西丸震哉の平均寿命41歳論考

 (最新見直し2014.06.10日)

西丸震哉
 ウィキペディア西丸震哉(にしまる しんや)。1923年9月5日 - 2012年5月24日。日本人の食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家。

 1923年、9.5日、東京府生まれ。関東大震災の直後に生まれたので、祖父が「震哉(ふるえるかな)」と命名したという。母方の祖父の弟が島崎藤村。兄に西丸四方と島崎敏樹(共に精神科医)がいる。東京水産大学製造学科卒。山登りが好きで仕事と趣味で、若い頃は毎年100日は山にこもったという。大学卒業直後、釜石市の岩手県水産試験場勤務を経て農林省に入省し、初代農林水産省食料研究所官能検査研究室長をつとめ、日本国内・国外各地に探検旅行をして、食糧危機や文明破局論を唱え続けた異色官僚として有名であった。

 1960年、「未知への足入れ」( 東京創元社、のち角川文庫)。1961年、「尾瀬と南会津 奥鬼怒・奥利根」(実業之日本社、ブルー・ガイドブックス)。1962年、「裏がえしのインド ガンジスからデカンの原始境へ」(実業之日本社、のち角川文庫)。1966年、「山菜採りの楽しみ方」(西東社、レジャー・シリーズ)。「山の博物誌 山に生き山を彩どる動物と植物と自然」(実業之日本社のブルー・ガイド、のち中公文庫)。1967年、「尾瀬」(実業之日本社、ブルー・ガイドブックス)。1968年、「毒舌旅行」(実業之日本社)。1969年、「さらば文明人 ニューギニア食人種紀行」(講談社、のち角川文庫)。1970年、「ネコと魚の出会い―人間の食生態を探る」(経済往来社、のち角川文庫)。1971年、「山だ原始人だ幽霊だ」(経済往来社、のち角川文庫)。1972年、「野外ハンドブック 大自然に生きる基礎知識」(光文社カッパ・ホームス、のち文庫)。1973年、「大冒険山入門」(小学館入門百科シリーズ)。「動物紳士録」(中央公論社のち文庫)。「未開の味・文明の味」(日本放送出版協会 NHK女性手帳)。1974年、「食物の生態誌」(中央公論社、のち文庫)。「山歩き山暮し」(中央公論社、のち文庫)。「実説大予言 地球は冷え、乾き、人々は飢える」(五島勉との共著、祥伝社ノン・ブック)。1975年、「探検家のやじうま見聞録」(ホーチキ商事出版部)。「野草を食べよう <136種類>見つけ方と料理法」(丸山尚敏との共著、実日新書)。1978年6月、「生存の戦略 日本人生き残りの道」(豊田有恒との共著、創拓社)。 「日本人大絶滅?」(角川文庫)。10月、「山小屋造った…ネコも来た!」(文藝春秋、のち文庫)。1979年、11月、翻訳「天候とからだ かぜからガンまで」(ジュリアス・ファスト 三笠書房)。

 1980年、自主退官。2月「砦なき社会 わが野性的サバイバル思考」(PHP研究所)。「食べ過ぎて滅びる文明」角川文庫。頭の探検隊 地球はパズル・ランドだ 光文社 カッパ・ブックス 1980.7。食生態学入門(角川選書)1981。イバルナ人間(中公文庫、1982。山の動物誌 実業之日本社、1983。西丸式山遊記(角川選書)1986 のち中公文庫。不健康長寿国ニッポン 藤本敏夫共著(家の光協会)1986。ニチャベッタ姫物語(中央公論社)1986。山小舎を造ろうヨ―少し人生を考え直したい人に(中央公論社)1987 のち文庫。  

 台湾山脈、パプアニューギニア、アマゾン熱帯雨林、アラスカ、南北両極圏など世界の秘境を踏破。それらの調査から「食」を通じて人間の行動様式を研究する「食生態学」を確立し、自ら食生態学研究所の所長として「現代社会の異常性に警鐘を鳴らす」著作活動を続けた。さらに科学、医学、天文など幅広い分野に精通していた。若い頃から鮮明な幻覚を見る事がよくあり、幽霊やいわゆる超能力現象に興味を示し、科学者として可能な限り客観的な記録や解析を行おうと努めた(「未知への足入れ」、「山だ原始人だ幽霊だ」、「山とお化けと自然界」など)。さらに、登山中や農林水産省勤務中に経験した動物の珍しい行動(タコが陸上に上がり、大根を引き抜く)も記録している(「動物紳士録」、「山歩き山暮し」など)。また、作詞作曲から絵画まで手がける異能ぶりも示している。晩年の時期にも日本旅行作家協会常任理事のほか日本山岳会役員、日本熱帯医学協会顧問などをつとめていた。医師・作家のなだいなだが提唱した老人党に賛同・上田哲立川談志と老人党東京の代表を3人で行っていた(立川は西丸より先に死去)。

