タバコ囚の脱獄生還記その1

 (最新見直し2014.07.02日)

 (ほう吉のショートメッセージ)
 ここで、ほう吉が我が身に試したドキュメント「タバコ囚の脱獄生還記その1」を公開しておく。本書の添え書きは「タバコ中毒から抜け出す苦しみの七転八倒ブログ」である。これから禁煙に挑む方の役に立てればと思う。

 本書は、チェーンスモーカーほどではないものの一日三箱四箱吸うヘビースモーカーの禁煙記として値打ちがあると思っている。一日数本や一箱程度の者の禁煙記では物足りない。ニコチン&タール含有量が大目の銘柄のヘビースモーカーにして最低20年以上の長期喫煙者のものが欲しい。ほう吉は自慢にはならないが喫煙歴45年、マイルドセブン10ミリを一日三箱から四箱吸い続けてきた者であるから、これに当てはまる。思い出すまま気がつくままに書き付け、次第により詳しいものにしようと思う。

 既に多くの禁煙格闘録があるが、ほう吉のそれも加えられるに値するものにしようと思う。但し、最初から記そうとしたのではない。当初の禁煙1週間は無我夢中で記す余裕もなかった。10日目過ぎ頃、ネットで禁煙闘争記を確認し、ほう吉もこれに倣い書き残すことにした。案外と思っていた以上の出来栄えの実証的且つ内省的な禁煙記になったのではなかろうか。アレン・カーの「禁煙セラピー」を読まないままの禁煙戦になったが、同書の姉妹編としての地位を獲得したいと思う。あるいは「禁煙セラピー」が西欧的な書き物とすれば「タバコ囚人脱獄記(タバコ中毒生還考)」は日本的な書き物と受け止めるべきかもしれない。

 その内容について触れておけば、禁煙理由も禁煙後の症状、対応につき、当然ながら人様々であろう。それはそれで良い。問題は、明らかにヤラセ記事的な、あるいは又逆の虚偽記録的な、あるいは又医薬対応必然論的見地からのコメントが目につくことである。そういうものではない、もっと天然的な、ほう吉自身が実証したウソ偽りのない記録を提供しておくことは意味がない訳ではなかろう。これがサイトアップ理由である。付言しておけば、禁煙中の者をして再喫煙させんとする無理な禁煙よしなさい的なブログもある。許し難いと思う。

 体験を幅広くするために「禁煙の巻」、「禁煙の森 」、「禁煙の森 掲示板」、「読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト) [新書]」、「禁煙成功のノウハウ」、「佐藤内科クリニック」、「禁煙成功体験談 この方法で必ずタバコはやめられる」、「禁煙に関する知識集」、「禁煙・離煙・卒煙・たばこの煙が無い生活・体験記」、「禁煙奮闘日記」、「禁煙サイトリンク集」、「まだ たばこを吸っているあなたへ」、「禁煙ブログ 根性と意志で戦う記録」等々を参照した。

 2014.05.18日 ほう吉拝

【我が禁煙闘争記】

 或る日の禁煙願立て
 2014.4.30日、5月連休に入るこの日より禁煙闘争に突入した。ここでは記さないが、禁煙に至る直前の流れに個人的な慶事と、その後に痛恨事があり、慶事を再度賜りたく、否それよりも更なる慶事を引き出したく、痛恨事を退けたく、この願いを神仏に願立てして、その際の無垢至誠の証として禁煙を誓った。これを天理教式では「心定め」と云う。こたびの禁煙にはこういう経緯がある。「願立て」が禁煙なのは痛恨事に喫煙が関わっていると思えたからである。よって痛恨事を逆利用したことになる。結果的に長年煩ってきた喫煙と決別するに値する格好の「願立て」が生まれてきたことに感謝している。この「願立て」を得たことが僥倖であり、これなしには禁煙に挑まなかったと思う。かくして、「ステージアップの為の禁煙」、これがほう吉の禁煙事由となった。このことを強調しておきたい。よってほう吉禁煙論はステージアップ禁煙論となる。

 そのステージアップ禁煙論によれば、一日一箱程度の喫煙であれば敢えてタバコを止める必要もなかろうと思う。「節度を持って依存しない程度に吸えば良い」との言が為されている。羨ましいが、そういう抑制の利いたタバコの吸い方ができる者もいよう。これは禁煙の誓いが破れた後にも言える。一日一箱程度の喫煙に収まるのであれば吸い始めても良いとも思う。問題は、1本が2本になり、2本が1箱になり、1箱が3箱になりと云う具合にブレーキのきかない喫煙に戻ることにある。そういう質の者は二度と吸わないのに越したことはない。

 ほう吉のみならず大方の者が歯止めの利かない中毒喫煙性を帯びているのではなかろうか。しかも喫煙には定休日がない。年がら年中休みもとらずに吸い続けることになる。これはかなり異常である。喫煙がそういう性質のものである故に何とかして抜け出す必要がある。ほう吉もまさしくこの部類の一人であった。喫煙に関係する症状が既にあちこちに発生しており、命をとるのかタバコを取るのかの二者択一が迫られるのは時間の問題であった。この自他共に認める重症の喫煙常習病者に対して、慶事と煙草が絡む痛恨事が重なり、今ぞ頃合いとして禁煙を心定めして「願立て」に向かったと云う流れとなった。時にほう吉63歳である。後にして思えばほう吉の最後の挑戦で、この挑戦に失敗すれば死ぬまで永久にタバコ漬けになっていた。「かも知れない」と云うより「きっとそうに違いない」と思う。

 我が喫煙史
 タバコは、思えば20歳頃より吸い始め以来45年近くになる。元々は剣道をしてきたスポーツマンタイプだったので20歳までは喫煙しなかった。そういう意味では高校時代まで1本も吸っていない。と云うか絶対吸うまいと決めていた。東京へ出て学生生活をエンジョイしながら自然に吸うようになった。なぜなら当時に於ける喫煙は大人の社会への仲間入りの印し的な意味があったからである。喫煙はそういう感覚での社交アクセサリーのようなものであった。喫煙時期としては遅い方だったと思う。早い者は好奇心から中学、高校時代に喫煙してキザっぽさを売っていた。

 吸い始めの当初は一日数本だった。最初の夏休みに帰省した折の彼女とのデートでタバコを吸う手つきが不器用なことをからかわれ、それがきっかけとなって本数を増やしていった。それでもその頃は一日一箱吸うぐらいであった。それから人生を積み重ね、それに応じて次第に病みつきとなり本数がどんどん増えていった。その後の45年の定向進化でいつしか三箱から四箱のヘビースモーカー中毒になっていた。禁煙直近のお気に入り銘柄はマイルドセブン系10㎎である。

 喫煙はほぼ生活習慣となっている。欲しくて吸う場合と惰性で吸う場合があるが朝昼宵晩の四コースに分けて確認してみる。「朝の喫煙コース」は「目覚め(寝起き)の一服」から始まる。「朝の一服」、「出掛け前の一服」。ここまでで数本吸う。次が「仕事タイムの喫煙コース」である。「通勤時の一服」から始まる。会社へ着いてからは「仕事前の一服」。これより「仕事中の一服」、「食前食後の一服」、「帰社前の一服」へと繋がる。その間、「商談の一服」、「ストレスの一服」、「トラブルの一服」が加わる。次が「オフタイムの喫煙コース」である。仕事を終えてから帰宅するまでの間に様々な「一服の山」が待ち受けている。最後が「夜の喫煙コース」である。帰宅してからの「風呂上りの一服」。他は「朝の喫煙コース」の逆廻りとなる。これを365日の毎日休みなしに繰り返す。

 この間、喫煙傷害を和らげる為の数々の工夫をしてきた。そもそも根元までは吸わない。3分の1辺りのところへ来たら、それ以上は吸わない。なぜなら急激においしくなくなるからである。時に根元まで吸う人を見掛けるが、いかにも貧乏くさい。吸い方としてはそれぐらいである。喫煙傷害治癒対策としては直近では毎日、くず湯と抹茶を飲んでいた。喫煙傷害対策ではないが缶飲料を飲まない、たまの休日には温泉に浸り療法する等もそうである。但し、禁煙していよいよはっきりしたことは「禁煙こそが最高の美容液&サプリ」と云うことである。次のように云われている。
 「煙草をやめたことによってビタミンCが失われなくなりくすみが取れる。顔が以前よりも明るくなる。高いエステに行くより、まずは禁煙ですね。喫煙が血行を悪くし、それが新陳代謝に悪影響を与え、シミやくすみの原因になって肌の状態を悪くする。煙草を吸っていたら吸うたびにビタミンCを失い血液の流れを悪くし、しみやくすみの原因となり美白とはほど遠い肌になります。大切なビタミンCがなければ、どんなにお手入れしても美白にはなれません。禁煙万歳!!!肌のことを考えたら二度と煙草は吸いません!!!」。

 喫煙の効能
 ほう吉が喫煙して来たことには然るべき事由があったと思っている。世間では「百害あって一利なし」とタバコ有害論ばかり云っているが、それを埋め合わせる効能があるから喫煙が続くのであり、両論公平の見地から理論を生み出さないといけないと思う。ここで簡単に喫煙有益論を問うておく。

 これを身体的精神的社会的に分けて問う。第一に身体的効能がある。これを分かり易く云えば虫下し的な意味がある。腸内の雑菌に対して「毒をもって毒を制する」的な意味で何がしか有益な作用をしている節がある。第二に精神的効能がある。これを分かり易く云えば喫煙シンキング的な意味がある。喫煙時に精神的情緒の安定を得、その下での思考が一定の閃きを生むことがある。即ちタバコには沈静と沈思効果がある。「タバコを吸うとタバコに含まれるニコチンが直接脳を覚醒させ頭がスッキリ、気分が落ち着いたという感覚をもたらします」とある通りである。これが何がしか有益な作用をしている節がある。第三に社会的効能がある。これを分かり易く云えば人との話しの間合いを得る的な意味がある。対人でも物でも良いが何がしか距離を得て有益な作用をしている節がある。他にも「手持ちぶさた」や「口さみしさ」を紛らわす効能が注目されている。もう一つある。眠気覚まし的効果である。運転中、眠気を催したらタバコを吸うことでその場凌ぎすると云う活用法もある。

