ヒゲ虎時事評論4

Re:たけしさん、こんにちわ 投稿者:れんだいこ ( 06/24 17:00:35 )

 僕から云うのもなんですが、この掲示板のアメリカ特派員としてそちらの情報を色々お伝えくだされば有り難いです。私の関心は、日本左翼の常識として蝋化しているアメリカ帝国主義の実態について知ることに有ります。

 産軍複合体の様子とか、一元的支配と地方分権の実態とか、皮膚色差別の軟化の程度とか、能力報酬と弱者対応の様子とか、どこが優れていてどこが変調と思えるかとか、米中.米ロ交流の勢いとか、タックスペイヤー意識とはどのようなものなのかとか、銃規制の論理とそれを拒否しようとする論理についてとか、ユダヤ勢力の政財界の牛耳りようはそれほどでもないのかそれほど以上なのかとか、なぜアメリカが世界ナンバーワンの地位になりえていると思えるかとか、クリントンの後釜は誰になりそうかとか、大統領選出国民投票制は日本でも有効そうかどうかとか、次から次へと関心が涌きます。

 気軽に適宜にお伝えいただきたいと私の希望をお届け致します。では又。


Re:了解です 投稿者:れんだいこ ( 06/25 14:45:36 )
 了解の上で、ついでに気になっていることを楽な気分でお聞きしてみようと思います。「天才少年、少女」の思春期も又天才的なんだろうか。ここのところ前から気になっています。過去の彼らのこの辺りの行状が伝えられることがないように思うので、私の頭の片隅で関心を持ちつづけております。人並みの悩み方をするのか、悩み方も天才的なのかとか。これは楽に聞いておりますので、たけしさんの楽なときに楽にお伝えくだされば有り難いです。

 ついでにお尋ねしとこう。「親の七光り」はアメリカではどうなっているのでしょう。あるにはあるが日本的なそれとどう違うのか、あんまり無いのか気になっています。ブロードウェイでは、あくまで当人が光っていないと認められないとかは聞いたこと有ります。その程度しか知りません。政治家、医者、企業家、芸術家等々の「親の七光り」ぶりが知りたいのです。これも楽なときに楽にお伝えくだされば有り難いです。

>  たとえアメリカに生まれなくとも、「力ある者」はいつでもウエルカムなのがアメリカなので
> す。

 建前主義と実質主義という観点から見れば、後者なんでしょうねぇ。

Re:アメリカ雑感2 投稿者:れんだいこ ( 06/26 13:29:39 )

>> 「天才少年、少女」の思春期も又天才的なんだろうか。ここのところ前から気になっています。過去の彼らのこの辺りの行状が伝えられることがないように思うので、私の頭の片隅で関心を持ちつづけております。人並みの悩み方をするのか、悩み方も天才的なのかとか。これは楽に聞いておりますので、たけしさんの楽なときに楽にお伝えくだされば有り難いです。
>
>  さあ、思春期の天才性という意味が良く分かりません。


 私が関心あるのは、年頃になると異性を求めるようになります。これは生理構造からそういうふうにインプットされていると考えています。この時、お互いに「脳度」が釣り合わないといい恋愛ができないと思うわけです。会話してもはずまないという、つまりコミュニケーションが通行しないというようなことが起こるのではないかとの疑問があるのです。まぁ単なる好奇心程度の質問ですので、たけしさん、まともにお返事いただく必要はありません。それが実は不思議と格好の相手が出てくるのですとかの情報がありましたら任意なときにお伝えください。

 
>  人間にはそれぞれ「らしさ」というのがあり、それを自ら開花されてやるのが親や回りの大人たちの役割ではないかと考えます。その意味で親には「責任」はなく、代わりに「役割」があるのではないでしょうか。「好きなようにやれば良い、ただし他人の嫌がることはするな」、これだけでもしっかり教えておけばそう人生に狂いはないのではないか。「昔、神童、今、ただの人」というが、「ただの人」にしたのは本人だけの問題ではなく、回りの大人たちにも問題があるはず。学校の成績だけを重視したところで、それが本人の人生の充実感にいかほどの影響があるだろう。知識の豊富さなど今や数十円のチップ一個でこと足り、クリック数回で画面に出てくる。それよりも新しい疑問や好奇心を育んであげる教育が必要であり、マンパワーしかない日本の生存条件の柱になってほしい。

 同感です。

>  アメリカ社会もコネ社会であることは事実ですし、「親の七光り」があった方が良いにはこしたことがないかもしれません。しかし実力がなければ地金もすぐに剥がれてしまう訳で、そうなった時の世間の見る眼は厳しいものがあるように思います。

 つまり、逆から云えば、アメリカのほうが厳しい競争社会であるということになりますか。と受け取るよりも、本物志向ということになるのでしょうか。まぁアメリカも広い国ですから一くくりはむずかしいのでしょうが、お国柄という意味での関心は有ります。例えば、私が老後をそちらで過ごそうと思ったら、「やめときなさい」といわれるのか、「グッド.アイディア」といわれるのかの違いになりますが、もっとも、そういう元気は私には無いので聞いているだけの話になります。


>「勝つ事と一番がお好き」な国ですから(笑)
>

 何となく分かりますねぇ、その感じが。最近日本にもいろんな国の人が在住しており、外国人といってもお国柄の違いが見えてきました。アメリカ人の場合には、実質本意な思考をする人種だなぁという気がしています。その気質と「勝つ事と一番がお好き」な面との関わりが分かりませんが、何となく伝わってきます。私は、若い頃「アメ帝」論をしっかりインプットしましたので、この辺り以上は理解しにくいのですが、それにしても少し考えてみたらわかりそうなもんだと最近思うようになってきています。ナンバーワン志向の是非はともかく、身近な世界でさえナンバーワンになるにはそれ相応の実力がいるし、組織の長になるには人格力もいるということが。例え一時でも。無茶苦茶な権力使えば別だけど。


Re:アメリカ雑感3 投稿者:れんだいこ ( 06/26 19:56:11 )
> 「恋は盲目」というのがありまして、最初の頃は「脳度」など関係ないのでは。

 そうかぁ、盲目という手があったなぁ。でも、盲目のなり方が天才的なであるとか。と気になり出したらきりがないか。あんまり私には関係ないから、もう考えるのやめよぅ。

> 違いをお互いに認め楽しめあえる相手を何度かのつきあいの中で見つけていくことでしょう。それに合わないと思えば別れるなり、離婚なりすればいいことでありまして、無理することはないでしょう。日本ではバツイチなどとあたかも一度失敗したとの烙印を押したがりますが、私にすればマルイチではないかと思います。それだけ経験豊富な訳ですから。

 昔、「クレイマー.クレイマー」を観て、気がついたことが有ります。離婚した娘と母親が、確か男−恋愛談議をしていたと思います。日本ではとてもこうはいかないなぁと考えさせられました。日本的腹芸が良いのか、アメリカ的腹の晒しあいが良いのかとかね。一般的なのかどうかまでは判りませんが。

>  また私はアメリカがナンバー1でいいと思います。といいますか、世界中の人々の集まりであり、いざとなった時の腕力もあり、資源、技術、食料と世界中が困っても最後まで困らない国がアメリカですし、おだてたりすかしたりしながら、アメリカを利用すれば良く、同時にアメリカに日本の存在感も認めさせるように日本になって欲しいものです。簡単にいうと「哲学」のある日本になって欲しいということであります。それがないことにはいつまでたっても成り金田舎者扱いでしょうから。

