現代史と歴史探訪の相関考 |
(最新見直し2013.05.14日)
れんだいこのカンテラ時評№1143 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 5月14日 |
現代史と歴史探訪の相関考 現代日本政治はお粗末極まり、俗に云うところの「お話しにならない」。全く面白くない。これの論拠を挙げればキリがないが、例えば原発対応能力が筆頭だろう。他国の原発事故ならいざ知らず、我が国で起り現に解決に向けての何らの進展がないどころか益々窮地に陥りつつあると云うのに、事故直後より政界要人の原発続投論が相次ぎ、安倍政権下では首相のトップセールスで原発輸出商談が調印されつつある。憲法は改正だが原発は護持と云う逆さま政治では「お話しにならない」。 そういうちぐはぐぶりが目立つ現代日本政治であるのに、与野党はいつの時代にも増して大政翼賛会化している。何しろ、唯一の抵抗勢力化している小沢派に対しては自民党から共産党までがバッシング一番手争いをしている。異論、異端、非主流派をよってたかって叩くので政治が育たないこと夥しい。日本政治がこういう仕掛けに嵌まったのはいつの頃からだろうか。これを問えば紙数を増すので、ここでは触れない。 れんだいこは、こういう折には不思議と歴史探訪に向かう。いわば歴史に遊ぶ。お粗末な現代日本政治に背を向け逃げているのかも知れないが、心情的には現代日本政治への関心が被(かぶ)さっている。何しろ、歴史探訪により、現代に繫がる政治の型が確認できるし、ある程度は現代日本政治の行き先が見えてくるからである。歴史探訪には、こういう果実がある。故に、単なる逃避ではないと思っている。 但しこれは、れんだいこ史学特有のものかも知れない。れんだいこ史学は、上古代史であれ古代史であれ中世史であれ近世史であれ近代史であれ現代史であれ、常に今の政治状況の道しるべとする緊張感で何か益するところを探そうとしている。歴史学はこうあるべきとまでは云わないが、殊のほか歴史の縦の線を重視しているところに特徴がある。 以上を前座として以下、ふと閃いたことを書きつけておく。歴史を見れば、いつの世でも体制派と反体制派と中間派の三派から構成されていることが分かる。これによれば、体制派と反体制派と中間派のどれが良い悪いと云うものではない。問題は、護持成育発展せしめて行くべき政治状況下の場合には体制派になれば良いし、逆の場合には反体制派になれば良いし、判断留保の場合には中間派の立場もあるだろうと云うことになる。れんだいこが育った戦後日本の場合には、戦後から1970年代半ばの田中角栄政権時代までは、体制派で良かったのではなかろうかと思っている。角栄がロッキード事件でトラ挟みに遭い、政治的能力を殺がれて以降は反体制派で行くべきではないかと思っている。 興味深いことに、日本左派運動は、これを逆に漕いで今日まで至っている。即ち、戦後から1970年代半ばまでは日本左派運動が隆盛し、それ以降は全く逼塞したまま今日に至っている。こんなバカな話しがあって良いだろうか。こう思うたびに憤然とせざるを得ない。 歴史にはこういうチグハグがまま起る。故に、もっと幅広く歴史を学び道筋を見いださなければならない。これに失敗すると、本人は精一杯正義運動しているつもりながらも、実際には逆の位置で奮闘しているだけのことになりかねない。特に今時は、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの陰謀陽謀が盛んな時勢であるからして余計に警戒せねばならない。アンネの日記に涙する傍らシオン長老の議定書を偽書扱いし、ホロコーストや南京虐殺事件となると口角泡を飛ばしてナチス及び日本軍の蛮行を詰(なじ)り抜くなぞは典型で、国際ユダヤお誂(あつら)えのテキストを良く学びました、御苦労さんと頭を撫でられて、テキスト通りの文句を口から吐いているだけのことと思わねばならない。 しからば、どう学を形成すべきか。尤も手っ取り早く云えば、脳のしわを増す史学、史観を学べばよい。さすれば本当の歴史が見えてくる。もちろん、れんだいこ史学はそれを目指しているがまだまだ完成途上のものでしかない。この先は寿命との相談になっている。よって、観点を共有する他の有能士によって更に切り開かれねばならない。こうして得た知識、学問によって、現代日本政治のレベルを挙げなければならない。 話しを元に戻せば、福島原発事故の始末ができぬ裡の原発輸出政策なぞ歴史犯罪であり、これ又国際ユダヤの陰謀によって誘われている度し難い愚行政治と見なした方が良い。後で高過ぎる国際的賠償問題が必至であり、日本がそれほどおバカにされていることを悲しまざるを得ない。 そういう連中による政治は一事万事であり、他の施策も同様にせぬ方が良いことを為そうとしていると思った方が良い。こうなると、そういう日本政治に立ち向かうには容易な改造改良では追いつかないと心得るべきである。時代は回天運動を要しており、革命が欲せられていると思うべきだろう。但し問題がある。国際ユダヤ仕込みの自由化運動、民主化運動、革命運動に巻き込まれてはならない。日本式の世代を継ぐ回天運動を推進すべきである。そのコツを会得する為にも、歴史を学ばねばならない。学んだものは実践せねばならない。日本式陽明学の哲理で時代をこじ開けねばなるまい。思いつくまま。 jinsei/ |
(私論.私見)