「理論と実践の弁証法的循環」、著作権川下規制のナンセンスについて

 (最新見直し2008.10.29日)

【「理論と実践の弁証法的循環、著作権川下規制のナンセンスについて】
 1999.6.1日、「さざなみ通信」に投稿した「論理と理論と見解と方針について」の姉妹編として「理論と実践の弁証法的循環、著作権川下規制のナンセンスについて」を追加する。これは、2008.7.29日、役行者論を書き上げた時閃いた、如何にして書き上げたかの内省から生まれた。役行者がくれた考案プレゼントとして受け取り感謝したい。即興で次のように纏めてみました。

 理論と実践の関係を確認しておく。それは次のような経緯で為されていくのではなかろうか。まず情報収集から始まる。それを読解し情報選択へと向かう。これには認識を伴いつつ判断を要する。こういう過程の繰り返しを経て理論が形成される。その理論を通して行動(実践)へと導かれる。行動は修正を生み理論へとフィールドバックされる。この不断の繰り返しによる弁証的螺旋的発展により理論と実践が高次化される。これが、理論と実践の普遍の循環構造式と云うべきではなかろうか。

 これが構造式であるとすれば、良い理論と実践を生むために何を為さねばならないか、為してはいけないのかが見えて来る。これに言及する。一般に何事も基盤が大事であり、裾野が広ければ広いほど良い。これに倣うとすれば、まずは情報収集が幅広く行われるのが望ましいと云う事になる。

 ところが、「幅広い情報集」に対して、近時の強権著作権派の著作権川下適用論による「著作権物利用に対する著作権者への『事前通知、要承諾制』」が大きな壁となって立ちはだかっている。そういう意味で、強権著作権派の著作権論が犯罪的であると云う事が判明する。これが近世以来の権利病の果てに自然的に定向進化したものであるのか、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の「シオンの議定書」的世界支配計画に基くゴイムの愚民化政策として意図的故意に導入されているのかを判別せねばならない。れんだいこは後者だと判じている。

 次に、仮に「幅広い情報集」を得たとして、この局面で問われるのは読解力、認識力、判断力であろう。これは一朝一夕で高まるものではなく、幼児の頃より稽古事として不断の練磨で鍛えて行かねば獲得できない。「能く遊び能く学べ」が云われるゆえんのものがここにある。これを「芸の肥やし」とすることにより読解力、認識力、判断力が高まる。

 次に、理論化能力を高めておかなければならないということになる。これを得るには、これ叉不断の論理能力を磨いておかねばならない。論理学はこれを飛躍的に高める為の学問である。但し注意せねばならない。れんだいこは既に解析しているが、論理学にも実践的にあまり役に立たない形式的なスコラー的論理学と実践的な論理学とがある。学ぶべきは実需に堪える実践論理学の方であろう。これについてれんだいこは、「実践論理学」で考察している。

 次に、実践化能力を高めておかなければならないということになる。実践も論理的弁証法構造を持っており、最初は容易いものから次第に難しく高次なものへと至る無数の階梯がある。戦略戦術論は、この段階に適用されるものであろう。これに関連して、上杉鷹山は、「為せば成る為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」と述べている。他にも行う者の気質、性向、能力に深く関わっていると面もある。山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ」は、この方面に関わる名言であろう。

 次に、実践の検証能力を高めておかなければならないということになる。何事もやりっ放しと云う事は有り得ない。理論と実践は体験、体得、経験を生み、概ね成功範疇のものに対してはもっと上手く首尾良く為す智恵を生む。概ね失敗範疇のものに対しては反省と原因探査と理論の見直しを生む。いずれにせよ、こうやって実践は理論にフィールドバックされるのが自然である。

 この検証フィールドバック能力の高い個人、組織、運動は成長する。逆は衰微する。これを思えば、個人、組織、運動を成長させようと思えば検証フィールドバック能力を高める方向に営為すれば良い。逆にしようと思えば、低める方向に営為すれば良い。これが処方箋となる。

 次に、理論と実践の循環能力を高めておかなければならないということになる。これは、検証フィールドバックの持続性と云う事になる。これをやり続ければらせん的発展が約束され、やらねばやりっ放しの無責任無能力を証することになろう。指導者はこの面で他の者よりも重責である。近時の指導者は、これを能く為しえているであろうか。

 理論と実践は以上のような構造式を持っている。これに照応すれば理に叶うと云い、逆を無理筋と云う。分かっていながらやらないのを惰性と云う。意図的にやらせないのを反動統制と云う。

 2008.7.29日 れんだいこ拝





(私論.私見)