「マスコミのリーク情報垂れ流し御用性、その具体的手法、情報操作」考 |
更新日/2023(平成31.5.1栄和改元/栄和5)年.1.13日
(れんだいこのショートメッセージ) |
「マスコミの御用性、政権の番犬化」は、戦前の大本営発表の情報プロパガンダぶりで証されている。この権力当局に対する御用性、政権の番犬化という本質はいつの世にも普遍的なものかも知れない。ここでは、この御用性の立ちあらわれ方を考察する。 「マスコミの御用性、政権の番犬化」は、1・政府政策、警察検察情報リークの垂れ流し御用プロパガンダ性、2・過度の報道又は繰り返し報道による洗脳、マインドコントロール、3・不都合内容の不作為の非報道(事件隠蔽)、4・緊急政治課題そらし報道、5・第四権力圧力による情報操作、6・見出し操作による印象付けコントロール、7・政敵に対する印象報道、批判誘導報道という7面で確認される。ここまで述べればほぼ結論を書いたことになるので、後は折を見てこれを論証する。 2004.6.26日、2005.10.18日再編集 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評652 | れんだいこ | 2010/01/23 | ||||||||||||||||||||||||
【マスコミの検察情報垂れ流しプロパガンダ御用常習性考】 2010.新春早々、検察による小沢パッシング騒動が再燃した。これを報じるマスコミの「検察リーク情報垂れ流しプロパガンダ」が問題になってきた。これを受け、原口一博総務大臣が「『関係者によると』という報道は公共の電波を使ってやるには不適」と発言したことから、これに反発するマスコミとの間にバトルが発生すると云うオマケがついた。れんだいこが、この問題を考察する。その前に、原口総務相発言とこれに対するマスコミの論調を確認しておく。 1.19日、原口総務大臣は、閣議後の会見で、民主党の小沢幹事長の資金管理団体の土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件の報道について次のように述べた。
マスコミが、「『関係者』とのみ附しての検察、被疑者どちらの関係者か分からない情報源を特定しないままの一方的な報道のあり方」に難色を示したことになる。 1.20日、平野博文官房長官が、記者会見で、原口総務大臣発言を受けて、「(『関係者によると』との表現について、)すべてとは言わないが、記事の中身によっては公平でないものがあると思う」と述べ、「関係者」の所属をより明確にすべきだとの認識を示した。記者団の「報道にとって情報源の秘匿は非常に重要だ」との指摘には、「(容疑者の)弁護側からの話が出てこない。『関係者によると』との表現で一方的に出てくる点が少し偏っている。利害が相反する時に一方的にやられるのはよろしくない。(検察と被疑者の)双方の言い分を並べて初めて国民が判断されることになるのではないか」とも語った。原口総務相発言を擁護した格好である。 1.22日、原口総務相は、.閣議後の記者会見で、1.19日発言について釈明を求められ次のように述べた。
これによると、原口総務相の真意は、捜査当局の報道機関への対応を批判する趣旨だったことになる。至極真っ当な発言だと思われるが、この総務相発言にマスコミがどう反応したか。朝日新聞の社説「総務相発言―政権党の短慮にあきれる」は、次のように批判している。
れんだいこが朝日新聞社説士のこの主張を評すれば、この御仁は相当オツムがヤラレテイル。なぜなら、「取材源を隠さないと得られない情報」云々は、あくまでも真実の蓋然性が高い情報の入手の方法として顧慮されている訳で、「真実の蓋然性が高い情報」精査判断を抜きにして「当局情報の一方的な垂れ流し」をする際に持ち出す理論ではなかろう。「取材源を隠さないと得られない情報」を錦の御旗に当局情報プロパガンダをも良しとする理屈は通るまい。 この御仁は次のようにも云う。