 他方、1970年代はじめから環境汚染による悲観的な未来予想を唱えるようになる。特に西丸がアドバイザーとして参加した映画『ノストラダムスの大予言』およびその関連として出版された『実説・大予言』(祥伝社・五島勉との対談)はその集大成といえるもので、ローマクラブの報告「成長の限界」やオイルショックをきっかけに起こった終末論ブームを強く後押しするものであった。

 1990年、「41歳寿命説―死神が快楽社会を抱きしめ出した」(情報センター出版局)。「21世紀初めには環境汚染の影響で日本人の平均寿命が大幅に下がる」という見解を『41歳寿命説』として世に送りマスコミの話題となった。同年、テレビ朝日深夜番組「プレステージ」に出演し、「今の若者はナチスのガス室にいるのも同然であり、昭和34年(1959年)以降に生まれた世代は41歳までしか生きられない」と断じた。いわゆるオカルト的な視点からではなく科学的合理的根拠に基づいた仮説であるだけに衝撃となった。しかし日本人の平均寿命が2009年まで毎年更新され続け、1990年からの約20年で約4歳伸びていることと自説の整合については亡くなるまで公にコメントしなかった。また、同じく1970年代はじめに流行した「地球寒冷化説」を2000年代に至るまで支持しており、地球温暖化説は誤りであるという見解を表明していた。『文藝春秋』1990年12月号は中原秀臣佐川峻による「西丸震哉の41歳寿命説は大嘘」という批判記事を掲載した。

  • 山とお化けと自然界 中公文庫、1990 
  • 人生密度7年説―短命化社会の「生と死」を組み立てる(情報センター出版局)1992 
  • 原始感覚保持派のための西丸震哉作曲集―無伴奏合唱曲(楽企画)1994 
  • 机上登山(博品社)1998 
  • 知らずに生きたかった滅びの大予言 後戻りのきかない滅亡の台本 三五館 1998.12
  • 西丸震哉の日本百山 実業之日本社 1998.6
  • 体内崩壊 加速する『41歳寿命説』法研 2000.3
  • こんなものを食べていたのか 西丸震哉の大警告! 青春出版社 プレイブックス 2000.1
  • 僕はこんな旅をしてきた DHC 2000.1


 2002年、腹部に大動脈瘤が発見されて手術を受け、体力が低下したことから山歩きをやめた。

  • 食物崩壊 出揃った滅亡のシナリオ 講談社 2002.11
  • 壊れゆく日本へ 山と溪谷社 2008.4
  • 西丸式世界「知的探検」〈ヨーロッパ・アフリカ篇〉 (主婦と生活社)


 2008年5月、長野県大町市の木崎湖沿いに西丸の収集した民俗学や蝶のコレクション、撮影した写真などを展示した西丸震哉記念館がオープンした。前述のように若い頃から幽霊(鮮明な幻視)話や、「タコが陸に上がって大根を引き抜く」などという異常な行動の見聞録を出版したために、ほら吹き呼ばわりされる事も多かったが、彼が釜石で体験した幽霊話はある種の神経変性疾患の症状に極めて類似している事が報告されたり(J. Neurol. Neurosurg. Psychiatry 2006;77;424-425)、水中にいるタコが陸上にある白い物体に異常な興味を示す事が実験的に証明されるなど(TBS『どうぶつ奇想天外!』)、西丸の体験に近い事実が確認される例も出ている。1970年代は度々、ラジオ番組に出演し、自分自身が超能力を持っていて、天気をコントロールできる能力を持っていると語っていた。

