原文『養生訓』全巻 貝原篤信(=貝原益軒)編録 |
(巻第一)総論上 |
【人の身体】(101)
: 人の身は父母を本(もと)とし、天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、また養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。これ天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不孝なり。
:況(いわんや)大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食・色慾を恣(ほしいまま)にし、元気をそこなひ病を求め、生付(うまれつき)たる天年を短くして、早く身命を失ふこと、天地父母へ不孝のいたり、愚なる哉(かな)。人となりてこの世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさんこと、誠に人の各(おのおの)願ふ処ならずや。この如(ごと)くならむことをねがはば、先ず右の道をかうが(考)へ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。これ人生第一の大事なり。
:人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふこと、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危(あやうき)をおそるること、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃(わざわい)なかるべし。豈(あに)、楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財(たから)の山を前につんでも用なし。
然れば、道にしたがひ身をたもちて、長命なるほど大なる福(さいわい)なし。故に寿(いのちなが)きは、『尚書』に、「五福の第一」とす。これ万福の根本なり。 |
【養生の術】(102)
万(よろず)の事つとめてやまざれば、必ずしるし(験)あり。たとへば、春たねをまきて夏よく養へば、必ず秋ありて、なりはひ多きが如し。もし養生の術をつとめまなんで、久しく行はば、身つよく病なくして、天年をたもち、長生を得て、久しく楽まんこと、必然のしるしあるべし。この理うたがふべからず。 |
【草木と身体】(103)
園に草木をうへて愛する人は、朝夕心にかけて、水をそそぎ土をかひ、肥をし、虫を去て、よく養ひ、そのさかえを悦び、衰へをうれふ。草木は至りて軽し。わが身は至りて重し。豈(あに)、我が身を愛すること、草木にもしかざるべきや。思はざること甚(はなはだ)し。夫養生の術をしりて行なふこと、天地父母につかへて孝をなし、次にはわが身、長生安楽のためなれば、不急なるつとめは先ずさし置て、わかき時より、はやくこの術をまなぶべし。身を慎み生を養ふは、これ人間第一のおもくすべきことの至(り)也。 |
【内欲と外邪】(104)
養生の術は、先ずわが身をそこなふ物を去べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪となり。内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡の慾、言語をほしゐままにするの慾と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の慾を云。外邪とは天の四気なり。風・寒・暑・湿を云。内慾をこらゑて、少なくし、外邪をおそれてふせぐ、これを以て、元気をそこなはず、病なくして天年を永くたもつべし。 |
【内欲をこらえるのが養生の道】(105)
凡そ養生の道は、内慾をこらゆるを以て本とす。本をつとむれば、元気つよくして、外邪をおかさず。内慾をつつしまずして、元気よはければ、外邪にやぶれやすくして、大病となり天命をたもたず。内慾をこらゆるに、その大なる条目は、飲食をよき程にして過さず。脾胃をやぶり病を発する物をくらはず。色慾をつつしみて精気をおしみ、時ならずして臥さず。久しく睡ることをいましめ、久しく安坐せず、時々身をうごかして、気をめぐらすべし。ことに食後には、必ず数百歩、歩行すべし。
もし久しく安坐し、また、食後に穏坐し、ひるいね、食気いまだ消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、久しきをつめば、元気発生せずして、よはくなる。常に元気をへらすことをおしみて、言語を少なくし、七情をよきほどにし、七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ思ひを少なくすべし。慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にしてあらくせず、しづかにしてさはがしからず、心はつねに和楽なるべし。
憂ひ苦むべからず。これ皆、内慾をこらえて元気を養ふ道也。また、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎてやぶられず。この内外の数(あまた)の慎は、養生の大なる条目なり。これをよく慎しみ守るべし。 |
【生まれつきの寿命は長い】(106)
凡(すべて)の人、生れ付たる天年はおほくは長し。天年をみじかく生れ付たる人はまれなり。生れ付て元気さかんにして、身つよき人も、養生の術をしらず、朝夕元気をそこなひ、日夜精力をへらせば、生れ付たるその年をたもたずして、早世する人、世に多し。また、天性は甚(はなはだ)虚弱にして多病なれど、多病なる故に、つつしみおそれて保養すれば、かへつて長生する人、これまた、世にあり。この二つは、世間眼前に多く見る所なれば、うたがふべからず。
慾を恣にして身をうしなふは、たとえば刀を以て自害するに同じ。早きとおそきとのかはりはあれど、身を害することは同じ。
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【命は我にあり=老子の言葉】(107)
「人の命は我にあり、天にあらず」と老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のままなり。身つよく長命に生れ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。これ皆、人のしわざなれば、「天にあらず」といへり。もしすぐれて天年みじかく生れ付たること、顔子などの如くなる人にあらずむば、わが養のちからによりて、長生する理也。
たとへば、火をうづみて炉中に養へば久しくきえず。風吹く所にあらはしおけば、たちまちきゆ。蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず、もしふかくかくし、よく養なへば、夏までもつがごとし。 |
【外物の利用は大切】(108)
人の元気は、もとこれ天地の万物を生ずる気なり。これ人身の根本なり。人、この気にあらざれば生ぜず。生じて後は、飲食、衣服、居処の外物の助によりて、元気養はれて命をたもつ。飲食、衣服、居処の類も、また、天地の生ずる所なり。生るるも養はるるも、皆天地父母の恩なり。外物を用て、元気の養とする所の飲食などを、かろく用ひて過さざれば、生付たる内の元気を養ひて、いのちながくして天年をたもつ。
もし外物の養をおもくし過せば、内の元気、もし外の養にまけて病となる。病おもくして元気つくれば死す。たとへば草木に水と肥との養を過せば、かじけて枯るるがごとし。故に人ただ心の内の楽を求めて、飲食などの外の養をかろくすべし。外の養おもければ、内の元気損ず。 |
【心気を養い色欲をつつしむ】(109)
