ヒゲ虎時事評論「自由討論2」 |
詳細は該当掲示板でご確認できます。
Re:総選挙に臨む各党執行部の心構えについて | ( 06/03 14:56:50 ) |
6.3日付け読売新聞2面に「勝敗ライン胸算用」記事が載っています。これについて私の野次馬コメントをして見ようと思います。比例代表の定数が20議席減っていることが前提になっていることをまず踏まえておきましょう。 自民党は、青木官房長官が与党3党で269議席を目指すと云い、野中幹事長は254議席を勝敗ライン、自民党単独での229議席を責任ラインと明言しているようです。党内からは現有267議席を40議席近くも下げているのは「負けが前提の態度」として加藤元幹事長辺りから批判が出ているようです。着目すべきは、責任ラインというものがあり、少なくとも幹事長辞任がかかっているようです。 公明党は、神崎代表により、現有42のところ50議席を目指し、比例選挙での得票をも98年の参院選での775万票を上回る過去最多得票を狙うと声明されています。強気な読みをしていることが判ります。保守党は、扇党首により「現職全員18議席の当選」が最大の目標とされており、守りで必死な様子と苦戦を覚悟している様が窺えます。民主党は、鳩山代表により、「与党3党を過半数割れに追い込み、比例代表でも自民党より1議席でも多く獲得すること」を目標として、現有95のところ小選挙区で90議席、比例代表を含めて160議席という倍増を願望ラインにしているようです。非常に強気な読みをしていることが判ります。共産党は、不破委員長により、現有26のところ「プラス11議席が目標とは言わない。1議席増えても勝利だ」との、例によってややこしい言い方で、「慎重な姿勢」を見せているとコメントしています。自由党は、小沢党首により、現有18のところ「最低でも30議席近くは獲得できる」との強気発言が為されているようです。社民党は、土井党首により、現有14のところ「最低でも議案提出権を持つ21議席を目指す」ようです。その理由たるや、議案提出権を持てない政党では政治活動の障害になるためとのことのようです。 以上から抽出できることは、公明党と民主党が強気であり、自由党がやや強気、社民党は単なる願望だけのようです。共産党は表現がややこしいので真意が判りませんがやや弱気のようで、保守党は弱気で、自民党が非常に弱気であるという構図です。もう一つ抽出できることは、選挙の結果によっての執行部の責任ラインを明示しているのは自民党だけであり、他の与党.野党はいずれも願望と予想を述べているだけにとどまっているということです。 最後に私の託宣をしておきます。何回選挙をやっても誰がどの党に入れるのかはほぼ確定しています。何度期待を裏切られたことでしょう。恐らく何事も無かったかのような選挙後の明日が待ち受けているでしょう。日頃「国民の信を問え」なぞと威勢の良い政党が、いざ国民の信を問う場に臨むに至るや、弱気と責任逃げ口上的な対応をしている様が見えており、むしろ滑稽であります。果たして中間浮動層が選挙に出てくるかどうか、その連中がどの政党に票を入れるのかが興味つつのところといえそうです。25日まで間が有りますので、皆様方との実況中継による予想なぞで楽しみたいという意見を持っております。 |
Re:ダフ屋大募集と行きましょう | ( 06/04 00:25:57 ) |
今日もアルちゃんが入ったもんで手短に行きます。今回の選挙の当落予想について、関心のある方直前までに各々自己診断を表明して(出来れば自分の入れ票党も)、後で魚に致しましょう。私ももう少ししてからご託宣してみようと思います。人生向こう傷恐れず面白系で行かなくてはつまんないと思うから。アメリカ在住の場合は投票権ないんかなぁ。恐らくないわなぁ。 |
Re:ダフ屋大募集と行きましょう 投稿者:ひまた | ( 06/04 00:50:34 ) |
途中での変更は「あり」にしてくださいね。自信ない…(笑) |
Re:情勢観察その@ | ( 06/04 11:46:38 ) |
6.4日毎日新聞朝刊によりますと、森首相が自民党奈良県連.緊急総会でまたまた問題発言をしているようです。想起されることは、去る昔、田中角栄氏が鈴木首相を評して「首から下は丈夫なんだけどなぁ」とぼやいたとかいう逸話です。この場合は深い愛情を持って述べられていましたが、今回の場合例えば野中幹事長辺りがそのように受け留めえるかどうか。恐らく、マジで口チャックに向かうものと思われます。森首相の「首から上」の構造は中曽根元首相譲りの生粋系であり、いきさつはあったものの結果的に大変な人物を頭に持ってきたものだとよそごとながら嘆息させられます。恐らく、近々のうちに野党を待つまでも無く与党の側から引きずり降ろしが発生するものと思われます。問題は、沖縄サミット前の行動が国際的信義上許容されるかどうかあたりにあるものと思われます。既にこの方面での情報取りが始まっているものと推測されます。 |
Re:私も記憶をたぐって見ました ( 06/05 11:28:57 ) |
> 時間をあのとき(細川内閣成立時)に戻して、考えてみました。 > たしかに、当時私も(感想として)共産党の役割は違うところにあるような気がしていました。ところが、これは記憶をたどってのことですが、共産党の主張は細川政権を政界総保守化と断じ、みずからは唯一の革新党としてその存在がますます重要なものとなったというスタンスだったと思います。政権参加についてはいささかも考慮したふうはなく、連立参加(あるいは連携)ごときはなしくずしの妥協という評価しかなかったのでしょう。このあたり、現実政治をもう少しつきはなしてそのなかで新たな可能性を求めるという前向きの(少なくとも現実政治のかたちは変わるわけですから、政党としては前向きです)動きをなぜしなかったのか。議会政治の場面ではトライ&エラーでかまわないではないか。そういう意味での「柔軟性」は決して立派な党の理念まで汚したりしないだろうと思うのです。(失敗すれば総括あるいは反省で済む次元の話だから) > 細川政権は、一般人の我々には青天の霹靂で勃発しました。恐らく、戦後野党のあまりに無能力さに辟易して、主として旧田中派の系譜議員を核として、単なるケチ付けでない時の政権チェック党としてあるいは又米.英的二大政党持ち回り政治志向的意味を持って登場したように思います。そういう位置付けであれ、戦後の自民党単独支配政権を断ち切り、その弊害に立ち向かった勇気ある行動であったと思います。冷戦時代の終焉を受け、戦後史的価値観の転換時代に突入したとの時代の変わり目的認識のもとでの決起であったと思っています。個々の政策は、新自由主義的傾向とか大国責任的国際関係論とか選挙制度の改革とか新税収政策とかいろいろ動きがありましたが、「自民党より反動的右的政策」であったとは思っていません。例えそうであれ、左からの揺さぶりが可能な政権であったと捉えています。現に社会党も参画した訳ですから、このラインから練りあいする方途もあったように思われます(本来ならですけどネ)。 こういう俄かな事態に対して見せる対応こそ対応者の本質を露呈します。もし、私が共産党の指導者であれば、これを如何にして自党の政策の反映又は政権取りに近づけるように糸をたぐります。今日しているような動きをして見ようと思います。問題は、あの時一番可能性があった際にそのような動きをせずに、むしろ流産させる方向に動き、今のように遠ざかったときにつまり熱が冷めたときに色目を使っているというヘンチクリンにあります。どこまでマジか分かんないというより、「いざ鎌倉」の際に新しい芽を潰す傾向を持っていることを疑惑しています。 今度の選挙では、自民党が古い手を使って民主党を落とし込めようと共産党とあたかもつるんでいるかのような関係を指摘し、民主党の赤化危険性なるものを国民にアッピールしようとしています。不思議なことにこうした動きに連動するかのように、共産党が民主党党首を総裁にする連合政権論をぶち上げ続けております。いずれも民主党にとっては迷惑な動きではないでしょうか。 私は度々述べているように、わが国の風土にあっては、特に面白系を大事に育てるべきではないかと思っていますので、森首相発言も与野党のうごめきも「面白くなった」と歓迎しております。どこの政党が抜け出てくるのかウオッチしています。とりあえず仕事中なので以上のコメント発信で括ります。 |