 禁煙理由論その1、喫煙疾病(しっぺい)
 喫煙理由の理屈を言えばそういうことになる。問題は、そういう効能を持つ喫煙がほどほどの量であれば差し支えないが過喫煙となるとどうなるかである。タバコは中毒性嗜好品であり、嗜む度が過ぎると喫煙の効能が逆作用し始め、単なる依存症禁断病状を見せ始める。加えて様々の疾病(しっぺい)に見舞われ後で後悔させられることになろう。ほう吉はこちら側であるので何としてでも止めねばならなかった。但し決断がないままズルズルと喫煙し続けていた。

 参考までに喫煙疾病(しっぺい)を確認しておくと次のような症状がある。咳き込み、痰、のど(喉頭)の違和感、 舌の荒れ、鼻腔の汚れ、鼻毛の伸び、肺気腫、胃痛、胃潰瘍、息切れ、胸焼け、心筋疾患、心不全、手振れ、欠伸(あくび)、体のだるみ、何をするにも大儀、無気力等々。当然、肺活量が落ちる。これらはほう吉自身が確認している症状である。他にも口内炎 、肩こり 、鼻炎 、よだれ 、不眠症などがあるようである。但しほう吉自身にはこれらの症状はない。この辺りは個人差なのだろう。「タバコと腰痛の関係」を云う者もいる。ほう吉も腰痛持ちであるが喫煙と関係しているのかどうかまで分からない。

 喫煙者全てに共通するのは歯と歯茎がニコチン&タール(以下、「タバコヤニ」と云う)汁で黒く汚損され、歯肉にメラニン色素が沈着し歯ぐきの色が汚くなる。歯が黄色くなり普通の歯磨きでは落ちにくくなる。歯周病(歯槽膿漏)にかかりやすく喫煙者特有の口臭を放つ。顔の肌、タバコを持つ手の爪、指先が黄ばむ。禁煙後、歯垢、歯のヤニ取りをして備えるのも賢いようである。

 禁煙後に気づいたが白髪も関係しているようである。これについてはもう少し見守りたい。他にも食覚、嗅覚が落ちる。食覚はまだしも、嗅覚については森林浴してもさっぱり匂わないと云う悲哀がある。鼻毛についてもう少し詳しく言えば、煙草を吸う人は吸わない人に比べて鼻毛の伸びる速度が速い。これは鼻毛が悪い空気を遮断する働きをするからと思われる。喫煙を続けることにより鼻毛もスクスク育つ。田舎よりも空気の悪い都会に住んでいる人の方が鼻毛が伸びる速度も早いのも同じ理由である。

 正確には、こういう様々な禁煙理由があり、それらが一挙に押し寄せつつあり、これに対処せねばならないところに願立てがうまく重なり、5月連休直前に突如禁煙を決意したとみなすべきだろう。そういう旬(しゅん)が来たと云うことだろうか。

 禁煙理由論その2、火災
 ほう吉の喫煙理由その2に火災誘引がある。こたびの禁煙踏み切りには関係していないが、過去に寝タバコ、不十分な消しタバコによりゴミ箱から火事が起りそうなことがあった。これは一度や二度ぐらいなら喫煙者みんなが経験しているのではなかろうか。その一つだけ挙げておくと、或る時、碁会所へ向かう為に事務所を出ようとしたら何やら焦げ臭い。事務所内を見回しても何ら異常はない。鼻を利かすと台所の方から臭う。行って見ると、ゴミ箱の中が燻ぶり燃えようとしている。灰皿のタバコを水をかけずにゴミ箱に入れ、それが完全に消されてなくて燃え移ろうとしていた。碁会所へ向かうタイミングが早過ぎると事務所は完全に火災を起していたであろう。こうなると運の問題であるが、運の良さで大ごとにならずに済んだ。今思い出しても怖い話しである。

 禁煙理由論その3、女性の男勝りの喫煙に対する幻滅
 ほう吉の喫煙理由その3に「女性の男勝りの喫煙に対する幻滅」がある。こたびの禁煙踏み切りには関係していないが、過去に嫌な思い出がある。これは、ほう吉が女性は可愛くなくてはならないとする先入観があるからであろうが、こういう先入観をなくそうとは思わないのでご意見は無用である。

 さて、「女性の男勝りの喫煙に対する幻滅」とはどんな事例だったのか。それは、カブに乗り、ヘルメットを粋に斜めにずらして、咥えタバコをして、コンビニに入ってきた乙女との出会いを云う。体裁が男勝りそのものであり、女性のそういう姿を見ようとは思わない。その時の感情である。

 禁煙の試み史
 この間、禁煙を試みたことがあるが決まって失敗した。一度や二度ではない。そういえば、その昔の禁煙の時、会社の事務員さんに八つ当たりし始め、彼女曰く「お願いだからタバコを吸ってください」と懇願され、喫煙者に戻ったと云う笑い話しがある。同じような体験を持つ者も多かろう。もう一つの思い出は、隣の会社の重役と、破ったら10万円という約束で禁煙戦に入り、二人が同時に音を上げて、もう止めようやと合意し喫煙に戻ったと云う楽しいというか悲しいと云うべきかそういう禁煙史もある。今、彼はどうしているのだろうか。ほう吉のこたびの禁煙闘争を告げたい気持ちがある。

 そういうあれこれの禁煙戦争に敗退した結果、却って本数を伸ばしてしまった。故にもはや滅多なことで再挑戦できるものではなかった。これは何もほう吉だけのことではない喫煙士の大方の姿であろう。いつの頃だったか、テレビCMで「これで私は煙草をやめました!」と禁煙パイポが宣伝され、かなり多くの喫煙士が四六時中、口にくわえて挑戦し、歯形で傷だらけになった禁煙パイポの思い出を共有しているだろう。ほう吉は、この時にも人並みに挑み失敗している。


 ちなみに、禁煙失敗者に禁煙を始めて何日目にタバコを吸ってしまったか尋ねたところ、「3日目」が24%、一週間以内にタバコを吸ってしまった人が66%と云うことのようである。再喫煙状況について尋ねたところ、「イライラしていた」が43%、次いで「隣の人が吸っていた時にもらいタバコした」が30%とのことである。

 「禁煙74日目ーやめられなかった人々ー」が、「禁煙の愉しみ」(山村修著 新潮OH!文庫)を出典とする禁煙に苦しんだ偉人として南方熊楠(1867-1941 74才)、西田幾多郎(1870-1945 75才)の二人を紹介している。興味深いので採録しておく。 この偉人にしてこんなに苦しんでいたということが分かり、なんというか却って微笑(ほほえ)ましい。
 南方熊楠は、イギリス留学時代、禁煙に挑み、吸わなかった日には○印を、吸ってしまった日には△印を自身の日記につけ始めるのだが、三週間で挫折。居直ったように、「烟草(タバコ)九片(ペニー)、食十片、郵券五片」などと記録し始める。しばらく経つと、「本日より厳に禁烟。時間を費やすを惜しむなり。日記の日々のあとに付ける○は、タバコ呑まざりし印なり」と勇ましいが、次の日には、「また巻タバコ三小箱のむ」と書く結果になってしまう。こんな繰り返しをしている云々。西田幾多郎は、「大正10年某日 [大書す]Don’t smoke.次の日 又smokeを犯す。never smoke,never,never,never」、「大正11年2月3日 けふは節分なり、今日を限として絶対禁煙。岩波へ正誤表。2月4日 smoking in school. 3月9日 私はどうも禁煙ができぬので困る。 これは私が唯一の非衛生〔的〕習慣である。もはや厳に非衛生的習慣をやめて長命するの外ない」、「大正12年4月16日 けふより学校はじまる。煙草のため舌端あれ痛む。4月26日  Don’t smoke. 5月13日  [赤鉛筆にて大書す]Don’t smoke from this day. 7月11日 [上欄に]Don’t smoke this day. [下欄に]smoke 7月12日 [上欄に]Don’t smoke this day!!」。これが昭和に入ると、禁煙しよう!というかけ声は消えて、吸ってしまった本数を几帳面に記録するようになる。昭和5年までそんな記述が続く云々。

 「一本お化け」、「悪魔のささやき」
 思い出すのは、持続的な大波小波の喫煙誘惑を退け、禁煙闘争に勝利したと思った瞬間に忍び寄る吸い魔のささやきである。「ここまでくればもう成功したも同様。よく頑張った。褒美に1本ぐらい吸わせてやろう」の誘いである。これを「一本お化けの悪魔のささやき」と云うらしい。略して単に「一本お化け」、「悪魔のささやき」とも云う。つい手を出し発作的に喫煙する。言い聞かせた1本だけの1本を吸うや途端、気が狂ったように立て続けに吸いたくなる。一本で終わらないのが一本お化けの怪である。後はなし崩しの喫煙街道に向かい、それまでの我慢苦労を台なしにする元の木阿弥に逆戻りする。これがお定まりの「負のスパイラル」であり禁煙失敗パターンとなる。

 「一本お化けの悪魔のささやき」について次のように述べられている。喫煙者の気持ちをうまく代弁しているように思う。 
 「禁煙をしている最中に、ふとした心のすきを狙って悪魔がささやく。『ご褒美として1本だけだよ。もう1本位吸っても大丈夫だよ!。大丈夫だから吸いなよ!』。この悪魔のささやきに負けて1本吸う。それが『悪魔のわな』で、その数秒後、頭がクラーときて頭の先から足の先までニコチンが滲み始めタバコに酔う。久しぶりに吸った懐かしい味に引き付けられ、ひき続いてものすごく吸いたくなって更に二、三本吸ってしまう。もはや吸いたさを抑えられなくなり、あっという間に元の喫煙ジャンキーに逆戻りする。こうして悪魔のささやきに負けてしまう。悪魔のささやきが現れたら、『来た来た悪魔!』と意識してください。悪魔のささやきに負けないでください。悪魔のささやきに負けなかったら禁煙は大成功です」。

