2007.03.27  トラウデル・ユンゲ「私はヒトラーの秘書だった」


Re:れんだいこのカンテラ時評276 れんだいこ 2007/03/27
 【ヒトラーの人となりの実像に迫る貴重証言考】

 トラウデル・ユンゲ「私はヒトラーの秘書だった」(足立ラーべ加世、高島市子訳、草思社、2004.1.28日初版)を読了したところ、貴重と思ったので批評しておく。

 ユンゲは、本書でヒトラーの人となりを証言をしている。どう貴重なのかは後述するとして、ユンゲは、1942年末から45年末までのヒトラーとの出会いから死の瞬間までの2年半を、ヒトラー専属のタイプ秘書として共に過ごし、「ヒトラー最後の遺言」をも筆記した人であり、自殺現場を確認しているという奇特な経緯を持つ人物である。僥倖か偶然か戦後のナチス摘発の猛威をも潜り抜け、生き延び、最晩年に「私はヒトラーの秘書だった」を遺言することになった。

 ユンゲは、戦後まもなくの記憶の定かな時期に、ヒトラーの個人秘書として得た体験を書き綴っていた。それは、長く伏せられ続けていた。2002.2.11日、ガンで死去する直前になって、「アンネの日記」(畔上司訳、文芸春秋、1999年)の著者として知られるメリッサ・ミュラーが解説を引き受けるという条件で、「私はヒトラーの秘書だった」と題して出版に踏み切った。これよりユンゲの秘蔵証言ヒトラー譚が世に明るみになり、貴重な歴史資料となった。これを仮に「ユンゲ証言」とする。

 読めば判明するが、ユンゲは、戦勝側の戦後思潮であるネオ・シオニズム史観及びイデオロギーを受け入れており、その観点からヒトラー批判の眼差しで著述している。それは、この著作が合法的に出版される為の賢明な方法であったのかも知れない。用意周到な奴隷の言葉を通して記しているので、上っ面を素直に読むものは何の感慨も催さず、ヒトラー最後の日々のドキュメントを淡々と知ることになるだろう。

 しかし、れんだいこは、そうは読み取らない。ユンゲは晩年になって何故にこの貴重証言を世に残そうとしたのか、その真意を忖度したい。ユンゲが意味も無く共に過ごした「思い出のヒトラー」を漠然と世に知らせたとは思えない。それでは晩年の今はの際に世に送り出した意味が分からない。やはり、何らかの突き動かされる衝動により貴重証言を世に残したと受け取るべきであろう。あるいは、ユンゲの意思によってではなく、天啓に導かれて「ヒトラーの実像」を証言したのかも知れない。
 
 さて、「ユンゲ証言」が如何に衝撃的であるかを解き明かしたい。れんだいこが思うのに第一に、世のヒトラー観の通説である「ヒトラー狂人説」を否定している。ユンゲは、ヒトラー秘書に採用されてより最後の日までの間、誰よりも真近で見たヒトラーの人物像を何の飾りも無く証言しており、それが新鮮である。

 それによると、孤高の権力者であるが、決して独裁者ではない。軍事指導会議の様子は明らかにされていないが、その後に設営された座談でのヒトラーは常に物静かで、文化的香りの高いサロン風の談笑好きであった様子を証言している。戦争に対して冷静に歴史正義を確信しており、戦局の帰趨は神の恩寵に委ねていた事を証言している。最後の大詰め局面でも死を恐れず、むしろムッソリーニ的逆さ吊り裸処刑の不名誉を厭い、ピストル自殺したことを証言している。「私は、死んでも生きても敵の手には落ちたくない。私が死んだら、私の死体を焼いてしまって、永遠に見つからないようにしてくれ」と、ヒトラーが指示したことを伝えている。

 その他日々の様子として禁煙派であったこと、菜食主義者であったこと、胃痛の病状持ちで、名犬好きで、潔癖なほど清潔好きであったことを証言している。女性関係もストイックで、権力者にありがちな性的放縦は無く、清楚な風雅を漂わせるエーファ・ブラウン女史唯一人との親密な関係が続いており、その関係は相互に心からの信頼で結ばれていたことを伝えている。最後の局面で、ヒトラーの逃亡せよとの指示に対し、エーファは、「あなたもご存知じゃないの。私があなたのお傍に残ることを。私は行かないわ」と述べたことを証言している。この二人は、いよいよ最後の際で結婚し、エーファは運命を受け入れ、死を共にしたことを証言している。

 もう一つ興味を引くのは、ユダヤ人の迫害的移送が、戦時下特有の敵対性民族の隔離政策であり、それはアメリカが日系人を強制隔離して労役させていたのと同じであったことを想起させる記述になっていることである。従って、ユダヤ人ホロコースト600万人の様子を伝えていない。戦後になって、そのことを知らされ痛苦に感じたと記しているが、それは跡付けであり、当時の雰囲気においてホロコーストを否定していることの方がより貴重であろう。

 更に、ヒトラーが敗北を観念した時、大本営スタッフに対して逃亡するよう促したことも記している。次のように指示している。「諸君、何もかもおしまいです。私はこのベルリンに残り、時が来ればピストルで自殺します。行きたい人は行ってよろしい。全員自由です」。ヒトラーは皆と握手を交わして、別れの挨拶をしている。

 ユンゲは、この時のゲッペルスについても淡々と記している。左派圏で「ウソも千回言えば本当になる」宣伝相として高名なゲッペルスであるが、「忠義の手本の方が、長らえた生より貴重」として、ヒトラーに殉じた潔さをも証言している。

 更に、敗戦後のドイツに襲ったナチス狩りの凄惨さをそれとなく証言している。「毎晩のように、拷問されている人の悲鳴や、ロシア方面への護送を編成する点呼などが中庭から聞こえてくる」と記している。他にもいろいろ記されているが、れんだいこが一読して印象に残ったことは凡そ以上である。

 さて、こうなると、我々が戦後通説としてきた「狂人的ヒトラー、ゲッペルス観」は大いに訂正を迫られることになろう。実に、本書はこのことを奴隷の言葉を使って淡々と証言しており、そのことに不朽の価値が認められそうだ。以上、感想を記しておく。

 2007.3.27日  れんだいこ拝




(私論.私見)