Re:情勢観察そのA ( 06/08 14:25:09 ) |
![]() <出演者>は、不破哲三・日本共産党委員長、野中広務・自民党幹事長、鳩山由紀夫・民主党代表、神崎武法・公明党代表、扇千景・保守党党首、藤井裕久・自由党幹事長、土井たか子・社民党党首という顔ぶれです。いつも思うことですが、戦後は本当に良い時代になった、こうして政権与党と野党が一堂で意見を交差し得る幸せは、戦前には考えられなかったのではないかと。政権のみならず、体制変革を志向する党是を持つ共産党まで加わっての座談会は特に有意義と思っています。戦後民主主義の良さなのか、政権党人士の度量の大きさの賜物なのかのどちらかで実現しえていると考えられます。こういう風に政治が連続していくことを私は望んでいます。 問題は、こうした座談会で何ほどの有意義な討論が為しえているのかということにあります。じゃれあいの議論しか為しえていないのではないのか、こういう出来レース的議論が国民の政治−政党離れを推進しているのではないかと思われます。ここのところを解析してみたいと思います。最初に税金の使い方をめぐって討論為されているようです。自民党政策は、景気浮揚策を兼ねて「ゼネコン・大銀行優先」で、「公共事業が毎年五十兆円、社会保障に二十兆円、それに銀行支援に六十兆円の枠組」をしているようです。これをどう評価ないし批判するのか。共産党は、「暮らしと社会保障を主役の予算に」という観点から「予算の主役は社会保障なのです。国民全体の暮らしにかかわりますから、社会保障に主な支出があって、その何分の一かを公共事業にまわすというのが当たり前なんですけれど云々」と主張しているようです。「(現行の予算の組み方は)本当に逆立ちした枠組みがあります。それを変えることで、それこそ、いまぶつかっているさまざまな問題を解決できる。それを大いに変えて、財政再建をやりながら、新しい十兆円ぐらいの財源は、国民の暮らし向けにまわせるという切りかえをやって、そして、みなさんの暮らしを支えられる政治をつくってゆきたい。これが一番の眼目です」と説明しています。これを補強する観点から、「個人消費拡大を主力に――社会保障、雇用、所得への三つのテコいれがカギ」、「(このてこ入れにより)個人消費を拡大することに景気対策の主力をおくべし」、「(与党の政策は)公共事業、公共事業で、ゆがみをいっそうひどくする」と批判しています。 ここで気づくことは、防衛費の支出に対してノーコメントにされていることです。本来、社会保障支出に対応するものは防衛費支出ではないでしょうか。いつのまにか公共事業費支出と対応させられている議論の変調が為されているように見受けられます。それと、不破氏は、外国の例を持ち出して自説を補強する手法を多用していますが、この外国の例の持ち出しは、消費税導入の際に政府側からさんざん聞かされた理屈だったように思います。「国際的に笑いものになる云々」発言も眉唾で、外国の例は参考にはなるけども、正当化にはならないのではないかと私は考えます。 ところで、公共事業費の支出は本当に誤りなのでしょうか。私は、これこそ戦後の日本経済発展の推進力であったと考えています。問題は、その費用は税金であるにも関わらず、いつのまにか利権構造化させられており、この部分こそ大胆にメスが入れられるべきであって、公共事業費の支出を「社会保障に主な支出があって、その何分の一かを公共事業にまわす」のを良いとする不破的施策は、却って取り返しのつかない事業失速へと導くことになるのではないかと危惧します。一度歯車を止めてしまうと再稼動は倍にも三倍も困難になるやに思われます。不要不急の公共事業には私も反対ですが、短期的バランスシート上採算が合わなくても国家百年の体系から取り組まねばならない公共事業は大いにあって、それは戦争に向かうエネルギーの代替にもなっていると愚考しています。「五全総を見てくださいよ。日本中、トンネルとか大型の橋とかでうずめようという計画じゃありませんか。実際に」との不破発言が為されていますが、地図上にピンを立てればそうかも知れませんが、実際にはトンネルとか橋の効果の恩恵にははかり知れないものがあります。言葉遊びは止してもらいたいと替わって反論させて頂きます。その他のセンテンスではさほど異論は有りません。 その他いろいろ議論されておりますが、愚作は、「18歳選挙権」論議での各党一致ぶりです。どうやら、参政権自体の適正付与年齢論議ではなくて、犯罪責任を負わしめる年齢引き下げとの整合性として各党一致されたようです。私は、フーーンとしか云いようが無い。ならば、成人式も18才にすれば良いし、18歳以前での公民−政治素養教育を急がなければ不自然ではないのか。その具体的施策はどうするおつもりなのか。このことを論議せずに各党一致なぞするから、我々はどんどん政党離れさせられてしまうのではなかろうか。中学生でもわかる話ではないのか。不破氏が「野中さん、これだけ与野党一致したんですから、十八歳選挙権に踏みきって(やりましょう)。それでスカッと、十八歳以上を成人にするということを決めれば、片づくんですから」と水を向けると、野中氏は「いいじゃない、いいじゃない」と応じました。司会者も「期せずして十八歳以上という声がそろってきました」とまとめました。 漫談的座談会も極まれると替えって面白いか。 |
Re:情勢観察そのB ( 06/10 19:52:46 ) |
読売新聞「主要各党首脳に聞く」(6.10日)に土井党首のインタビューが載っています。少し、意見を述べておきます。森首相の「神の国」発言について、「どういう場所でどういう立場で発言したのかが問題だ。神道政治連盟国会議員懇談会のあいさつで、肩書きは『内閣総理大臣 森喜朗』となっている。公人としての挨拶だ」云々と批判しています。これを本気で云っている土井党首が変調なのか、これに突っ込みしている私が変調なのかについて考察してみよう。
「どういう場所でどういう立場で発言したのかが問題だ」この発言はまことに適宜であると思う。実にこのことが問題なのです。ところが、土井氏は続いて「神道政治連盟国会議員懇談会のあいさつで、肩書きは『内閣総理大臣 森喜朗』となっている」これが問題だという。私は、ならば、問題ではないではないかと云いたい。こうなると土井氏に聞きたい。時の『内閣総理大臣』があちこちに招かれたり、訪問を受けるのは『内閣総理大臣』なればこそであろう。これは当たり前でしょう。日本で一番忙しくなる公人が『内閣総理大臣』であって、その『内閣総理大臣』が、その場の雰囲気に合わせて個性的な発言することが許されないとするなら、逆にどのようなことなら、どこまでなら許されているのか基準を教えて欲しい。そういうガイドラインがあるのかないのか。そういうガイドラインをつくる必要があるのかないのか、あなたはお望みなのかについてご説明願いたい。
