政治の捩(ねじ)れ考 |
(最新見直し2007.5.6日)
Re:れんだいこのカンテラ時評288 | れんだいこ | 2007/05/06 |
【子供では分からない政治の捩れ考】 世に、「年の功」という言葉がある。年寄りの経験的智恵を賛じて云うものであるが、この言葉には一理ある。ならば「研究の功」というものもあるのではなかろうかと思うが、地動説なぞその典型だろうにこういう諺はない。れんだいこが、なぜこう述べるのか。それは、政治に於ける捩(ねじ)れについて言及する際の伏線になるからである。 政治は、人間の諸営為の中でもかなり高級な活動と思われるが、それ故に複雑怪奇にもなり易い。決して単純な方程式では解けない。故に素人では分かりづらいことがある。どういうことかと云うと、政治的見識やその人の政治的立場が通用していても、彼の実際の働きが肩書き通りではない場合があるということである。ここのところが、子供では決して分からない。大人でも分かっていない事が多い。 これを事例で説明してみる。日本共産党と云う党名の指導者を想定する。日本共産党は他のどの政党より人民大衆の救済を呼号している政党であるからして、そういう党の指導者は当然ながらそういう党の理念を体現していると思われがちである。そういう訳で、その党名に相応しい指導者であると受け取るのが先入観になる。事実、至ろうが至るまいがそういう指導者の方が普通ではある。 ところが実際には、日共の場合のように、1955年の6全協での宮廷クーデター以来、野坂−宮顕−不破等々共産党的活動を内部規制するために指導部の座イスに坐り続けているという異例がある。つまり、彼らは、口先はともかくも肩書きとは逆の働きをする為に精出している。しかし、さもらしく振舞うので、その正体は容易には見抜かれない。故に、多くの者は、「現代のマルクス」などと歯の浮くような追従をし続けている。 他方、逆の事例もある。時の権力者というのは体制側の代表であり、当然体制的利益を優先し、庶民大衆には抑圧政治をもってすると受け取るのが常識である。ところが、田中角栄と云う人物がいる。彼は、戦後の政権与党自民党内で頭角を現し、裸一貫からの成り上がりでとうとう首相の座を射止めた。その彼の政治活動を見ると、政治活動上に於いて必要であった金権的体質はさておいたとすれば、全てと云うわけではないがかなりな程度に於いて前人未到の在地型社会主義的とも云える活動履歴を遺している。これは、池田隼人−大平正芳−鈴木善幸ラインにも認められる。政治史上極めて珍しいが、こういうことがほんの時にある。 しかし、こうなると、本質体制派の人間が左翼に仮面して潜り込み党中央を壟断し、本質左翼の人間が権力派に仮面して潜り込み首相職を務めるという変態が発生していることになる。1960年代から70年代までの戦後日本の高度経済成長期の間、本質権力派が左翼仮面で左翼ぶり、本質左翼が体制派仮面で体制派ぶるというややこしい構図の中で、政治闘争が展開していたことになる。今から思えば、不思議な現象が起きていたことになる。 口先とか字面とか肩書きに縛られ、時の通念常識に拘り過ぎると、このことが分からなくなる。世の中は概ね、このことが分からないままに政争が繰り返されている。当然、茶番劇だろうが、ひょっとして神々の悪戯かも知れない。その茶番劇に口角泡を飛ばす勢いで常識的に政治を語る者に出くわすと、れんだいこは極力30分をたたぬうちに逃げ出す。だって話が通じないんだもん。 これを政治の捩れと云う。「子供では決して分からない大人の世界の政治の捩れ」である。世の中こういうことがままあるのだ。このことが云いたかった。 2007.5.6日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)