知識情報と見立て考

 (最新見直し2015.12.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「知識情報と見立て考」をものしておく。

 2015.12.21日 れんだいこ拝

知識情報と見立て考
 最近、急速に「知識情報と見立て」について考察しておきたくなった。なぜなら、豊富な知識情報により道中ではまま良いことも云うが、結論が全くナンセンスな文に接することが多くなった為である。要するに見立てが間違っている訳である。その間違いが善意な場合もあるが意図的故意の悪意誘導の場合もある。前者はまま許されても後者を許す訳にはいかない。

 「知識情報」と「見立て」は違う。「知識情報」は「見立て」に役立つ為にあるのに、「知識情報」は人より何倍も何十倍もあるのに「見立て」が悪い事例、事案に接することが多い。最近の著書では**が然りである。こういう場合、稽古ごとで考えれば良い。ここでは囲碁に例える。囲碁の「知識情報」としての定石をより多く知る者は自ずと「見立て」が良くなり、着手が理に適い、いわゆる高段者の域にまで達するものである。ところが、定石を人一倍も百倍も得ているのに昇級昇段しない者が現れたらどうしよう。実際には滅多にいない。知と腕が比例している。

 囲碁のような稽古ごとでは知と腕が比例する傾向にあるが、知と腕が比例する分野は案外多くはない。世の大勢は「知識情報」は豊富だが「見立て」はサッパリのケースの方が多い。始末の悪いことには、「知識情報」が豊富なお蔭で結構な社会的地位、収入を得ておりながら、「見立て」の悪い者が多いことである。これは学問の世界にも言える。「知識情報」が豊富なのに「見立て」が狂っており、その狂った「見立て」のままに「知識情報」を豊富にしつつある事例に事欠かない。これを役立たずと云う。

 以下、意図的故意の悪質誘導な「知識情報と見立て」について考察しておく。最大の顕著は、ユダ屋論を廻ってである。日本古代史を廻っての曲解も多い。他にも田中角栄論然り。宮本顕治論然り。毛沢東論然り。大東亜戦争論然り。その各論として極東裁判論、A級戦犯論、南京事件大虐殺論、百人斬り事件論、従軍慰安婦論、靖国神社論を廻る論争がある。これを西欧史で見ればホロコースト論、ドイツ戦犯裁判論等々が列なる。その殆どに於いてユダ屋の工作が認められ、それとの対決が要請されている。

 今日はこれぐらいにしておく。

 2015.12.21日 れんだいこ拝





(私論.私見)