 例に漏れず、ほう吉もそういう苦い経験ばかりがあり、「一本お化けの悪魔のささやき」に負けた負い目を抱き続けてきた。自己管理できない自分に対する自嘲意識、自己嫌悪を引きずっていた。こたびの禁煙の直前まで「わかっちゃいるけど、やめられない」の心境で既に禁煙をあきらめていた。同じ思いが次のように語られている。
 「自分に負けて失敗してばかりいるのが情けない。禁断に失敗する度に負け犬扱いされる。それが嫌だから禁煙に挑めない。禁煙する勇気すら持てない自分は負け犬そのもの。禁断症状はツライが禁煙に失敗したミジメな自分はもっとツライ」。

 そういう中で、「負のスパイラル」から抜け出せられない自分を何とか合理化せんと茶化していた。「タバコ吸えるのは健康な証拠。今日もタバコがおいしい」と慰め合ってきた(しかし良く考えると、専売公社の有名なキャッチコピー「今日も元気だ。タバコがうまい!」の延長線上の慰めだったんだな。忌々しい)。ほう吉の言ではないが「好きなタバコを止めてまで長生きしようとは思わない。タバコが吸えてポックリ死んだらそれが一番」の謂いに頷(うなず)いてきた。「タバコを止めるようなもんは意思が弱い。意思がウルトラ級に強い我々は断固吸いぬく」との決意を披瀝し合ってきた。「我こそはタバコも酒も呑む常習納税者。世間から次第に肩身を狭くされつつあるが表彰されても良いだろうに」と云って笑いを誘って来た。マーク・トゥエインの「禁煙ほど簡単なものはない。俺なんか67回やった」の言があるようで、「禁煙なんて簡単だよ。僕は今まで何十回も禁煙したよ」というようなアメリカンジョークで人を笑わせてきた。「だいたいだなぁ酒も呑まんタバコも吸わん賭け事せん女にも関心持たんで仕事のできる者が居るか。そういうもんはヘンクーが多い。人間少し抜けたところがあって丁度良いのよ」と云う理屈で正当化してきた。禁煙タクシーの一斉化に対しても「そう格好つけずに喫煙車と禁煙車を半々にすれば良かろうに」と愚痴ってきた。

 あの人もこの人も止めていく
 こうして喫煙し続けている中でも、知り合いのあの人もこの人もが止めていった。病気で止めた人、奥さん孝行で止めた人、神のお告げで止めた人、金がもったいないで止めた人、仲間と申し合わせで止めた人等々、様々なパターンがある。スーッと止めた人、七転八倒の苦しみを乗り越えた人、これも様々である。

 ほう吉は、それを横目尻目に見ながら不遜にも喫煙し続けていた。タバコ吸いの生活空間が次第に狭められていくのを如何なものかと吹聴していた。己の意志の弱さを知っていたので禁煙ファシズム闘争の士に同調する気持ちにはなれなかった。連中の云いたいことは分かるが、自己コントロール能力のなさを棚に上げて正義ぶるのは趣味ではないからである。ほう吉は喫煙に正義を認めていない。むしろ「タバコとは本当に恐ろしい。麻薬みたいな物だ」と知りつつ、その中毒に侵され自力で解決できない自分を自嘲して来た。せめてのこととして、手間でも一箱ずつ買うことを喫煙条件として、一箱ずつしか買わない意思の強さを自負させて僅かの慰めとしていた。

 或る人のブログが次のように記している。同感なので採録しておく。
 「タバコが悪いことは百も承知。しかし身体が求め、こころが求め、口が求める。それ をごまかし、がまんするプレッシャーは並大抵のことじゃない。なんて自分は弱いんだ、とコンプレックスを感じたりもする」。

 これは後で分かったのだが、「糸井重里のはだかの禁煙日記」(ほぼ日刊イトイ新聞)が出版されているらしい。「この本はおもに超ヘビースモーカーである糸井さんが、禁煙2日目から約2ヵ月の間、書きつづった禁煙日記と、それから7年後の禁煙を続けている状態の糸井さんのお話(同じく禁煙者である「ほぼ日」スタッフ・永田さんとの雑談形式)で構成されています」とある。みんな苦労しながら格闘したんだなと思う。

 喫煙遺伝子論
 ほう吉が禁煙できなかった理由の一つに喫煙遺伝子論がある。これは、飲酒遺伝子同様に人にはタバコ喫煙が遺伝子的に向き不向きがあると云う論である。この論によれば、ほう吉の父親は大のタバコ好きだったので、それが子に遺伝したことになり、ほう吉がヘビースモーカーだったとしても何ら違和感はないと云うことになる。甘やかしの理論であるが結構気に入っていた。

 その親父が晩年二週間ほど禁煙したことがあった。但し、「老い先短い僅かの老後の楽しみ」として再び喫煙し始めた。それはそれで良かったと思う。喫煙以外に楽しみがないのであれば無理に奪うこともなかろう。ほう吉のこたびの禁煙には喫煙の楽しみを捨ててまで達成しようとする願立てがあるので挑むだけのことである。それを持たない者が禁煙するべきかどうかは難しいところのように思う。

 喫煙しつつの様々な養生の無駄論
 そういう訳で喫煙しつつ様々な養生を試みていた。栄養補助食品然り。最近は葛湯、抹茶に凝っている。もっとも禁煙後に築いたのだが無駄なことだったと思う。栄養補助食品、葛湯、抹茶で蘇生させたものを喫煙で壊し、それを繰り返すというのは愚かであろう。歯を磨いて、喫煙で汚し、又磨くのと同じで、そもそも喫煙が余計なのだ。禁煙2ヵ月後の今はそう思う。

 金銭的禁煙理由
 願立て以外にも禁煙理由はあった。一日4箱ともなると金銭的にもバカにならない。このところの値上げ、今後の値上げを考えるといつまでも吸い続ける訳にはいくまいとする理由もあった。これが為に止めた友人も多い。次のようなトークがある。これは面白い。
 「金に困ってやった。後悔はしていない。禁煙の話です」。

 これを計算すると1日4箱=430円×4=1720円。1年タバコ費用=1720円×30×12=619,200円。今後20年間のタバコ費用=619,200円×20=12,384,000円。ちなみに平均的な生涯タバコ費用は3千万円以上と云われている。

 ほう吉の喫煙金額を試算すると次のようになる。ほう吉が喫煙し始めた頃のタバコの値段を忘れた。最初はハイライト、次にセブンスター、マイルドセブン、メビウスと渡って来た。ネット検索で得た価格変遷史は次の通りである。1970年~100円。1975年~150円。1980年~180円。1983年~200円。1986年~220円。1997年~230円。1998年~250円。2003年~270円。2006年~300円。2010年~410円。2014年~430円である。1箱平均400円として1日3箱を65年間吸ったとすると、400円×3箱×30日×12ヶ月×65年=28,080,000円となる。小刻みに出費するから分からないが大変な金額を煙にしていることになる。

 これに関連して思うことは、年の暮れに誰か一人でも50万円くれる人がいるだろうか。よほど親しい人でも難しかろう。それも毎年毎年である。これ以上のお金を無駄にしながら且つ体を傷め続けているのが喫煙である。これは禁煙に成功して後、分かったことではあるけれども。

 犯罪者扱いに憤慨禁煙論
 それにしては腹立たしい思い出がある。ほう吉が所用で滅多にしたことのない飛行機での海外旅行となった時、飛行機の中での禁煙はアナウンスされていたので守ったが、空港に着いた時に捜した喫煙所の遠いこと、しかも金網壁のまるでモンキーハウス。あれは惨めだった。コンチクショーと思ったよ。 

 ほう吉にはなかったが「犯罪者扱いに憤慨禁煙論」と云うのもある。要するに、どこもかしこも店内全面禁煙となり、タバコを吸えるところを探すのに一苦労し始めている。要するに「肩身が狭く」なりつつある。ようやく見つけたと思ったらモンキー金網ハウス仕立てにされていたり、わざわざ不便なところに設けられていたりで、喫煙者が犯罪者の様に扱われ隔離されつつある。タバコの税金沢山払っているのに、この待遇が納得できないとして禁煙に踏み切る理論である。ほう吉の体験上、大いに理解できる。但し、こういう理由で止められれば羨ましい。ほう吉には思っただけで実行には移れなかった経緯がある。

 禁煙突入
 こたび慶事がなかったら禁煙には向かわなかったかも知れない。相変わらず喫煙症状の様々なものをお見舞いされながら喫煙し続けていただろう。それがトンだ慶事をきっかけに「止めるなら今でせう」の乗りで禁煙に突入した。こたびは、これまでの失敗の経験から道中で一本をも吸わないことを決意していた。このことだけを言い聞かせて今流行りの禁煙セラピー治療、パッチ(貼り薬)やガム、飲み薬、パイポ、パイプ、電子タバコ、ネオシーダー等の禁煙グッズの世話にならず、4.30日を期していきなり禁煙に向かった。そう云えばパイポ以外は試みたことがない。禁煙成功者の話しを見聞きするにつけ、そろそろお世話になろうかと思い始めた矢先であった。

 吸う本数を徐々に減らしていく方法もあろうが「いきなりやめた」。いわゆる「禁煙補助に頼らずの気合い禁煙」である。過激な闘争手法であるがほう吉にはその方が似合いだろう。但し、たまたまコンビニで買ったクールミント系マウススプレーが車内にあり、これが活躍することになった。次のような意見があり、囲碁吉の禁煙スタイルはこれに合致している。
 「禁煙したい人が、まずは節煙からと吸う本数を減らして行くと云うのは全く間違い。タバコやめるなら、きっぱりスパッと止めるのが正解です。禁煙と節煙(減煙)は全く違います。節煙(減煙)でタバコを減らしていったら、我慢した分、タバコがよりおいしくかんじられて、ますますやめられなくなります。やめるのがつらくなるだけです。タバコというのは一種の麻薬です。禁煙すると決めたらスパッとやめるしかありません」。

