伝承真偽考 |
(最新見直し2013.05.10日)
れんだいこのカンテラ時評№1142 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 5月12日 |
伝承真偽考、「大国主の命の大和への旅立ち譚のぬば玉歌」考 日本神話考証中に思ったことだが数多くの伝承が遺されている。記紀、古史古伝の伝承の数々の中には相反するものもあり、どれを択ぶのかが肝腎となる。しかし、これを正しく認識し受容しなければ史実が掴めない。例えて言えば、精子が子宮への着床を求めて膣内の様々な洞窟に迷う例に似ている。回り道をしようとも最終的には子宮へ辿り着くことで妊娠へと至る。伝承の選択にもそういう見識が要ると云うことである。これを仮に「伝承真偽論」と命名する。 れんだいこには格別お気に入りの伝承がある。これを披露する。大国主の命の伝承は「いなばの白兎譚」を代表に数々あれど、正妻・スセリ姫との別れの遣り取りを記す「大国主の命の大和への旅立ち譚のぬば玉歌」の条が一番気に入っている。実は、この歌は非常に重要な史実を証言している。これについては後で記す。 出雲の国譲り後のことと推定されるが、大国主は、大和の国に向うべく旅支度を始め、この時、スセリ姫に次の歌を捧げている。詞書きとして「その夫の神わびて、出雲より倭の国(やまとのくに)に上りまさむとして、束装(よそひ)し立たす時に 片御手は御馬の鞍に繁け、片御足はその御鐙に蹈み入れて、歌よみしたまひしく」云々とある。原文は「出雲王朝史3、大国主の命王朝史考」に記す。 (kodaishi/nihonshinwaco/izumoootyoco/ookuninushioutyoco.html) 「今となっては、ぬば玉のように黒い衣を着ても似合わない。故に脱ぎ棄てよう。翡翠のような蒼い衣(沼河比売を暗喩)を着ても似合わない。故に脱ぎ棄てよう。着慣れた山の畑の茜草で染めた赤い衣(スセリ姫を暗喩)を着るのが一番しっくりする。渡り鳥のように私が旅立ってしまったら、君は泣かないと云っていても泣くだろうな。それを思うと哀しい。私の気持ちは、朝雨のさ霧けぶる中を旅立つような思いである。これから先どうなるか決意あるのみである。歴史に殉ずる。お前との会話もこれきりになってしまった。未練は云うまい達者でな」。 ぬば玉とは、アヤメ科多年草の檜扇(ひおうぎ)の種子を指し、黒々と丸い形をしている。「きらきらと光るミステリアスな黒」の意味があり、万葉集の枕詞で「ぬばたまの夜」、「ぬばたまの夢」などとして使われる。「大国主の命の大和への旅立ち譚のぬば玉歌」が元歌であり、これに掛けているように思う。こたびの旅が永遠の別れになることを覚悟しているスセリ姫は、大国主の命の和歌を受け、大御酒杯(おおみさかずき)を取らせて次の歌を詠んでいる。この歌を味わおう。 「八千矛の神にして私の夫、大国主の命よ。そなたは男なので、お廻りになられる島の崎々、磯の崎々で若い妻を娶るのでせうが、私は女ですから、あなたの他に愛する者は居りません。どうぞあなたは旅先で彼女達と柔らかい暖かい布団でお休みになられませ。私はあなたとの愛の日々を決して忘れません。今までの思い出を大事に暮らして行きます。あなたの御無事と幸運を祈念して、この御酒を捧げます」。 恐らく衆人環視の中、恥ずかしがることもなく、二人は互いに杯を交わし、手を首に掛け合って別れを惜しんだ。「かく歌ひて、すなはち盞結ひして、項繁けりて、今に至るまで鎮ります。こを神語といふ」とある。大国主は大和へ旅立ち、スセリ姫は出雲に留まり鎮座することになった。れんだいこは、この伝承は実話なのではなかろうかと思っている。この歌を気に入る理由は、心底から信頼で結ばれている二人の愛情が滲み出ていることに感動するからである。こう解せず、スセリ姫の歌意を「嫉妬激しく」云々なる解説を付して得心する向きがあるがお粗末と云うしかない。 ところで、「大国主の命の大和への旅立ち譚のぬば玉歌」は、大国主が晩年、ヤマトの国に向ったことを証言している点で貴重過ぎる。この時期が国譲り後であるとするならば、大国主の命は国譲り後にヤマトに向かったことになる。れんだいこ史観によれば、出雲王朝はその後、三輪王朝を生み、その延長上に邪馬台国が見える。そういう絡みを考える上で、「大国主の命の大和への旅立ち譚」には重大な意味がある。 れんだいこ史観の真骨頂なのだが、この時、大国主の命は、外航族の迫り来る襲来に対応すべく国津族の救国共同戦線の構築を期してヤマトへ向かったと読む。大国主の命のヤマト行脚行程は残されていないが、代わりに二ギハヤヒの命のそれが伝えられている。れんだいこの眼には、大国主の命と二ギハヤヒの命が重なってしようがない。これについては、今後いよいよ解明に向かうつもりである。 もとへ。スセリ姫は、そういうよほどの重大決意で大和へ向かおうとする愛する夫の「止むにやまれぬ大和魂」を理解した上で、大国主の命に対する永遠の別れを受け止めている。スセリ姫の本歌は、その惜別の恋歌と受け取るべきであろう。大国主は艶福家で知られているが、それは当時の各地の国主豪族の娘との交合が須らく政治婚であったこと、正妻のスセリ姫との信頼がかくも厚かったことを教えていると受け止めている。 |
(私論.私見)