立花逝去に際しての追悼弁

 更新日/2021(平成31.5.1栄和改元/栄和3)年.8.14日

 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK281」の「 赤かぶ 日時 2021 年 6 月 24 日」投稿「《追悼》立花隆さん「東大=エリートは幻想」「東大卒の肩書に意味はない」本誌で持論展開〈週刊朝日〉」。
 【追悼】立花隆さん「東大=エリートは幻想」「東大卒の肩書に意味はない」本誌で持論展開
 https://dot.asahi.com/wa/2021062300020.html
 2021.6.23 10:53 週刊朝日 ※週刊朝日2001年11月23日号から再掲
 ジャーナリストで評論家の立花隆さんが4月30日に急性冠症候群のため亡くなっていたことがわかった。80歳だった。「知の巨人」と呼ばれ、田中角栄研究をはじめ、政治、医療、宇宙、宗教など幅広い分野の問題を追究。その鋭い洞察力は教育の分野でも生かされ、大学の役割の終焉、日本人の教養の劣化を早くから見抜いていた。生前、自著『東大生はバカになったか』(文藝春秋)をベースにした自説を、週刊朝日に寄せていた。故人を偲んで、再掲する。

 「世界で大恥をかく東大法学部卒の無教養」「東大型秀才の系譜はある種のバカの系譜」……。立花隆氏が新刊『東大生はバカになったか』(文藝春秋)で、東京大学を痛烈に批判した。東大卒の官僚の傲慢ぶりが東大のイメージを落としたが、企業内の東大卒評価も期待ほどではない。東大は、もはや“落ちた”ブランドなのか。

 「東大=エリート」は幻想だ 立花隆

 僕は、「東大生がいかにばかか」ということを語りたかったわけではない。1997年に教養学部のゼミナールで学生と本を作ったが、できる連中は本当によく勉強していたし、なかなか頼もしかった。そもそも東大生の中でも本当にダメな学生は僕の授業なんて取らないし、僕も有象無象の学生を実際に見たわけではないから、東大生がどんなにばかかは何とも言えない。ただ、東京-札幌間の直線距離を30キロと答える東大生がいるなどというデータを見ると、学生たちの頭はおかしくなったとしか思えない。

 だいたい、大学で勉強するだけの学力を持たない連中がゾロゾロ大学に入ってくるような入試制度がおかしい。ここ10年間で、受験生の負担軽減を合言葉に受験科目がどんどん減ってきた。東大はまだいいほうで、私大は2科目受験を導入するなど、率先して科目を減らしてきた。まるで大学レベルを下げる競争でもしているかのようだった。

 文部科学省が「ゆとり教育」を掲げて、中・高等教育をやたらにいじり回して教育水準を切り下げたことが学力低下の元凶となったが、不思議なのは大学の先生がそんな文科省に頭が上がらないことだ。国立大学の場合、事務官は全員文科省直属の官僚で、文科省が勝手に人事を動かす。大学の予算作りから執行まで、その文部官僚が完全に握っている。組織としては国立大学は全部文科省大学で、東京分校、京都分校があると考えてよい。大学に独自の決定権があるのは、教授人事と個々の授業、研究の内容だけ。少しでもカネがかかる話は全部、文科省が采配をふるう。

 文科省にカネと事務組織を握られているからか、大学の教養教育のカリキュラムに対してまでわけのわからない文部官僚が乗り込んできて、むやみやたらに口出ししたこともある。大学には、小・中・高校のように「学習指導要領」があるわけではないのだから、大学の先生は毅然として文科省の要求を突っぱね、文科省批判を繰り広げるべきだ。

 もっとも、だれでも大学に入れる今では、大学はインスティテューション(制度)としての役割を終えたのかもしれない。高度な技術を身につけさせてくれる機関は大学以外にもたくさんあり、大学の卒業免状は、真の教養人であることの証明にはならない。

 東大も例外ではない。東大を卒業したからといって、社会に出れば、自分がいかに「教養」がないかを実感するはずだ。だから、東大がエリートだというのも「幻想」の部分が大きい。一般の会社では、お荷物になっている東大卒というものが案外いるものだ。出世もできない。欲求不満だけがたまっている。するとどんどんすねてしまう……。出来の悪い東大卒ほど、やっかいなものはない。

 僕の社会人としてのスタートは週刊誌記者で、職業柄、多くの組織の東大卒と出会っている
が、少数のトップエリート集団に入った本当にできる連中をのぞくと、変なやつ、ダメなやつが多い。

 社会の中のこうしたリアルな東大卒に会うと、東大への幻想は崩れてくるはずだ。一部の企業の間に、いまだに「東大=エリート」の幻想があるのは、こうしたリアルな場面に接していないからではないか。世の母親たちはそうした場面に遭遇することが少なく、東大に過剰な幻想を抱くことが多い。それが受験戦争が過熱する要因ではないか。