つまり、原口総務相発言を「放送局に免許を与える権限を持つ総務相権力の報道規制論」として捉え批判していることになる。しかし、これもオカシイ。聞こえてくるのは徒な反権力批判であって、独善主義と云わざるをえまい。原口総務相発言は至極真っ当な指摘をしているのであって、これに耳を傾けようとしない御仁の理屈こそ報道権力側の露骨な居直りでしかなかろう。他の報道機関の主張、学者の発言も大同小異で、マスコミ権力の横暴さのみ透けて見えてくる。しかし、これらの発言はなべてウソ臭い、かび臭い。マスコミが正常であれば、つまり本来のマスコミであれば、東京新聞が唯一「検察によると」として記事を発信したところ、検察側が東京新聞記者に「出ていけ」と追放し出入り禁止にしたことを重大視し、取材仲間の東京新聞を擁護すべきであろう。この問題に触れぬまま当局情報プロパガンダをも良しとする理屈は通るまい。 云えることは、現下のマスコミはかくも腐れ外道のけもの道に堕している様が見えてくるということである。その昔、マスコミは冤罪事件を採り上げ、社会に注意を喚起させる木鐸の役割を果たしていた。最近は、日共同様、事件の容疑がはっきりしないさなかであるにも拘わらず、警察検察の御用提灯を振りかざして得意然としている。れんだいこが、相当オツムがヤラレテイルと評するのも仕方あるまい。それはともかく、原口総務相は、twitterで次のような「報道5原則」を発表しているとのことである。なかなか秀逸な提言であるように思われる。今後の手引きとして活用するが良かろう。
この問題を、れんだいこが一刀両断すれば次のように云える。検察リークが悪いとか、それを報じる事が悪いというものではない。「リークなどあり得ない」も「あり得てよくない」も共にナンセンスであり、有るのが常態とすべきであろう。但し、出所、出典元は明記せねばならない。これが原則である。従って、公務員の機密情報漏洩は公務員法*条による*とか違反で責めるのは、れんだいこ的には良しとしない。拘るべきは報じ方である。マスコミの自由自主自律的な報道倫理を磨くことこそが望まれている。 実際には、報道倫理はますます疎かにされている。代わって磨きだしたのは著作権倫理である。著作権法上は時事ニュース的なものには非適用との文意を捻じ曲げ、事前通知事前承諾要対価制をますます声高に主張し始めている。その他方で、報道倫理的には過剰加熱暴行的取材、扇動、ヤラセ、捏造、歪曲等々由々しき事態をはびこらせつつある。つまり、資質劣悪化を促進しつつある。 これに関連して、米ニューヨークタイムズ紙のマーティン・ファクラー東京支局長が次のような興味深い評論をしている。見出しは「Japan Stalls as Leaders Are Jolted by Old Guard(保守派による指導者揺さぶりで立ち往生する日本)マーティン・ファックラー」で、小沢対検察のバトルを新興政治家対官僚のそれとして描き、「少数精鋭の検事たちの巨大な裁量権」に初めて疑惑が向けられつつあることを伝えているとして次のように述べている。(阿修羅政治版情報。煩雑を避けるため出所元は割愛する謝謝)
更に、鬼の検察の選別的正義にも言及し、次のように述べている。
メディアの検察迎合ぶりについて次のように論評している。
さすがにジャーナルの意味を心得た先達の意見ではある。恐らく、イエローモンキーのジャーナル度の低さを嗤っているのであろう。もうひとつ、1.20日付けNYタイムズは次のように述べている。
1.21日、自民党衆議院議員の河野太郎氏が自身のブログ「ごまめの歯ぎしり」で検察・マスコミ批判をしている。自身の体験から次のように述べている。
つまり、マスコミの現下の検査情報垂れ流しプロパガンダは問題があり過ぎ、マスコミ側は謙虚に反省し自主自律的な対応を講ずるべきだということが確認されれば良い。権力側の云うことはダメという理屈で検察リークに対しては鵜呑みにし、原口総務相に対しては報道規制で居直るのはバカ丸出しでしかない。こういうことが確認されれば良い。一言しておく。 2010.1.23日 れんだいこ拝 |
れんだいこのカンテラ時評№1147 投稿者:れんだいこ 投稿日:2013年 6月18日 |
