ヒゲ虎時事評論「自由論争1」 |
詳細は該当掲示板でご確認できます。
森首相の発言問題について思うこと (05/27 19:52:46 ) | ヒゲ虎ネット初投稿文です |
ヒゲ戸田さんのこの度の新掲示板開設を祝して投稿させて頂きました。あらかじめ「論争」コーナーとした趣向が面白いですネ。論争になるように以下の文をご提供させていただきます。 目下、森首相の「天皇中心国家」発言が問題にされておりますが、野党の退陣要求共同提案の動きを私は了と致しません。なぜ、この問題で首相が退陣せねばならぬのか解せないからです。仮に、国会答弁で為した発言であるとか、官僚に行政指導的に訓示したとか、閣僚会議での発言であれば責任追及を私もしたいと思います。しかしながら、今回の発言は、「天皇中心国家」的観点を歓迎する民間団体の席上で為したものと伝えられています。ならば、リップサービスの一環として許容されると私は考えています。鉄鋼団体へ行けば、「鉄は国家であると言われるほどの基幹産業である」といって持ち上げることも許されるし、仮に創価学会へ行って「法華経こそは仏教の精髄教義であると私も考えております」と発言することもリップサービスと言うべきではないでしょうか。 問題は、民主主義的理念においてはそうした首相の発言が公開されることであり、首相は例えリップサービスでも責任を伴う重みで為していることが自覚されていなければならないということです。利権的な動きも戒められるべきという高い倫理観も要求されております。で、今回の場合、森首相本人が「発言の撤回はしない」と明確にしていることからも明らかなように発言に責任を持とうとしており、特段の利権を発生させている訳でもありません。当然のことながら発言は公開されております。ならば、それで宜しいのではないでしょうか。なぜ、リップサービス的発言の一言一句の揚げ足を取って退陣要求されねばならぬのか疑問としたいと思います。 こうしたゴシップ的な喧騒に国民の我々をリードして恥じない野党指導者の面々の性癖の中には、旧社会党的な、政権取りの苦しさから逃げ回る一方でええ格好だけをアッピールするという我々を馬鹿にした態度が潜んでいるようにお見受けします。これが万年野党の野党たる所以の根性と私は睨んでいる。ならば、自分の考えを晒さないソツのない人物が首相になったとして有権者たる我々にメリットがあるでしょうか。むしろ、より密室オフレコ化し、あちこちで当り障りの無い、要領の良い口舌上手な首相にしか出くわさないことになってしまいます。私の若い頃の佐藤首相がそうでした。「前向きに対処します」とか「襟を正します」とかの言葉がはやった記憶があります。結局みんなしてそういう官僚式の首相でなければ勤まらぬことにさせて政治を面白くなくさせる方向にリードしようとしているようにお見受けします。そういう動きに私は反対します。 野党指導者の面々がリードすべき方向は、ソツのある面白い首相が出てきたことを歓迎し、それこそ「国民的論議を呼び掛け」、国会質疑で堂々と「天皇論争」と「神の国」論争の場を優先的に設定すべきではないでしょうか。こうした論争をすれば、次第に日本が天皇中心国家になるだとか、神聖国家になる道を開くから議論は反対だとか言うのは敗北主義であり、これではいつまでたっても国民の我々はこうした問題に無知なままに置かれてしまいます。結局、攻勢に出ることも出来ません。旧大戦の史的総括も然りの構造に落としこめられていると私は見なしています。 今回は首相が蒔いた種を利用して「日本の国」論争をする大いなるチャンスと見なすべきはないでしょうか。そうして政治に関心を持たせる動きに誘導すべきではないでしょうか。退陣させるのは勿体無さ過ぎる。まして選挙の洗礼を云うのは愚か過ぎる。だいたい国民の支持基盤はできあがっており、仮に自民党勝利ないしそれに近い場合には選挙の洗礼を受けたとしてそれを追認せねばならないことにされてしまうのではないですか。それこそおかしなことだと私は思う。だいたい、今回に限らず、政争の具としての退陣要求とか国会解散要求とか牛歩戦術とかの一連のドタバタ劇と国民的利益は少しも一致していないと私は考える。法的に最高の議論機関で議論しない方向にリードする、しかも野党のほうがそちらにリードしようとするこの悪癖は何とかならないものでしょうか。 その例を「クエスチョン.タイム」で見てみよう。せっかくの新設絶好機会で、互いの脳髄を絞りきる格好の場であるにも関わらず、ピントボケの質疑と無意味な制限時間枠によって議論を無力化形式化させ、お互いがホッとするような田舎芝居こそ何とかならないものかと、私は考えちょります。 |
