「読売新聞社史考」その5、ナベツネ考その3、その後の暗躍考

 更新日/2018(平成30).4.17日

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ナベツネはその後も権勢を誇示し続け、2007.11月現在に至っている。しかしながら、ナベツネ履歴を見る限り、2003年の横綱審議委員長辞任が氏の下り坂のターニングポイントになっているように思われる。ここで、以降今日までの歩みを追跡しておく。

 2007.11.11日 れんだいこ拝


【横審委員長を辞任】
 2003年、77歳の時、1.27日、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社社長が横綱審議委員会の委員長を辞任した。以前から辞任の意向を示していた。委員は留任する。この日あった横審の席上で了承され、互選で後任に石橋義夫委員(共立女子学園理事長)を選出した。また委員長代行を置くことも決まり、海老沢勝二委員(NHK会長)が選ばれた。

 2003年、日本新聞協会会長を任期満了に伴い退任。


 2003年、オフに、原辰徳が監督を辞任して堀内恒夫が就任。渡邉は「読売グループ内の人事異動だ」と発言した


 2003年、7月、パ・リーグが導入を決めたプレーオフ制度を批判。巨人が優勝した場合はボイコットも示唆。


読売新聞グループ本社会長に就任

 2004年、78歳の時、1月、ナベツネが読売新聞グループ本社会長に就任。


プロ野球再編問題

 2004年、パ・リーグにおいて人気が低迷していた大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)の間に合併話が持ち上がった。更に、同リーグの福岡ダイエーホークスと西武ライオンズ親会社の経営危機による身売り説が飛び交っていた。近鉄の命名権売却に反発。

 6月、近鉄のオリックスへの吸収合併が発表され、1リーグ制実現に向け、再度動き出す。新規参入を望むライブドアの堀江氏と球団を減らしたい渡邉氏でプロ野球のあり方をめぐる互いの立場、利害の対立が浮き彫りになった。この問題の解決に、渡邉は西武オーナー・堤義明、オリックスオーナー・宮内義彦らとプロ野球1リーグ構想を画策したものの、ライブドア社長(当時)の堀江貴文が近鉄の買収を名乗り出ている状況下、世論の反発を招くこととなった。

 7.8日、現行の2リーグ12球団維持を主張し、性急な1リーグ制移行案に異を唱える古田敦也(ヤクルトスワローズ)日本プロ野球選手会会長に対し、この件に関するスポーツ記者(西村欣也)のインタビュー質問「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が代表レベルだと話にならないんで、できれば、オーナー陣といずれ会いたいと(言っている)」(後に古田自身が全面否定した)の中で「無礼な事を言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と発言し、世間から猛反発を受ける。


【読売巨人軍オーナーを辞任】

 (「政治権力とスポーツ界」、「ナベツネのダイエー球団消滅策動考」参照)

 2004.8.13日、読売巨人軍は13日、臨時株主総会と同取締役会を開き、明治大学野球選手を巡る裏金事件で、ドラフト候補選手へのスカウト活動でルール違反の裏金誘引行為があったとして、吉田部長の編成部長職、土井誠代表取締役社長、三山秀昭常務取締役球団代表、高山鋼市取締役球団副代表の3名の解任、渡辺恒雄取締役オーナーの辞任を発表した。新オーナーには滝鼻卓雄・読売新聞東京本社代表取締役社長が現職のまま就いた。

 8.14日付け読売新聞は、渡辺恒雄氏の次のようなコメントを発表した。

 「このような不祥事を起こしたことはきわめて遺憾であり、野球ファン、関係者の皆さまに深くおわびします。多くの関係者がプロ野球をどう発展させるかを真剣に議論している重大な時期に、球界の将来をどうするかとは別の問題であるとはいえ、ルール違反を犯した責任は重く、球団幹部を厳しく処分するよう指示しました。自らの道義的な責任も痛感しており、読売巨人軍の取締役およびオーナーを辞任しました。プロ野球の神髄がフェアなスポーツマンシップに依拠していることを巨人軍は十分承知しており、自ら公表して襟を正すこととしました。今回の事態を深く反省し、野球ファンの皆さまのご理解を得たうえで、新たな決意をもって真摯(しんし)に野球の発展に力を注いでいく所存です」

 このコメントには次のような事情がある。2004.7.7日、来季からの1リーグ制を廻る球界再編問題に関するオーナー会議が開かれた。翌日、日本プロ野球選手会の古田敦也会長(ヤクルト)が、同前オーナーとの面会を求めていることを報道陣から伝えられ「無礼なことを言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と発言した。この「たかが選手」発言は選手や野球ファンにさまざまな反発や波紋を呼んだ。その波紋の一つは、読売新聞の不買運動の始まりであった。

