有知蒙昧社会と決別せよ

 (最新見直し2008.6.2日)

 無知蒙昧社会なるものが本当に存在していたのかどうか疑わしい。そこから決別すると云う名目で文明社会なるものが生まれたのは確実だ。その文明社会が定向進化し今日の社会へと至っている。れんだいこは、だがしかし、今日の社会を有知蒙昧社会では無いかと判ずる。

 更に云えば、文明社会は必ずしも有知蒙昧社会に至る必然性は無かった。どこかで反転せしめられ、今日の如くな有知蒙昧社会に至ったと判ずる。これを評論して事足りるのはれんだいこの趣味ではない。その原因を尋ね処方箋を提供するところまで漕ぎ着けたい。

 ここまでが設問である。以下の回答は論者がそれぞれ論ずればよい。れんだいこは以下の如く説く。

 いずれ書き直すとして、結論から言えば文明社会は即ち有史社会は、宗教史上のユダヤ教パリサイ派に侵食されるに応じて知性を退化させ、彼らの夢想する世界観、社会観、処世観に基く世の中の有り姿が現出するに応じて有知蒙昧社会に入った・れんだいこは、そう判じている。その昔、イエスが警鐘乱打した通りの社会が生まれたことになる。イエスの偉大さは、ユダヤ教パリサイ派的知性を徹底的に弾劾した知性と論法と批判にこそ認められる。

 こう構図すれば、我々は、有知蒙昧社会からの脱却に向かわねばならない。その際、イエスの御教えに帰ることも一法だろう。あるいは、イエスに限らず世の様々な思潮の中から有益なものを選り分け、それらに立脚した新思潮を創り出さねばならないだろう。

 これを為した時、我々は初めて有知文明社会へ向かう事ができるだろう。しかしそれは、現代世界を牛耳る国際金融資本大国主義が依拠するユダヤ教パリサイ派の思潮総体と徹底対決する以外には生み出されないだろう。してみれば、ユダヤ教パリサイ派の思潮総体を徹底解析する必要もあろう。

 残念ながら、有知蒙昧社会の自称インテリ階級は、ユダヤ教パリサイ派の思潮総体を無批判的に受容信奉するところに形成されている。そのような類いの知性者でしかないと云う事になる。してみれば、我々は、現存する自称インテリ階級とは別知の知性階級を形成せねばならないということにもなろう。

 以上スケッチしておく。

 2008.6.2日 れんだいこ拝




(私論.私見)