 私は、日本人のこだわりの無い実利性と建前性の二つの面の不可思議的受容性に注目しています。いつか論としてアプローチしてみたい誘惑がありますが、貧乏ヒマ無しの身では出来ませんね。日米関係が今後どう推移するのかわかりませんが、近代史を冷静に見ていけば、割合と相性の良い
民族同士ではないかと考えています。凸(アメリカ)凹(日本)のような。

 その前に「アメ帝」論を克服せねばならない。但し、私は右派的に向かいたくは無い。左派的に捉えてみたいと思っています。ちなみに、右派左派の基準は、我々大衆の生活基盤の利益に叶う見方を左派、ここをはしょって国家主義の観点から施策していくのを右派としています。これは私の観点ですので、たけしさんとの交通に押し付けるつもりは有りません、念のため申し添えておきます。では又ごゆっくりと

Re:勉強になりました 投稿者:れんだいこ ( 06/25 11:03:29 )
 たけしさん、レス勉強になりました。これからもちょくちょく「生」の話をお聞かせください。私は、いかにも日本的と思える仲良しクラブ的政治−社会状況に食傷気味になっています。幸いこうした便利な利器が生まれているので助かっています。私の海外旅行経験は釜山とラスベガスの二度あるきりで、加えて語学が出来ぬ為目で感じ取ることしかできない乏しいものです。日本人的情緒と違う人と議論できたらと思う気持ちがありますが、恐らく我が人生は一部の単語が分かる程度で終わるのだろうなぁとあきらめています。残念至極です。

 私が思うのに、我が日本の救済は、最終的には海外子女の手によってなされることになるのだろうなぁという予感がしています。又は、国という単位が溶けて世界的規模企業がそれぞれ「国家」を形成していくことになるのかなぁという気もしています。他方で、民族的な対立と協調が意義を深めていくことになるのかなぁとか感じています。今ハッキリしつつあることは、アメリカがなぜ軍事も政治も経済も芸能もナンバーワンになり得ているのかについて理解せねばならないということではないでしょうか。毛唐観と鬼畜米英観の廃棄の次にやってくるのはアメ帝観のそれでなくては理屈がおかしい。ところが、庶民のほうではいち早くそれを為し遂げているのに、政治理論の方が遅れているという現実にあるように思っています。この場合は左派系の政治理論のことを指しています。

 この情緒的なクリヤーによる実用化は、融通無碍の日本精神の為せる特技であって、我が日本人は文献的に知れる限り倭国の時代よりその能力を発揮しています。大和なでしこがその能力の継承者であるという認識で私は目を細めています。とはいえ、理論は理論で何とか追いつかなくてはならないとも考えています。本来、学者とか政治家はそれが仕事だと思うけども、与党も野党もそれなりの権益を張り巡らせているのでしょう、目先の利権に追われて忙しい忙しいと云っております
。この忙しい病が庶民クラスの我々にも蔓延しておりまして、世の中のことを考える気持ちが逼塞していると私は考えています。それで儲かっているのかというと、例の、世界に例の無い幾何級数的国家債務の道へとひた走っています。他方で、政府の施しを口をあけて待ち受ける習性が正義派によって助長され続けられているように思います。

 私は、偉そうに、双方間違いと云っております。アメリカのように、銃で守ることからリンクさせていくのが良いかどうかは別にして、個々の基盤から自立を養い、これをさせない与野党権力との戦いを通じての人民的なリンクこそが培養されねばならないと考えています。インターネットはその武器になるとか、「知らしむべからず、拠らしむべし」的マインド.コントロールからの解放がこれを通じて為しえる可能性があるとか考えています。当初は風邪を引くかもしれないけれど、次第に免疫力を高め壮健な心身に辿り着けるとか考えています。史上、足利尊氏、織田信長、幕末のあの人この人、近いところで田中角栄辺りの人はそういう展望を持っていたような気がしています。大衆史観の歴史書がありませんので、どうしても時の権力者を挙げざるを得ませんが。

 とかなんとかいろいろ書き連ねましたが、たけしさん、これからも宜しく。そろそろ選挙に行ってまいります。長いこと選挙に行ってなかったのですが、細川政権以来再び通い始めております。もっとも、ピントと来る党が無くてアントニオ猪木とか田中角栄とか書く事もありますが、今回は騙されても良い少し期待しようと密かに決めている党派がありまして入れるつもりです。でも、私のような支持者を持つとウォッチがうるさくなりますので、かの党が今後どのようにお守りしてくれるのか、これからのこととなります。では、又。

Re:気になっていること聞くの忘れてたわ 投稿者:れんだいこ ( 06/29 13:33:50 )
> 他方で、民族的な対立と協調が意義を深 めていくことになるのかなぁとか感じています。
>
>  それを好むと好まざると得ずにやっているのがNYという都市かと思います。いわば「人類を一緒くたにしたらどうなるのか?」
> という実験場のような感じです。国連加盟国は181カ国ありますが、それ以上の民族が住み、融合するというよりもそれぞれの
> 民族性をキープしながら同じ都市に暮らしている感じです。一応の共通語は英語ですが、英語が分からぬとも同胞社会に力があればそれで済みます。日本人など哀しいかなその例ですが、英語はおろかビザパスポートすら所持していない人々も暮らしており、いつしかこの国が同化を許す日を待っているようでもあり、またその可能性も高い訳です。


 アメリカでの黒人進出の具合はどうなんでしょうか。これ是非聞きたかったことです。我々が若い頃黒人差別が非常に問題にされており、公民権運動とか職場進出制限に対する戦いが激しく為されていました。今でも南部が激しいとか云々。ところが、最近テレビ.映画で見るとごく自然にカラーが溶け込んでいるような場面に出くわします。他方でKKK団の存在も時々伝えられています。実態として、未だに牢として差別があるのか、ほとんど解消気味なのか、まだら模様なのかの程度をお伝えしていただけませんか。ここの辺り非常に気になっています。今後この人種対立が再燃しそうかとか、そうした対立はもはや過去形で融和が促進されるだろうとか知りたいです。

 これに関連して、アメリカ人が言ったとか云われている次のセリフが妙です。「我々の差別には、皮膚の色という明白な違いがあるが、あなた方日本人の部落差別というのはどうなっているんだ」と。これには一本取られた。そういう日本社会のヘンチクリンは問題にされねばならないと思う。(ここから少し小声になるが)私が人生経験してきて感じていることに、連中は勝手な人たちだなぁと思ったことがない訳ではない。一言でいえば公に殉ずる精神が希薄という面があるとも思っており、昔の人はある種の根拠を伝えているんだなぁという気持ちにさせられたこともある。但しだ、そのことと法制的な差別化とは別であって、差別意識に手を貸そうとは思わない。これが私のスタンスと云える。

 ところで、現共産党内には、仲間内に大甘で、よそ者に対する団結精神があって、個々の人では良い人も多いが、ドンの仕切り方が悪いが故に鼻じらむような勝手な理屈をこねまわす傾向があるのではないのか。世間が嫌う意識にはこの辺りが関係しているのではないのか。それを思えば、内部の作法点検は必要なのではないのか。現執行部がやっていることは、必要なこうした点検に向かうのではなく、そうした芽を潰す逆の統制ではないのか。

 「火炎瓶闘争」の時代の徳田執行部で、党内再団結を願って「自己批判運動」というのがはやったことがある。伊藤.徳田.志田等々時の幹部が争うかのごとく自己批判していった。確か中間派の志賀が口火を切ったのだったか。反徳田派は、これを高く評価して合流していったグループと、これを欺瞞だといって更に分裂を促進していったグループとに分かれた。云うまでもなく、この後者が宮本グループであった。問題は、紆余曲折の末この宮本系が執行部を掌握して以来、一切の「自己批判」を拒否し、全肯定理論を振り回し続ける癖が党内を覆うようになって今日に至っている。こうなると執行部方針の全てが「踏み絵」となり、一つでも疑問を呈するとどうなるかだ。分かることは、不破式志位式の物言いから声音まで真似する幹部しか生き残れないということだ。時々そういう者がテレビに出てくる。

