「山口県光市母子殺人事件」考

  (最新見直し2008.4.28日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 死刑制度の存置と廃止をめぐって対立している。死刑制度の存置と廃止は国際的関心事項でもある。これに関係する法律として、1・国連の1948年採択の「世界人権宣言」の第3条「生命・自由・身体の安全に対する権利」、2・1966年採択(日本は79年に批准)の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(国際人権規約B規約)、3・第6条「生命に対する権利」で死刑の制限規定、4・死刑廃止条約(「死刑廃止という国際的約束」を目的とする市民的及び政治的権利に関する国際規約の第2選択議定書)等がある。

 他方で、凶悪犯罪が頻出しており、死刑廃止是非論は当分解決しそうにない。留意すべきは、刑法犯罪に対して没思想的理論的に免責条項を適用し、重罪を犯しても不相当に軽罰される、あるいは無罪放免される方向での弁護活動が目立ってきている。死刑廃止運動がこれに連動しているように見受けられる。今、現代的罪刑法定主義が陥ったこの隘路が問題になりつつある。

 この問題の格好教材として「山口県光市母子殺人事件」が発生している。この事件で、被害者の夫である本村氏が、現代刑法の矛盾の集中点で独り屹立し闘っているように見える。れんだいこは長らく、犯罪と刑罰の関係を廻る最近の検察と弁護活動のそれぞれの一方性にもやもやとした思いを抱いてきた。本村氏の獅子奮迅の踏ん張りを見て、現代刑法の処罰と免責を廻る駆け引きに対して思想的理論的解決すべく考察せねばならないと思うようになった。

 どこに問題があるのか、以下、「山口県光市母子殺人事件」を検証しつつ「罪刑法定主義の新視点考」を考察する。2008.4.28日の「伊藤香織被告の夫殺害、死体切断放置事件」も付け加える。

 2006.6.21日、2008.4.28日再編集 れんだいこ拝


【「山口県光市母子殺人事件」とは】
 ウィキペディア光市母子殺害事件」その他を参照する。

 1999.4.14日午後2時半頃、山口県光市の社宅アパートで、本村洋(もとむら ひろし )氏の妻(当時23歳)とその娘(生後11カ月)が、当時18歳の少年に殺害される事件が発生した。少年は、排水検査を装って居間に侵入し、女性を引き倒し馬乗りになって暴行に及んだところ激しい抵抗を受け、頸部を圧迫して結果的に窒息死させるに至った。少年はその後、女性を屍姦し、傍らで泣きやまない娘を床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させた。事後、女性の遺体を押入れに、娘の遺体を天袋にそれぞれ放置し、居間にあった財布を盗んで逃走した。盗んだ金品を使ってゲームセンターで遊んだり友達の家に寄るなどしていたが、事件から4日後の4.18日に逮捕された。
 
 この事件の史的意義は、被害者の夫である本村氏が被害者の側からの正義を訴え、裁判の経過中、死刑判決を望むことを強く表明し、 被告及び弁護団の免責弁護に対し「等値刑罰」を希求し、現代刑法の不正を告発し続けていったことにある。

 本村氏は、2000.3.22日、一審の山口地方裁判所が、死刑の求刑に対し無期懲役の判決を下した。この時、次のように述べている。
 「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」。

 2001.12.26日の意見陳述の際、次のように述べている。
 「君が犯した罪は万死に値します。いかなる裁判が下されようとも、このことはだけは忘れないで欲しい」。

 これに対し、少年は当初は犯行を認めていたが、供述書内容が実際と違うとして宗教的儀式殺人譚を述べ始めた。上告審から主任弁護人を引き受けた安田好弘を中心とする弁護団は、少年の新証言を重視し次のように弁護している。
 概要「犯罪は、強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた結果である。首を絞めたのは、殺そうとしたからではなく、口をふさごうと右手の逆手で首を押さえただけである。殺したのは、故意ではない。娘の遺体を押し入れに入れた理由について、何でも願いをかなえてくれる場所だと思っていた。ドラえもんがなんとかしてくれると思った。死後姦淫について、生き返ってほしいという思いだった。山田風太郎の『魔界転生』という本に、そういう復活の儀式が出ていたから云々」。