Re:自分でレスしちゃおぅっと ( 05/28 18:28:57 ) |
レスが無いので自分でレスしちゃおう。愚考してみるのに、一体、首相になれば 私的な場においてさえ途端に許されないことになる領域とはどんなことなんだろう。同じ理屈で、大臣になると途端に許されないことになる領域とはどんなことなんだろう。同じ理屈で、議員になると途端に許されないことになる領域とはどんなことなんだろう。職権乱用と機密漏洩と利権的な動きにタガがはめられているのは、首相であろうと大臣であろうと議員であろうと一般公務員であろうと民間人であろうと禁止されている。それ以外のことで、ある地位についた途端に遵守されねばならないことって何なんだろう。私には判らない。どなたかその基準について教えていただければ有り難い。公的な場と私的な場について違いがあるのかないのかについてもお願いします。首相だけが全てが公的になるのかなぁ。それも変だわなぁ。 |
いい文章です 投稿者:ひまた ( 05/28 21:58:34 ) | 私の投稿に対する初レスです |
戦後政治の構図がくずれつつあるなかで、いまだに敵失に最も期待しているようにしかみえない政党幹部やあるいは「右」か「左」どっちですか?でしか個人の思想を測らない論議、そして実に底の浅い選択肢しか与えられない政治プロ主導型議会制民主主義(選挙)には私も辟易しています。自分たちがなんたるかを見えないようにしたほうが有利という暗黙の契約が保革にかかわらず「お互い様」意識に支えられて、プロ政治家たちの間には存在しているのではないか、などと勘ぐりたくなります。 |
Re:今後ともよろしくね ( 05/28 23:43:12 ) |
ひまたさん、レス有難うね。これからもちょくちょく発言しようと思っていますので宜しくお見知りのほどお願いいたしますね。 有能な政治家とは、あらゆる機会を利用して我々の政治意識を育む方向にリードし、育まれた我らの自主的な考えが有能な政治家の考えを理解することにより支持者となるような循環の目を育てる方ではないでしょうか。こういう観点からすれば、政治屋はいても政治家らしき人物が見えて参りません。与野党問わずそんな気がしています。選挙のとき辺りになると急にまめになり、後は元の木阿弥という相場が定着して久しいように思います。 |
お説、感服 投稿者:ひまた ( 05/29 00:00:57 ) |
れんだいこさんはその舌鋒ですでに何冊かのご著書を上梓なさっておられるようなお方なのではないかと察しおります。私もインターネットで掲示板行脚など続けておりますが、これまでこれほど明快かつユニークな論旨の投稿にはお目にかかったとはめったにございません。「誰彼のくだんの発言は…」などと始まる文章など読みたくもないという気分でした。自分の土俵に相手をひきずりこまないと議論ができないとゆうヤカラの多いこと…われわれの国のゆくすえ、子孫の幸せを語る言葉はこうでなくてはなりません。これからも勉強させていだきたいです、よろしくお願いいたします。 |
e:恥ずかしいずら ( 05/29 17:25:14 ) |
ひまたさん、あんまりお褒めいただくと恥ずかしいずら。私は少し政治的なこととか宗教的なことが好きな売り出し中のはんかもんです。それはともかく、この掲示板で、何か腑に落ちる論争なぞ勃発しないかなぁとか考えておりますが、何かいい題材ないかなぁ。森氏のことではいい足りた気がするし、ヒゲ戸田さんが忙しい中をなかなか洒落た掲示板に作り上げてくれているように思うし。私はリアルタイム形式の掲示板投稿は初めてなのですが、有用に使わせてもらいたいなぁと考えております。ではまた。 |
いえいえ、ご謙遜を 投稿者:ひまた ( 05/29 23:45:04 ) |
「はんかもん」ではとてもとても書けない文章です。お若い方でしたら将来きわめて有望、ご活躍を期待しおります。幸いにして、今回は私はれんだいこさんに論争を挑む側に立つ思想を持ちませんのでホッと胸を撫で下ろすの心境です。この掲示板の有効活用、私も大いに望むところですので機会があれば、と手ぐすねをひいております。戸田ひさよし議員の懐の深さに常々より感銘しつつ、良き出会いがないものかとお邪魔させていただいておる次第です。この掲示板ともども、これからもどうそよろしくお願いいたします。 何かいい題材ないかなぁ。もしよろしければ、「教育問題」なぞ、いかがなものでしょう?ご高説をお伺いいたしたく………いや、わが図々しさに恥じいりつつのお願いです。 |