養生の術は先ず心気を養ふべし。心を和にし、気を平らかにし、いかりと慾とをおさへ、うれひ、思ひ、を少なくし、心をくるしめず、気をそこなはず、これ心気を養ふ要道なり。また、臥すことをこのむべからず。久しく睡り臥せば、気滞りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに、早く臥しねぶれば、食気ふさがりて甚(はなはだ)元気をそこなふ。いましむべし。酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。食は半飽に食ひて、十分にみ(満)つべからず。酒食ともに限を定めて、節にこゆべからず。
また、わかき時より色慾をつつしみ、精気を惜むべし。精気を多くつひやせば、下部の気よはくなり、元気の根本たへて必ず命短かし。もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補をなすとも、益なかるべし。また風・寒・暑・湿の外邪をおそれふせぎ、起居・動静を節にし、つつしみ、食後には歩行して身を動かし、時々導引して腰腹をなですり、手足をうごかし、労動して血気をめぐらし、飲食を消化せしむべし。一所に久しく安坐すべからず。これ皆養生の要なり。
養生の道は、病なき時つつしむにあり。病発(おこ)りて後、薬を用ひ、針灸を以て病をせむるは養生の末なり。本をつとむべし。 |
【欲をこらえて忍を守る】(110)
人の耳・目・口・体の見ること、きくこと、飲食ふこと、好色をこのむこと、各そのこのめる慾あり。これを嗜慾と云。嗜慾とは、このめる慾なり。慾はむさぼる也。飲食色慾などをこらえずして、むさぼりてほしゐままにすれば、節に過て、身をそこなひ礼儀にそむく。万の悪は、皆慾を恣(ほしいまま)にするよりおこる。耳・目・口・体の慾を忍んでほしゐまゝにせざるは、慾にかつの道なり。もろもろの善は、皆、慾をこらえて、ほしゐまゝにせざるよりおこる。故に忍ぶと、恣にするとは、善と悪とのおこる本なり。
養生の人は、ここにおゐて、専ら心を用ひて、恣なることをおさえて慾をこらゆるを要とすべし。恣の一字をさりて、忍の一字を守るべし。 |
【外邪をふせぐ努力をする】(111)
風・寒・暑・湿は外邪なり。これにあたりて病となり、死ぬるは天命也。聖賢といへど免れがたし。されども、内気実してよくつつしみ防がば、外邪のおかすことも、またまれなるべし。飲食色慾によりて病生ずるは、全くわが身より出る過也。これ天命にあらず、わが身のとがなり。万のこと、天より出るは、ちからに及ばず。わが身に出ることは、ちからを用てなしやすし。風・寒・暑・湿の外邪をふせがざるは怠なり。飲食好色の内慾を忍ばざるは過なり。怠と過とは、皆慎しまざるよりおこる。 |
【畏れることを忘れない】(112)
身をたもち生を養ふに、一字の至れる要訣あり。これを行へば生命を長くたもちて病なし。おやに孝あり、君に忠あり、家をたもち、身をたもつ。行なふとしてよろしからざることなし。その一字なんぞや。「畏」(おそるる)の字これなり。畏るるとは身を守る心法なり。ことごとに心を小にして気にまかせず、過なからんことを求め、つねに天道をおそれて、つつしみしたがひ、人慾を畏れてつつしみ忍ぶにあり。これ畏るるは、慎しみにおもむく初なり。畏るれば、つつしみ生ず。畏れざれば、つつしみなし。
故に朱子、晩年に「敬」の字をときて曰く、「敬」は「畏」の字これに近し。 |
【元気を減らしてはいけない】(113)
養生の害二あり。元気をへらす一なり。元気を滞(とどこお)らしむる二也。飲食・色慾・労動を過せば、元気やぶれてへる。飲食・安逸・睡眠を過せば、滞りてふさがる。耗(へる)と滞ると、皆元気をそこなふ。 |
【心は安らかに!】(114)
心は身の主也。しづかにして安からしむべし。身は心のやつこ(奴)なり。うごかして労せしむべし。心やすくしづかなれば、天君ゆたかに、くるしみなくして楽しむ。身うごきて労すれば、飲食滞らず、血気めぐりて病なし。 |
【薬と鍼灸はなるべく用いない】(115)
凡そ薬と鍼灸を用るは、やむことを得ざる下策なり。飲食・色慾を慎しみ、起臥を時にして、養生をよくすれば病なし。腹中の痞満して食気つかゆる人も、朝夕歩行し身を労動して、久坐・久臥を禁ぜば、薬と針灸とを用ひずして、痞塞(ひさい)のうれひなかるべし。これ上策とす。薬は皆気の偏なり。参*(さんき)・朮甘(じゅつかん)の上薬といへども、その病に応ぜざれば害あり。
況(いわんや)中・下の薬は元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉ありて補なし。病に応ぜざれば元気をへらす。灸もその病に応ぜざるに妄に灸すれば、元気をへらし気を上す。薬と針灸と、損益あることかくのごとし。やむことを得ざるに非ずんば、鍼・灸・薬を用ゆべからず。只、保生の術を頼むべし。
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【君主の政治と身体の養生】(116)
古の君子は、礼楽をこのんで行なひ、射・御を学び、力を労動し、詠歌・舞踏して血脈を養ひ、嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しみ防て、かくのごとくつねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。これ君子の行ふ処、本をつとむるの法、上策なり。病多きは皆養生の術なきよりおこる。病おこりて薬を服し、いたき鍼、あつき灸をして、父母よりうけし遺体(ゆいたい)にきずつけ、火をつけて、熱痛をこらえて身をせめ病を療(いや)すは、甚(はなはだ)末のこと、下策なり。
たとへば国をおさむるに、徳を以てすれば民おのづから服して乱おこらず、攻め打事を用ひず。また保養を用ひずして、只薬と針灸を用ひて病をせむるは、たとへば国を治むるに徳を用ひず、下を治むる道なく、臣民うらみそむきて、乱をおこすをしづめんとて、兵を用ひてたたかふが如し。百たび戦って百たびかつとも、たつと(尊)ぶにたらず。養生をよくせずして、薬と針・灸とを頼んで病を治するも、またかくの如し。 |
【身体を動かして安楽になりなさい】(117)
身体は日々少づつ労動すべし。久しく安坐すべからず。毎日飯後に、必ず庭圃の内数百足しづかに歩行すべし。雨中には室屋の内を、幾度も徐行すべし。この如く日々朝晩(ちょうばん)運動すれば、針・灸を用ひずして、飲食・気血の滞なくして病なし。針灸をして熱痛甚しき身の苦しみをこらえんより、かくの如くせば痛なくして安楽なるべし。
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【寿命は養生で延びる】(118)
人の身は百年を以て期(ご)とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。世上の人を見るに、下寿をたもつ人少なく、五十以下短命なる人多し。人生七十古来まれなり、といへるは、虚語にあらず。長命なる人すくなし。五十なれば不夭と云て、わか死にあらず。人の命なんぞこの如くみじかきや。これ、皆、養生の術なければなり。短命なるは生れ付て短きにはあらず。十人に九人は皆みづからそこなへるなり。ここを以て、人皆養生の術なくんばあるべからず。 |
【人生は六十から】(119)
人生五十にいたらざれば、血気いまだ定まらず。知恵いまだ開けず、古今にうとくして、世変になれず。言あやまり多く、行悔多し。人生の理も楽もいまだしらず。五十にいたらずして死するを夭(わかじに)と云う。これまた、不幸短命と云うべし。長生すれば、楽多く益多し。日々にいまだ知らざることをしり、月々にいまだ能せざることをよくす。この故に学問の長進することも、知識の明達なることも、長生せざれば得がたし。
ここを以て養生の術を行なひ、いかにもして天年をたもち、五十歳をこえ、成べきほどは弥(いよいよ)長生して、六十以上の寿域に登るべし。古人長生の術あることをいへり。また、「人の命は我にあり。天にあらず」ともいへれば、この術に志だにふかくば、長生をたもつこと、人力を以ていかにもなし得べき理あり。うたがふべからず。只気あらくして、慾をほしゐままにして、こらえず、慎なき人は、長生を得べからず。 |
【内敵と外敵に注意しなさい】(120)