 近鉄、オリックス両球団は10日に合併合意書に調印した。一方で労組・日本プロ野球選手会は98%の高率でスト権を確立し、伝家の宝刀・ストライキの行使を真剣に考え始めた。このままでは利害や主張の対立が平行線をたどり、プロ野球が空中分解する危険性も見えてきた。プロ野球の再編問題は、渡辺前オーナーがオーナー会議議長として期日を定めた9月8日の次回会議を最終期限に、さまざまな動きが進んでいる。

(私論.私見) 「ナベツネの突然のオーナー辞意表明」について
 以上から推測するのに、「渡辺オーナーの突然辞任の背景事情」は、①・一般ファンからの批判をかわす狙い、②・「渡辺院政」の宣言、そのどちらかであろう。れんだいこは、③・老齢からくる悪行の根気負け、と見る。それは一つの時代の終わりであろう。

 2004年、マスコミ集中排除原則対策としての渡邉名義日本テレビ株の解消に際し、同社株が管理ポストに割り当てられる。


【ナベツネの天皇を凌ぐ越権愚行】

 週刊文春2012.11.15日号巻頭記事「告発スクープ ナベツネの違法行為を暴露する読売現秘書部長『爆弾日記』公開!」によると、渡邉は2004年に不正に運転免許を更新した際、次のような道路交通法違反を犯したとして次のように報道されている

 「今から八年前、二〇〇四年のことである。警視庁公安部公安総務課で、ある情報が駆け巡った。『渡辺恒雄読売新聞主筆が運転免許更新のために必要な高齢者講習を受講せずに済ませるよう、読売新聞幹部が警視庁に依頼した。  渡辺氏は同年五月三十日に七十八歳を迎えており、本件事案は四月三十日から五月三十日までの一カ月以内に発生した模様』。 この情報は二○○四年六月、小誌記者にもたらされたが、警視庁幹部は完全否定したため、それ以上、取材を進めることはなかった」(週刊文春)。

   この件で、当時の読売新聞警視庁記者クラブキャップ・山腰高士(現・読売新聞東京本社秘書部長)の「日記」がこれを次のように補足している。「高齢者講習とは、道路交通法改正により75歳以上の高齢者に義務づけられたもの(2002年に70歳以上に改正)で、座学による講義、シミュレーターによる反応検査、運転実習などを各1時間ずつ計3時間受けなくてはいけない。これは高齢者の死亡事故件数の増加のためであった。偽りやその他の不正な手段により交付を受けた者は、1年以下の懲役か30万円以下の罰金に処せられる(今回のケースは時効になっている)。 天皇陛下でも例外ではないという。しかし、ナベツネは部下に『めんどくさい手続きを省いてほしい』と命じ、当時の広報部長などが奔走することになる。教習所の社長に頼み込み、渡辺主筆は何とか出向いたものの、わずか10分で免許の更新を受けたという」。

 文春はこう結んでいる。「本誌が今回公表した日記からは、違法行為に加担せざるを得なかった記者たちの苦悩が読みとれる。警察権力の監視役である現場の記者たちの報道倫理をねじ曲げた渡辺氏の罪はあまりに重い」。


【読売新聞グループ本社の会長に就任】

 2004(平成16)年、週刊文春2008年が、本誌が入手した当時の警視庁記者クラブキャップ(現・東京本社秘書部長)の日記によるとして、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆(86)が、運転免許の更新に際し、70歳以上に義務付けられた3時間の高齢者講習を、視力検査などわずかな検査項目のみで約10分で終了させ、道路交通法違反を犯したと報道されている。

 「第六天魔王信長@twinz1999 の" 渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆(86)が、2004年に不正に運転免許を更新していたことがわかった。..." tmblr.co/ZjnPywWrTLAg」は次の通り。

 渡辺恒雄・読売新聞グループ本社会長兼主筆(86)が、2004年に不正に運転免許を更新していたことがわかった。本誌が入手した当時の警視庁記者クラブキャップ(現・東京本社秘書部長)の日記によると、渡辺氏は2004年当時、運転免許の更新に際し、70歳以上に義務付けられた3時間の高齢者講習を、視力検査などわずかな検査項目のみで、約10分で終了していた。当時の広報部長(現・東京本社常務取締役総務局長)から「面倒くさい手続きを省いてほしい」と依頼されたキャップが、それを認めてくれる自動車教習所を探し、講習当日も随行していた。また、その過程で、当時の警視庁交通部交通総務課長(現・生活安全部長)がキャップの相談を受け、警視総監から「できる限りのことはやってやれ」と指示を受けていたこともキャップの日記には記されている。講習を受けた自動車教習所の社長は、本誌の取材に「実際に車に乗る実技試験は行わなかった。たしかに、それは法令違反です」と違反を認めた。当時の警視総監、交通総務課長は日記の記述を否定。渡辺氏、読売新聞は次のように回答した。「なんか、おじさんの話を1時間くらいだったかな。あれこれ話を聞いて。そんな目くそ鼻くそのこと、何を言っているのかね」(渡辺氏)。道路交通法第117条では、〈偽りその他不正の手段により免許証又は国外運転免許証の交付を受けた者〉に対しては、〈一年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する〉とされており、渡辺氏は時効が成立しているものの道路交通法違反を犯していたことになる。