 禁煙としているが、「目指すのは禁煙ではなくタバコを卒業する卒煙です」だな。問題は、人によっては案外と楽に止められた人も居るようであるが、ほう吉は七転八倒組であることにある。さて、どうなりますことやら。禁煙突入時には分からなかったが後で気付いた。ブログ「The 禁煙!81日目」を採録しておく。こういう気分だったのではなかろうか。
 「たかが禁煙、されど禁煙!タバコを吸わなかったあの頃に戻りたい。頑張るド!(^^)!」。

 或る人は、タバコを隠すのではなく、わざわ机の上に置いて、毎日睨み殺して日々経過し、禁煙に成功したという。いろんな技があると思う。ほう吉には真似できない。

 悪魔との闘い
 こたびの禁煙はこれまでのそれよりも一味違う意味もある。「願立て」しているの違いもあるが、もう一つ「敵を知り己を知らば百戦闘うも危うからず」で「悪魔との闘い」とも位置づけている。ここで云う悪魔をどう理解すべきか。政治的、思想的、童話的、寓話的に云うも良し、どう捉えるかは勝手であるが、こういう捉え方はほう吉だけのものではない。「悪魔との戦い」を位置づけているブログがかなり多くある。ここは強調しておきたいところである。ほう吉も又、体内に忍び込んだ悪魔との戦いと位置づけ、この腐れ縁を断ち切る「断固たる決意」で始めたと云うことである。禁煙は単なる中毒との闘いではない。中毒化せしめる悪魔との闘いである。こう位置づけないと禁煙闘争勝利は難しいのではなかろうか。
 そういうこたびの「断固たる決意」が幸いしたのだろうか。不思議と今までの禁断症状より軽いものとなった。タバコへの未練が断ち切れず心が折れそうになるのはいつものことである。2時間に1回くらい突如吸いたくなる禁断症状に見舞われるのもいつものことである。しかし今度はいささかも動じなかった。「断固たる決意」の大事さが分かった。「禁煙の方法教えてくれ」に「方法も何も絶対に辞めてやるっていう意思が大事」との解答が為されており実にそうだと思う。

 以下、言葉遣いを確認しておく。禁煙により禁煙反応とも云うべき効能が生まれる。その効能には好ましいものと好ましくないものがある。前者を好転善玉効能(略して「善玉効能」)、後者を反転悪玉効能(略して「悪玉効能」)と名づけることにする。好転か反転かはっきりしない中間灰色玉効能(略して「灰色効能」)もある。この三派で判ずれば良いと思う。「禁煙で肺はキレイになるかもしれないけど、ストレスで他の所がおかしくならないようにね」と云われるのは、「悪玉効能」が跋扈するのを教えているのだろうと思う。これを賢くこなさなければ禁煙闘争に勝てない。

 ほう吉の禁煙闘争を悪魔との闘いと位置づけていることを述べた。これを「対悪魔戦争」と名づけることにする。悪魔は様々な喫煙誘惑を仕掛ける。これを仮に「吸わせ魔」(略して「吸魔」)と名づける。「吸魔」の誘惑を仮に「悪魔のささやき」と名づける。禁煙後、猛烈に眠くなる。これに悪魔が関係しているのかどうか分からないが仮に「睡魔」と名づける。以下、この取り決めで言葉を使う。


 「タバコ悪魔論」はほう吉だけが唱えているのではない。次のような記述に出くわしたので採録しておく。
 「雨の日も風の日も風邪で喉が痛くても、僕の体の中にいる小悪魔にニコチンを貢いでいました。夜寝る前に、たばこが無いと安心して寝る事が出来ずに、たばこを買いに行く事もありました。給料日前の貧乏な時でも、小悪魔様のたばこだけは、いつも買えるように頑張りました」。

 この「対悪魔戦争論」は禁煙成功後の再喫煙拒絶に関係している意味で重要である。聞くところによると、禁煙成功数ヵ月後、あるいは数年後に又も喫煙し始める人がいるが、「対悪魔戦争論」に照らせば有り得ない。なぜなら、悪魔の仕掛けから悪戦苦闘で逃れた者が再び悪魔の術中に陥るなど有り得てならないからである。目指すは、タバコに仕掛けられた悪魔退治ではあるが、更にこの悪魔が仕掛けている様々な悪事退治に向かうべきであり、それを再び悪魔のたらし池に身を沈めるなど、禁煙闘争の意味と意義を何も分かっていない故のお粗末と云うことになる。

 2014.8.14日 ほう吉拝

 禁煙3日目&禁断症状
 最初の3日間の4.30日、5.1日、2日、奇跡的に一本も吸わなかった。有り難かったことに五月連休に入ったばかりで、この間を寝て過ごした。例年ならどこかへ小旅行するのだが、やたらと眠くなり起きてはうつらうつらし、これを繰り返してあっという間に3日経った。こうして「泥のように眠った三日間となった」。これにより忽ち胸が軽くなった。これが最初の効能である。禁煙外来の治療法として次のように記されている。偶然にもこれを実行したことになる。
 「とにかく、毎日眠い!眠い!眠い!!3日から1週間は布団にもぐったつもりで過ごしましょう。1か月が過ぎるとタバコが吸いたいという誘惑はだんだん小さくなります」

 禁煙5日目の5.4日、喉の調子が良く痰のイガイガが消えた。胃痛もない。時に心臓のキリキリした痛みが走ることもなくなった。そういうことに気づいた。これが次の好転効能であった。

 この期間、実は殆ど記憶がない。覚えているのは、脳が萎縮しグシャグシャになるような症状があり、そういう辛い目に遭いながらも、脳内から「タバコヤニ」汁がジュルジュルと出ている感触があり、その様子に快感を覚える余裕があったこと。これまでのように周囲の者に当り散らすこともなかった。こたびは連れ合いが禁煙と云う異変に気づいたのは3日後だった。いかに平然としていたかが分かろう。これまで副流煙の被害云々の受動喫煙論を説いて禁煙を懇願していたが一向にその気のないほう吉を恨めしく思っていた筈であるが、「凄い。見直した。男の人は違う」などと感心していた。

 禁煙による眠気現象はなぜ起るのか
 眠気現象につき次のように理解したい。
 「眠気現象は禁煙直後より現れる。喫煙中はニコチンが脳を覚醒、興奮、抑制させるので眠くならないが、禁煙したことにより脳にニコチンが行かなくなり脳が俄かに覚醒物質不足になる。脳は元々は自分で興奮、覚醒、抑制するアセチルコリンを作れるのだが、長年ニコチン任せにしてきたので俄かには覚醒、興奮物質を作れない。本来は自律神経が働き『闘争の交感神経』と『休息の副交感神経』の世話取りをしているのだが、長年の喫煙で既にこの生理作用が狂い機能していない状態になっている。これにより禁煙を始めて最初の2-3日が眠気ピークとなる。禁煙開始10日前後で脳が自力で覚醒物質アセチルコリンを作るようになる。これにより段々と眠気が治まってくるが、この脳のリハビリには一般的に凡そ3カ月かかるとされている。リハビリ完了後は睡眠の質が良くなるこのストレスが眠気現象の第一要因である。

 第二要因は、第一要因的ストレス状態を踏まえて、それまでの喫煙により体内及び脳内に蓄積されたニコチン、タール、その他喫煙に伴う蓄積物質が溶け始め、血中、体液、尿、汗等々として排出し始める。この溶解&排出過程に眠気現象が宿っている。これが囲碁吉の仮説である。医学的な説明はこれから為されよう」。

 禁煙1週間目&禁断症状
 禁煙1週間目の5.6日頃より深呼吸できるようになった。吸魔が押し寄せ、その源である「タバコヤニ」を吐き出すためにも意図的に腹式呼吸で深呼吸するようになった。これは善玉効能である。思えば喫煙中は金魚の口パク呼吸をしていたことになる。あれでは呼吸が浅かっただろうなぁと思う。この頃から急速にお腹が空き始めた。これは灰色効能だろう。喫煙中にはなかった我慢できないような空腹を覚えた。すきっ腹感が尋常ではない。どなたかが次のように述べている。その通りだったように思う。
 「まず朝。朝食べないと、もう昼まで働く事もままならないほどお腹が減る。そして昼。これは普通に12時ごろ食べればなんとなかる。問題は夜。なんと17時にはもうお腹が空いてぐったりしそうになるのだ」。

 ほう吉は朝昼晩の定時の食事、その合間の飴舐め等で対応した(しかしこれが後に虫歯へと至ることになる)。禁煙に成功したものの太り始めたことにより再度喫煙し始めた例を聞くので阿修羅食いをする気はない。

 脳内の混乱は相変わらず酷かった。終日ボーとしていた。これは中間症状と位置づけるべきだろう。1週間を過ぎ十日目を過ぎても同じで思考がまとまらなかった。故に禁煙闘争以来ブログを中止している。この間、囲碁を嗜んでいる。これまでならひっきりなしにタバコをくわえるところ断じて禁煙を通している。喫茶店で新聞を読みながらの「コーヒーの席」、「酒の席」、「カラオケの席」の際にも然りで禁煙を通している。この間ずっといくら寝ても寝たりない眠気が続いている。

 こうして煙草を止めるストレスとの闘い、難行苦行が続いた。いずれにしても、これはほう吉の身中に忍び込んだ悪魔との「対悪魔戦争」となっており、今度こそは不退転の決意である。悪魔とほう吉の我慢比べである。1週間過ぎた頃より悪魔の勢力が落ち始めた手応えを感じている。しかし油断ならない。悪魔の悪魔たる所以で次から次へと誘惑の罠を仕掛けて来る。空腹感とセットになった「悪魔のささやき」が断続的に襲ってくる。特に夕方頃の誘いが強烈である。これをじっと耐えれば落ち着きを取り戻すことになる。但し、タバコの煙の臭いが、まだここち良い。いつになれば煙が嫌になるのかと思う。

