2008.5.14日、カストロと並び称されるキャーバー革命の指導者チェ・ゲバラの生誕80年にあわせ、娘のアレイダ・ゲバラ・マーチ(小児科医。57歳)がNPO法人などに招かれ初来日した。5.28日まで日本各地を講演行脚する。
チェ・ゲバラはアルゼンチン出身。メキシコでフィデル・カストロ前国家評議会議長と出会い、キューバ革命に参加し、革命後は国立銀行総裁なども務めた。しかし各地の革命闘争を支援するためキューバを離れ、39歳でボリビアで銃殺されるまでゲリラ闘争を指導した。
そのゲバラは、革命成功後の1959(昭和34).7月に訪日し、広島行きを希望したが日本政府が許可しなかった為、訪日団を抜け出し、予定外の行動で夜行列車に飛び乗って広島に入った。広島原爆の爪跡を見学し、原爆の悲惨な被害を目にして、「平和のためにより良い闘いをするには、ヒロシマを見なくては」と書いた絵はがきをキューバの家族に送っていた。
5.15日、アレイダ・ゲバラ・マーチさんは、かの時の父ゲバラの示唆に従い、来日するや広島を訪問した。前田耕一郎館長の案内で、原爆慰霊碑に献花した後、原爆資料館を見学し、被爆者の証言に耳を傾けた。感想は、「同じ人類がこうした悲劇を起こしたことを、痛ましく思った」と述べ、「悲劇を繰り返さないために世界の人がつながれば、誰も負かすことのできない力になると思う」、「大切なのは互いを理解すること、イデオロギーや肌の色、文化の違いあっても、理解することはできるはず」と訴えた。
5.17−18日、東京講演。京都、大阪(5.20)での講演に続いて、5.22日、神戸市灘区のギャラリーで講演した。キューバの国際医療支援を紹介しながら、「貧しいキューバにできて、日本にできないことはない」と日本に医療を通じた協力を呼び掛けた。
5.23日、宮古島市の伊志嶺亮市長を表敬した。小児科医でもあるアレイダさんは、宮古島と伊良部島の医療施設を訪問。伊志嶺市長は、キューバの医療費が無料であることを称賛し、「キューバの知恵を借りたい」と話すと、アレイダさんは、「キューバのような貧しい国でできるなら、経済的に豊かな日本でも(医療費無料は)できるのでは」と応じた。
5.24日、那覇市のパレット市民劇場で「医療先進国キューバの知られざる素顔と父チェ・ゲバラを語る」の演題で講演した。アレイダさんは、「たった一人の人間ができることはそれほどないが、世の中を変えたいと思う人たちが尊重し合い、力を携えていくことが大事」とし、社会の変革には連帯と団結が必要だ」と語った。更に、国民の医療費が無料で病気の予防に力を入れているキューバの医療事情を紹介し、「医療はそこに住んでいる人の権利。わたしたちの夢は医療制度が社会すべてをカバーできるようにすること」と話し、工場や学校にもすべて医師を配置していることや、乳児や妊産婦検診などに力を入れていることを説明した。
南米諸国を米国の搾取から解放し、平等な社会を実現させたいという父の理想と活動について「本当の革命は愛と気持ちに基づいていなければならないし、父はそのことを実践したと思う」と説明。現在の南米諸国の現状について「ボリビアは南米で初めて先住民の大統領を誕生させ、わたしたちにとって勝利と希望だ」と語り、他国からの圧力ではなく、自己決定できる政府の大切さを訴えた。
5.26日、みのもんたの朝ズバにゲスト出演し、同様のコメントを述べた。
れんだいこが、ゲバラ−娘アレイダに注目するのは、それがイエスの道を継承しているからである。現在、世を挙げてイエスが論難したパリサイ派の道へ突き進んでいる。これは二股の道であり、両輪に乗ることはできない。キューバ革命、ゲバラの道をパリサイ派の道に対する抵抗運動として意義を高く評価したい。
2008.5.26日 れんだいこ拝