 私は、そうした一切の変調と戦うつもりだ。納得できないことを出来ないと意思しつつ世渡りできて棺へと向かうことが出来たら、これ我が人生の本望だ。

Re:なるほど、アメリカン島国根性というものがねぇ 投稿者:れんだいこ ( 06/29 )
 おださん、早速有難う。こういうありのままの話が聞きたいんだ。つまり、黒人は上流都市では排除されているということになりますね。ということは、映画なんかで必ず出てくる黒人は特殊なエリートであって、まだまだ一般化していないということになるのかなぁ。この流れが一服しているのか、次第に溶け込みつつあるのかなぞが知りたいですね。でも、歴史はゆったり進むのかなぁ。とりあえず感想を述べさせていただきました。

> ちょっと話はそれてしまいますが、
> よく「島国根性」とか「大陸気質」とかいって、日本人は島国根性だからダメだとかいう話があったり
> しますが、私にとってはアメリカ人こそが島国根性の持ち主です。ただ、その島がやたらデカい ^^;
> 先に出した友人との話も、この「アメリカ人の大島国根性」の話から出てきたのですが。


 これは、面白い視点ですねぇ。僕も使わせてもらおう。「アメリカ人の大島国根性」ねぇ、うーーん、しかし熟知してないと迂闊には使えないなぁ。ひまたさん流に登録しとこ。

> ついでに言うと、ちょっと前に言われたJapan passingなんて、別に特別なことでも何でもありません。
> 彼らの通常の外国観でしかありません。そもそも彼らの意識の中にはJapanは存在していないのだから。
> 都合が悪くなったときに湧いて出てくる、どこか別の世界の国でしかありません。
>

 うーーん、これも聞かされたことがあるけど、極東の田舎の方に西洋化した珍しい国があるという程度の日本認識になるのかなぁ。他方で、サミットなぞが日本で開かれているのを見ると、もう少し認知されているのではないかとも思うけど、一般大衆気分としては日本は未知の国でしかないということになるのかなぁ。ということは、アメリカ社会にはあまりにも非均質なギャップがあるということにもなるなぁ。

 ここで気づいたけど、結局島国的排他性というのも、我々人間の本質に何らかのそういう要素があって、日本であろうがアメリカであろうがどこであろうが、そういうものと無縁な社会は無いということかなぁ。問題は、社会が進歩しつつあるものとして21世紀では何らかの非排他性が形勢される社会へと移行するのかどうかだな。こちらもとりとめなくなりました。

Re:気になっていること聞くの忘れてたわ 投稿者:れんだいこ ( 06/29 17:48:17 )

 そうねぇ、年を重ねて気づくことは、制度としての闘争と我らが心にある面でのどの部分を育て、逆に抑制するのかのこうした物心両面からの闘争が必要ではないかということです。要は、素直に見れば良いのですが、全てを制度闘争にしては単に「物取り」競争に堕してしまう。通常我々が思っている以上に制度闘争は重要であるにしても、「内面闘争」もまた重要であることには変わりは無い。そういうことに気づくまでに半世紀を経た私はおばかさんであると思い、我が人生の見直しを今しているのです。

 白人であろうが、イエローであろうが、黒人であろうが、今の私の気分は、分かり合え易い人と通じにくい人がいて、絶妙なコンビネーションで世の中はリンクされているのではないかなとの思いです。それを認め合って、その社会が要求している水準としてのルールだけはお互い守りあいたい、そしたら後は皆自由にどうぞという処世観が良い。但し、このルール破りに対しては闘うべきだ、専ら権力側がそういうことをしてきた史実があるから闘うが、日常の場面でのルール破りに対してもブルジョアジーだろうがプロレタリアートだろうが私は戦う。

 もっとも闘い方は色々あるが、にっこり笑って諭すことも戦いの一つ。がまんして耐えるのも戦い方の一つ。そこで何とか自力をつけて影響力の拡大を勝ち取っていくようにする。単なる誤解は飲んで笑って解く等々いろいろで、毎日私も忙しいんだ。もっとも、時々は私がモラル破りする時もあってこんがらがるのです。例の「されて嫌なことはスルナ」で動くんだけども、「お互い嫌でなくてもしてはいけない」ことにドキドキすることもあって、これが必ずしも黄金律にはならないんだ。

>  問題は人種間の法による差別ではなく、心の差別でしょう。日本から観るアメリカの人種差別とは単純に色の違いからくるものと
> 考えている事が多いと思いますが、私はそういう低レベルでの差別時代は終わったと見ています。低レベルでの差別だったからこそ、彼等は闘い、そして勝利を得たのだと思います。問題はその次ぎだったんです。公民権も得て、白人たちとせっかく同等のアメリカ市民としての権利を得たにも関わらず、彼等の闘争はそこで終わり、彼等の能力を白人に見せる努力を怠り、権利ばかりを主張するようになってしまった。要するに努力なしで権利ばかりを主張して、支配層である白人がすんなりと認めてくれると甘ったれた考えを持ったようにです。大きく認めてくれたのはスポーツの世界だけですが、これは彼等の力を認めた方が白人側にとって面白かったからでしょう。

>  かつて日本人もジャップと差別され一世時代は相当の苦労をなさった訳で、やっと落ち着いたら今度は日米開戦で、財産没収、強制キャンプ、出生地主義のアメリカ生まれの二世は本来アメリカ市民なのに、アメリカ人としては認められず、アメリカに忠誠を誓い、瀬軍に志願し、多くの犠牲者を出しながらも、そのかいあって、戦後は上院議員を輩出させるまでに白人社会に認めさせた訳です。

>  いい仕事につけない、その機会もくれない、よって失業となり、だったら犯罪するしかないじゃないか、と悪循環ですが、彼等の権利意識優先がなくならない限り、このような状況の好転は先の話になると思う。


 そうねぇ、実は民族性の多少の違いにも気づくこともある。こちらでは、たけしの「ここが変だよ日本人」というテレビ番組があってこれが結構面白い。常識の転換というか、世界にはいろんな常識があるとか、まぁいろんなことに気づかされて楽しみにして見ています。日本人の良いところも見えてきていますが、まだ私には整理されていません。そのうち意見発表しようと思います。

>  「連中は勝手な人たち」というのがそうならば黒人と同じですが、日本の場合は「違い」にこだわり過ぎる
> きらいがあって、そこから来る意味のない差別っていうのも発生してるように思います。
>  大きな差別として被差別部落と朝鮮差別があって、少数民族のオキナワンとアイヌ差別もありますか。
>  ひとつに日本人は単一民族だという嘘っぱちが幅を利かせてることがポイントではないでしょうか。
>  だいたい日本人の顔なんて「韓国系」「中国系」「東南アジア系」たまに「メキシコ系」なんかがあって、
>  いまの日本人は大陸からの寄せ集めじゃないんですかね。純粋に日本列島に居住してたいわば先住民は沖縄と
> アイヌ、すなわち縄文人だったが、当時の文明の力をもって侵入してきたモンゴロイドが彼等を北と南に追いやり、
> 弥生人となり、その後に大和朝廷を作って、「オレ達が日本人だ(その前は倭人か)」って宣言した時から現代に続いてると認識してまして、私なんかもも
> とを辿ればどこの馬の骨だかわかりませんよ。
>  アイヌと沖縄人が似ているのもその証拠ですし、学説として認められていると思いますけど。