 2005年、堀内が成績不振で辞任することになり、星野仙一の監督就任を目論んだが各方面からの反対もあり頓挫。結果的に原を監督に復帰させている


 2005年、横綱審議委員を任期満了で退任。


【読売新聞グループ本社の会長に就任】
 2005年、読売新聞グループ本社の会長に就任。

【読売巨人軍代表取締役会長に就任】
 2005.6.23日、ナベツネが、読売巨人軍の株主総会と取締役会で代表取締役会長に就任した。引責辞任からわずか10カ月。

【靖国神社への首相参拝非難】

 2006年、80歳の時、1.5日、刊行された論座(朝日新聞社)において、靖国神社への首相参拝を非難する内容の対談を若宮啓文・朝日新聞論説委員と行う。


 この年に白内障の手術を受ける。この頃、家族についてこう話している。 

 「私は今八十歳、認知症の老妻と共に、安心で楽しい家庭生活を続けていられるのは、隣に息子一家が住み、両親に何かと心遣いしてくれているからだ。この年になって、子供の有り難みを知るとは…」。

【日本経済新聞「私の履歴書」執筆】
 2006.12月、日本経済新聞「私の履歴書」執筆。2007.11月、「君命も受けざる所あり―私の履歴書―」として出版。

【第54回カンヌ国際広告祭で、メディアパーソン・オブ・ザ・イヤーをアジア人で初受賞】
 2007年、第54回カンヌ国際広告祭で、メディアパーソン・オブ・ザ・イヤーをアジア人では初(二番目ともある)受賞。メディアパーソン・オブ・ザ・イヤーは、世界のメディア業界の中から傑出した人物を讃える賞で、朝夕刊で1400万部の世界一の発行部数である読売新聞ほか、テレビ局、出版社、プロ野球球団など広告媒体としても大きな影響力を持つグループを率いていることが評価された。

【社論と反対の社説を執筆した論説委員に執筆を禁じる】
 2007年10月26日付日本新聞協会会報のインタビュー記事で「社論と反対の社説を執筆した論説委員に執筆を禁じた」と述べ、虚偽の発言で名誉を毀損された(社論に反する社説を書いた事実は一切ない)として、2010年11月25日に読売新聞の前澤猛・元論説委員(“執筆を禁じ”られた当人)から提訴されている。2011年7月5日の判決では、原告の主張は一部認められたが損害賠償は棄却された。。

【福田対小沢党首会談仕掛け-小沢パッシング事件考】
 2007.11月、「福田対小沢党首会談」が設営され、大連立構想が話し合われた。小沢が党に持ち帰ったところ大ブーイングが起こり、面目を失った小沢が代表辞任を申し出る事態に陥った。この機を捉えて、会談の仕掛け人ナベツネが、子飼いの読売新聞紙面を使って、「小沢の方から大連立持ちかけ」との虚報で小沢パッシングに出るという事件が発生した。ここまでを事件の前半とする。民主党が事態を正確に受け止め、分析し、団結して小沢の慰留に手分けして努め、小沢が辞表を撤回し元の鞘に納まる形で決着した。この経緯を公判とする。これを仮に「2007.11月、小沢党首辞任騒動」と命名する。

 2009年、麻生内閣の設置した安心社会実現会議の委員に選ばれる。


【渡辺恒雄を元部下が提訴 「虚偽の発言で名誉棄損」(共同)】
 2010.11.25日、渡辺恒雄読売新聞グループ本社会長に対し、読売新聞東京本社の前沢猛元論説委員が、社論をめぐる虚偽の発言で名誉を傷つけられたとして150万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め東京地裁に提訴した。訴状によると、渡辺会長は、日本新聞協会のインタビューで自衛隊に言及し「社論と反対の社説を執筆した論説委員に執筆を禁じたこともあった」などと発言。協会発行の2007年10月16日付の新聞協会報に掲載された。前沢元論説委員は「この論説委員は自分」とした上で「社説は常に社論に基づき執筆していた。(発言は)誹謗中傷で、ジャーナリストとしての社会的評価を失墜された」と主張している。渡辺会長の代理人弁護士は「記事は個人を特定する記述を一切含んでおらず、名誉棄損に当たらない」と反論している。
 