およそ人の身は、よはくもろくして、あだなること、風前の燈火(とぼしび)のきえやすきが如し。あやうきかな。つねにつつしみて身をたもつべし。いはんや、内外より身をせむる敵多きをや。先ず飲食の欲、好色の欲、睡臥の欲、或(は)怒、悲、憂を以て身をせむ。これ等は皆我身の内よりおこりて、身をせむる欲なれば、内敵なり。中につゐて飲食・好色は、内欲より外敵を引入る。尤おそるべし。風・寒・暑・湿は、身の外より入て我を攻る物なれば外敵なり。
人の身は金石に非ず。やぶれやすし。況(や)内外に大敵をうくること、かくの如くにして、内の慎、外の防なくしては、多くの敵にかちがたし。至りてあやうきかな。この故に人々長命をたもちがたし。用心きびしくして、つねに内外の敵をふせぐ計策なくむばあるべからず。敵にかたざれば、必ずせめ亡されて身を失ふ。内外の敵にかちて、身をたもつも、その術をしりて能(く)ふせぐによれり。生れ付たる気つよけれど、術をしらざれば身を守りがたし。
たとへば武将の勇あれども、知なくして兵の道をしらざれば、敵にかちがたきがごとし。内敵にかつには、心つよくして、忍の字を用ゆべし。忍はこらゆる也。飲食・好色などの欲は、心つよくこらえて、ほしいままにすべからず。心よはくしては内欲にかちがたし。内欲にかつことは、猛将の敵をとりひしぐが如くすべし。これ内敵にかつ兵法なり。外敵にかつには、畏の字を用て早くふせぐべし。たとへば城中にこもり、四面に敵をうけて、ゆだんなく敵をふせぎ、城をかたく保が如くなるべし。
風・寒・暑・湿にあはば、おそれて早くふせぎしりぞくべし。忍の字を禁じて、外邪をこらえて久しくあたるべからず。古語に「風を防ぐこと、箭を防ぐが如くす」といへり。四気の風寒、尤おそるべし。久しく風寒にあたるべからず。凡そ、これ外敵をふせぐ兵法なり。内敵にかつには、けなげにして、つよくかつべし。外敵をふせぐは、おそれて早くしりぞくべし。けなげなるはあしし。 |
【元気を保つ方法二つ】(121)
生を養ふ道は、元気を保つを本とす。元気をたもつ道二あり。まづ元気を害する物を去り、また、元気を養ふべし。元気を害する物は内慾と外邪となり。すでに元気を害するものをさらば、飲食・動静に心を用て、元気を養ふべし。たとへば、田をつくるが如し。まづ苗を害する莠(はぐさ)を去て後、苗に水をそそぎ、肥をして養ふ。養生もまたかくの如し。まづ害を去て後、よく養ふべし。たとへば悪を去て善を行ふがごとくなるべし。気をそこなふことなくして、養ふことを多くす。これ養生の要なり。つとめ行なふべし。 |
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【楽しみ三つ=善・楽・楽】(122)
およそ人の楽しむべきこと三あり。一には身に道を行ひ、ひが事なくして善を楽しむにあり。二には身に病なくして、快く楽むにあり。三には命ながくして、久しくたのしむにあり。富貴にしても、この三の楽なければ、まことの楽なし。故に富貴はこの三楽の内にあらず。もし心に善を楽まず、また養生の道をしらずして、身に病多く、そのはては短命なる人は、この三楽を得ず。人となりてこの三楽を得る計なくんばあるべからず。この三楽なくんば、いかなる大富貴をきはむとも、益なかるべし。
【天地の命と人の命】(123)
天地のよはひは、邵尭夫(しょうぎょうふ)の説に、十二万九千六百年を一元とし、今の世はすでにその半に過たりとなん。前に六万年あり、後に六万年あり。人は万物の霊なり。天地とならび立て、三才と称すれども、人の命は百年にもみたず。天地の命長きにくらぶるに、千分の一にもたらず。天長く地久きを思ひ、人の命のみじかきをおもへば、ひとり愴然としてなんだ下れり。かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を弥(いよいよ)みじかくするはなんぞや。
人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず。
【睡ってばかりいてはいけない】(124)
養生の術は、つとむべきことをよくつとめて、身をうごかし、気をめぐらすをよしとす。つとむべきことをつとめずして、臥すことをこのみ、身をやすめ、おこたりて動かさざるは、甚(だ)養生に害あり。久しく安坐し、身をうごかさざれば、元気めぐらず、食気とどこほりて、病おこる。ことにふすことをこのみ、眠り多きをいむ。食後には必ず数百歩歩行して、気をめぐらし、食を消すべし。眠りふすべからず。
父母につかへて力をつくし、君につかへてまめやかにつとめ、朝は早くおき、夕はおそくいね、四民ともに我が家事をよくつとめておこたらず。士となれる人は、いとけなき時より書をよみ、手を習ひ、礼楽をまなび、弓を射、馬にのり、武芸をならひて身をうごかすべし。農・工・商は各その家のことわざ(事業)をおこたらずして、朝夕よくつとむべし。婦女はことに内に居て、気鬱滞しやすく、病生じやすければ、わざをつとめて、身を労動すべし。
富貴の女も、おや、しうと、夫によくつかへてやしなひ、お(織)りぬ(縫)ひ、う(紡)みつむ(績)ぎ、食品をよく調(ととのえ)るを以て、職分として、子をよくそだて、つねに安坐すべからず。かけまくもかたじけなき天照皇大神も、みづから神の御服(みぞ)をおらせたまひ、その御妹稚日女尊(わかひるめのみこと)も、斎機殿(いみはたどの)にましまして、神の御服をおらせ給ふこと、『日本紀』に見えたれば、今の婦女も昔かかる女のわざをつとむべきことこそ侍べれ。
四民ともに家業をよくつとむるは、皆これ養生の道なり。つとむべきことをつとめず、久しく安坐し、眠り臥すことをこのむ。これ大に養生に害あり。かくの如くなれば、病おほくして短命なり。戒むべし。
【養生の術を学ばねばならない】(125)
人の身のわざ多し。そのことをつとむるみちを術と云。万のわざつとめならふべき術あり。その術をしらざれば、そのことをなしがたし。その内いたりて小にて、いやしき芸能も、皆その術をまなばず、そのわざをならはざれば、そのことをなし得がたし。たとへば蓑をつくり、笠をはるは至りてやすく、いやしき小なるわざ也といへども、その術をならはざれば、つくりがたし。いはんや、人の身は天地とならんで三才とす。かく貴とき身を養ひ、いのちをたもつて長生するは、至りて大事なり。その術なくんばあるべからず。
その術をまなばず、そのことをならはずしては、などかなし得んや。然るにいやしき小芸には必ず師をもとめ、おしへをうけて、その術をならふ。いかんとなれば、その器用あれどもその術をまなばずしては、なしがたければなり。人の身はいたりて貴とく、これをやしなひてたもつは、至りて大なる術なるを、師なく、教なく、学ばず、習はず、これを養ふ術をしらで、わが心の慾にまかせば、豈その道を得て生れ付たる天年をよくたもたんや。故に生を養なひ、命をたもたんと思はば、その術を習はずんばあるべからず。
夫養生の術、そくばくの大道にして、小芸にあらず。心にかけて、その術をつとめまなばずんば、その道を得べからず。その術をしれる人ありて習得ば、千金にも替えがたし。天地父母よりうけたる、いたりておもき身をもちて、これをたもつ道をしらで、みだりに身をもちて大病をうけ、身を失なひ、世をみじかくすること、いたりて愚なるかな。天地父母に対し大不孝と云べし。その上、病なく命ながくしてこそ、人となれる楽おほかるべけれ。病多く命みじかくしては、大富貴をきはめても用なし。貧賤にして命ながきにおとれり。
わが郷里の年若き人を見るに、養生の術をしらで、放蕩にして短命なる人多し。またわが里の老人を多く見るに、養生の道なくして多病にくるしみ、元気おとろへて、はやく老耄す。この如くにては、たとひ百年のよはひをたもつとも、楽なくして苦み多し。長生も益なし。いけるばかりを思ひでにすともともいひがたし。
【養生の術を学ぶ暇がないという異論】(126)
或人の曰く、養生の術、隠居せし老人、また年わかくしても世をのがれて、安閑無事なる人は宜しかるべし。士として君父につかへて忠孝をつとめ、武芸をならひて身をはたらかし、農工商の夜昼家業をつとめていとまなく、身閑ならざる者は養生成りがたかるべし。かかる人、もし養生の術をもつぱら行はば、その身やはらかに、そのわざゆるやかにして、事の用にたつべからずと云。これ養生の術をしらざる人のうたがひ、むべなるかな。
