塚本三郎「田中角栄に聞け」

Re::れんだいこのカンテラ時評851 れんだいこ 2010/11/09
 【塚本三郎「田中角栄に聞け」を評す】

 宇沢弘文、内橋克人「始まっている未来」の書評を書こうとしていたら、元民社党委員長の塚本三郎氏の「田中角栄に聞け」の書評を未発表にしていることに気づいた。これを先に投稿しておく。

 元民社党委員長の塚本三郎氏が、「田中角栄に聞け」(PHP、2010.5.10日初版)を出版した。
 (ttp://www.amazon.co.jp/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84%E3%81%AB%E8%
 81%9E%E3%81%91-%E5%A1%9A%E6%9C%AC-%E4%B8%89%E9%83%8E/dp/4569775241)

 塚本氏は、野党の民社党衆院議員として在りし日の角栄と直々の政治的交流を持った貴重な角栄証人の一人である。本書の文意は、塚本氏の性格なのだろう、角栄を褒めたり貶したり、持ち上げたり引き降ろしたり忙しく書いている。サワリを述べて容易に尻尾を掴まさない。但し、全体の論調として、「七分の理と三分の理」の例えで表象されるように角栄政治是認論にシフトしている。恐らく、角栄政治訴追後の日本政治の質の堕落を見るにつけ、政界置き土産として角栄懐旧譚を遺しておきたくなったのではなかろうか。これが本書の執筆理由であると思われる。

 その内容を見るのに、塚本氏自身の政治活動歴と並走させて角栄を語っているところに特徴が認められる。部分的に取り込みたいところがあり、これにより、れんだいこの角栄研究はより値打ちを増すだろう。初見として、全日空が当初時点で購入見込みしていたDC10が後日、パリ郊外で離陸に失敗し、乗員乗客全員が死亡したこと、その中に社員研修で団体旅行していた東海銀行の社員が居たことを記している。角栄が首相になってニクソンとの初会談をハワイで行った時、中曽根通産大臣を連れて、アメリカの対潜哨戒機P3Cを大量に買い付けた云々も初見である。これらを取り込ませて貰おうと思う。

 本書に特別の敬意を表しておかねばならないことがある。それは、塚本氏が、本文中に、れんだいこの角栄論から2ケ所引用して下さっていることである。巻末の参考文献の末尾でも「れんだいこ、議会政治家の申し子としての田中角栄」と記して頂いている。恐らくこれが、書物上最初のれんだいこ紹介になるのではなかろうか。ネット上では既に多くの方から引用転載したりされたりし合っているのだけれども。塚本氏より何がしかの評価を頂いていることが分かり、うれしいと思う。

 こう書くと、以下の筆述が衰えるのだけれども一言しておく。塚本三郎氏の角栄伝は角栄論の空漠を埋め合わせる意味で何がしか貢献している。塚本三郎氏の角栄を視る目線は温かく、好感が持てる。但し、肝心なことは次のことにある。既に増山栄太郎氏が「角栄伝説ー番記者が見た光と影」で幾分か光を当て、れんだいこが強く放射しているところの「角栄政治の社会主義性」に対するコメントが皆無である。この辺りが角栄論としては既に遅れている。そういう意味で、この観点からの次作を期待したい。

 なぜかと云うと民社党政治論と絡むと思うからである。思えば、若かりし頃のれんだいこは、民社党を一番嫌っていた。民社党は労働者階級の側から労資協調路線を生み、それを是する政治論を党是としていた。れんだいこは、これをヌエ的と評していたからである。あの頃、左派系議会主義政党としては民社党を最右翼、社会党を中間派、共産党を最左派と思いこみ、共産党的立ち位置こそ是としていた。田舎からポット出したばかりのれんだいこの20歳の政治論であった。しかしながら、あれから40年。れんだいこは今、そういう評価を全く無意味としている。社共的口先批判政治運動、その実裏協定路線こそヌエ的と評しているからである。

 実際の民社党の政治的役割は評するに値しない。なぜなら、常に体制的であり、資本の側に立って労働者階級の利益を後回しにして来たからである。或いは排外主義的民族主義の見本みたいな愛国主義運動を展開してきたからである。ところが、現在のれんだいこの民社党を見る眼は温かい。なぜなら、戦後憲法体制=プレ社会主義論を生みだしているからである。

 民社党政治に幾分かの正義性があったとしたなら、民社党こそ逸早く戦後憲法下政治のプレ社会主義性を見抜き、戦後体制下の日本は捨てたものではないとして体制容認し、その立場から高度経済成長しつつある在りし日の日本を客観化させ、それを是とする立場から労使協調路線を生み出し、徒な批判よりも実践力のある体制改良運動に乗り出していたと思われる節があるからである。イデオロギーに流れず、いわば本能的に戦後日本の社会体制を「よりまし」としていた分別が評されるに値すると思われるからである。

 この観点は、民社党内に於いては佐々木良作に強く、春日一幸に弱く、塚本三郎は両者の中間的立場であった。佐々木良作よりは春日一幸に近かった塚本三郎は、そういう意味では凡庸過ぎる政治家でしかなかった。そういう塚本氏に「角栄政治の社会主義性」を再評価せよと願うのは、できない相談かも知れない。しかし、その塚本氏が今現に「田中角栄に聞け」を著し、「七分の理と三分の理」の例えで角栄政治を再評価せんとしている。歴史は面白いと思う。

 変な話になるが、塚本氏は、れんだいこ史観による民社党政治の良質性に気づき始めたのではなかろうか。自身が何故に社会党ではなく共産党ではなく民社党に立ち位置したのか、それを自問自答し始めたのではなかろうか。戦後憲法下政治のプレ社会主義性と云う観点から体制護持に向かった民社党の見直しを引き受け、それは同時にそういう戦後体制の牽引者であった池田―角栄政治の良質性を説くことなしにはできない。そういう意味で、「敵ではなく味方に近かった角栄政治」との交流史に光を当てた党史をものしておく必要があることに気づいたのではなかろうか。

 既に民社党は解党している。今となっては現実的意味は薄い。だがしかし、社会党が解党し社民党となり、共産党と揃ってかっての民社党よりもより右派的立場で議会主義政党として純化し、責任政治を引き受ける意思も能力もない万年野党の弱小政党に甘んじ、特段の苦痛を覚えていないマンネリ政治に没していることを思えば、かっての民社党の立ち位置を明らかにしておく意味がないわけではなかろう。旧社共が、戦後憲法下政治のプレ社会主義性論を獲得せぬままに、理論的に戦後体制否認のままに体制修繕運動に乗り出している腐敗を衝く意味からも、或いは又何の理論的獲得もなしにひたすらに改良運動に転じている自己批判抜きの実践的腐敗を衝く意味からも。

 それはともかく、恐らくそういう感慨なぞ微塵もないままながら、2010年現在の立場から、矢も盾もたまらず角栄見直しの声を上げた塚本三郎氏の本能的政治感覚を称賛したい。その態度は、角栄生存中は諸悪の元凶金満論で落し込め、生没後は「外国からの5億円のハシタガネに手を出した論」なる困窮角栄論で二重三重に顔に泥を塗って恥じない日共不破の角栄論との鮮やかな対比を示している意味で値打ちがあろう。この言をもって締め括りとしたい。

 2010.05.05日 2010.11.09日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)