http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010112501000941.html

【「3.11三陸巨大震災」】

 2011.3.11日、三陸巨大震災が発生。この影響で、プロ野球の開幕が当初の3.25日の予定から延期になることについて、3.16日の球団激励会の挨拶で、「この前の大戦争で負けた後、選手、監督から3ヶ月でやりたいという声が上がってプロ野球をやった歴史もある」と話し、予定通り25日の開幕を主張した。また延期を決めたパ・リーグに対して、「こういう時には何もやらない方が良いというなら勝手にしろ」と話した。その後セ・リーグもパ・リーグ同様4.12日に開幕になったが渡邉は「いいんじゃないか。もう、しゃあない。(国などが)ガーガー言ってるんだから」と話した


【「清武の乱」】
 2011.11.11日、専務取締役球団代表兼ゼネラルマネージャー・編成本部長・オーナー代行の清武英利が「球団のコンプライアンス上の重大な件」とする記者会見を行い、球団が発表した岡崎郁ヘッドコーチの留任について、渡邉がそれを覆し江川卓をヘッドコーチに決めたことについて、「ツルの一声で決めてしまうなど、球団を私物化するようなことがあっていいものか」として渡邉を批判した。11.18日、清武は全ての役職から解任された。これを「清武の乱」と云う。

 11.25日、清武は日本外国特派員協会において会見を開き、11日の会見を前にした清武との電話において渡邉が「俺は最後の独裁者」と酒まじりに言い放ったことを述べ、これに対し渡邉は11月28日付の朝日新聞において『独裁者と呼ばれて』と題したインタビューに応じ、「僕は民主的だよ。物事を決めるときには必ず人に相談することにしている。独裁者と書くメディアもあるが面白いし、売れるからね」と答えている。その一方で、正力松太郎は独裁者だったとも述べている。

 2014(平成26年).「情報保全諮問会議」の座長となる。

 6.10日、読売巨人軍取締役最高顧問に就任した。

 2015年、巨人の笠原竜也投手、福田聡志投手(32)、松本竜也投手(22)が野球賭博に関与していたとして無期失格となった。野球賭博で選手が処分されたのは、1969年の「黒い霧事件」以来で、球界に衝撃が走った。巨人は3選手の契約を解除し、原沢敦球団代表が辞任した。

【「渡邉恒雄最高顧問、白石興二郎オーナー、桃井恒和球団会長の3人が同時辞任」】

 5.24日、読売新聞グループ本社は、山口寿一代表取締役経営主幹・読売新聞東京本社社長(59)が6月7日付で社長に就く人事を内定したと発表した。白石興二郎社長(69)は代表権のある会長に就任する。渡辺恒雄代表取締役会長・主筆(89)は会長を退く。渡辺氏は代表取締役主筆として今後も経営に関わる。6月7日の定時株主総会後に開く取締役会で正式決定する。


【妻の渡辺篤子逝去】

 2017.10.20日、渡辺篤子(わたなべ・あつこ、渡辺恒雄読売新聞グループ本社主筆の妻)が、肝硬変のため死去(享年87歳)。子供は息子一人。睦(むつみ、三井住友信託銀行役員)。


【ナベツネが頸椎(けいつい)骨折入院】
 2018.8.21日、読売新聞グループ本社が、渡辺恒雄代表取締役主筆(92)が今月中旬に頸椎(けいつい)の一部を骨折し入院していることを明らかにした。渡辺氏は一般病棟で治療を受けながら、業務書類に目を通すなど順調に回復しているという。渡辺氏は、同社広報部を通じて「自宅で転倒し、入院しています。幸い脊髄に損傷はなく、すでにリハビリを始めています」とのコメントを出した。

 巨人では長嶋終身名誉監督(82)が7月初旬に都内の病院に入院している。渡辺主筆は7月6日、3年契約最終年の今季もV逸が決定的になっている巨人・高橋由伸監督について「(選手を)よく見ている。ひとりひとり全部知っている。名監督だよ」と評価。「もっと強化する」と今オフの大補強をほのめかし、指揮官の来季続投へ追い風とみられていた。同18日には不祥事続発の責任を取って辞任した老川祥一前オーナーの後任として、渡辺主筆が「後継者」と明言する同グループ本社社長の山口寿一氏(61)が新オーナーに就任。





(私論.私見)