私は、既投稿文で、国会答弁又は閣議又は対官僚指示及び具体的行政指導で実効されたものなら、発言は責任を負うべきであると指摘した。今もそう思っている。それ以外の場においてはできるだけ緩やかが良いのではないのか。同じ重みで責任を負わしめようとすれば、紋切り型の発言しか誰も出来なくなるであろう。あるいは又ああいえばこういう式のディベートにたけただけの無内容発言しか出来なくなるであろう。そういう『内閣総理大臣』像をお望みなのか。少し考えてみれば分かるが、この理屈は、『内閣総理大臣』だけにとどまらず適用される可能性がある。所管大臣も右同様、次には国会議員も右同様、その他一般公務員から民間人まで以下同様に押し広げられる可能性がある。なぜ、そんな世の中作りに正義面していそしもうとするであろうか。私にはわかんない。
ましてや、このたびの「神の国」発言は、森氏にとって古巣である神道政治連盟国会議員懇談会において、首相になったという土産を持って、かなり心を許した席での発言であった。多少なりとも本音が出たとして、それがどうか致しましたか、と思う。愛嬌があってよいとさえ思う。逆に、「反神の国」思想の議員は、例えば反核運動とか憲法記念日とか等々のそういうシチュエーションの場では、どんどん「反神の国」発言をすればよいとさえ思う。最近、そういう場においても、めっきり左派系議員による左派話が聞けなくなったと思っていたら、そうか公人としていち早く自粛規制しており、だから森氏にもそうして欲しいという願望をお持ちなのか。もっとずっと薄っぺら無内容な漫談的社会作りに手を取り合おうという訳か。この協定に反して発言する者を密告させ、よってたかって棒読み挨拶化の事なかれ主義へ誘おうと云うのか。そういうことになるわなぁ。
土井氏よ、思い起こせば消費税反対闘争のあの時、あなたは、自民党政治を厳しく批判して「山を動かそう」と我々に呼びかけた。あなたの指導する党は多くの国民の共感を得て大幅議席増を果たした。ところで、そのあなたが動かしたのは「山」ではなく、綱領と党名であった。これはちと笑い話の世界ではある。細川政権から村山政権に至る道中であなたがたが為したことは、自民党を助け起こし、消費税を5%に上げる良き理解者となったことであった。以来あなたの党は、今日にいたるまで見向きもされない党へといまだに転落を続けている。執行部は選挙の敗北に責任を持つという、議会政治党の常識さえあなたの党にあってはないようでさえある。我々は、少なくとも私はもう見飽きている。どうしても「神の国」発言に喰いつきたいのなら、それに勝る「憲法理念国家」再構築に向かうのも一興であるし、何よりあなたはわが身の資格を問うべきであろう。恥じ入るなら、速やかに舞台から去れば良い。そうした姿勢こそが共感を呼び、政治を志す者をして襟を正さすことになるであろう。良き顧問となるというのが相応しいように思われる。その道が、あなたの党の再浮上の唯一の可能性であろう。その結果、人士が出てこなければ藻屑となればよい。
Re:情勢観察そのC ( 06/13 16:41:35 ) |
始めに基礎データを確認しておきます。いよいよ第42回衆院選が始まります。前回衆院選は1996.10月で3年8ヶ月ぶりの総選挙となり、小選挙区比例代表並立制で行われます。6.13日公示、25日投票、12日間の選挙戦となります。今回は投票時間が午後8時まで延長ということです。前回の投票率は59.65%でしたが、いかが相成りますでしょうか。
「今回の選挙の最大争点は政権選択」と云われております。各党党首の政見から窺える事は、それ以外に「官僚主導国家像の是非、利権構造及び規制緩和をどうするのか」、「経済再建手法論、公共事業の是非、国債等過重債務と景気回復にどう立ち向かうのか」、「増税対減税論、『甘い言葉と苦い薬』論」、「戦後体制の見直し、憲法.防衛.教育.天皇位置付け論」等が中心課題になつており、その他個別に「リストラ論」、「IT革命論」、「年金.医療.介護」問題等があるようです。
ここにきて、「神の国」論議がしぼみつつあります。私は、首相問責ないし退陣要求論には反対しましたが、かなり戦前回帰型の人物が首相になったことの危険性を警鐘乱打することは必要と考えています。この区別が出来ない野党の対応の仕方に失望を覚えます。必要なところで争わず、ルール外で騒ぐという弱脳運動に失望を深くさせられています。
それはそうとして、今回の選挙の眼目について私見を発表しておこうと思います。今回の選挙の最大争点は、細川政権で始まって以来の10年間の、自民党居残り派と出張派との最大最後の決戦ではないかと思料しています。戦後政党闘争史は、90年代にほぼ保守の一円支配を完了させましたが、両派間には政局舵取り手法をめぐっての抜き差しなら無い対立が介在しており、そのバトルの決着が今回の選挙で為されるというのが本筋であろうと思われます。付録の話が、社会党がいなくなったことであり、公明党が与党化したことであり、共産党が在来型野党として残っていることです。ちなみに、公明党と共産党の二党を除き総保守化していく過程が戦後政党史であるように見受けられます。
選挙予想はまだ出来ませんが、民主党と自由党には勝利か死かのどちらかしか無い局面であることは疑いないところと思います。特に小沢自由党にとっては背水の陣かと思われます。そういう厳しい中で勝利する可能性も充分あると予想しておきます。公明党は、長年の夢を実現したところで、大いに士気が上がっていると思われますので手堅く伸びると読みます。創価会館の設営が威力を発揮しつつあるように見受けられます。与党として喰らいついたら話さない能力とエネルギーを保持しているように感じます。共産党は、公明党に負けてなるものかとばかりにバスに乗り遅れじと懸命ですが、進めば進むほどぬかるみの道で進退窮まっているように思われます。現下不況のあおりを受けている労働者大衆の怨嗟の声を吸収できれば躍進の目がありますが、この怨嗟は同党の政策評価とは別のところの判断に拠っており、同党が頼りにならないことが判明すれば後退さえあるかも知れません。その受け皿が民主党.自由党に行くのか行かないのか、棄権票となるのかが微妙なところと云えそうです。ここが、今回の選挙の第二の焦点と云えそうです。
自民党は、長年の政権与党としての責任処理能力により支持者を手堅くまとめているようです。党内の新陳代謝も比較的スムーズに行われており、調整能力第一党と判断できそうです。思えば、先の大阪府知事選挙で、党中央執行部の意向に反して地元候補を擁立したような意地と面目と活力を有しており、本家本元ならではの底力を見せそうです。むしろ、党内派閥戦争の方に興味が向かいつつあるほど余力を有しているとみます。出張派の民主党と自由党の底力が問われていますが、民主党の場合の多分の野合性が吉と出るか狂と出るか興味つつのところと云えそうです。
Re:情勢観察そのD ( 06/15 13:59:07 ) |
早くも反共ビラが大量に配布され始めており、共産党攻撃が為されているとの事です。内容がアップされていませんので全貌がわかりませんが、特に戦後直後の1945年から1953年までの日本共産党を指導した徳田書記長末期時代の火炎瓶闘争時代を槍玉に挙げて、共産党の恐ろしさを吹聴しているようです。耳たこの暴力革命論にも言及していると思われます。