 本村氏はこの間、「(日本では)犯罪被害者の権利が何一つ守られていないことを痛感」し、同様に妻を殺害された元日本弁護士連合会副会長・岡村勲らと共に「犯罪被害者の会」(現、「全国犯罪被害者の会」)を設立し、幹事に就任した。さらに犯罪被害者等基本法の成立に尽力した。現在、犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて活動している。

(私論.私見) 「山口県光市母子殺人事件」に於ける本村氏の主張と被告弁護団の弁護の正義の落差について

 「山口県光市母子殺人事件」は、本村氏が被害者側の正義を主張し続けることにより、被告弁護団活動の正義の虚構を衝いている。それは、現代司法の陥った隘路を照射している。以下、この危機を打開する為のれんだいこ処方箋をスケッチしてみたい。

 2007.9.23日 れんだいこ拝


【「山口県光市母子殺人事件」訴訟経緯】

 1999.4.14日、事件発生。4.18日、逮捕。6月、山口家庭裁判所が、少年を山口地方検察庁の検察官に送致することを決定、山口地検は少年を山口地裁に起訴した。

 1999.12月、山口地検は、死刑を求刑した。

 2000.3.22日、山口地方裁判所は、死刑の求刑に対し、無期懲役の判決を下した。判決は、内面の未熟さや中学生のときに母親が自殺するなどの影響を指摘し「更生の可能性がないとはいえない」と死刑を回避した。

 その後に大月被告が知人にあてた「(刑期)7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す」などとする手紙が明るみに出て、激しいバッシングを受けた。

 2000年、「全国犯罪被害者の会」が結成され参加。積極的にメディアに登場し、犯罪被害者基本法成立など世論を動かす大きな力になった。

 2002.3.14日、広島高等裁判所は、一審判決を支持し検察の控訴を棄却した。

 2006.6.20日、最高裁判所は、検察の上告に対し、「年齢は死刑回避の決定的事情とまでは言えない」として広島高裁の判決を破棄し、「死刑を回避するに足りる特に酌量すべき事情があるかどうか更に審議を尽させるため」として審理を差し戻した。

 公判の当初の予定日に主任弁護人の安田好弘弁護士・足立修一弁護士が欠席して弁論が翌月に遅延したことについて、最高裁からも不誠実な対応であると非難された。

 2007.5.24日、広島高裁で差し戻し審の第1回公判が開かれた。検察側は「高裁の無期懲役判決における『殺害の計画性が認め難い』という点は著しく不当」とした上で、事件の悪質性などから死刑適用を主張。弁護側は「殺意はなく傷害致死にとどまるべき」として死刑回避を主張した。

 2007.5.27日、弁護士・橋下徹が、テレビ番組「たかじんのそこまで言って委員会」において、光市母子殺害事件弁護団に対し、「あの弁護団に対してもし許せないと思うんだったら、一斉に弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」と懲戒請求を行うよう視聴者に呼びかけた。これによりTVを見た視聴者らから約7558通の懲戒請求書(2006年度における全弁護士会に来た懲戒請求総数の6倍を上回る)が弁護士会に殺到することになった。橋下自身は、「時間と労力を費やすのを避けた」、「自分がべったり張り付いて懲戒請求はできなくはないが、私も家族がいるし、食わしていかねばならないので……」等の理由で懲戒請求はしていない。

 これに反発した光市母子殺害事件弁護団のうち、足立修一・今枝仁ら4人は2007.9月に橋下に損害賠償を求めて広島地裁に提訴し、現在は争点整理手続が行われている。

 同6.26−28日、第2、3,4回公判が33日連続で開かれた。1審の山口地裁以来7年7か月ぶりに行われた被告人質問において被告は殺意、乱暴目的を否定した。

 同7.24−26日、3日連続の公判が行われた。弁護側が申請した精神鑑定人は被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。

