日本式政治思想としての御政道考

 (最新見直し2013.1.21日)

 【日本式政治思想としての御政道考】
 我々は政治に何を求め期待しているのか。ここら辺りで、その根本を確認したいと思う。個々の事象研究の必要もさることながら、学の基礎とも云える政治思想について言及したい。それも、ありきたりのテキストに倣うのではなく、れんだいこが辿り着いた政治学の根本を見つめ直してみたい。れんだいこは歴史好きであり政治好きである。この関心がどこから生まれているのか、何に憧憬しているのか、何を不足に思い現状を改変したいと思っているのか、その基準を検証したいと思う。そう云う関心かられんだいこが辿り着いたのが「日本式政治思想としての御政道」である。以下、これを解析する。こう大上段に構えると却って筆が進まないのだが挑んでみることにする。

 れんだいこは齢62、今年の誕生日で63になる。政治思想について、これまでいろいろ渉猟して来た。学生時代の20歳を起点とすれば既に43年になる。求めていたものがようやくおぼろげながら見えてきた。それが「日本式政治思想としての御政道」である。これは何も古き日本の御政道を懐旧する為に意欲しているのではない。今後の日本政治、世界政治に指針足り得るものを「日本式政治思想としての御政道」の中に発見し、これをカンテラとして今後の政治の基礎に据えようとしている。そういう意味では極めて新しい思想足り得ている。「日本式政治思想としての御政道論」がこの任に堪え得ると云うことを発見し、これを確認し会得せんとしている。そういう政治思想であると理解されたい。「日本式政治思想としての御政道論」が如何に上質なものにして今後の日本政治、世界政治に指針足り得るのか。これを説き明かしたい。

 戦後日本は「日本式政治思想としての御政道論」を捨て、戦勝国側の欧米式政治思想及び政治論に被れて来た。しかしその欧米式政治思想及び政治論に拭えない違和感を覚えるのは、れんだいこだけだろうか。如何に学んでも何か違う、物足りないもどかしさを覚えるのは、れんだいこだけだろうか。この空虚感から辿り着いたのが「日本式政治思想としての御政道論」である。その何が素晴しいのか。これを確認する。

 かまどの話し。

 天皇制とは何か。

 日本式合議政治の妙。

 和の政治。

 手打ちの政治。

 主体的咀嚼、醸成の政治。

 摂理思想。

 祀り祭り奉り。

 義理と人情

 不届き者、切腹の思想

 助け合いの絆

 2013.1.21日 れんだいこ拝




(私論.私見)