愚民化に抗する論理と論拠考

 (最新見直し2012.11.13日)

愚民化に抗する論理と論拠考

 ここで、愚民化に抗する論理と論拠考をものしてみたい。現在、日本人は急速な勢いで愚民化に誘導されている。当然のことながらこれは社会の爛熟的自然現象ではない。意図的故意の政治政策によって日本人の愚民化が施策されている結果と見なすべきだろう。これを論証するには幾つかの事例を確認すれば良い。ここではこれをはしょり、この愚民化施策に何故に抗するべきなのか、どう抗するべきなのか、その成算は如何にと云う観点から論ずることにする。この論考の必要を発意したのは、2012.11.12日に下された小沢公判第二審無罪判決の検討によってである。この裁判では、小沢被告側が英雄的な奮闘と精緻な学問的反証により、これに加えて小沢どんバッシングに抗議する広範なネット世論が形成され、その熱い連帯によって、たまさかの僥倖を得た。しかし、仮に万一敗訴していたらどうなるのだろうかと云う不安がよぎったからである。

 我々が平素、愚民化に抗して頭脳を磨いておかねばならないのは、善政時代ならさほど問題ならないが、悪政時代には殊に必要なからである。悪政による世論誘導、これによる誤行動へと誘われることを防ぐ為である。愚民化は判断と行動を誤らせ、意図的故意の誤報道により政治的に味方の者を弾劾し敵の者と連合させ、その結果として取り返しのつかない不始末を仕出かす恐れがあるからである。この愚かな行為に導かれない為に、日頃より頭脳を鍛え、的確な認識、判断を導き出すひと角の者にっおく必要がある。云うは易し行うは難しであるが、せめてそういう風に目指さねばならない。一人の奮闘努力では覚束ないであろうから共同的に育ち合う環境を整備しておかねばならない。よしんば、我々の認識、判断に曇りある場合には英明な指導者を見極める知恵を持たねばならない。

 日本の歴史を見ると、この知育環境がかなり高度に整備され発達していたと思わざるを得ない。そもそもが言語的に高度な日本語を発明している。これを元手に最低限の素養として「読み書きそろばん」が教え込まれ、後は諺、名句名言を噛み締めながら実地訓練に励むことを通じて自ずと高級な頭脳を獲得すると云う仕掛けが為されているように思われる。これを受けての幼児期の基礎教育、少年期の自由教育、青年期の専門教育を経て社会人となる。ここで、仕事に精励しながら社会的成人化を獲得する。これらを通じて基本的には自己責任であるが、これを保護する社会的環境が上手く整備され全体として有機的社会的纏まりを得ているように思われる。

 このようにして形成されたのが日本社会であり、千年続く日本の伝統となっている。これにより、気づいて見れば、日本人は世界一等的な知の民族足り得ていた。その知も独善的なものではなく互譲、助け合いの精神との釣り合いの中で獲得されていた。全体として見れば民族的長所短所が同居しているであろうが、知の共同形成力こそが真髄であり、日本が称賛されている所以のところのものである。

 今、この伝統が意図的故意の政策によって崩されつつあるように思われる。これを促す連中の目論見は成功するだろうか。これを逆に云えば、我々は日本破壊者の策動を撃退できるだろうか、これが問われている。これにつき、れんだいこは撃退できると考えている。その秘訣は何か。ここでひとまず筆を措く。




(私論.私見)