2010.11.09  始まっている未来

 宇沢弘文、内橋克人「始まっている未来」(岩波書店、2009.10.14日初版)を書評しておく。総評として、実に良書である。惜しむらくは、小泉政治の只中で、竹中式構造改革路線の非を打ちならす形で登場し火花を交えて欲しかったと思う。これは、ないものねだりになるのだろうか。

 本書の値打ちは、いわゆる市場原理主義の徹底批判をぶっているところにある。徹底とは、思想的にも経済学史的にも実践的にも徹底的と云う意味である。あらゆる角度から、全182Pで言及している。元々は内橋氏が孤軍奮闘しており、これに宇沢氏が加勢し、補論で梶井功・氏をも交え、岩波書店の「世界」編集部の岡本厚・編集長、清宮美稚子・編集部員のお膳立てで編集されたようである。世を挙げてのネオシオニズムブームの荒波に岩波が抗した感がありあっ晴れである。

 れんだいこが最も気に入ったのは、既に多くの方が紹介している下りであるが、米国の対日アジェンダ「全く役に立たない公共事業への転換指令」云々であった。但し、これを米国と看做すと話が噛み合わなくなる。れんだいこは、その米国をも支配する国際金融資本帝国主義こそ黒幕と判じているので、以下れんだいこ流に解説する。その方が分かり易かろう。歯に衣着せてもぐもぐ言うのは性に合わないのでスパリと行こう。

 れんだいこ流に意訳すれば、こういうことになる。敗戦による戦後日本は、アメリカの植民地化にされるべくスタートした。ところが、その後の日本は奇跡的見事に戦後復興させ、引き続いて高度経済成長の波に乗った。これに寄与したのが、田中角栄的土木事業振興による社会基盤整備であった。これを内治主義と云う。これに比して、米国は第二次世界大戦の勝利を勢いとして戦争経済にのめり込み、1950年代初頭の朝鮮動乱、1960年代半ばからのベトナム戦争へと向かった。1970年代、気づいてみれば米国は日が昇る日本、沈む米国と云う構図となった。経常赤字、財政赤字、インフレ―ションの三重苦に苦しむ米国が打ち出したのが、成長し続ける日本の抑え込み戦略であった。用意周到にシミレーションし発動したのが、日本の内治主義からの転換政策であった。

 中曽根政権がこれを請け負った。まず、軍事防衛費のGNP1%枠が外され、うなぎ上りに予算計上されて行くことになった。国債を刷り抜いた。その上で、1985年のプラザ合意で健全過ぎる日本経済のマネーゲーム化であった。1989年7月、日米首脳会談で、パパ・ブッシュ大統領と宇野首相が日米構造協議開催を申し合わせた。この協議を通じて対日溶解政策が次々と指令されることになった。テーマは、如何にして日本の経済成長を止めるか、日本経済の奇形化に導くかであった。この為に、それまで飼育されていた政財官学報司警の七者機関が総動員された。さしあたっての邪魔者は、戦後政治の内治主義派の掃討であった。これにより、ロッキード事件で田中角栄を葬ったことを手始めとして、次々と吉田―池田系譜の角栄派、大平派の有能政治家が政治訴追、追放、暗殺、自殺強要されて行った。残ったのは悔い改めさせられた転向組ばかりである。

 もとへ。既にシステムアップされていた公共事業の急な打ち切りは難しかった。そこで編み出されたのが、「日本のGNPの10%を公共投資に当てること、但し、その公共投資は決して日本経済の生産性を上げるために 使ってはいけない、即ち全く無駄なことに使う」と云う政策であった。「始まっている未来」は、このことをスパリ指摘しているところに値打ちがある。以降の日本は、この種の公共投資に散財して行くことになる。国の直轄事業も地方の事業も全て、この新政策に基づき組み直しされて行った。中曽根政権がこの路線を敷き、以降の政権に申し渡されて行くことになる。これにより10年間で430兆円が費消させられたと云う。世の中一事万事の原則と云うものがある。他の全ての政策も、これに似た変質が行われたと思えば良い。消費税導入、その他増税、官民格差の拡大、貧富の拡大、中産階級の解体等々、皆このシナリオによると思えば良い。

 こうした経緯を経て、自民党シオニスタン、日共が口をそろえて公共事業批判に乗り出す。自民党シオニスタンは、その分を軍事防衛費に振り当て、日共は社会事業費に割り当てするよう主張する。いずれにせよ公共事業抑圧が主眼であり、このことは内治主義を壊滅させることを本旨としていた。この時、無駄な公共事業批判が口実になった。無駄な公共事業云々弁舌は、こういう仕掛けの下で始まったと思えば良い。遂に、2005年頃、全国総合開発計画(全総)が廃止された。これについては追跡調査する。そういう意味で、「公共事業の全く役に立たない形への転換指令」の持つ意味は大きい。

 さて、それでも日本経済はしたたかに生き延びてきている。政治の国策不況政策にも拘わらずと云うべきだろう。それは、それ以前の内治主義時代に固めた基盤が崩されなかったと云うことでもあろう。(中略)

 2010.11.10日 れんだいこ拝




(私論.私見)