現代マスコミの、受難者イエス迫害煽り考 表題の「現代マスコミの、受難者イエス迫害煽り考」とは変な云いである。それは承知で命名している。真意は、現代マスコミをタイムスルーさせ、受難者イエス迫害時に立ち合わせれば如何なる煽りをしているか愚考してみたいと云うところにある。 周知のように、受難者イエスは紀元30年頃、エルサレム市外のゴルゴタの丘で十字架に磔(はりつけ)された。問題は、イエスが逮捕拘束されて以来いきなり処刑されたのではないことにある。この間、イエス逮捕せよ派の「祭司長、長老、律法学者及び会衆」(以下、「パリサイ派」と記す)とローマ帝国ユダヤ総督・ピラトとの間で、イエスの処遇を廻って歴史的なやりとりが為されている。本稿は、これを確認するのではない。この時、現代マスコミが居合わせたならば、どういう論調を逞しゅうするのだろうかと問い、これを詮索するところにある。 「イエスの処遇論」のあらましの経緯はれんだいこサイト「イエスの概要履歴その4、拘束から処刑されるまで」に記す。 (jesukyo/yesden/rireki4.htm) それによれば、「パリサイ派」がイエスを拘束し、身柄をピラトに引き渡し、イエスの罪状をいろいろと告げ処刑するよう訴えた。ローマ帝国の支配下のユダヤ自治では裁判で判決を出すことまではできるが、罪人を処刑する権利が与えられていなかった為である。これに対し、ピラトは、「ユダヤ人問題のことはユダヤ人間で解決するが良い。宗教問題には我関せず」とした。ここに現代マスコミが登場すれば、「裁けないユダヤ人に代わってピラトが裁くのが筋である」と煽ったことは想像に難くない。かくてピラトがイエスを尋問したが、「私はあの男に何の罪も見いだせない」との見解を表明することとなった。ここに現代マスコミが登場すれば、ピラトのユダヤ総督能力を問い断固処罰論の健筆を振るったことは想像に難くない。 困ったピラトは、イエスがガリラヤ人であることを確かめ(ここは注意を要する。イエスはユダヤ人ではなく正確にはガリラヤ人とされている)、そうであるならガリラヤはヘロデ王の支配下である以上、ヘロデ王アンティパスが裁くのが筋であるとしてイエスをアンティパスの元に送った。アンティパスが尋問したがイエスの容疑は明らかにならなかった。結局、イエスを裁く確たる理由を見いだせぬままピラトに送り返した。ピラトが再尋問した。「お前を釈放する権限も十字架につける権限も私にある。これが最後の機会である。弁ぜてみよ」。これに対し、イエスは次のように答えている。
これによれば、イエスは的確にもピラトの背後の「パリサイ派」こそ悪事の張本人と認識していたことになる。 ピラトは、「パリサイ派」を呼び集めて言った。「私はあなたたちの前で取り調べたが、この男には訴えられているような犯罪は何も見つからなかった。ヘロデとて同様であった。この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから鞭で懲らしめて釈放する」。これに対して、「パリサイ派」が猛然と抗議し始めた。 ここに現代マスコミが登場するとしよう。どういう論調を逞しゅうするのだろうかが問いである。恐らく諸悪の元凶論、治安悪化黒幕論を唱え、「断固十字架に磔にすべきである」なる速やかなるイエス極刑論を奏でるに違いない。そういうことがなぜ分かるのか。それは、ロッキード事件の際の田中角栄追討論、小沢キード事件の際の小沢一郎追討論から容易に想像できるからである。時代は違えど、連中の弁はいつの世も同じである。 現代マスコミのこのジャーナル精神の親パリサイ派性、より正確には親ネオシオニズム性こそ注目に値しよう。イエス冤罪論、イエス無罪論を唱えるジャーナルがあってもオカシクはないのだが掻き消される。なんとならば、シオン長老の議定書によればマスコミは昔より言論大砲と位置づけられており、この系の言論こそが支配的であるからである。連中は、ある国のある政権が反ネオシオニズムである場合、民主主義論、革命正義論で批判を逞しゅうする。その後、親ネオシオニズム政権が樹立された途端に御用化する。その政権が独裁強権政治色を強めようとも擁護する。共通しているのは親ネオシオニズムであり、この物差しこそが全ての基準になる。こう捉えれば、手のひら返しの論調の不思議が容易に解ける。 人民大衆が、かっての反ネオシオニズム政権と現下の親ネオシオニズム政権を比べて、反ネオシオニズム政権政治の方がまだしも良かったと述べようものなら懐古趣味、封建政治擁護論と罵る。例の先進国論&後進国論を持ち出し様々な説教を聞かせてくれる。