 2012年5月24日、逝去。 


『その昔』、日本人は長寿であった
日本人は長寿と言われています。そして豊になったので昔より寿命が伸びたのだとも。しかし、冷静に考えてみるとそうではないのではないか。むしろ昔のほうが長寿だったのではないかと思えてきます。以下、「その昔、日本人は長寿であった」リンクより引用します。
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私の周辺では、50歳台の人たちが亡くなっていくのが多くなりました。マスコミが勝ち誇ったように展開する「世界一の長寿国」とでは、大きなズレがあると思わざるを得ません。長寿大国の基となっていますのが、毎年、厚生労働省が発表している平均寿命です。この平均寿命は毎年、確実に上昇し、今や女性が84歳、男性が77歳になったといいます。この統計では、0歳児の平均余命(あと何年生きられるか)が平均寿命となっています。そして、平均余命とは、0歳児が(亡くなった)先輩たちの年齢別死亡率通りに死んでいくと仮定した場合の平均生存年数です。つまり、これから生きていく0歳児が、明治・大正・昭和に生まれ、今とは違った環境の中で生活をしていた先輩たちと同じ確率で死んでいくと仮定しています。こんな無茶な話はありません。先輩たちが生きてきた環境と、これから生きていく0歳児のそれとは、180度違っています。すなわち、高度成長経済が運命の分かれ目でした。つまり、昭和30年(1955年)の神武景気に始まる高度成長路線は、同35年(1960年)池田首相の「所得倍増」政策で大きな弾みとなり、その後も強力にに推進されました。その結果、物質的な豊かさと引き換えに、公害問題、大気・海洋汚染など生活環境は、急激に悪化し、食生活も「穀菜食」から「肉食中心」となり、今日に至っています。確かに先輩たちは、より自然に近い生活環境の中で、健康で長生きでしたが、その輝かしい遺産を0歳児が受け継ぐことは、百%ありません。生きていく条件、環境が違うのですから当然です。もう1つの理由は、乳児死亡率です。明治32年のそれは約15%でした。年とともに減少して、平成11年のそれは0.3%です。平均寿命の算出方法は、一人が100歳、もう一人が0歳で死亡しますと、平均寿命は50歳になります。つまり、乳児死亡率が低くなればなるほど、平均寿命は延びます。先輩たちは、生まれてまもなく亡くなるか、若年で伝染病で亡くなる人たちと、長生きして天寿を全うした人たちとに、明確に分かれていました。ですから、統計上の平均寿命は低くなっていました。更に言いますと、現在、長生きされているかたは沢山いらっしゃいますが、健康で身の回りのことを自分でできるかたは多くはありません。その証に、病院はお年寄りで満ち溢れ、入院したくても「2.3ヶ月」待ちです。そして、8割のかたが病院で亡くなっています。大変残念なことですが、現実です。結論として言えることは、高度成長時代以降、誕生した人たちは、このままの生活を継続した場合、長生きできません。平均寿命が70歳、80歳というのは遠い昔のお話です。(後略) 参考書籍「41歳寿命説」西丸震哉著 情報センター出版局 1990年刊
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100歳以上生きたと言われる卑弥呼、生き字引の長老の存在。。。昔の日本にはそうした話が多いです。面白いのは卑弥呼は別として特権階級で長生きしたという話は余り聞かないところ。大抵は村落共同体の話です。現在は環境の悪化、食生活の変化によって寿命は短くなっている可能性は高いと思います。そして引用にもあるように、薬漬けで寿命を延ばすことに何の意味もないし、本人もそれは望んでいないということが、昔と現代との大きな違いだと感じます。
 ★阿修羅♪ > 原発・フッ素38」の 魑魅魍魎男 氏の 2014 年 6 月 13日付投稿「がぜん現実味を帯びてきた西丸震哉「41歳寿命説」

 西丸震哉「41歳寿命説」がベストセラーになったのは1990年だった。当時は崩壊直前であるのも知らず日本中バブルに酔いしれていた。好景気がこの先永遠に続く思われていた時代である。そこに、「21世紀初めには環境汚染の影響で日本人の平均寿命が大幅に下がる。1959年以降に生まれた人は41歳までしか生きられない」と主張する本書が現れ、たいへんな話題となった。著者の西丸震哉氏は、岩手県水産試験場や農林省食糧研究所に勤務後、1980年に退官。その後は食生態学者として、大学講師、執筆活動などを続けた。2012年逝去。登山・探検家としても有名で、世界中の高峰、秘境、奥地を探査した。徹底したフィールドワーク重視であり、食人習慣のあったパプア・ニューギニア高地人と一緒に暮らしたりしている。作曲や絵画にもいそしみ、役人・学者にとどまらない型破りでユニークな人だった。熟年世代では、大自然の中で生きるノウハウを書いた「野外ハンドブック」で、彼の名前を知った人も多いだろう。