 実際、東大の教育が社会で通用しない場面は目立つ。特に海外では、官僚も一般企業のビジネスマンも、どういう教養が身についているかが大事で、東大卒の肩書なんて意味がない。

 外国に行って、本物のエリートとつきあえば、教養がないと話が続かないし、英語を知っているだけでは会話にならないことがよくわかる。日本のエリート、つまり東大卒の官僚たちが、ある程度の教養人ならば知っていて当然の単語を知らないことがよくある。ところが、その点を指摘されると、彼らは一様にすねるだけで終わってしまう。

 官僚のなかでも、ほんの一部のトップエリートたちは、入省してからわりと早めに海外に留学し、教養のなさに気づく機会があるが、そのトップエリートたちの少し下あたりにいる官僚たちは質が悪い。あまりの教養のなさに相手があきれて、レベルを落とした話をされているのにも気づかない。もはやこれは悲劇だ。

 そんな官僚を多く輩出しているのは東大法学部だ。文学部仏文科の僕には愛校心などないが、法学部の連中はこぞって愛校心が強い。彼らに、東大卒に教養がないことを指摘すると、「自分を除いて教養がない」と考える。僕は本の中で法学部を辛辣に批判したが、法学部卒の人が読んでも、「自分以外の話」だから、怒りはしないだろう。『東大生はバカになったか』でいちばん言いたかったのは、東大批判ではない。現代の教養とは何であるかということだ。この本を読んでほしいのは、東大卒の人間でもなく、東大生でもない。むしろ、今からでも教養を身につけたいと思う一般社会人にこそ読んでほしい。今はどこの大学に入るかなんて教養に関係ない時代なんだとわかるはずだ。

【花田紀凱編集長(78)の立花追悼】
 2021.6.24日、「立花隆さん追悼秘話 文春時代の後輩・花田紀凱氏が明かす“立花部屋”での毎日」。
 ノンフィクション作家、ジャーナリストとして「知の巨人」とも呼ばれた立花隆(本名・橘隆志)さん(享年80)の死去が報じられ、関係者からは追悼の声が上がった。文藝春秋時代の後輩で本紙「マンデー激論」でおなじみの「月刊Hanada」花田紀凱編集長(78)は立花さんとの秘話を公開した。

 立花さんは4月30日、急性冠症候群のため、入院先の病院で死去した。東大文学部仏文科卒業後の1964年に文藝春秋に入社するが、わずか2年半で退社し、東大文学部哲学科に再入学。在学時に立花隆名で文筆活動を開始した。2年後輩の花田氏は「立花さんは、なぜ会社を辞めたのかを僕には『仕事量と給料が合わない』と言ってましたね。週刊文春では下っ端でいろんな小間使いをさせられ、関心のないプロ野球の取材をさせられたのも嫌だったようですね」と語る。74年、立花さんは「田中角栄研究 その金脈と人脈」を月刊文藝春秋に発表し、田中元首相の退陣につながったことで「調査報道」のスタイルを確立したジャーナリストとして名を上げた。花田氏は同誌デスク時代、立花さんと「日本共産党の研究」(75~77年)で取材チームを組んだ。会議室を占拠して“立花部屋”と呼ばれた。「当時、立花さんは新宿ゴールデン街で『ガルガンチュア』というバーをやってて、夜型人間。午後6時ごろ、食材を抱えて出勤して、まず狭い給湯室で中華料理を作る。それを編集部の机に並べて、スタッフが群がって食べる毎日。給湯室はギトギトでいつも怒られてました。食後は皆でカードゲームのUNOをやって僕らは帰り、その後、立花さんは残り、取材記者のデータを読み込んでました」(花田氏)。立花さんが題材とするテーマはその後、政治だけでなく社会事件、宇宙、脳死、生命科学、最先端科学などに及びサイエンスライターとも呼ばれた。立花さんは本紙にも数多く登場。94年には「臨死体験」刊行の際、故石原裕次郎さん(享年52)が昏睡状態から目覚めた時の兄・石原慎太郎氏とのエピソードを交えて解説した。「裕次郎は『三途の川の河原の石もすすきの穂もまぶしく白く光って、今までどこで見た川よりもきれいだった』と話したそうです。人間が昏睡状態になった時の臨死体験をする確率は3割。有名人が体験しても不思議はないわけです」。大好きな猫が外壁にあしらわれていることで有名な東京・文京区の事務所“猫ビル”の内部は大量の本であふれていた。花田氏は「“知の巨人”と呼ばれたのも、好奇心がものすごく強くて根っからのジャーナリストだったから。要求度が高かったので、一緒に仕事する人は大変だったけど、やりがいは皆感じていた。雑誌ジャーナリズムでの調査報道の手法を確立した功績はとてつもなく大きい」と追悼した。葬儀は家族のみで営まれ、遺骨は樹木を墓標にする樹木葬で埋葬されたという。


【立花追悼好意的弁士考】




(私論.私見)