Re:教育の問題について ( 05/30 15:03:12 ) |
教育の問題については私は次のように考えています。教育の本当の要は、相互の意思疎通(コミュニケーション)能力の形成にあるのではなかろうか。いろんな個性.能力.資質があって良い。その互いが生きていく術を切磋琢磨していく過程が教育なのではなかろうか。いつの世もイジメがあったり、私も含めて年頃になると不良化したりして理想どおりには行きません。それで好いのだろうと思います。あまり肥やしをかけられ過ぎると却ってもろくなったりするからです。いたらないお互いがいたろうと努力する過程、あるいは個性的な長所を伸展させ自信と意欲を育む過程が大事であり、教育の真髄は各自にそうした能力をつけさせるべく体験.経験を提供することにあるのではなかろうかと考えております。とはいえ、実際に行われていることは、エリートには唯我独尊的エリート観を、そうでない者にはそうでないことを早くわからせようとする教育であり、メリットの無いことにはへそてん口チャックが無難と教える処世教育のように思われます。 問題は、70年ごろから戦後教育行政に横槍が入れられ、そうした結果、現下の教育現場は後遺症的副作用に悩まされつつあるように思われます。どういう横槍であったかというと、戦後教育の眼目に有ったアメリカン民主主義型の公民教育が左派を培養しているのではないかという治安対策的観点から、歴史教育を初めとした「自治的市民形成教育」をカットし始めたことです。これを論証すれば長くなりますので、そのまま了解していただいた方が良いです。替わりに胎動しつつあるのが戦前型の臣民教育です。日本人にはこの方が相応しく、国民も親しみを覚えている筈であるというのが論拠になっているようです。森首相はこの辺りの観点を強く持っている方です。この過程で、いつしか教育現場では「自治的市民形成教育」派の教師が一掃され、何でも云うことを聞く無気力派が増産され又は賃上げ闘争化のみ許容された労働者派教師が形成されてきたように思われます。 奇妙なことに、「自治的市民形成教育」自体は左でも右でもありませんが、このイデーを左派のほうからも壊しにかかってきているように見受けられることです。戦前の戦争のことを考えたり、天皇のことについて言及すること自体を忌避する運動を展開して、「世の中のことを考える」習慣を没化させてきている面があるように思われます。トップダウン制は左派の方に強いという傾向があるやに見受けられます。私は、ここでも、そんなバナナと思っております。「世の中のことを考え」て行けば、自ずと世界観やコミュニケーション能力が形成されていくことになります。人の脳髄を普通に発達させていけば、こうした面に関心を持つような構造になっていると思います。にもかかわらず、そこを無理やり遮断させて目先必要的な教育一辺倒へと編成してしまっていることに無理が生じているように見受けられます。 こうして右と左から挟撃された結果、学校全体が面白くなくなっているのではないのか。教師団は教師団でくそ面白くもない忙しさを演出し、生徒側は生徒側でイジメに向かうか遁走するかしか手ごたえの無いのらくら状況に現場があるのではないか。戦後50年を経て再び気難し系の論理者が跋扈するキャンパスにさせられてしまっているのではないのかと考えています。子供は敏感だからこの辺りのことをキャッチしているのではなかろうか。もっとも、これは想像の類ですので軽く受け流してください。最近の栄養事情も多分に関係している面も有りますので。問題は、こうした事態に対応させて最近「天皇中心国家」教育によってこれを打破しようとする勢力が増殖しているやに見受けられることにあります。左派側のアレルギー型無能対応と統制手法がこれを助長していると考えているのが私の観点です。もっと開放型の「アレモヤリナハレ、ソレモヤリナハレ」式の運動が育たないものかと一人でブツブツ云っております。 |
感動的でさえあります 投稿者:ひまた ( 05/31 01:02:23 ) |