 さて「41歳寿命説」だが、カバーのそでに、次のような簡単なまとめが載っている。「短命化」の条件は、すでにこれだけ整っている!* 厚生省の"平均寿命"は現実から遊離したデタラメなもの* 数字の上の"平均寿命"を押し上げたのは乳幼児死亡率の低下* 医療技術の進歩により、弱者や老人が死なずにすんでいる* 要介護老人の数が欧米の三倍という現状は"不健康長寿"の証明* 歯止めを欠いた飽食、毒物摂取により、生理機構が狂いはじめている* 肺炎・気管支炎、心疾患による死亡者の激増は、抵抗力(生命力)低下の象徴* 肉食は、日本人が先祖代々受け継いできた生理機構には合っていない* 昭和三四年(1959年)以降、日本人の生存条件は劇的に悪化した* 人類が歴史上体験したことのない化学合成物の摂取は、生存の根底を脅かす* タンパク質の大量摂取を勧める現代栄養学は決して万能ではない* 新生児の生理機構が変化し、外界への適応能力が衰えている* 働きざかりの過労死・突然死は「短命化」の前兆 ---そして、2000年には短命化社会がやってくる。

 残念ながら、41歳寿命説はあまりに大胆でかつ予想がはずれたこともあり、忘れさられてしまった。トンデモ論、トンデモ本扱いする向きもあった。ところが、福島原発事故により何もかもが放射能汚染された現在、41歳寿命説はがぜん現実味を帯びてきたと言える。肺炎、心疾患、突然死など現在深刻化している問題を彼はすでに指摘していた。食の汚染は寿命に大きく影響するという見解は決して間違いではなかったわけだ。彼は世界の健康長寿村を探査・研究し、その存立条件は次の通りだと言う。(1) 水・空気がよい、(2) 気候がある程度厳しい、(3) 労働がある程度きつい、(4) ストレスが少ない、(5) カロリーとタンパク質を摂りすぎない、(6) 野菜を大量に食べる。

 3/11後の日本を考えると、(1)は水も空気も徹底的に放射能汚染されている。(3)は長引く不景気で、ますます過酷な労働を強いられる傾向にある。(4)は社会混乱、病苦、生活苦などで、今後ストレスがより増えるのは明らか。(5)はすでに西欧化された高カロリー・高タンパク質の食生活から戻るのは難しい。(6)野菜を摂ろうにも放射能汚染されている。ということで、どう考えても日本人はこれから健康で長生きはできないし、できたとしても病気を抱えての不健康長寿となるだろう。現在、元気な80歳以上のお爺ちゃんお婆ちゃんを見て、自分もあのぐらいまで健康でいられると思ったら大まちがいだ。彼らの子供時代には、農薬も食品添加物もそして放射能汚染もなかった。水も空気も新鮮だった。栄養は足りてはいなかっただろうが、自然にとれた食べ物で成長した。しかし団塊世代以降は、環境汚染の下で、人工着色料、保存料、甘味料など添加物がたっぷり含まれた食品で育ち、しかも核実験の影響も受けている。さらに最近では、安全性の十分確認されていない遺伝子組み換え食品を食べさせられている。戦前生まれの人たちのように元気で長生きできる保証はどこにもない。事実、60-70代で癌で亡くなる人が10年ぐらい前から激増している。そしてトドメが福島原発事故による放射能汚染である。すでに、日本人の寿命は20年も短くなる、3/11後に生まれた世代は20歳まで生きられないなど、衝撃的な予想が専門家から発表されている。このまま放射能による環境汚染、食品汚染を放置すれば、41歳寿命説が現実になる可能性は非常に高い。一刻も早く、政府は対策を打つべきだろう。この本は現在絶版でなので、興味があれば図書館で読むか中古本を入手していただきたい。


(関連リンク)

西丸震哉 (ウィキペディア)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E4%B8%B8%E9%9C%87%E5%93%89

西丸震哉記念館
http://nishimarukan.com/

プロフィール
http://nishimarukan.com/about/profile.html

「東日本80%が放射線障害を発症、寿命は20年も縮まる」(阿修羅 2012/8/8)
http://www.asyura2.com/12/genpatu26/msg/351.html

「警告!! 20mSv/年の被曝で子供の場合、寿命が36歳になる」 (阿修羅 2013/11/4)
http://www.asyura2.com/13/genpatu34/msg/541.html

「原発事故以降に生まれた日本人は、20歳を迎えることなくなくなる(ウクライナ医師)」
(阿修羅 2014/4/12)
http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/429.html

「佐野実氏だけじゃない......中高年が蝕まれる"複合汚染"」 (阿修羅・日刊ゲンダイ 2014/4/12)
http://www.asyura2.com/13/health16/msg/321.html





(私論.私見)