 禁煙2週間目&禁断症状
 2週間過ぎ頃より、当初の脳が萎縮しグシャグシャになるような症状が終り、頭のてっぺんの奥に河童のお皿のようなものがこびりついている感覚になった。これが取れるのは相当日数かかるだろうなぁとあきらめていたら、それも次第に解け始め額の方へ向けて下降してきている気がする。

 飲む時、碁を打つ時、時に強烈な吸わせ魔が襲ってくるが断固として退けている。この頃からネットの禁煙サイトを閲覧し始めた。少し余裕が生まれたのかも知れない。同じ悩み、同じ闘いをしている数多くの同志に会えた。ほう吉も闘争記を書き始めた。

 禁煙3週間目&禁断症状
 禁煙20日目の5.19日、1週間後の来週の5月25日は禁煙の願立て理由に出会う。今から楽しみである。

 禁煙21日(禁煙3週)目の5.20日、今朝の寝起きの目覚めは良かった。但しまだ寝起きが眠い。頭がややすっきりし皿が溶けた感じがする。その分、目の辺りに降りて来ている気がする。ひょっとすると後三日もすれば抜けるのかもと云う予感がする。頭の膜はまだある。その膜の張りが次第に薄く弱くなっている気がする。朝の目覚めの胸苦しさがなくなっていることに気づいた。但し寝起きだというのに依然として無性に眠い。頭の奥から目元まで睡気が襲ってくる。これを仮に「睡魔」と名づける。もう少し様子を見てみよう。

 そういえば、まだ人のタバコの臭いまでは嗅げない。鼻腔が相当にやられているのだろう。ドライブで森林浴に向かうが連れ合いは空気がおいしいというのにほう吉に何ら匂わないと云う経験ばかりがある。森林浴を味わえるまでは本物ではなかろう。

 出勤前に連れ合いに「今日で三週間目だ」と告げると、「まぁ凄い」と褒めてくれた。「最近は臭いにおいがしないもんね」とも云った。「そんなにしてたのか」と問うと、「服から髪から息から近くへ寄ると臭っていたわ」と云う。そう云えば前から「止めてください」と云われ続けており、何度か喧嘩したのを思い出した。

 これもそういえばの話し。昨日仕事の辛味で飲んだが、気がつくとタバコを吸おうとする気もないまま話し込んでいた。今までだと煙草がほしくなりついつい手が出ると云う事態になるが何か当り前のようにタバコをすまないままにやりとりしてたなぁ。これは大いなる前進だ。 今日の昼食を久しぶりに禁煙を売りにしている食堂へ行った。これまで足が向かなかったが何となく行きたくなった。「お久しぶりですね」と云われた。食後、眠くなった。どうも吸わせ魔と睡魔のダブル攻撃が仕掛けられているようである。

 まだまだタバコそのものの関心が強い。吸わせ魔の誘いの力が弱まったとはいえ断続的に襲って来ている。最初の3日間の脳が萎縮しグシャグシャになるような症状、脳内から「タバコヤニ」汁がジュルジュルと出ている感じはなくなったが、その弱い形の衝動が相変わらず続いている。油断したら又も悪魔に手玉に取られてしまう。 

 禁煙22日目の5.21日、朗報です。今朝の目覚めで初めて頭の中に靄(もや)がかかっているようなボーとした感覚が抜けたような。但し、脳の周囲全体にツーンとした膜が張っている感じがする。でもこれは恐らく三、四日で取れるでせう。そういう気がします。とうとうここまで来たと云うことに感動しています。悪魔との闘いで云えば遂に悪魔を屈服せしめ放逐に成功したのかも知れない。ツーンとした膜はその闘いの残滓のような気がする。

 衛星放送旅チャンネルの日本聖地浪漫で富士登山の番組をしていた。何気なく聞いていたら、登山の時には「体の声」を聞くのが大事と云っていました。これは禁煙の時も同じだと思います。そうか、禁煙を登山に例えるのも一法だなと思った。久しぶりに温泉に行き、体重を測ったら71キロになっていた。この間ずっと67-68キロペースだったので何と4キロも増えていることになる。夕方、碁会所で禁煙前のタバコ連れと親しく会談したが汚い感じがした。今までにない感じ方である。

 禁煙23日目の5.22日、今日の寝起きには眠気がない。これも変化だな。頭のぼーが消えた。その代わりに頭を縛るバンド感覚があるのは昨日と同じ。このバンド感を例えてみると、孫悟空の頭の周りに付いている輪っか(「緊箍児(きんこじ)」)のようなものだと思えば良い。これが脳内を縛っている感じである。併せて後頭部に膜が張っている感じがする。前日は頭全体だったので移動している気がする。且つ頭の奥に芯があり重い。全快とはいかない。不思議に今日は口の中のネバネバを感じる。なんで今頃と思う。

 人と話し中、タバコが欲しくなった。喫煙衝動。普通に我慢できる程度の衝動だったが、まだ抜けていないのだなと思った。味覚が戻ってきたような気がする。夕方、頭の周囲をバンドで締め付けたような感じがする。

 禁煙24日目の5.23日、寝起きの感覚として頭の縛りバンドの輪が取れた感じがする。但し芯ではボーと感が残っている感じがする。加えて頭の奥の芯でまだ眠気を誘っている。つまりまだ本物ではない。それと今日に限って喫煙中の胸が幾分押さえられたような苦しさが戻っている。舌のネバネバも同じである。仮想リターン現象と命名しておく。昼間、食事をしたところ睡魔に襲われる。眠いがまだ続いている。夕方、いつも決まって4時頃から7時頃にかけて吸わせ魔に襲われ今日も誘惑されている。 

 禁煙25日目の5.24日、前夜割合早く寝たせいか朝方の4時頃に目が覚めた。これを睡眠障害と捉える者も居るようだが違う。ごく正常な目覚めだと思う。この時は頭を縛るバンドのようなものがあり且つスッキリ感もあった。このところの現象である。7時頃に二度目の目覚めとなった。眠気がなくスッキリ感があった。この爽快感は今までにないもので禁煙して良かったと思う。夕方、今日も又吸わせ魔に襲われ誘惑されている。口中がタバコヤニで粘り、それが喫煙を誘おうとしている。 

 3日、3週間、3ヶ月の3理法則
 「3日、3週間、3ヶ月の3理法則」がある。何事もこの3の延長数毎に明らかな変化が認められるとする理論である。これによれば、禁煙後のニコチン離脱症状(禁断症状)も然りである。3時間、3日、3週間、3ヶ月と経過する毎に随分楽になる。これに「石の上にも3年」の「3年の理」も加えれば良い。

 人の逝去に伴う「法事の理」を参考にすれば、当初は7理法則になっているようである。「初七日」、「二七日」(ふたなのか、14日目)、「三七日」(みなのか、21日目) 、「四七日」(よなのか、35日目)、「五七日」(いつなのか、35日目)、「六七日」(むなのか、42日目)、「四十九日法要」(七七日)と続く。その後は「百か日」(ひゃっかにち、100日目)、「一周忌法要」(いっしゅうき、1年目)、「三回忌」(さんかいき、3年目)、「七回忌」(しちかいき、7年目)、「十三回忌」(じゅうさんかいき、13年目)、「十七回忌」、「二十三回忌」、「二十七回忌」、「三十三回忌」(さんじゅうさんかいき、33年目)となる。根拠は分からないが鎮魂の節目がこうなっているという意味だろう。

 ポケットの中が楽になった
 それはそうとポケットの中が楽になった。タバコをどこにしまうのかで随分悩んできた。ライターをなくししょっちゅう捜し回っていた苦労がなくなった。喫煙前のほう吉に戻った自分が清々しい。確かに若返った気がする。同じような思いが次のように記されている。
 「この他にも禁煙効果はいい事尽くめですが、中でも私が一番良かったなと思うのは、余計なことに気を使わなくても良くなった、身軽になったという実感です。タバコを吸っている時は、タバコの箱やら、ライターやら、携帯用の灰皿やら、移動の際持ち歩くのがやたら多くて煩雑でした。車の運転中にポケットから取り出す時、シートベルトが邪魔だったり、どこにしまったやらイライラしながら、ポケットをまさぐったり、挙句の果ては火のついたタバコを車内に落として、落とした場所を特定するのに一苦労したり、タバコ火をズボンに落として家内にどやされたり、あれやこれや数え上げたらきりがありません」。

 願掛けはどうなったか
 禁煙26日目の5.25日、いよいよ禁煙宣言心定めの願い事イベントの日を迎えた。今朝の寝起きは眠くていつにななくボーとしている。頭に縛りの輪がかかっている。何やら前に戻った感じで、これをリバウンドと云うのだろうか。鏡越しに見る顔は明らかに太り始めている。と書いたところで気がついた。そういえば昨夜は深酒した。これは単なる二日酔い現象なのではなかろうか。

 さぁてまもなく決戦の刻を迎える。いざ出陣。結果は1回戦で敗退。相手は名の知れたかなりの打ち手ではあったが、ここを越さないとその後がお話しにならない、ほう吉が化けるチャンスの相手でもあった。残念無念。但し自分に何が足りないのか分かった。これについては囲碁学院サイトに記す。禁煙は続けるつもり。もう今さらタバコの世話になるつもりはない。

 禁煙4週間目&禁断症状
 禁煙27日目の5.26日、いつもと同じ症状の朝を迎えた。ふと気づいたのだが朝の胸苦しさがない。前日にタバコを吸い過ぎると決まって朝の目覚め時に胸苦しさがあったと記憶している。思えば、タバコを吸っている日々は悪夢の日々だったのではなかろうか。いろいろ理屈をつけて吸っていたが人生を上等なものには決してしないと思う。これは禁煙してから分かることである。夕方、異常に喫煙衝動に見舞われた。負けはしないがいつまで続くのだろうか。 