自民党がこの手の手法を使うことは毎度おなじみになりつつあり、公明党の反共論と新手の反共団体のそれらによる十字砲火を受けつつある共産党も大変といえば大変とご同情申し上げておきます。いくら議会主義政党に純化を遂げ、暴力革命論と決別したと申し立てしても、相手に聞き分けがなければ通じないし、聞き分ける気が無い者には余計に通じない。困ったもんだとも思います。ところで、自民党は毎度この手法を採用しているところを見ると、この勢力にかなり侵食されているということが逆に知れることにもなります。いずれこの勢力と公明党−創価学会とのバトルも予想されますが、もう少し先のことになるかと思われます。ここで問題にしておきたいことは、自民党内のどの派閥勢力がこの連中と結託しているかの見極めです。この辺り大衆的に情報通化しておきたいと思います。
ここから毎度お馴染みの私の共産党批判になります。不破委員長は、次のように反撃しているとの事です。私のインターネット知友(と勝手に私が思っているだけかも知れませんが)の投稿をお借りします。まず、雷韻出版『誰も知らない日本共産党のホンネ』のビラのごとき反共ビラに対して告発に踏みきったということです。「どのビラも中身はだいたい似たようなことを書いていますが、団体の名前はバラバラ、『憲法と民主主義を考える会』とか、『おとなを批判する青年の会』とか、勝手な名前が書いてありますが、番地もなければ電話もない、責任者の名前もない出所不明の怪文書です」と不当性をなじっております。私の関心はむしろ、新宿での不破委員長の大一声での、そうしたデマ宣伝に立ち向かう論理にあります。「……みなさん、火炎ビン事件というのは、今から五十年ほど前の話です。共産党を分裂させた一派が、北京に亡命して、スターリンや毛沢東のいいつけで日本にソ連型、中国仕込みの方針を持ち込んできた。共産党の方針とはまるで縁もないものを持ち込んできた。それが、あの事件のいきさつでした。その後、統一を回復したときに、共産党は、この一派がやったそういうことを徹底的に批判しました。……その歴史をごちゃごちゃにして、分裂させた一派が北京から勝手にやったことを、まるで今の共産党の罪のようにいう。これも、政権党の代表としては、本当に恥ずかしいやり方であります。……」。
果たして、こうした反論で本当にすっきりするのでしょうか。私に言わせれば、反論になりえていないと引導を渡したくなります。なぜなら、たまたま共産党組織理論は執行部に都合の良い長期安定型になっているけども、自民党の場合のようにころころ替わる執行部であった場合に、「あれは前の内閣の時にやったもので、我々には責任ない」なぞという論法が通用し得るものでしょうか。大変不謹慎な発言と申せます。よしんば、暴力革命礼賛型の執行部を打倒した現執行部の妥当性を吹聴するにせよ、同じ党名である限り、責任は負っていると考えるのが常識感覚と申せます。「共産党を分裂させた一派」とか、「共産党の方針とはまるで縁もないものを持ち込んできた」とか、「この一派がやったそういうことを徹底的に批判した」とか、「分裂させた一派が北京から勝手にやったこと」とかの類の論で我々を納得させようなぞとは子供だましの論であると云うべきかと愚考します。仮に現執行部が打倒された場合には、国民はまたまた違う論理を受け入れるように要請されることになると思います。党内では勝手でしょうが、国民に対しては関連付けを正確にした上で、お詫びと反省を必要と思うなら、これを真摯に為さない限り信用されない論と言えると思います。
むしろ、私なら、こう云って国民に納得して貰いたいと思う。あの時は朝鮮戦争の只中に遭遇していた。当時の党の方針として、朝鮮半島の統一を我々は支持していた。戦後世界各地で始まった民族解放闘争の一環として朝鮮戦争が始まっていたと分析していた。これに棹指したのが米帝国主義者とその傀儡的政権者たちであった。多くの朝鮮民族の統一の願いに反する形で、彼らは朝鮮半島の南北分断を策していた。あろうことか、日本各地に敷設された米軍基地がその戦争に使用され、後方兵站基地化されていた。この現実に徳田執行部は立ち向かい、後方攪乱的運動を展開することで、朝鮮民族の統一運動を支援しようとした。もし、この闘争方針が間違いであって、もっと有効な党運動があったのなら、我々は真摯に反省もさせていただこうと思う。確かに戦後の国民的申し合わせであった「平和と民主主義」を護るという観点からすれば、例え米帝国主義者と時の自民党政権がこれを踏みにじり戦争を策動していたとしても、問題もあったとは反省している。我々の第一義的責務は、日本人大衆の党として、この地でこの場で生活権擁護こそ最肝要として戦うべきであることを党是として明確にさせ、今日にいたっている。但し、時の執行部が、日本民族と朝鮮民族の国際的連帯の友誼を求めて苦渋な決断をした末での闘争方針の採択であったことは分かって欲しい。
その朝鮮動乱も1954年頃より膠着状態に入り、結局南北分断の固定化が明確となった。以来、わが日本共産党は、そういう理由があったにせよ、戦後の申し合わせを大事にしようと反省もし、一層の日本人民大衆の抑圧からの解放と護憲を通じた戦後社会の再建を目指して今日まで努力して参っているところであります。どうぞお叱りもし励ましても頂きたい。とかの演説のほうがすっきりするのではないかなぁ。(こういう調子で続けるといくらでもあるが仕事中だから、以下略
Re:情勢観察そのE ( 06/16 21:40:35 ) |
14日の南北朝鮮首脳会談の実現と共同声明調印について、スレッドが立たないので無理やりここに挿入しよう。こういう国際情勢の激変に遭うと長生きしてみるもんだなぁとつくづく思う。ドイツ統合の動きに比せば遅きに失したかも知れないが、こういうことをやり遂げるのが能力政治家の為せる技よと感嘆させられる。この先スッタモンダが待ち受けているとも思われるが、この歴史的事実は残るし、新潮流を形勢加速させることは疑いないと思う。
翻って、わが日本の国政はどうなんだろう。森首相は戦前感覚丸出しの滑稽さを笑われているし(少しやつれたなぁ)、どうにもならない反対党と思われていた日本共産党がこんな折々に按配よくも周辺有事即応の自衛隊出動に理解を示し始めるし、日本は余程めでためでたの仲良しクラブづくりが向いているんだろうなぁ。このままずっとこんな幸せが続けば良いのだけど、過重債務がずっしりし始めているし、この十年来の低迷景気で零細.中小企業が土壇場の苦しみを見せ始めているし、銀行はいいわなぁ、貸出先が曇り雨始めたら資金引き揚げ、晴れたら傘を持ってくるという話は昔のことで、自分のとこに降り始めたらいの一番に税金投入とはさすがわだわなぁ。世の中そんなもんだわな。汲めども尽きぬ鉱脈のいい温泉当てたわ。天下り先は官民問わず景気低迷何のそのおいしいおいしい続いているようだし、おらぁこんな国好きだぁと云ってみよう。
わが国の国政上、このたびの共同声明に匹敵する国事行為は何だろうか、と考えてみた。内政では、景気回復と過重債務の一挙二兎取りかなぁ。これは難しすぎるか。外交で考えてみよう。ウン、ロシアとの大胆な経済交流かなぁ。これはお互いのどから手が出るほど利害が一致してはいるが、アメリカさんの了解も取り付けないといけないだろうし、その前に北方領土を解決しないと国内がまとまらないわなぁ、やはり先の話だ。ウン、北朝鮮との国交回復はどうだろう。まてよ、あれも確かよど号事件の犯人引渡しと被誘拐在朝日本人の確認と引渡し問題があるし、テポドン事件が真新しいし、無理かやはり。何か他に難しくて出来そうなことないかなぁ。沖縄の基地を減らすのはどうかな、東京周辺の基地を移転してもらうのはどうかな。これも少しは進むとは思うけど、何となく時間がかかりそうだなぁ。やはり内政に戻ろう。消費税を廃止するのはどうかなぁ。まてよ、最近共産党までこれ以上引き上げをさせない為に現状容認方針打ち出したばかりだし、これで全党一致の折だし、そんな舌の根が乾かぬうちにそれはないわなぁ。なら、これでどうだろう。少年犯罪防止のために、手加減無しの15歳有責立法を作って見るのは。昔から元服の年だしなぁ、理屈は通る。一人前の大人と認めて選挙権も与え、その替わりといっては何だが、見せしめ死刑なぞ実行する必要があるわな。とにかく犯罪を減らせなあかん。この点については国民的合意が出来てるから問題は無い。早急にリストアップしてみよう。いいじゃないか、選挙権を持った中学生のお出ましだ。これが最高の教育的措置かも知れんな。何か云い足りないなぁ。ワカッタ、そういう取り締まり威力の効果は半分だ。合わせて精神的な国民統合をしてみたらどうだろう。天皇様には申し訳ないけど、一踏ん張りしてもらおう。何せ物事に中心があるのにお国にそれが居ないとは、象徴制なぞ前から半端ななめくじみたいで気持ち悪かった。明日にでも皇太后様のお見舞い兼ねて相談してみようっと。(ふけいざいにはあたらないよね、今はそんなほうりつないよね、でないとよぉおくれない)