養生の術は、安閑無事なるを専(もっぱら)とせず。心を静にし、身をうごかすをよしとす。身を安閑にするは、かへつて元気とどこほり、ふさがりて病を生ず。たとへば、流水はくさらず、戸枢(こすう)はくちざるが如し。これうごく者は長久なり、うごかざる物はかへつて命みじかし。これを以て、四民ともに事をよくつとむべし。安逸なるべからず。これすなわち養生の術なり。
【命を惜しむという異論=常と変】(127)
或人うたがひて曰く。養生をこのむ人は、ひとゑにわが身をおもんじて、命をたもつを専にす。されども君子は義をおもしとす。故に義にあたりては、身をすて命をおしまず、危を見ては命をさづけ、難にのぞんでは節に死す。もしわが身をひとへにおもんじて、少なる髪・膚まで、そこなひやぶらざらんとせば、大節にのぞんで命をおしみ、義をうしなふべしと云。答て曰く、およそのこと、常あり、変あり。常に居ては常を行なひ、変にのぞみては変を行なふ。その時にあたりて義にしたがふべし。
無事の時、身をおもんじて命をたもつは、常に居るの道なり。大節にのぞんで、命をすててかへり見ざるは、変におるの義なり。常におるの道と、変に居るの義と、同じからざることをわきまへば、このうたがひなかるべし。君子の道は時宜にかなひ、事変に随ふをよしとす。たとへば、夏はかたびらを着、冬はかさねぎするが如し。一時をつねとして、一偏にかかはるべからず。殊に常の時、身を養ひて、堅固にたもたずんば、大節にのぞんでつよく、戦ひをはげみて命をすつること、身よはくしては成がたかるべし。
故に常の時よく気を養なはば、変にのぞんで勇あるべし。
【三欲を忍ぶ=昼に寝てはいけない】(128)
いにしへの人、三慾を忍ぶことをいへり。三慾とは、飲食の欲、色の欲、眠りの欲なり。飲食を節にし、色慾をつつしみ、睡を少なくするは、皆慾をこらゆるなり。飲食・色欲をつつしむことは人しれり。只睡の慾をこらえて、いぬることを少なくするが養生の道なることは人しらず。眠りを少なくすれば、無病になるは、元気めぐりやすきが故也。眠り多ければ、元気めぐらずして病となる。夜ふけて臥しねぶるはよし、昼いぬるは尤(も)害あり。
宵にはやくいぬれば、食気とゞこほりて害あり。ことに朝夕飲食のいまだ消化せず、その気いまだめぐらざるに、早くいぬれば、飲食とどこほりて、元気をそこなふ。古人睡慾を以て、飲食・色慾にならべて三慾とすること、むべなるかな。おこたりて、眠りを好めば、癖になりて、睡多くして、こらえがたし。眠りこらえがたきことも、また、飲食・色慾と同じ。初は、つよくこらえざれば、ふせぎがたし。つとめて眠りを少なくし、ならひてなれぬれば、おのづから、眠りすくなし。ならひて睡を少なくすべし。
【言葉を慎む】(129)
言語をつつしみて、無用の言をはぶき、言を少なくすべし。多く言語すれば、必ず気へりて、また気のぼる。甚(だ)元気をそこなふ。言語をつつしむも、また徳をやしなひ、身をやしなふ道なり。
【しばしの辛抱】(130)
古語に曰く、「莫大の禍は、須臾の忍ばざるに起る」。須臾とはしばしの間を云。大なる禍は、しばしの間、慾をこらえざるよりおこる。酒食・色慾など、しばしの間、少の慾をこらえずして大病となり、一生の災となる。一盃の酒、半椀の食をこらえずして、病となることあり。慾をほしゐままにすること少なれども、やぶらるることは大なり。たとへば、蛍火程の火、家につきても、さかんに成て、大なる禍となるがごとし。
古語に曰(い)ふ。「犯す時は微にして秋毫の若し、病を成す重きこと、泰山のごとし」。この言むべなるかな。凡そ小のこと、大なる災となること多し。小なる過より大なるわざはひとなるは、病のならひ也。慎しまざるべけんや。常に右の二語を、心にかけてわするべからず。
【養生の道で長生きを】(131)
養生の道なければ、生れ付つよく、わかく、さかんなる人も、天年をたもたずして早世する人多し。これ天のなせる禍にあらず、みづからなせる禍也。天年とは云がたし。つよき人は、つよきをたのみてつつしまざる故に、よはき人よりかへつて早く死す。また、体気よはく、飲食少なく、常に病多くして、短命ならんと思ふ人、かへつて長生する人多し。これよはきをおそれて、つつしむによれり。この故に命の長短は身の強弱によらず、慎と慎しまざるとによれり。白楽天が語に、福と禍とは、慎と慎しまざるにあり、といへるが如し。
【神仏に祈るよりも養生を慎みなさい】(132)
世に富貴・財禄をむさぼりて、人にへつらひ、仏神にいのり求むる人多し。されども、そのしるしなし。無病長生を求めて、養生をつつしみ、身をたもたんとする人はまれなり。富貴・財禄は外にあり。求めても天命なければ得がたし。無病長生は我にあり、もとむれば得やすし。得がたきことを求めて、得やすきことを求めざるはなんぞや。愚なるかな。たとひ財禄を求め得ても、多病にして短命なれば、用なし。
【気血を滞(とどこお)らせてはいけない】(133)
陰陽の気天にあつて、流行して滞らざれば、四時よく行はれ、百物よく生(な)る。偏にして滞れば、流行の道ふさがり、冬あたたかに夏さむく、大風・大雨の変ありて、凶害をなせり。人身にあっても、またしかり。気血よく流行して滞らざれば、気つよくして病なし。気血流行せざれば、病となる。その気上に滞れば、頭疼・眩暈となり、中に滞ればまた腹痛となり、痞満となり、下に滞れば腰痛・脚気となり、淋疝・痔漏となる。この故によく生を養ふ人は、つとめて元気の滞なからしむ。
【心に主をもちなさい】(134)
養生に志あらん人は、心につねに主あるべし。主あれば、思慮して是非をわきまへ、忿をおさえ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして忿と慾をこらえず、ほしゐまゝにしてあやまり多し。
【楽あれば苦あり=快さの後に災い】(135)
万のこと、一時心に快きことは、必ず後に殃(わざわい)となる。酒食をほしゐまゝにすれば快けれど、やがて病となるの類なり。はじめにこらゆれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらゆれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、「忍過ぎてこと喜ぶに堪えたり」と、いへるは、欲をこらえすまして、後は、よろこびとなる也。
【聖人は予防をする】(136)
「聖人は未病を治す」とは、病いまだおこらざる時、かねてつつしめば病なく、もし飲食・色欲などの内慾をこらえず、風・寒・暑・湿の外邪をふせがざれば、そのおかすことはすこしなれども、後に病をなすことは大にして久し。内慾と外邪をつつしまざるによりて、大病となりて、思ひの外にふかきうれひにしづみ、久しく苦しむは、病のならひなり。病をうくれば、病苦のみならず、いたき針にて身をさし、あつき灸にて身をやき、苦き薬にて身をせめ、くひたき物をくはず、のみたきものをのまずして、身をくるしめ、心をいたましむ。
病なき時、かねて養生よくすれば病おこらずして、目に見えぬ大なるさいはいとなる。孫子が曰く「よく兵を用る者は赫々の功なし」。云意は、兵を用る上手は、あらはれたるてがら(手柄)なし、いかんとなれば、兵のおこらぬさきに戦かはずして勝ばなり。また曰く「古の善く勝つ者は、勝ち易きに勝つ也」。養生の道も、またかくの如くすべし。心の内、わづかに一念の上に力を用て、病のいまだおこらざる時、かちやすき慾にかてば病おこらず。良将の戦はずして勝やすきにかつが如し。これ上策なり。これ未病を治するの道なり。
【養生はおっかながってしなさい】(137)
養生の道は、恣(ほしいまま)なるを戒(いましめ)とし、慎(つつしむ)を専(もっぱら)とす。恣なるとは慾にまけてつつしまざる也。慎はこれ恣なるのうら也。つつしみは畏(おそるる)を以て本とす。畏るるとは大事にするを云。俗のことわざに、用心は臆病にせよと云がごとし。孫真人も「養生は畏るるを以て本とす」といへり。これ養生の要也。養生の道におゐては、けなげなるはあしく、おそれつつしむこと、つねにちい(小)さき一はし(橋)を、わたるが如くなるべし。これ畏るなり。