れんだいこなぞは、これほどイカサマなジャーナルなぞあって堪るかと思うのだが、これがネオシオニズムの牛耳るマスコミの生態である。マスコミのこの本質を凝視しない限り、まともなジャーナルが生まれるべくもない。 よって結論はこうなる。現代マスコミに巣食うネオシオニズム派を一掃し、論調の回天的再生を図らずんばまともなジャーナルは望むべくもない。連中の弁はもう食傷であり飽き過ぎた。本当のジャーナルのみ御法度で後はオール自由なる言論なぞどうでも良い。そろそろ本来の論調で啓発してくれないと時代が狭苦しくてどうならん。親ネオシオニズム政権が我が世の春をする時、これに批判の舌峰を鋭くするジャーナルが登場しない限り時代が病んでしまう。これを思うとき、「元一日」の「受難者イエス処刑時の論調精査考」が役立つ。本来のジャーナルは、かの時、どう言論すべきだったのだろうか。こう問いかけたいと思う。 |
【大宅壮一の1億総白痴化論】 | |
「一億総**」という用法に関しては、これ以前にも大東亜戦争で本土決戦が差し迫った際の「一億玉砕」、「進め一億火の玉だ」がある。敗戦後の「一億総懺悔」(当時の首相東久邇宮稔彦王)といった語もあり、大樹の陰に入り多勢に流れ易く流れに棹差す日本人の集団主義心性も表している。高度経済成長以後には55年体制下で安定した政治経済を背景に貧富の差の少なくなった「一億総中流」といった語も生まれた。大宅壮一は希代の名言「一億総白痴化」の造語によって、日本の「テレビ時代の初期においてその弊害を看破した」と評されている。これに「総」を付け加えたのが小説家の松本清張である。元々は週刊東京1957年2月2日号における「言いたい放題」の以下の論評が広まったものである。
東京新聞夕刊1957.1.27日のコラム「放射線」欄で、テレビの卑俗さについて 「ある人はこれを国民白痴化運動」と言ったとする記事が出た。記事は「閑息亭」のペンネームで投稿されたが、筆致が大宅と似ていて、この記事が原典だと言われている。 朝日放送の広報誌/放送朝日は、1957.8月号で「テレビジョン・エイジの開幕に当たってテレビに望む」という特集を企画し、識者の談話を集めた。このなかで松本清張が「かくて将来、日本人一億が総白痴となりかねない」という表現で「総」をつけた点が重要視されている。 |
【白井為雄氏の指摘】 | |||||
マスコミの御用性、政権の番犬化」問題はロッキード事件の際に集中的に現われている。白井為雄氏は、「ロッキード事件恐怖の陰謀」の中で次のように記している。
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【マスコミの情報源開示と限界の適正考】 | |||
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【ニュース、世論調査の操作】 | |
メディア史を検証してみると、大手マスメディア各社も他の企業と同じような一企業にすぎないことが分かる。「客観・中立・公正」な報道などはコマーシャルに過ぎず、ニュースにしても事実を伝えるよりもニュースを利用して世論を操るのを狙いとしている。戦後当時のアメリカ政府・心理戦局文書には、こうある。
海外からのニュースは、すべて「ロイター通信」と「AP通信」という通信社から、国内大手マスメディア各社に配信される。「ロイター通信」と「AP通信」という企業は、それぞれロスチャイルド家とロックフェラー家という一部の巨大財閥が所有する企業である。その情報が、彼らに都合のよい世論誘導に使われていないとは到底考えられない。 近年、テレビや新聞で、 “ BPO ” という言葉がよく持ち出されるようになった。BPOは、「放送倫理・番組向上機構」という団体で、NHKと民放連、民放連加盟会員各社によって出資、組織されている任意団体である。視聴者の基本的人権を擁護するために設立されており、やらせ番組や人権侵害など、放送倫理に違反していないか調査し、勧告・見解している。視聴者である市民は、BPOのような団体があることで、テレビ業界に自浄作用があるようなクリーンな印象を持つ。しかし、そもそも何を基準に、勧告・見解を示しているのか、非常に曖昧で、報道管制が敷かれていることを曖昧にする役割を果たしていると云えなくもない。