Re:情勢観察そのF ( 06/18 20:56:51 ) |
ぬかに釘現象で、一人しこしこかくのがつらい。しかし、書かなければならない私は。いいたいことがまだまだあるから。
今度の選挙の盛り上がりはどうなんだろう。地方都市の私のところは依然としてありきたりの無風だ。仕事で出向くことになったのが自民党候補事務所、やって来たのが公明党、日曜版届けてくれたのが共産党。後は宣伝カーで各党が連呼していっただけ。21世紀前最後になるだろうといわれており、自民党出張派の生死がかかった決戦である割に大人しい気がしている。どなたか都会の空気を伝えて欲しい。
少し選挙制度を考えてみた。戦後、男女同権の普通選挙が施行されることになった。私は今までこのことに疑問を持ったことは無かった。しかし、気が付いた。権利というものは、それを強く行使したい者に意味があるものなのではなかろうか。生存権でさえ、生きようとする意思の者が不当に生きづらくされる事象に対して抗議的に主張するものなのではなかろうか。分かりやすくいえば、勝ち取るというか抑圧に対して抵抗するというか、そういう精神をバネにしていないと意義がないのではなかろうか。
例えば、職業選択の自由といっても、農家の後継ぎとして自他共に認めている者にとってはあまり意味が無いのではなかろうか。同様の類推で他の諸権利を理解することが可能でなかろうか。問題は、自分が関心関係なくても、それを主張する者に対しては理解しあるいはスクラムを組む必要があるという聞き分けをすることであろう。なぜなら、今関心関係が無くてもいつかそうなることもあるし、これらの諸権利は回りまわってつながっていることでもあるという理由による。
ところで、選挙権の場合、関心が有ろうと無かろうと一律に権利が与えられていることに少し無理があるのではなかろうか。元々は、戦前で考えればわかりやすいが、一定の税額を納める男子の法定年齢に与えられて、次第に男子全員に与えられ、戦後は20才以上の成年男女に与えられることになった。気づいたことは、戦前の場合、その時の条件下では選挙したくても権利が与えられず、くやしい思いをしていた人が居たという現実があり、その点戦後一律に与えられたから良い時代とみなすことが出来るが、戦前も戦後もはなから無関心な者にとってはそれほど嬉々として受け取っていない権利なのではなかろうか。
啓蒙という過程が肝要とは思うので一定期間のがまんはするが、むしろ、投票参加者を募り、手を上げさせ、このことでどんな事由があろうとも不利にはさせず、こうした登録人に無条件に付与させるというのが歴史的な権利獲得の流れの意味を考えた場合の正統ではなかろうか。中には、善意的に皆さんにお任せの人が出てくる場合も考えられるが、そういう態度の人が居てももおかしくはない気がする。事務作業が大変かも知れないがパソコン時代だから案外楽に出来るかも。登録人には専用パソコンが与えられ、不正を防止する仕掛けさえ作れば経費が大幅に節約できるしなぁ。こうして、世の中のこと政治のあれこれに関心を意識的に育て、意欲するものが投票に参加できるというシステムの方が本当は良い国づくりになれるのではなかろうか。こういう発想は聞いたことが無いので批判されるかも知れないが、この万年投票率5割内外の現実からフトそう思った。但し、代わりと言っては何だが、首相公選制度を導入し、これは現状の総成年国民一票でアメリカ的手法を参考にしつつ選出するとか、の方が良い国づくりが出来るのではないかと。
これには皆さんレス頼む
ごめんなさい 投稿者:ひまた ( 06/19 04:48:08 ) |
> 今度の選挙の盛り上がりはどうなんだろう。地方都市の私のところは依然としてありきたりの無
>風だ。仕事で出向くことになったのが自民党候補事務所、やって来たのが公明党、日曜版届けてく
>れたのが共産党。後は宣伝カーで各党が連呼していっただけ。21世紀前最後になるだろうといわれ
>ており、自民党出張派の生死がかかった決戦である割に大人しい気がしている。どなたか都会の空
>気を伝えて欲しい。
最近、ちょっと選挙のほう忙しくて(お祭りですから、楽しくてかな)昨日も半日選対本部でダボラ話にうつつを抜かしておりました。筆頭秘書との話の中身はここでは「自粛」せなあかんことばかり。みんなストレス溜まってるんや。(笑)「おい、ちょっと話しょ」とつかまった選対本部長は「新しい教科書をつくる会」の大阪副代表。かというて教組もふくめて他の関係者もいろいろ出入りなさっておりますので、これはもう教育問題なんかになると頭の中でキョロキョロ(周囲に配慮)せんといかん。前の選挙と次の選挙(たぶん)では顔ぶれの組み合わせが違っている…そういうなかでいつもかわらん地縁血縁の面々のお仲間に入れていただいております。無風区なんやけど、ぶっちぎりで勝たないと意味がない、こちらでもそういう選挙です。
>むしろ、投票参加者を募り、手を上げさせ、このことでどんな事由があろうとも不利には>させず、こうした登録人に無条件に付与させるというのが歴史的な権利獲得の流れの意味>を考えた場合の正統ではなかろうか。
(改行変更御容赦)
れんだいこさんのユニークな提案、話のネタにさせていただきます。これには臓器提供のドナーカードだったかを連想してしまいました。結束の固い宗教団体・政党支持者のほうは集団登録、で、一般無関心系無党派は非登録(いざというとき手間のかかる登録という壁をこえなければならない)とか、登録しても棄権はあるやろう、とかの「疑問」も感じます。経費節約の点においては賛成です。それから選挙権がどこにも転がっている安っぽいもんやないんやという啓蒙の意味もあるかも。それはともかく、ホームページでの選挙運動くらい全面解禁せいよというのが私の意見。(これですこしはどこぞで私の株があがる(笑))
>ぬかに釘現象で、一人しこしこかくのがつらい。しかし、書かなければならない私は。
>いいたいことがまだまだあるから。
(改行変更御容赦)
この掲示板のアクセスカウンタの昇りようはそんじょそこいらのものではありません。きっとれんだいこさんの愛読者がたくさんおられます。そうおっしゃらずに、ね。(笑)
(英国某所にれんだいこさん著作公開用HPスペースを勝手に確保してあるのですが、お使いになりますか?)
Re:ふと思った案ですので軽く受け流して下さい ( 06/19 13:21:06 )
>
仰る様なシステムにした場合でも、結局投票希望者の割合は、投票資格者の五割前後とな>
るでしょうね。つまり五割程度の人は希望者投票制であろうとなかろうと政治に興味を持>
たない人や知能障害者などで占められ、残りの人は当然の様に選挙人登録をすると思いま>
す。だとしたら、何ら現状と変わらない事になりませんか?