わかき時は、血気さかんにして、つよきにまかせて病をおそれず、慾をほしゐままにする故に、病おこりやすし。すべて病は故なくてむなしくはおこらず、必ず慎まざるよりおこる。殊に老年は身よはし、尤おそるべし。おそれざれば老若ともに多病にして、天年をたもちがたし。
【欲を少なくしなさい】(138)
人の身をたもつには、養生の道をたのむべし。針・灸と薬力とをたのむべからず。人の身には口・腹・耳・目の欲ありて、身をせむるもの多し。古人のをしえに、養生のいたれる法あり。孟子にいはゆる「慾を寡くする」、これなり。宋の王昭素も、「身を養ふことは慾を寡するにしくはなし」と云。省心録にも、「慾多ければ即ち生を傷(やぶ)る」といへり。およそ人のやまひは、皆わが身の慾をほしゐままにして、つつしまざるよりおこる。養生の士はつねにこれを戒とすべし。
【病は気から=気を分散する】(139)
気は、一身体の内にあまねく行わたるべし。むねの中一所にあつむべからず。いかり、かなしみ、うれひ、思ひ、あれば、胸中一所に気とどこほりてあつまる。七情の過て滞るは病の生る基なり。
【欲・養気・理を慎みなさい】(140)
俗人は、慾をほしゐままにして、礼儀にそむき、気を養はずして、天年をたもたず。理気二ながら失へり。仙術の士は養気に偏にして、道理を好まず。故に礼儀をすててつとめず。陋儒は理に偏にして気を養はず。修養の道をしらずして天年をたもたず。この三つは、ともに君子の行ふ道にあらず。
(巻第二)
総論下
【食気を巡らす=食後に歩行三百歩】(201)
凡そ朝は早くおきて、手と面を洗ひ、髪をゆひ、事をつとめ、食後にはまづ腹を多くなで下し、食気をめぐらすべし。また、京門のあたりを手の食指のかたはらにて、すぢかひにしばしばなづべし。腰をもなで下して後、下にてしづかにうつべし。あらくすべからず。もし食気滞らば、面を仰ぎて三四度食毒の気を吐くべし。朝夕の食後に久しく安坐すべからず。必ず眠り臥すべからず。久しく坐し、眠り臥せば、気ふさがりて病となり、久しきをつめば命みじかし。
食後に毎度歩行すること、三百歩すべし。おりおり五六町歩行するは尤よし。
【家にいても身体を動かしなさい】(202)
家に居て、時々わが体力の辛苦せざる程の労動をなすべし。吾起居のいたつがはしきをくるしまず、室中のこと、奴婢をつかはずして、しばしばみづからたちて我身を運用すべし。わが身を動用すれば、おもひのままにして速にこと調ひ、下部をつかふに心を労せず。これ「心を清くして事を省く」の益あり。かくのごとくにして、常に身を労動すれば気血めぐり、食気とどこほらず、これ養生の要術也。身をつねにやすめおこたるべからず。我に相応せることをつとめて、手足をはたらかすべし。
時にうごき、時に静なれば、気めぐりて滞らず。静に過ればふさがる。動に過ればつかる。動にも静にも久しかるべからず。
【じっとしていてはいけない】(203)
華陀が言に、「人の身は労動すべし。労動すれば穀気きえて、血脈流通す」といへり。およそ人の身、慾を少なくし、時々身をうごかし、手足をはたらかし、歩行して久しく一所に安坐せざれば、血気めぐりて滞らず。養生の要務なり。日々かくのごとくすべし。『呂氏春秋』曰く、「流水腐らず、戸枢(こすう)螻(むしば)まざるは、動けば也。形気もまた然り」。いふ意(こころ)は、流水はくさらず、たまり水はくさる。から戸のぢくの下のくるゝ(枢)は虫くはず。
この二のものはつねにうごくゆへ、わざはひなし。人の身も、またかくのごとし。一所に久しく安坐してうごかざれば、飲食とゞこほり、気血めぐらずして病を生ず。食後にふすと、昼臥すと、尤(も)禁ずべし。夜も飲食の消化せざる内に早くふせば、気をふさぎ病を生ず。これ養生の道におゐて尤いむべし。
【『千金方』の言葉=行・坐・臥・視はダメ】(204)
『千金方』に曰く、養生の道、「久しく行き、久しく坐し、久しく臥し、久しく視る」ことなかれ。
【食後に寝てはダメ】(205)
酒食の気いまだ消化せざる内に臥してねぶれば、必ず酒食とゞこほり、気ふさがりて病となる。いましむべし。昼は必ず臥すべからず。大に元気をそこなふ。もし大につかれたらば、うしろによりかゝりてねぶるべし。もし臥さば、かたはらに人をおきて、少ねぶるべし。久しくねぶらば、人によびさまさしむべし。
【昼寝もダメ】(206)
日長き時も昼臥すべからず。日永き故、夜に入て、人により、もし体力つかれて早くねぶることをうれへば、晩食の後、身を労動し、歩行し、日入の時より臥して体気をやすめてよし。臥して必ずねぶるべからず。ねぶれば甚(だ)害あり。久しく臥べからず。秉燭(へいしょく)のころ、おきて坐すべし。かくのごとくすれば夜間体に力ありて、眠り早く生ぜず。もし日入の時よりふさゞるは尤よし。
【自信過剰は注意!】(207)
養生の道は、たの(恃)むを戒しむ。わが身のつよきをたのみ、わかきをたのみ、病の少(し)いゆるをたのむ。これ皆わざはひの本也。刃のと(鋭)きをたのんで、かたき物をきれば、刃折る。気のつよきをたのんで、みだりに気をつかへば、気へる。脾腎のつよきをたのんで、飲食・色慾を過さば、病となる。
【欲と身と何れが大切か?】(208)
爰(ここ)に人ありて、宝玉を以てつぶてとし、雀をうたば、愚なりとて、人必ずわらはん。至りて、おもき物をすてゝ、至りてかろき物を得んとすればなり。人の身は至りておもし。然るに、至りてかろき小なる欲をむさぼりて身をそこなふは、軽重をしらずといふべし。宝玉を以て雀をうつがごとし。
【自分を大事にしすぎて害を招く?】(209)
心は楽しむべし、苦しむべからず。身は労すべし、やすめ過すべからず。凡そわが身を愛し過すべからず。美味をくひ過し、芳*(ほううん)をのみ過し、色をこのみ、身を安逸にして、おこたり臥すことを好む。皆これ、わが身を愛し過す故に、かへつてわが身の害となる。また、無病の人、補薬を妄に多くのんで病となるも、身を愛し過すなり。子を愛し過して、子のわざはひとなるが如し。
【欲・忍が長命と短命の分かれ道】(210)
一時の慾をこらへずして病を生じ、百年の身をあやまる。愚なるかな。長命をたもちて久しく安楽ならんことを願はゞ、慾をほしゐまゝにすべからず。慾をこらゆるは長命の基也。慾をほしゐまゝにするは短命の基也。恣なると忍ぶとは、これ寿(いのちながき)と夭(いのちみじかき)とのわかるる所也。
【遠き慮なければ、近き憂い】(211)
『易』に曰く、「患(うれい)を思ひ、予(かね)てこれを防ぐ」。いふ意(こころ)は後の患をおもひ、かねてそのわざはひをふせぐべし。『論語』にも「人遠き慮(おもんぱかり)なければ、必ず近きうれひあり」との玉へり。これ皆、初に謹んで、終をたもつの意なり。
【酒食・色欲から苦しみ】(212)
人、慾をほしゐまゝにして楽しむは、その楽しみいまだつきざる内に、はやくうれひ生ず。酒食・色慾をほしゐまゝにして楽しむ内に、はやくたたりをなして苦しみ生ずるの類也。
【有限の元気で無限の欲を追う】(213)
人、毎日昼夜の間、元気を養ふことと元気をそこなふこととの、二の多少をくらべ見るべし。衆人は一日の内、気を養ふことは常に少なく、気をそこなふことは常に多し。養生の道は元気を養ふことのみにて、元気をそこなふことなかるべし。もし養ふことは少なく、そこなふこと多く、日々つもりて久しければ、元気へりて病生じ、死にいたる。この故に衆人は病多くして短命なり。かぎりある元気をもちて、かぎりなき慾をほしゐまゝにするは、あやうし。
【日々慎めば過ちなし】(214)
古語曰く、「日に慎しむこと一日、寿(いのちながく)して終に殃(わざわい)なし」。言心は一日々々をあらためて、朝より夕まで毎日つヽしめば、身にあやまちなく、身をそこなひやぶることなくして、寿して、天年をおはるまでわざはひなしと也。これ身をたもつ要道なり。
【初めが肝心、後の楽のために】(215)
飲食・色慾をほしゐまヽにして、そのはじめ少(し)の間、わが心に快きことは、後に必ず身をそこなひ、ながきわざはひとなる。後にわざはひなからんことを求めば、初わが心に快からんことをこのむべからず。万のことはじめ快くすれば、必ず後の禍となる。はじめつとめてこらゆれば、必ず後の楽となる。
【養生の要は?】(216)