これはたいへんな方とお話させていただいているのではないかとゆう思いをますます深くする今日この頃であります。私は最近、掲示板投稿においては茶々入れが専門になりさがっており、長文をものす能力が著しく低下しており、このような短文での応答でお許し願うしかないのを実に心苦しく思います。どうかお許しください。思考ルーチンから「左」「右」のタガがはずれるとこれほどまでに自由に思索の大海原を駆け巡る見事かつ有効な思想が構築されるのか…爪の垢でも煎じて飲みたいというのはこのことですね。「アメリカン民主主義型の公民教育」、「自治的市民形成教育」。この二つの用語、私の脳味噌にあるボキャブラリ辞書(教育問題フォルダ)に登録させていただきました。 |
どなたか教えてほしい ( 05/31 18:34:21 ) |
いよいよ国会解散となりそうです。どなたかに教えていただきたいのは、今回のように国会外の発言が原因となって解散に追い込まれた例があるのかどうかについてです。私はとんと知らない。こんなことが常態化すると、今後は密告社会がやってくるということです。恐ろしいことは、そうした社会への誘導を野党諸君の方が呼び水していることです。戦後社会のルールをまがりなりにも守ろうとしてるのがどちらの勢力なのか暫し黙して考えてみよう。 「神の国」発言の是非論以前の愚態を見過ごすことは、戦後憲法秩序下のルールの自損であろう。私は、そうした連中を風上に置くことを認めない。早期に引退願って、新しい勢力を構築したい。ホント、政治を漫談調でなく日本国の自前の民主的発展づくりに向けて果敢に戦う政党が現れないものかなぁと嘆息しています。お粗末が過ぎるというのが正直な感慨です。 |
Re:ちょっと一言 ( 06/01 10:29:24 ) |
今朝の2000年5月31日「しんぶん赤旗」によりますと、「首相問責決議案を提出、『神の国』発言“資格と資質を欠く”」という見出しで、(中略)次のように書かれています。提出後の記者会見で野党三党の国会対策責任者は、提出理由について、森首相の「神の国」発言が「明確な憲法違反、憲法否定であり、総理大臣としての資格と資質を全くかいたもの」であることを強調しました。 |
Re:うーーん、筆足らずかなぁ、それとも私の勘違いかなぁ ( 06/01 19:42:34) |
私が言いたかったのは、5.31付け紙面を6.1日赤旗早朝紙面で見て、志位発言の内容を山下芳生参院国対委員長がしたかのようなすり替えを行っているのを不可思議と指摘したかったのですが、今日の午後からの1日付け赤旗ではちゃんと志位発言としている記事が出ておりました。少々反省しております。これを詳しく見れば、30日に日本共産党、民主党、社民党の野党三党でまず「森内閣は解散・総選挙をまたずして速やかに総辞職すべきである」として、内閣総辞職を求める首相問責決議案を斎藤十朗参院議長に提出し、その時の声明で、山下芳生参院国対委員長が、「趣旨は一点、『神の国』発言。いまの政治体制とは両立しえない発言で、総選挙前に退陣すべきだと説明し、「この問責決議案がかりに否決されるなら、(自・公・保など)否決した側は森首相と共同の責任を負うことになる」と発言しているようです。 続いて31日に今度は衆議院に対し、日本共産党、民主党、社民党、自由党の野党四党がほぼ同様趣旨で内閣不信任案を提出しました。全野党が内閣不信任案を共同提出したのは一九七四年の田中角栄内閣以来のことですと礼賛記事が増えています。この会見の席上、志位書記局長が山下芳生参院国対委員長と全く同じ文言で、「『神の国』発言は憲法違反だという一点にしぼって提出した。与党が、これに反対するなら、与党の共同責任になり、同罪だ。与党の態度がきびしく問われている」と発言しています。私がテレビで見たのはこの時の志位発言であり、山下発言は放映されたのかどうか不明ですが6.1日赤旗早朝紙面で山下発言として書かれていたものですから、本当は志位発言ではないのか、それがすりかえられていると邪推混同してしまいました。早とちりだっのかなぁ。こういう場合はご免ちゃい。これで済むのかなぁ。 返す刀で、それでもしっくりしないことを書かしていただきます。山下発言と志位発言がほぼ同様文言とするならば、これは個人的発言ではなく党としての正式なコメントとなる気がいたします。とすれば、この「連帯共同責任論」に対し党は責任を負っていることになります。さて、この文言を分析してみましょう。「与党が、これに反対するなら、与党の共同責任になり、同罪だ」という発想は、かなり危険な「踏み絵論理」ではないでしょうか。一億一心論理の裏返しに位置してそこに追い込む考えのように思われる。