 私の認識と相似系です。ただわかんないことは、大和朝廷の系譜がどこからやってきているのか、どのような経過で混交したのかということです。その時の支配権を得た大和朝廷には、何らかのそういう結果的な意味での合理性があったのではないのかとかが関心となっています。


>  左派系のれんだいこさんとしてはああいう共産党を救うことが、しいては日本を救うことであると考えてのことなんでしょうか。
>  いや、別に茶々いれとか否定するつもりはありません。人それぞれ思うことで行動すればいいのですから。ただそこまでの御覚悟を
> 持っておられる方を時々うらやましくも思う次第です。私など、まだ自分を勘定から外しきれないでおりますので。


 これは理屈ではないんだなぁ。私の遺伝子にこの種の関心がいくようにインプットされているとしか考えられない。この方面への関心での苦しみと楽しみでここまで生きてきております。但し、経済的に苦しめられている道中はこれが表にだせないんだな。状況は一緒なんだけど多少年をとると、そういうことはそういうこととしてもう遠慮せずに生きてみようと思うようになり、こうして毎日楽しんでいるのです。ここを取り外すと私が私で無くなるのです。

Re:ここのところで、いいたいことお聞きしたいことがあります 投稿者:れんだいこ ( 06/30 20 )
>  TVドラマや映画などで自然にカラーが溶け込んでいるように見えるとのことですが、その国の映画を観れば、その国の民度レベルが見えるといいますし、私もそれに同意するものですが、カラーという点で考えた時、やはり「白」が多いのが現実です。デンゼル繁華街ではいろいろな人種が歩いてはいますが、外を歩くのは只ですが、ショップでは別れます。ですが、これは日本でも同じことでそえぞれの所得によって行く場所が違ってくるのと同じ次元かと思います。

>  問題は人種間の法による差別ではなく、心の差別でしょう。日本から観るアメリカの人種差別とは単純に色の違いからくるものと考えている事が多いと思いますが、私はそういう低レベルでの差別時代は終わったと見ています。低レベルでの差別だったからこそ、彼等は闘い、そして勝利を得たのだと思います。問題はその次ぎだったんです。公民権も得て、白人たちとせっかく同等のアメリカ市民としての権利を得たにも関わらず、彼等の
> 闘争はそこで終わり、彼等の能力を白人に見せる努力を怠り、権利ばかりを主張するようになってしまった。要するに努力なしで権利ばかりを主張して、支配層である白人がすんなりと認めてくれると甘ったれた考えを持ったようにです。大きく認めてくれたのはスポーツの世界だけですが、これは彼等の力を認めた方が白人側にとって面白かったからでしょう。


 ここの文面で、「大きく認めてくれたのはスポーツの世界だけですが、これは彼等の力を認めた方が白人側にとって面白かったからでしょう」ですが、認めるだけでもエライという話をご披露します。もう二十年程前ですが、ある用事で焼肉屋の店主と話する機会がありました。気に入ってくれて、住居まで上がりこみ話したことがあります。北朝鮮の在日の方でした。日本名を持っていましたが帰化していなかったように思います。部屋には大きいのと小さいの合わせて三ヶ金日成首席の写真が飾られていました。それは本心敬愛している様子でした。何を話して話題が進んだのか忘れましたが、「日本人はエライ」という話になりました。

 どういう意味ですかとの私の質問に為された解答が次のような話です。日本人は確かに差別をする。しかし、エライところがある。差別されている者が一芸に秀でてその芸の値打ちが認められたら、急カーブで差別よりも賞賛し始めると言うのです。その例として芸能人と野球の選手の名前を次から次へと挙げ始めました。私が真意を今一分かりかねていると、次のように云うのです。我が同胞では北も恐らく南も、そういう認識よりも血縁的同族意識が何より優先される。仮に相手が優れていても、認める度量はない。こうしてお互いに足の引っ張り合いをする。この違いが経済の発展の違いにも現れているのではないのか、とその人は言うのです。私はこの話を妙に気に入ったのか覚えておりまして、そういうお国柄の違いがあるのかも知れないという思い、こうした違いが経済の発達にまで関係するという視点を今でも心の中にしまっています。

 そこから飛躍させて、「差別されている者が一芸に秀でてその芸の値打ちが認められたら差別よりも賞賛し始める」と云う度量は、アメリカ人が一番大きく持っているのではないかと推測したりしているのです。もっとも、今のところは芸能、スポーツの世界に限られているのかも知れませんが、次第に政財界にも同じような傾向が広がるのではないかと考えたりしています。とはいえ、実は、ここのところに確信が持てないのです。あくまでショービジネスとしての観点からの使い捨てとして認められているだけなのか、タレント性が全分野で認められつつあるのかの微妙なところが判断つかないのです。これは、日本人がどの程度認められうるのかという面でも関係してくるように思います。

 それを思えば、アメリカ社会における日.中.韓国の評価差なんかにも興味が涌きます。この点でアメリカ特派員お二人様のご意見聞かせてくだされば助かります。いろいろ聞きたいこともあるのですが、次第に浮かんでくると思います。お気軽に応えて下されば結構ですよぉ

Re:ところで、「いわゆるアメ帝論」について 投稿者:れんだいこ ( 07/01 12:23:52 )

>  一芸に秀でているのであれば、その人のカラーや出処を問題視する傾向はほとんどないのではないかと思います。「良い物は良い」という当たり前の道理が今日のアメリカにはあると思います。しかしここまで来るには最初の突破者がいた訳で、自分ではどうしようもないそれらの問題があったはずですが、それを自らの努力と実力で乗り越えてきて、それに続く新たな突破者が出現してきたのでしょう。

>  ただし全分野でカラードの進出が同程度に進んでいるとは思いません。一芸に秀でるとはいえ、それを発見する(される)には経済的壁があるのも事実です。 例えば、スポーツの分野でアメリカ陸上競技のトップレベルは総じて黒人たちですが、水泳競技になると圧倒的に白人です。手足や指の長さからいっても黒人の方が有利だと思いますが、なぜに白人なのか? それは走るのはタダですが、水泳はお金が掛かるからです。市民プールレベルの話ではありません。日本水連もかなりの閉鎖性ですが、アメリカ水連も同じみたいです。また黒人側にとっても水泳など「お金にならない」という意識もあるとは思いますが。

>  アメリカのスポーツ文化はいまや黒人抜きには語れない、いや勝たれない訳ですが、経済的にも社会的にも下部層に位置する彼等にとっては金になるスポーツに集中するのはある程度やむを得ない気もします。それでも昨今は黒人層から経済的にカミングアウトする層も出てきており、そういう中からいままで「金にならない」とされた分野へも興味対象が移ってきたと思います。それは前回のアトランタ五輪で体操選手に黒人が混じっていたのを見て、そう思いました。
>
>  以上のことから全分野とはいかないまでも、徐々に融合は進んでいるとの認識です。


 ここのところですが、不十分にせよアメリカ以外にここまでの度量さえないというのが世界の現実ではないかと思ったりしています。例えば、冷戦時代の相手国ソ連辺りではどうだったのだろうとかが気になります。もっとも、ソ連に移民が大挙したようなことは聞かされておりませんので、なんとも云えませんが、大ロシア主義との絡みになりそうです。今になって思うのに、アメ帝論の背景においてこうした視点からの分析が必要ではなかったかとも思うのですが、善悪二元論的発想でアメ帝のすることを全て悪化して捉えてき過ぎたようにも思います。確かに戦争仕掛け人の面とか、反共産主義運動の盟主国家としての役割とか、CIAの謀略的コントロール政府の創出とかが目立ちすぎて我々が反対してきたことには根拠はあったとは思うのですが、では、なぜそのアメリカが世界bP国家足りえているのかについての分析をしないまま経過してきており、そういうアメ帝論は不毛ではないかと気づかされる訳です。

