山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』
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2010.6.20
「岩手日報」で捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ。
我が恩師・江藤淳先生の珠玉の小沢一郎論「帰りなん、いざー小沢一郎君に与う」(1997年03月03日 産経新聞 東京朝刊 1面。『月に一度』とその改題復刊本『小沢君、水沢に帰りたまえ』所収)を、未読の上に誤解・曲解したあげく、参考資料として堂々と「江藤淳」という名前まで出して、いかにも教養ありげに小沢一郎に引退勧告した「岩手日報」の例のコラム(「小沢氏の去就 『使命』果たしたのでは」岩手日報2010.6.16)だけではなく、それを得意気に紹介した産経新聞の記事、そして元々の江藤先生の産経新聞掲載の原文テキスト(「帰りなん、いざー小沢一郎君に与う」)が、引用・転載可能な形のものが手に入ったのであらためて紹介しておきたい。
原文も読まずに、訳知り顔で、「どうだろう。この辺で鳩山前首相と共に政界から身をひくことを考えてみては。かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。すでに十分に「使命」を果たしたのではないか。」。と、「岩手日報」に捏造コラム(小沢一郎への引退勧告)を書いた宮沢徳雄よ、恥を知れ。
江藤先生が、件のコラムで引用している陶淵明の詩の一節は、宮沢徳雄が引用したものとはまったく異なる。「陶淵明」や「帰郷」と言えば、小学生でもすぐに思い浮かべるような一節「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」ではない。江藤先生が引用しているのは、陶淵明は陶淵明であるが、『帰去来辞』からではなく、『飲酒二十首』と言われる詩篇からである。ということは、「かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。」という文章は、なんら実証的根拠のない捏造、あるいは妄想だったということになる。
宮沢某が、江藤先生のコラム原文を読んでいないだけでななく、陶淵明に関する知識や教養も「小学生レベル」ということが、そのいい加減な引用や解釈から分かるだろう。要するに、宮沢某が言う、「かつて評論家江藤淳氏が陶淵明の詩「帰去来辞」を引用して小沢氏に「帰りなん、いざ。田園まさに蕪(あ)れんとす。なんぞ帰らざる」と帰郷を勧めたことがある。」という記事は、新聞記者として致命的な「デッチアゲ事件」の典型だと言うことである。つまり、「江藤淳氏が陶淵明の詩『帰去来辞』を引用して・・・」というところは、宮沢某自身が「未読」であることを暴露したものであり、いわば「見てきたような大嘘・・・」ということになる。繰り返して言うが、江藤先生は、陶淵明の詩篇から四回、つまり四ヶ所引用しているが、そこで引用した詩篇は、『帰去来辞』からではなく、『飲酒二十首』その他からである。参考のために、江藤淳先生の原文と、その引用元の詩篇を紹介しておこう。
小沢君よ、その時期については君に一任したい。しかし、今こそ君は新進党党首のみならず衆議院の議席をも辞し、飄然として故郷水沢に帰るべきではないのか。そして、故山に帰った暁には、しばらく閑雲野鶴を友として、深く国事に思いを潜め、内外の情勢を観望し、病いを養いつつ他日を期すべきではないか。「君に問う 何ぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏(へん)なり/菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)/悠然として南山を見る」と詠じた陶淵明は、実は単なる老荘の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は廃(す)てらる」という悲憤を抱き、「日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」という烈々たる想いを、少しも隠そうとはしていないからである。どんな良い弓でも、鳥がいなくなれば捨てられてしまう。信念の実現は、現実の社会ではなかなか思い通りにはならない。とはいうものの、小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢へ帰ったらどうだというのである。(中略)
陶淵明は、また詠じている。「幽蘭(ゆうらん) 前庭に生じ/薫りを含んで清風を待つ/清風 脱然(だつぜん)として至らば/蕭艾(しょうがい)の中より別たれん」。蘭がひっそりと花開き、薫りを含んで風を待っている。風がさっとひと吹きすれば、蘭と雑草の違いはすぐわかるのだ。水沢へ戻った君を、小沢君、郷党は粗略に扱うはずがない。いや、郷党はおろか国民が君をほっておかない。構想力と実行力を兼備し、信念を枉げずに理想に生きる政治家を、心ある国民はいつも求めている。遠からず内外の政客の水沢詣でがはじまり、やがて門前市をなすという盛況を呈するに違いない。(「帰りなん、いざー小沢一郎君に与う」1997年03月03日