自.公.保の中でもかなりの困惑が明確にされているにも関わらず、そのような「共同責任論」で恫喝していくのはフェアではないと私は考え、政敵と戦うにも自ずと我らを納得せしめる論理と行動で為されるべきではないかということが言いたかった訳です。 「神の国」論理も感心しないけど、「連帯共同責任論」にも首肯出来ないというのが私の考えです。もっとストレートに、「天皇中心の神の国」思想の下で如何なる惨禍がわが国に及んだのか、それを今日まで復興せしめたのは「国民主権の下平和愛好、経済利福」で戦後再建を誓った国民的努力によってであり、いろいろほころびが生じつつあるも断じて「天皇中心の神の国」思想への回帰で解決するものではなかろうと全国民に呼びかける論議をなぜ起こさないのだろうか、と思う。 何度も言うけれど、今回は然るべきところの発言ではない。いわばオフレコの発言をフレームアップさせて、就任ほやほやで何ほどの仕事もしていない首相を引き摺り下ろそうとする根性は、イジメであり、その論理たるや戦前並みの恫喝論理を援用しつつこれを行うとするならば、党利党略極まれる痴態としか云いようが無い。 最後に。ハイ、私は幻想のかけらも持ち合わせていません。戦後のどさくさ期以来次第次第にますます政権が遠ざかっていると見なしています。最近で一番政権が近づいた時は細川内閣のときでした。その時日本共産党は、自民党よりも右翼的政権としてこれの打倒に四苦八苦しました。おかげで、自民党は何事も無かったかのように今日も万年与党の席に戻り座ることが出来ています。この現象は、本来社会党も共産党もこの体制を望んでいるのではないのかとしてしか説明がつかない。ええ格好とおこぼれと反対派権力の座の味を程よく気に入っている連中が、適当に我々の不満の空気抜きをしながら、互いにがっぷりで超債務.公務員泰平国家を作り上げようとしているのではないのかと疑惑しています。今日再び政権参加を目指そうとするなら、細川内閣時に見せた論理と対応を整合的に総括せずには公党として問題があるであろう。ここを抜きに有り得そうも無い政権参加賛成論を言う輩がいるから、「何でもかんでも党中央の言うことはその通り」の没主体性が批判されるのであり、その都度その都度をまじめに受け留めてきた者が馬鹿を見させられるのではないのか。本日はこれぐらいにしとこ(これは反論がきそうかなぁ)。 |
Re:少しお酒が廻っていますが ( 06/02 01:43:44 ) |
既に飲酒で帰宅して又ビールなぞ飲んで、それからひまたさんにご返事しておりますので、乱筆になればあしからずと最初にいいわけしてきます。戦後史の流れは別の時に私観として発表したく思っていますので、後半の戸田議員の働きかけと共産党の反応について想像をたくましくしたいと思います。 戸田議員が左は急進主義者から穏健派日本共産党、社会党員まで、右は市民派から身近の町内会まで包摂した個性的ムーブメントを志向していることは結構なことと了解しております。恐らく、氏にある精神的バックボーンは、毒きのこ、毒ふぐ自ら試して後世の者になにがしかの貢献をと考えて今風の対象を見つけて日夜アタックしているのではないかと受け止めています。私は、そういう面白系の人が好きです。どうせ、この命を養生しても三百年と生きた人は皆無でしょう。恐らく「稼働人生五十年」の幅をめいめいが好みに合わせてそれぞれに費やしているのだろうと思います。一身の利得富貴栄達を求めるもよし、共どもの喜怒哀楽を求めてうごめくも良しとして、戸田議員は後者の部類の方ではないかと思っております。 この感性は、本来左派特に日本共産党員にはもっとも色濃くあったものです。ところが、ところがなのです。戦後日本共産党は大きく二つの世帯に断層が分岐しています。戦後直後の党をリードした徳田書記長時代と現在の宮本議長時代のそれは、これが同じ党名の人士かとあきれるほど性格を異にしています。わかりやすく云えば、前者は陽性開放型のあけっぴろげです。後者は陰性閉鎖型の統制主義です。個々の例では異論もできますが、おおむねそうとらえて間違いありません。さて、今日の門真に限らず市議から県議は云うに及ばず国会議員であろうと本部詰め員であろうと、実態を知れば普通の感性の持ち主では三日と持たないがんじがらめの統制が党内に敷かれています。現場での個々の判断に基づく行動が許されない監視の目が張り巡らされていると考えれば良いです。これを嘘と思ってはいけません。