れんだいこの政治論 |
(最新見直し2006.10.31日)
れんだいこは政治に対して次のように考えている。現代は政治に対してあまりにも無関心無教養な者が多い。これはある意味での発育不全又は卑屈な過剰適応症ではないかと思っている。なんとならば、政治はその昔なら元服の齢(よわい)15歳を過ぎた頃より当然に関心を持つべき分野であると考えるからである。それは、もう一つのせいじつまり性事への関心と軌をいつにしているとも思っている。せいじにはもう一つ、聖司もある。このみっつのせいじつまり「政治、性事、聖司」は三兄弟姉妹であり、そのどれもに関心が向かうのが健康な発育の仕方であると思っている。 但し、個性差というのがある。人によってはより政治志向、性事嗜好、聖司指向という風に若干の按配の違いはあろう。しかし、この三兄弟姉妹は本来不即不離であるゆえ、そのどれかに関心を強めれば他の関心が弱くなるというものではない。比較的強度な政治志向、性事嗜好、聖司指向というのが認められるという差である。 しかし、現象的に立ち現れる姿は、政治関心を没した性事嗜好、聖司指向、あるいは逆に性事嗜好、聖司指向を遮断した政治志向というのが多い。れんだいこはそのどちらも嘘と見る。 以上は当然の話であるのに、この当然の事が踏まえられない政治論が横行しているように見える。それはれんだいこの政治論ではない。以上を前置きにしてれんだいこの政治論に入る。その要諦は、我々はなぜ政治に関わるのか、如何に関わるべきか、その見果てぬ夢をどう繋ぐべきか、というところにある。この関心を踏まえた政治論を展開してみたい。 2004.8.9日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)
政治的インポテンツ、性事的インポテンツ、聖司的ナンセンス。