 禁煙28日(4週)目の5.27日、いつもと同じ症状の朝を迎えた。胸苦しさはないが胸の奥に支えるものがある感じがする。寝起きの頭のボーはするが弱まった。頭の周囲を縛る輪の感覚も同じ。少しスッキリ感が出てきた。とはいえ目の辺り全体に眠気もある。頭の皿は完全に溶けた感じである。鼻毛が伸びないことに気づいた。  

 禁煙29日目の5.28日、今日もいつもと同じ症状の朝を迎えた。連れ合いが、ほう吉がテレビを見る座席辺りからタバコの臭いがしなくなったと云う。前はタバコ臭い臭いがして嫌だったと云う。顔色も土気(つちけ)色が薄くなり始めている気がすると云う。元々は色白なのにタバコ吸い始めて土気色になったと云う。のどが常に潤い痰も出ずの調子良いことに感謝する。相変わらず眠い。これは何なんだろうと思う。


 ネットに次のような声が書かれている。ほう吉も同様症状なので却ってほっとする。
 「タバコの禁断症状でもっともつらいのは禁煙後、3日以内です。このつらさは日に日にやわらぎ、おおむね1週間、長くても4週間程度でおさまります」、「ニコチンガムやパッチ、チャンピックスは使用せずの禁煙です。禁煙して1ヶ月以上経ちますが、まだ吸いたいです。1ヶ月経ったあたりから余計吸いたくなった気がします。やけにタバコが吸いたいです。3日目ほどではありませんが禁煙して2週間頃より吸いたいです。38日目、4キロ程太りました」

 それはそうと禁煙中の飴を嗜むうちに歯の虫歯を促進させたみたいである。元々やられていたのだが今日は水を飲んでも滲みる。歯医者に行かねばなるまい。

 禁煙1ケ月目&禁断症状
 禁煙30日(1ヶ月)目の5.29日、寝起き時、いつものモヤモヤよりもスッキリ感が優っている。頭全体の縛りバンドがあるが輪が溶け始めている気がする。禁煙1ケ月目、遂にこの記録を達成した。この快挙を自分で自分を祝したい。但し「1ヶ月じゃ禁煙に属さず」の声もあるので油断できない。ようやく吸わせ魔と好転反応との力関係の逆転を感じる。それにしても、ほう吉をこんなに苦しめるとはタバコはよほど悪い奴だなと思う。こんなに長い間、こんなもんに中毒にされていたのかと革めて驚く。

 とうとう禁煙1か月を経過した。「一ヶ月頃に経験したあの無性に吸いたくなるリピート感覚」とあるので要警戒である。「吸いたくなったら、ここで喫煙したら今までの苦労が水の泡と考え我慢することができた」とある。全く同感である。

 夕方、相変わらず吸わせ魔が誘うが次第に力を弱くしているのが分かる。今日辺りから頭の縛りバンドが溶け始め、額の奥の方からジンジンさせている。どちらが強いのか我慢比べである。禁煙した時点で、吸わせ魔との闘争がこんなに長引くとは思ってなかった。これまで最長5日程度、しかも1、2本は吸っていた。それに比べて1本も吸わずの1ヶ月ともなると吸わせ魔に勝っても良い頃と思っていた。それがそうではない。驚きであるが、逆に考えると、こんなにしつこい悪魔に食いつかれていたのかと、逆にそのことの方にびっくりさせられてしまう。こうなったらほう吉は余計に意地になる。我が体内から追い出すまで闘い抜くつもりである。どうだ参ったか。

 禁煙31日目の5.30日、寝起きの目覚め時、前日に続いて眠さやボーとしたモヤモヤよりもスッキリ感が優っている。頭の頭蓋骨全体の縛りバンドがとれた感じがする。代わりに額の奥の方で縛りを感じる。吸い魔の支配する領域が段々と狭まり陥落寸前の気がする。朝の洗面時、舌を見たらすこぶる健康なきれいな赤みをしている。口の中のタバコヤニの粘りを若干感じる。喫煙中のそれではないがしつこいと思う。寝起きして暫くしているうちにいつもの眠さと目の辺り全体に縛りバンドが出てきた。しかし以前に味わった調子ではない。要するに禁煙1ヶ月目、明らかに吸わせ魔の力が弱まってきたことが分かりうれしい。

 今朝は朝食のおにぎりを三つ食べた。記し忘れていたが、禁煙以来、朝食を取ることが多くなった。喫煙中は朝食が要らず、喫茶店でモーニング食べる時がままあると云う調子だった。喫煙が食欲を抑え、禁煙が食欲をそそる作用があることが分かる。禁煙太りについて次のように記されている。
 「禁煙開始後、1-3ヶ月目ぐらいで3-4Kg増える。体の機能が正常になって食欲が増し、食べるものがおいしく感じ更に飲食するようになるからである。結果的に禁煙太りするようになる。意識して腹8分目にせねばならない。且つ積極的に体を動かすことが必要である。時間をかけて体を痛めてきたので時間をかけて体を調節していくしかない」。

 今日ぐらいから吸わせ魔の囁きが弱まってきたと感じる。ようやく峠を越えたのかなと思う。禁煙1ヶ月目の頃を境にタバコを吸いたくなる者とますますタバコ放れする者とに分かれるようである。前者の場合の喫煙衝動は半年後も数年後もずっと続くらしい。後者の場合には逆にタバコの臭いを毛嫌いし戦闘的排煙運動に向かう者も居るらしい。囲碁吉は前者にはならない。後者になるが戦闘的排煙運動家にはならないと思う。今はこの程度しか云えない。

 禁煙32日目の5.31日、脳の縛りバンド、眠気が弱まり、スッキリ感がするこのところの感覚である。そう云えば口の中のスッキリ感も同じである。薄紙を剥ぐように次第に良くなると思われる。但し、「いつタバコの煙の匂いが嫌になるか。どうもまだまだすごく良い匂いみたいで・・・・」の段階である。


 次のコメントに接した。味わおうと思う。
 「禁煙後1ヶ月。・・・・体がニコチンを求めなくなるが、喫煙していた時の行動記憶が残っており、何かのきっかけでふと吸いたくなる時がある。喫煙の行動記憶が消えるまでは最低でも3ヶ月必要といわれる。最初の1ヶ月を乗り越えると成功率はグンと高くなる」。

 2014.06.02日 ほう吉拝

 禁煙1ケ月以降の戦い
 禁煙33日目の6.1日、前日に続いて脳の縛りバンド、眠気、口の中のネバネバが弱まりスッキリ感がする。ほぼ日常に戻った感じである。但し、起床して5分過ぎ頃、やはり以前の眠気が出てきた。そういう意味ではまだ本調子ではない。いつ頃が峠なのか、これを見極めたいと思う。

 夕方の5時頃、いつものように猛烈に吸わせ魔が囁く。ここを乗り越えないと全てがオワだと必死に耐えている。サタンが必死で無駄な抵抗をしていると思い直している。タバコの代用品として干し梅干を食べたのが却って良くなかったのかと思う。喫煙症状を抑えるようなものを探して見よう。

 禁煙34日目の6.2日、前日と同じ。違いは、今日に限りどういう訳か起きてすぐ歯を磨きたくなり歯磨きした。いつもは出勤前である。起床時の口の中の僅かなネバネバが嫌になり始めたことになる。起床するや朝から深呼吸したくなった。と云うかできるようになった。と云うか似合い始めた。それにしても昨日は吸わせ魔との戦いがしんどかった。今日も罠を仕掛けてくるのだろう。負けたらあかん。会社で気付いたのだが、禁煙スタイルの方が似合い始めた気がする。今までは禁煙の方が窮屈だったのだが自然になり始めたように思う。 

 禁煙35日(5週)目の6.3日、前日と同じ。頭を縛るバンド感が更に減った気がする。代わりに頭の奥、目の奥に籠っている感じがする。まだ少し眠気がする。あと少しの辛抱の気がする。今日も昨日に続いて朝起きた時に歯磨きした。口の中のネバネバ感が嫌だったからである。そういえば午前中は禁断症状は全くない。禁煙効能を味わい至福のひと時となる。
 「3週間、1ヶ月もすれば禁煙による禁断症状はほとんどなくなります。タバコを吸わなくてもイライラしなくなり、気持ちも楽になるでしょう」。

 この言は午前中の時間帯には全くそうである。問題は夕方時の「悪魔の誘い」である。今日はどうなるのだろうか。


 次のように考えない限り禁煙できないとの示唆に出くわした。説得力があるので転載しておく。
 「こう思うのが禁煙の一番の成功の秘訣です。わざわざお金を使って人から嫌がられるものを吸っている。癌になって人生を短くするアホが続けるもの。こんなものとは縁を切らないと人生が大変なことになります。止める事ができればこんなに素晴らしい事はない」。

 夕方の5時過ぎ、どういう訳か禁断症状が出ない。これは初めてである。ところがコーヒーを飲んだ後、途端に吸わせ魔に襲われた。但し、吸わせ魔の誘いはまだ強烈ではあるが、今までのそれと比べると既に弱い。

 性欲が出てきた
 禁煙36日目の6.4日、このところのいつもと同じ目覚め。頭を縛るバンドが少し小さくなっている感じ。今日は口の中のネバネバがしない。眠気はあるようなないような感じ。但しスッキリ感がする。スッキリ感の中に眠気がある感じ。今日は朝から小便の通じが良い。禁煙と関係があるのかどうかは分からない。

 ここで性欲について記しておく。性欲は性意欲と性交能力の両方の意味を持つ。禁煙により前者の性意欲が強くなった感じがする。喫煙中は気がつかなかったことである。ちなみにネット情報で得たのだが「SEX回数=九九法則」と云うのがあるらしい。これは「世代に9を乗ずる」ことでSEX回数の平均が判別できるとのこと。これによると、 20代は2×9=18で10日に8回、即ちほぼ毎日に近い。30代は3×9=27で20日に7回、即ち3日に1回。40代は4×9=36で30日に6回、即ち15日に3回、即ち5日に1回。50代は5×9=45で40日に5回、即ち8日に1回、即ちほぼ1週間に1回。60代は6×9=54で50日に4回、即ち25日に2回、即ち12日に1回でほぼ二週間に1回。70代は7×9=63で60日に3回、即ち20日に1回。80代は8×9=72で70日に2回、即ち35日に1回でほぼ1月に1回。90代は9×9=81で80日に1回、即ち3ヶ月に1回とのこと。