 もっとも、日本共産党の宮本式アメ帝論の系譜を見ますと、国内的すったもんだ闘争からそらす為に反米愛国闘争へ目移りさせられてきたように思われます。60年安保闘争はその良い例で、社会党運動とブント系全学連闘争が「岸内閣打倒」の一点突破に向かおうとしていた折柄、当時の共産党中央は反米闘争へのねじまげをしきりに画策しました。その後たまたま世界的規模でのベトナム反戦闘争の機運が巻き起こることなり、この限りで日本共産党の宮本式アメ帝論は時代の流れと整合しました。今冷静に考えてみますと、宮本式の「国家的従属規定」から始まるアメ帝論は、国内運動面での穏和化路線の代償として強硬な反米闘争を主張してきたという史実があるのではないかと愚考しています。おかしな話で、今日の共産党左右両派にあっても、この「国家的従属規定」論だけは護持されております。私は、バナナな論だと思っています。革命論的には対米従属性は問題なってくるものの、通常の国家主権というレベルではサンフランシスコ講和条約により主権を回復したと見なすのが常識的で至当と思われます。ニモカカワラズ、このねじまげ観点が今なお正しいとされ続けております。しかも、反米闘争の内実たるや、どこまで彼の国を知り、その良し悪し両面か
らの総合的理解でのアプローチもなく、いわばどうにでもなるような空疎な反米愛国主義を掲げています。

 不破氏が最近になってアメリカの良い面を吹聴し始めていますが、このこと自体は本来正論なのですが、多くの党員は面食らっているというのが実際だろうと思います。今までさんざん巨悪の根源的アメ帝論をぶっておりながら、その経過に対する関連付けの無いままに突如アメリカン民主主義制度の称揚をし始めるという構図になっており、ご都合主義者不破氏の厚顔無恥さを見て取ることが出来ます。党の指導者ともなれば、過去の論説との整合的な説明をせねばならない、と私は考えます。とはいえ、今冷静に見ればアメリカが見直され始めている流れにあるだろうと思います。なぜなら、一人勝ちの構図であって、もはやアメリカを知らずして歴史の流れに参画することが出来ないからです。不破氏はこうした時代の転換を踏まえ、できるだけスムーズに照応させようとしているのだろうと私は受け留めています。この間アメリカ治政当局者も歴史的経験を蓄積しており、かってのような野蛮抑圧的な政策は陰を潜めてくるように予想しています。もっとも、その分より狡猾になるだけなのかも知れませんが。こういう面では今後中近東がその好例になるように思われます。しかし、私は、狡猾であろうとも、基礎的民主主義のルールを育てようとする動きとなるならば、これは認められるべきと考えてもいます。戦後の日本再建に果たしたマッカーサーGHQ当局の施政は、この面から評価されるべきと考えています。

 話を戻して、なぜアメリカが経済的にも文化的にも政治のリーダーシップにおいても、軍事的能力においてもbPであり続けているのか、アメリカ没落論に反してますます威力を強めつつあるように思われるその根拠について関心を持ちつづけようと思っています。このままで行くと、恐らくアメリカの途方も無い財政赤字も黒字へと転換していくのではないかとさえ考えています。アメリカはそういうシナリオを持っているのに、我が日本ではシナリオの無いままに一層の国債垂れ流しを続けていくことになるでしょう。これが偶然なのか誘導なのかまでは判断がつきかねますが、日本の与野党問わずの政治家が、本来の政治活動をしていないということは確かでしょう。仲良しクラブがその破滅的事態に向けて甘言の競い合いをしてくれるだろうと思います。

 こんなことを書いていると絶望的な気分になってしまいますが、私はこの日本の地から離れる元気も財力もありません。この掲示板で、こうしてご意見交流でアットホームにしていくことから始めて何らかの貢献が出来たらこれまさに喜びです。

>  中国は21世紀の覇権争いの相手との見方はありますが、現実的にはまだその力はないと見ているように思いますし、それよりも巨大市場としてしか見て> いないようです。まあ未開発の巨大市場との見方をしたい気持ちは分からなんでもないけど、いろいろ火傷してるみたいです。中国人も火事場泥棒的な商売> が得意な面もあって、契約社会のアメリカビジネスとのギャップを埋めるのは相当時間がかかるような・・・。江沢民とは主義主張は違うけれど、そこはお> 互い実利主義ですから、それはそれ、あれはあれという感じでエンゲージ政策(懐柔政策)を続けるように思えます。

>  最後に日本ですが、とりあえず森は退陣した方が良いと考えているのでは? アメリカにとっては意のままになりやすい自民党が政権党であって欲しい訳で、政変は回避してもらいたいでしょうから、あのようなバカでは困る! とでも考えているんでしょう。私など友人のアメリカ人(白人ですが、冷静な眼を持ったいい奴です)と「東アジアの今日」などを話してて、「あのような人物が首相でいることにほとんど疑問を持たない日本人が不思議でしょうがない」といわれ、恥じ入った次第。


 森さんはねぇ、少なくとも今日の政治状況に相応しい人であり、いかにも日本的情緒で首相の座を射止めました。問題は、仲間内の談合政治にうつつを抜かして今日に至っており、この間政治家としての識見を温める余力がなかったのではないかと思われます。少なくとも、他の政治家よりは信義に厚い面が評価され今回押し出しされたのではないでしょうか。アメリカ人には分かりにくいことだと思います。ここで一言すれば、では有能な政治家が登場してきたとして、それを危険視して潰してきたのもアメリカさんではなかったかと云いたくもなります。

>  いずれにせよ、アメリカ政府としては相手国のことなどよりも、自国にとって益か害かの判断をしながらこの先も評価していくことでしょう。ただしこの国のジャーナリズムは生きており、そのチェック機能も十分に働いている訳で、そうそう日本のように世論コントロールをすることはできません。ただ問題は現地特派員が現地語に長けておらず、いきおい英語のできる現地人からの情報収集になるおそれがあって、どうしても片寄りがちになるかもしれないという点です。まあ、それでも単に現地新聞の書き写ししかしていない日本人特派員よりはマシとは思いますけど。

 英語堪能の記者はもう現れてくる頃だと思います。問題は、その時日本丸が健在であれば良いのですけど。


Re:まだまだお尋ねしたいことがあります。 投稿者:れんだいこ ( 07/04 20:11:32 )

 アメリカ特派員のご両人にお尋ねします。気になっている事を確認したいのです。これは私のアメ帝論の周辺情報の収集というこじつけ的意味もありますが、単なる好奇心でもあります。聞かされている話ですが、日本の場合深夜に女の子がコンビニにたむろしていたり、結構独り歩きしています。これって、日本だからこそあり得ていて、アメリカでは到底考えられないことなのでしょうか。とりあえず、夜の10時ごろのそこそこ人通りのある商店街を女の子が独り歩きしていることを前提にして想像して見た場合、ほぼ確実にレイプされるのか、多少オーバーに言われているのかが分からないのです。

 アメリカでも州とか地域によってそうであって、安全なところもあるのか、ほぼ全米的にあり得ないのか、ヨーロッパではどうなのか、アングロ.サクソン社会の特徴なのか、アジアの他の国々ではどうなのか、日本だけの美点なのか知りたいのです。そういう民族風土的背景まで迫れれば良いのですが、とりあえずアメリカ社会の認識の精度を良くしておきたいと言う気持ちです。これって、みなさんは気にならないかなぁ。どなた様からのお知らせでも結構ですのでいろんな角度から教えて。帰ってきたときレスレスあればうれしいなぁ。