>
>
また、始めから投票する意思が無い人には、ハガキ一枚を無視すれば解決する程度の「余>
計なお節介」が無くなりますが、投票を志向する人には「余計な手間」が増える事になり、>
現在の投票率よりも、投票有資格者における投票希望者の割合が低くなってしまう事も考>
えられます。「善意的に皆さんにお任せの人」は棄権すれば良いだけの話ではないでしょ
> うか。
>
>
なにより、共産党や社民党が猛ハンタイしそうですね(笑)。
この思いつきの本意は、棄権票のうちのあきらめ派と抗議派の復権にあります。併せて、純正無関心派とお任せ派を望む通りにしてあげたいという気分が込められています。まぁ万事スッキリは頭のだけにしようと言い聞かせていますので、第四者@素さんも軽く受け流して下さいね。
もう一つ思いついております。現行の選挙制度改革の流れは、有効有権者数指標で議員の頭数を公平化しようとしてきましたが、つまり一票の重みを出来るだけ公平にしようとして努力してきているように思いますが、一つ疑問もある。議員は、選挙民に責任を負うと同時に選挙区にも負う。選挙民だけに絞るのは都会重視型であり、何となく過密化迎合手法な気がしています。もう一つ、議員が負っている選挙区の面積化比率も組み合わせていかないと過疎を促進させるような気がする
。
云おうとしていることは、ご都合論理で与野党一致している風潮に冷や水浴びせたいということになるのかな。この流れの待ち受ける先は何となく日本の国家的破産にあるような気がして---。公共事業を推し進めることと削減することの是非論ばかりで、現状予算規模並でもっと利権体質を改めさせ、国家百年の計に合う政策を断固主張していただける政党がでないのかなと思う。風聞する瀬戸三架橋の利用者台数は少な過ぎる。ならば、料金を大幅に半額化させ交通量を3倍にした方がペイすると思うのに、この論議が進行しない。学者が寄って鶴首協議した結果が何百円か上げ下げしたらしい。現在の与野党一致の先行的欺瞞例がここに垣間見られるような---。
Re:情勢観察そのG ( 06/20 13:27:46 ) |
6.20日付け毎日新聞一面に選挙情勢報告が為されています。他紙にはまだ目を通していませんが、恐らく各紙とも同様論調ではないかと思います。それによりますと、「自民が堅調、民主.共産伸び悩み、公明.保守苦戦、自由微増、社民維持」とのことです。
私が思うに、このたびの選挙前までは、「国民の信を問え」と野党からの突き上げが何度も為されていたのではなかったでしょうか。ところが、いざ選挙本番になると、民主.自由は強気に読んでいるものの、元来の野党社民.共産は及び腰状態でしどろもどろの予想しか展望出来ない。一体、望み通りの「国民の信を問う」事態になったのだから、ヨオぉシとでも云うのならともかく何なんだその態度はと云って見たくもなります。既述しましたが、選挙結果による執行部の責任ラインを明示しているのは自民党だけで、後は予想のみ。かの党は何を言っているのかさえわからぬもぐもぐ調。どっちに転んでも執行部責任から逃れようとする態度が見え見えで、私が不快を覚えるのも無理がないでしょう。
さて、私が御託宣と個人的な思い込みを入れておきます。向こう傷と恥を引き受けようと思います。結果が出たら肴にして下さい。まず自民党は、地方では従来どおり堅調とみなします。都市部でどうなるのかが興味つつのところと云えます。都市部で善戦すれば責任ライン充分突破と見ます
。
民主党は、浮わついたままで足が地についていないと判断し苦戦と見ます。但し、浮動票が集まれば地すべり的勝利をするでしょうが、後半のムード次第でしょう。今回の選挙のメインバトルと見ますが、政権与党の地盤の強さが見せつけられると読みます。
自由党は、比例区で大善戦すると見ます。地方区情報をもっていませんのでわかりませんが、個々の議員能力は高いと見ます。願うらくは、経済再建路線で行って欲しい。大国主義路線は辞めて欲しい。そうすればもっと支持が集まるでしょう。保守党はやや減るでしょう。自民党に吸収された方がすっきりして良いと見ます。
社民党は現状前後と見ます。本来の力から云えばやや伸びるかも知れませんが、往年の勢いに戻ることはもはや有りえないでしょう。元々ここの支持者辺りが民主党に回って初めて民主党善戦の可能性がありますが、そうなれば社民党が更に減ることもあり得ます。どうなることでしょう。その可能性もあるので、選挙は予断が許されない。それというのも、左派がしっかりしないから、国民はそういう選択しかできなくなっているという現実があると見る。
公明党がどうなるか。全く分かりません。浮動票が期待できない局面を考えると苦戦と見ます。生粋支持者の裸勝負どころとなりそうです。現状維持前後と見ます。総得票数が気になるところです。もし微増でもすると、執行部は、政策と政局舵取りが信任されたと胸を張って良いでしょう。
共産党がどうなるか。全く分かりません。ひょっとすると、大幅な支持離れとなる可能性があります。恐らく、民主党と自由党に票が向かうと予想されます。あらゆる指標が後退となれば、得意のこじつけさえ出来なくなり、執行部批判が噴出せざるを得ないでしょう。
その他諸派の動向がありますが、新聞には載らないと思います。
してみれば、自民党が民主党を喰って大勝し、カウンター勢力として自由党が伸び、民主党が減らして分裂騒動化し、公明党が政権与党からはじかれそうになり、共産党がお家騒動に発展すると読みます。大勝した自民党のおごりから分裂が始まるかも知れません。加藤派と河野グループの動きが注目されます。そういう策士がいるかどうか興味が湧きます。以上の予想に逃げを打つとしたら、自民党が歴史的敗北、民主党躍進という構図ですが、ありえそうでありえにくい。特にあの低所得層からの税金取立て発言が水を差したと見る。私の見立てが外れることを祈る。もう一つ逃げを打つとしたら、共産党の大進出ですがこれも同様ありえそうでありえにくいと見る。
当たるも八卦、はずれも八卦です。既に予想宣言していましたので責任果たしました。体を張るのはつらいなぁと今考えています。まぁ面白系のノリで許してもらおう。誰かが言えば次の予想が出やすくなるしね。問題は、「国民の信を問え」と云い、信を問うた結果がこうなると、政権与党の従前政策を是認せねばならないことになるのでしょうか。野党諸君の論理からはそういう帰結にな
りますが、オラ嫌だ。
これにもひまたさん皆さんレス頼む
Re:情勢観察そのG ( 06/22 11:14:26 ) |
Re:情勢観察そのG ( 06/22 18:15:38 ) |
>
民主党の選挙はそれこそ右から左までなんでもありぃの顔ぶれで、選挙結果がどう出ようとこのまま
>
すんなり党がまとまるのは無理だろうと私は思っています。一緒に選挙やりながらも実態は話題によっては
>
ヒソヒソ話をせざるを得ない顔ぶれの組み合わせです・・・
>
こんなこと選挙が終わってから公表せいと怒鳴られそう。ほんまここだけの話にしといてね。
私は、旧社会党の右派左派の泥沼とは違う意味での寄り合い世帯の良さを民主党が能力的に獲得したら、自民党に替わり得る政党が初めて生まれることになると考え期待しています。考えても見よう。自民党こそ寄り合い世帯の最たるもので、その昔一時は右から左まで総揃えしていました。しかし彼らは大人で、戦後民主主義の原理を踏まえ、血で血を争う替わりに金で地位を争ったり、能力で政策を争ってきました。この、安易な理想に流れない本音主義こそ自民党の活力の源泉と私は評価しています。政党の機関運営化と民主主義的手続きも自民党こそが模範的とさえ考えています。
では、なぜ私が民主党−自由党ラインを支持するかといえば、さすがに自民党は制度疲労を起こしており、構築した利権構造が満身を癌化させており、ここにメスを入れない限り日本の活力の再生はないと考えるからです。民主党−自由党ラインは海のものとも山のものとも云えない面がありますが、旧社会党−共産党に期待することが出来ずその能力が最悪的に乏しいことが明らかな以上止むを得ない選択として期待しています。九管鳥が見事羽ばたくことが出来るか、寄り合いの厄介さを楽しみに切り替えて運営できるかどうか−この視点からのウォッチも結構面白い。