養生の道、多くいふことを用ひず。只飲食を少なくし、病をたすくる物をくらはず、色慾をつゝしみ、精気をおしみ、怒・哀・憂・思を過さず。心を平にして気を和らげ、言を少なくして無用のことをはぶき、風・寒・暑・湿の外邪をふせぎ、また時々身をうごかし、歩行し、時ならずして眠り臥すことなく、食気をめぐらすべし。これ養生の要なり。
【飲食と眠りで身をそこなう?】(217)
飲食は身を養ひ、眠り臥は気を養なふ。しかれども飲食節に過れば、脾胃をそこなふ。眠り臥すこと時ならざれば、元気をそこなふ。この二は身を養はんとして、かへつて身をそこなふ。よく生を養ふ人は、つとにおき、よは(夜半)にいねて、昼いねず、常にわざをつとめておこたらず、眠りふすことを少なくして、神気をいさぎよくし、飲食を少なくして、腹中を清虚にす。かくのごとくなれば、元気よく、めぐりふさがらずして、病生ぜず。
発生の気その養を得て、血気をのづからさかんにして病なし。これ寝食の二の節に当れるは、また養生の要也。
【楽より寿に至る】(218)
貧賎なる人も、道を楽しんで日をわたらば、大なる幸なり。しからば一日を過す間も、その時刻永くして楽多かるべし。いはんや一とせをすぐる間、四の時、おりおりの楽、日々にきはまりなきをや。この如くにして年を多くかさねば、その楽長久にして、そのしるしは寿かるべし。知者の楽み、仁者の寿は、わが輩及がたしといへども、楽より寿にいたれる次序は相似たるなるべし。
【徳を養い身をやしなう】(219)
心を平らかにし、気を和かにし、言を少なくし、しづかにす。これ徳を養ひ身をやしなふ。その道一なり。多言なると、心さはがしく気あらきとは、徳をそこなひ、身をそこなふ。その害一なり。
【肉食の少ない山中の人は長命、魚を食べる海辺の人は短命】(220)
山中の人は多くはいのちながし。古書にも「山気は寿(じゅ)多し」と云、また「寒気は寿」ともいへり。山中はさむくして、人身の元気をとぢかためて、内にたもちてもらさず。故に命ながし。暖なる地は元気もれて、内にたもつこと少なくして、命みじかし。また、山中の人は人のまじはり少なく、しづかにして元気をへらさず、万ともしく不自由なる故、おのづから欲すくなし。殊に魚類まれにして肉にあかず。これ山中の人、命ながき故なり。
市中にありて人に多くまじはり、事しげければ気へる。海辺の人、魚肉をつねに多くくらふゆえ、病おほくして命みじかし。市中にをり海辺に居ても、慾を少なくし、肉食を少なくせば害なかるべし。
【一人静かに日を送る楽】(221)
ひとり家に居て、閑(しずか)に日を送り、古書をよみ、古人の詩歌を吟じ、香をたき、古法帖を玩び、山水をのぞみ、月花をめで、草木を愛し、四時の好景を玩び、酒を微酔にのみ、園菜を煮るも、皆これ心を楽ましめ、気を養ふ助なり。貧賎の人もこの楽つねに得やすし。もしよくこの楽をしれらば、富貴にして楽をしらざる人にまさるべし。
【忍は身の宝、怒りと欲は災い】(222)
古語に、「忍は身の宝也」といへり。忍べば殃(わざわい)なく、忍ばざれば殃あり。忍ぶはこらゆるなり。恣ならざるを云。忿(いかり)と慾とはしのぶべし。およそ養生の道は忿・慾をこらゆるにあり。忍の一字守るべし。武王の銘に曰く「之を須臾(しゅゆ)に忍べば、汝の躯を全す」。『尚書』に曰く。「必ず忍ぶこと有れば、それ乃ち済すこと有り」。古語に云。「莫大の過ちは須臾の忍びざるに起る」。これ忍の一字は、身を養ひ徳を養ふ道なり。
【胃の気は元気の別名】(223)
胃の気とは元気の別名なり。冲和(ちゅうが)の気也。病甚しくしても、胃の気ある人は生く。胃の気なきは死す。胃の気の脉とは、長からず、短からず、遅(ち)ならず、数(さく)ならず、大ならず、小ならず、年に応ずること、中和にしてうるはし。この脉、名づけて言がたし。ひとり、心に得べし。元気衰へざる無病の人の脉かくの如し。これ古人の説なり。養生の人、つねにこの脉あらんことをねがふべし。養生なく気へりたる人は、わかくしてもこの脉とも(乏)し。これ病人なり。
病脉のみ有て、胃の気の脉なき人は死す。また、目に精神ある人は寿(いのちなが)し。精神なき人は夭(いのちみじか)し。病人をみるにもこの術を用ゆべし。
【心が豊かで争わないと長寿】(224)
養生の術、荘子が所謂(いわゆる)、庖丁が牛をときしが如くなるべし。牛の骨節(こっせつ)のつがひは間(ひま)あり。刀の刃はうすし。うすき刃をもつて、ひろき骨節の間に入れば、刃のはたらくに余地ありてさはらず。こゝを以て、十九年牛をときしに、刀新にとぎたてたるが如しとなん。人の世にをる、心ゆたけくして物とあらそはず、理に随ひて行なへば、世にさはりなくして天地ひろし。かくのごとくなる人は命長し。
【憂い悲しみでなく喜び楽しみ】(225)
人に対して、喜び楽しみ甚(し)ければ、気ひらけ過てへる。我ひとり居て、憂悲み多ければ、気むすぼほれてふさがる。へるとふさがるとは、元気の害なり。
【心を喜ばして怒らない】(226)
心をしづかにしてさはがしくせず、ゆるやかにしてせまらず、気を和にしてあらくせず、言を少なくして声を高くせず、高くわらはず、つねに心をよろこばしめて、みだりにいからず、悲を少なくし、かへらざることをくやまず、過あらば、一たびはわが身をせめて二度悔ず、只天命をやすんじてうれへず、これ心気をやしなふ道なり。養生の士、かくのごとくなるべし。
【唾液は大切、吐いちゃいけない】(227)
津液(しんえき)は一身のうるほひ也。化して精血となる。草木に精液なければ枯る。大せつの物也。津液は臓腑より口中に出づ。おしみて吐べからず。ことに遠くつばき吐べからず、気へる。
【唾液は飲んで、痰は吐き出せ】(228)
津液をばのむべし。吐べからず。痰をば吐べし、のむべからず。痰あらば紙にて取べし。遠くはくべからず。水飲津液すでに滞りて、痰となりて内にありては、再び津液とはならず。痰、内にあれば、気をふさぎて、かへつて害あり。この理をしらざる人、痰を吐ずしてのむは、ひが事也。痰を吐く時、気をもらすべからず。酒多くのめば痰を生じ、気を上(のぼ)せ、津液をへらす。
【病のときは急がずに慎重に!】(229)
何事もあまりよくせんとしていそげば、必ずあしくなる。病を治するも、またしかり。医をゑらばず、みだりに医を求め、薬を服し、また、鍼・灸をみだりに用ひ、たゝりをなすこと多し。導引・按摩も、またしかり。わが病に当否をしらで、妄に治(じ)を求むべからず。湯治も、またしかり。病に応ずると応ぜざるをゑらばず、みだりに湯治して病をまし、死にいたる。
およそ薬治・鍼・灸・導引・按摩・湯治。この六のこと、その病とその治との当否をよくゑらんで用ゆべし。その当否をしらで、みだりに用ゆれば、あやまりて禍をなすこと多し。これよくせんとして、かへつてあしくする也。
【良きも悪きも習慣から、良きに慣れよ】(230)
凡そ、よきこと悪しきこと、皆ならひよりおこる。養生のつゝしみ、つとめもまたしかり。つとめ行ひておこたらざるも、慾をつゝしみこらゆることも、つとめて習へば、後にはよきことになれて、つねとなり、くるしからず。またつゝつしまずして悪しきことになれ、習ひ癖となりては、つゝつしみつとめんとすれども、くるしみてこらへがたし。
【力以上のムリをしない】(231)
万のこと、皆わがちからをはかるべし。ちからの及ばざるを、しゐて、そのわざをなせば、気へりて病を生ず。分外をつとむべからず。
【元気を惜しんで老いを迎える】(232)
わかき時より、老にいたるまで、元気を惜むべし。年わかく康健なる時よりはやく養ふべし。つよきを頼みて、元気を用過すべからず。わかき時元気をおしまずして、老て衰へ、身よはくなりて、初めて保養するは、たとへば財多く富める時、おごりて財をついやし、貧窮になりて財ともしき故、初めて倹約を行ふが如し。行はざるにまされども、おそくしてそのしるしすくなし。
【嗇で気を養って長命】(233)
気を養ふに嗇(しょく)の字を用ゆべし。老子この意をいへり。嗇はおしむ也。元気をおしみて費やさゝざる也。たとへば吝嗇なる人の、財多く余あれども、おしみて人にあたへざるが如くなるべし。気をおしめば元気へらずして長命なり。
【自分を欺いてはいけない】(234)
