるのは、政治的には難しいですよ。リーマン・ブラザースが潰れて世界的な経済危機が起きて、『金融機関は公的資金で救済しないと、国民の生活も大変なことになる』という学習と理解がないと金融機関に公的資金はなかなか注入できません。 そういう意味では拓銀や長銀が破綻して大変なことになったという認識があって初めて、その他の大手行に公的資金を注入できたという印象があります。
高橋  率直に拓銀と長銀は潰しやすかったですね。93年か94年の私の資産査定では、すでに破綻状態でしたから。生命維持装置外せば終わるというわかりやすい世界です。
小野  生命維持装置を外して長銀を潰すことで、金融システミックリスクが起こると大変なことになると世論を説得することができたわけですね。
高橋   長銀は長期信用銀行って独特な銀行で、普通の商業銀行とは違うからシステミックリスクは実は大きくないんですよ。長期信用銀行の預金口座で決済している企業もそう多くはなかったと思います。それに長期信用銀行は日本に特有な銀行で、制度的に長く存続できる金融機関でなかったのです。というのも5年の利金債で調達して、それよりさらに長い期間の貸し出しを企業にしていた銀行なんですよ。こんな銀行は、日本にしかない。金融自由化の中ではとてもじゃないが生き残れない仕組みでした。
 銀行ビジネスはどんどん細っていく
高橋  実際、理財局時代に私は『長期信用銀行はいずれなくなります』と理財局の幹部に言いました。幹部は目を白黒させていましたがね。でも、いま歴史を振り返れば長銀も日債銀も潰れたし、興銀も合併してみずほフィナンシャルグループになって、長期信用銀行をやめた。やはり無理だったんですよ。大蔵省は興銀にだけは政府保証債の主幹事で圧倒的な独占的地位を与えていたから、少し長く生き延びられたけれど、長銀と日債銀はあっという間に潰れました。
小野  僕は1989年に社会に出ましたが、その時は興銀や長銀はトップクラスの人気でした。普通の銀行やメーカーに就職する連中とは違うというプライドを持っていましたね。
高橋  長信銀に関わる話で私が大蔵省の中で、褒められた話があるんです。大蔵省は財政投融資の資金でずっと長信銀が出している金融債を買っていたんです。ただ、私が理財局にいる時、この金融債を投資先から外したんです。 あのまま金融債に投資していたら長銀と日債銀が破綻した時に、政府は大きな損失を抱えることになりました。そうなっていたら、大蔵省は相当格好悪かったと思いますよ。
小野  考えてみると社債のようなものを銀行が出して企業に融資をするならば、企業が直接社債を出して資金調達すれば良いという話になりますよね。
高橋  その通りです。金融機関というのは、企業と市場や預金者の間に入って儲けるのが基本です。でも、これは市場化が進むと基本的には儲からなくなりますよ。ビジネスとして成立しなくなる。
小野   インターネットで情報が公開されて、情報の非対称性がなくなり、市場の高度化が進めばどんどんビジネスが細っていきますね。
高橋  そうです。だから、間に入って鞘を抜いて儲ける仲介ビジネスは、いずれできなくなりますよ。これは金融に限ったことではありません、これは、今日のキーワードですね。
 「3メガバンク」だって安泰ではない
小野  銀行でいえば、かつては金利や店舗が規制された世界で確実に儲けられる仕組みがあった。それが、どんどん規制が外れていくプロセスで、利益が細っているわけですね。
高橋  長信銀がなぜ滅びたのかをきちんと理解すれば、これから中抜きがどんどん進むことを予測できなければいけない。あと銀行の人たちは不良債権問題で危機に陥った時、もっと知恵を出して、どうやって付加価値を生み出すかを考えないといけなかった。私にはいまの銀行員はさぼっているように見えます。
小野   ただ、大手銀行の再編がガーッと進みました。かつては大手20行体制でしたが、今や3大メガバンクとりそなグループ、それに三井住友信託の体制になりました。
高橋  3大メガバンクの体制も危ういと私は思っていますよ。 間に入って鞘を抜いているビジネスをしている限り、これから大変です。それから小野さんの出身業界のマスコミも、同じでしょう。インターネットを通じて、いろんな人が情報発信している。それで新聞や雑誌が売れなくなるのと一緒じゃないですか。
小野  それはその通りです。面白ものを作って、付加価値を生まなければ、マスコミも中抜きされて、将来を描けなくなるでしょうね。
 小野一起(おの・かずき)

 本名、小野展克(おの・のぶかつ)。1965年、北海道生まれ。慶應義塾大学卒。共同通信社の記者として、メガバンクや中央省庁等を担当、経済部次長、日銀キャップを歴任。現在は名古屋外国語大学教授、世界共生学科長。2014年に『マネー喰い 金融記者極秘ファイル』(文春文庫)で作家デビュー。本名の小野展克で『黒田日銀 最後の賭け』(文春新書)、『JAL 虚構の再生』(講談社文庫)など経済系のノンフィクションの著書多数。




(私論.私見)