Re:れんだいこのカンテラ時評その119 |
れんだいこ |
2005/10/25 |
【増山榮太郎氏の「角栄伝説ー番記者が見た光と影」を評す】 |
小泉政治の狂態をみせつけられるほどに角栄が懐かしい。こういう折柄、増山榮太郎氏が「角栄伝説ー番記者が見た光と影」(出窓社、2005.10.20日初版)を出版した。これを仮に「増山本」と云う。
角栄についてはこれまであまたの著作が為されている。角栄ほどその見解が批判と擁護に分かれる人物は珍しい。れんだいこはおおかたの角栄本に目を通しているが、読めば観点が余計に歪んでくる本と為になる本がある。「増山本」は当然後者の有益本である。これがれんだいこの総評となる。
増山氏は、早大文学部卒の時事通信社の政治記者である。運命の僥倖であろう増山氏は、要職時代の角栄が首相になるまでの期間の番記者を勤めた。増山氏は添え書きで、「本書は、戦後政治の結晶として『総中流社会』をもたらし、巨悪論によって追われた田中政治を再検討・再評価するものです」、「私自身、長年の政治記者生活の総決算のつもりです」と記している。
増山氏は、角栄政治と余りにも対極的な小泉政治下の現下の時局を憂い、角栄政治を懐旧し、ありし日の角栄の実録証言を世に明らかにすることを使命と思い立った。その内容は、既成の角栄本と重複しないよう随所に有益な新証言、逸話を持ち込んでおり、角栄研究本の新ページを開いている。
文章は新聞記者だけあっててだれており、非常に読みやすい。れんだいこは一気に読み上げさせてもらった。「れんだいこの角栄論」に取り込むべき多くの逸話を聞かせて頂いた。ここに感謝し、併せてこの場で了承を得たいと思う。
あとがきで、「おそらく田中氏のような天才政治家はこれまではもちろんのこと、これから二度と現われることはあるまいというのが、本書を書き終わっての私の結論である」と記している。
思えば、角栄と身近に接してその息遣いさえ知っている者ほど好意的且つ信奉的であり、角栄の人となりが偲ばれる。佐藤昭子女史の「私の田中角栄日記」、辻和子女史の「熱情ー田中角栄をとりこにした芸者」は、角栄の裏表のない生き様をいずれも称えている。秘書早坂茂三は、角栄政治の何たるかを縷々語り続け、噛めばかむほど味があった好人物ぶりと政治能力の高さを評している。
「増山本」は、角栄出自の新潟の原風景、幼少時の角栄、上京後の角栄、実業家時代、政治家駆け出し時代の記述が目新しい。願うらくは、「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を底上げした要職時代の角栄の逸話をもう少し詳しく聞かせて欲しい。思うに、増山氏の情報力を以てすれば、恐らく全三冊ぐらいにはなりそうである。そういう意味で続刊を期待したい。
角栄は不幸なことにロッキード事件で虎バサミされ、以降その政治能力が羽交い絞め封殺された。右派と左派が奇しくも連衡し、日本政界から実に惜しい人物を訴追していった。今なおしたり顔して角栄批判に興じている手合いを見るが、食傷である。
不破の角栄イジメは病的であり、新著「私の戦後60年」では何と、それまでの金権の元凶批判から転じて「角栄は僅か5億円の調達に困って外国の金に手を出した」云々なる誹謗を浴びせている。あまりにも酷いと云うべきではなかろうか。ニセの友は老いても悔いることがないようである。
その点、増山氏の角栄を見る眼は温かい。というか、その温かさは角栄自身が増山氏に注いでいたものであり、増山氏は今その温かさを思い出しながら懐古しているのではなかろうか。小泉名宰相論に興じるメディアの嬌態下の今、「増山本」の素顔の角栄論は貴重である。他の角栄番記者よ、今からでも遅くないそれぞれの実録角栄像を語り伝えて欲しい。「角栄は日本政治史上孤高の座を占めている」と判ずるれんだいこは、このことを強く願う。
れんだいこ的には、「増山本」が角栄政治の左派性に光を当てているところが特に良かった。「角栄政治の本質左派性即ち土着左派性の解明」はこれからもっとも急がれるところであり、ひょっとしてロッキード事件勃発の最深部の真相かも知れない。「増山本」は、ゴルバチョフ談話「世界で最も成功した社会主義国ニッポン」を紹介しながら、この方面への関心を誘っているところに良質さを見せている。この観点は、増山氏が実際に接していた当時には見えずして、今になって遠望して気づかされた角栄観なのではあるまいか。
角栄はこれまで余りにも、立花史観と不破史観により栄誉と実像を著しく傷つけられてきた。この両者はネオシオニズムと親和して、この観点から角栄批判に興じているところで共通している。猪瀬直樹の論もこの類のもので、許し難い逆さま観点からの角栄批判を開陳している。田原総一朗、岩見隆夫らの論は上げたり下げたりで常に日和見なそれである。小林吉弥、北門政士、久保紘之、水木楊らの論はややましな中間派のものである。
他方、小室直樹、青木直人、三浦康之らの好意派のものがある。古井喜實、井上正治、石島泰、渡部昇一、秦野章、後藤田正晴、木村喜助、小山健一らは、ロッキード事件に対する疑義を表明することで間接的に角栄を擁護している。政治評論家では早くより馬弓良彦、砂辺功、戸川猪佐武、岩崎定夢、新野哲也、渡辺正次郎が角栄政治を高く評価している。戸川氏は不審に急逝してしまったが実に惜しまれる死であった。「増山本」には、戸川氏が生きておれば一献傾け合うであろうシンパシーがある。
惜しむらくはと記しておこう。増山氏はよほど穏和な性質の御方なのだろう、ロッキード献金5億円授受説に対して、これを冤罪とする立場からは論じていない。最近の徳本栄一郎氏の「角栄失脚歪められた真実」、これをヨイショする五十嵐仁氏の「転成仁語」の「最終的に否定されたロッキード事件アメリカ謀略説」らの観点に対して宥和的である。この点に関しては、れんだいこ的には角栄冤罪説に立って欲しかったと思う。
歴史のトップ・シークレットは嗅ぎ分けることでしか判断できない。れんだいこは、ロッキード社5億円献金捏造説、ロッキード事件国策捜査説、角栄政治土着系左派説、角栄外交日中同盟説に立っている。この観点からの角栄論はまだ曙光でしかない。「増山本」は角栄政治土着系左派説に道を開いており、番記者の証言であるだけに値打ちがある。
「角栄ー大平同盟の絆の裏話」の下りも良かった。補足すれば、れんだいこが最近聞いた話はこうである。大平急死を聞きつけた角栄は自宅での通夜に駆けつけ、大平の死装束を前にして十数分余嗚咽男泣きしていたという逸話である。今、政界で、こういう掛け値無しの絆を持つ者がいるだろうか。角栄ー大平同盟が夢見た真実一路の政治は戦後ルネサンスに咲いた日輪であった。今は跡形も無く土足で踏みにじられている。残念無念至極というほかない。
いずれにせよ、「増山本」は新たな角栄観に向けて一石を投じたことになる。その波紋や如何に。
2005.10.25日 れんだいこ拝 |
|