 同9.18−20日、3日連続の公判が行われた。被告は1、2審から一転して殺意を否定したことについて「(捜査段階から)認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」とした。20日の公判では遺族の意見陳述が行われ、改めて極刑を求めた。

 同10.18日、検察側の最終弁論が行われ、改めて死刑を求刑した。同12.4日、弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。


 2008.4.22日、広島高裁の判決公判が行われ、死刑判決が下された。

 2009年、再婚。

 2010.4月、支援者を通じて月命日の14日に欠かさず事件現場となったアパートの玄関前に花を供え、自らは拘置所で祈りをささげている。

 2012.2.10日、大月被告は、最高裁判決を目前にしたこの日、広島拘置所で共同通信記者と面会。事件からの13年間を「数々の人に支えられ、真実と向き合えるまで成長した」と振り返った。裁判所には「許されるならば人の役に立つことをして償いたい」と話した。殺意や強姦(ごうかん)目的は否定し、再審請求の可能性にも言及。「絶望せず全力で生きたい」と思いを語った。判決に望むことを聞かれ「殺意がなかったことが傷害致死罪に当たるのであれば、そこは厳正な判決をしてほしい」と揺れる胸中も吐露。「亡くなった命は返せない。2人の未来を否定してしまったことを深くおわびする」と謝罪した。


【「山口県光市母子殺人事件」訴訟経緯】
 2012(平成24).2.20日、99年の山口県光市母子殺害事件で殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた犯行当時18歳1カ月の大月孝行(旧姓福田)被告(30)の上告審判決で、最高裁第1小法廷は、被告の上告を棄却した。これにより死刑が確定する。死亡被害者2人の事件で犯行時少年の死刑が確定するのは、83年以降では初めて。

 最高裁判所の裁判官4人中、3人の多数意見による結論となった。宮川光治裁判官(弁護士出身)は死刑事件では極めて異例の反対意見を述べ、「犯行時の精神的成熟度のレベルはどうだったかについて、少年調査記録などを的確に評価し、専門的知識を得るなどの審理を尽くし、再度、量刑判断を行う必要がある」と主張。「年齢に比べ精神的成熟度が低く幼い状態だったとうかがわれ、死刑回避の事情に該当し得る」として審理差し戻しを求めていた。一方で、金築裁判官は「少年法が死刑適用の可否について定めているのは18歳未満か以上かという形式的基準で、精神的成熟度の要件は求めていない」と説明。あらためて判決の正当性を主張した。

 裁判長は、「遺族の被害感情は極めて厳しいが、殺意や犯行態様について不合理な弁解を述べ、真摯(しんし)な反省はうかがえない」、「更生の可能性もないとは言えない」ものの刑事責任は重大で、死刑を認めざるを得ないと結論付けた。

 この日、一貫して死刑を求めてきた遺族の本村洋さん(35)は、妻弥生さん=事件当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=の遺影を胸に抱え、最高裁法廷の最前列で判決を待った。記者会見で次のように語った。「求めていた判決が下された。彼(大月被告)の犯したことは許されず、罪を償わなければならない。18歳でも反省しなければ死刑にされる。判決をしっかりと受け止め、罪を見つめ反省し、反省した状態で刑を堂々と全うしてほしい」、「求めていた判決。大変満足しているが、うれしさ、喜びという感情はない」、「堂々と死刑を全うしてもらいたい」、「社会でやり直すチャンスを与えるのか。命で罪を償わせるのが社会正義か。答えはない。長い歳月がかかったが裁判官も悩んだと思う」、「被害者がいつまでも下を向いて生きるのではなく、事件を考えながら前を向いて笑って自分の人生を歩んでいきたい」。





(私論.私見)