 ちなみにほう吉理論では「SEX回数=九九法則マイナス世代数」となる。即ち20代は2×9=18で10日に8回のところより20台の2を引き10日に6回となる。即ちほぼ二日に1回となる。30代は3×9=27で20日に7回のところより30台の3を引き20日に4回、即ち5日に1回ないしは1週間に1回となる。40代は4×9=36で30日に6回のところより40台の4を引き30日に2回、即ち半月に1回となる。50代は5×9=45で40日に5回のところより50台の5を引き40日に0回、即ち1ヶ月半以上SEXしないようになる。この逆ザヤ数値の登場よりSEXしない夫婦が前提とされるようになる。60代は6×9=54で50日に4回のところより60台の6を引き50日に-2回、即ち50日×2=100日以上SEXしないことになる。即ちSEXしない夫婦が当たり前となり仮にSEXするにしても3-4ヶ月に一度と云うことになる。70代は7×9=63で60日に3回のところより70台の7を引き60日にー4回、即ち60日×4=240日以上SEXしないことになる。即ちEXしない夫婦が当たり前となり仮にSEXするにしても1年に一度あるなしということになる。以下同様に計算できる。この方が現実的であろう。これは発見である。

 夕方に決まっての吸わせ魔の誘惑の要因が分かった。この頃、口の中にネバネバが始まる。過去の喫煙の後遺症で幾らかが体内から口の中に出てくるのできなかろうか。とすれば、この時間帯に歯磨きすればよいことになる。早速、事務所要の歯磨きセットを用意して対応しようと思う。そう云えば、口の中にネバネバを感じるが、それは禁断症状としてのそれではない。そうか、ひょっとして我が体内のサタンが参った宣言しているのかも知れない。いや待てよ、最後のウルトラ級の秘策を練っているかも知れないので油断禁物だ。

 真夜中の3時頃、雨が降っていた為に日課の犬の散歩をしないまま眠り込んでいたところ吼え始め、起きて散歩に連れて行った。それはともかく、その時、初のタバコ喫煙夢を見た。それもほう吉ではなく同時に止めていた知人の喫煙である。それを横で嗅ぎながら間接喫煙していた。それも奇妙だが、もっと奇妙なことに知人の兄弟が少なくとも4人現れ、それぞれが兄弟らしく似つつ違う顔をして登場していたことである。夢がそこまで精巧なことに驚く。

 禁煙37日目の6.5日、このところのいつもの感じの目覚めである。いつまで続くのだろうかと思う。多少違いがあり、目から耳にかけてのところが突っ張った感じがする。この感じは縛られた感じのものではない。そういう変化が起っていることになる。眠気はまだ少しある。

 昼頃、眠気がなくスッキリ感が強まっていることを自覚した。この感覚になるのに、喫煙者の喫煙年数と喫煙本数が関係していると思う。この数式ができない訳ではないように思われる。要するに、禁断症状期間日数=x喫煙年数×y喫煙本数と云う関係になろう。これも発見である。

 喫茶店の禁煙席に座り何ともなかった
 禁煙38日目の6.6日、このところのいつもと同じ目覚めである。頭の縛り、突っ張り、眠気が皆、前より減じているがまだある。しつこいなぁと思う。こんなに深く中毒化させられていたことを知れば二度とタバコ吸う気になれない。今日も悪魔と闘うぞ。午前中、喫煙席と禁煙席が分かれている喫茶店へ行った。初めて禁煙席の方へ座った。喫煙席に座っている連中の顔のツヤが何となくニコチンタール色に見えた。禁煙席で30分ほど新聞読んで出たが何の違和感もなかった。

 今日の夕方は吸わせ魔の誘いがなかった。恐らくこのところ急速に悪魔の誘いが弱まっている。ひょっとして退治できたのかも知れない。とすれば禁煙後約40日かかったことになる。次の言に当てはまる。
 「これは「好転反応につき長い人でも40日前後くらいです。20~30日くらいまでは大なり小なり悶える感じがあるが、40日前後のある日を境にグーンと楽になる。二ヶ月過ぎたら余裕で吸いたいと思わなくなる。欲求がなくなり、もうタバコを吸うことはないだろうなぁーと思う」。

 まだ安心はできないが大きな転換点ではある。昼過ぎの歯磨きが利いたのかもしれんな。そう云えば電話の声が若返っているらしい。知人の電話がやけに改まったものいいしており、それを云うと「声が若いので、ほう吉さんではないと思ってしゃべってたわ」とのこと。 

 禁煙39日目の6.7日、昨日と同じ目覚めである。但し爽快感が強まっている気がする。このところ気になっていることが小便の通じが良くて寝てから起きるまでの間に3回ほど用を足している。大便については禁煙以来ずっと順調である。禁煙により便秘するという向きの方の報告もあるがほう吉は逆でむしろ通じが良くなっている。それより何より何と髪が黒くなっている気がする。連れ合いに確認したら「ありゃまーホント。後ろが黒くなっている」とのこと。こういうことがあるのだろうかと半信半疑している。

 禁煙40日目の6.8日、昨日と同じ目覚めである。口の中のネバネバがまだ感じる。どなたかのブログでこう述べている。同感なので採録しておく。
 「 じゃじゃ~ん!禁煙40日目を迎えました。ここまでよく頑張ったなあー……と自分を褒めてみる」。

 但し、次のようなブログの声もある。気持ちが良く分かるので採録しておく。
 「40日経ったけどいまだに吸いたい欲求が強い。特に仕事が終わった後と、夕食後は強烈な吸い魔がくる。いったい何日経てば楽になるのか。我慢の毎日で辛いぜ」。

 まだ「夢煙譚」を見ていないが同じような経験をするのだろうと思う。次のように証言されている。
 「禁煙40日目の頃、タバコを吸う夢を見た。1本吸って、あっやっちまった~って感じ。立て続けに3本吸った。シマッタと思い飛び起きた。夢だったことに気づきホッとした。禁煙に失敗するのを脅え、こんな夢を見たのではないだろうか? 恐るべしタバコである。こういう恐怖心がなくならなければ本当の卒煙とは言えない」。

 今日は初めて禁煙サイトではなく喫煙被害としての肺がん、食道がん等の写真サイトを見て、アッと驚かされた。喫煙中は見る気もなかった。今見ると、ほう吉もこの可能性があったとつくづく思う。改めて禁煙意思を固めたぞ。

 禁煙40日以降の戦い
 禁煙41日目の6.9日、このところのいつもと同じ目覚めである。何かこう喫煙衝動そのものが全くなくなった。但し、これがいつまで持つかだ。夕方の吸わせ魔の勢いがどうなるだろうか。頭のボーがなくなったのがうれしい。そろそろブログ再開したくなった。そういう意欲が出てきたな。

 口のネバネバで思うことは、これは肺内のタバコヤニの溶けたものの一部が口の中に出ているのだろうということである。同じような意味で、脳のモヤモヤとかツッパリは脳内のタバコヤニの溶けたものの一部が脳の中に出て眠気を誘っているのだろうということである。つまり、禁煙以来、全身の至るところからタバコヤニの溶けたものが排出されつつあると解するべきではなかろうか。 

 禁煙42日(6週)目の6.10日、このところのいつもと同じ目覚めである。昨夕は月例会でかなり飲酒、夜更かしした。不思議なことに喫煙衝動はゼロだった。もう何の違和感もなく禁煙できているのが驚きである。今朝は鼻毛を切った。喫煙中は四、五日もすれば鼻毛が伸び、それなりに手入れしていた。今はその手間も滅多にない。それはともかく喫煙して鼻毛が伸びるのは男も女も一緒だろう。マメに手入れしているのだろうが、つい手入れし忘れて鼻毛出しの喫煙女つうのも居るだろう。男の鼻毛が伸びても見られるが女性の鼻毛が元気良く成長し鼻穴に覗いている姿は何とも滑稽な気がする。そんなことを考えた。

 それはそうと昨夜の会食で、久しぶりに会った仲間が、ほう吉が太ったこと、顔の血色が良いこと、儲かっているように見えるなぁとかの話題があった。確かに鏡で見るほう吉の顔は以前の顔より太っている。太り慣れしたら、そのうち元に戻り始めるとも思っているので気にしていない。

 昼頃からか、食道の胃に繋がる直前のところで支えを感じて気になった。何か食べてもコスル感じがする。痛いわけではない。胃の入り口の潰瘍は承知しているが、その少し前の食道部分である。もう少し様子を見ておくことにする。 

 禁煙43日目の6.11日、このところのいつもと同じ目覚めである。朝食でお握り3ヶ食べたのが食べ過ぎだったのか胃潰瘍のところが疼いた。昨日は食道がオカシかった。どうなっているのだろうか。悪魔がイタズラしているのだろうか。

 禁煙44日目の6.12日、このところのいつもと同じ目覚めである。呼吸が自然に深呼吸になっている。寝ている夜中に小便に行くが、思うのは飲んだ量より多く出ている感じである。体内に沁み込んでいるニコチン&タールが出ているからなのだろうか。

 禁煙45日目(1ヵ月半)の6.13日、このところのいつもと同じ目覚めである。但し、寝起きの眠気がめっきり少なくなってきた。これは有難いことである。脳の縛りバンドはまだある。但し、今は前頭葉のおでこの奥辺りに来ている気がする。全体として弱まりつつある。「禁煙45日目 講釈」が痛快に次のようにブログしている。
 「禁煙一ヶ月半以上経過となると、もう禁煙した人っていう扱いです。ここ重要ね。禁煙してる人じゃなく禁煙した人。禁煙3級とかじゃないのね。黒帯。初段くらいの扱いなのね。そうなってくると周りの目が変わってくるの。周りの目っていうのは喫煙者の目ね」。 