Re:とりあえず御礼述べさせていただきます 投稿者:れんだいこ ( 07/06 00:15:14 )
> 日本で流れているNYの犯罪ニュースなどを見ると、さも危なそうに報道してる気がします。でないとニュース(らしく)ならないのかもしれませんが、そこそこ人通りのある場所ならば警官もおりまして、そうそう危険という感じはしません。

 イメージとして新宿歌舞伎町のコマ劇場辺りを歩いている感じなのでしょうか。その昔友人が尻込みしていましたが構わず奥の院まで周遊しておりましたが何もありませんでした。しかし犯罪が多いのは事実で、危険に合う確率は高いがオーバーに構える必要はないということになるのかなぁ。歌舞伎町通りよりはより危険なのかなぁ、手応えとして。それとも全く異質な危険差なのでしょうか。歌舞伎町通りでピストルが飛び交うことはめったにないでしょうからねぇ。

>  NYは随分と治安が良くなったと言われていますし、犯罪発生率にしても30年前の水準らしいですが、いまだなにが起っても不思議でもなんでもない都市 (いろんな面でも)ですし、私としては日本にいる時よりも気は使います。そういうことにエネルギーを消費するのは悲しいことですが、それが現実であり 、この地に住む私としては自己防衛するしかありません。

 NYの治安がこのままどんどん良くなるとすれば、それこそアメリカ人の底力でしょうねぇ。

>  夜中0時ごろにコンビニでたむろっている若い子たちは見たことがありますが、特に目的もない様子の子が多く、「なにかおもしろいことがないか」と探 しているのかもしれませんが、考えてみれば、自分だって十代後半のころは同じようなものだったと思いますね。 いつの世も「最近の若い者は・・・」と大人たちに揶揄されるもんなのかもしれません。 
 
 「最近の若い者は・・・」云々は、古代文書を解読してみたらそう書かれていたとか聞いたことがありますよ。何せ私は伝聞情報が多いのでどこに書かれていたんだと云われると困りますが、気に入った話なので覚えているのです。

>  アメリカも都市部と地方では違うんじゃないですか。と当たり前の答えでなんか申し訳ないように も思いますが、都市部には情報があり、欲望を刺激するものが多い訳で、それが人々を集めてしまうのでしょう。また「安全」か「危険」かと簡単には白黒つけられません。たとえば危険と言われるハーレムのジャスクラブに行きたいとします。
> 当然、危険度を訊ねられるわけですが、私は「危険と言われているからと簡単に諦めないで、どうやって安全に行けるかを考えた方が能動的ではないですか 」と言っています。たとえば日本語によるハーレムツアーなどもあるわけです。


 結局、日本の地震多発国論のようなものかなぁ。確かに多く今も三宅島での噴火騒動が発生していますが、先の洞爺湖辺り、今回の三宅島辺りを除いたその他地域では日常通りというような。いくらハーレムであれ、のべつくまなくピストル音が飛び交うわけではない。しかし、私がアメリカ事情見学と称して一人乗り込むとやばいのかなぁ。このへんが分からない。私の性格ならきっと行くと思う。何もなく溶け込んで帰ってこれると思うけど、多少相手次第のところもあるからねぇ。

>  結局はその人の「リスクコントロール」によって安全にも危険にもなるのでは。
>  多くの日本人にそれがないのは、「安全とお水はタダだ」という刷り込みがなされているからでしょう。水がタダだとも思わないし、安いとも思いません
> が、まだまだ日本が安全な国であることは確かだと思いますし、それは世界から訪れる人々も感じることでしょう。
>  ただそれがどんどん瓦解しているのは感じます。家庭の躾や教育の歪みなどの問題があるとは思いますが、「自分がされて嫌なことは人に対してするな!」ってことだけでも教えてやってくれよって思いますよ。


 「安全とお水はタダだ」神話は、日本の長い歴史性で培われた美徳と私は思っています。残念ながら、その安全神話を明治以降から先の世界大戦期間中日本の方からの侵略で壊したことになると私は受け止めています。当然仕返しもあり得る訳ですが、戦後の歴史の流れが再大戦に向かうのではなく経済戦争に向かっているので、そういう心配は今のところ無いとか考えています。そうこうしているうちに地球市民化して行けば良いがなぁとも。この論議は別のスレッドの方が良いかも。特派員様にはまだまだお聞きしたいことありますのでよろしくね。

Re:おださんにも御礼の一言 投稿者:れんだいこ ( 07/06 00:34:34 )

> まあ、10時というのはかなり危険だと思います。日没後もダウンタウンで女性も見かけますが、一人ということはまずありません。 かならずグループで行動します。

 これって、ヨーロッパではどうなんでしょうねぇ。アメリカならではのことなのか、アングロ・サクソン民族国家の特徴なんでしょうか。恐らくそうなんでしょうねぇ。
>
> ただ、日本でも深夜に女性が出歩くようになったのは比較的最近の事だと 思います。また、深夜の犯罪も米国ほどではありませんが、ありますね。 女性の一人歩きは女性の社会進出との関係が大きいとは思いますが、 その相関関係はあまり良い事だとは思いません。


 世界で一番自由を満喫しているのは大和撫子ということになりそうでするねぇ。意外に大和撫子にはたくましさがあるのかもしれんなぁ、鈍感なだけなのかなぁ。

>
> あと蛇足ですが、米語ではよく家の事をシェルターと言う事があります。 生活空間というだけでなく、安全確保の意味合いも強いわけです。 私がガキんちょだったころ、寝るときも家のドアに鍵をかけなかったり したものですが、米国人には信じられないでしょうね。


 日本が特殊なのか、アングロ・サクソン民族国家がそういう考えをして世界征服に向かうから、我が身を心配せねばならないことになるのか、こうなると文明問題のような気がするなぁ。特に、アメリカの場合は、世界史的に見れば新興国家で今なお国家形成期途上でしょうから、今後どう変遷していくのかが興味つつになります。たけしさんにもレスしておきましたが、まだまだお尋ねしたいことがありますのでよろしくね


Re:お元気ですかぁ 投稿者:れんだいこ ( 08/09 11:14:58 )

 たけしさん、おださんお元気してますかぁ。アメリカの夏と日本の夏の暑さの違いを教えてください。といっても、アメリカは広いから一概には言えないのかなぁ。入道雲の形が違うとか、そんなことはないですよねぇ。少しは違うのかな。それはそうと、アメリカの陪審員制度について興味を覚えています。

 教えてくだされば助かります。陪審員になる為の資格というか選出方法とか、買収されやすいのかとか、日本の裁判制度と比較してみてどちらがいいのかとか、判例としての規制力はどの程度なのかとか、控訴はどうなるのかとかいろいろ知りたいのですが、ちょこっとでも構いません。日本に導入したらどうなるかとかの関心があり、教えてください。
その他情報もついでに書き添えてください。ゴアが勝つのか負けそうなのかとか。やはり投稿は日課にした方が張りができて良いですよ。気が付いたらいっぱしの文章家になれていたりしてそういう副次効果も馬鹿に出来ないからね。


Re:ここのところに興味があって 投稿者:れんだいこ ( 08/09 23:33:32 )

> 2、陪審員制度についてですが、これは国民(移民でものちに市民権を取得すれば国民です)の義務でもあり、司法参加の権利でもあります。二十歳以上の 全国民がその対象ですが、免許証などからコンピューターがランダムにピックアップし、いきなり司法局から通知があるようです。