ソフト治安維持法下にあると断言する消息通の方もおられるぐらいです。自民党の亀井あたりはこの辺の事情を知り抜いていてなめきっている感じがします。 この実態を知ることが、戸田議員に対する地元共産党市議の無愛想を理解する鍵となります。彼らは表だっては反応し得ない囲い込みの中の鳥でしかないのです。しかし、心配はいりません。江戸時代のあの圧制下でも隠れキリシタンが生息し得たごとく心ある共産党員は面従腹背の中から機会を伺っています。恐らく、きんきんのうちにも「ええかげんにせんかい」と宮本ー不破ー志位執行部に反旗を翻す動きが始まるでしょう。なぜなら、経済も政治も国際関係もいつまでもぬるま湯を許さない厳しい環境にこれから突入するという客観情勢があるからです。与党も官僚も自信のない政局運営にこれから突入していくだろうと私はとらえています。現党中央の本質は、口先とは別に現状墨守主義者です。失礼、口先も既に現状墨守派になっているか。とてもこれからの厳しい時局の指導者足り得ない無能力者と私は評価点しています。その点、好き嫌いは別にして創価学会ー公明党は偉い。党派としてもっとも原則的にやるべきことをやっているように思われる。恐らく、池田大作氏がいなくてもきちんと機関運営できるところまで成長しているのではないだろうか。この話は脱線するのでよそう。 ひまたさんが、 > これきわめて現実の問題です。この戸田さんのホームページでは、一連の共産党に対して戸田さんがなされた「連帯の表明」や「呼びかけ」の声はよーくわかるのですが > そのあと向こうからどういう応答があったのか、それがまったくといっていいほど聞> こえてこない。まったくフォローがないのです。(笑) > どないなってんの?と、ずーっとそれが気になって仕方がないのですが、私は気が小さいので(それに部外者ですから)この口からは聞けないでおります。 と気に為されるのはもっともなことですが、現場の党員にこれっぽっちの「主役」性がないということを認識すればむべなるかなと理解できることです。考えてもみよう。わざわざ「支部が主役」なぞと強調せねばならないこと自体いかにそこから遠いところにあるか推して知れるというべきだろう。それを許さない仕組みのままにそのように言い続ける欺瞞ー恐らくこの体制は心身症をかなり生んでいると私は睨んでいる。今日はここまで、チカレタわ。(選挙が近いのであんまりこういうことは云いたくなかったのですが、これはこれ、それはそれとしてくださいね) |
Re:ラブリーひまたさんへ ( 06/02 23:50:58 ) |
ひまたさんの便りはホント面白いですねぇ。田中耕太郎(のちに最高裁長官)さんのお話といい、私の拙い一文から>
というわけですね。組織論としてですが、神経<>脳味噌の「交感」ができるかどうか>
のレベルでは政教分離云々は形式の問題で現実は…そう、たしかにそのとおりかも知れません。(笑)なぞと読み取るなんてことはこちらこそお教えいただかなくてはなりません。恐縮しています。 >>匿名でかまわないからここにも「隠れキリシタン」(できれば門真市の)のご参加があれば、意義ある議論ができると思いますね。今は夢みたいな話ですけど、そ > ういう時代がもうすぐそこにまで来ている。このあたりはれんだいこさんもご同意い> ただけますか。 > そういえば、こんなふうに掲示板を開放している共産党関連(公式)のホームページは皆無ですね。共産党にとってはもうひとつの「厳しい時代」なのかも知れない。 この辺が、ヒゲ戸田さんの面白系精神の為せる技だと思っています。ああしたいこうしたいと思っていても、実際に何かをすればしんどい裏方の作業がいるのだと思います。ニモカカワラズこのようなサイトをつくられた戸田議員の労を評価したいと思います。「良い時代」がすぐそこまできているのかどうかは何ともいえない気分です。飯の不安が無くてお互い云いたいことを云い合えたら、さぞかし良い世の中だろうなぁとは憧れています。 共産党の方について思うことは、夫婦の仲でもそうですが、お互いに云わなくても通じていると思われる間柄でも、俎上に乗せてみたらバラバラだったりして。そんな姿を互いに確認するのを怖がっており、気分的なカルト的同志感覚で悦にいっており、私の一連の発言はその点でご気分を悪くさせているのではないかと親しい人から指摘されたことがあります。それで少し蟄居している身分なのです、実は私目は。今はここが私のオアシス。 |
(私論.私見)