日本は言論の自由がある国だと思われている。しかし、ニュース番組に出演するコメンテーターのコメントには台本が用意されている。 マスメディア各社が実施する世論調査の結果が、民意であるかのような主張がしばしばみられる。しかし、世論調査には、実際の世論よりも誇張された傾向がある。その原因となっているのが、「重ね聞き」「言い回し」問題である。ある質問に対し、「わからない」と答えた回答者に対して、「あえて言えばどちらですか」と聞くことを「重ね聞き」という。これを行えば、より多くの回答者をYES NOにふりわけることができる。例として「○○内閣」の支持・不支持を調べる際に、「○○“改造”内閣」の支持・不支持として質問することで、回答者にいいイメージを刷り込ませるなど、言葉を巧みに使って誘導することを「言い回し」という。多くの人が、公正なデータだと信じている世論調査は、その報道を知った国民の考えをさらに誘導する二次的効力を持っている。 “ みんなと同じ ” であれば、安心する日本人の特性が働くからである。世論調査を巧妙に利用して世論誘導をしている。 |
【情報操作「7つの原則」考】 | |
「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評13」の墨染氏の2013 年 5 月 25 日付投稿「ここに注視。情報操作として使われている「7つの原則」とは・・マスコミは軍事技術のソフトだった」。
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【マスコミのスピン報道】 |
スピン報道とは、政治家の汚職とかを隠す為に何か別のニュースを大きく取り上げる・・・勧善懲悪で、少しでも目をそらせる事を=スピン報道を云う。権力者がマスコミと結託し行うある種の世論誘導による報道技術である。 |
【「一億総思考停止」について】 | |
「山崎行太郎 2020.4.28日、■日本国民全体の「一億総思考停止」について」。
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【TBS社長の入社式での発言録】 | ||||||||
ウソか真(まこと)か、信じられない発言が露呈した。TBS社長/井上弘・氏の入社式での発言録のようである。これを確認しておく。
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井上弘(いのうえ ひろし)(1940年(昭和15年)1月5日 - ) 株式会社東京放送ホールディングス及び株式会社TBSテレビ代表取締役会長。茨城県出身。東京都立両国高等学校、東京大学文学部社会学科卒業。1963年(昭和38年)4月、株式会社東京放送入社。東京放送入社後は主に営業畑や経理畑を歩み、30代のときに税理士試験に合格。尚、現在に至るまで番組制作の経験は一度もない。 |
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TBS社長/井上弘・氏は案外正直者かも知れない。しかしこういう発言は、当事者の側の者が表立っては云わないもの。ましてや夢や希望で胸を膨らませている新入社員に対しては。それを平気で云う感覚より推測すればかなり粗脳と云うことになる。 |
【ブログ「独りファシズム」を主宰する秋嶋亮/氏インタビュー】 | ||||||||||||||||||||||||||||
「★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評15」「憂国青年烈士会 日時 2018 年 7 月 12 日 」「秋嶋亮が語る「メ ディアは精神兵器である論」 国民がお馬鹿番組に気を取られた間に起こっていたこと」。 ブログ「独りファシズム」を主宰する秋嶋亮(旧名・響堂雪乃)の新刊「北朝鮮のミサイルはなぜ日本に落ちないのか - 国民は両建構造に騙されている -」(白馬社)に大変興味深いインタビューがあります。以下はそれよりの転載です。
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(私論.私見)