産経新聞 東京朝刊 1面。『月に一度』とその改題復刊本『小沢君、水沢に帰りたまえ』所収)
以上が、江藤先生が陶淵明の詩篇から引用した部分とその前後の原文のテキストである。次に引用元の陶淵明の『飲酒二十篇』等の詩篇である。
陶淵明
■『飲酒 其十七(幽蘭生前庭)」
幽蘭生前庭、 幽蘭(才能の高さを喩える) 前庭に生じ
含薫待清風。 薫を含んで清風を待つ
清風脱然至、 清風 脱然(のびやかなさま)として至らば
見別蕭艾中。 蕭艾の中より別たれん
行行失故路、 行き行はて故路を失うも
任道或能通。 道(自然の道理)に任さば或いは能く通ぜん
覚悟当念還、 覚悟(覚醒)して当に[元の道に]還るを念(オモ)うべし
鳥尽廃良弓。 鳥尽くれば良弓廃てらる(「史記」『淮陰侯列伝』「狡兎死して良狗煮られ、高鳥尽きて良弓蔵(カク)さる」)
■『飲酒 其五(結廬在人境)』
結廬在人境 廬(いおり)を結びて人境(じんきょう)に在り
而無車馬喧 而(しか)も車馬の喧(かまびす)しきなし
問君何能爾 君に問う、何ぞ能く爾(しか)るやと
心遠地自偏 心遠ければ地自ずから偏なり
采菊東籬下 菊を采(と)る東籬(とうり)の下(もと)
悠然見南山 悠然として南山(なんざん)を見る
山気日夕佳 山気日夕(にっせき)に佳(よ)く
飛鳥相與還 飛鳥(ひちょう)相與(あいとも)に還(かえ)る
此中有真意 此の中(うち)に真意有り
欲辨已忘言 辨ぜんと欲して已(すで)に言を忘る
■雜詩其二 日月人を擲てて去る
白日淪西阿 白日(はくじつ) 西の阿(おか)に淪(しず)み
素月出東嶺 素月(そげつ) 東の嶺に出づ
遙遙萬里輝 遙遙として万里に輝き
蕩蕩空中景 蕩蕩たり空中の景
風來入房戸 風来たって房戸(ぼうこ)に入(い)り
夜中枕席冷 夜中(やちゅう) 枕席(ちんせき)冷(ひ)ゆ
氣變悟時易 気変じて時の易(うつ)るを悟り
不眠知夕永 眠らずして夕の永きを知る
欲言無予和 言(かた)らんと欲するも予(われ)に和(こと)うるものなく
揮杯勸孤影 杯を揮(き)して孤影に勧(すす)む
日月擲人去 日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り
有志不獲騁 志有るも騁(は)するを獲(え)ず
念此懷悲悽 此を念ひて悲悽(ひせい)を懐(いだ)き
終曉不能靜 暁に終(いた)るまで静かなるを能(あた)わず
(陶淵明)
江藤先生が、「『君に問う 何ぞよく爾(しか)るやと/心遠ければ地も自ずから偏(へん)なり/菊を采(と)る 東籬(とうり)の下(もと)/悠然として南山を見る」と引用した上で、「陶淵明は、実は単なる老荘の徒ではなく、逃避主義者でもなかった。」と、わざわざ書き加えている意味は、小沢一郎への「帰郷のすすめ」が、「再起を期す」、あるいは「捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する」というところに重点があったためである。したがって次のような詩句が引用されるのである、「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし/鳥尽くれば良弓は廃(す)てらる」「日月(じつげつ) 人を擲(す)てて去り/志あるも騁(の)ばすを獲(え)ず」と。つまり、「覚悟して当(まさ)に還るを念(おも)うべし」と、「還ること」、つまり「復活」を呼びかけたところに、この江藤コラムの主眼はあったのだ。
とすれば、宮沢某よ、お前が書いた記事は、引用元もその解釈も、ともに嘘ばかりということになるだろう。ハツタリもいい加減にしろ、と申し上げたい。つまり江藤先生の「帰郷のすすめ」の真意は、次のようなものだったのだ。宮沢某が得意そうに紹介している意味とは、ぜんぜん、違うではないか。「小沢君、故山へ戻れというのは、決して信念の実現を諦めるためではない。むしろ信念をよりよく生かすためにこそ、水沢に帰ったらどうだというのである。」「小沢君、君は『みンな』を敵にまわすことによって、君の理想をくっきりと浮かび上がらせればよい。君はまだ五十四歳の若さである。水沢で想を練り、思索を深めつつ改稿した『日本改造計画』第二版をひっさげて、捲土重来、国民の與望をになって議政壇上に復帰する日が、そう遠いものとも思われない。」(江藤淳)つまり、江藤先生は、「小沢一郎君、日本の将来は君の双肩にかかっている。今は力を蓄える時だ。」と言っているのだ。そして、今、まさに日本の独立という問題は、長い雌伏の時間を経て、政権交代を実現し、自らも政治的に復権した政治家・小沢一郎の双肩にかかっているのだ。岩手県民よ、捏造新聞「岩手日報」なんぞは見捨てていが、岩手県が生んだ大政治家の一人・小沢一郎を忘れるなかれ。