>
>
といって自民党内部にも、選挙が終わるまでは大人しくしているが・・・という執行部に対する破裂寸前の
>
鬱憤の塊を感じます。公明党の与党への食い込みは実に不自然なことで、ぜんぜん無理があります。
>
選挙終わったら一波乱、それもかなり大きなのが待っていそう。森政権がサミットまでもつかどうか・・・
>
という感触。(野次馬根性で、そうなることを期待もしています)
>
ここは、何だかんだで政権を手にした公明党の能力の賜物と考えています。選挙協力にしても、恐らく利用されるだけの見返りの無さにも耐えている執行部の明日を見据えた確かな目を感じております。むしろ、政治を担うということはこういうことだと教わるべきかと思われます。
>
共産党は独自の戦いをなさっていますが、選挙後も政権参加云々の情勢はまずないことでしょう。
>
私は、既述したように、戦後最も政権から遠ざかっており、ますます遠ざかりつつある政党ではないかと考えています。当人らの願望とは別に戦後政党史を通してみれば、このことが良く分かります。それが証拠に別にいなくなっても政治情勢にも労働者の労働条件待遇にも少しも変化は無いでしょう。むしろ活性化するかも知れないなぁ。近年唯一のチャンスは細川政変時にあった。あの時の対応が、民主党−自由党地下水脈ラインに失望と正当な疑惑を与えている。以来、苦節苦渋をなめてきた現下の民主党に漠然と擦り寄る動きは、民主党にとって迷惑以外の何ものでもないのに、敢えて折々にそう云い続けるのは、自民党の民主党=容共派批判と良いハーモニーしているように思われる。
勝ち目の無い選挙区で民主党支持に回れば自民党を引き摺り下ろせる選挙区が今までもあったであろうのにそう指示しなかったのは、私は意図的とみなしている。旧社会党同様、「左」からの自民党扶桑型勢力であることを物語っているとも考えられる。そうすることによって、それなりの分け前があるのだろう。この馬鹿げた構図に立ち向かったのが民主党−自由党ラインと私はみなしている。選挙前だから、これぐらいにしとこ。
Re:「神の国」考 ( 06/23 11:47:07 ) |
>
私は「神の国発言」自体には、特に違和感を感じませんでした。
>
強いて言えば、「噛み付かれ易い」発言を安易にしてしまったところが問題でしょう。
>
ここのところで一言二言ありまして、本当は別スレッドの方が良いのかも。いつかいっておきたかったのは、「神の国」の内容イメージが各自で異なっていて、にも関わらず「神の国をどう思うのか」的設定の愚問が為されているように私は理解しています。
少し在野的な学をひけらかすことになりますが、日本を「神の国」とする思想には二つの大きな系譜があるという認識上の区別が為されていないと話がこんがらがります。森首相の例の発言の全文を読みましたが、首相自身も混同しておりました。ということは、一般にそのように混同されているとみなせるように思います。戦後、天皇制アレルギーからこの辺りの認識が封印されており、特に左派系の知識はゼロレベルといえるかと思われます。
では、どういう二系譜があるかと申しますと、粗雑ですが判りやすくする為に云いますと、森羅万象に神を見ていた山が神森が神的八百万神観にある縄文神道と、鳥居を設け特定の血統家系に神を乗り移らせた弥生神道という系譜がある訳です。なお、この弥生神道は、縄文的な思想を受け継いでいる出雲神道と、明らかに権力統治的な伊勢神道の系譜に分かれます。現天皇制思想は、伊勢神道の系譜上に位置しています。
我々が豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の「まほろばの国」として日本を理解するとき、両系譜を総称して理解しています。この部分の「神の国」思想と、ここから先の伊勢神道系譜上の天皇制思想との間には天地の隔絶があるという認識をしていないと、「神の国をどう思うのか」と云われても、実は応えようがないのです。つまり質問の設定自体が愚問なのです。補足すれば、おじいさんおばあさんに聞いてみたとき返ってくる心情は、大国主の命がかってこの地を平和的に治めておられたという出雲神話系の系譜での「神の国」日本思想のようです。裏日本史的心情とでも申せますが、特に関西にかなり根強いファンがおられるように思います。実際に神社の縁起をめくっていきますと、今でも出雲系神社と伊勢系神社が縄張りしている相関図に出くわすことになります。
近代以降の天皇制思想は、江戸時代に儒教的官制学問に対する反発から国学者が在野的に研究を進めた「外来思想に汚染される前の良き日本の見直し」に起源を持つようです。この復古思想が、倒幕イデオロギーとして結実していき、実際に明治維新革命に成功したことから、新政府の精神的支柱となり、やがて万世一系の現人神(あらひとかみ)且つ八紘一宇的世界観へと整備されていった歴史があります。西欧列強に対抗する為の国民的統合の必要から、更にイデオロギー化され続けて行ったのが天皇制軍国主義であり、排外主義的皇国観と治安維持法で完結したように思います。
「神の国をどう思うのか」と云われた場合、否定論者の心情は、この天皇制軍国主義イデオロギーに対して反発している訳であり、他方で「まほろばの国」的神国観で肯定的に受け留めている人もいるという具合に混交しているのが実際ではないでしょうか。それというのも、神話も含めた古代の検証を、戦後の左派が封印して事足れりとしてきたことに、この種の理解の覚束なさの原因があるように思います。邪馬台国論争にしても然りで、本当は学者世界の中だけのことではなく、実践的に今日的な意味があるというのが私の受け取りようですが、これ以上は趣味の世界になりますので差し控えます。
>
> 仰る通り。右か左かもうひとつ分かり難いですね。私の感想から言えば、
>
(右←)自民>自由>民主(→左)
>
といったところですけど。
私も概ねそのように理解しておりますが、共産党の見方は大きく違うようです。特に小沢系を、自民党より右よりの危険勢力と即断して不倶戴天発想をしてきました。この背景には、田中角栄批判があり、その系譜の者を斬り捨てることが政治責任とでも思っているように思います。その割に田中角栄氏のことを関連本でも読んで知っているのかと問うとからきし知らない。マスコミ論調も概ねそうです。最近少し風向きが変わってまいりましたが、過重債務による国家的破産化という現実から、これを誘導した中曽根−竹下ラインに対する疑惑からの見直しとして発生してきているように受け留めています。
私は、そろそろ田中角栄政治の功罪を正面から問うべき時期に至っていると思っています。この過程で、異様にはしゃいだ宮本−不破執行部の極反動性も又浮き彫りになると思っています。こういう見方に対しても議論が必要なのですが、議論抑圧型の最も無責任なええ格好しぃが執行部を握っており、その意識的な弱脳化運動が大衆運動の低迷を招いている面もあるという捉え方をしております。どうしてもここへ行ってしまうなぁ。
Re:「神の国」考 投稿者:第四者 ( 06/24 12:54:57 ) |
>>
私は「神の国発言」自体には、特に違和感を感じませんでした。
>>
強いて言えば、「噛み付かれ易い」発言を安易にしてしまったところが問題でしょう。
>>
>
「神の国」の内容イメージが各自で異なっていて、にも関わらず「神の国をどう思う
>
のか」的設定の愚問が為されているように私は理解しています。
>(後略失礼)
お詳しいですね。
仰る通り、私などは「八百万の神々の宿り給うクニ」のイメージで捉えたので、さほど違和感を感じなかった。反面、拒否反応を示す方は、天皇を現人神とすることで軍部を核とした全体主義体制の求心力に利用された一神教的な神道をイメージしたのでしょう。