 禁煙46日目の6.14日、このところのいつもと同じ目覚めである。口の中のネバネバが少し弱まった感じがする。
 「まだまだ禁煙成功と程遠いが、今までの禁煙チャレンジとは違ってそんなに苦しくもなく続いている気がする。今までとの違いは何だろうと振り返ってみると、今回は止めるにあたって喫煙についての勉強、情報収集をじっくりしたことではないかと思う。(略)喫煙とは思考力を欠如させるほんとに恐ろしい麻薬だなとつくづく思う。今日もこの麻薬から一刻も早く離れる為に禁煙を頑張ろう」。

 禁煙47日目の6.15日、このところのいつもと同じ目覚めである。今日の夕方7時前後、吸魔の猛烈なアタックを受けた。歯を磨いて落ち着かせた。吸おうという気はないのだけれども、何かめったやたらに気分を混乱させて、その混乱の中で喫煙に向かわせようとサタンが仕掛けている感じ。それにしてもしつこいもんだなぁと、そのことに呆れる。

 禁煙48日目の6.16日、このところのいつもと同じ目覚めである。

 禁煙49日(7週)目の6.17日、このところのいつもと同じ目覚めである。目覚め時の「悪魔のささやき」はない。或るブログに「未だに吸いたい感がハンパねぇです」とある。囲碁吉もどちらかと云うとこっちの方かもしれない。特に夕方がそうである。多少弱まりつつある気がするけれども。
 「禁煙49日目です。今日は禁煙外来5回目に行ってきました。今回も吐く息にどの程度の一酸化炭素が含まれているか今まで同様に検査を行いました。で,その結果は数値0(ノンスモーカーレベル)でした。タバコは全く吸っていないので予想通りの結果でした。

 この頃の心理状態を語る次のようなブログの声がある。気持ちが良く分かるので採録しておく。
 「いまだ1日1~3回は吸い魔が襲ってくる。説明は困難だが、その吸い魔は禁煙初日の吸い魔とは違い最初はとても小さな吸い魔なのに何かのきっかけで大きく膨れ上がり襲ってくる。大袈裟げさだがタバコを吸いたくて呼吸困難になりそうな感じだ。心ではタバコを望んでないが脳ミソがニコチンを欲しているような・・・。恐るべしニコチン中毒!!」。
 「禁煙生活も40日を越えたけど、まだまだタバコなんていらなぁ~いっていうモードまではいたらない。今日も一日吸わずに終えました、まだまだ禁煙頑張ってますって感じでしかない。お隣の喫煙所仲間が席を立ち、一服してきて席に戻ると懐かしい香り。これを臭いと思えたら、卒煙って言えるのかな。50日経って、さすがに禁煙初期のような喫煙衝動はなくなったけど、まだまだ誘惑が続いている。これに打ち勝つ100%の自信がつくまで飲みケーションには行かないつもりだけど一体いつまでかかるのかなぁ~~。そのうち友達いなくなっちゃうわ」。
 「禁煙一ヶ月半経過。最近は全く吸いたくならない 。もうすぐ禁煙2ヶ月、根性禁煙で始めたばかりの頃が辛かったからか、なんとなく吸いたい気がする時があっても、すぐ収まるし平気になってきた。タバコ板で毎日見ていたスレも週に1回ぐらいしか見なくなったし、このまま止められるかもしれん」。
 「完全禁煙開始44日目。今まで全く気づかなかったニオイに気づくようになりました。私の鼻が犬並みに進化したのか人間本来の能力に戻ったのか、ほんのちょっとのニオイも逃しません。私の周りのタバコ吸いの服についたタバコの匂い、髪の毛に付いたタバコの匂い、口臭、どれををとっても強烈にタバコの臭いがします。なんというか、その立場になってみないと分からないものなのですね。たとえ離れていた場所であってもニコチンの臭いに敏感に反応します。今日も喫煙0本。快調に禁煙中」。

 禁煙50日目以降の戦い
 禁煙50日目の6.18日、このところのいつもと同じ目覚めである。頭バンドがあり、但しゆるいものになっていると感じる。睡魔はない。朝の洗顔の鏡で、白髪が僅かではあるがはっきり黒くなりつつあることに気付いた。

 ある人のブログが次のように記している。「増え続けた体重6キロ増」が囲碁吉の例と一致する。決して3キロ4キロではないよなぁ。
 「今日は禁煙50日目。増え続けた体重も6キロ増で治まり徐々にですが減少し始めた」。

 「私はタバコをとても長いこと沢山吸ってきた。いま禁煙してなんになるの? 」は次のように記している。
 「彼は60歳のときに心臓発作を起こしたので禁煙しました。その後は決してタバコを吸いませんでした。彼は心臓発作の犠牲者でしたが、禁煙してからは過去何年の中で最も体調が良かったのです。ずっと耐久力がついて活力が出てきました。そして95歳まで生きました、最後まで明るく敏捷でした」。
 
 ある調査によると、「喫煙者の4人に1人が禁煙に挑戦したとして、半数の53%が断念。成功者は半数以下に留まる。たばこ増税をきっかけに再挑戦した者の52%が1カ月以内に禁煙を断念。80%が2カ月以内に挫折」としているとのこと。

 禁煙51日目の6.19日、このところのいつもと同じ目覚めである。頭バンドがあるも、以前よりさらに緩まっているように感じる。何やら快適な朝を向えたような兆しがある。この感覚は今日辺りからのものである。 

 禁煙52日目の6.20日、このところのいつもと同じ目覚めである。今朝の夢の中でタバコが出てきた。ほう吉が吸った訳ではないが、或る旅館の中を探索しており、或る箇所で喫煙ルームが出てきて、タバコを吸う人と煙を見やりながら通り過ぎている。そういう場面が出てきた。これで二度目である。とあるブログにこう記されている。ほぼ共感なので取り上げておく。 
 「吸いたい欲求が楽になってきたような気がします。振り返ってみて一番つらかったのは何日目か考えると、20日から40日くらいの間だった気がします。特に1ヵ月経過したあたりはギブ寸前でつらかった。。。なんとか乗り越えられてよかった。このまま3ヵ月クリアに向けて頑張ります。よく言われるのが『日数気にしてる時はまだ危ない』って話し。タバコのことが頭になくなり、禁煙ブログの更新を忘れた頃がタバコの呪縛から解き放たれた時かもしれませんね」。

 禁煙53日目の6.21日、このところのいつもと同じ目覚めである。

 禁煙54日目の6.22日、このところのいつもと同じ目覚めである。昨日も夕方に吸魔が襲ってきたな。絶対吸ってやらんけど。或る人のブログが次のように記している。同感な部分があるので採録しておく。
 「禁煙54日目。久しぶりに『こんちわ~お久しぶり~』ってな感じで吸い魔がやってきました。かなりウザいです。大きなストレスがかかると吸い魔が来るのだと思います。今までも妻との口論とかで吸いたくなっていたので。今日も負けないでがんばります」。

 ほう吉も右同じ。「油断は禁物ですよ」の応援団の声あり。もうひとつ、同感ブログを記しておく。そういう喩えもるわなと感心した次第。 
 「離婚は結婚の3~10倍のエネルギーを使います。これってタバコやギャンブルももちろんその通りなんだよね。くっつくのは簡単ですが辞めるとなると膨大なエネルギーが必要となります。依存期間が長ければ長いほど離れるのは難しいのです。頑張りませう」。

 禁煙55日目の6.23日、このところのいつもと同じ目覚めである。同感ブログを記しておく。
 「本日禁煙55日目です!。タバコとは本当に不思議なもので、タバコを吸っている時は止めようとは思わなかったけれども、タバコを止めると何で吸っていたんだろうと180度も思うことが違う。まだまだ吸いたい気持ちが襲ってくるが、どうしても吸いたいのか?って問い返すと、そこまでして吸いたいとも思わないと答えれるレベルになりました。我慢が楽にできるような感じになりました。吸いたい波は前と変わらず来るんだけど収めるのが楽?な感じ。但し、タバコは我慢できるんだけど何か脳が変な感じが続いてます。離脱症状がひどいということは依存状態がひどかったということで、だから克服したときの体調改善も大きいはずだと思うようにしています。お互いがんばりましょう!」。

 禁煙56日(8週)目の6.24日、このところのいつもと同じ目覚めである。脳バンドが脳の全体の縛りから次第に額から目の奥の方に移行していることがはっきり分かった。もう少しで溶けるのではないかと思う。そういえば昨日、コンビニの前を通ったら、すれ違った喫煙者のタバコの臭いをプーンと感じた。あっこれって初めてと思った。

 禁煙57日目の6.25日、このところのいつもと同じ目覚めである。脳バンドが昨日のような額から目の奥の方ではなく脳の真ん中辺りに移動している。既にバンド感覚は溶けている気がする。今日は定休日の水曜日なので連れ合いと二人で温泉に行った。体重計に乗ってビックリ、何と74キロ。禁煙前の67キロに対して7キロ増えている。何とかせんとなと思う。 

 禁煙58日目の6.26日、このところのいつもと同じ目覚めである。脳バンドが次第に弱くなっているのを感じるが、まだ縛りがあるのも事実だ。 

 禁煙59日目の6.27日、このところのいつもと同じ目覚めである。脳バンド感がほぼなくなっている。但し脳の奥に心地よい痺れのようなものを感じる。一朝一夕には進まない。
 「禁煙59日目。いよいよ、禁煙2カ月達成まで後1日となった。まだまだ卒煙とは程遠いが、何事も途中で投げ出すことの多かった私が、ここまで続けられたということは、とてもうれしい。何よりも、どんなことでも続けることによって得られる自信は弱い自分を勇気づけてくれ、また何か挑戦してみようという活力をもたらしてくれる。これからも、どんなことがあっても1本吸わないことを心に決めて、日々を過ごしていきたいと思う(「自分をかえたい」)。





(私論.私見)