暗記力、理解力、判断力、決断力、指導力、反省力考 |
(最新見直し2013.08.11日)
暗記力、理解力、判断力、決断力、指導力、反省力考 |
ふと「暗記力、理解力、判断力、決断力、指導力、反省力考」をものしておきたくなった。既に「論理と理論と見解と方針の違いと相関について」で似たような考察をしている。その続編と云う位置づけになるだろうか。 我々の頭脳活動の縦の線は、暗記力、理解力、判断力、決断力、指導力、反省力の循環構造にあるのではなかろうか。元々は暗記力から始まる。次に理解力を生む。次に判断力が問われる。次に決断力が要請される。次に指導力が試される。次に反省力が要求される。と云う具合になっているのではなかろうか。この認識循環構造を正しく知り即応する必要があるのではなかろうか。云ってみればこれだけのことである。 この問題が何故重要なかと云うと、人は往々にして反対のことをするからである。暗記力が問われている時に、その他の力を要求する場合はまま見られる。暗記力とは学習力とも言い換えることができるが、これも適宜に使い分けしなければならない。次の理解力が問われるときに至っても記憶力だけを頼りにするようでは学習の意味がない。最近、この暗記力コンクールのようなものが流行っているが、それはそれで良い。問題は次のステップにも同様のコンクールが欲しいと思う。 一定の暗記力を身に着けると、理解力に向かわなければならない。理解力とは状況を正しく理解する力を云う。あるいは認識力とも云う。この力には応用力が付随している。この力を生まない暗記力は低レベルの能力になってしまう。即ち、段階に応じて次の能力が問われていることになる。 さて、暗記力を鍛え、理解力も身に着けると次にはどのような能力が問われているだろうか。れんだいこは、何らかの判断力を経過させながら決断力が問われると思っている。決断力が問われる時に記憶力、理解力だけでは役に立たない。新たな別智として決断力が必要とされる。NHK番組の「歴史その時」などは、この能力を特集した好番組である。記憶力が理解力を生み、理解力が決断力を生む流れもあるが、自然には生み出されない決断力もある。こう知っておく必要がある。 決断力の次には指導力がいる。これは、決断力の成否を確認して修正しつつ強めるところを強めるところを強め弱めるところを弱める調整力を発揮しながら周囲を集合する力を云う。決断力と指導力の成否で命運が決することがあるのでよほど重要な能力である。 指導力の次には反省力がいる。これは修復力とも云う。 この循環の普段の発展こそが能力活動ではなかろうか。なぜだかそういうことを考えさせられたので、気づいたときに記しておく。 2013.8.13日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)