日本には仏教が多く入り込んでおり、各宗派が生まれております。また、一部にはキリスト教その他の信仰も入り込んでおります。しかし、大多数の日本人は出産や成長を神道の儀式で祝い、結婚は内向けに神道儀式を行う一方、披露宴ではキリスト教の儀式を真似たりする。そしてお葬式は殆ど仏教。一年の間でも、お正月は神道で祝い、仏教思想から派生したお盆があり、年末になるとキリストの生誕を祝ってクリスマス。実にいい加減です。
その原因は、日本には表層的には各仏教宗派やキリスト教宗派は存在しているものの、やはり根底に神道的な心性が一貫して存在しているように思います。
なお、仏教宗派にせよプロテスタント系にせよ、日本で一部の者が病的に熱中する反面、外部からは反感を買っている、いわゆる「カルト」と呼ばれやすい宗派は、一神教的な教義を前面に押し出し、アノミズム(神道)を否定しているか、或いは下等なものと見なしている、という共通性があるみたいですね。
その点、神道をベースにしたワールドメイトなんてのは巧いところを狙ったな、と感じる次第。ついでに創価学会のマントラには「天照大神」の名がありますが、本尊とされる「南無妙法蓮華経」よりもずっと下位に置かれています。
>
私は、そろそろ田中角栄政治の功罪を正面から問うべき時期に至っていると思っています。
田中角栄論ですか。かなり昔に、田中角栄の業績を高く評価している室直樹の著書を読んで納得した記憶はあるのですが、細かい内容は余り覚えていません。
Re:情勢観察そのH ( 06/24 11:42:30 ) |
いよいよ総選挙大詰めになりました。私の情勢観察も最後になります。野党にとってはいずれも厳しい選挙になっていると考えています。無党派層の掘り起こしが最後の望みとなっており、森首相によるこれだけのフォローの風が吹き続けているのにこの様子だとかなり深い絶望感が襲ってきそうです。ここにきて、各党の執行部が責任を明らかにしつつあることは、遅まきながら良いことのように思われます。そういうけじめで闘いを継続していくことが活力になるのであり、詭弁を弄していてはいつまでたっても腹の底からの動きが生まれない。民主党が各区で善戦することははっきりしつつあるように思います。善戦及ばずの惜敗になるのか、抜け勝ちするのかの瀬戸際局面になりつつあるように思います。
それにしても、小選挙区制になっているという現実があるのに、野党側が結束せず足並み乱れ、与党側が選挙区協力している姿にはあきれさせられます。これでは勝てへんわな。小学生レベルの算数で分かる話だと思う。そういう意味では、先日の小沢党首の相乗り呼びかけは、さすがに政権党の人士であった者の、戦いには勝たねばならぬ論理の為せる技であったと賞賛するが、少々遅すぎたかも。
繰り返すことになるが、このたびの選挙の本質は、90年代初頭に現れた自民党出張派の生き死にこそある、と考える。この間、表から公明党の、裏から旧社会党−共産党ラインの自民党与党体制補完性がますます浮き彫りになってきている。その仲良しクラブ性がますます明るみに出つつある。このたびの自民党出張派の敗北に伴う戦後情勢は、ますます役割分担型の大政翼賛会手法を加速させていくと思われる。
そうならないように思う一方で、そうなれば良いとも思う。労働者大衆は原点に戻って、政党に期待する事無く、自力更生運動に着手すべきことが明確になるだろうから。安易且つご都合的なリストラに対しては、団交とストライキとゼネストで抗していかない限り資本側が「理解」することなぞ有り得ないという現実がはっきりしてくると思うから。戦後直後「生産管理」闘争が風靡した時期がある。この流れを復権せねばならないとも思う。それは、「資本論テーゼ」にとらわれない未解明の領域であるが、今日的意義があると考える。労働者階級は、そろそろそういう責任能力の獲得に向かうべきではなかろうか。探してみれば、そのような企業が生まれているらしい。この流れも追及すべきではなかろうか。
今云われているところのベンチャー(起業)精神の称揚と実質的促進化を擁護せねばならないとも思う。与党のそれは利権まみれの体質からして結局掛け声だけに終わる。結局のところ、アメリカから学ぶことは出来ても何も出来やしないのだ。お勉強だけでは事は首尾よく進まない。歴史に、利権と規制を断ち切る手法で「革命」以外のやり方で為された試しがあれば教えて欲しい。これらの意義は、「お上」依存体質からの脱却ということにある。ここに向かわない限り、一層二世.三世が跋扈する社会となり、我が社会の活性化はいよいよ窒息化させられ、消費税のアップ思考がなおこれを促進させていくことになるであろう。未曾有の過重債務からの脱却は夢のまた夢となる、と愚考する。
今や、こうした事態のトキを告げる鐘の音を聞き分けしなければならない。私はどちらの道でも戦うつもりだ。存在するものには合理性があり、滅ぶも興るも天の声であろうから。
Re:情勢観察そのH ( 06/24 13:24:02 ) |
> 労働者大衆は原点に戻って、政党に
>
期待する事無く、自力更生運動に着手すべきことが明確になるだろうから。安易且つご都合的なリ
>
ストラに対しては、団交とストライキとゼネストで抗していかない限り資本側が「理解」することな
>
ぞ有り得ないという現実がはっきりしてくると思うから。戦後直後「生産管理」闘争が風靡した時期
>
がある。この流れを復権せねばならないとも思う。それは、「資本論テーゼ」にとらわれない未解明
>
の領域であるが、今日的意義があると考える。労働者階級は、そろそろそういう責任能力の獲得に
>
向かうべきではなかろうか。探してみれば、そのような企業が生まれているらしい。この流れも追
>
及すべきではなかろうか。
確かに労働者の闘争する権利は、私も認めますが、そう言った方向だけではなく、各企業が「労働者のより良い待遇」で競争するような動きもあって良いでしょうね。それには就職先として選択する企業の多様性が求められる訳で、その点において
> 今云われているところのベンチャー(起業)精神の称揚と実質的促進化を擁護せねばならないとも
>
思う。
というご意見と一致を見る訳です。
>
「お上」依存体質からの脱却ということにある。ここに向かわない限り、一層二世.三世が
>
跋扈する社会となり、我が社会の活性化はいよいよ窒息化させられ、消費税のアップ思考がなおこ
>
れを促進させていくことになるであろう。未曾有の過重債務からの脱却は夢のまた夢となる、と愚
>
考する。
私としましては、自分の築いた財産を子孫に残す、という発想を肯定します。ただし、家系による利権の独占はあってはなりません。それには二世三世も公正な競争原理に晒される必要がありますね。二世三世にも能力が備わっていたなら、その資産は益々増えるでしょうが、そうでなければいづれはその資産も庶民に還元されてしまうだけの事です。つまり「お上」依存体質を持つ者など後続の起業家に追い落とされてしまえば宜しい。そう言った社会こそ望ましいと考えます。
それためには公教育の充実、つまり家の資産の有無にかかわらず、子供が能力を伸ばす事の出来る教育環境が必要となってくるでしょう。機会平等の為にも「公教育は貧乏人のもの」としてはならないのです。子供の能力に応じた教育は、国家が国家自身の為にも、無償に近い形で提供しなければなりません。
また、資産家に生まれた事で、その人物の財産権を恣意的に犯してはならない。それこそ僻みから来る逆差別でしょう。
Re:納得です ( 06/24 13:36:21 ) |
納得です。よしんば見解が違っても、本音本音で見直し、論もまた再構築せねば空疎と考えています。我らの脳髄はその肥大性と半端性により、自らを自縛するようなことが往々にしてあるとか考えています。だから、議論は必要で楽しい。そういう場が要る。ここがその場だと考えています
。という訳で、又レスします。
(私論.私見)