養生の要は、自欺(みずからあざむく)ことをいましめて、よく忍ぶにあり。自欺とは、わが心にすでに悪しきとしれることを、きらはずしてするを云。悪しきとしりてするは、悪をきらふこと、真実ならず、これ自欺なり。欺くとは真実ならざる也。食の一事を以ていはゞ、多くくらふが悪しきとしれども、悪しきをきらふ心実ならざれば、多くくらふ。これ自欺也。その余事も皆これを以てしるべし。
【養生の術を知って自害をしてはいけない】(235)
世の人を多くみるに、生れ付て短命なる形相ある人はまれなり。長寿を生れ付たる人も、養生の術をしらで行はざれば、生れ付たる天年をたもたず。たとへば、彭祖といへど、刀にてのどぶゑ(喉笛)をたゝば、などか死なざるべきや。今の人の欲をほしゐまゝにして生をそこなふは、たとへば、みづからのどぶえをたつが如し。のどぶゑをたちて死ぬると、養生せず、欲をほしゐまゝにして死ぬると、おそきと早きとのかはりはあれど、自害することは同じ。
気つよく長命なるべき人も、気を養なはざれば必ず命みじかくして、天年をたもたず。これ自害するなり。
【完璧ではなく、ほどほどにせよ】(236)
凡(すべて)のこと、十分によからんことを求むれば、わが心のわづらひとなりて楽なし。禍もこれよりおこる。また、人の我に十分によからんことを求めて、人のたらざるをいかりとがむれば、心のわづらひとなる。また、日用の飲食・衣服・器物・家居・草木の品々も、皆美をこのむべからず。いさゝかよければ事たりぬ。十分によからんことを好むべからず。これ、皆わが気を養なふ工夫なり。
【道理を知れば死ぬ人はいない】(237)
或人の曰く、「養生の道、飲食・色慾をつゝしむの類、われ皆しれり。然れどもつゝつしみがたく、ほしゐまゝになりやすき故、養生なりがたし」といふ。我おもふに、これいまだ養生の術をよくしらざるなり。よくしれらば、などか養生の道を行なはざるべき。水に入ればおぼれて死ぬ。火に入ればやけて死ぬ。砒霜をくらへば毒にあてられて死ぬることをば、たれもよくしれる故、水火に入り、砒霜をくらひて、死ぬる人なし。
多慾のよく生をやぶること、刀を以て自害するに同じき理をしれらば、などか慾を忍ばざるべき。すべてその理を明らかにしらざることは、まよひやすくあやまりやすし。人のあやまりてわざはひとなれることは、皆不知よりおこる。赤子のはらばひて井におちて死ぬるが如し。灸をして身の病をさることをしれる故、身に火をつけ、熱く、いためるをこらえて多きをもいとはず。これ灸のわが身に益あることをよくしれる故なり。
不仁にして人をそこなひくるしむれば、天のせめ人のとがめありて、必ずわが身のわざはひとなることは、その理明らかなれども、愚者はしらず。あやうきことを行ひ、わざはひをもとむるは不知よりおこる。盗は只たからをむさぼりて、身のとがにおち入(る)ことをしらざるが如し。養生の術をよくしれらば、などか慾にしたがひてつゝしまずやは有べき。
【楽しみを失ってはいけない】(238)
聖人やゝもすれば楽をとき玉ふ。わが愚を以て聖心おしはかりがたしといへども、楽しみはこれ人のむまれ付たる天地の生理なり。楽しまずして天地の道理にそむくべからず。つねに道を以て欲を制して楽を失なふべからず。楽を失なはざるは養生の本也。
【畏れ慎めば病なく長寿】(239)
長生の術は食色の慾を少なくし、心気を和平にし、事に臨んで常に畏・慎あれば、物にやぶられず、血気おのづから調ひて、自然に病なし。かくの如くなれば長生す。これ長生の術也。この術を信じ用ひば、この術の貴とぶべきこと、あたかも万金を得たるよりも重かるべし。
【酒は微酔、花は半開ほどほどに】(240)
万の事十分に満て、その上にくはへがたきは、うれひの本なり。古人の曰く、酒は微酔にのみ、花は半開に見る。この言むべなるかな。酒十分にのめばやぶらる。少のんで不足なるは、楽みて後のうれひなし。花十分に開けば、盛過て精神なく、やがてちりやすし。花のいまだひらかざるが盛なりと、と古人いへり。
【一時の浮気は一生の持病】(241)
一時の浮気をほしゐまゝにすれば、一生の持病となり。或(は)即時に命あやうきことあり。莫大の禍はしばしの間こらえざるにおこる。おそるべし。
【養生は中庸が大切】(242)
養生の道は、中を守るべし。中を守るとは過不及なきを云。食物はうゑを助くるまでにてやむべし。過てほしゐまゝなるべからず。これ中を守るなり。物ごとにかくの如くなるべし。
【心は従容、言語は少なし】(243)
心をつねに従容(しょうよう)としづかにせはしからず、和平なるべし。言語はことにしづかにして少なくし、無用の事いふべからず。これ尤気を養ふ良法也。
【静で元気を保ち、動で元気を巡らす】(244)
人の身は、気を以て生の源、命の主とす。故(に)養生をよくする人は、常に元気を惜みてへらさず。静にしては元気をたもち、動ゐては元気をめぐらす。たもつとめぐらすと、二の者そなはらざれば、気を養ひがたし。動静その時を失はず、これ気を養ふの道なり。
【大風雨と雷のとき】(245)
もし大風雨と雷はなはだしくば、天の威をおそれて、夜といへどもかならずおき、衣服をあらためて坐すべし。臥すべからず。
【客は長居をするな】(246)
客となつて昼より他席にあらば、薄暮より前に帰るべし。夜までかたれば主客ともに労す。久しく滞座すべからず。
【気はいろいろと変わる、病は気より生ず】(247)
『素問』に「怒れば気上る。喜べば気緩まる。悲めば気消ゆ。恐るれば気めぐらず。寒ければ気とづ。暑ければ気泄(も)る。驚けば気乱る。労すれば気へる。思へば気結(むすぼう)る」といへり。百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調るにあり。調ふるは気を和らぎ、平にする也。凡そ気を養ふの道は、気をへらさると、ふさがらざるにあり。気を和らげ、平にすれば、この二のうれひなし。
【臍下丹田は生命】(248)
臍下三寸を丹田と云。腎間の動気こゝにあり。『難経』に、「臍下腎間の動気は人の生命也。十二経の根本也」といへり。これ人身の命根のある所也。養気の術つねに腰を正しくすゑ、真気を丹田におさめあつめ、呼吸をしづめてあらくせず、事にあたつては、胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気をあつめずして、丹田に気をあつむべし。この如くすれば気のぼらず、むねさはがずして身に力あり。貴人に対して物をいふにも、大事の変にのぞみいそがはしき時も、この如くすべし。
もしやむ事を得ずして、人と是非を論ずとも、怒気にやぶられず、浮気ならずしてあやまりなし。或(あるいは)芸術をつとめ、武人の槍・太刀をつかひ、敵と戦ふにも、皆この法を主とすべし。これ事をつとめ、気を養ふに益ある術なり。凡そ技術を行なふ者、殊に武人はこの法をしらずんばあるべからず。また道士の気を養ひ、比丘の坐禅するも、皆真気を臍下におさむる法なり。これ主静の工夫、術者の秘訣なり。
【七情に注意する】(249)
七情は喜・怒・哀・楽・愛・悪・慾也。医家にては喜・怒・憂・思・悲・恐・驚と云。また、六慾あり、耳・目・口・鼻・身・意の慾也。七情の内、怒と慾との二、尤徳をやぶり、生をそこなふ。忿を懲し、慾を塞ぐは『易経』の戒なり。忿は陽に属す。火のもゆるが如し。人の心を乱し、元気をそこなふは忿なり。おさえて忍ぶべし。慾は陰に属す。水の深きが如し。人の心をおぼらし、元気をへらすは慾也。思ひてふさぐべし。
【養生は「少」、「十二少」を守れ】(250)
養生の要訣一あり。要訣とはかんようなる口伝也。養生に志あらん人は、これをしりて守るべし。その要訣は少の一字なり。少とは万のこと皆少なくして多くせざるを云。すべてつつまやかに、いはゞ、慾を少なくするを云。慾とは耳・目・口・体のむさぼりこのむを云。酒食をこのみ、好色をこのむの類也。およそ慾多きのつもりは、身をそこなひ命を失なふ。慾を少なくすれば、身をやしなひ命をのぶ。
慾を少なくするに、その目録十二あり。「十二少」と名づく。必ずこれを守るべし。食を少なくし、飲ものを少なくし、五味の偏を少なくし、色欲を少なくし、言語を少なくし、事を少なくし、怒を少なくし、憂を少なくし、悲を少なくし、思を少なくし、臥事を少なくすべし。かやうにことごとに少すれば、元気へらず、脾腎損せず。これ寿をたもつの道なり。十二にかぎらず、何事も身のわざと欲とを少なくすべし。一時に気を多く用ひ過し、心を多く用ひ過さば、元気へり、病となりて命みじかし。