 そうか。なりたい人が申し出て、審査されて、陪審員になるというのではなく、国民の義務.権利としてピックアップされるのですか。それも一理あるが、私としては陪審員になりたい人を登録させ、一定の審査基準をクリヤーすればなれるというのが良いような気がしています。例えば私がなりたいという気持ちもあって、それが叶わない日本の司法制度があって、アメリカではどうなっているんだろうというのがずっと気になっているのですが、大変勉強になりました。

> ただしここですぐに陪審員になる訳ではありません。司法局により陪審員審査があります。たとえば殺人罪で起訴されているケースで、陪審員が過去にそういう犯罪に関与したこと があると公平なジャッジメントができないので、外される訳です。そうして最後まで残った人々がそのケースの陪審員になりまして、ジャッジメントをする 訳です。で、裁判官はなにをするのかといいますと、これは審議の進行役みたいなもんです。ただし州によって違いがあって、ボストンがあるマサチューセ ッツ州では陪審員のジャッジを裁判官が覆すこともできます。

>  有名なOJシンプソン事件がありましたね。あれはどう観ても、彼しか容疑者がいなかった訳ですが、巧妙な弁護士により人種問題になってしまい、後味の 悪いことになりましたが、あの時の陪審員のほとんどが黒人でした。思うに、彼等だって奴が「ホシ」だと思ったと思いますよ。でも「無罪」とした。これ は奴が黒人のスターだったからで、もし彼を「クロ」だとジャッジしたら、その陪審員は地元に戻れなかったと思います。「仲間を裏切った奴!」ですから
> ね。


 まぁ、理想どおりのシステムというものをつくるのは難しいのでしょうね。しかし、世の中に主体的に関わる仕組み作りという意味では意味があるのでしょうね。私は、日本人の従順性に何とかして主体性をも加味させたいという気持ちを強く持っており、そういう意味で工夫された陪審員制度の導入には意義があるのではないかと考えています。もっともいくら考えても銭にはならないなぁ。

>  いろいろ陪審員制度も問題があります。かといって日本の司法制度だって、世間知らずがジャッジメントするのは抵抗があります。事件のほとんどは市井 の生活の中で起ることですからね。法学部を出て、すぐに司法試験に受かり、六法と判例しか頭にない連中が判断するんですから、恐いものがあります。ぜ ひ社会人経験の有無も資格基準にすべきかと。
>

 そうねぇ。余程優秀な人であればいざ知らずですが、少々賢いぐらいでは「社会人経験」させた方がお互いに有益かもね。まぁ、これは学校の先生にも、公務員一般にも、銀行員にも言えることですが、守りに入った処世観からいい仕事をさせようとしたって旧態墨守は上手く出来ても、時代の転換期の対応能力はあまりないように思えますねぇ。

> 3、11月はいよいよ大統領選挙です。世論調査ではブッシュがリードしてるようですが、あんなものはあてには成りません。経済が良いので、あまり争点 がないのが今回の特徴ですが、ブッシュは「強い軍隊が必要」とか言ってます。バカですね。クリントンが「金持ちのボンボン」と批判したのを受けて、元大統領のバカ親父がのこのこ出てきて、非難してましたが、親父はすっこんでろ! と思います。私としてはゴアの方が良さそうと思ってますが、世間では 「ちょっと弱き」がマイナスポイントらしい。そうかもしれないけど、ブッシュになったらアメリカはもっと傲慢な態度で出てきそうな感じがします。

>  いずれにせよ、共和も民主も資本家のための政治をやるでしょうから、どっちになってもそれほど国内政治は変わらないと思う。それにしても早く森さんは失脚しないかなあ。あの人が首相でいるというだけで、私は日本人として恥ずかしいから。


 ところで、辞めたクリントンさんはその後どうされるんでしょう。日本のように院政を敷くというのではないような気もしますが、まだ若すぎるわねぇ。森さんはねぇ、そのうちずっこけるのではないでしょうか。日本の場合国会はいまだに儀式であって、それ以上でも以下でもないのですと説明してあげたら、却ってわかんないだろうかなぁ。


Re:二世議員について思うこと 投稿者:れんだいこ ( 08/11 20:36:16 )
>  日本も世襲議員が多いですが、アメリカも二世(日本のボンボンとは大分違いはあるにせよ)や夫婦で大統領とかの話になってくるのを見ると、政治の世界も硬直化が始まっているように見えますね。

 二世議員の問題点は、利権構造が譲渡されて行くことにあると思います。合理性もあるとは思いますが、後継議員の玉が良くないと弊害の方が多くなると見ています。どうしても坊ちゃん、嬢ちゃんになりやすいのではないでしょうかねぇ。芸事の世界では初代、二代に続いて三代目辺りで真打ちが出てくる場合が多い。そういう意味では、あることを為そうとした場合、世代の伝播というのには根拠はあるのだと思います。血筋、毛並みの良さをつくるには時間がかかるということだろうと思いもしますが、政治の世界まで家元化するのがいいのかどうか一考の余地ありですよね。

 やはり何事も新陳代謝が良いのではないかと私は思っていますが、新興最隆盛国家アメリカでの二世化、三世化がどのように推移するのかはかなり興味を引く課題ですね。我が日本では親の七光りが強くそのぶん子供は軟弱分子が出来やすい。あるいは実力のない権威借りが生まれやすい。これが社会全体の当たり前の風潮になっていくと、まさに硬直化ということになるのではないでしょうかねぇ。先の敗戦でいったんはこういう秩序を崩した筈なんだけど、再び元の木阿弥にもどってしまいつつある現状を見ると嘆かわしいのですが、そういう嘆かわしささえ生まれないご時世に至りつつあるとしたらどう表現すれば良いのでしょう。もはや万歳、万歳でいいのかな。

Re:えーとですね、私もコメント一つ 投稿者:れんだいこ ( 08/14 17:58:18 )

 まーさんもどんどん通信頼みますよ。何てったって暴力の介在しない議論は値打ちもんなんですわ。私の含蓄によるとですね、左派はいつもここでこける。そういう意味では、名無し@隠居中さんの「誰でも自由に発言できるって大事なことだと思う。たとえ罵倒や煽りであっても、その中にある『閃き・煌めき』を感じてさらに発展したレスをつける。そして反論によって鍛えられ、より研ぎすまされた思考になる」には一理も二里もある。但し、「これが最も機能しているのが、2ちゃんねる」なのかどうかまでは分からない。

 
>>  そう、「利権構造」があり、そこでの特殊な関係が構築されていく過程で、世襲議員が生み出されていくんでしょうね。であるならば、その利権構造がガラス張りになれば、世襲議員を生み出すメリットもなるなるのではないでしょうか。いまのところ手弁当で活躍するオン ブスマンたちにより少しは解明されてはおりますが、法的に情報公開規定を強化する必要があります。しかし与党はやらないでしょう。今度大阪の箕面市長選があり、市民派市議が出ますが、首長クラスになってはじめて成せる事だと思っています。
>
> 首長さんにも利権構造は大なり小なりついてまわっているものでしょうね。


 ここで一言。私が思うのに、現下の間接民主主義制には金がかかるという現実があります。しかし、この制度以上に民意の反映のさせ方は今のところない。インターネット投票とか政見発表とかの時代になれば解決するかも知れませんが、もう少し先のことでしょうね。となると、我々は「金」がかかるという現実を踏まえつつ間接民主主義制を擁護せねばならない。良いことづくめというのは理想ではあるが実際には無い。そこで、私が思うのには、あっせん利得も含めそれが悪いのではなくて、それこそガラス張りにさせ、選挙民に分かるようにさせる。この報告に不正があると重罰か加算税で懲罰するという方が良いのではないかなぁ。

 個人だろうと法人だろうと代議士の政治活動にカンパしても別にどうってことないと私は思っている。むしろ、何をやってくれるのか、しないのかこそが肝要ではないかなぁとか。カンパされた先にいいなりになるかどうかが代議士の能力の見せ所かな。

