言論責任、言論に生きる者としての矜持考

 (最新見直し2015.02.09日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「言論責任、言論に生きる者としての矜持考」をものしておく。

 2015.02.09日 れんだいこ拝

【言論責任、言論に生きる者としての矜持考】
 本日の何気ないネット検索で「[mixi]60年安保 - 日本共産党・負の歴史 | mixiコミュニティ」に出くわし、入ってみると、「樺美智子氏の死去について取った態度や、闘争現場に現れたミヤケンなどの言動について」の設題に、「『検証 学生運動(上巻)』(れんだいこ著、社会批評社)p127~ ニュースで死者が出たことを聞き知った宮顕、袴田が忽然と自動車でやってきて、アカハタ記者に傲然と『だいぶ殺されたと聞いたが、何人死んだのか』と尋ねている。記者は『よく分からないが、自分で確認できたのは1人だけです』と答えると、『なんだ、たった1人か』、『トロツキストだろう。7人位と聞いていたが』と吐き捨てるように云って現場を後にした」の転載があり、続いて「2012年09月08日、れんだいこは嘘が多いからあてにはならんが」のレスが紹介されている。

 れんだいこには、「れんだいこは嘘が多いからあてにはならんが」の記述が気にかかる。根拠があってのいいなら構わないが言い得言い勝ちの言説ならケシカランと思う。本件の記述は、れんだいこが言い元ではない。当然、出典がある。こういうことであれば括弧書きで明記しておくべきだったとも思う。当時読んだ書物の中からの引用なので、探すのにそんなに難しくはないと思う。

 れんだいこが問題にしたいのは、「れんだいこは嘘が多いからあてにはならんが」と平気で書く者の文筆責任である。「れんだいこは嘘が多い」のならそれを論証せねばならない。論証抜きに平然と書き付けるこの書き主がぬるぬると気持悪い。

 こういう話しはどんどんある。これを書き付けておく。

 2015.02.09日 れんだいこ拝





(私論.私見)