物ごとに数多く、はゞ広く用ゆべからず。数少なく、はばせばきがよし。孫思*(そんしばく)が『千金方』にも、養生の「十二少」をいへり。その意同じ。目録はこれと同じからず。右にいへる十二少は、今の時宜にかなへるなり。
【養生の大要四つ】(251)
内慾を少なくし、外邪をふせぎ、身を時々労動し、眠りを少なくす。この四は養生の大要なり。
【気を養う法】(252)
気を和平にし、あらくすべからず。しづかにしてみだりにうごかすべからず。ゆるやかにして、急なるべからず。言語を少なくして、気をうごかすべからず。つねに気を臍(ほぞ)の下におさめて、むねにのぼらしむべからず。これ気を養ふ法なり。
【気を巡らし、体を養う】(253)
古人は詠歌・舞踏して血脉を養ふ。詠歌はうたふ也。舞踏は手のまひ足のふむ也。皆心を和らげ、身をうごかし、気をめぐらし、体をやしなふ。養生の道なり。今導引・按摩して気をめぐらすがごとし。
【養生の四寡】(254)
おもひを少なくして神を養ひ、慾を少なくして精を養ひ、飲食を少なくして胃を養ひ、言を少なくして気を養ふべし。これ養生の四寡なり。
【摂生の七養】(255)
摂生の七養あり。これを守るべし。一には言を少なくして内気を養ふ。二には色慾を戒めて精気を養ふ。三には滋味を薄くして血気を養ふ。四には津液をのんで臓気を養ふ。五には怒をおさえて肝気を養ふ。六には飲食を節にして胃気を養ふ。七には思慮を少なくして心気を養ふ。これ『寿親養老補書』に出たり。
【修養の五宜】(256)
孫真人が曰く「修養の五宜(ごぎ)あり。髪は多くけづるに宜し。手は面にあるに宜し。歯はしばしばたゝくに宜し。津(つばき)は常にのむに宜し。気は常に練るに宜し」。練るとは、さはがしからずしてしづかなる也。
【行・坐・立・臥・語は久しくてはいけない】(257)
久しく行き、久しく坐し、久しく立、久しく臥し、久しく語るべからず。これ労動ひさしければ気へる。また、安逸ひさしければ気ふさがる。気へるとふさがるとは、ともに身の害となる。
【養生の四要】(258)
養生の四要は、暴怒をさり、思慮を少なくし、言語を少なくし、嗜慾を少なくすべし。
【四損】(259)
『病源集』に唐椿が曰く、「四損は、遠くつばきすれば気を損ず。多くねぶれば神を損ず。多く汗すれば血を損ず。疾(とく)行けば筋を損ず」。
【老人の痰切り】(260)
老人はつよく痰を去薬を用べからず。痰をことごとく去らんとすれば、元気へる。これ古人の説也。
【呼吸の方法】(261)
呼吸は人の鼻よりつねに出入る息也。呼は出る息也。内気をはく也。吸は入る息なり。外気をすふ也。呼吸は人の生気也。呼吸なければ死す。人の腹の気は天地の気と同くして、内外相通ず。人の天地の気の中にあるは、魚の水中にあるが如し。魚の腹中の水も外の水と出入して、同じ。人の腹中にある気も天地の気と同じ。されども腹中の気は臓腑にありて、ふるくけがる。天地の気は新くして清し。
時々鼻より外気を多く吸入べし。吸入ところの気、腹中に多くたまりたるとき、口中より少づつしづかに吐き出すべし。あらく早くはき出すべからず。これふるくけがれたる気をはき出して、新しき清き気を吸入る也。新とふるきと、かゆる也。これを行なふ時、身を正しく仰ぎ、足をのべふし、目をふさぎ、手をにぎりかため、両足の間、去事五寸、両ひぢと体との間も、相去事おのおの五寸なるべし。一日一夜の間、一両度行ふべし。久してしるしを見るべし。気を安和にして行ふべし。
【鼻より清気を入れ、口より濁気を出す】(262)
『千金方』に、常に鼻より清気を引入れ、口より濁気を吐出す。入ること多く出すこと少なくす。出す時は口をほそくひらきて少吐べし。
【ふだんの呼吸はゆるやか】(263)
常の呼吸のいきは、ゆるやかにして、深く丹田に入べし。急なるべからず。
【調息の法】(264)
調息の法、呼吸をとゝのへ、しづかにすれば、息やうやく微也。弥(いよいよ)久しければ、後は鼻中に全く気息なきが如し。只臍の上より微息往来することをおぼゆ。かくの如くすれば神気定まる。これ気を養ふ術なり。呼吸は一身の気の出入する道路也。あらくすべからず。
【養生の術で心・身を養う】(265)
養生の術、まづ心法をよくつゝしみ守らざれば、行はれがたし。心を静にしてさはがしからず、いかりをおさえ慾を少なくして、つねに楽んでうれへず。これ養生の術にて、心を守る道なり。心法を守らざれば、養生の術行はれず。故に心を養ひ身を養ふの工夫二なし、一術なり。
【夜更かしはするな】(266)
夜書をよみ、人とかたるに三更をかぎりとすべし。一夜を五更にわかつに、三更は国俗の時皷の四半過、九の間なるべし。深更までねぶらざれば、精神しづまらず。
【塵埃などを払って清潔に】(267)
外境いさぎよければ、中心もまたこれにふれて清くなる。外より内を養ふ理あり。故に居室は常に塵埃をはらひ、前庭も家僕に命じて、日々いさぎよく掃はしむべし。みづからも時々几上の埃をはらひ、庭に下りて、箒をとりて塵をはらふべし。心をきよくし身をうごかす、皆養生の助なり。
【陽と陰、春夏と秋冬、易道の陽陰】(268)
天地の理、陽は一、陰は二也。水は多く火は少し。水はかはきがたく、火は消えやすし。人は陽類にて少なく、禽獣虫魚は陰類にて多し。この故に陽は少なく陰は多きこと、自然の理なり。すくなきは貴とく多きはいやし。君子は陽類にて少なく、小人は陰類にて多し。易道は陽を善として貴とび、陰を悪としていやしみ、君子を貴とび、小人をいやしむ。水は陰類なり。暑月はへるべくしてますます多く生ず。寒月はますべくしてかへつてかれてすくなし。
春夏は陽気盛なる故に水多く生ず。秋冬は陽気変る故水すくなし。血は多くへれども死なず。気多くへれば忽(たちまち)死す。吐血・金瘡・産後など、陰血大に失する者は、血を補へば、陽気いよいよつきて死す。気を補へば、生命をたもちて血も自(おのずから)生ず。古人も「血脱して気を補ふは、古聖人の法なり」、といへり。人身は陽常に少なくして貴とく、陰つねに多くしていやし。故に陽を貴とんでさかんにすべし。陰をいやしんで抑ふべし。
元気生生すれば、真陰もまた生ず。陽盛(さかん)なれば陰自(おのずから)長ず。陽気を補へば陰血自生ず。もし陰不足を補はんとて、地黄・知母・黄栢等、苦寒の薬を久しく服すれば、元陽をそこなひ、胃の気衰て、血を滋生せずして、陰血もまた消ぬ。また、陽不足を補はんとて、烏附(うぶ)等の毒薬を用ゆれば、邪火を助けて陽気もまた亡ぶ。これは陽を補ふにはあらず。丹渓(の)陽有余陰不足論は何の経に本づけるや、その本拠を見ず。もし丹渓一人の私言ならば、無稽の言信じがたし。
易道の陽を貴とび、陰を賎しむの理にそむけり。もし陰陽の分数を以てその多少をいはゞ、陰有余陽不足とは云べし。陽有余陰不足とは云がたし。後人その偏見にしたがひてくみするは何ぞや。凡そ、識見なければその才弁ある説に迷ひて、偏執に泥(なず)む。丹渓はまことに古よりの名医なり。医道に功あり。彼補陰に専なるも、定めてその時の気運に宜しかりしならん。然れども医の聖にあらず。偏僻の論、この外にも猶多し。打まかせて悉くには信じがたし。
功過相半せり。その才学は貴ぶべし。その偏論は信ずべからず。王道は偏なく党なくして平々なり。丹渓は補陰に偏して平々ならず。医の王道とすべからず。近世は人の元気漸(ようやく)衰ろふ。丹渓が法にしたがひ、補陰に専ならば、脾胃をやぶり、元気をそこなはん。只東垣が脾胃を調理する温補の法、医中の王道なるべし。明の医の作れる『軒岐救生論』、『類経』等の書に、丹渓を甚(はなはだ)誹(そし)れり。その説頗(すこぶ)る理あり。
然れどもこれまた一偏に僻して、丹渓が長ずる所をあはせて、蔑(ないがしろ)にす。枉(まが)れるをためて直(なおき)に過と云べし。凡そ古来術者の言、往々偏僻多し。近世明季の医、殊にこの病あり。択んで取捨すべし。只、李中梓が説は、頗(すこぶる)平正にちかし。
八十四翁貝原篤信書 正徳三巳癸年(=1713年)正月吉日
KurodaKouta(2006.01.03/2012.01.13)
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