 これを党で一元管理してしまうと、党中央のイエスマンしか生き残れない。かの党がそうだけど、最近思うことは連中の云ってることの反対をしたらこの国はむしろ良くなるんではないかなぁ。このたびも金利引上げに賛成してるけど、むしろ反対に据え置きさせ、公共事業の大幅削減を言っているけど、むしろ景気浮揚に使いぬく、但し利権のためのそれはさせないようにする。選挙で負けたら言い訳しないとか、過去にあったことは「知らぬ、存ぜぬ、関係無い」というところを「反省してる、困ってる、只今対応中」とかにするとかね。私の場合どうしてもここに落ちるなぁ。


Re:さあぁて明日から仕事だわ 投稿者:れんだいこ ( 08/16 23:30:43 )

 お盆という良き風習があって、少々リフレッシュしたところで仕事ですね。メイクマニ−に向かわなくては生きていけない。しかし、こうしたパソコン通信があるので、今までとは少し違う人生が展望できそうです。中島みゆき調のファイトという乗りで、あるいは又長渕調の気張りやんせでも聞きながら参りますかねぇ。


>> 旅はいいですねぇ。子供を大人にし、大人を子供にかえる。 そういえば、旅行でも旅でも長いことしていないなぁ。
>> うん、今度提案してみよう。 いいご意見ありがとうございました。また伺いたいことができましたら投稿しますので
>> よろしくおねがいしますね。
>
>  今、夏休みで家族旅行なさる人が多いですけど、時には一対一で話せるような旅のスタイルもいいんじゃないでしょうか。

 ええと旅はですねぇ、人生そのものが旅というものがあってですね、その旅ともう一つの旅とを絶妙に組合わせできたら最高かもねぇ。


Re:下手上手というのではないような・・・  投稿者:れんだいこ ( 08/06 21:30:32 )

 マスゲーさん、こんにちわ。投稿してレスが無いのは寂しいですよね。それがよくわかるからレスしとこ。今回の国労問題での演壇占拠を私は快挙と考えています。演壇占拠すればいいというものではないでしょうが、昨今の労働運動にはあまりにも「ノーといえる戦いづくり」が欠乏しており、その意味でむしろ希少価値ある行動であったと私は考えています。

 旧社会党のボス交政治、共産党の「良心の党」.「護民官」的立ち回りに「ノーといえる戦い」を組織しないと、日本は窒息してしまう気がしています。気がついてみたら、国債だけで国家予算の10倍にもなろうとする大借金債務国家にされており、この問題を論じようとしたら消費税の税率アップにしか行き着かないような政治に何の遠慮が要るだろうか。転覆しつつある船内にいて、道理を聞かされねばならないほど馬鹿な話は無い。当局が非を認めた上での和解であれば、例え涙金でも手打ちのしようがある。当局の非を認めさせるかさせないのかは解決の前提であり、最大限譲歩したとしても玉虫色以外には有りえない。しかしながら、今回労組執行部がリードしようとしている手打ちは、当局の非を認めずと堂々と確認した上での涙金和解だというではないですか。これ以上労組が闘えない限界点に来ているというのなら仕方ないかもしれないが、聞くところによると、こうなったら意地でも更に戦うと決意しているというではないですか。組合員が戦う意志旺盛なのになぜ鉾を納めねばならないのだろう。

 残念ながら我が社会には戦う砦に当局内通派が鎮座し過ぎている。どこもここもなぜこうなるのか私にはワカラナイ。例によって共産党批判になるけど、宮本−不破−志位系譜の指導部は単に右派的というだけではないのではないのか。「社会主義先の話、させない論者」ではないのか、そういう輩が「左」から水を浴びせ続けているという状況があって、今日これほど労働運動も逼塞させられているのではないでしょうか。このところの同党の選挙での伸びは、党名イメージから来る期待であり、不況が厳しくなればなるほど何とかして欲しいという大衆の願いが託されたものであった。既述したことがありますが、同党の個々の政策.方針の良さに規定されていたとか言うのでは断じてない。が、そろそろ醒め始めた。何度投票しても世の中は右傾化するばかりだから。そこで気がつきつつある。連中は運動のマッチ派ではなく、ポンプ屋ではないのかと。それならそれで同党に頼らず自前で運動を創出していかねばならない。頼るのは政党ではない。自身であって家族であって仲間であって、支持者しかいない。という決意のさきがけに今回の演壇占拠が位置していたと、後世評価されることになるのかも知れないなぁ。

>しかし国労のコの字さえ、なかなか出ません。その内論評は載るのでしょうけど、公式見解待ちでとってつけたように動く「 革命」政党って、率直に申して、逆に怖いです。しかし、ま、そんなことはあまり気にせず、闘争団支援を続けましょう! ここの部分ですが、私の受止め方は、「 革命」政党デナイカラ、率直に申して、ヘンチクリンなのです。恐らく党内に心身症患者が相当いる筈であり、その原因は口先と腹が曲がりくねっているからそうなるのです。身体は正直ですからねぇ。そういう意味で、きりのよい新世紀を迎えるに当たって、ここ暫くはそうした内通派との戦いから始めていかざるを得ないのかもね。闘争団支援の具体的方法を教えていただいたら協力したいです。


Re:「うい奴じゃ〜」の奥の院に向かって考察せねば 投稿者:れんだいこ ( 08/24 )

>  たしかにそうでした。
>  日本共産党もいまや、丸山真男のいう「無責任の体系」に無自覚に呑み込まれていますからね。
>  26日の国労続開大会の様子をみて、本格的画策が変わってくるのでしょう。
>  国労執行部も、最近の共産党も、政権党や財界から「うい奴じゃ〜。」などと
>  言われて嬉しいのでしょうかね?


 何か知らんがこの国は、左翼の側から「下手に革命起させないぞ」と自主規制していくのが習性になっており、それで良いと拝跪させられている我々があり、やはりこうなると「神の国」の実体解明にまで進めて、彼らが何を守ろうとしてるのかはっきりさせておかないとダメなんかもね。そこから聞く耳を持って良いものと、単なる回し者の部分とをはっきりさせて対応するというのが、遅くなっても近道かもしれませんね。


> 86年の革マル動労がそう言われて嬉しがり、やがて凋落の道を歩んでいるように、共産党内国労問題傍観派もその道を歩み、消えてしまったほうが、真に闘う者にとってはやりやすい世の中になるのかもしれませんね。

 次から次へと新手がやってくるから、結局我々が真贋見極める能力を獲得しない限り前進しないのではないかと、少し触れとこ。

Re:8/26(土) 続開大会の実況中継して欲しいです 投稿者:れんだいこ ( 08/25 10:54:00 )

 8/26(土) 続開大会の実況中継をどなたかやってくれたらいいなぁと思いました。どのグループがどのように主張してどうなっていったかをみんなが注視して、日頃の言っていることとやっていることの一致度と不一致度を確認してみたい。できればここでやって欲しいです。対応策できてるんかいなぁ。無理なんかいなぁ。世紀に残る機動隊に守られてのシャンシャン大会になるんではないとは思うが。

Re::げにインターネットは重宝ですね 投稿者:れんだいこ ( 08/26 14:03:19 )

 こういう情報は新聞からは入らない。ジャーナル赤旗には載るべくもない。とても感謝しています。こちらは田舎で老体前でのこのこ腰弁当というのもなぁと思っているところでして、とても有難うございます。宮崎学氏と「電脳キツネ目組」の「現代の義民馬賊」に幸多かれとエール送らせていただきます。






(私論.私見)