愛犬ジャンが教えてくれた自由と規律考

 (最新見直し2008.12.24日)

 2002.12.23日、れんだいこは、兄の形見としてほぼ4ヶ月前に引き取った愛犬ジャンといつもの散歩に出て、丁度「自由と規律」について考えていた時、ジャンが道路上に飛び出て車に跳ねられた。ドンと云う鈍い音がしてキャンと云う鳴き声がして、それきりジャンが居なくなった。生きていたなら犬猫病院へ連れて行こうと捜したが、リードが絡んで引きずられて行ったのだろう跡形さえない。辺りを捜したが居ない。車の走り去った跡を1キロほど追ってみたが居ない。消えてしまった。

 9月にジャンを引き取って以降、最初の散歩が夕方5時だったのを覚え催促するので、それが日課となった。或る時、夜中の11時頃にも連れ出したら、それも覚えて一日二度の散歩となった。訓練を受けていないせいで常にひっぱり抜くので当初は力比べであった。そのうち人気と犬気がないところで放す術を覚えた。これがジャンにも好評で、こうして互いに快適な散歩が始まっていた。特に河川敷では思い切り自由奔放を満喫していた。道路往来でも片側斜線を上手に行き帰りし始めていた。

 時に大通りの向こう側に渡っていたが、あれが悪かった。ジャンが道を覚え、この時、急に飛び出てしまった。れんだいこには瞬間のことで、為す術もなかった。今は無念と寂しさが一杯で、翌日もその翌日も犬小屋を見ては居ないのを確認させられるばかりである。気休めを云えば、ジャンが跳ねられた時、瞬間に、亡き兄の「ここまで大事にしてくれて有難う。もういいよ」という声が聞こえたことである。言い訳がましく申し訳ないことだけれども、本当にそういう声が聞こえたのだから仕方ない。

 それにしても妙なことになった。この日なぜだか、れんだいこはジャンの飼い方に味をしめ、「日本一自由にして規律有る犬にしてやろう。人間社会に於ける自由と規律を考える際のモデルにしてみよう」とあれこれ思案しながら散歩を楽しんでいた。それがこういう現実となった。いっぺんに冷や水をかけられ打ちのめされた。今もショックが隠せない。

 兄が、「お前の自由論は違う。書生っぽ過ぎる。考え直せ」と最後の訓戒を垂れてくれた気がしてならない。いずれにせよ、「日本一自由」というれんだいこの自由概念が現実に打ちのめされたことには相違ない。ジャンの死が、身をもって教えてくれた気がしてしまう。ジャンには何の責任もなかろう。ジャンの能力を知って、れんだいこが正しくリードしておれば防げた事故である。ジャンには買主として申し訳ないという以外にない。

 れんだいこの「自由な飼い方」の咎めがこれだ。「自由」というところの「真空無制限な自由」なんてないんだ。むしろ、ジャンの命が最大限に安心して過ごせる配慮を尽した飼い方こそがジャンの「真の自由」だったんだ。れんだいこの自由の考え方の間違いが、ジャンの命を縮めたんだ。自由とは安全規律の躾(しつけ)の上に花開くものであり、安全規律の担保されていないところの自由なんて有り得ない、それは「無謀の自由」に過ぎない。リアリズムに基かない自由のはき違えに過ぎない。無謀の自由は現実に裏切られることになる。

 れんだいこは、自由概念の思惟を根本から立て直さなくてはならないことになった。ジャンの死を教訓にすることが、ジャンの死に対するせめてもの償いとなるべきで、かくお詫びしなくてはジャンに相済まぬ。ジャンよ御免な。俺の浅はかさで取り返しの付かないことになった。責任を感じている。兄貴の形見をこんな形で亡くしてしまった。済まぬな兄貴よ、せめて引き取ってやってくれ。

 12.24日、と書き付けておいた。クリスマスイブが過ぎ25日のクリスマスが過ぎた。この間、居酒屋へ行っても寂しかった。ジャンを失ってから三夜を越えた26日の朝朝、窓越しにジャンの鳴き声を聞いた気がした。飼っていた場所は事務所で、自宅から500メートルほどある。ジャンが元気な時は時々、夜鳴きの遠吠えを聞いていた。近所に迷惑掛けているだろうなぁと冷や冷やだった。

 ジャンの鳴き声を聞いた気がして、連れ合いに「オイオイ早く。ジャンの鳴き声がする」と云ったら、「あんたは思い込みが強い人だから幻聴よ。もう四日過ぎてるのよ」と叱られた。鳴き声はすぐ止んだので、やはりあれはよその犬の鳴き声か幻聴だったのだろうと思ってテレビニュースを見始めた。

 8時過ぎ、向かい隣の所長さんの電話から発信があった。出てみると、ジャンに餌を与えてくれていた事務員さんからだった。丁度昨日、ジャンが居ないけどどうしたのと聞かれ、実はかくかくしかじかと伝えたところ、放したあなたが悪い、それは無謀というものよと散々叱られ、少し落ち着いてから涙を流しながら、でもよく可愛がっていたから幸せだったかも、仕方ないねと慰めてくれたばかりだった。その彼女が声を弾ませ「**、**(私の職名)、ジャンが帰って来ているわよ」が第一声だった。「エエッ」、「そうよ、早く行ってあげて」、「分かった」。

 すぐ着替えて会社に向かった。連れ合いに「ジャンが帰ってきたんだ」と云ったら、「私が祈ってあげたからよ」だと。便利な性格してるわ。いつものことながら可笑しくなった。会社へ行くとジャンが居た。「おぅよしよし」と撫でさすりながら互いの信頼を確認した。驚いたことにビっこも曳いていない。全身完璧な肢体だった。これは奇跡だ。帰って来た奇跡と無傷の奇跡。れんだいこは神に感謝した。

 しかし、三日間、ジャンはどこで何をしていたんだろう。不思議と云えば不思議である。それはどうでも良い。今再びジャンとの愛の散歩が始まった。心なしか互いに情愛が深まっている気がする。今日も河原で放し飼いした。ジャンも満足、私も満足のメタボ対策の散歩を終えた。そうこうしているうちに年の瀬になった。さぁこれを投稿しとこ。れんだいこの新たな自由論開眼の一席。

 2008.12.24日 2008.12.29日再編修 れんだいこ拝




(私論.私見)